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2017年7月29日 (土)

マスコミの特性と難点 Part2

今回も前回記事「マスコミの特性と難点」を補足する意味合いでタイトルに「Part2」を付けました。前々回記事「改憲の動きに思うこと Part2」の冒頭に記したとおり字数が多くなりそうな回答はコメント欄でなく、記事本文を通してお答えするようにしています。前回記事に対し、あっしまった!さんの現状を強く憂慮されたコメントをはじめ、複数の方から様々な論点が提起されていました。その中の一つ、hodoさんから寄せられたコメントが気なっていました。

OTSU氏は、郷原信郎氏等の意見から、一方の当事者である加戸元知事の発言をマスコミが取上げないことについては「妥当な判断」だと思われるのですかね? 郷原氏の意見を引合いにだして、『「疑惑が晴れた」との報道をしなくてもよい』との意見を表明することで、「一方の当事者の発言を黙殺することの是非」についての判断については不問とする行為は、非常に恣意的ではないでしょうか。OTSU氏が「自分が見たくない、報道されて欲しくないもの」について意図的に上手に蓋をしているつもりであれば、その人間の貧しさに溜息がでます。

「一方の当事者の発言を黙殺することの是非」についての判断が問われていますが、私自身の認識は前回記事の中で次のように述べています。「マスコミの多くが加戸前知事の発言を大きく取り上げていないという見方も特に不自然ではありません」と記しています。ただ事実認識としてマスコミが加戸前知事の発言を完全に黙殺した訳ではなく、大きく取り上げなかったという重点の置き方が問われているものと思っています。その上でマスコミの特性を説明し、政権に対する支持率が高い時であれば「ゆがめられた行政がただされた」という大見出しが新聞紙上に掲げられていた可能性について書き添えていました。

加戸前知事の発言が加計学園問題の論点から外れていると見ている者からすれば、そのような見出しの付け方は政権に対する「忖度」であり、意図的な世論誘導につながりかねないものと思いがちです。今回、その逆の構図となっているため、安倍政権を支持されている方々から「意図的な世論誘導だ」という批判が起きているように見ています。過去の記事「卵が先か、鶏が先か?」の主題とした「マスコミが世論を作るのか、世論がマスコミの論調を決めるのか」という関係性や特性が思い浮かび、前回記事「マスコミの特性と難点」の投稿に至っていました。

そもそもマスコミは客観的な事実だけを淡々と伝えている訳ではなく、記者や編集者、コメンテーターらの意見や主観を添えた報道の仕方が主流となっています。マスコミに求める「公正・中立」のあり方は深い議論に至る場合があるため、その是非や評価まで前回記事では扱っていません。あくまでもマスコミ報道は決して無味乾燥ではなく、そのような特性があるという現状を記していました。だからこそ、より望ましく、より正しい「答え」を見出すためには一つの経路からの情報だけを鵜呑みせず、意識的に幅広く多面的な情報に触れていくことの大切さを訴え続けています。

このような問題意識のもと当ブログの位置付けを説明する「多面的な情報の一つとして」「二極化する報道」「マイナーな情報を提供する場として」などの記事を投稿してきました。誤解を受ける時がありますが、最近の記事「一つの運動として」の冒頭に記したとおり私自身の立ち位置や主張は明確にして当ブログを運営しています。したがって、私が書き込む記事本文だけで多面的な情報をいつも提供している訳ではありません。マスコミが取り上げないような主張や情報を発信することで多面的な見方に触れていただければと思い、このブログを続けています。

いずれにしてもhodoさんからは「意図的に上手に蓋をしているつもりであれば、その人間の貧しさに溜息がでます」という辛辣な批判を受けていました。私自身、加戸前知事の発言が加計学園問題の論点から外れていると見ている者の一人です。そのように見ていないnagiさんからマスコミを批判するコメントを受け、私自身の「答え」にあたる前回記事を綴っています。「論点から外れている」という見方の違いを説明しなければ、マスコミが大きく扱わなかったことの疑問は解消されないものと考えています。

ネット上を検索したところ弁護士の郷原信郎さんが詳しく理性的に説明されていました。いつものパターンですが、私自身の言葉で説明するよりも郷原さんのブログ『加計学園問題のあらゆる論点を徹底検証する』の該当箇所をそのまま掲げさせていただきました。hodoさんからすれば加戸前知事の重要証言もリンクをはるだけではなく、郷原さんと同じようなバランスで紹介していたら不本意な批判が少しは緩和されていたのでしょうか。

