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2017年7月22日 (土)

マスコミの特性と難点

前回記事「改憲の動きに思うこと Part2」の冒頭に私自身のブログとの関わり方について改めて説明させていただきました。ブログの管理は週末に限り、コメント欄での難しい問いかけに対しては記事本文を通してお答えしている現状などを記していました。そのため、今回は前々回記事「改憲の動きに思うこと」のコメント欄でnagiさんから寄せられた下記の問いかけに対し、私自身の問題意識や思うことを書き進めてみます。

先日の閉会中審査における加戸元知事の発言、それと京都産業大学の獣医学部断念の経緯発表。さて報道機関はまたもや報道しない自由を発動するのでしょうか。この二つの発言により、加計学園に関する問題がなにもないことがはっきりするわけです。まあマスコミの思惑どおり無理やり問題があるように報道し不都合なことは報道しない。おかげで憎い安倍政権の支持率も下がり続けてますね。マスコミによる世論の誘導こそが民主主義の敗北の一つであると私は考えますね。国民が自分で考えるのではなくマスコミに踊らされた結果がこれですから。かつての大本営発表で戦争に向かって高揚していたのと何が違うのだろうか。日本のジャーナリズムは本当に死んだなあと思う夏です。

コメント欄では取り急ぎ私から「メディアの特性や難点を理解した上、意識的に多面的な情報に接していく大切さは当ブログを通して訴えてきています。また、いわゆる右や左の立場それぞれ自分自身にとって都合の良い情報を評価しがちな点を記したこともあります。今回、加計学園の問題も上記のような傾向が強く表われているものと思っています。今週投稿する新規記事はそのような点まで触れられそうにありませんが、機会があれば記事本文を通して掘り下げてみたいものと考えています」とお答えしていました。

メディアと一口で言っても読者層のターゲットを絞っているマイナーな新聞や雑誌と区別するため、マスメディア、もしくはマスコミと表記していくことが適当だったのかも知れません。マスメディアとマスコミという言葉も少し意味合いが違うようですが、一般的には同義語のように使われています。今回、nagiさんはマスコミと呼んでいましたので、この記事の中でもマスコミと記していきます。実は以前投稿した「卵が先か、鶏が先か?」の記事の中でもマスコミと記していました。

その記事のタイトルは「マスコミが世論を作るのか、世論がマスコミの論調を決めるのか」という意味合いをこめていました。マスコミの活動は、どうしても多くの人に「見てもらう」「買ってもらう」ことが欠かせない目的となるため、国民の評価や人気を意識している傾向があることを綴っていました。高い支持率を維持している政権に対しての批判は及び腰になりがちです。しかしながら潮目が変わり、支持率が下がった政権に対しては一気に批判的な論調になるというマスコミの移り気について取り上げた記事でした。

このような傾向は変わることなく、これまでマスコミ対策に力を注ぎ、盤石だと見られていた安倍政権も例外ではなかったようです。したがって、マスコミが最近になって特別に変わったという見方はしていません。このような特性があることを前提にマスコミからの情報と付き合わなければならないものと考えています。マスコミが意図的に政権を攻撃し、世論を誘導している訳ではなく、結局のところ様々な情報を国民が知ることができるようになって支持率の低下につながっているのではないでしょうか。

昨年末の記事「SNSが普及した結果… Part2」の中で「報道しない自由」というマスコミの報道の仕方を批判する言葉について記しています。この言葉は、いわゆる左や右それぞれの立場の方々から発せられています。だからこそ意識的に幅広く、多様な情報や考え方にアクセスしていくことが重要です。そのツールとしてインターネットがあり、SNSの活用が手軽な時代となっています。とは言え、「願望」という調味料が加味されたマスコミ批判の傾向も強いように感じちがちです。

学校法人「加計学園」(岡山市)の獣医学部新設計画をめぐる参院の閉会中審査が10日午後、衆院に続いて始まった。参院では参考人として、衆院で答弁した前川喜平前文部科学事務次官らに加え、文科省OBの加戸守行前愛媛県知事が招致された。獣医学部誘致を進めた加戸氏は、前川氏の「行政がゆがめられた」との主張を念頭に、「強烈な岩盤に穴が開けられ、ゆがめられた行政がただされた」と学部新設計画の意義を訴えた。参院での審査は、文教科学、内閣両委員会の連合審査として開かれた。【産経新聞2017年7月10日

マスコミが加戸前知事の発言などを大きく報道しないため、nagiさんはマスコミに対する不信感を高められているようです。加戸前知事の説明で安倍首相に対する疑惑は解消され、このような国会での重要証言を報道しないマスコミへの批判がネット上でも強まっています。確かに「ゆがめられた行政がただされた」という大見出しが新聞紙上に掲げられれば、多くの国民が政権に対する印象を好転させていったかも知れません。支持率が高かった時であれば、そのような政権への配慮が働いた可能性もあります。

しかし、そもそも加戸前知事の説明は「加計学園ありき」を裏付けた証言だと見なくてはなりません。行政としての意思決定過程の不透明さが解消された訳ではないため、マスコミの多くが加戸前知事の発言を大きく取り上げていないという見方も特に不自然ではありません。弁護士の郷原信郎さんがブログで『加計学園問題のあらゆる論点を徹底検証する』という記事を投稿しています。その記事の中で加戸前知事の証言に対し、次のように述べています。

閉会中審査における前愛媛県知事の加戸守行氏の証言と、その後に行われた京都産業大学の「獣医学部開設断念」の記者会見の内容をどう評価するかも問題となっている。これらによって、加計学園をめぐる安倍首相の疑惑が解消されたかのように評価する声もあるが、いずれも、加計学園をめぐる疑惑を解消することにつながるものではない。加戸氏については、愛媛県知事の時代から、今治新都市開発の一環として大学誘致に熱心に取り組んできたこと、同氏にとって獣医学部誘致が「悲願」だったことは、国会で切々と述べたとおりであろうし、教育再生実行会議での同氏の、唐突な、いささか場違いとも思える「獣医学部新設問題」への言及からも、誘致への強い熱意が窺われる。

