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2017年5月27日 (土)

共謀罪の構成要件を厳しくしたテロ等準備罪

このブログに向き合うことで言葉を磨く鍛錬を続けられています。自分自身の問題意識をどのような言葉に託せば不特定多数の方々にも届くのだろうか、いつも頭を悩ましています。最近、頻繁に使っている言葉として、次のような趣旨の記述があります。その時々で少し言い回しが異なっていますが、提起したい論点はいつも同じです。直近の記事「李下に冠を正さず」の本文とコメント欄に記した言葉を改めて掲げさせていただきます。

物事を適切に評価していくためには、より正確な情報に触れていくことが欠かせません。誤った情報にしか触れていなかった場合は適切な評価を導き出せません。また、情報そのものに触れることができなかった場合、問題があるのか、ないのか、評価や判断を下す機会さえ与えられません。最近、特に幅広い情報に触れていくことの大切さを痛感し、何が正しいのか、その判断は正しいのか、「誰が」や「どの政党が」に重きを置かない思考に努めたいものと考えています。

今回、上記の論点を次のような言葉に置き換えてみます。安倍政権を批判、もしくは擁護する場合も、より正しく、より多面的な情報をもとに判断すべきものと考えています。昨年11月に投稿した記事「自衛隊の新たな任務、駆けつけ警護」の冒頭で、想定外の値段だった菓子パンの話を取り上げました。475円という値段を知った上で買うか買わないかを決める、つまり駆けつけ警護とはどういうものなのか、南スーダンの情勢はどういうものなのか、できる限り理解した上で自衛隊の新任務の是非を判断する、このような情報把握の必要性を例え話として挿入していました。

今年3月には「テロ等準備罪、賛否の論点」という記事を投稿していました。以上のような問題意識があるため、「反対ありき」の内容とせず、この法律が必要であるという自民党の河野太郎衆院議員の主張なども紹介していました。ちなみに3月の時点ではテロ等準備罪と呼称してブログ記事をまとめていました。最近、テレビから共謀罪の構成要件を厳しくしたテロ等準備罪という長い呼称が耳に残るようになっています。改めて調べてみると3月の段階で、この法案の呼称を巡って各メディアの立ち位置が分かれていたようです。

21日にも閣議決定される組織犯罪処罰法改正案について、報道機関ごとに表記や説明が分かれている。毎日新聞は「『共謀罪』の成立要件を絞り込み『テロ等準備罪』を新設する組織犯罪処罰法改正案」と書き、見出しはかぎかっこ付きで「共謀罪」と表記している。一方で政府の説明通りに見出しを「テロ等準備罪」などとする報道機関もある。

与党の法案審議を報じた今月中旬の在京紙を比較すると、見出しを「共謀罪」とするのは毎日を含め4紙、読売は「テロ準備罪法案」、産経は「テロ等準備罪」だった。また、NHKもテロップに「テロ等準備罪」と表記した。法案の説明でも2000年代に3回廃案になった共謀罪との関係についての評価は各社ごとにそれぞれ差があった。説明の違いは、各報道機関の世論調査の結果にも表れるようになった。

毎日の11、12日の世論調査では「政府は、組織的な犯罪集団が犯罪を計画した段階で処罰する法案を今の国会に提出する方針です。対象になる犯罪を当初予定していた700弱から半分以下に減らしましたが、一般の人も捜査対象になるとの指摘があります」と問い、「反対」41%、「賛成」30%だった。一方「政府が、組織的なテロや犯罪を防ぐため、犯罪の実行前の段階でも処罰できるよう、『共謀罪』の構成要件を厳しくして『テロ等準備罪』を新設する法案」と説明するNHKの10~12日の世論調査では、法整備が「必要だ」45%、「必要でない」11%、「どちらとも言えない」32%となった。【毎日新聞2017年3月20日

数日前、イギリスのマンチェスターでコンサート会場を狙ったテロ事件が起きました。無差別に多くの方々を死傷させる卑劣なテロ行為は絶対許されません。このようなテロを未然に防ぐための手立てを全力で構築するという考え方は誰も否定できないはずです。上記の世論調査結果のとおりテロを防ぐための法案が必要かどうか尋ねられれば「必要だ」と答える方が多くなることは必然です。

組織犯罪処罰法改正案、共謀罪の構成要件を厳しくしたテロ等準備罪、いわゆる共謀罪、いろいろな呼び方ができますが、引き続き当ブログではテロ等準備罪と記していきます。印象を大きく左右する呼び方は非常に重要ですが、それ以上に法案の中身の是非が最も重要だろうと考えているためです。これまでも安保関連法を「戦争法」と呼ばず、安保関連法と記してきました。さすがに正式な法律名の略称かも知れませんが、頭に「平和」を付けることには抵抗感があります。

安倍首相は野党の質問に対し、たびたび「印象操作は良くない」と切り返しています。一方で法案の名称等は政府与党側が決める訳であり、テロ等準備罪一つ取っても国民から受け入れやすいように「印象操作」を行なっているように思えてなりません。そもそも2月の段階で「テロ」という用語が一切入っていない法案を準備していました。この点を指摘された後、3月になって「テロリズム集団その他の組織的犯罪集団」という用語を付け加えていました。

テロ等準備罪、賛否の論点」の中で様々な矛盾点を紹介しましたが、どうしてもテロ対策を前面に出すことで国民からの反対の声を緩和するという意図を推測してしまいがちです。475円の菓子パンや駆けつけ警護の問題意識と同様、共謀罪そのものが必要であるという説明を真正面から尽くし、その上で国会や国民に対して法案の可否を求める関係性が欠かせないものと強く感じています。さらに国連の国際組織犯罪防止条約に批准するための法整備ですが、国連特別報告者から「プライバシーや表現の自由を不当に制約する恐れがある」と懸念した書簡が安倍首相あてに送られていました。