ただ前述したとおり「私が書き込む記事本文だけで多面的な情報をいつも提供している訳ではありません」という事情についてもご理解を求めていかなければなりません。さらに週に1回の更新ですので、このブログを通して取り上げたい話題が数多くありながら充分対応できていない現状です。必然的に扱う題材も限られていますが、「取り上げないから軽視している」「意識的に避けている」という批判を受けてしまう時があり、たいへん悩ましいものがあります。

コメント欄に関しても以前は、ほぼ毎日対応し、基本的に一問一答で皆さんと意見を交わしていました。「コメント欄雑感、2012年春」を投稿した頃から私自身のコメント欄参加を徐々に控え始め、人によって評価が大きく分かれがちな難しいテーマに関しては記事本文を通してお答えするように努めています。このような運営方針に変わってからもnagiさんからは数多くのコメントをお寄せいただいています。ただ以上のような事情にご理解いただき、「十問一答」にとどまるような関係性についてご容赦願っているところです。

いつものことですが、ブログを書き始めると思っていた以上の長い記事になりがちです。hodoさんからのコメントのレスにあたる内容だけで終わっても良いぐらいの長さになりつつあります。ここから論点や話題が広がりそうですが、もう少し書き進めてみます。「報道しない自由」というマスコミを批判する言葉があります。マスコミ各社や編集者の責任による編集権の範囲内での優先順位からの取捨選択は、ある程度認めなければなりません。あくまでも当ブログにおいてもご理解ご容赦願っている範囲内の話です。

どちらか一方に肩入れしすぎて重要な情報や言葉を省き、それこそ意図的な世論誘導に至るようでは問題です。言うまでもありませんが、隠蔽、虚偽、捏造などは論外であり、様々な情報を掌握し、情報を発信する政権側に対しては、よりいっそう厳格な姿勢が求められています。それにも関わらず、最近の安倍政権では「嘘でしょう?」と疑わざるを得ない情報が発信され続けています。事実関係を問われた際に「記憶がない」という言葉をよく耳にしていますが、皮肉にもこのような答えのほうが「嘘は付けないのだろうな」という誠実さの片鱗を感じるようになっています。

安倍晋三首相は25日午前、参院予算委員会の閉会中審査で、学校法人「加計学園」による獣医学部新設計画について、事業主体が同学園だと初めて知ったのは1月20日の国家戦略特区諮問会議だったと改めて表明した。しかし、民進党の蓮舫代表は通常国会の答弁と整合性がとれないと追及。首相は「整理が不十分だった。厳密さを欠いていた」と釈明し、前の答弁を事実上修正した。 【毎日新聞2017年7月25日

安倍首相は閉会中審査で初めて「李下に冠を正さず」という言葉を使いました。そのタイトルのブログ記事の中で不勉強ながら私自身、国家公務員の倫理規程で禁止されている利害関係者と飲食やゴルフに行くことについて、特別職公務員である安倍首相は対象外だと記していました。しかし、大臣規範の中に一般職国家公務員と同じように関係業者との接触を禁止する項目が定められていました。安倍首相も最近、大臣規範のことを知り、上記報道のような「加計学園と知ったのは今年1月20日」という答弁に切り替えたのではないかと疑われています。

マスコミ報道にあたって決め付けた批判は避けなければなりませんが、安倍首相の答弁が変わった際、大臣規範のことを添えるかどうかで事実関係の見方は変わります。閉会中審査で与野党の質問時間の配分が争点となりました。当初、自民党は「5対5にしない限り開催は拒否する」と反発していました。野党は「2対8」を要求していましたが、最終的に「3対7」で折り合いました。議席数の少ない野党の質問時間が多い配分に違和感を持ちがちですが、通常の予算委員会が「2対8」であることを知ると野党の要求も納得できるようになります。