しかし、加戸氏は、獣医学部の認可を求める側の当事者、政府にとっては外部者であり、政府内部における獣医学部新設をめぐる経過とは直接関係はない。また、「愛媛県議会議員の今治市選出の議員と加計学園の事務局長がお友達であったから、この話がつながれてきて飛びついた」というのも、今治市が加計学園の獣医学部を誘致する活動をする10年以上前の話である。その後の誘致活動、とりわけ、前川氏が「加計学園に最初から決まっていた」と思える「行政の歪み」があったと指摘する2016年8月以降の経過に、安倍首相と加計理事長の「お友達」の関係がどのように影響しているのかとは次元の異なる問題である。

また、長年にわたって誘致活動を進めてきた加戸氏の立場からは致し方ないことのようにも思えるが、同氏の話にはかなりの誇張がある。愛媛県知事時代の「鳥インフルエンザ、口蹄疫の四国への上陸の阻止」の問題を、公務員獣医師、産業担当獣医師の数が少ないことの問題に結び付けているが、加戸氏自身も認めているように、上陸阻止の手段は、船、自動車等の徹底した消毒であり、獣医師の「数」は問題とはならない。獣医師が必要になるとすれば上陸が阻止できず感染が生じた場合であろうが、実際には、四国では鳥インフルエンザも口蹄疫も発生していない。

また、加戸氏が長年にわたって今治市への獣医学部誘致の活動をしてきた背景には、知事時代に今治市と共同して進めた新都市整備事業で予定していた学園都市構想が実現しておらず、土地が宙に浮いた状態だったという事情があったことを加戸氏自身も認めている。獣医学部誘致に今治市民の膨大な額の税金を投入することを疑問視する市民も少なからずいることを無視して、獣医学部誘致が「愛媛県民の、そして今治地域の夢と希望」と表現するのは、現実とはかなり異なっているように思える。結局のところ、加戸氏の国会での発言は、政府の対応を正当化する根拠にも、前川氏の証言に対する反対事実にもなり得ないものであり、加計学園をめぐる疑惑に関しては、ほとんど意味がないものと言える。

ネット上で他にも『“加計ありき”の証拠が続々! でも安倍応援団は「加戸前愛媛県知事の証言で疑惑は晴れた」の大合唱、そのインチキを暴く!』『加戸守行氏は間違っている』『閉会中審査でのやり取りを自民党に軍配を上げるネトウヨたちの異様性 国会軽視の安倍自民党』という記事にも目を通していました。 ただ立場の異なる方々の主張を頭から否定し、辛辣な言葉で対立を煽るような書き方は如何なものかと思っています。いずれにしても加計学園の問題は特区を担当した石破茂前大臣のブログの言葉に尽きるはずです。

私が国家戦略特別区域担当大臣であった平成27年6月30日に閣議決定された「日本再興戦略 改訂2015」において示された、「①既存獣医師養成でない構想が具体化し ②ライフサイエンスなどの獣医師が新たに対応すべき分野における具体的な需要が明らかになり ③既存の大学・学部では対応が困難な場合 ④近年の獣医師需要動向も考慮しつ全国的見地から本年度内に検討を行う」との、4条件ブラス「全国的見地」に適合する公正・公平な決定であったかどうか、それが問われるべきであり、政府はこれを明確に立証すればよいのです。4条件が満たされ、全国的見地から必要とされれば、提案主体がどこであろうと認めなくてはなりませんし、その逆もまた然りです。

私自身の問題意識は「李下に冠を正さず」「もう少し加計学園の話」で綴ってきました。週明けには衆参両院の予算委員会で閉会中審査が予定されています。加戸前知事のような説明で疑惑は晴れるという姿勢で安倍首相らが臨んだ場合、与野党の論点はかみ合わないような気がしています。キーパーソンと目されている参考人には「記憶にない」という言葉を発しないという誠実さを期待したいものです。ちなみに最近、石破前大臣が掲げた4条件を巡り、自民党内で下記のような軋轢があったようです。

自民党石破派は、同党幹事長室が学校法人「加計学園」の獣医学部新設問題を巡る産経新聞の連載記事を所属全議員にメールで送ったことに抗議した。同派の平将明衆院議員らが21日、記者会見で明らかにした。17日付の記事によると、石破茂元幹事長は地方創生担当相だった2015年9月、日本獣医師会幹部に「(獣医学部新設条件は)誰がどのような形でも現実的には参入が困難との文言にした」と説明したとされる。幹事長室は20日、「ご参考」として一連の記事を送信した。平氏は会見で「石破氏が獣医学部新設を阻止したような印象を与える。党内対立をあおるような形でメールを出すのは不適切だ」と批判。同派の古川禎久事務総長は「この記事が党の見解だと誤解を招く恐れがある」と撤回を要求した。古川氏は20日、党幹事長室を訪れたが、二階氏は訪米中。【毎日新聞2017年7月21日

新規記事のタイトルを「マスコミの特性と難点」としながら加計学園の問題の記述が膨らんでしまいました。たいへん長い記事になっていますので、そろそろまとめなければなりません。マスコミからの情報に限らず、情報の受け手側のリテラシーを鍛えていくことがたいへん重要です。マスコミやSNS、それぞれの特性や難点を的確に理解した上、一つの経路からの情報だけを鵜呑みせず、意識的に幅広く多面的な情報に触れていくことが強く求められています。より望ましく、より正しい「答え」を見出すためには欠かせない心構えだろうと考えています。

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2017年7月16日 (日)

