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2016年12月24日 (土)

国連の南スーダン制裁決議

12月のカレンダーを見返してみると、早いもので来週の日曜日には新年を迎えます。週に1回、土曜か日曜に更新している当ブログにとって今回が2016年最後の記事となります。そのため、できれば「年末の話、インデックスⅡ」があるとおり1年間を締め括る内容の投稿に繋げてみます。当初、12月20日に示された「働き方改革実現会議」の同一労働同一賃金に関するガイドライン案を切り口として『働き方改革を考える』という労働学習会の内容を取り上げるつもりでした。

しかし、あるニュースに接した時、たいへんな憤りを感じました。事故を起こした6日後に沖縄でオスプレイが飛行再開されたことにも驚き、地元知事らの声を無視した政府の対応に憤りを覚えていますが、それ以上に「嘘でしょう」という思いを強めていました。国連安全保障理事会での南スーダンに対する制裁決議案に日本が反対する意向だという下記のニュースです。「働き方改革」の話は当分鮮度が落ちないため、今年最後の記事は「国連の南スーダン制裁決議」というタイトルを付けて書き進めることにしました。

政府は、国連安全保障理事会で南スーダンへの制裁決議案に反対する検討に入った。制裁が実行された場合、同国が反発して治安が悪化し、現地で国連平和維持活動(PKO)に従事している自衛隊の危険が高まることを懸念している。近く態度決定する。制裁決議案は、南スーダンの政府軍と反政府勢力に対する武器禁輸や、指導的な紛争当事者らの資産凍結が主な内容。

早期採択を目指す米国のパワー国連大使は、消極的な日本を「武器禁輸は南スーダンの人々とPKO隊員を守る道具だ」と批判。菅義偉官房長官は21日の記者会見で「南スーダンの平和と安定に何が必要かという観点から検討する。同国政府の取り組みを後押しすることが重要だ」と慎重姿勢を示した。米国や国際NGO(非政府組織)は「自衛隊の安全を優先して平和構築のための制裁に反対するのは本末転倒」と指摘しており、政府は難しい判断を迫られている。【毎日新聞2016年12月21日

共同通信によると『南スーダンは20年以上の内戦を経て2011年7月、スーダンから分離独立。13年12月以降、政府軍と反政府勢力との内戦状態になり、昨年8月、双方が和平協定に署名、今年4月に双方が参加する移行政権が発足した。しかし7月に首都ジュバで戦闘が再燃。反政府勢力トップのマシャール前第1副大統領は「和平合意は崩壊した」とし、政府側との対話の行方次第では内戦を継続する意思を示している』という情勢を伝えています。

いろいろな論点を提起できる深刻な問題ですが、マスメディアではそれほど大きく取り上げられていません。このブログを長く続けている目的の一つとして、ニッチな情報を不特定多数の方々に発信するというものがあります。より望ましい「答え」を出すためには多面的な情報をもとに評価していくことが欠かせないため、SNS全体の中で無数にあるサイトの一つとして多様な情報や主張の一角を発信しています。

そのような情報や主張をどのように受けとめていくのかは読み手の皆さん一人ひとりに委ねられる関係性に過ぎませんが、私自身の問題意識を補うような他のサイトの内容も必要に応じて掲げてきています。今回、朝日新聞アフリカ特派員の三浦英之さんのツイッターに注目しています。つい最近、12月14日には21回に及ぶツイートが三浦さんから発信されていました。リンク先をご参照される方は少ないはずですので長くなりますが、生々しい現地からの声をそのまま紹介させていただきます。

①南スーダン西部から先日戻った。現地の状況は凄惨だ。人々は政府軍兵士により虐殺され、家族の前でレイプされ、家を燃やされている。国連が表現した「民族浄化」といった言葉が決して大げさじゃなく響く。同国西部の状況を伝える

②自衛隊のいる首都ジュバから国連機で1時間半。西部ワウ。砂嵐が吹き荒れる街を政府軍兵士を満載したトラックや国連装甲車が行き交う。同行した国連職員は「ジュバとは状況が違う。非常に危険なので国連施設外では兵士を刺激しないよう絶対にカメラを出さないでくれ」