このような問題で国会審議の時間を割くと「安全保障や国民生活で、もっと大事なことがあるのに」という声が寄せられます。確かに優先順位はあろうかと思いますが、加計学園の問題をはじめ、今、最も問われているのは正しい情報が適切に開示されているのかどうかです。そのことで疑念が高まり、政権の支持率が下降線をたどっているように思っています。より望ましい「答え」を国民一人一人が見出していくためにはマスコミの報道のあり方も重要ですが、それ以上に情報の発信元となる政権の体質や姿勢は非常に大きいものと考えています。

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コメント

現状では、正しい情報が開示されているかどうか?を判断するのに必要十分な情報が届かないことが問題だという認識です。

つまり、「情報を伝達する報道機関による取捨選択若くは先入観による決めつけに基づく事前の情報の取捨選択によって、有権者の判断の前提条件がゆがむこと」が問題だと。

有権者が納得する前に、報道機関が納得した情報しか有権者には届かない。
したがって有権者は「正しい情報が開示するかどうかを十分に判断できない状況になっている」ことが問題なわけで。

投稿: あっしまった! | 2017年7月29日 (土) 19時57分

事故レスです。m(__)m

直近のワタクシの投稿の最終段落の最後の文。

誤:「正しい情報が開示するかどうかを」
正:「正しい情報が政府から開示されているかどうかを」

投稿: あっしまった! | 2017年7月29日 (土) 19時59分

で、「(通称)大臣規範」への牴触ってのは、それが問題になるのは判るんです。

で、大臣規範に牴触していたとして、加計学園の認可に便宜を図ろうとしたことの証拠になるんですかね。「大臣規範に抵触した=便宜を図った」なんですか?

両者は、別個の問題として議論される必要があるのと違いますか。
仮に認可に便宜を図っていなかったとしても、大臣規範への牴触自体はそれだけで問題になるじゃないですか。

加計学園問題の流れを、国会審議を視聴しながら追いかけてると、追及する側が「ムービング・ゴールポスト状態」でないか?っていう印象があるんですよね。

投稿: あっしまった! | 2017年7月29日 (土) 20時10分

あっしまった!さん、コメントありがとうございました。

今回の記事を通し、もう少し論点を広げることも考えていました。「Part3」はないかも知れませんが、機会を見て記事本文の中で「戦前」との対比なども掘り下げてみたいものと思っています。

そのような訳で、あっしまった!さんの強い問題意識を込めたコメントに対応した記事本文の内容に至らず恐縮です。コメント欄について今回の記事でも触れましたが、ぜひ、このような関係性について改めてご理解ご容赦ください。その上で、長い目で見てお付き合いいただければ幸いですのでよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2017年7月30日 (日) 06時52分

>そもそもマスコミは客観的な事実だけを淡々と伝えている訳ではなく、記者や編集者、コメンテーターらの意見や主観を添えた報道の仕方が主流となっています。

まずは客観的事実を提供し、その後マスコミの意見や主観を
伝えるべきだと強く思いますね。最初からマスコミの脚色が
あるからこそ、現在のマスコミ不信につながっています。

まあ、現在の政権が批判されるのは当然です。違法でないこ
とを追求するのはどうかと思うのですが、それもしかたない
ことでしょう。ところで、菅直人が首相時代に判明した、違法
献金問題は大震災で有耶無耶になりましたが、元首相である以上
ちゃんと説明責任をはたすべきでしょう。鳩山元首相も違法子供
手当について必ず説明すると本人が言った以上はたすべきですね。
どちらも過去の話になりつつありますが、民進党を応援されてる
方は是非、追及して下さい。蓮舫代表の2重国籍も疑問点がまだ
のこってるので是非続けて追及して下さい。

投稿: nagi | 2017年7月31日 (月) 11時23分

ごまかしばかりで愛想がつきました。
「加戸前知事の発言」は、当事者による発言であり、そのような基礎的な情報を
「加計学園問題の論点から外れている」
として黙殺することは情報操作そのものですよ。

そのような当事者の発言が「論点から外れるか」否かを判断するのはのは国民です。マスコミではありません。

OTSU氏のように自分にとって不都合な事実を黙殺することに何のためらにもない方は、大日本帝国時代における有能な憲兵になっておられたでしょうね。
あなたにかける言葉はこれ以上ありません。