改憲の動きに思うこと Part2

一つの記事に100件以上のコメントが寄せられていた頃に比べればコメント数は大きく減っています。それでも少ない中で、いつも貴重なご意見やご指摘、もしくは情報をお寄せいただいていることをたいへん感謝しています。仮にコメント数がゼロになったとしてもアクセス解析機能から閲覧者が一人でも確認できる限り、このブログは続けていこうと思っています。

そう思いながらも閲覧されている皆さんの率直な意見を伺える場として開設しているコメント欄ですので、一人でも多く方に投稿いただければ非常に幸いなことだと考えています。ただ私自身、ブログの管理は週末に限って対応しているため、個別の問いかけに即応できないことを心苦しく思っています。さらに難しい問いかけは記事本文を通してお答えするように努めている点なども改めてご理解ご容赦ください。

このような前置きを述べながら新規記事を前回記事「改憲の動きに思うこと」の続きにあたる「Part2」とした訳を説明させていただきます。そもそも日常的な組合活動の中で政治的な課題の占める割合はごくわずかです。先週木曜の夜には会計年度任用職員に関する学習会を開き、70名を超える組合員の方が参加されています。タイムリーな組合活動の報告であれば、その学習会のことが真っ先に上がります。

他にも連合が「脱時間給」を容認したという報道のことなど週に1回の更新ですので、このブログを通して取り上げたい話題が数多くあります。そのような中で前々回記事「『総理の誕生』を読み終えて」のコメント欄で交わしたKEIさんとのやり取りが気になっていました。前述したとおり日常の組合活動の中で政治的な課題の占める割合は少ないのですが、このブログでは意識的に政治的な話題を頻繁に取り上げています。不特定多数の方々に「働きかける」という自分なりのささやかな運動と位置付けている側面があるからでした。この説明に対し、KEIさんから次のような言葉が寄せられていました。

…正直な所、その「運動」、うまくいっていると思いますか? 提起してはことごとく突っ込まれ、有効な反論をするでもなく次の提起をするからさらに突っ込まれ… こんな体たらくで「働きかけ」がうまくいくと思うのですか? 逆効果になるかもとは思いませんか? …まあ僕はそんな「逆効果」を期待している方の客ですから、これ以上は言いませんけどね。

取り急ぎコメント欄で私から「大事な問いかけですので新規記事の冒頭で改めてお答えさせていただくつもりです」とお答えし、これからも「逆効果」を期待されている関係性で結構ですので、引き続きご注目いただければ幸いです、と書き添えさせていただきました。それまで培ってきた経験や知識をもとに個々人の基本的な視点や立場が枝分かれしていきます。この基本的な視点や立場が異なると同じ出来事や情報に接していても、評価や受けとめ方が大きく分かれがちです。

この違いや「溝」を埋めることは容易でないことをブログを長く続ける中で痛感してきています。それでもお互いの主張や意見を交わし合うという接点を持たない限り、その「溝」は絶対埋まらないまま固定化されてしまいます。そのため、「逆効果」となるケースもあるのかも知れませんが、不特定多数の方々に自分自身の主張や幅広い情報を発信する、つまり「働きかける」というささやかな運動を日常生活に過度な負担をかけない範囲で続けてきています。

有効な反論に至っているのかどうかという評価も前述したような「溝」があることを認識しています。いずれにしても容易に分かり合えなくてもこのコメント欄の限界と可能性を踏まえながらブログと向き合っています。このような関係性がある中、前回記事「改憲の動きに思うこと」のコメント欄で、す33さん、下っ端さんから寄せられたコメントに対し、「私自身のささやかな運動に照らした際、大事な問いかけが寄せられているものと受けとめています。せっかくの機会ですので新規記事を通してお答えさせていただくつもりです」とレスしていたところです。

憲法学者の小林節さんの「70年間、日本が世界史に先例のない平和大国でありつづけられたのは、ほかでもなく、憲法9条の制約があったからです」の言葉に対し、す33さんは「よくもまあ印象に残った箇所とか言えますね。何の罪もない日本人が韓国軍に殺され、北朝鮮に拉致され帰ってこない人が沢山いる。領土も占領されたり、侵略を受けている。日本が70年間平和であったのは日米同盟があり、米軍が日本に駐留しているからだ。日米同盟がなく米軍も駐留していなかったら、今頃日本はソビエト、中国などが侵略して平和で経済が発展していなかっただろうな」と批判されていました。

「70年間平和」という見方に対しては朝鮮戦争時の日本特別掃海隊の存在をはじめ、様々なとらえ方があろうかと思っています。ただ小林さん自身、もともと個別的自衛権を認められていますので、す33さんの問題意識と大きな乖離はないように受けとめています。あくまでも憲法9条の制約があったから朝鮮戦争やベトナム戦争の際、米軍とともに直接参戦せずに済んできたことを小林さんは特筆的なことと評価されています。このような見方に対し、私自身も共感できるため、印象に残った箇所と書き残していました。

拉致被害者やご家族の皆さんにとって「平和」からは程遠い日常が続いているものと思われます。不透明感を残したままの拉致問題の解決、拉致被害者全員の帰国を心から願っています。この問題で憲法9条の無力感を唱えるケースも見受けられますが、交戦権のある国でも拉致被害者の救出が難しいという現実にも留意しなければなりません。強制収容所の存在をはじめ、自国民を抑圧する体制を擁護するつもりはありませんが、対話を重ねることで解決の道がもっと開けた可能性も否定できません。

実際、小泉元首相が北朝鮮との対話に踏み切ったことで拉致被害者5人は帰国できました。最近、このような見方を示す記事「北朝鮮の核脅威は、15年前の安倍首相の行動がもたらした可能性」を目にしています。軍事ジャーナリストの田岡俊次さんが次のように語っていますが、異論反論は数多く示されるのだろうと思っています。安倍首相を評価されている方々にとって「またか」という感想を持たれるのかも知れません。しかし、対話を重視することで拉致問題も現在とは異なる展開があった可能性を頭から否定できないものと受けとめています。

