北朝鮮情勢から思うこと
このブログのタイトルは「公務員のためいき」です。地方公務員であることを明らかにしながらも職員労働組合の役員の立場からの内容の投稿を専らとしています。その意味で立場を使い分けていると言えます。しかし、地方公務員として問題視されるような書き込みは一切避けています。個人情報や信用失墜につながる書き込みをはじめ、特に地方公務員法36条と政治活動との絡みは細心の注意を払っています。
仮に地方公務員の立場を明らかにせず、私人の一人として匿名の書き込みだった場合でも法に抵触するような行為は慎まなければなりません。追及された際、「公務員の立場ではなく、一私人や組合役員の立場での書き込み」と釈明しても許されないのではないでしょうか。前回記事「憲法施行70年、安倍首相の改憲発言」で取り上げた安倍首相の自民党総裁と総理大臣という立場の使い分けが国会で追及されました。
この問題での質疑の中で安倍首相から「読売新聞を熟読してもらえばいい」という発言が飛び出しました。委員会室は騒然となり、予算委員会の浜田委員長から安倍首相が注意される場面もありました。最近、安倍首相の「だから民進党は支持率が上がらない」という一言を添える答弁も目立っています。このような不誠実な対応が続いても支持率に影響しないため、ますます自分の言動や判断は「すべて正しい」という驕りのスパイラルにつながっているように危惧しています。
『報道ステーション』のコメンテーターの後藤謙次さんが「安倍政権はタカが外れている」と批判されていますが、私自身も同じような問題意識を抱きつつあります。一方で、このような批判意見に対してフリーアナウンサーの長谷川豊さんは「報ステの後藤さんはそろそろ病院に行った方が良いのではないか?」というブログ記事を投稿していました。いつものことながら基本的な視点や立場が異なると同じ事象に接していても、人それぞれの感じ方や受けとめ方が大きく分かれていくことを痛感しています。
立場や視点が大きく異なるため「あの人たちと議論しても仕方ない」というように突き放した場合、それぞれの間にある「溝」が絶対埋まることはありません。違いは違いとして認め合い、お互いの正しさを主張し合う機会や接点を持つことが大切です。そのような意味で、多様な意見を伺うことができる当ブログのコメント欄は本当に貴重な場だと考えています。できれば安倍首相を批判的に見られている方も当ブログを閲覧されているはずであり、そのような視点からのコメントも増えていけば、いっそう厚みのある場になるものと見ています。
さて、前回記事に寄せられたnagiさんからのコメントに対し、私から次のようにお答えしていました。ご指摘のとおり守るべきものは「平和憲法」ではなく、「平和」であることです。そのためにどのような国のあり方が重要なのか、あらゆることを想定していかなければなりません。その「答え」は個々人で異なるのかも知れませんが、より望ましい判断を下すために多面的な見方をもとにした議論や検討が大切だろうと思っています。前回記事を通して訴えたかった点も以上のような論点でした。
重視すべきことは日本国憲法の「特別さ」であり、平和主義の効用です。このような点を広く理解し合った上で、どのような立ち位置で日本は国際社会の中で振る舞うべきか、国民一人ひとりが問われているものと受けとめています。直面している具体的な設問は北朝鮮の情勢をどのようにとらえるべきかどうかです。安倍首相は北朝鮮との関係で「対話のための対話では意味がない」と強弁しています。自分自身の職務に照らして「対話と圧力」という言葉は外交交渉において首肯できる側面があります。
しかしながら「対話のための対話は意味がない」と言い切ってしまった場合、お互いの正しさが相反する者同士、交渉のテーブルに着くことができなくなります。安倍首相、つまり日本政府は北朝鮮との対話は一切受け付けないというメッセージを与えていることになります。圧力や制裁一辺倒、もしくは軍事攻撃に積極的な姿勢を示した言葉だと指摘されても否めない語感があります。専守防衛を原則とした平和憲法を持つ日本の首相の発言として、物凄い違和感と悲しい気持ちを抱きました。
