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2017年7月16日 (日)

改憲の動きに思うこと Part2

一つの記事に100件以上のコメントが寄せられていた頃に比べればコメント数は大きく減っています。それでも少ない中で、いつも貴重なご意見やご指摘、もしくは情報をお寄せいただいていることをたいへん感謝しています。仮にコメント数がゼロになったとしてもアクセス解析機能から閲覧者が一人でも確認できる限り、このブログは続けていこうと思っています。

そう思いながらも閲覧されている皆さんの率直な意見を伺える場として開設しているコメント欄ですので、一人でも多く方に投稿いただければ非常に幸いなことだと考えています。ただ私自身、ブログの管理は週末に限って対応しているため、個別の問いかけに即応できないことを心苦しく思っています。さらに難しい問いかけは記事本文を通してお答えするように努めている点なども改めてご理解ご容赦ください。

このような前置きを述べながら新規記事を前回記事「改憲の動きに思うこと」の続きにあたる「Part2」とした訳を説明させていただきます。そもそも日常的な組合活動の中で政治的な課題の占める割合はごくわずかです。先週木曜の夜には会計年度任用職員に関する学習会を開き、70名を超える組合員の方が参加されています。タイムリーな組合活動の報告であれば、その学習会のことが真っ先に上がります。

他にも連合が「脱時間給」を容認したという報道のことなど週に1回の更新ですので、このブログを通して取り上げたい話題が数多くあります。そのような中で前々回記事「『総理の誕生』を読み終えて」のコメント欄で交わしたKEIさんとのやり取りが気になっていました。前述したとおり日常の組合活動の中で政治的な課題の占める割合は少ないのですが、このブログでは意識的に政治的な話題を頻繁に取り上げています。不特定多数の方々に「働きかける」という自分なりのささやかな運動と位置付けている側面があるからでした。この説明に対し、KEIさんから次のような言葉が寄せられていました。

…正直な所、その「運動」、うまくいっていると思いますか? 提起してはことごとく突っ込まれ、有効な反論をするでもなく次の提起をするからさらに突っ込まれ… こんな体たらくで「働きかけ」がうまくいくと思うのですか? 逆効果になるかもとは思いませんか? …まあ僕はそんな「逆効果」を期待している方の客ですから、これ以上は言いませんけどね。

取り急ぎコメント欄で私から「大事な問いかけですので新規記事の冒頭で改めてお答えさせていただくつもりです」とお答えし、これからも「逆効果」を期待されている関係性で結構ですので、引き続きご注目いただければ幸いです、と書き添えさせていただきました。それまで培ってきた経験や知識をもとに個々人の基本的な視点や立場が枝分かれしていきます。この基本的な視点や立場が異なると同じ出来事や情報に接していても、評価や受けとめ方が大きく分かれがちです。

この違いや「溝」を埋めることは容易でないことをブログを長く続ける中で痛感してきています。それでもお互いの主張や意見を交わし合うという接点を持たない限り、その「溝」は絶対埋まらないまま固定化されてしまいます。そのため、「逆効果」となるケースもあるのかも知れませんが、不特定多数の方々に自分自身の主張や幅広い情報を発信する、つまり「働きかける」というささやかな運動を日常生活に過度な負担をかけない範囲で続けてきています。

有効な反論に至っているのかどうかという評価も前述したような「溝」があることを認識しています。いずれにしても容易に分かり合えなくてもこのコメント欄の限界と可能性を踏まえながらブログと向き合っています。このような関係性がある中、前回記事「改憲の動きに思うこと」のコメント欄で、す33さん、下っ端さんから寄せられたコメントに対し、「私自身のささやかな運動に照らした際、大事な問いかけが寄せられているものと受けとめています。せっかくの機会ですので新規記事を通してお答えさせていただくつもりです」とレスしていたところです。

憲法学者の小林節さんの「70年間、日本が世界史に先例のない平和大国でありつづけられたのは、ほかでもなく、憲法9条の制約があったからです」の言葉に対し、す33さんは「よくもまあ印象に残った箇所とか言えますね。何の罪もない日本人が韓国軍に殺され、北朝鮮に拉致され帰ってこない人が沢山いる。領土も占領されたり、侵略を受けている。日本が70年間平和であったのは日米同盟があり、米軍が日本に駐留しているからだ。日米同盟がなく米軍も駐留していなかったら、今頃日本はソビエト、中国などが侵略して平和で経済が発展していなかっただろうな」と批判されていました。