投稿: hodo | 2017年7月31日 (月) 13時52分

「fact」と「opinion」は、ハッキリそれを判るように分別・分離(隔離)して表してほしいんですよね。
「opinion」を述べるなとは言わないので。

で、有権者は、報道された「fact」に基づいて、併せて報道された「opinion」への賛否を考えれば良い。

個人的には、「政府の主張を、編集なし・論評なしで、淡々と報道し続ける放送局」がほしい。
「政府が何を考えているか?」を判断するには、「政府の考えていることを、ありのままに垂れ流す媒体」が必要な時期に来てる気がする。もちろん、受け手もそういう前提(心構え)で内容を受け取れば良い。

んで、「(通称)大臣規範」って、形式的には「閣議決定」なんですよね。
民主党政権時代も「大臣規範への抵触」を言われた政務三役が何人かいらしたけど、当時の政権は「華麗にスルー」してしまってましたから。

結局の所、「法令」ではないわけですんで、それで済まされるんでしょう。一般職の公務員と違って、明示的な「倫理法制」はないのですし。

一時、「官吏服務規律( <- これは法令としての形式がある。依然として有効性は完全には消滅していない。)」との関係が話題になったこともありましたけど。

投稿: あっしまった! | 2017年7月31日 (月) 18時10分

最近、新聞等のマスコミを伝統的メディアと表現するのを
見たのですが、なかなか上手い表現と思っています。
先日の蓮舫氏が戸籍を公開すると発言すると朝日新聞が
社説で非難しました。プライバシーを暴くのはおかしいとの
内容だったはずです。しかし、朝日新聞の子会社である
朝日出版は、橋本元市長の出自を暴く記事を載せました。
その後、非難がたかまり謝罪するはめになりました。
この騒動の時、元市長と朝日新聞社の記者とのやりとりが
動画で残っています。元市長が、どう思うかとの問いに
記者は会社と代表する立場ではないとコメントしません。
つまり彼らは報道において会社の立場を優先することが
はっきりした瞬間でした。
利害関係において特定の利益を優先するならば、それは
戦前の大本営発表と何が異なるのだろうか。
だからこそ既存のマスコミに対する不信が増大しフェイク
ニュースが蔓延する。全ては既存のマスコミからスタート
しています。彼らが自浄能力を発揮して変革しない限り
現在の状況はより悪化するだけでょうね。
報道の自由を失わせてるのは政府ではなく、マスコミ自身
だと確信しています。

投稿: nagi | 2017年8月 2日 (水) 11時42分

「伝統的メディア」って言い方はワタクシも使ってたことがあったなぁ。「古典的・典型的なメディア」とかも。

例の「報道の自由度ランキング」ですけど、
あれを発表してる団体からは、
「日本の報道の自由度の低さは、記者クラブ制度に依る所が大きい」って見解がでてたりもするんですよ。

最近の状況を見てると、「自由度はかなり高い」と思いますよ、あれだけデタラメな編集が許されるんですから。記者クラブという関門の中に入ってしまえば、あとは何しても許されるっていう。
※「無責任でいられる自由」度は、トップクラスと違うかな。

ホントに自由度が低いなら、すでに政府から公式に締め付けられてますって。

※制作現場の疲弊って問題も無視はできないかも知れない。

投稿: あっしまった! | 2017年8月 2日 (水) 17時32分

ところで 、加戸元知事の発言って、「政府が加計ありきで進めた」という疑念を払拭できるような 内容だったんですかね?

投稿: ベンガル | 2017年8月 3日 (木) 14時18分

う~ん、

12年前、愛媛県が全国の大学に声をかけたけど、応じてくれたのは加計学園だけだった。

加計学園と愛媛県議とのつながりが発端で、加計学園と中央政府とのつながりが発端ではない。

首相と加計学園の理事長が友人だと知っていたなら、10年前(第1次政権の時)に、首相に直訴してでも話を進めていた。

民主党政権下でも、第2次安倍政権になってからも、10年来申請は拒否されていた。

今回初めて、国家戦略特区で獣医師会の壁に穴が開いた。「歪められていた行政が正された」だけ。

マスコミは、報道してほしい事(伝えたい事、得訴えたい事)をまるで報道してはくれない。

んで、「前川氏の脳内世界の中の出来事」という感じで仰ってます。

参考人は、「自身の文科省に30年以上勤務した経験から、今回の事態は遺憾であり、前川氏の脳内構造を疑う」みたいなことまで…。

まぁ、要旨としてはこんな感じで、少くとも参考人の認識としては、疑惑については否定的に考えておられる印象です。


で、
「”政府が”加計ありきで…」というと、当然政府は10年来新設の申請が為されていた(却下されていた)事は、周知の事実だったと思います。
国家戦略特区として獣医学部の新設を進めようとしたことにも、この10年来の動きは承知の上だったでしょう。

