マスコミの特性と難点
前回記事「改憲の動きに思うこと Part2」の冒頭に私自身のブログとの関わり方について改めて説明させていただきました。ブログの管理は週末に限り、コメント欄での難しい問いかけに対しては記事本文を通してお答えしている現状などを記していました。そのため、今回は前々回記事「改憲の動きに思うこと」のコメント欄でnagiさんから寄せられた下記の問いかけに対し、私自身の問題意識や思うことを書き進めてみます。
先日の閉会中審査における加戸元知事の発言、それと京都産業大学の獣医学部断念の経緯発表。さて報道機関はまたもや報道しない自由を発動するのでしょうか。この二つの発言により、加計学園に関する問題がなにもないことがはっきりするわけです。まあマスコミの思惑どおり無理やり問題があるように報道し不都合なことは報道しない。おかげで憎い安倍政権の支持率も下がり続けてますね。マスコミによる世論の誘導こそが民主主義の敗北の一つであると私は考えますね。国民が自分で考えるのではなくマスコミに踊らされた結果がこれですから。かつての大本営発表で戦争に向かって高揚していたのと何が違うのだろうか。日本のジャーナリズムは本当に死んだなあと思う夏です。
コメント欄では取り急ぎ私から「メディアの特性や難点を理解した上、意識的に多面的な情報に接していく大切さは当ブログを通して訴えてきています。また、いわゆる右や左の立場それぞれ自分自身にとって都合の良い情報を評価しがちな点を記したこともあります。今回、加計学園の問題も上記のような傾向が強く表われているものと思っています。今週投稿する新規記事はそのような点まで触れられそうにありませんが、機会があれば記事本文を通して掘り下げてみたいものと考えています」とお答えしていました。
メディアと一口で言っても読者層のターゲットを絞っているマイナーな新聞や雑誌と区別するため、マスメディア、もしくはマスコミと表記していくことが適当だったのかも知れません。マスメディアとマスコミという言葉も少し意味合いが違うようですが、一般的には同義語のように使われています。今回、nagiさんはマスコミと呼んでいましたので、この記事の中でもマスコミと記していきます。実は以前投稿した「卵が先か、鶏が先か?」の記事の中でもマスコミと記していました。
その記事のタイトルは「マスコミが世論を作るのか、世論がマスコミの論調を決めるのか」という意味合いをこめていました。マスコミの活動は、どうしても多くの人に「見てもらう」「買ってもらう」ことが欠かせない目的となるため、国民の評価や人気を意識している傾向があることを綴っていました。高い支持率を維持している政権に対しての批判は及び腰になりがちです。しかしながら潮目が変わり、支持率が下がった政権に対しては一気に批判的な論調になるというマスコミの移り気について取り上げた記事でした。
このような傾向は変わることなく、これまでマスコミ対策に力を注ぎ、盤石だと見られていた安倍政権も例外ではなかったようです。したがって、マスコミが最近になって特別に変わったという見方はしていません。このような特性があることを前提にマスコミからの情報と付き合わなければならないものと考えています。マスコミが意図的に政権を攻撃し、世論を誘導している訳ではなく、結局のところ様々な情報を国民が知ることができるようになって支持率の低下につながっているのではないでしょうか。
昨年末の記事「SNSが普及した結果… Part2」の中で「報道しない自由」というマスコミの報道の仕方を批判する言葉について記しています。この言葉は、いわゆる左や右それぞれの立場の方々から発せられています。だからこそ意識的に幅広く、多様な情報や考え方にアクセスしていくことが重要です。そのツールとしてインターネットがあり、SNSの活用が手軽な時代となっています。とは言え、「願望」という調味料が加味されたマスコミ批判の傾向も強いように感じちがちです。