「70年間平和」という見方に対しては朝鮮戦争時の日本特別掃海隊の存在をはじめ、様々なとらえ方があろうかと思っています。ただ小林さん自身、もともと個別的自衛権を認められていますので、す33さんの問題意識と大きな乖離はないように受けとめています。あくまでも憲法9条の制約があったから朝鮮戦争やベトナム戦争の際、米軍とともに直接参戦せずに済んできたことを小林さんは特筆的なことと評価されています。このような見方に対し、私自身も共感できるため、印象に残った箇所と書き残していました。

拉致被害者やご家族の皆さんにとって「平和」からは程遠い日常が続いているものと思われます。不透明感を残したままの拉致問題の解決、拉致被害者全員の帰国を心から願っています。この問題で憲法9条の無力感を唱えるケースも見受けられますが、交戦権のある国でも拉致被害者の救出が難しいという現実にも留意しなければなりません。強制収容所の存在をはじめ、自国民を抑圧する体制を擁護するつもりはありませんが、対話を重ねることで解決の道がもっと開けた可能性も否定できません。

実際、小泉元首相が北朝鮮との対話に踏み切ったことで拉致被害者5人は帰国できました。最近、このような見方を示す記事「北朝鮮の核脅威は、15年前の安倍首相の行動がもたらした可能性」を目にしています。軍事ジャーナリストの田岡俊次さんが次のように語っていますが、異論反論は数多く示されるのだろうと思っています。安倍首相を評価されている方々にとって「またか」という感想を持たれるのかも知れません。しかし、対話を重視することで拉致問題も現在とは異なる展開があった可能性を頭から否定できないものと受けとめています。

今のように北の核ミサイルに日本がさらされないようにするチャンスはあったのです。02年9月17日、小泉純一郎首相が訪朝して、当時の金正日総書記に会い調印された日朝平壌宣言は、北朝鮮が核開発を止めますという協定だった。北朝鮮は核に関するすべての国際的取り決めを遵守する。つまりNPTに残りIAEA(国際原子力機関)の査察を受ける、その見返りに日本は国交を樹立し、援助もしましょうという話でした。世界が懸念していた北朝鮮の核問題を日本がほぼ独力で解決したのだから、平壌宣言は「北朝鮮の信じがたい譲歩」を得た日本外交の大成功として世界から称賛され、国際会議で小泉氏は英雄扱いされました。

しかし、北朝鮮が謝罪したことで日本の大衆ははじめて拉致の事実を知り、世論はそちらのほうで沸騰してしまった。最初は拉致被害者がまず帰ってきて、子供がいる2組の夫婦は日本の状況を確認して、いったん北朝鮮に帰って子供たちを連れて日本に帰ってくるという話だった。ところが、当時官房副長官だった安倍晋三氏は、帰すとまた捕まってしまうから帰さないと主張し、「それでは平壌宣言の履行は第一歩からつまづく」と言う福田康夫官房長官と激論になったそうです。結局はいったん調印された平壌宣言は、有名無実化してしまった。拉致問題についても、国交を樹立して大使館を開き、援助漬けにしてパイプをつくり情報を取るほうが定石だった。

1990年にロシアは韓国と国交樹立して、北朝鮮を見捨てた。92年に中国も韓国と国交樹立して北朝鮮を見捨てた。孤立無援の状態になって、北朝鮮は核をつくり始めたのです。北朝鮮の核については、ロシアと中国の責任も大きいですよ。核の傘がなくなってしまったわけなので、自分でやるしかなくなった。孤立によって経済も破綻していたので、日本に助けてほしく、核問題で譲歩してきた状態だったので、絶好のチャンスだったのです。「北朝鮮はそれでも密かに核開発を続けようとするだろう」と私も考えたが。IAEAの査察を受けていれば小規模な研究程度しかやれず、核実験をすれば日本の援助は滞るから、こちらは手綱を握ることができたはずです。平壌宣言が履行されていれば、今の状況はなかったのです。