今のように北の核ミサイルに日本がさらされないようにするチャンスはあったのです。02年9月17日、小泉純一郎首相が訪朝して、当時の金正日総書記に会い調印された日朝平壌宣言は、北朝鮮が核開発を止めますという協定だった。北朝鮮は核に関するすべての国際的取り決めを遵守する。つまりNPTに残りIAEA(国際原子力機関)の査察を受ける、その見返りに日本は国交を樹立し、援助もしましょうという話でした。世界が懸念していた北朝鮮の核問題を日本がほぼ独力で解決したのだから、平壌宣言は「北朝鮮の信じがたい譲歩」を得た日本外交の大成功として世界から称賛され、国際会議で小泉氏は英雄扱いされました。

しかし、北朝鮮が謝罪したことで日本の大衆ははじめて拉致の事実を知り、世論はそちらのほうで沸騰してしまった。最初は拉致被害者がまず帰ってきて、子供がいる2組の夫婦は日本の状況を確認して、いったん北朝鮮に帰って子供たちを連れて日本に帰ってくるという話だった。ところが、当時官房副長官だった安倍晋三氏は、帰すとまた捕まってしまうから帰さないと主張し、「それでは平壌宣言の履行は第一歩からつまづく」と言う福田康夫官房長官と激論になったそうです。結局はいったん調印された平壌宣言は、有名無実化してしまった。拉致問題についても、国交を樹立して大使館を開き、援助漬けにしてパイプをつくり情報を取るほうが定石だった。

1990年にロシアは韓国と国交樹立して、北朝鮮を見捨てた。92年に中国も韓国と国交樹立して北朝鮮を見捨てた。孤立無援の状態になって、北朝鮮は核をつくり始めたのです。北朝鮮の核については、ロシアと中国の責任も大きいですよ。核の傘がなくなってしまったわけなので、自分でやるしかなくなった。孤立によって経済も破綻していたので、日本に助けてほしく、核問題で譲歩してきた状態だったので、絶好のチャンスだったのです。「北朝鮮はそれでも密かに核開発を続けようとするだろう」と私も考えたが。IAEAの査察を受けていれば小規模な研究程度しかやれず、核実験をすれば日本の援助は滞るから、こちらは手綱を握ることができたはずです。平壌宣言が履行されていれば、今の状況はなかったのです。

す33さんのコメントに対する「答え」が思った以上に広がってしまいました。ただ以上のような見方は、これから述べる下っ端さんからの問いかけに対する「答え」に関わってくるものであり、「日朝平壌宣言が履行されていれば」という仮説は非常に興味深いものでした。それでは続いて、下っ端さんのコメントに対する私自身の「答え」です。下っ端さんからは次のとおり私に対して直接的な問いかけがありました。

やはり、なぜ「自衛隊」を軍隊として憲法に明記してはダメなのか、誰もが納得できる明確な根拠は見当たりませんね。平和、不侵略、専守防衛、明記すればいいじゃないですか。その上で、自衛のための軍隊を保持することを明記する方が、よっぽどスッキリしませんか? 平和は軍隊を持たないから平和になるわけではないですよね。そもそも、どこをどう見ても、自衛隊は軍隊なのですから。憲法9条が今のままでないと、日本は平和な国家で無くなりますか? 世界から平和国家として認識されるのは、憲法9条だけが理由ですか?

私はどちらでもいいのです。憲法9条をそのままにして自衛隊を解散するか。憲法9条を改憲して自衛隊を専守防衛の軍隊とするか。そろそろ、スッキリさせましょうよ。方法は、3つだけじゃないですか? ①憲法9条に嘘をつかないため、改憲せずに、自衛隊を解散し、永遠に軍隊を組織化しない。②不侵略、専守防衛を明記し、そのためだけの軍隊として自衛隊を明記する。③世界の平和維持のため、国連の平和維持活動に参加を認めたうえで、自衛隊を明記する。その場合、先制攻撃の放棄等を加筆する。 さて、管理人さんはどれを選びますか?

「答え」は3つだけと決め付けられてしまいましたが、私自身が最も望ましいと考えている「答え」はいずれでもありません。集団的自衛権の行使は認められない、後方支援も含め海外での戦争参加はできない、専守防衛までを認めていた現憲法9条の解釈を有効とし、それに見合った平和活動や国際貢献に徹するべきという「答え」です。仮に国民投票で憲法9条の文言を見直す場合、名称はともかく自衛隊を軍隊と認めた上、役割や任務を明示すべきものと考えています。

安倍首相が提起した1項と2項はそのまま、つまり軍隊ではない自衛隊を憲法に明記する、安保法制の施行前であれば一定評価できる発想だったものと思います。戦場に出向きながら後方支援しか担わないという限定的な集団的自衛権は必ず見直しを迫られるはずです。しかし、軍隊ではないまま自衛隊が海外で武力を伴う活動に従事することの矛盾や危うさは前回記事の中で、小林さんが指摘されているとおりです。下っ端さんの選択肢ではそのあたりが不明瞭でしたが、私自身の「答え」は数年前までの憲法9条とその解釈を尊重する立場だと言えます。

下っ端さんからは「北朝鮮情勢から思うこと」のコメント欄で「日本が対話する姿勢を見せないから、北朝鮮は弾道ミサイルを撃つのでしょうか。対話したら、核開発や弾道ミサイルの開発は中止してくれるのでしょうか」という問いかけがありました。私から北朝鮮を追い詰めすぎて「窮鼠猫を噛む」状態に追い込むことのほうが脅威だと感じていること、NPT体制を超えた先も展望した戦略や対話が欠かせないことを取り急ぎお答えしていました。今回の記事で前述したおり対話の継続が重要であるという見方も補足させていただきました。