学校法人「加計学園」(岡山市)の獣医学部新設計画をめぐる参院の閉会中審査が10日午後、衆院に続いて始まった。参院では参考人として、衆院で答弁した前川喜平前文部科学事務次官らに加え、文科省OBの加戸守行前愛媛県知事が招致された。獣医学部誘致を進めた加戸氏は、前川氏の「行政がゆがめられた」との主張を念頭に、「強烈な岩盤に穴が開けられ、ゆがめられた行政がただされた」と学部新設計画の意義を訴えた。参院での審査は、文教科学、内閣両委員会の連合審査として開かれた。【産経新聞2017年7月10日】
マスコミが加戸前知事の発言などを大きく報道しないため、nagiさんはマスコミに対する不信感を高められているようです。加戸前知事の説明で安倍首相に対する疑惑は解消され、このような国会での重要証言を報道しないマスコミへの批判がネット上でも強まっています。確かに「ゆがめられた行政がただされた」という大見出しが新聞紙上に掲げられれば、多くの国民が政権に対する印象を好転させていったかも知れません。支持率が高かった時であれば、そのような政権への配慮が働いた可能性もあります。
しかし、そもそも加戸前知事の説明は「加計学園ありき」を裏付けた証言だと見なくてはなりません。行政としての意思決定過程の不透明さが解消された訳ではないため、マスコミの多くが加戸前知事の発言を大きく取り上げていないという見方も特に不自然ではありません。弁護士の郷原信郎さんがブログで『加計学園問題のあらゆる論点を徹底検証する』という記事を投稿しています。その記事の中で加戸前知事の証言に対し、次のように述べています。
閉会中審査における前愛媛県知事の加戸守行氏の証言と、その後に行われた京都産業大学の「獣医学部開設断念」の記者会見の内容をどう評価するかも問題となっている。これらによって、加計学園をめぐる安倍首相の疑惑が解消されたかのように評価する声もあるが、いずれも、加計学園をめぐる疑惑を解消することにつながるものではない。加戸氏については、愛媛県知事の時代から、今治新都市開発の一環として大学誘致に熱心に取り組んできたこと、同氏にとって獣医学部誘致が「悲願」だったことは、国会で切々と述べたとおりであろうし、教育再生実行会議での同氏の、唐突な、いささか場違いとも思える「獣医学部新設問題」への言及からも、誘致への強い熱意が窺われる。
しかし、加戸氏は、獣医学部の認可を求める側の当事者、政府にとっては外部者であり、政府内部における獣医学部新設をめぐる経過とは直接関係はない。また、「愛媛県議会議員の今治市選出の議員と加計学園の事務局長がお友達であったから、この話がつながれてきて飛びついた」というのも、今治市が加計学園の獣医学部を誘致する活動をする10年以上前の話である。その後の誘致活動、とりわけ、前川氏が「加計学園に最初から決まっていた」と思える「行政の歪み」があったと指摘する2016年8月以降の経過に、安倍首相と加計理事長の「お友達」の関係がどのように影響しているのかとは次元の異なる問題である。
また、長年にわたって誘致活動を進めてきた加戸氏の立場からは致し方ないことのようにも思えるが、同氏の話にはかなりの誇張がある。愛媛県知事時代の「鳥インフルエンザ、口蹄疫の四国への上陸の阻止」の問題を、公務員獣医師、産業担当獣医師の数が少ないことの問題に結び付けているが、加戸氏自身も認めているように、上陸阻止の手段は、船、自動車等の徹底した消毒であり、獣医師の「数」は問題とはならない。獣医師が必要になるとすれば上陸が阻止できず感染が生じた場合であろうが、実際には、四国では鳥インフルエンザも口蹄疫も発生していない。
また、加戸氏が長年にわたって今治市への獣医学部誘致の活動をしてきた背景には、知事時代に今治市と共同して進めた新都市整備事業で予定していた学園都市構想が実現しておらず、土地が宙に浮いた状態だったという事情があったことを加戸氏自身も認めている。獣医学部誘致に今治市民の膨大な額の税金を投入することを疑問視する市民も少なからずいることを無視して、獣医学部誘致が「愛媛県民の、そして今治地域の夢と希望」と表現するのは、現実とはかなり異なっているように思える。結局のところ、加戸氏の国会での発言は、政府の対応を正当化する根拠にも、前川氏の証言に対する反対事実にもなり得ないものであり、加計学園をめぐる疑惑に関しては、ほとんど意味がないものと言える。