そもそも国際社会の中で中国やロシアをはじめ、周辺諸国の大半は「対話を通じた平和的解決」を求めています。空母や原潜で圧力をかけていたアメリカのトランプ大統領も「環境が整えば会談も」というメッセージを送っています。安倍首相は強い言葉を前面に出している一方で、「対話の窓口は閉ざすことなく」という言葉も付け足していると釈明されるのかも知れません。ここで以前の記事「人質テロ事件から思うこと」を思い出す訳ですが、安倍首相の強い言葉が結果として日本人に災厄をもたらしていました。
窮鼠猫を噛む、追い詰めすぎた結果、ミサイルが発射され、1発でも日本国内に着弾した場合の被害の大きさははかり知れません。安倍首相が「いかなる事態でも国民を守り抜く」という強い言葉で語られたとしても、ミサイル防御面で100%の完璧さを信頼できるのでしょうか。0.1%でも防ぎ切れない可能性が残るのであれば、絶対発射させないという方策に全力を尽くすことが最も重要であるはずです。
在日米軍基地があり、同じ民族の住む地ではない日本のほうが標的にされやすい中、相手側を挑発するような強い言葉が有益なのかどうか甚だ疑問です。そもそも日本国憲法における平和主義の効用を踏まえれば、日本は軍事攻撃を自制する側に回り、相手が対話を望む際の窓口や仲介役になれる立場をめざして欲しいものと願っています。たいへん残念ながら安倍首相はその真逆の発想で強い言葉を発し、国民に対して必要以上に危機感を煽っているように見受けられます。
北朝鮮がミサイルを1発でも実戦使用した場合、総攻撃を受け、国が滅びる事態を認識しているはずです。つまり圧倒的な軍事力の差を知らしめるだけで北朝鮮に対しては充分抑止力が働いているものと見ています。弾道ミサイルが発射された際の政府の作成した対応マニュアル等を見ると、戦時中の空襲に備えたバケツリレーの訓練風景と重ね合わせてしまいがちです。B29による大空襲の前にそのような訓練が役に立たなかったことを忘れてはなりません。
今回のマニュアルがまったく役に立たないとは言い切れないのかも知れません。あらゆることを想定し、準備できることを準備していくことも大切です。しかし、最も大切なことは発射させないことであり、追い込みすぎないことだろうと考えています。韓国国民も北朝鮮との対話を重視した文在寅候補を大統領に選びました。これからも対話だけで北朝鮮を巡る様々な問題の解決が難しいことも確かです。それでも甚大な被害が見込まれる軍事衝突は避けることを大前提に対話と経済的な圧力を駆使していくべきではないでしょうか。
北朝鮮情勢を受け、個人的な問題意識や思うことを書き進めてきました。ここまで「危機」という言葉を使っていませんが、「北朝鮮危機を煽っているのは世界中で日本の総理大臣だけ」という見方がその通りだろうと思っているからです。今回の記事、決して安倍首相「批判ありき」の内容としている訳ではありません。それでも最後に、自分で綴る文章であれば違った表現や言葉を選んでいる箇所が多々ありますが、幅広い情報を拡散する目的のもと『LITERA』に掲げられた記事の全文をそのまま紹介させていただきます。
まったく懲りないとしか言いようがない。4月29日の北朝鮮が弾道ミサイルを発射したことを受けて、またもやマスコミが大騒ぎを繰り広げた。いや、マスコミだけじゃない。東京メトロは午前6時7分から約10分間にわたって全線の運転を見合わせ。JR西日本も北陸新幹線を午前6時8分ごろから運転を一時見合わせたのだ。北朝鮮のミサイル発射なんてこれまで何度もおこなわれているのに、何をパニックになっているのか。ミサイル発射後の約40分後に運転を止めたところで、何の意味もないだろう。
しかも、一番危険な原発は止めずに、そのまま平気で放置して、国民の重要な移動手段をストップさせるという本末転倒ぶりである。何度でも言うが、仮に北朝鮮が核実験やICBMの発射実験を行ったとしても、すぐに北朝鮮から日本にミサイルが飛んでくるわけじゃない。それは米国の先制攻撃を受けての報復であり、その米国の先制攻撃の前には、米政府が20万人いるといわれる在韓米国人に退避勧告を出す。それもないのに、北朝鮮から日本にミサイルが飛んでくるなんてことはありえないのだ。日本のパニックぶりはもはや笑うしかないが、この滑稽な事態にあの橋下徹でさえ自制を促すツイートを連投した。