19日に衆院法務委員会で可決された「共謀罪」の趣旨を含む組織的犯罪処罰法の改正について、特定の国の人権状況などを調査・監視・公表する国連特別報告者で、「プライバシー権」担当のジョセフ・カナタチ氏(マルタ大教授)が、「プライバシーや表現の自由を制約するおそれがある」として懸念を表明する書簡を安倍晋三首相あてに送った。18日付。書簡は「法案の成立を急いでいるために十分に公の議論がされておらず、人権に有害な影響を及ぼす危険性がある」と立法過程の問題にも言及している。

内容については、①法案の「計画」や「準備行為」が抽象的で恣意的な適用のおそれがある②対象となる犯罪が幅広く、テロや組織犯罪と無関係のものを含んでいる――などと指摘し、「どんな行為が処罰の対象となるのか不明確で、刑罰法規の明確性の原則に照らして問題がある」。「共謀罪を立証するためには監視を強めることが必要となるが、プライバシーを守るための適切な仕組みを設けることが想定されていない」などと懸念を示した。【朝日新聞2017年5月20日

この書簡に対し、菅官房長官は「書簡の内容は明らかに不適切だ。直接、説明する機会もなく、一方的な発出だ。外務省を通じ抗議した」と反論していました。しかし、外務省からの抗議文を受け取った国連特別報告者は「内容は本質的な反論になっておらず、プライバシーや他の欠陥など、私が多々あげた懸念に一つも言及がなかった」と指摘し、抗議文で日本側が国際組織犯罪防止条約の締結に法案が必要だと説明した点について「プライバシーを守る適当な措置を取らないまま、法案を通過させる説明にはならない」と強く批判しています。

法学者として日本のプライバシー権の性質や歴史について30年にわたって研究を続けてきているため、「日本政府はいったん立ち止まって熟考し、必要な保護措置を導入することで、世界に名だたる民主主義国家として行動する時だ」とまで語られていました。このような国連と日本政府とのやり取りがあったことをメディアによっては取り上げていない場合もあるため、国連特別報告者からの書簡の話を少し詳しく紹介させていただきました。

衆院での審議について「野党は法案の中味よりも政局を重視し、反対のための反対に終始している」というように見ている方も多いのかも知れません。ただ冒頭に記した問題意識のとおり「誰が」や「どの政党が」という前提を外してテロ等準備罪の法案を考えた時、もしかしたら別な角度からの関心や見方も芽生えていくのではないでしょうか。法案審議の舞台は参院に移していますが、衆院での審議は「充分ではなかった」60%に対し、「充分だった」16%という世論調査の結果も示されています。

このような声を踏まえ、今回のような中味のテロ等準備罪が望ましいのかどうか、正確な論点が浮き彫りになった中での国会審議を切望しています。前回の記事「李下に冠を正さず」では安倍首相と加計学園の問題に触れました。その後、『週刊文春』のスクープを皮切りに文科省の前川喜平前事務次官が加計学園に絡む省庁間の議論内容等を明らかにしました。前川前次官の発言に対し、麻生財務相は「退職した人がどう言おうと、私が関わる話ではない」とコメントしています。

しかし、現職ではないからこそ、ここまで覚悟を決めて詳らかにできたはずです。前川前次官のスキャンダルも報道されていますが、それはそれで別な案件として問題があれば処罰されるだけの話です。重要な点は明らかにされた内容が事実なのかどうか、事実だった場合、どのような問題があるのかどうかです。前川前次官は「政府の中でどのように意思決定が行なわれているのかを国民が知ることは民主主義の基本の基本だと思います」と語っています。もし政府が解明に向けて消極的なままであればあるほど疑惑は高まっていくと言わざるを得ません。

最後に、nagiさんから「加計学園問題は、本当に問題なのだろうか」というサイトを紹介いただきました。国家戦略特区という制度を利用した結果、今治市に加計学園の獣医学部が新設される、このことが問題なのだろうかという論評です。このような見方もあるため、真相が解明されるまで善悪は安易に判断できないものと考えています。しかし、特別職公務員だから利害関係者との付き合い方も「特別」で、一般職公務員に課している倫理規程を一切無視して良いという理屈ではないはずです。やはり李下に冠を正さずであり、行政のトップとしての率先垂範が安倍首相には求められていたように思っています。

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2017年5月21日 (日)

李下に冠を正さず

SNSを利用されている方々の間で、よく使われる言葉に「拡散希望」というものがあります。自分の発信した情報を多くの方々に広めたい時に使います。広めたい言葉の前に「#」記号を付けることは「ハッシュタグ」と呼ぶそうです。その記号付の発言がツイッター上の検索画面などで一覧表示され、同じ経験や同じ興味を持つ方々が閲覧しやすくなります。最近では今村前復興相の失言を逆手に取った「#東北で良かった」が注目を集めていました。

このブログでも「拡散」という言葉を何気に使っています。前回記事「北朝鮮情勢から思うこと」の最後に『LITERA』に掲げられた記事「北朝鮮危機を煽っているのは世界中で日本の総理大臣だけ」の全文をそのまま紹介しました。その際、自分で綴る文章であれば違った表現や言葉を選んでいる箇所が多々ありますが、幅広い情報を拡散する目的のもと取捨選択等は一切しないで全文をそのまま転載した旨を書き添えていました。

安倍首相らが北朝鮮危機を必要以上に煽っているという印象を抱いています。これは私自身の印象であり、個々人で大きく違うのだろうと受けとめています。一方で国際社会の中でも突出し、北朝鮮危機を煽っているという現状は「事実」であるようです。その「事実」を不特定多数の方々に拡散する手っ取り早い記事として『LITERA』の文章が目に留まりました。このような事実関係について、もともと知っていたかのように振る舞いながら手間をかけ、自分自身の言葉の文章に置き換えることを省きがちです。