ネット上で他にも『“加計ありき”の証拠が続々! でも安倍応援団は「加戸前愛媛県知事の証言で疑惑は晴れた」の大合唱、そのインチキを暴く!』『加戸守行氏は間違っている』『閉会中審査でのやり取りを自民党に軍配を上げるネトウヨたちの異様性 国会軽視の安倍自民党』という記事にも目を通していました。 ただ立場の異なる方々の主張を頭から否定し、辛辣な言葉で対立を煽るような書き方は如何なものかと思っています。いずれにしても加計学園の問題は特区を担当した石破茂前大臣のブログの言葉に尽きるはずです。
私が国家戦略特別区域担当大臣であった平成27年6月30日に閣議決定された「日本再興戦略 改訂2015」において示された、「①既存獣医師養成でない構想が具体化し ②ライフサイエンスなどの獣医師が新たに対応すべき分野における具体的な需要が明らかになり ③既存の大学・学部では対応が困難な場合 ④近年の獣医師需要動向も考慮しつ全国的見地から本年度内に検討を行う」との、4条件ブラス「全国的見地」に適合する公正・公平な決定であったかどうか、それが問われるべきであり、政府はこれを明確に立証すればよいのです。4条件が満たされ、全国的見地から必要とされれば、提案主体がどこであろうと認めなくてはなりませんし、その逆もまた然りです。
私自身の問題意識は「李下に冠を正さず」「もう少し加計学園の話」で綴ってきました。週明けには衆参両院の予算委員会で閉会中審査が予定されています。加戸前知事のような説明で疑惑は晴れるという姿勢で安倍首相らが臨んだ場合、与野党の論点はかみ合わないような気がしています。キーパーソンと目されている参考人には「記憶にない」という言葉を発しないという誠実さを期待したいものです。ちなみに最近、石破前大臣が掲げた4条件を巡り、自民党内で下記のような軋轢があったようです。
自民党石破派は、同党幹事長室が学校法人「加計学園」の獣医学部新設問題を巡る産経新聞の連載記事を所属全議員にメールで送ったことに抗議した。同派の平将明衆院議員らが21日、記者会見で明らかにした。17日付の記事によると、石破茂元幹事長は地方創生担当相だった2015年9月、日本獣医師会幹部に「(獣医学部新設条件は)誰がどのような形でも現実的には参入が困難との文言にした」と説明したとされる。幹事長室は20日、「ご参考」として一連の記事を送信した。平氏は会見で「石破氏が獣医学部新設を阻止したような印象を与える。党内対立をあおるような形でメールを出すのは不適切だ」と批判。同派の古川禎久事務総長は「この記事が党の見解だと誤解を招く恐れがある」と撤回を要求した。古川氏は20日、党幹事長室を訪れたが、二階氏は訪米中。【毎日新聞2017年7月21日】
新規記事のタイトルを「マスコミの特性と難点」としながら加計学園の問題の記述が膨らんでしまいました。たいへん長い記事になっていますので、そろそろまとめなければなりません。マスコミからの情報に限らず、情報の受け手側のリテラシーを鍛えていくことがたいへん重要です。マスコミやSNS、それぞれの特性や難点を的確に理解した上、一つの経路からの情報だけを鵜呑みせず、意識的に幅広く多面的な情報に触れていくことが強く求められています。より望ましく、より正しい「答え」を見出すためには欠かせない心構えだろうと考えています。
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コメント
ここのブログ主は安倍政権や他所の自治体首長の批判めいたことは書くことがあっても
清水市長の施政をめぐる問題点の指摘や批判は一言も書かないんですね。
忖度ですか?