「”首相が”加計ありきで…」というと、状況的には、否定的に感じられます。少くとも、参考人の認識としては、そういう事実はないとお考えのようです。
あくまでも、「”獣医学部の新設を認めるという国家戦略特区”ありきで…」という感じです。


追求する側が「○○と思う」とか「○○としか考えられない」という言い方なのに対して、参考人の側は「こうだった」という言い方ですね。
追求側が仮定や想像を前提にしてるのに対し、参考人の側は事実を前提にされてる感じです。
個人的は、参考人の側に説得力を感じました。

投稿: あっしまった! | 2017年8月 3日 (木) 20時45分

結局、「加計ありきだった」と言っているにすぎないですよね。
国家戦略特区における獣医学部の新設という新たなステージですので、中立、公平にやるべきだったと私は思います。

投稿: ベンガル | 2017年8月 3日 (木) 22時59分

少なくとも、愛媛県は ありき です。
誘致に応じてくれる学校があっての申請なので。

で、申請していたのは加計だけです。

ただ、公開された議事録等を見ても、
友人に便宜を図ったとか、忖度とか、そういう事実は導けないように感じます。
国家戦略特区の実現ありきで、特区制度の成果の顕在化を急いだ感はあります。

投稿: あっしまった! | 2017年8月 3日 (木) 23時39分

今般の遣り取り中「正しい情報」とあるのは、自らが望む結論を導く若しくは裏付ける情報をいう。

という定義を置くと、

意に沿わない情報は、正しくないモノとして、「正しい情報を出せ」とか、「情報を隠すのはけしからん」とか、「疑いがある」とか言い続けられるわけですよ。

「正しい情報を求める」のは良いのですが、「意に沿う回答が(その回答自体が嘘であっても)得られるまでは、ゴネ続ける」のが正しいとは思いません。

今回、「政府が加計学園が10年来申請を却下されている」という事実を前提に置いた可能性は高いですが、「首相が友人に便宜を図った」という証拠は出てきていません。
前者が真実であるからと言って、後者も真実であるということには為らないのですし。

「疑い」ではなくて、「明白な違法行為」を追求するんならともかくですねぇ。
「都合が悪くなったら、追求の種を変える moving goal post」でなくて、「明白な違法行為を示して追求して見せてほしい」です。

※大臣規範は法令ではないので、「明白な違法行為」ではないでしょう。
※民主党政権があれだけ大臣規範に甘々だったことを思うとですねぇ、ここで「大臣規範云々」言われても、嘆息しかでてこなくて。

投稿: あっしまった! | 2017年8月 4日 (金) 19時16分

「マスコミの特性と難点」という話題から逸れており、大変恐縮しています。しかし、「加戸元知事の発言がマスコミに取り上げられていない」という論調に対しては、正直、「大きく取り上げられるだけの内容が無い」と感じているものですから、今回の書き込みになりました。確かに昨今、マスコミの偏向報道が目立つ感じはしますね。マスコミには正確性、信頼性はもちろんですが、為政者に対するチェック機能として働いてもらいたいものです。もちろん、正確な情報に基づく、わかりやすい批判ですね。

加戸元知事の話に戻しますが、加戸元知事は閉会中審査において「岩盤規制にドリルで穴を開けていただいた。『ゆがめられた行政が正された』が正しい発言ではないか」と発言。その後、その発言が取り上げられなかったことをもって、「報道しない自由も印象操作もマスコミの有効手段」とマスコミを批判されました。さらには、前川前事務次官の発言に対し「妄想」と批判をされ、これに対し前川前次官は「誤解だ」と言いながらもしどろもどろの映像がテレビで放映され、「前川前次官が嘘をついている」という印象が残りました。

まあ、前川前事務次官には悪いですが、「嘘つき」というレッテルを貼られようが私には関係ないことです。一番重要なのは、「獣医学部の新設が必要なのか」ということです。石破大臣の時までは、少なくとも「石破4条件」として、その是非を議論する姿勢がうかがえます。長文になって申し訳ありませんが、以下にこれまでの議論経過を記載させていただきます。