さらに北朝鮮に対し、軍事的圧力を加えれば加えるほど北朝鮮側は「核・ミサイル開発は外部勢力の攻撃や侵略に対する抑止力」と喧伝していく関係性に陥っています。NPT体制を超えた先も展望した戦略と記しましたが、もちろん核兵器不拡散は重要ですが、核兵器国自体を認めないという方向性が最も望ましいものと考えています。ちなみに昨年8月には「核先制不使用、安倍首相が反対」という記事を投稿し、次のような記述を残していました。

安全保障は軍事力での抑止に依存しすぎた場合、際限のない軍拡競争に陥りがちです。さらに外交関係での疑心暗鬼は、追い詰めすぎた先の暴発や一触即発の事態を招くリスクを高めます。せめて核兵器を先制使用しないという宣言を行なうだけでも、外交関係における信頼や安心感を高めていく一因に繋がるはずです。「核の傘の抑止力が弱まる」という他力本願で後ろ向きな評価ではなく、核先制不使用は安全保障面でも前向きな発想として安倍首相や日本政府にはとらえて欲しかったものと考えています。

すべての国が核兵器を放棄する、核による軍拡競争を自制していく中で北朝鮮の核の脅威を取り除くという道筋もあり得るはずです。夢想的な理想論かも知れませんが、今月7日には国連の中で核兵器禁止条約が採択されました。「ヒバクシャにもたらせた苦痛」との一節を前文に入れ、人道的見地から核兵器の存在を否定する画期的な条約です。しかし、たいへん残念ながら日本政府は棄権し、下記報道のとおり条約に加盟しない方針を示しています。色あせ始めたとは言え、平和憲法を抱き、被爆国である日本こそ、率先して条約の採択に全力を尽くす立場であって欲しかったものと痛切に感じています。

国連会議で核兵器禁止条約が採択されたことを受け、日本や核保有国である米英仏各国は7日、条約に加盟しない方針を発表した。別所浩郎国連大使は記者団の取材に、現状で条約に「署名することはない」と強調。米英仏3カ国も共同声明で「国際的な安全保障環境の現実を無視している」と訴え、条約に署名・批准・加盟することはないと表明した。別所大使は、日本がこれまで核兵器の非人間性や安全保障情勢の双方を踏まえ、核兵器国と非核兵器国の協力の下での核廃絶を目指してきたと説明。その上で、「残念ながら条約交渉はそういう姿で行われたものではない」と語った。ただ、核兵器国と非核兵器国との信頼構築に向けて今後も尽力していく考えも示した。

米英仏の声明は「条約は北朝鮮の重大な脅威に対する解決策を提供せず、核抑止力を必要とする他の安全保障上の課題にも対処していない」と批判した。被爆者からは日本の条約不参加への不満が聞かれた。カナダ在住の被爆者、サーロー節子さん(85)は、条約採択後の記者会見で「日本は核保有国と非保有国の橋渡し役というが、(非保有国の話に)耳を傾けようという態度がない。その人たちの立場を理解せずにその役割が果たせるか」と憤った。【時事ドットコムニュース2017年7月7日

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2017年7月 9日 (日)

改憲の動きに思うこと

先週日曜に投開票された東京都議会議員選挙は都民ファーストの会が大躍進し、自民党が歴史的惨敗を喫するという結果となりました。今年5月に投稿した記事「憲法施行70年、安倍首相の改憲発言」のとおり自衛隊を憲法の中で明文化するという考え方を安倍首相は示していました。さらに安倍首相は年内に自民党の改憲案を国会に提出する方針まで打ち出していましたが、都議選の結果は改憲スケジュールまで影響を与える可能性が生じてきています。

自民党内では安倍晋三首相や執行部への不満の声が出始めた。閣僚の一人は「党内は荒れる。これで荒れなかったら自民党はなんなんだ、という話になる」と漏らした。党の憲法改正案を今秋の臨時国会で示すとした首相主導のスケジュールを疑問視する声も強まっている。 「ポスト安倍」を狙う岸田文雄外相は3日午前、東京都内で記者団に「選挙結果に国会議員の言動が影響したという指摘を多くいただいている」と敗因を指摘しつつ、「私は内閣の一員。(首相と)ともに努力しなければならない」と述べて政権を支えるとした。石破茂元幹事長は2日深夜、「都民ファーストが勝ったというより、自民党に懸念や疑問が持たれている。問われているのは自民党だ」と語った。

自民ベテラン議員は「経済最優先に戻るしかなく、憲法改正の旗は降ろすのではないか」と述べ、首相の党運営が厳しくなるとみる。中堅議員からも「憲法改正はできないし、やらせない」との声が上がった。政権内でも厳しい受け止めが相次ぐ。首相周辺は「予想外に負けた。政策的な問題ではないが、(政権への打撃は)大変なことになる」と身構えた。官邸に近い党幹部は「憲法の論議など、さまざまな国政の課題に影響が出るだろう」と語った。一方、政府高官は「党内で足を引っ張る人はいないだろう。政権運営への影響はあまりないと思っている」と党内の動きをけん制した。【毎日新聞2017年7月3日

公明党の山口代表も「経済再生、アベノミクス推進が目標だ。憲法は政権が取り組む課題ではない」と明言しています。一方で、自民党の保岡憲法改正推進本部長は「都議選の結果は党の改憲論議のスケジュールに影響しない」と述べ、安倍首相がめざす年内に党の改憲案を国会に提出する方針に変わりないことを強調しています。いずれにしても「安倍1強」が都議選を契機に崩れていくのか、一過性の落ち込みなのかどうかで改憲の動きも左右されていくような気がしています。

さて、これまで「憲法記念日に思うこと」「憲法記念日に思うこと 2009」「憲法記念日に思うこと 2014」「憲法9条についての補足」など憲法に絡む記事を数多く投稿しています。私自身の考え方を改めて申し上げれば次のとおりです。憲法さえ守れば、ずっと平和が続くというような誤解を招きかねない言い方は慎んでいます。何よりも大事にすべきことは日本国憲法の平和主義であり、専守防衛を厳格した「特別さ」だと考えています。したがって、一定の抑止力の必要性や安全保障のリアリズムを否定していません。