③私がワウに飛んだのは、7月の戦闘で反政府勢力が駆逐されたジュバでは、南スーダンで今起きていることが見えないから。国内を視察した国連調査団は1日、「集団レイプや村の焼きうちといった民族浄化が進行している」と警告した。その現実をこの目で確かめる必要があった

④ワウでは6月、最大民族ディンカによる少数民族への虐殺が起きた。死者数十~数百人と言われ、7万人が住む場所を追われた。避難民保護区では今も、戦闘を逃れてきた約4万人が砂まみれのテントで避難生活を強いられている

⑤「夫を多数派民族ディンカに殺された。私もディンカを殺したい」。少数派民族の女性(29)は泣き叫んだ。夫はディンカの政府軍兵士に足を撃たれ、拘束。軍施設に監禁されて餓死させられた

⑥少数派民族の女性(20)もディンカの政府軍兵士に自宅を襲われ兄を銃殺された。ここでは憎悪が渦巻いている。ホテル従業員は「いつ虐殺が起きても不思議ではない状況。私はディンカだが、人が次々と殺されていくのを見たくはない」

⑦南スーダンは今、深刻な食糧危機にさらされている。保健施設の前では子どもの栄養状態を心配する母親が列を作っていた。上腕にバンドを巻き栄養状態を測定。ラップの芯ほどの太さしかない子どもが次々と「重度の急性栄養不良」と判定され、治療施設へと運ばれていく

⑧母親(27)は「1歳の娘がぐったりとしたので連れてきた。もう3日間も何も食べていない」。看護師は「現在、253人が重度、1023人が中度の急性栄養不良。どんどん増えてる。少しでも回復させないと取り返しのつかない状況になる」

⑨南スーダンでは今、人口の3割の360万人が深刻な食糧不足に。戦闘拡大で収穫時期に農作業ができなかったことが原因。来年初頭には460万人に膨れあがる。ユニセフによると、推定36万人の5歳未満児が「重度の急性栄養不良」に。人々は戦闘におびえ、食べることさえできないでいる

⑩子どもたちの受難は食糧だけじゃない。ジュバではユニセフ現地事務所代表にインタビュー。「ここでは内戦状態に陥った13年末以降、推定約1万6千人の子どもが武装勢力に徴用された」「16年だけでも推定800人以上が徴用された」。戦闘員にさせられたり、森で荷物運びをさせられたりしている

⑪今回の取材で私が伝えたかったこと。それは南スーダンの状況が極度に悪化しているという事実。そしてもう一つ、私たちには武力を使って行う「支援」以外にも、実は南スーダンを支える手段が十分に残されているということだ。食糧機関への送金でも、児童機関への貢献でもいい。道は無数に開かれている

⑫でも日本からのニュースを見る限り、国会で議論されるのは「駆け付け警護」のことばかり。政府は駆け付け警護さえ付与すれば、南スーダンの平和に寄与できるかのように錯覚させている。でもそれは噓。正直に記せば、この状況で駆け付け警護が付与されても自衛隊にできることはほとんどない

⑬次の証言動画を見て欲しい。ジュバの惨劇。AP通信は伝える。「政府軍兵士は外国人女性に銃を向け、俺とセックスするか、ここにいるすべての男にお前をレイプさせてから頭を撃ち抜く。女性は15人にレイプされた」 https://youtu.be/tYoIRwm8iX8  @YouTubeさんから

⑭ジュバで7月に大規模戦闘が起きたときに、国連施設近くのホテルを襲ったのは80人以上の政府軍兵士。ジュバでもワウでも民間人を襲っているのは政府軍兵士なのだ。憲法で国の交戦権が禁じられている自衛隊では手も足も出せない

⑮現政権がやりたいことは、日本から遠く離れたアフリカの国家を救うことではなく、自衛隊の海外における武器使用基準を拡大させたい、その一点ではないのか。それはまさしく、私たちが長年守り抜いてきた憲法9条が厳格に禁じていること

⑯現場を取材する者としてあえて強く書く。現政権は南スーダンの現状を利用して、それを事実上達成したい、つまり前例を作り上げてしまいたいだけではないのか。もしそうであるならば、私はあまりに貧しいこの国にいて、我を失う。南スーダンをそのきっかけ作りに使わせてはならない