組合員の多くは立川の市民で地元のまつりごとこそ、より切実な問題でしょうに
労組のリーダーがこんな市長に媚びへつらう人物では職員さんの負託に答えることはできませんね。
投稿: 所詮は小役人か | 2017年7月23日 (日) 17時23分
所詮は小役人かさん、コメントありがとうございます。
このブログの位置付けや発信の仕方はプロフィール欄に掲げているとおりです。常に不特定多数の方々に発信していることを踏まえ、書き込む内容はもちろん、言葉一つ一つに責任を持っています。
そのような中で情報の取扱いそのものがオープンになっているマスコミから知り得る時事の話題の投稿が多くなりがちです。そのため、地元の話題が少ないことは確かですが、そのことを持って「媚びへつらう」という批判を受けてしまうことに驚いています。
記事の数はあまり多くありませんが、最近では「20時完全退庁宣言」があり、その中で市長に対して組合の考え方を直接申し入れたことも書き添えています。さらに4年に1回は下記のような市長選に関する記事を投稿し、組合と首長との距離感等を綴っています。いずれにしても労使課題において無用な「忖度」はあり得ず、訴えるべきことは率直に訴える労使関係です。
2015年7月25日(土) 8月9日に市長選と市議補選
http://otsu.cocolog-nifty.com/tameiki/2015/07/post-9fcd.html
投稿: OTSU | 2017年7月23日 (日) 21時42分
マスコミのえげつないやり口はいろいろあります。
画像の色あいを変えて顔色を悪くしたり、音声の中低音に
編集して、聞取りにくくしたりと。
私が懸念してるのはかつての椿事件のように、世間が誘導
されてしまうことです。国民がちゃんと自分で考えることが
できるように事実を提供してほしいのです。まあ無理だと
思うのですがね。
それにしても日本の偉大なる平和団体はあいかわらず
飛ばしまくりですね。広島地裁の判決には即座に反応しま
したが、中国のノーベル平和賞を受賞した。劉氏の訃報
にはなんらアクションがありません。中国の民主化運動
の重要人物であり、中国政府からの弾圧がどれほどのもの
かをよく理解できることがらです。民主主義が大事ならば
そくざにアクションがあるはずなんですがね。
本当にこの自称平和団体は民主主義が嫌いなんだろうか
思うことが多いですね。これはあくまでも日本国サイドか
ら見ればそのように思うだけで、違うサイドからと考えれ
ば納得の対応だと即座に理解できます。(笑)
投稿: nagi | 2017年7月24日 (月) 12時26分
実はワタクシ、かなり以前から、
「マスコミは第0番目の究極の権力だ」
という論を唱えています。
まず、以下のように定義します。
第1番目の権力は、立法府(国会)
第2番目の権力は、行政府(内閣)
第3番目の権力は、司法府(裁判所)
行政の長は国会が指名しますし、裁判所も国会の制定した法律に基づいて職務を行います。
なので、やはり国会をトップに置き、国会の直接の指名によって長が選ばれる内閣を次点に、その後に裁判所(主として最高裁)を置きます。
で、上記第1番目の権力とした国会は、選挙によって選ばれた議員によって構成されるわけです。
そこで、全体として有権者の投票行動を最も左右するのは、メディアの報道とそれによって形成される”空気”だと思っています。
というわけで、第1番目の権力である国会の実質的な産みの親は、究極的には「実はマスコミ」ではないか?というのがワタクシの仮説です。
なので、第1番目よりも上位にくる存在として「第0番目の権力」と定義します。
第4の権力ではなくて、もっと強力なものとして。
もう一つ、立法権の担い手は国会、行政権の担い手は内閣、司法権の担い手は最高裁と、それぞれ権力の実体というか責任の所在はハッキリしています。
ところが、マスコミの有する”権力の担い手の実体、終局的な責任の所在はない”訳です。
各社が独立していますから、最終的に権力の行使に責任を負う主体(根本的に責任を負うべき存在)がないわけで。
そうすると、強力無比にしてしかも責任の主体となる実体がない存在という意味で、0という概念に照らして、「第0番目の権力」と定義するという理屈です。
さて、そんな理屈を前提にしてワタクシは、
これ以上、「マスコミによる世論(という空気)の生成(というか誘導)」を許すべきでない。
そして、「そうした試みの成功体験を、これ以上、マスコミに与えるべきではない。」