その際、最も多く掲げているのはメディアの報道記事です。メディアの中でも当ブログで『日刊ゲンダイ』の記事を紹介する時が目立っているかも知れません。大手新聞社では取り上げない独特の切り口からの記事内容が多いため、マイナーな情報を提供する場として結果的に多くなっているようです。 安倍政権を批判する内容が多く、その表現方法や言葉も激しい語り口であるため、不愉快に思われる方も多いはずです。

「日刊ゲンダイだから」という先入観を排することを目的に「森友学園の問題から思うこと」を投稿した際、一つの試みとして「被害者ヅラ」や「なんと軽い理念の共鳴か」という安倍首相を揶揄するような言葉や推論に近い記述箇所を外し、事実関係を中心に抜粋してみました。すると最後に引用した社名を紹介しなければ『日刊ゲンダイ』の記事だとは思われないような内容になっていました。事実関係の報告に限れば、どのメディアの記事内容も大差なくなることは当たり前だと言えば当たり前な結果です。

しかし、このような紹介の仕方は決して望ましくありません。一部抜粋と断り書きを入れたとしても著作権やマナーの問題として多用できないものと考えています。したがって、一度限りの試みにとどめ、少し扇情的な表現や言葉があったとしても当該のサイトに掲げられた文章をそのまま紹介することを基本としています。ちなみに当該サイトの全文が長すぎる場合、必要に応じて関連箇所のみの一部抜粋は想定しています。あくまでも文章の中から特定の言葉や修飾語を外し、原文の印象を変えるような行為は控えていくつもりです。

実は本題に入る前の前置きとして書き進めた話が、たいへん長くなってしまいました。前回記事のコメント欄で、nagiさんから「このサイトはレッテル貼りや侮蔑する発言が多いことはご存じのはずです。 それでも引用するということは、それらを許容してるあるいは受け入れていると見做すことができます」という指摘がありました。『LITERA』の記事紹介に関わる指摘でしたが、私からは「取り急ぎコメント欄でお答えすべきなのかも知れませんが、この点については新規記事の本文で考え方を伝えさせていただきます」とレスしていました。

『LITERA』のサイトはブックマークし、時々、閲覧しています。『日刊ゲンダイ』と同様、現政権に批判的な立場を前面に出し、確かに過激な言葉や表現が目立つ記事も少なくありません。もちろん私自身、誹謗中傷やヘイトスピーチを認めていません。そのような言葉が含まれていれば安易に当ブログの中で紹介しません。加えて、先入観や思い込みによるレッテルを貼った批判は控えるべきという考えを持っています。しかし、この点は私自身の考えであり、このブログを通した意見交換をされる際の「お願い」にとどまるものです。

他者が不愉快に思う言葉は侮蔑する発言と表裏一体となりがちです。むき出しの言葉による激しい応酬で感情的な対立を招き、建設的な議論につながらない場面が多々あります。一方で、直情的な言葉のほうが論点を浮き彫りにし、議論を活性化させるケースもあり得ます。異なる立場や考え方の方々に対し、感情を害させないように言葉を選び、婉曲な言い回しに終始した場合、伝えたいことが伝えられないのも問題です。

以前の記事に「批判意見と誹謗中傷の違い」というものがありますが、その峻別さえ間違えなければ、ある程度の自由さのあるほうが望まれているのかも知れません。このブログのコメント欄も「お願い」は多くても、即座にコメントは反映され、どのような辛辣な言葉や過激な表現だったとしても削除しないため、自由さの高い部類に位置付けられます。『LITERA』の件に戻りますが、私自身、たいへん恐縮ながらサイトに掲げられた記事すべてに目を通している訳ではありません。

その範囲内となりますが、前回記事の中で紹介した内容も含め、絶対容認できないという言葉は確認できていません。人によって不愉快に思われるような箇所は多いため、私自身が綴る文章であれば違った表現や言葉に置き換えるという釈明にとどまります。そのような取捨選択は前述したとおり望ましくないため、これまで『LITERA』の記事は原文をそのまま紹介しています。そもそも『LITERA』は一個人のサイトではないため、編集部の責任によるチェックが働いているはずであり、絶対容認できない言葉や表現は含まれていないものと理解しています。

いずれにしても物事を適切に評価していくためには、より正確な情報に触れていくことが欠かせません。誤った情報にしか触れていなかった場合は適切な評価を導き出せません。また、情報そのものに触れることができなかった場合、問題があるのか、ないのか、評価や判断を下す機会さえ与えられません。このブログを通し、これからも『LITERA』や『日刊ゲンダイ』などの記事も幅広い情報の一つとして紹介していくつもりです。人によっては偏った情報だとして切って捨ててしまうのかも知れませんが、どのように評価されるのかどうかも個々人の判断や選択だろうと思っています。

今回、タイミングで言えば「テロ等準備罪、賛否の論点」や「北朝鮮情勢から思うこと」の続きを取り上げることも考えていました。ここまでで相当長い記事となっていますが、安倍首相と加計学園の問題だけは少し触れてみます。国家公務員の倫理法に基づく倫理規程で、許認可等の相手方や補助金等の交付を受ける者など国家公務員の職務と利害関係を有する者(利害関係者)から金銭・物品の贈与や接待を受けたりすることなどが禁止されています。割り勘の場合でも利害関係者と共にゴルフや旅行などに行くことも禁止されています。

私どもの自治体も同様で、定年退職された先輩職員でも利害関係者にあたった場合、ゴルフに一緒に行くことも難しくなります。一般職公務員を対象にした規程であり、特別職公務員である安倍首相は対象外となります。ただ今回の記事タイトルにした「李下に冠を正さず」という言葉があるとおり誤解を招きかねない付き合い方は控えるべきだったのではないでしょうか。今のところ真相は不明瞭なままですが、東京新聞の社説「加計学園問題 首相は自ら真相を語れ」が目に留まりました。最後に、明らかになっている事実関係の情報の拡散を目的に社説の全文をそのまま紹介させていただきます。