橋下は、ミサイル発射を受けて東京メトロが運転を見合わせたことを、滞在先の韓国から〈こちらソウルではそんなことは全くなく普通の一日〉と投稿。日本と同様に北朝鮮vsアメリカの危険に晒されているはずの韓国は平穏だと証言した。そして橋下は、このように現況への私論を投稿した。〈日本は憲法9条下の国造りでこういう事態には全く耐性がない。そんな日本が米朝のチキンレースに参加すべきではない〉〈トランプ氏や安倍首相、そして威勢のイイ面々には、狂った北朝鮮のすぐ横には我々と同じ普通の市民の大切な暮らしがあることを想像して欲しい〉 憲法改正論者である橋下の9条バッシングはさておき、そんな橋下でさえ、現在、繰り広げられている米朝の対立は〈チキンレース〉だと言うのである。
また、元防衛大臣でタカ派政治学者の森本敏・拓殖大学総長も、先週放送された『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)のなかで、こう言いきっていた。「世界中で、朝鮮半島を煽っているのは日本のメディアと日本の総理大臣だけだと、何度も言われます」 世界のなかで「安倍首相だけ」が危機感を煽り、それにメディアが追随している──つまり世界中で日本だけが、総理が「北朝鮮が危ない!」と騒いで、メディアと国民が「怖い!」と叫ぶ「ガラパゴス」状態に置かれているというのである。
事実、安倍首相はこれまで、北朝鮮の危険性を国民に向けてさんざん煽ってきた。国民の安全を考えればトランプ大統領の北朝鮮に対する強硬姿勢を制止すべき立場にあるというのに、安倍首相は同調どころか後押しする。その一方で、「北朝鮮はサリンを弾頭につけて着弾させる能力をすでに保有している可能性がある」と言い出したり、「現実から私たちは目を背けることはできない」などと語っては、ミサイルの脅威を煽った。
さらに、先月11日には、外務省が韓国への滞在者や渡航者に対して注意を促す海外安全情報を出し、21日には内閣官房が弾道ミサイル落下時の対応について公開。自治体へも周知の徹底を呼びかけたことから、県や市町村のHPでも同様に「武力攻撃から身を守る」方法が掲載されたり、小学校などでもプリントが配布されるように。また、24日には首相官邸がメールマガジンでミサイル警戒情報を発信した。こうして国民は、「ミサイルが落ちたらどうしよう」と気が気でない日々を送ることになったのだ。
だが、どうだろう。そうやって危機を煽る本人は、北朝鮮で故・金日成主席生誕105年記念日の軍事パレードが行われた同日に、恒例の「桜を見る会」を開催。さらに今回も、昭恵夫人を伴って外遊に出かけ、滞在先のロンドンから現地時間29日午前に開かれた記者会見で「ときには仕事を忘れて休日を楽しんでいただきたい」などと悠長なコメントを発表している。この事実をひとつとってもわかるように、安倍首相はいま、日本が脅威に晒されてなどいないことをよく知っているのだ。
アメリカの先制攻撃がまだまだ現実味を帯びるところまでいっていないことを理解しているから、安倍首相は言葉とは裏腹に安穏と外遊に出かけられるのである。いや、安倍首相だけではない。このGWには、安倍首相のみならず20人いる大臣・副大臣のうち、なんと11人が外遊のために出国。4月30日から5月3日までの期間にいたっては、外交窓口である外務省の岸田文雄外相ならびに岸信夫・薗浦健太郎外務副大臣が日本に不在で、実際、岸田外相は29日のミサイル発射を受けて、訪問先のトルクメニスタンで北朝鮮を非難する声明を出した。
安倍首相を筆頭に大臣がそろって「北朝鮮が危ない!」と連呼するから国民は戦々恐々としているのに、その当事者が日本にいない。これがすべての現実を表しているだろう。まったくこの詐欺的態度には反吐が出るが、安倍首相が、ここまで北朝鮮危機を煽った最大の目的はやはり、国民の目を森友問題からそらせるためだろう。実際、森友問題はその後も、財務省と籠池理事長夫妻の面談録データ音など、新たな証拠が出てきているが、ワイドショーなどは北朝鮮危機一色でほとんどまともに取り上げなくなった。しかも、国民に有事を煽ることは、安倍首相の野望を実現させる地ならしになる。
政府が「北朝鮮の脅威に晒されている」と喧伝して、そうした不安が拡大する社会の空気をつくり出せば、9条改正も、集団的自衛権の発動も、共謀罪も、世論は「防衛のために必要」と判断する。もちろん、「強い総理」として支持率も上がる。実際、週刊誌報道によると、安倍首相は3月頃はかなり追い詰められていたが、北朝鮮情勢が緊迫してきてから「ツキが回ってきた」と俄然、元気を取り戻したらしい。世界でたった一国、この島国だけが、総理によって捏造された不安に躍らされている──その事実を国民は冷静に受け止めなくてはならない。【LITERA2017年5月1日】