〇2015年6月30日
「『日本再興戦略』改訂2015」閣議決定。「獣医師養成系大学・学部に関する検討」については、石破4条件が付される。内容は以下のとおり。「現在の提案主体による既存の獣医師養成でない構想が具体化し、ライフサイエンスなどの獣医師が新たに対応すべき分野における具体的な需要があきらかになり、かつ、既存の大学・学部では対応が困難な場合には、近年の獣医師の需要の動向も考慮しつつ、全国的見地から本年度内に検討を行う」
〇2016年1月29日
 「広島県及び愛媛県今治市の区域」が政令指定。加計学園の獣医学部新設要望も、今治市の他の特区申請と、広島県の申請とまとめられた。
〇2016年3月30日
 第1回「広島県・今治市 国家戦略特別区域会議」が開催。獣医学部新設は正式な議題にならず。区域会議の下に「今治市分科会」の設置が決定。この会議から「元文部省官房長、元愛媛県知事」であった「加戸守行」氏が「今治商工会議所特別顧問」の肩書で参加。事実上、加計学園の代理人と言われた。
〇2016年8月3日
 内閣改造により、石破大臣が担当大臣を外れる。
〇2016年9月9日
 「第23回国家戦略特別区諮問会議」開催。残された岩盤規制改革の断行として「獣医学部の新設」が例示される。
○2016年9月21日
「今治市分科会」開催。獣医師養成系大学・学部の新設が提案。このときの資料は2枚。具体的な質疑は行われず。文科省からは「石破4条件の必要性」を訴え。
○2016年10月4日
「第24回国家戦略特別区諮問会議」開催。改訂が認定された区域計画には「獣医学部部新設」は盛り込まれておらず。当日配布された議事次第、配布資料には「獣医学部新設」当文言は一文字もない。議事の中で山本地方創生担当相から「今治市分科会において獣医学部新設について議論した」と言及。八田達夫大阪大学教授から獣医学部新設の必要について説かれる。続いて竹中平蔵東洋大学教授から賛同の意見。
○2016年11月9日
「第25回国家戦略特別区諮問会議」開催。「先端ライフサイエンス研究や地域における感染症対策など、新たなニーズに対応する獣医学部の設置」方針が提案され決定される。

○2016年11月18日~12月17日
「平成30年度に開設する獣医学部の設置」と期限を付した上で、パブリックコメントの募集。結果は2017年1月4日に公示。
○2016年1月4日~1月11日
今治市で獣医学部を新設しようとする事業者の公募。10日に加計学園が応募。

8月3日に山本幸三氏が担当大臣に着任して3か月、石破4条件の確認が重要との認識が再確認された今治市分科会から6週間、「石破4条件」は一言も議論されないまま、方針が決定されています。
また、事業者の募集期間はなんど1週間です。これでは「加計ありき」という意外にないのではないでしょうか?
また、加戸元知事も今回の国家戦略特区の議論に入っていることから、お友達によって作り上げられたと言われても…
という疑念を払拭できないのです。

投稿: ベンガル | 2017年8月 4日 (金) 19時18分

すみません。日付に記載ミスがありました。
(誤)
◯2016年1月4日〜1月11日
今治市で獣医学部を新設しようとする事業者の公募10日に加計学園が応募。

(正)
◯2017年1月4日〜1月11日
今治市で獣医学部を新設しようとする事業者の公募10日に加計学園が応募。

投稿: ベンガル | 2017年8月 4日 (金) 19時35分

いわゆる「石破4条件」自体が、もう一方の当事者である獣医師会の規制護持のための働きかけの結果という意見まで出てきて、もう何が何やら。
石破氏が農林系に顔が利くのは周知なので。

なお、「石破4条件」自体は、
「文科省が学部設置認可の承認 or 棄却の行政処分を行うときに、参照すべき基準」になるので、
国家戦略特区がどうであれ、最終的に文科省が「石破4条件に照らして却下!」といえばすむ話ではあるんですよ。
それが正義と信じるなら、わざわざ「お友達疑惑」なんか持ち出さなくても。