安倍晋三首相に近い人物が経営する私立大学の学部新設に首相の意向が働いていたとしたら、権力乱用との批判は免れまい。首相は自らの関与の有無について、進んで真相を明らかにすべきである。李下に冠を正さず、という言葉は死語になってしまったようだ。学校法人「加計学園」(岡山市)系列大学の獣医学部を愛媛県今治市に新設する計画である。市と県が2007年から14年まで、15回にわたって申請しながら認められなかった獣医学部の新設が、なぜ安倍政権の下で一転、52年ぶりに、それも今治市で認められることになったのか。そこに安倍首相の意向は働いていなかったのか。不可解なことがあまりにも多い。

きのう明らかになった文部科学省が作成したとされる文書には、内閣府から「官邸の最高レベルが言っていること」「総理の意向だと聞いている」などと言われた、との内容が記載されていた。菅義偉官房長官は記者会見で文書の内容を全面否定し「首相からも一切指示はない」と強調した。しかし、にわかには信じ難い。というのも、首相と、同法人の加計孝太郎理事長とは極めて近しい関係にあるからだ。

本紙報道によれば、12年の第2次安倍内閣発足以降、首相は加計氏と13回にわたって会い、ゴルフを4回、夕食を9回ともにしている。首相自身、加計氏のことを「どんな時も心の奥でつながっている友人」「まさに腹心の友だ」と語ったことがある。首相が国会で答弁したように、本当に「加計学園から私に相談があったことや、圧力が働いたことは一切ない」のだろうか。単に否定するだけでなく、国民に説得力のある説明をすべきである。

文書の有無や真偽にかかわらず自らに近しい人物に対して、便宜を供与したように疑われる行為は厳に慎むのが、権力者としてあるべき振る舞いだろう。首相自らは仮に直接関与していなかったとしても、官僚組織に首相の意向を忖度させるようなことも、あってはならない。安倍首相夫妻は学校法人「森友学園」への格安での国有地売却をめぐっても、政治的関与の可能性が指摘されてきたが、与党側は昭恵氏の国会への招致を拒み、真相を闇に葬り去ろうとしている。権力の側にある人間は何をやっても許される、と考えているのだろうか。だとしたら、思い違いも甚だしい。【東京新聞2017年5月16日

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2017年5月13日 (土)

北朝鮮情勢から思うこと

このブログのタイトルは「公務員のためいき」です。地方公務員であることを明らかにしながらも職員労働組合の役員の立場からの内容の投稿を専らとしています。その意味で立場を使い分けていると言えます。しかし、地方公務員として問題視されるような書き込みは一切避けています。個人情報や信用失墜につながる書き込みをはじめ、特に地方公務員法36条と政治活動との絡みは細心の注意を払っています。

仮に地方公務員の立場を明らかにせず、私人の一人として匿名の書き込みだった場合でも法に抵触するような行為は慎まなければなりません。追及された際、「公務員の立場ではなく、一私人や組合役員の立場での書き込み」と釈明しても許されないのではないでしょうか。前回記事「憲法施行70年、安倍首相の改憲発言」で取り上げた安倍首相の自民党総裁と総理大臣という立場の使い分けが国会で追及されました。

この問題での質疑の中で安倍首相から「読売新聞を熟読してもらえばいい」という発言が飛び出しました。委員会室は騒然となり、予算委員会の浜田委員長から安倍首相が注意される場面もありました。最近、安倍首相の「だから民進党は支持率が上がらない」という一言を添える答弁も目立っています。このような不誠実な対応が続いても支持率に影響しないため、ますます自分の言動や判断は「すべて正しい」という驕りのスパイラルにつながっているように危惧しています。

『報道ステーション』のコメンテーターの後藤謙次さんが「安倍政権はタカが外れている」と批判されていますが、私自身も同じような問題意識を抱きつつあります。一方で、このような批判意見に対してフリーアナウンサーの長谷川豊さんは「報ステの後藤さんはそろそろ病院に行った方が良いのではないか?」というブログ記事を投稿していました。いつものことながら基本的な視点や立場が異なると同じ事象に接していても、人それぞれの感じ方や受けとめ方が大きく分かれていくことを痛感しています。

立場や視点が大きく異なるため「あの人たちと議論しても仕方ない」というように突き放した場合、それぞれの間にある「溝」が絶対埋まることはありません。違いは違いとして認め合い、お互いの正しさを主張し合う機会や接点を持つことが大切です。そのような意味で、多様な意見を伺うことができる当ブログのコメント欄は本当に貴重な場だと考えています。できれば安倍首相を批判的に見られている方も当ブログを閲覧されているはずであり、そのような視点からのコメントも増えていけば、いっそう厚みのある場になるものと見ています。

さて、前回記事に寄せられたnagiさんからのコメントに対し、私から次のようにお答えしていました。ご指摘のとおり守るべきものは「平和憲法」ではなく、「平和」であることです。そのためにどのような国のあり方が重要なのか、あらゆることを想定していかなければなりません。その「答え」は個々人で異なるのかも知れませんが、より望ましい判断を下すために多面的な見方をもとにした議論や検討が大切だろうと思っています。前回記事を通して訴えたかった点も以上のような論点でした。

重視すべきことは日本国憲法の「特別さ」であり、平和主義の効用です。このような点を広く理解し合った上で、どのような立ち位置で日本は国際社会の中で振る舞うべきか、国民一人ひとりが問われているものと受けとめています。直面している具体的な設問は北朝鮮の情勢をどのようにとらえるべきかどうかです。安倍首相は北朝鮮との関係で「対話のための対話では意味がない」と強弁しています。自分自身の職務に照らして「対話と圧力」という言葉は外交交渉において首肯できる側面があります。