す33さんのコメントに対する「答え」が思った以上に広がってしまいました。ただ以上のような見方は、これから述べる下っ端さんからの問いかけに対する「答え」に関わってくるものであり、「日朝平壌宣言が履行されていれば」という仮説は非常に興味深いものでした。それでは続いて、下っ端さんのコメントに対する私自身の「答え」です。下っ端さんからは次のとおり私に対して直接的な問いかけがありました。

やはり、なぜ「自衛隊」を軍隊として憲法に明記してはダメなのか、誰もが納得できる明確な根拠は見当たりませんね。平和、不侵略、専守防衛、明記すればいいじゃないですか。その上で、自衛のための軍隊を保持することを明記する方が、よっぽどスッキリしませんか? 平和は軍隊を持たないから平和になるわけではないですよね。そもそも、どこをどう見ても、自衛隊は軍隊なのですから。憲法9条が今のままでないと、日本は平和な国家で無くなりますか? 世界から平和国家として認識されるのは、憲法9条だけが理由ですか?

私はどちらでもいいのです。憲法9条をそのままにして自衛隊を解散するか。憲法9条を改憲して自衛隊を専守防衛の軍隊とするか。そろそろ、スッキリさせましょうよ。方法は、3つだけじゃないですか? ①憲法9条に嘘をつかないため、改憲せずに、自衛隊を解散し、永遠に軍隊を組織化しない。②不侵略、専守防衛を明記し、そのためだけの軍隊として自衛隊を明記する。③世界の平和維持のため、国連の平和維持活動に参加を認めたうえで、自衛隊を明記する。その場合、先制攻撃の放棄等を加筆する。 さて、管理人さんはどれを選びますか?

「答え」は3つだけと決め付けられてしまいましたが、私自身が最も望ましいと考えている「答え」はいずれでもありません。集団的自衛権の行使は認められない、後方支援も含め海外での戦争参加はできない、専守防衛までを認めていた現憲法9条の解釈を有効とし、それに見合った平和活動や国際貢献に徹するべきという「答え」です。仮に国民投票で憲法9条の文言を見直す場合、名称はともかく自衛隊を軍隊と認めた上、役割や任務を明示すべきものと考えています。

安倍首相が提起した1項と2項はそのまま、つまり軍隊ではない自衛隊を憲法に明記する、安保法制の施行前であれば一定評価できる発想だったものと思います。戦場に出向きながら後方支援しか担わないという限定的な集団的自衛権は必ず見直しを迫られるはずです。しかし、軍隊ではないまま自衛隊が海外で武力を伴う活動に従事することの矛盾や危うさは前回記事の中で、小林さんが指摘されているとおりです。下っ端さんの選択肢ではそのあたりが不明瞭でしたが、私自身の「答え」は数年前までの憲法9条とその解釈を尊重する立場だと言えます。

下っ端さんからは「北朝鮮情勢から思うこと」のコメント欄で「日本が対話する姿勢を見せないから、北朝鮮は弾道ミサイルを撃つのでしょうか。対話したら、核開発や弾道ミサイルの開発は中止してくれるのでしょうか」という問いかけがありました。私から北朝鮮を追い詰めすぎて「窮鼠猫を噛む」状態に追い込むことのほうが脅威だと感じていること、NPT体制を超えた先も展望した戦略や対話が欠かせないことを取り急ぎお答えしていました。今回の記事で前述したおり対話の継続が重要であるという見方も補足させていただきました。

さらに北朝鮮に対し、軍事的圧力を加えれば加えるほど北朝鮮側は「核・ミサイル開発は外部勢力の攻撃や侵略に対する抑止力」と喧伝していく関係性に陥っています。NPT体制を超えた先も展望した戦略と記しましたが、もちろん核兵器不拡散は重要ですが、核兵器国自体を認めないという方向性が最も望ましいものと考えています。ちなみに昨年8月には「核先制不使用、安倍首相が反対」という記事を投稿し、次のような記述を残していました。

安全保障は軍事力での抑止に依存しすぎた場合、際限のない軍拡競争に陥りがちです。さらに外交関係での疑心暗鬼は、追い詰めすぎた先の暴発や一触即発の事態を招くリスクを高めます。せめて核兵器を先制使用しないという宣言を行なうだけでも、外交関係における信頼や安心感を高めていく一因に繋がるはずです。「核の傘の抑止力が弱まる」という他力本願で後ろ向きな評価ではなく、核先制不使用は安全保障面でも前向きな発想として安倍首相や日本政府にはとらえて欲しかったものと考えています。