と考えています。
マスコミの今の有り方は「下手をすると今の政権以上に危険な存在だ」と思っています。
なぜなら、「マスコミの関係者は、誰一人として、選ばれたわけではない」のであって、「国民を代表して選ばれてはいない。主権者の代表ではない」からです。
政権の暴走は、主権者の政治的意思決定の帰結でしかない。
その結果生じる不都合は、「有権者であることの責任として、ある意味自業自得的に引き受けるもの」である。
それが国民主権という体制のもとで主権者という地位にあることの責任だと考えます。
しかし、マスコミの暴走については、その結果について誰も責任を追求されることもないままで終わります。
民主的正当性もないままに為された暴走にもかかわらず、結果は国民全体が負わなければならないのです。
そのように、民主的正当性を欠く「実質的な政治的意思決定」で国の未来が左右されるのは危険です。結果の善悪ではなくて。
マスコミは、権力の監視が仕事であることは認めますが、「報道による権力の監視」とは、見たままありのままを記録し伝達することであって、見たものを政治的意図を持って加工することではないと考えます。
マスコミによる権力の監視の結果を判断するのは、やはり主権を有する有権者集団であるべきであって、マスコミの主観による「かくあるべし」によって判断されるべきではないと考えるからです。
以前、官房長官の記者会見で「国民を代表して」と言ってのけた記者がおられました。
官房長官は「行政府を代表して会見してる」のですが、国会議員として選挙された「国民を代表する存在」でもあります。
対して、記者氏は「会社および読者を代表しているに過ぎない存在」です。
「国民の代表」を自称するのは、記者の驕りでしかない。僭称にもほどがある。
正真正銘の、民主的正当性を持って国民を代表する存在は、「選挙された議員でもある官房長官」でしょう。
このマスコミの傲慢さは危険です。
今の内閣に問題がないとは言いませんが、マスコミの今の態度は危険です。
マスコミという「第0番目の権力を監視したり、牽制したりする権力は存在しない」のですから。
戦前の一時期と並んで、極めて危険です。
投稿: あっしまった! | 2017年7月24日 (月) 16時09分
誤解してほしくないのですが、
為政者が、マスコミを、「多数の国民が背後に控えた有権者の代表者」と認識して対応するのは、必要な心構えでしょう。
そういう姿勢が欠落すると、それはそれで危険だと思います。
しかしですね、
マスコミが、自らを、「国民の代表」を名乗るのは、その瞬間から「マスコミという権力の驕り」になってしまって危険です。
「いつ、誰によって、どのような手続きによって、国民から、その代表として選ばれたのですか?」って話ですよ。
マスコミが「国民の代表」という言葉を、錦の御旗・水戸黄門の印籠のごとくに、振りかざして相手に迫るのは、「マスコミという特権的権力の乱用」に近い。
「読者・視聴者という複数の有権者を 代理 して」なら、理解はしますけどね。勝手に代表にならないでほしいです。
投稿: あっしまった! | 2017年7月24日 (月) 19時05分
OTSU氏は、郷原信郎氏等の意見から、一方の当事者である加戸元知事の発言をマスコミが取上げないことについては「妥当な判断」だと思われるのですかね?
郷原氏の意見を引合いにだして、『「疑惑が晴れた」との報道をしなくてもよい』との意見を表明することで、「一方の当事者の発言を黙殺することの是非」についての判断については不問とする行為は、非常に恣意的ではないでしょうか。
OTSU氏が「自分が見たくない、報道されて欲しくないもの」について意図的に上手に蓋をしているつもりであれば、その人間の貧しさに溜息がでます。
投稿: hodo | 2017年7月26日 (水) 20時23分
え~と、先日の閉会中審査の中継を可能な限り視ました。
それを踏まえて、報道機関について一言。
1:玉木先生は、「首相の不正を暴くことを目的にはしてない」のであって、「支持母体である獣医師会の利益を代表して、獣医学部の新設を阻止することを目的に、今回の騒動に乗じてる」ってことは報道されて良いと思う。それが悪いとは思わない。政治家というのは誰であれ誰かの利益を代表したり代理したりする。だた、「玉木先生は問題の本質の一方当事者だ」ってことは、有権者は知らされておいても良いと思う。