しかしながら「対話のための対話は意味がない」と言い切ってしまった場合、お互いの正しさが相反する者同士、交渉のテーブルに着くことができなくなります。安倍首相、つまり日本政府は北朝鮮との対話は一切受け付けないというメッセージを与えていることになります。圧力や制裁一辺倒、もしくは軍事攻撃に積極的な姿勢を示した言葉だと指摘されても否めない語感があります。専守防衛を原則とした平和憲法を持つ日本の首相の発言として、物凄い違和感と悲しい気持ちを抱きました。

そもそも国際社会の中で中国やロシアをはじめ、周辺諸国の大半は「対話を通じた平和的解決」を求めています。空母や原潜で圧力をかけていたアメリカのトランプ大統領も「環境が整えば会談も」というメッセージを送っています。安倍首相は強い言葉を前面に出している一方で、「対話の窓口は閉ざすことなく」という言葉も付け足していると釈明されるのかも知れません。ここで以前の記事「人質テロ事件から思うこと」を思い出す訳ですが、安倍首相の強い言葉が結果として日本人に災厄をもたらしていました。

窮鼠猫を噛む、追い詰めすぎた結果、ミサイルが発射され、1発でも日本国内に着弾した場合の被害の大きさははかり知れません。安倍首相が「いかなる事態でも国民を守り抜く」という強い言葉で語られたとしても、ミサイル防御面で100%の完璧さを信頼できるのでしょうか。0.1%でも防ぎ切れない可能性が残るのであれば、絶対発射させないという方策に全力を尽くすことが最も重要であるはずです。

在日米軍基地があり、同じ民族の住む地ではない日本のほうが標的にされやすい中、相手側を挑発するような強い言葉が有益なのかどうか甚だ疑問です。そもそも日本国憲法における平和主義の効用を踏まえれば、日本は軍事攻撃を自制する側に回り、相手が対話を望む際の窓口や仲介役になれる立場をめざして欲しいものと願っています。たいへん残念ながら安倍首相はその真逆の発想で強い言葉を発し、国民に対して必要以上に危機感を煽っているように見受けられます。

北朝鮮がミサイルを1発でも実戦使用した場合、総攻撃を受け、国が滅びる事態を認識しているはずです。つまり圧倒的な軍事力の差を知らしめるだけで北朝鮮に対しては充分抑止力が働いているものと見ています。弾道ミサイルが発射された際の政府の作成した対応マニュアル等を見ると、戦時中の空襲に備えたバケツリレーの訓練風景と重ね合わせてしまいがちです。B29による大空襲の前にそのような訓練が役に立たなかったことを忘れてはなりません。

今回のマニュアルがまったく役に立たないとは言い切れないのかも知れません。あらゆることを想定し、準備できることを準備していくことも大切です。しかし、最も大切なことは発射させないことであり、追い込みすぎないことだろうと考えています。韓国国民も北朝鮮との対話を重視した文在寅候補を大統領に選びました。これからも対話だけで北朝鮮を巡る様々な問題の解決が難しいことも確かです。それでも甚大な被害が見込まれる軍事衝突は避けることを大前提に対話と経済的な圧力を駆使していくべきではないでしょうか。

北朝鮮情勢を受け、個人的な問題意識や思うことを書き進めてきました。ここまで「危機」という言葉を使っていませんが、「北朝鮮危機を煽っているのは世界中で日本の総理大臣だけ」という見方がその通りだろうと思っているからです。今回の記事、決して安倍首相「批判ありき」の内容としている訳ではありません。それでも最後に、自分で綴る文章であれば違った表現や言葉を選んでいる箇所が多々ありますが、幅広い情報を拡散する目的のもと『LITERA』に掲げられた記事の全文をそのまま紹介させていただきます。

まったく懲りないとしか言いようがない。4月29日の北朝鮮が弾道ミサイルを発射したことを受けて、またもやマスコミが大騒ぎを繰り広げた。いや、マスコミだけじゃない。東京メトロは午前6時7分から約10分間にわたって全線の運転を見合わせ。JR西日本も北陸新幹線を午前6時8分ごろから運転を一時見合わせたのだ。北朝鮮のミサイル発射なんてこれまで何度もおこなわれているのに、何をパニックになっているのか。ミサイル発射後の約40分後に運転を止めたところで、何の意味もないだろう。

しかも、一番危険な原発は止めずに、そのまま平気で放置して、国民の重要な移動手段をストップさせるという本末転倒ぶりである。何度でも言うが、仮に北朝鮮が核実験やICBMの発射実験を行ったとしても、すぐに北朝鮮から日本にミサイルが飛んでくるわけじゃない。それは米国の先制攻撃を受けての報復であり、その米国の先制攻撃の前には、米政府が20万人いるといわれる在韓米国人に退避勧告を出す。それもないのに、北朝鮮から日本にミサイルが飛んでくるなんてことはありえないのだ。日本のパニックぶりはもはや笑うしかないが、この滑稽な事態にあの橋下徹でさえ自制を促すツイートを連投した。

橋下は、ミサイル発射を受けて東京メトロが運転を見合わせたことを、滞在先の韓国から〈こちらソウルではそんなことは全くなく普通の一日〉と投稿。日本と同様に北朝鮮vsアメリカの危険に晒されているはずの韓国は平穏だと証言した。そして橋下は、このように現況への私論を投稿した。〈日本は憲法9条下の国造りでこういう事態には全く耐性がない。そんな日本が米朝のチキンレースに参加すべきではない〉〈トランプ氏や安倍首相、そして威勢のイイ面々には、狂った北朝鮮のすぐ横には我々と同じ普通の市民の大切な暮らしがあることを想像して欲しい〉 憲法改正論者である橋下の9条バッシングはさておき、そんな橋下でさえ、現在、繰り広げられている米朝の対立は〈チキンレース〉だと言うのである。