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コメント
ほんとに「アレルギーが強い」から、良くも悪くも「アレルギー反応によるショック症状」も強いのでしょうね。
危機を煽る?側も、それを批判する側も、どちらも必要以上に騒ぎすぎ。
以下は、「外遊」という言葉の意味が正確に理解されているという前提で。
国会会期中なんで、日本がGWで国会も事実上のお休みになるこの1週間しか国外で外交する機会がないのも事実でして、GW中には各大臣の外国訪問が集中するのは避けられないと思います。
今回の各大臣の日程や報告を見る限りは、結構なハードワークで「遊び」に行ってるわけではないし。
外交的な解決を目指す必要があればこそ、国外に出向いて外交を行うのは大事なこと。
「少くとも、GW中に危機が現実化することはないと言う判断」と、「近い将来に危機が生じる可能性があると言う判断」は両立するので。
危機が生じる可能性があればこそ、各国に足を運んで外交をするというのも大事。
とりわけ、内閣総理大臣の訪問したロシアとイギリスは鍵になる国なので、ワタクシは是としてますけどね。
一部予定はキャンセルして日程は短縮されたし、臨時代理は発令されていたのだし、内閣総理大臣臨時代理予定者全員が同時に国内にいなかったわけではないのですし。
確かに、外務大臣と副大臣が同時に居なかったのはどうか?と思うですけど、大臣の臨時代理は発令されていたのだし、外務省の政務三役だからこそ各国に足を運ぶ意義があるのも事実なので。
GWだからこそ、そろって国外に出張できるというのも一つの側面なので。
投稿: あっしまった! | 2017年5月13日 (土) 23時25分
あっしまった!さん、コメントありがとうございました。
主に『LITERA』の記事に対するご指摘かも知れませんが、掲載した責任上、一言だけ私なりの見方を添えさせていただきます。
閣僚らの外遊自体を批判している訳ではなく、北朝鮮情勢に対する最近の政府側の煽り方との落差を取り上げた記事内容だと理解しています。そのようなことは充分承知での投稿でしたら余計な補足で、たいへん失礼致しました。
投稿: OTSU | 2017年5月14日 (日) 07時20分
北朝鮮、また弾道ミサイルを発射しましたね。
それも、新型タイプとも言われているようです。
日本が対話する姿勢を見せないから、北朝鮮は弾道ミサイルを撃つのでしょうか。
対話したら、核開発や弾道ミサイルの開発は中止してくれるのでしょうか。
最近、ニュースにもならないくらい常態化しているようですが、中国は相変わらず尖閣にちょっかいを出しまくっているようですし。
対話したら、もしくは尖閣を差し出せば、中国の脅威はなくなるのでしょうか。
どうやったら北や中国といった近隣国からの脅威がなくなるのか、教えてください。
投稿: 下っ端 | 2017年5月14日 (日) 19時26分
下っ端さん、コメントありがとうございました。
私自身は今回の記事の中で綴ったとおり北朝鮮を追い詰めすぎて「窮鼠猫を噛む」状態に追い込むことのほうが脅威だと感じています。もちろん北朝鮮の核開発を認めるつもりはありませんが、NPT体制を超えた先も展望した戦略や対話が欠かせないように思えています。
近隣国の脅威の問題に関しても下記の記事を通して私なりの思いや「答え」を綴っています。このような「答え」が下っ端さんのような見方をされている方々と少しでも理解し合えるよう今後も記事本文を通して訴えさせていただくつもりです。その際にもっと具体的な話を書き込みますので、今回のレスが抽象的な言い回しの多いことについてご理解ご容赦くださるようお願いします。
2017年2月11日(土) 何が正しいのか、どの選択肢が正しいのか
http://otsu.cocolog-nifty.com/tameiki/2017/02/post-6f6e.html
投稿: OTSU | 2017年5月14日 (日) 22時19分
本文の引用で、OTSU氏は時々LITERAの記事を引用してるの
ですが、このサイトはレッテル貼りや侮蔑する発言が多い
ことはご存じのはずです。
それでも引用するということは、それらを許容してる
あるいは受け入れていると見做すことができます。
