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2017年7月 9日 (日)

改憲の動きに思うこと

先週日曜に投開票された東京都議会議員選挙は都民ファーストの会が大躍進し、自民党が歴史的惨敗を喫するという結果となりました。今年5月に投稿した記事「憲法施行70年、安倍首相の改憲発言」のとおり自衛隊を憲法の中で明文化するという考え方を安倍首相は示していました。さらに安倍首相は年内に自民党の改憲案を国会に提出する方針まで打ち出していましたが、都議選の結果は改憲スケジュールまで影響を与える可能性が生じてきています。

自民党内では安倍晋三首相や執行部への不満の声が出始めた。閣僚の一人は「党内は荒れる。これで荒れなかったら自民党はなんなんだ、という話になる」と漏らした。党の憲法改正案を今秋の臨時国会で示すとした首相主導のスケジュールを疑問視する声も強まっている。 「ポスト安倍」を狙う岸田文雄外相は3日午前、東京都内で記者団に「選挙結果に国会議員の言動が影響したという指摘を多くいただいている」と敗因を指摘しつつ、「私は内閣の一員。(首相と)ともに努力しなければならない」と述べて政権を支えるとした。石破茂元幹事長は2日深夜、「都民ファーストが勝ったというより、自民党に懸念や疑問が持たれている。問われているのは自民党だ」と語った。

自民ベテラン議員は「経済最優先に戻るしかなく、憲法改正の旗は降ろすのではないか」と述べ、首相の党運営が厳しくなるとみる。中堅議員からも「憲法改正はできないし、やらせない」との声が上がった。政権内でも厳しい受け止めが相次ぐ。首相周辺は「予想外に負けた。政策的な問題ではないが、(政権への打撃は)大変なことになる」と身構えた。官邸に近い党幹部は「憲法の論議など、さまざまな国政の課題に影響が出るだろう」と語った。一方、政府高官は「党内で足を引っ張る人はいないだろう。政権運営への影響はあまりないと思っている」と党内の動きをけん制した。【毎日新聞2017年7月3日

公明党の山口代表も「経済再生、アベノミクス推進が目標だ。憲法は政権が取り組む課題ではない」と明言しています。一方で、自民党の保岡憲法改正推進本部長は「都議選の結果は党の改憲論議のスケジュールに影響しない」と述べ、安倍首相がめざす年内に党の改憲案を国会に提出する方針に変わりないことを強調しています。いずれにしても「安倍1強」が都議選を契機に崩れていくのか、一過性の落ち込みなのかどうかで改憲の動きも左右されていくような気がしています。

さて、これまで「憲法記念日に思うこと」「憲法記念日に思うこと 2009」「憲法記念日に思うこと 2014」「憲法9条についての補足」など憲法に絡む記事を数多く投稿しています。私自身の考え方を改めて申し上げれば次のとおりです。憲法さえ守れば、ずっと平和が続くというような誤解を招きかねない言い方は慎んでいます。何よりも大事にすべきことは日本国憲法の平和主義であり、専守防衛を厳格した「特別さ」だと考えています。したがって、一定の抑止力の必要性や安全保障のリアリズムを否定していません。

安倍首相は憲法9条の理念はそのままで自衛隊が違憲かどうかの議論は終わらせたいと説明しています。平和主義の効用を維持できる改憲だった場合、国民の大半は賛成票を投じるはずです。しかし、集団的自衛権の問題など解釈の変更で平和憲法の「特別さ」を削ぎながら改憲発議の中味は「憲法9条をそのまま」と説明されても理解に苦しみます。それこそ善し悪しは別にして「国防軍」を明記した自民党の改憲草案のほうが明解な選択肢であり、誠実な政治姿勢だろうと思っています。

また、どのような条文を安倍首相が想定しているのか分かりませんが、新たな矛盾や論争の芽を残す恐れもあります。このような問題意識を抱えている中、前回記事「『総理の誕生』を読み終えて」の冒頭に記したとおり図書館で『なぜ憲法学者が「野党共闘」を呼びかけるのか』という書籍を借りていました。以前の記事「『憲法改正の真実』を読み終えて」で取り上げた小林節さんの著書です。小林さんは改憲派の重鎮と呼ばれていながら立憲主義や国民主権について理解が不足している現政権に対し、護憲派も改憲派もその違いを乗り越えて対抗すべきと訴えている憲法学者です。