すべての国が核兵器を放棄する、核による軍拡競争を自制していく中で北朝鮮の核の脅威を取り除くという道筋もあり得るはずです。夢想的な理想論かも知れませんが、今月7日には国連の中で核兵器禁止条約が採択されました。「ヒバクシャにもたらせた苦痛」との一節を前文に入れ、人道的見地から核兵器の存在を否定する画期的な条約です。しかし、たいへん残念ながら日本政府は棄権し、下記報道のとおり条約に加盟しない方針を示しています。色あせ始めたとは言え、平和憲法を抱き、被爆国である日本こそ、率先して条約の採択に全力を尽くす立場であって欲しかったものと痛切に感じています。

国連会議で核兵器禁止条約が採択されたことを受け、日本や核保有国である米英仏各国は7日、条約に加盟しない方針を発表した。別所浩郎国連大使は記者団の取材に、現状で条約に「署名することはない」と強調。米英仏3カ国も共同声明で「国際的な安全保障環境の現実を無視している」と訴え、条約に署名・批准・加盟することはないと表明した。別所大使は、日本がこれまで核兵器の非人間性や安全保障情勢の双方を踏まえ、核兵器国と非核兵器国の協力の下での核廃絶を目指してきたと説明。その上で、「残念ながら条約交渉はそういう姿で行われたものではない」と語った。ただ、核兵器国と非核兵器国との信頼構築に向けて今後も尽力していく考えも示した。

米英仏の声明は「条約は北朝鮮の重大な脅威に対する解決策を提供せず、核抑止力を必要とする他の安全保障上の課題にも対処していない」と批判した。被爆者からは日本の条約不参加への不満が聞かれた。カナダ在住の被爆者、サーロー節子さん(85)は、条約採択後の記者会見で「日本は核保有国と非保有国の橋渡し役というが、(非保有国の話に)耳を傾けようという態度がない。その人たちの立場を理解せずにその役割が果たせるか」と憤った。【時事ドットコムニュース2017年7月7日

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コメント

単純に憲法9条があったから70年間平和であったとの証明は
なりたちません。いろんな政治経済的条件を含めて考えない
と検討できないからです。

あくまでも憲法9条の存在は一つの要件にすぎず、これのみを
論拠にあげるのは暴論を超えて単なる妄想でしかありません。

真に憲法9条が平和構築の必要十分条件であるなら、それこそ
水戸黄門の印籠的な効能であり、まあお花畑全開の話に
なってしまいます。
OTSU氏もそのようなことは十分に承知な上で、あえて記事を
引用したのは理解できますが、あまりにも70年間の平和という
結果を憲法9条に無理やりつなげるようなやり方は、少々強引
な印象を受けます。

まあ私が指摘できるのは、憲法学者の多くが自衛隊を違憲とす
る意見を出してるのを無視して解釈改憲が何年にも渡って維持
してるから、それを認めると言うのは、これも間違いなく
立憲主義の破壊だと言うことです。平和安全法制の時に騒いで
た人たちの言葉を借りれば。
過去の解釈改憲が時間を経過したことによって認められるなら
集団的自衛権も時間の経過と共に許されることになります。
ならば、なんの問題もないという帰結です。

投稿: nagi | 2017年7月18日 (火) 15時41分

私も、nagiさんの見解と全く同意見です。

戦争法案、時間の経緯で許されてしまいますよ。
結局、「どう運用したかどうか?」でしょうから。

別に、無理やり白黒つけろと言っているつもりはありません。
曖昧のままでは、ブーメランにもなりかねないと感じているだけです。

投稿: 下っ端 | 2017年7月18日 (火) 21時57分

nagiさん、下っ端さん、コメントありがとうございました。

この場を通し、さらに議論を深めたほうが望ましいのかも知れません。それでも今回記事の冒頭に記したようなスタンスで地道に対応させていただきます。したがって、これからも機会を見て憲法の問題は記事本文で取り上げていく考えです。

なお、たいへん恐縮ながら新規記事は別な題材を予定しています。ぜひ、このような当ブログの現状や関係性について改めてご理解ご容赦ください。その上で長い目で見てお付き合いいただければ幸いですのでよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2017年7月22日 (土) 06時43分

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