また、元防衛大臣でタカ派政治学者の森本敏・拓殖大学総長も、先週放送された『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)のなかで、こう言いきっていた。「世界中で、朝鮮半島を煽っているのは日本のメディアと日本の総理大臣だけだと、何度も言われます」 世界のなかで「安倍首相だけ」が危機感を煽り、それにメディアが追随している──つまり世界中で日本だけが、総理が「北朝鮮が危ない!」と騒いで、メディアと国民が「怖い!」と叫ぶ「ガラパゴス」状態に置かれているというのである。

事実、安倍首相はこれまで、北朝鮮の危険性を国民に向けてさんざん煽ってきた。国民の安全を考えればトランプ大統領の北朝鮮に対する強硬姿勢を制止すべき立場にあるというのに、安倍首相は同調どころか後押しする。その一方で、「北朝鮮はサリンを弾頭につけて着弾させる能力をすでに保有している可能性がある」と言い出したり、「現実から私たちは目を背けることはできない」などと語っては、ミサイルの脅威を煽った。

さらに、先月11日には、外務省が韓国への滞在者や渡航者に対して注意を促す海外安全情報を出し、21日には内閣官房が弾道ミサイル落下時の対応について公開。自治体へも周知の徹底を呼びかけたことから、県や市町村のHPでも同様に「武力攻撃から身を守る」方法が掲載されたり、小学校などでもプリントが配布されるように。また、24日には首相官邸がメールマガジンでミサイル警戒情報を発信した。こうして国民は、「ミサイルが落ちたらどうしよう」と気が気でない日々を送ることになったのだ。

だが、どうだろう。そうやって危機を煽る本人は、北朝鮮で故・金日成主席生誕105年記念日の軍事パレードが行われた同日に、恒例の「桜を見る会」を開催。さらに今回も、昭恵夫人を伴って外遊に出かけ、滞在先のロンドンから現地時間29日午前に開かれた記者会見で「ときには仕事を忘れて休日を楽しんでいただきたい」などと悠長なコメントを発表している。この事実をひとつとってもわかるように、安倍首相はいま、日本が脅威に晒されてなどいないことをよく知っているのだ。

アメリカの先制攻撃がまだまだ現実味を帯びるところまでいっていないことを理解しているから、安倍首相は言葉とは裏腹に安穏と外遊に出かけられるのである。いや、安倍首相だけではない。このGWには、安倍首相のみならず20人いる大臣・副大臣のうち、なんと11人が外遊のために出国。4月30日から5月3日までの期間にいたっては、外交窓口である外務省の岸田文雄外相ならびに岸信夫・薗浦健太郎外務副大臣が日本に不在で、実際、岸田外相は29日のミサイル発射を受けて、訪問先のトルクメニスタンで北朝鮮を非難する声明を出した。

安倍首相を筆頭に大臣がそろって「北朝鮮が危ない!」と連呼するから国民は戦々恐々としているのに、その当事者が日本にいない。これがすべての現実を表しているだろう。まったくこの詐欺的態度には反吐が出るが、安倍首相が、ここまで北朝鮮危機を煽った最大の目的はやはり、国民の目を森友問題からそらせるためだろう。実際、森友問題はその後も、財務省と籠池理事長夫妻の面談録データ音など、新たな証拠が出てきているが、ワイドショーなどは北朝鮮危機一色でほとんどまともに取り上げなくなった。しかも、国民に有事を煽ることは、安倍首相の野望を実現させる地ならしになる。

政府が「北朝鮮の脅威に晒されている」と喧伝して、そうした不安が拡大する社会の空気をつくり出せば、9条改正も、集団的自衛権の発動も、共謀罪も、世論は「防衛のために必要」と判断する。もちろん、「強い総理」として支持率も上がる。実際、週刊誌報道によると、安倍首相は3月頃はかなり追い詰められていたが、北朝鮮情勢が緊迫してきてから「ツキが回ってきた」と俄然、元気を取り戻したらしい。世界でたった一国、この島国だけが、総理によって捏造された不安に躍らされている──その事実を国民は冷静に受け止めなくてはならない。【LITERA2017年5月1日

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2017年5月 6日 (土)

憲法施行70年、安倍首相の改憲発言

前回記事「幅広い情報を得ることの大切さ」に対し、下っ端さんから「管理人さんは、安倍首相のことが、どうしても認められないのですか?まるで、内容どうこうは関係ない、とにかく安倍首相だけは認めないと言う、某朝○新聞のように」という指摘を受けました。少し前の「何が正しいのか、どの選択肢が正しいのか」という記事の中で、適切な評価を下していくためには「誰が」に重きを置かず、その言動や判断は正しいのか、色眼鏡を外して物事を見ていくことが必要だろうと記しているため、たいへん残念な見られ方でした。

昨年9月に「『総理』を読み終えて」という記事があり、その中では次のような趣旨の言葉を残しています。このブログでは安倍首相に対する批判記事が結果的に多くなっています。それでも「批判ありき」ではなく、具体的な言動に対して私自身の意見や感想を綴ってきているつもりです。安倍首相を嫌っている方々からすれば「甘い見方だ」とお叱りを受けるのかも知れませんが、私自身は安倍首相が「国民を豊かにするため」「平和を守るため」という信念のもとに様々な政策判断を重ねているものと信じています。

『総理』を読み終えて Part2」の中では具体的な事例も紹介していました。2013年8月、「シリア国内で化学兵器が使用され、子どもを含む多数の一般市民が犠牲になった」と説明し、アメリカのオバマ大統領(当時)はシリアへの軍事攻撃を行なうことを表明しました。国際社会に支持と協力を訴え、日本に対しても様々な外交ルートを通じて「空爆に着手したら即座に支持を表明して欲しい」と要請していました。オバマ大統領は安倍首相に直接電話をかけ、「アサド側が化学兵器を使った明確な証拠がある」と伝えて支持を求めました。