すぐ読み終え、「なるほど」と思えた内容が多かったため、さっそく新規記事の題材として取り上げてみます。今回「野党共闘のあり方」の問題に焦点を当てている訳ではなく、記事タイトルも長くなるため「『なぜ憲法学者が「野党共闘」を呼びかけるのか』を読み終えて」としませんでした。そのため、読み終えた著書の記述にとらわれず、小林さんが語っていた同趣旨の内容をネット上のサイトから転載させていただきます。『週刊東洋経済』のインタビュー記事『安保関連法案は、結局のところ違憲?合憲?』の中の次の一文です。

日本国憲法下では、自衛隊が他国の防衛のために海外に出ていくことはできない。憲法9条2項には「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」とある。だから、自衛隊は軍隊ではなく、警察予備隊として発足した。自衛隊はわが国の領土内で、警察や海上保安庁で対応できないほどの力が襲ってきた場合に備えるための組織であり、法的には第2警察という位置づけだ。

警察と軍隊の違いは何か。軍隊は戦争に勝つことが最優先で、大量破壊、大量殺人など通常では犯罪とされる行為が許容される。戦場で強盗などを犯すと、軍法会議という特別な法廷が開かれるが、憲法は76条2項で軍法会議を禁止している。軍法会議のない自衛隊は軍隊とはいえず、警察で交戦権もない以上は「専守防衛」に限定されると考えることは、極めて自然だ。

全体を通して興味深い書籍でしたが、特に「なるほど」と思った内容が上記のような論点でした。「自衛権に個別的も集団的もない」という理屈のもと安保法制が見直されました。上記のような論点に照らせば自衛隊の活動は領土内に限られるため、海外での活動の幅を飛躍的に広げた安保関連法は明らかに「違憲」という解釈に帰結します。これまで憲法9条の解釈が変遷してきたことも確かですが、安保関連法に関しては憲法無視の安倍政権の暴走だったことを小林さんは厳しく批判しています。

中国や北朝鮮情勢に対する見方の温度差によっても安倍政権への評価は分かれがちです。仮に情勢論から自衛隊の役割の見直しが欠かせず、憲法の「特別さ」を削ぐ必要があるのであれば96条に沿った改正の手続きに付すべきものと考えています。憲法学者の大半が「違憲」と判断した解釈変更は大きな禍根を残しています。さらに今後、憲法9条の1項と2項はそのままとしながら「自衛隊が違憲かどうかの議論は終わらせたい」という安倍首相の発想は小林さんの著書の中の「無教養な確信犯」という言葉を思い浮かべてしまいます。

冒頭に記したとおり安倍首相の企図した改憲スケジュールは修正されていくのかも知れません。しかし、いつ憲法9条の行方が問われたとしても、幅広く正しい情報をもとに判断できる環境を整えていくことが重要です。その結果、自衛隊を正式な軍隊に改め、戦争ができる「普通の国」に戻ることを国民が選択するケースもあり得るはずです。そのような選択に至った場合、それはそれで厳粛な国民投票の結果として受けとめていかなければなりません。絶対避けるべきことは不誠実で不正確な選択肢のもと憲法の平和主義が変質していくような事態です。

明解な選択肢は憲法9条の「特別さ」を維持するのか、改めるのかどうかだろうと考えています。その際、「特別さ」を維持すべきと訴える側は「憲法を守れば平和が続く」という極端な見られ方をどのように払拭していくのか、同時に「特別さ」を維持していくことが国際社会への貢献にどのようにつながっていくのか、的確に説明できる言葉を磨いていかなければならないはずです。改憲の動きに対する思いを綴ってきましたが、最後に、小林さんの著書の中で印象に残った箇所を紹介させていただきます。

戦争というものは、どんな場合もいずれくたびれて終わるのです。戦争にくたびれてきたときに、「止め男」がいると、戦争を終わらせやすくなります。そういう役割を果たせるのが、日本です。日本はキリトス教諸国とイスラム教諸国、どちらとも経済的付き合いがあり、良好な関係を築いてきました。だから、日本こそが900年続く十字軍戦争の打ち止めを手助けできるポジションにいるのです。戦争なんて人と物が消耗するばかりで、勝っても負けても何も生みません。

こういうなかで、日本がもうひとつの新しい軸を立て、調整者・仲裁者としての役割を果たすならば、そのときこそ国連安保理常任理事国にも入る資格が出てくるのではないかと思います。戦争に手を染めず、国連のよきスポンサーとしてきちんと負担金を払い、文化交流や、戦争の仲裁者として生きていけばいいのです。そうやって世界平和に貢献する。私はこれがもっとも大事なことだと思います。70年間、日本が世界史に先例のない平和大国でありつづけられたのは、ほかでもなく、憲法9条の制約があったからです。この素晴らしい地位を、安倍首相はアメリカの二軍になることによって、かなぐり捨てようとしている。本当に愚かで、もったいないことです。