単純に記事を紹介してるでは説明できないことがらですね。
ファシズムを賛美するつもりはなくてもナチス風の似た
衣装を着ても批判される世の中です。
LITERAの記事を紹介するOTSU氏はこのサイトに蔓延する
侮蔑と嘲笑とレッテル貼りを許容してると私は理解してます。
>http://lite-ra.com/2017/05/post-3156.html
投稿: nagi | 2017年5月15日 (月) 11時29分
>http://www.peace-forum.com/top-rank/20170516.html
この記事を見てると、運動がより内向き内向きに進んで
るように見えますね。
なぜなんでしょうね。私が偏った人間だからなのか
それとも歪んだ見方をしてるからなのか。
私は何度読んでも、このような発言と行動は、サラリーマン
を中心とするサイレントマジョリティーに響くとは
到底思えません。まあ同じような考えをもつ内向きの
運動として意味もあり成果もあると思いますがね。
政権を担うことが目標の民進党の議員も参加してますが
現実の危機を考えれば悠長なことをしてるようにしか
見えない。本当に政権を取りたいと考えてるのか甚だ
疑問です。
真ん中から離れていくほど困難だと思うのですがね
投稿: nagi | 2017年5月17日 (水) 17時09分
まず、この問題については、
現政権に親和的な立場の人にも、批判的な立場の人にも、その政治的な立ち位置に関わりなく、一言言いたいわけです。
==========
政治的な思惑から、この件で はしゃがない でください。
政治的な思惑から、この件で 遊ばない でください。
政治的な思惑から、対応や検討の 邪魔をしない でください。
==========
ワタクシが引用された記事に対する反論だけを投稿したのはですね、「政権の対応を批判すること」を否定してるわけではないからなんですよ。
ただ、「批判するにしても、批判のやり方・言い方・論じ方はあるでしょう」ってことで、「政権を批判したいのではなく、安倍政治なる何か?を批判したい人たちの批判のあり方」に苦情を言いたいわけです。
大体、「原発は動いてたら危険で、止まってたら危険じゃない」とかいう論法で批判をする時点で、正直勘弁してほしい。
動いて居ても居なくても、そこに大量の放射性物質があることは変わらないのだから、「早く廃棄物処分場を造って埋設すべきだ。原発プラントに置いておくのは危険だ」という批判なら、そういう考え方もあるだろうと思うけれども。
冷戦期のスイスみたいに、
家を新築するときは居住する人数をカバーできる核シェルターの設置を法律で義務づける
とか、
各家庭に民間防衛という冊子を配って、核兵器を撃ち込まれたときの対策として取るべき行動、各戸に設置されたシェルターに蓄えておくべき備蓄物の分量を知らせておく
とか、
韓国のように、北からの攻撃に備えた避難訓練(公共のシェルターへの避難訓練)を日常的に行ってるとか、
そういう事前の備えがまるでない日本に於て、
「撃たせないことが大事」なのは当然だけれども、そればかりを念仏のように唱え、憲法という文字の羅列を経典のように扱っても、「撃たれたときに0.001%でも生存率を上げる対応すら否定する(竹槍とか揶揄する)」のであれば、
「専守防衛体制ですら成立しない」のですよ。
※憲法を憲法として扱うのは当然です。念のため。
投稿: あっしまった! | 2017年5月19日 (金) 22時18分
nagiさん、あっしまった!さん、コメントありがとうございました。
念のため、今回の記事本文にも託しているつもりですが、平和憲法さえあれば日本は平和であり続ける、そのような考え方は持っていません。その上で最適な「答え」を模索しています。
あっしまった!さんらの問題意識はしっかり伝わってきます。共有する点、少し異なる点、様々なのかも知れませんが、私は私自身の問題意識を当プログの記事本文を通して今後も発信していくつもりです。
なお、nagiさんから『LITERA』の記事紹介に関わるご指摘がありました。取り急ぎコメント欄でお答えすべきなのかも知れませんが、この点については新規記事の本文で考え方を伝えさせていただきます。ご理解ご容赦くださるようよろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2017年5月20日 (土) 06時23分