国家戦略特区がどうであれ、学部の設置認可は「文科省の固有の権限」ですから。
国家戦略特区であろうがなかろうが、文科省が設置認可を拒否して其の理由を堂々と説明すれば良い。
それだけの話ですよ。

なのに、前川氏がこういう騒動を立ち上げるから、「前川氏の私怨説・妄想説」とかが出てきて、話が拗れるんです。

政府が加計学園の話を聞いて戦略特区を使おうとしたという主張は私もそう思うんで、
「政府が加計学園を念頭に置いた」はあるとして、
「首相がお友達に便宜を図った」は証拠がないと思うんですよ。

投稿: あっしまった! | 2017年8月 4日 (金) 20時17分

何度も言うように、
「疑惑」だけで有罪と決めつけるのは「推定有罪」ですから、賛同できないんですよ。

(米国式と異なりフランス式の国家憲兵制度を採用した)当時の帝国陸軍憲兵隊が、「俺たちがダメと思ったからダメ」って感じで、国民を締め付けたという過去の経緯があってですね、「特別高等警察が治安維持法を濫用したとかいう高尚な例を持ち出すまでもなく、もっと大々的にそういうコトがあった」ってことで。

そういう「疑わしきは罰する。俺たちが違法だと思ったら違法なんだ。疑わしいと思ったらクロなんだ。」みたいなノリは危険だと思うわけで。
(いわゆる)共謀罪を治安維持法に例えて危機感をあおった言説よりも、今行われている「推定有罪」による糾弾の方がよほど危機感を感じます。

投稿: あっしまった! | 2017年8月 4日 (金) 20時29分

加戸氏が政府にプッシュしていたのは事実なんですけど、加計学園の理事長が政府にプッシュした訳でもないですし。

加戸氏が国家戦略会議に参与していたからといって、加計学園の理事長が参与していたのとは違いますし。

加戸氏は「獣医学部の新設を求めた」けれど、「首相の友達に便宜を図ることを求めた」のではないわけで。

投稿: あっしまった! | 2017年8月 4日 (金) 20時57分

何か勘違いされていると思いますが、私は一言も「違法」とは申し上げていませんよ。
「獣医学部の新設が本当に必要なのか」という議論が行われている節が全くないことに疑念を持っているのです。必要性を議論すると「獣医学部の新設が必要ないと」なることを恐れていると感じざるを得ないほど議論されていないと思うわけです。
ご存じとは思いますが、2016年11月9日の第25回諮問会議において方針が示された段階で、麻生副総理兼財務大臣から次のような発言があっています。長文ですが議事録のまま掲載させていただきます。
「松野大臣に1つだけお願いがある。法科大学院を鳴り物入りでつくったが、結果的に法科大学院を出ても弁護士になれない場合もあるのが実態ではないか。だから、いろいろと評価は分かれるところ。似たような話が、柔道整復師でもあった。あれはたしか厚生労働省の所管だが、規制緩和の結果として、技術が十分に身につかないケースが出てきた例。他にも同じような例があるのではないか。規制緩和はとてもよいことであり、大いにやるべきことだと思う。しかし、上手くいかなかった時の結果責任を誰がとるのかという問題がある。この種の学校についても、方向としては間違っていないと思うが、結果、うまくいかなかったときにどうするかをきちんと決めておかないと、そこに携わった学生や、それに関わった関係者はいい迷惑をしてしまう。そういったところまで考えておかねばならぬというところだけはよろしくお願いします」
まさに獣医学部の新設が必要なのかを今一度問う発言ですが、これに対し、諮問会議の中でも議論はなく、その後もそのような議論は皆無のまま進められています。
岩盤規制=文科省=獣医師学会=石破前大臣、前川事務次官=悪
規制緩和=内閣府=加計学園=山本大臣、加戸氏=善
このような構図こそ、印象操作だと思うのは私だけでしょうか?