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コメント

こんばんは。

>>70年間、日本が世界史に先例のない平和大国でありつづけられたのは、ほかでもなく、憲法9条の制約があったからです

よくもまあ印象に残った箇所とか言えますね。
何の罪もない日本人が韓国軍に殺され、北朝鮮に拉致され帰ってこない人が沢山いる。
領土も占領されたり、侵略を受けている。
日本が70年間平和であったのは日米同盟があり、米軍が日本に駐留しているからだ。
日米同盟がなく米軍も駐留していなかったら、今頃日本はソビエト、中国などが侵略して平和で経済が発展していなかっただろうな。

投稿: す33 | 2017年7月 9日 (日) 22時50分

話題の前川さんに関する記事です。

>http://agora-web.jp/archives/2027087.html

反安倍で祭りあげるのはかまいませんが、外から見た時に
この人の行為は世界中で非難されるようなことがらと思うの
は私だけでしょうか。

さらにOTSU氏にこの記事を提供します

>http://agora-web.jp/archives/2027103.html

同じ党内からの非難ですが、OTSU氏が応援する江崎孝議員
も以前プログで擁護してましたね。さらにこんな内容も
のせていました。

>イヤガラセのような報道で政治生命や人権を無茶苦茶にするマスコミは反省しましょう。

どうも自分達に不都合だとマスコミを批判する。
与党を批判する時は、やれ言論の自由、報道の自由と言う
この2重基準と2重国籍はなんか関連があるのか、それとも
伝統の方法なんでしょうか。
おそらく江崎議員もご都合の悪いことはだんまりだと思う
ので、どうか支持者としてOTSU氏から意見されてはいかが
ですか?批判者が曇りあるとよろしくないでしょう。
戸籍謄本を公開して説明すれば疑問は雲散霧消するで
しょう。極めて簡単な話ですよね。ぜひ支持者として
党代表の疑念を払拭するよう働きかけて下さい。

投稿: nagi | 2017年7月10日 (月) 18時01分

やはり、なぜ「自衛隊」を軍隊として憲法に明記してはダメなのか、誰もが納得できる明確な根拠は見当たりませんね。

平和、不侵略、専守防衛、明記すればいいじゃないですか。
その上で、自衛のための軍隊を保持することを明記する方が、よっぽどスッキリしませんか?

平和は軍隊を持たないから平和になるわけではないですよね。
そもそも、どこをどう見ても、自衛隊は軍隊なのですから。

憲法9条が今のままでないと、日本は平和な国家で無くなりますか?
世界から平和国家として認識されるのは、憲法9条だけが理由ですか?

私はどちらでもいいのです。
憲法9条をそのままにして自衛隊を解散するか。
憲法9条を改憲して自衛隊を専守防衛の軍隊とするか。

そろそろ、スッキリさせましょうよ。

投稿: 下っ端 | 2017年7月10日 (月) 21時47分

方法は、3つだけじゃないですか?

①憲法9条に嘘をつかないため、改憲せずに、自衛隊を解散し、永遠に軍隊を組織化しない。

②不侵略、専守防衛を明記し、そのためだけの軍隊として自衛隊を明記する。

③世界の平和維持のため、国連の平和維持活動に参加を認めたうえで、自衛隊を明記する。その場合、先制攻撃の放棄等を加筆する。

さて、管理人さんはどれを選びますか?

投稿: 下っ端 | 2017年7月10日 (月) 21時54分

加計問題で、先日のユアタイムでもありましたが、マスコミの
結果ありきな報道に対するおもしろい記事です。

>http://diamond.jp/articles/-/135110

投稿: nagi | 2017年7月14日 (金) 15時09分

す33さん、下っ端さん、nagiさん、コメントありがとうございました。

私自身のささやかな「運動」に照らした際、大事な問いかけが寄せられているものと受けとめています。せっかくの機会ですので新規記事を通してお答えさせていただくつもりです。ぜひ、これからもご注目いただければ幸いですのでよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2017年7月15日 (土) 06時07分