安倍首相は憲法9条の理念はそのままで自衛隊が違憲かどうかの議論は終わらせたいと説明しています。平和主義の効用を維持できる改憲だった場合、国民の大半は賛成票を投じるはずです。しかし、集団的自衛権の問題など解釈の変更で平和憲法の「特別さ」を削ぎながら改憲発議の中味は「憲法9条をそのまま」と説明されても理解に苦しみます。それこそ善し悪しは別にして「国防軍」を明記した自民党の改憲草案のほうが明解な選択肢であり、誠実な政治姿勢だろうと思っています。

また、どのような条文を安倍首相が想定しているのか分かりませんが、新たな矛盾や論争の芽を残す恐れもあります。このような問題意識を抱えている中、前回記事「『総理の誕生』を読み終えて」の冒頭に記したとおり図書館で『なぜ憲法学者が「野党共闘」を呼びかけるのか』という書籍を借りていました。以前の記事「『憲法改正の真実』を読み終えて」で取り上げた小林節さんの著書です。小林さんは改憲派の重鎮と呼ばれていながら立憲主義や国民主権について理解が不足している現政権に対し、護憲派も改憲派もその違いを乗り越えて対抗すべきと訴えている憲法学者です。

すぐ読み終え、「なるほど」と思えた内容が多かったため、さっそく新規記事の題材として取り上げてみます。今回「野党共闘のあり方」の問題に焦点を当てている訳ではなく、記事タイトルも長くなるため「『なぜ憲法学者が「野党共闘」を呼びかけるのか』を読み終えて」としませんでした。そのため、読み終えた著書の記述にとらわれず、小林さんが語っていた同趣旨の内容をネット上のサイトから転載させていただきます。『週刊東洋経済』のインタビュー記事『安保関連法案は、結局のところ違憲?合憲?』の中の次の一文です。

日本国憲法下では、自衛隊が他国の防衛のために海外に出ていくことはできない。憲法9条2項には「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」とある。だから、自衛隊は軍隊ではなく、警察予備隊として発足した。自衛隊はわが国の領土内で、警察や海上保安庁で対応できないほどの力が襲ってきた場合に備えるための組織であり、法的には第2警察という位置づけだ。

警察と軍隊の違いは何か。軍隊は戦争に勝つことが最優先で、大量破壊、大量殺人など通常では犯罪とされる行為が許容される。戦場で強盗などを犯すと、軍法会議という特別な法廷が開かれるが、憲法は76条2項で軍法会議を禁止している。軍法会議のない自衛隊は軍隊とはいえず、警察で交戦権もない以上は「専守防衛」に限定されると考えることは、極めて自然だ。

全体を通して興味深い書籍でしたが、特に「なるほど」と思った内容が上記のような論点でした。「自衛権に個別的も集団的もない」という理屈のもと安保法制が見直されました。上記のような論点に照らせば自衛隊の活動は領土内に限られるため、海外での活動の幅を飛躍的に広げた安保関連法は明らかに「違憲」という解釈に帰結します。これまで憲法9条の解釈が変遷してきたことも確かですが、安保関連法に関しては憲法無視の安倍政権の暴走だったことを小林さんは厳しく批判しています。

中国や北朝鮮情勢に対する見方の温度差によっても安倍政権への評価は分かれがちです。仮に情勢論から自衛隊の役割の見直しが欠かせず、憲法の「特別さ」を削ぐ必要があるのであれば96条に沿った改正の手続きに付すべきものと考えています。憲法学者の大半が「違憲」と判断した解釈変更は大きな禍根を残しています。さらに今後、憲法9条の1項と2項はそのままとしながら「自衛隊が違憲かどうかの議論は終わらせたい」という安倍首相の発想は小林さんの著書の中の「無教養な確信犯」という言葉を思い浮かべてしまいます。

冒頭に記したとおり安倍首相の企図した改憲スケジュールは修正されていくのかも知れません。しかし、いつ憲法9条の行方が問われたとしても、幅広く正しい情報をもとに判断できる環境を整えていくことが重要です。その結果、自衛隊を正式な軍隊に改め、戦争ができる「普通の国」に戻ることを国民が選択するケースもあり得るはずです。そのような選択に至った場合、それはそれで厳粛な国民投票の結果として受けとめていかなければなりません。絶対避けるべきことは不誠実で不正確な選択肢のもと憲法の平和主義が変質していくような事態です。

明解な選択肢は憲法9条の「特別さ」を維持するのか、改めるのかどうかだろうと考えています。その際、「特別さ」を維持すべきと訴える側は「憲法を守れば平和が続く」という極端な見られ方をどのように払拭していくのか、同時に「特別さ」を維持していくことが国際社会への貢献にどのようにつながっていくのか、的確に説明できる言葉を磨いていかなければならないはずです。改憲の動きに対する思いを綴ってきましたが、最後に、小林さんの著書の中で印象に残った箇所を紹介させていただきます。

戦争というものは、どんな場合もいずれくたびれて終わるのです。戦争にくたびれてきたときに、「止め男」がいると、戦争を終わらせやすくなります。そういう役割を果たせるのが、日本です。日本はキリトス教諸国とイスラム教諸国、どちらとも経済的付き合いがあり、良好な関係を築いてきました。だから、日本こそが900年続く十字軍戦争の打ち止めを手助けできるポジションにいるのです。戦争なんて人と物が消耗するばかりで、勝っても負けても何も生みません。