それでも安倍首相は「化学兵器を使用した明確な証拠の開示が必要」という対応を貫き、オバマ大統領からの要請を拒んでいました。大量破壊兵器を所有していると決め付けてサダム・フセイン政権を攻撃したイラク戦争、そのアメリカを即座に支持した小泉元首相の轍を踏みたくなかったからでした。武力によって容易に平和が築けないこともイラク戦争の大きな教訓の一つだったものと考えています。そのため、オバマ大統領の要請に対し、毅然とした対応をはかった安倍首相の判断は筋が通ったものであり、「『総理』を読み終えて Part2」の中で率直に評価していました。

しかしながら先月、アメリカがシリアを軍事攻撃した際、安倍首相は即座に支持を表明しました。国連決議などの国際法上の手続きを経ない先制攻撃であり、化学兵器を使用した明確な証拠も示されない中での支持表明でした。4年前と比べ、日本をとりまく情勢の変化が理由に上げられるのかも知れません。ただ当時の情勢や日米同盟強化の必要性にそれほど変わりはないはずであり、大きな違いは首脳同士の信頼関係だと言えます。

オバマ前大統領と安倍首相はケミストリーが合わなかったと見られていました。それに比べ、トランプ大統領との相性は良く、親密な関係を築けているようです。首脳同士のパイプの太さはメリットも多いのかも知れませんが、疑念を拭えないまま「支持ありき」に至るケースも生じかねません。適切な評価を下していくためには「誰が」に重きを置かず、その判断は正しかったのか、安倍首相とトランプ大統領との関係性から思いを巡らす機会につながっていました。

今回の記事で取り上げる改憲発言も同様ですが、安倍首相の判断や選んだ「答え」が正しいと思えるのであれば、あえて批判的な内容を綴るつもりはありません。政治家ですから支持率を意識した判断であろうと、自分自身のレガシーのために「答え」を選んでいようとも、より望ましい結果につながっていくのであれば率直に支持していくことになります。繰り返し述べているとおり何が正しいのか、どの選択肢が正しいのか、「誰が」に重きを置かない熟考を重ねているつもりです。

さて、日本国憲法が施行されてから70年、5月3日の憲法記念日には護憲もしくは改憲を訴える団体が全国各地で集会を開いていました。有明防災公園では「施行70年 いいね!日本国憲法 5.3憲法集会」が開かれ、5万人以上の参加者を集めていました。日本会議が主導する「美しい日本の憲法をつくる国民の会」などが主催した改憲派集会「公開憲法フォーラム」には1,150人ほど集まり、安倍首相から下記の内容のビデオメッセージが寄せられていました。

ご来場の皆様、こんにちは。自民党総裁の安倍晋三です。憲法施行70年の節目の年に「第19回公開憲法フォーラム」が盛大に開催されましたことに、まずもってお喜び申し上げます。憲法改正の早期実現に向けて、それぞれのお立場で精力的に活動されている皆様に心から敬意を表します。憲法改正は、自民党の立党以来の党是です。自民党結党者の悲願であり、歴代の総裁が受け継いでまいりました。私が総理・総裁であった10年前、施行60年の年に国民投票法が成立し、改正に向けての一歩を踏み出すことができましたが、憲法はたった一字も変わることなく、施行70年の節目を迎えるに至りました。

憲法を改正するか否かは、最終的には国民投票によって国民が決めるものですが、その発議は国会にしかできません。私たち国会議員は、その大きな責任をかみしめるべきであると思います。次なる70年に向かって日本がどういう国をめざすのか。今を生きる私たちは少子高齢化、人口減少、経済再生、安全保障環境の悪化など、わが国が直面する困難な課題に対し、真正面から立ち向かい、未来への責任を果たさなければなりません。憲法は、国の未来、理想の姿を語るものです。私たち国会議員は、この国の未来像について、憲法改正の発議案を国民に提示するための「具体的な議論」を始めなければならない、その時期に来ていると思います。

わが党、自民党は、未来に、国民に責任を持つ政党として、憲法審査会における「具体的な議論」をリードし、その歴史的使命を果たしてまいりたいと思います。例えば憲法9条です。今日、災害救助を含め命がけで、24時間365日、領土、領海、領空、日本人の命を守り抜く、その任務を果たしている自衛隊の姿に対して、国民の信頼は9割を超えています。しかし、多くの憲法学者や政党の中には、自衛隊を違憲とする議論が今なお存在しています。「自衛隊は、違憲かも知れないけれども、何かあれば、命を張って守ってくれ」というのは、あまりにも無責任です。

私は、少なくとも私たちの世代のうちに、自衛隊の存在を憲法上にしっかりと位置付け、「自衛隊が違憲かも知れない」などの議論が生まれる余地をなくすべきであると考えます。 もちろん、9条の平和主義の理念については、未来に向けて、しっかりと堅持していかなければなりません。そこで「9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む」という考え方、これは国民的な議論に値するのだろうと思います。教育の問題。子どもたちこそ、わが国の未来であり、憲法において国の未来の姿を議論する際、教育は極めて重要なテーマだと思います。誰もが生きがいを持って、その能力を存分に発揮できる「1億総活躍社会」を実現する上で、教育が果たすべき役割は極めて大きい。

世代を超えた貧困の連鎖を断ち切り、経済状況にもかかわらず、子どもたちがそれぞれの夢に向かって頑張ることができる、そうした日本でありたいと思っています。70年前、現行憲法の下で制度化された小中学校9年間の義務教育制度、普通教育の無償化は、まさに戦後の発展の大きな原動力となりました。70年の時を経て、社会も経済も大きく変化した現在、子どもたちがそれぞれの夢を追いかけるためには、高等教育についても全ての国民に真に開かれたものとしなければならないと思います。これは個人の問題にとどまりません。人材を育てることは、社会、経済の発展に確実につながっていくものであります。