2:報道では”存在しないことになっている”加戸参考人の発言。「私も霞が関で三十数年生活し、私の知る限り今まで、メディア批判をして勝った官僚、政治家は誰一人いないだろうと思っているし、ここで何を申し上げてもせんないことかなと感じている」とか「報道しない自由があることに関しても有力な手段、印象操作も有力な手段。そのことはマスコミ自体がが謙虚に受け止めていただくしかない」という発言。これは、報道機関の自律性を示す為にも報道された方が良いと思う。
3:報道機関を「元老」にしてはいけない。現状は「マスコミが気に入った人しか政権につけないし維持できない・事実上、マスコミが首相を自由に決められる状態」という認識のもと、かつて帝国憲法下で民権派が「憲法に規定もされていないインフォーマルな存在である元老が、後任首相の奏薦権によって、好き勝手に首相を決めてる」って元老批判をしたことがあったのだけど、まさしく「当世の元老は、その統治制度下におけるインフォーマルな立場の含めて、マスコミ各社だろう」って印象。
4:「マスコミ主権の下での 主権者であるマスコミによる親政」を許すのは、あるいはそういう先例をつくるのは、「国民主権の下の代議制民主主義の否定につながる危うい行為」だと言う認識。
5:いわゆる「共謀罪」のときに「内心の自由が侵される」といって反対したマスコミが、「忖度すること・忖度されたこと という内心の動きについて罰しようとしている」ことへの違和感。「忖度の結果としての違法行為がある」のであれば、その違法”行為”が問題にされるべき。いわゆる「共謀罪」でさえ、準備”行為”を処罰の対象にしてる。内心の問題そのものを、確たる”違法行為”の証拠もないまま、「こう思う」・「こう考える」・「こうに違いない」という印象で罰しようとする姿勢への違和感。
6:国家戦略特区の法的根拠である「国家戦略特別区域法」への違法行為は、「現行法の下では、公益通報者保護法に言う保護されるべき公益通報には含まれない」ことを無視して、「有権者 or 一部野党議員の、公益通報者保護法による保護されるべき通報であるという決めつけを否定しない姿勢」・「公益通報者保護法を正しく報じない姿勢」への違和感。
7:大学設置認可は、ヒト(教育者)、モノ(建物、設備)がすべてそろっていないと、設置認可の最終審査を受けられないことを報道しないことへの違和感。誰であっても認可前にすべてが整うのが当然であるのに、敢えて、「認可前に整っているのは不審だという風潮を否定しない」ことへの違和感。
8:野党が、ことの重大さではなく、マスコミ映えのするネタを選択的に追求してることへ疑義を示さないことへの違和感。
9:なにより、マスコミが「積極的に、手段を選ばず、現役の総理大臣を引きずり下ろそうとすること」への強烈な違和感。「憲法を守れと言いながら、その実、憲法によって民主背的正当性が確保されている政権を、憲法による不信任決議に依らず、単に気に入らないという理由だけで引きずり下ろすという、憲法を無視した行動を露骨に示すこと」への、強烈な抵抗感。
※ワタクシはこれを言うのは、安倍首相を支持するからではないですよ。こういう先例を作ると、後世「例えば蓮舫氏が首相になっても、小池氏が首相になっても、福島氏が首相になっても、志位氏が首相になっても、同じことが可能になる」のです。今、「安倍首相を下ろすという大義・絶対的な正義の為なら、あらゆる手段が正当化される」と考える皆さんには、是非、このことをよく考えてほしい。「忖度」とかいう「内心の問題」で処罰を受けると言うことが一般化してしまうことへの警戒感があるなら、今の※政局※のあり方に問題がないか・とんでもない先例を作ってしまうのではないかという問題を、よく考えてほしい。
※ワタクシが、首相を引き釣り下ろすことに反対するのは、「有権者にも有権者であることの責任、主権者であることの重さに耐える責任」を果たすべきだと考えるから。不信任決議が可決されるのでなければ、任期中は選ばれた首相が務め続けることに耐えるべき。有権者・主権者であることの責任として。同じ理由から、首相が憲法第7条を直接の理由として解散することにも大反対。そういう信条があるから。
※日本の今の議院の状況は、帝国憲法下の政党政治の悪しき部分だけを、かつてより強く受け継いでる。与党を引きずり下ろすために「統帥権」を政争に使い、与党を引きずり下ろした結果、その「統帥権」によって党首・首相が暗殺され、政党政治を終わらせた歴史。その歴史に、今の野党はどう向き合うのか気になるから。遣ってはいけない手段や方法によって、政争を仕掛けてないか?目先の政権交代という利益の為に、将来に対してとんでもない災いの種を巻いてないか?よく考えてほしい。