先日の閉会中審査における加戸元知事の発言、それと京都
産業大学の獣医学部断念の経緯発表。さて報道機関はまたもや
報道しない自由を発動するのでしょうか。

この二つの発言により、加計学園に関する問題がなにも
ないことがはっきりするわけです。

まあマスコミの思惑どおり無理やり問題があるように報道し
不都合なことは報道しない。おかげで憎い安倍政権の支持率
も下がり続けてますね。
マスコミによる世論の誘導こそが民主主義の敗北の一つ
であると私は考えますね。国民が自分で考えるのではなく
マスコミに踊らされた結果がこれですから。
かつての大本営発表で戦争に向かって高揚していたのと
何が違うのだろうか。
日本のジャーナリズムは本当に死んだなあと思う夏です。

投稿: nagi | 2017年7月15日 (土) 16時47分

以下は、意識的に多くのものを捨象してるんですけど、敢えて過激な言い回しをいとわないで、 ※ワタクシが個人的に感じる※ この間の流れを一言で言うと。

多分、帝国憲法下での「天皇」が、
日本国憲法下での「憲法第9条」に変わっただけなんですよ。

ベクトルの方向は確かに180度変わったけど、
本質的なものは何も変わってないと思います。

国体の意味するところが、「天皇」から「憲法第9条」に変わっただけで、「国体明徴運動」は戦前から今に至るまで一貫して続いてるんだと思ってます。

戦後一貫して、「戦争に向かって高揚していたのと何も違わない。」のでしょう。
ベクトルの指向する(志向する)ものが、変わっただけで、内在するものは何も変わってない。

だから「死んでない」のだと思います。
そもそも最初から「生きてなかった」のだから。

投稿: あっしまった! | 2017年7月15日 (土) 23時50分

nagiさん、あっしまった!さん、コメントありがとうございました。

メディアの特性や難点を理解した上、意識的に多面的な情報に接していく大切さは当ブログを通して訴えてきています。また、いわゆる右や左の立場それぞれ自分自身にとって都合の良い情報を評価しがちな点を記したこともあります。

今回、加計学園の問題も上記のような傾向が強く表われているものと思っています。今週投稿する新規記事はそのような点まで触れられそうにありませんが、機会があれば記事本文を通して掘り下げてみたいものと考えています。

あっしまった!さんのご指摘、たいへん恐縮ながら漠然とした理解にとどまっています。漠然とした理解の中で、そのような見方もあるのか、という興味深さは募らせていただいています。

投稿: OTSU | 2017年7月16日 (日) 06時55分

先刻投稿したものは、意図的に漠然とした言い方にとどめていますので。
もちろん、先刻投稿したワタクシなりの見方に至る思考の過程・論考の過程というのはありますし、「敢えて捨象した部分、あの投稿だけでは説明がつかない部分」というものもあります。
とはいえ、全部をアレコレ投稿するのもあれなので、「最大公約数的に、かつ限局した言い回し」として、ああした投稿にしました。

前段の「国体明徴運動」云々の部分は、簡単にいうと、
「顕教としての帝国憲法」と「密教としての帝国憲法」そして「顕教による密教討伐としての昭和維新(国体明徴)」という見方に立脚して、

日本国憲法下でも顕教と密教の対立があり、それは依然として存在している。しかも昨今の政治情勢の下で、その構図の存在が顕在化しつつある。

という観点を前提とした投稿(発言)であるという説明になります。


で、最後の「死んでない」というのは、日本の報道機関に対するもので、
「戦後の日本のジャーナリズム」というのは、そもそも生まれていないから、死ぬことはできない。
よって、「戦後の日本のジャーナリズム」というのは死んでいないし、そもそも存在しない。
ベクトルの向きが違うだけで、本質的には戦前のそれと変わってはいないというワタクシなりの意見の表明になります。

投稿: あっしまった! | 2017年7月16日 (日) 15時34分

あっしまった!さん、コメントありがとうございました。

新規記事の冒頭で、いつも貴重なご意見やご指摘、もしくは情報をお寄せいただいていることに改めて謝意を述べさせていただきました。また、ブログの管理は週末に限って対応しているため、個別の問いかけに即応できないことを心苦しく思っていることも一言添えさせていただいています。

このような現況ですが、一閲覧者としては毎日ブログを訪れています。もちろん記事が更新される訳ではありませんので、新たなコメント投稿があったかどうかを楽しみにしています。手応えのないコメント欄で恐縮ですが、ぜひ、これからもお時間等が許される際、お気軽にご投稿いただければ幸いですのでよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2017年7月16日 (日) 22時16分

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