こういうなかで、日本がもうひとつの新しい軸を立て、調整者・仲裁者としての役割を果たすならば、そのときこそ国連安保理常任理事国にも入る資格が出てくるのではないかと思います。戦争に手を染めず、国連のよきスポンサーとしてきちんと負担金を払い、文化交流や、戦争の仲裁者として生きていけばいいのです。そうやって世界平和に貢献する。私はこれがもっとも大事なことだと思います。70年間、日本が世界史に先例のない平和大国でありつづけられたのは、ほかでもなく、憲法9条の制約があったからです。この素晴らしい地位を、安倍首相はアメリカの二軍になることによって、かなぐり捨てようとしている。本当に愚かで、もったいないことです。

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2017年7月 2日 (日)

『総理の誕生』を読み終えて

時間調整のために立ち寄った駅前の図書館で、書架に『総理の誕生』が並んでいることに気付きました。これまで著者の立場性にこだわらず、幅広い内容の文献を読むように心がけています。ただ興味を持った文献でも千円を超えるハードカバーの書籍は買うのをためらっています。そのような優先順位だった『総理の誕生』を見つけ、すぐ借りることを決めました。久しぶりの図書館利用にあたって、せっかくの機会でしたので、もう1冊借りることにしました。

次に手にしたのは『なぜ憲法学者が「野党共闘」を呼びかけるのか』で、その2冊を貸出カウンターに持ち込みました。図書館の利用は本当に久しぶりで、カードの更新手続きから必要とされました。顔見知りの職員から「顔パスはできず規則で申し訳ありませんが、本人確認のための免許証等を提示願えますか」と説明を受け、決められたルールに沿った手続きを経て2冊借りてきました。

『総理の誕生』の著者は産経新聞の政治部編集委員の阿比留瑠比さんです。昨年9月に「『総理』を読み終えて」「『総理』を読み終えて Part2」という記事を投稿していましたが、『総理』の著者は山口敬之さんでした。その山口さんと並び称される安倍首相に近しいジャーナリストとして阿比留さんも有名な方です。山口さんと言えば「準強姦疑惑」が取り沙汰され、被害女性から不起訴不当と訴えられています。安倍首相と近しい間柄だから逮捕を免れたという疑惑もかけられていますが、そのようなことが事実だった場合、前代未聞の話だろうと思っています。

今回の記事タイトルは「『総理の誕生』を読み終えて」としていますが、横道にそれているような話にも触れながら書き進めていくつもりです。ちなみに山口さんの話は準強姦容疑で逮捕状が発布されながら逮捕直前で逮捕の執行が見送られていました。安倍首相が直接関与したという疑惑ではありませんが、このような事実関係に至った経緯は現時点まで不明瞭なままです。マスメディアではあまり取り上げていなかったため、この機会にマイナーな情報を提供する場として触れさせていただきました。

『なぜ憲法学者が「野党共闘」を呼びかけるのか』の著者は憲法学者の小林節さんです。2冊ともたいへん読みやすく、数日で読み終えていました。「なるほど」と思えた内容が多かったため、こちらの著書に絡んだ話も次回以降の題材として考えています。今回の記事は阿比留さんの著書『総理の誕生』に絞り、前述したとおり時事の話題を交えながら内容の紹介や私自身の感想を添えさせていただきます。まず例によって著作権はもちろん、ネタバレに注意するためにも書籍を宣伝する次の言葉を紹介します。

産経新聞政治部の名物記者が描く、知られざる安倍晋三の肉声秘話。第一次政権の失敗とは何だったのか。あのときと現在では何が違うのか。築き上げてきた政治的資産のみならず、政治生命すら失いかけた失意のどん底から、再びここまで上り詰められたのはどうしてか。人によって好き嫌いも評価もくっきりと二分される安倍とは一体、何者であり、どんな政治家なのか。慰安婦問題、拉致問題、教科書問題、靖国神社参拝問題、日米同盟と対中関係、対メディア、消費税増税といった諸問題について、どう考え、何を語ってきたのか。98年、まだ若手だった安倍晋三に密着取材して以来、記者として18年以上もウォッチし続けてきた著者が、直接、安倍と話をし、また見聞し、現場で体験し、考えてきたことをそのまま記した。

著書の序章で阿比留さんは「一人の国民としては特に歴史認識問題や外交・安全保障問題で期待と共感を寄せてきた。また、その人柄に触れて人間としての感情移入もしてきた」と記しています。その上で、阿比留さん自身の視線と記憶を重視し、世間の一般的な評価はあえて考慮せず、阿比留さん自身が見たまま聞いたままのエピソードの再現を中心に構成したと説明しています。つまり事実関係を中心に綴りながらも、その事実関係に対する評価や表現の仕方は主観的なものであることを冒頭に宣言しています。

一方で『総理』の著者の山口さんは「取材対象に近すぎる」という批判の声があることを自覚しながら「私は親しい政治家を称揚するために事実を曲げたり捏造したりしたことは一度もない」と記し、「事実に殉じる」という内なる覚悟を示された上、独善的な視点に陥らないよう自ら戒めながら取材を続けていくつもりである、という言葉を「あとがきにかえて」に残していました。阿比留さんも事実を曲げたり捏造したりしていないはずであり、最初に自分の「視線と記憶を重視」と明かしているほうが潔いようにも思えます。

このように阿比留さん自身、安倍首相の熱烈な支持者であることを包み隠さずに綴られた著書であり、最初から最後まで安倍首相の考え方や言動を高く評価する内容が掲げられています。安倍首相が衆院議員初当選の時代から問題意識を持っていた政策や理念を実現するために総理大臣になっていること、律儀で優しく、真面目さと頑固さを併せ持ち、勉強家で記憶力の素晴らしさ、外交能力の高さなどを示す記述が具体的なエピソードとともに随所に掲げられています。