投稿: あっしまった! | 2017年7月27日 (木) 14時13分
人様のブログのコメント欄でここまでアレコレ投稿させてもらう理由を述べさせてもらいたいのですが。
それは、「管理人様の運営方針に甘えて好き放題にコメントを書いてるからです!」
ってのは、冗談で(ちょっとだけホントだけど)、
【今の日本の状況は、政局や政権交代をエンターテインメントとして消費する余裕はない】 そこが2009年の政権交代時とはまるで違う、決定的に、致命的に違う。
と思ってるからです。
※政権交代直前の当blogのコメント欄で似たことを投稿しました。「2009年に政権交代をすれば、大コケするが、立ち直る余力が残ってる。2013年や2017年になってから初の政権交代が起きれば、大コケするし、立ち直る余力がなくて、そのまま沈む。だから、日本の将来の政治を考えると、2009年の今政権交代を経験する(今のうちに予想通り大コケすることを経験しておく)必要がある。」みたいなことを投稿してる。
日本人は、ワタクシも含めて「悪代官を成敗する正義の味方が登場する勧善懲悪な物語」が好きじゃないですか、時代劇とか一部の現代ドラマでもそういう構図がある。
もしかしたら、テレビの情報番組とかでも、主たる視聴者層であるお茶の間の皆さんってのは、今でもそういう構図が好きかも知れない。「悪いことする政治家を懲らしめる。首をすげ替えて、交代劇を楽しむ。悪者が去って行くのを喝采する。」みたいな。
あるいは、番組を制作するサイドにとっても、「作りやすい素材・主題」であるのかも知れない。毎日数時間の番組を作り続けるのは、一定の品質を保とうとすると、制作現場は相当の負担だろうし、放送を重ねる毎にネタがなくなってくるから。
でもね、現実の政治はエンターテインメントではない。勧善懲悪の物語をみて拍手喝采してればすむ話じゃない。今の日本を前提にすれば、そんな風に扱う余裕はないし、現実に影響が出てくる。
今の報道を視てると、あるいは、目先の成果を狙って悪乗りする野党や一部政治的団体を視てると、今の政権が最良とは思わないが、反対する人の言い分を採用しても状況はもっと悪くなると言う不安しかない。
ワタクシは、平均寿命まで生きられるとすると、あと35年ほど生きることになる。そうおもうと、将来の日本の状況について深刻な不安を抱かざるを得ない。今の野党や報道機関を視ているとさ。与党が絶対的に優れているわけではないから、なおさら。
ただ、医学的統計からは、現状に照らしてあと3年ほど生きられたら御の字なんで、まぁそんなに心配しなくても、その頃にはこの世にいないからも知れいないのだけど。(ポリポリ;;
投稿: あっしまった! | 2017年7月27日 (木) 15時34分
なお、ワタクシは蓮舫氏が国会議員であったこと、あること、大臣を経験したことについて、「現行法に照らして法律上の問題はない」という論陣を張って、蓮舫氏が国会議員であることの違法性を唱える多くの人に対して異論を掲げました。
ワタクシは「政治家としての」蓮舫氏を評価しませんし、議員辞職して改めて選挙というプロセスを踏んでいただくのが妥当だと思っています。民進党に対する評価が最低なのは、これまでの私のコメント投稿の通りです。
でも、そんな個人的な思惑(好き嫌い)で論じていい問題ではないと思ったので、あくまでも法律論として論陣を張りました。
現状では、直ちに日本国籍を有していることの正当性を否定されない(有効な日本国籍を保持している事実は消えないので、れきとして日本人であると扱われるという事実は消えない)
である以上、公選法上の立候補要件は満たしているし、日本語としての「帰化」の意味を前提にすると、(誤解してる人は多いが)選挙公報に「帰化」と書いたことは、間違いではないからです。
※ただし、国籍法第14条の規定を無視した状態になっていること自体は、問題がある。
法的にも、政治的にも、道義的にも問題がある。日本国籍を有していること、国会議員という立場でいることについて、否定する法規定はないと言うだけ。
今回の報道批判についても、同じく、安倍首相を擁護したり支持するわけではありません。
ワタクシは、民進党政権は拒絶しますが、安倍政権を積極的に支持しているわけでも、安倍首相応援団でもありません。