投稿: ベンガル | 2017年8月 4日 (金) 23時41分

nagiさん、hodoさん、あっしまった!さん、ベンガルさん、コメントありがとうございました。

逐次コメント欄に関われていませんが、皆さんからお寄せいただいているご意見等は毎日確認しています。その上で今週末に更新する記事、コメント欄の流れを踏まえたものにするのかどうかまだ決めていません。

そのため、この場で私自身の考え方を改めて触れることも考えましたが、いつものとおり記事本文に集中させていただくことにしました。本来、管理人もコメント欄を通し、きめ細かい意見交換をはかれれば望ましいのでしょうがご容赦くださるようよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2017年8月 5日 (土) 07時53分

えぇ、私は現状のメディアや「反アベ政治運動体」のありようについて、
「違法だ」という批判が出てこないことに問題を感じてます。
「怪しい」とか「疑わしい」とか「言った」とか「言わない」とか、そういう議論でしかないことが問題だと。

んで、政策論としては、「獣医学部の新設が本当に必要なのか」が問題にならないことが問題なんですが、追求の急先鋒である玉木氏からして「獣医師会の利益を代表して何が何でも設置を阻止する」であって、「獣医学部の新設が本当に必要なのかをろんじるつもりはない」って姿勢な訳で。

ただ、この「本当に必要なのか」論は、文科省の最終的な許認可の段階で、審議会の答申を受けた段階で、文科省側が説明したり、それによって議論が惹起されたりすればよい訳です。

「森友が不発に終わりそうだから、次の政権イヂメのネタは…」的に始まった今回の騒動にはうんざりしてるわけです。
純粋な政策論として論じてほしいから。

で、

岩盤規制=文科省=獣医師学会=石破前大臣、前川事務次官=悪
規制緩和=内閣府=加計学園=山本大臣、加戸氏=善

のような議論の構図になってしまっていることも、それ自体が問題だと思っています。

そこで、こういう「議論の構図」が生じてしまう要因の一つに「元々存在した報道への不信感」に対して「今回の報道のありよう」が火をつけたという一面があるだろうと思っています。

そういう理解が前提にあるので、今回のエントリにしゃしゃり出てきて、これまでのような話をしています。

今回は、「報道が加戸氏の発言をなかったことにした」ということから、こういう話につながっていったのですけれど、

多くの人は、
「”加戸氏の発言があった”ことを知らない」以前に、
「”報道が加戸氏の発言をなかったことにした”ということも知らない」し、
「”報道が加戸氏の発言をなかったことにしたという論争がある”ということすら知らない」わけです。

そうすると、今回のような議論ですら起こらないまま、「反アベ政治運動体 による 政権イヂメ」っていう不毛な劇場に付き合わされることになるわけで。

「首相の政策に反対する立場 による まっとうな政策論争」であったり、「首相の政策に反対する立場 による 明白な違法行為の糾弾」」であれば、大歓迎なんですけど。

そういうわけで、「報道のあり方」を批判するのが、今回のワタクシの本義です。
とにかく、「政権イヂメ」や、「気に入らない首相の首を取る勧善懲悪の物語」という【エンターテインメントとして”政治家と政局”を消費する】余裕は、いまの日本にはないと思うので。

投稿: あっしまった! | 2017年8月 5日 (土) 09時13分

結果的に「加戸氏の発言は、問題の本質とは関係のない話であった」としても、
報道機関は、それを報道すべきだったと。

報道を視た人が、それぞれ「加戸氏の発言は、問題の本質とは関係のない話と判断した」のであれば、それで良い。

ただ、報道側が「加戸氏の発言は、問題の本質とは関係のない話」だと決めつけ、「報道する価値もない。有権者には知らせる価値のない話」だと決めつけ、「有権者が主体的に判断する機会を奪った」となると問題は多きい。

「野党側の質疑と野党側の参考人の話」だけを報じて、「与党側の質疑と与党側の参考人の話」を切り捨てたのは、やはり、問題がある報道だったのではないか?と。

結果として「問題の本質とは遠いものであったとしても、両方を報道する必要が、報道機関の使命としてはあった」のではないかと。

そういう「報道機関のあり方、第0番目の権力の権力の行使のあり方」に対する批判が主意なんです。

もちろん、「加計問題」を主目的とした政策論(獣医学部新設は必要が?)はあるのだけど、それは今回の主題ではないということで。

投稿: あっしまった! | 2017年8月 5日 (土) 09時39分

あっしまった!さん、コメントありがとうございました。

新規記事の中で、あっしまった!さんのコメントのごく一部だけ紹介させていただきます。タイトルは「意見が異なっても」です。ぜひ、引き続きご訪問いただければ幸いですのでよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2017年8月 5日 (土) 20時09分

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