阿比留さんの目から見れば安倍首相以外の総理大臣は何かしら欠点があり、資質や能力が不足した人物だったようです。この著書だけを読んだ場合、本当に素晴らしい総理大臣に恵まれた現状だと言い切れることになります。今回のブログ記事では個々の理念や具体的な政策の是非論まで話を広げませんが、安倍首相の考え方や立場性を強く支持される方々にとって1日でも長く続けて欲しい総理大臣であることがヒシヒシと伝わってきました。

このような著書にも触れているため、安倍首相が「国民を豊かにするため」「平和を守るため」という信念のもとに様々な政策判断を重ねているものと信じれるようになっています。しかし、安倍首相の進める政策や振る舞いに対し、何が正しいのか、どの選択肢が正しいのか、色眼鏡を外して見ていった場合、これまでのブログ記事に綴っているような問題意識や指摘につながっていきます。そのような意味で、私からすれば阿比留さんが好意的に評価しがちとなる色眼鏡をかけているような印象も否めませんでした。

必ず成し遂げると思い定めて述べたことが、結果的に実現できないということも多々あろう。ただ、何かを尋ねた時の安倍は「それはまだ言えない」「分からない」「決めていない」と言葉を濁すことはあっても、その時点で事実とは異なること、いい加減なことを言うことはない。政治家や官僚の中には、公の記者会見などの場でも平気で都合のいい嘘をつく者が珍しくないが、安倍ははるかに誠実なのである。そんな人間性すら当時は軽蔑とからかいの対象とされたのだった。

上記は短命だった第1次政権の頃の安倍首相に対する評価の記述で、正直の上に「バカ」がつくと揶揄されていたそうです。阿比留さんは「安倍のこうした愚直なまでの真面目さや同志の議員らに示す優しさ、国民に直接向き合おうとする姿勢は、かえって政治家としての弱さだと受け取られた」と記しています。このあたりの記述を読み、「なるほど」と理解したことがあります。勝手な推測かも知れませんが、奇跡的な復活を遂げた第2次政権以降、安倍首相は周囲から軽蔑されないように「平気で都合のいい嘘をつける」強い政治家に変わったのだろうと感じ取りました。

安倍首相は講演の中で「1校に限定して特区を認めた中途半端な妥協が、結果として国民的な疑念を招く一因となった。地域に関係なく、2校でも3校でも、意欲ある所にはどんどん新設を認めていく」と述べ、今治市以外の獣医学部新設を突然表明しました。講演の後、日本テレビのインタビューに安倍首相は「あまりにも批判が続くから、頭に来て言ったんだ」と答えていました。第1次政権の頃の安倍首相であれば、このような「いい加減なこと」は絶対言わなかったのかも知れません。

安倍首相が将来の総理大臣候補に目している稲田防衛相は都議選候補の応援演説の中で「防衛省、自衛隊、防衛相、自民党としてもお願いしたい」という行政の中立性を逸脱した発言を行ない、野党側から「即刻辞任すべきだ」と強い批判を受けています。重大な問題発言であることに間違いありませんが、実際に組織ぐるみの選挙戦を企図していた訳ではないため、記者会見では「誤解を招きかねない」という釈明を繰り返しています。

ただ発言直後、自分の発した言葉の問題性を充分認識されていなかったようであり、そのことのほうが防衛相という重責に対する見識や資質を厳しく問われなければなりません。そもそも稲田防衛相は弁護士であるのにも関わらず、法的な問題性や重大さをしっかり理解されていなかったことにたいへん驚いています。ちなみに稲田防衛相の失言や失態は今回が初めてではありません。「初犯」ではないという同じようなケースで失言した今村前復興相は安倍首相から即日辞任を強いられていました。

最近、都議選を意識したかのようなタイミングで自民党政治家の失態や疑惑が次々に明らかになっています。安倍首相の側近の一人である下村幹事長代行の場合、加計学園の秘書室長からパーティ券200万円を受け取ったことがスクープされています。今後、どのような展開になっていくのか分かりませんが、第1次政権の時と同様、稲田防衛相や下村幹事長代行らに対して「同志の議員らに示す優しさ」と揶揄されないような対応が安倍首相には求められていくのではないでしょうか。

初めにお伝えしたとおり横道にそれた話が多くなりました。もう一つ加えれば、都議選投票日の前日、下記報道のとおり安倍首相は秋葉原駅前で街頭演説を行ないました。「帰れ」コールに対し、「こんな人たちに負ける訳にはいかない」と力説した時、黙って演説を聞いていた方が「こんな人ってなんだ。都民だ、国民だよ」と声を上げたそうです。最後に、この記事は都議選の投票日に投稿しているため、すでに結果が示された後、閲覧されている方のほうが多いはずです。選挙結果は事前の予想通りとなるのかも知れませんが、新たな都政の混乱や停滞の始まりにならないことを心から願っています。

安倍晋三首相(自民党総裁)は1日夕、東京都千代田区のJR秋葉原駅前で、都議選(2日投開票)の応援演説を、初めて街頭で行った。学校法人「加計学園」の獣医学部新設などをめぐり政権への批判が高まっており、聴衆の一部から「安倍辞めろ」「安倍帰れ」コールが巻き起こった。同駅前には、自民党の支援者が集まり、日の丸の小旗を振る姿などが見られた。一方で、「安倍政治を許さない」「国民をなめるな」「臨時国会をいますぐ開け」などの横断幕やプラカードを掲げる一団も。

党関係者が「自民党青年局」と書かれた旗を林立させて、プラカードなどを見えなくしようと対抗した。首相の演説が始まっても「辞めろ」「帰れ」コールはやまない。これに対し、首相が「人の演説を邪魔するような行為を自民党は絶対にしない」「憎悪からは何も生まれない。こういう人たちに負けるわけにはいかない」と声を張り上げる一幕もあった。首相はこれまで、ヤジが飛ぶ可能性が高い街頭で演説は行わず、党支援者が多い小学校の体育館に限っていた。都議選での街頭演説は、この日が最初で最後となった。【朝日新聞2017年7月1日 

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