でも、「推定有罪」であったり、「忖度」という内心の問題を処罰することには同意できません。
首相として・官僚としての“行為”ではなく、内心の問題を罪とし、しかも「追求する側の主観的な疑い」で罰を与えようとする行為・風潮には、対象者への好き嫌いではなく、根本的に異議を唱えたいからです。
明白な「違法行為」が明らかになれば、相応の処罰や不利益はうけるべきです。首相だからと言って例外ではありません。
でも追求する側でさえ「発見された資料からは、明白な違法行為はうかがえない」と言っている人がいるんですよ。
「思う」とか「違いない」とか「主観的にはそうとしか考えられない」とか、そんな話で罪に問われたらたまらんですよ、それは。
しかも「否定する証拠」を求める始末。
もともと存在しない出来事は、それを証明する証拠が存在するわけがないじゃないですか。もともと事実が存在しないんだから。それを証明できる記録が残ってるわけがない。
獣医師会の利益を代表して、獣医学部の新設をやめさせようとすることは否定しませんよ。でも今のやり方は違うでしょって話ですよ。
報道機関に対しても、安倍首相が嫌いなのは判るし、憲法云々言い出してるから、一刻も早く引きずり下ろしたいのは判りますよ。
でもね、目的を達する為に手段を選ばないのは違うでしょ。
日本国憲法の下では、行政はマスコミからの信託で成り立つわけじゃないんですよ、国民からの厳粛な信託によるのであって。
投稿: あっしまった! | 2017年7月27日 (木) 15時56分
結局、蓮舫氏は代表を辞任しましたね。民進党お得意の
内部抗争と、自身が認める受けの弱さですね。あれほど
マスコミから守ってもらってもこのありさまでは、まあ
政権をとることなど無理ゲーでしかありません。
まあ次なる代表はだれかわかりませんが、おそらく長くは
続かないでしょうね。内部のごたごたから選挙目当ての離党
が相次ぎ瓦解していくのでしょうね。
民進党にも、国会で本当によい質問であったり、素晴らしい
政策を提言する方がいます。本当にもったいない。
玉木議員も獣医師会の利権を守ることばかりに必死にならな
いで、ほかのことにも活躍してほしいですね。
投稿: nagi | 2017年7月28日 (金) 11時44分
民進党さんの場合は、
「あれほどマスコミから過剰に、保護され、擁護された結果として、だからこその、このありさま」
って感じがします。
過保護すぎたりとかチヤホヤされすぎて、それが当たり前になって、自立も自律もできなくなってしまった。そしてそのこと自体に気づけなくなってる。そんな感じ。
※気づかないでなく、気づけない感じ。
なお、蓮舫氏が代表を辞任されること自体にはアレコレ言いません。
ただ、自分たちが選んだ代表なんだから、「最後まで支えるか、党内手続によって罷免更迭するか」してほしかった。どちらであっても、党としてまとまっての蓮舫氏の処遇方針の選択であってほしかった。
陰湿にじりじりと自分たちで選んだ代表のクビを真綿で締めるんじゃなくて。
民進党さんについて「まとまりのなさこそが多様性の表れ・誇るべき特徴」ってそこそこの経歴のある民進党さんの議員さんが仰ったけど、それは拙いと思う。
多様性は大事だけど、「学級崩壊した学級をさして、誇るべき多様性の表れ」とかいう教師がいたら、まともな人は引くでしょ。
「まとまりのなさこそが多様性の表れ」って発言はそれと変わらないのだけど、当事者はそれに気づけない風なのが、なんというか。
※気づかないでなく、気づけない感じ。
投稿: あっしまった! | 2017年7月28日 (金) 20時20分
結局、加計学園の騒動で、何が得られたんでしょう。
日本にとって、国民にとって、何かプラスになることはあったんでしょうか。
結果、バタバタと辞任して、国政は不安定になり。
あの騒動に(まだ終わってないのかもしれませんが)何の意味があったのか・・・・
投稿: 下っ端 | 2017年7月28日 (金) 22時04分
nagiさん、あっしまった!さん、hodoさん、下っ端さん、コメントありがとうございました。
いろいろ貴重なご提起や問いかけをいただいています。すべて網羅できないかも知れませんが、新規記事を「Part2」として書き進める予定です。ぜひ、またご訪問いただければ幸いですのでよろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2017年7月29日 (土) 06時51分