これらの議論の他にも、この国の未来を見据えて議論していくべき課題は多々あるでしょう。私はかねがね、半世紀ぶりに夏季のオリンピック、パラリンピックが開催される2020年を、未来を見据えながら日本が新しく生まれ変わる大きなきっかけにすべきだと申し上げてきました。かつて、1964年の東京五輪をめざして、日本は大きく生まれ変わりました。その際に得た自信が、その後、先進国へと急成長を遂げる原動力となりました。2020年もまた、日本人共通の大きな目標となっています。新しく生まれ変わった日本がしっかりと動きだす年、2020年を、新しい憲法が施行される年にしたいと強く願っています。私は、こうした形で国の未来を切り開いていきたいと考えています。

本日は自民党総裁として、憲法改正に向けた基本的な考え方を述べました。これを契機に、国民的な議論が深まっていくことを切に願います。自民党としても、その歴史的使命をしっかりと果たしていく決意であることを改めて申し上げます。最後になりましたが、国民的な議論と理解を深めていくためには、皆様方、「民間憲法臨調」「美しい日本の憲法をつくる国民の会」のこうした取り組みが不可欠であり、大変心強く感じております。憲法改正に向けて、ともに頑張りましょう。

今回も長い記事になりつつありますが、安倍首相の発言の全文を掲げてみました。このビデオメッセージでの安倍首相の改憲発言は大きな波紋を呼んでいます。これまで国会の議論を見守る姿勢だった安倍首相が突然、2020年という施行時期や具体的な改憲項目に言及したため、与党内にも困惑が広がっているようです。国会の憲法審査会での議論を軽視し、自民党の憲法改正草案を無視する形となっていますが、今のところ自民党内から表立って反発する声は聞こえてきません。

5月1日に開かれた超党派の国会議員による新憲法制定議員同盟の集まりでは、安倍首相から「機は熟した。求められているのは具体的な提案で、改憲か護憲かといった不毛な議論から卒業しなければならない」という発言が示されていました。改憲発議できる3分の2以上という国会における勢力図を念頭に置かれ、「機は熟した」と考えられているのだろうと見ています。しかし、メディアの世論調査の大半は改憲の必要性について賛否が割れている現状です。

NHKの調査では今年「必要」が43%ですが、2002年には「必要」が58%であり、改憲に向けた機運は低下している結果を示しています。5月1日の同じ集まりで、中曽根元首相は「国民的合意なくして改憲をしてはいけない」と訴えていたようですが、もしかしたら安倍首相の気負いを諫言するような意図があったのかも知れません。このような話を書き進めていくと、また「とにかく安倍首相だけは認めない」という見られ方につながりがちです。

決して「批判ありき」の記述ではなく、「このような見方があります」という情報や論点を提起しています。その上で、問題があるのか、ないのか、評価や判断を下すのは閲覧されている皆さん一人ひとりであり、「答え」を押し付けるような書き方にだけはならないように留意しています。さらに今回の安倍首相の発言は、たいへん緻密に練られたものだと受けとめています。改憲という結果を出すための戦略が際立った論点提起だと言えます。

憲法の平和主義の理念を堅持し、第9条に自衛隊の位置付けを加える提案です。これは加憲を推奨している公明党を意識したものだろうと思います。高等教育までの教育無償化の提案は日本維新の会との連携を想定していることも容易に読み取れます。特に前者は国民の多数も賛成できる考え方だろうと見ています。昨年5月には「憲法9条についての補足」という記事を投稿し、現憲法を本当に改める必要に迫られているのであれば憲法96条のもとに国民の意思を問うべきものと記しています。

そして、何よりも大事にすべきことは日本国憲法の平和主義であり、専守防衛を厳格した「特別さ」だと考えています。前述したとおり安倍首相の動機や本心はともかく、より望ましい結果につながっていくのであれば率直に支持していくことになります。今回、安倍首相は憲法9条の理念はそのままで自衛隊が違憲かどうかの議論は終わらせたいと説明しています。このような提案であれば私自身も含め、護憲派の集会に参加するような国民も反対できないのではないかという見方があります。

平和主義の効用を維持でき、自衛隊を追認する改憲だった場合、確かに国民の大半は賛成票を投じるはずです。しかし、集団的自衛権の問題など解釈の変更で平和憲法の「特別さ」を削ぎながら改憲発議の中味は「憲法9条をそのまま」と説明されても理解に苦しみます。それこそ善し悪しは別にして「国防軍」を明記した自民党の改憲草案のほうが明解な選択肢であり、誠実な政治姿勢だろうと思っています。また、どのような条文を安倍首相が想定しているのか分かりませんが、新たな矛盾や論争の芽を残す恐れもあります。

『朝まで生テレビ!』の中で司会の田原総一朗さんが、かなり前に安倍首相と会話した際に伝えられた次のような話を紹介していました。「首相は憲法改正に関心がなくなったらしい。改正は集団的自衛権の容認が趣旨だったが、これは米国の再三にわたる要請に基づいていた。ところが、容認の閣議決定以降、米国側は沈黙。喫緊に改正する理由がなくなってしまったそうだ」という話でした。ますます今回の改憲発言が切実な必要性よりも、改憲そのものを目的化した動きだと指摘せざるを得ません。

自衛隊を違憲とする議論があることも確かですが、そもそも国民の大半は自衛隊を違憲視していないはずです。大きな論点は自衛隊の役割であり、問われているのは日本国憲法が定めている平和主義のあり方や国際社会の中での実践ではないでしょうか。前回記事の最後に記したとおり北朝鮮情勢に絡んだ私自身の意見や思いを綴ろうと考えています。今回の記事にこそ追記すべき流れだったのかも知れませんが、たいへん長い記事になっていますので中途半端な触れ方は避け、次回以降の記事に自分自身の「答え」を改めて綴らせていただくつもりです。

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