⑰一つ、現場で感じたことを書く。国連職員は今、南スーダン政府や政府軍に非常に気を遣っている。本当のことが言いにくい状況。国連機関がこの地で活動を行うためには、南スーダン政府の同意が必要。大声で事実を伝えれば、組織上の問題になりかねない。ここにはそんな難しさがある

⑱もう一つ、これは国連職員の言葉。今ジェノサイドが起きたとしても、多分PKOは防げない。ルワンダのように撤退はしないかもしれないが、ジェノサイドは防ぐことができない。彼は正直だったと思う。PKOは抑止力にはなっても、一度起きてしまったら、それ自体を食い止めることは難しい

⑲自衛隊派遣の根拠となっているPKO5原則は完全に崩壊している。駆け付け警護は誰が見たって憲法違反だ。もしそれを本当にやりたいのであれば、国民に正式に問うた上で、正式にPKO5原則や憲法を変更した上で実施するのが筋ではないのか

⑳それを南スーダンの救済という「偽り」の理由を楯に取り、都合の良い「解釈」で己の目的のために強引に押し通そうとすれば、どこかで無理が生じて必ず「事故」が起こる。その時、私たちは自衛隊員の尊い命と同時に、戦後ずっと守り抜いていた「大切なもの」を失う

㉑私たちは今、どこにいるのだろう。南スーダンも、そして私の祖国日本も。ワウでは町にヘイトスピーチがあふれていた。国連は「ジェノサイドが起こってしまう」と警告している。私は歴史の目撃者になんてなりたくはない(終)

三浦さんのツイッターには写真もアップされ、新しいツイートも加わっていますので、ぜひ、お時間等が許される方はリンク先もご参照ください。さらにネット上には「男たちに2人の女性が捕まり、レイプされた。男たちは1歳と1歳半くらいの赤ちゃん2人を奪い取ると、赤ちゃんを棒のように使ってその女性たちをたたいた」という凄惨な被害状況を伝えるサイトも見つけることができます。

国連の潘基文事務総長は「速やかに行動を起こさなければ(集団虐殺が)今にも起こると恐れている。安保理は南スーダンの武器の流れを止めなければならない」という危機感を表明していました。三浦さんが報告しているとおり「今ジェノサイドが起きたとしても、多分PKOは防げない。ルワンダのように撤退はしないかもしれないが、ジェノサイドは防ぐことができない」という危機意識を表わした言葉でした。しかし、残念ながら土曜の朝、耳にしたニュースは下記のとおりのものでした。

国連安全保障理事会は23日午前、南スーダンへの武器禁輸決議案を否決した。米欧は民族間の対立が虐殺や戦闘激化につながる可能性があるとして、武器の流入を食い止める武器禁輸を実施したい構えだったが、日本など8カ国が棄権に回り、必要な得票数に届かなかった。日本は国連平和維持活動(PKO)で現地に展開する自衛隊への影響回避を優先した。

安保理では全15カ国のうち9カ国以上が賛成し、中ロを含む常任理事国5カ国が拒否権を行使しなかった場合に決議が採択される。今回は反対票はなかったものの、中ロのほか、非常任理事国でも日本やマレーシア、セネガルなどが棄権した。米国のサマンサ・パワー国連大使は採決後、棄権した理事国を「歴史が厳しい判断を下すだろう」と非難した。

米国や国連は南スーダンへの武器流入がジェノサイド(大虐殺)を助長する危険性を懸念しており、武器禁輸の制裁を科すことが治安の改善につながるとみていた。一方、PKOに携わる陸上自衛隊を現地に派遣する日本は、制裁が南スーダン政府を刺激し現地情勢を不安定にするとの立場だ。菅義偉官房長官は23日、採決に先立つBS朝日番組収録で、日本の姿勢に関し「全くおかしくない」と述べた。

現地では陸自が今月半ばから安全保障関連法に基づく「駆けつけ警護」の運用を始めたばかり。PKOを円滑に進めるためにも制裁で南スーダン政府を追い詰めたくないのが本音だ。これまで日本は安保理で北朝鮮やシリア問題などを巡り米国の方針に歩調を合わせてきた。米国案に賛成しなかったのは極めて異例。今回、採決を棄権したのは米国との決定的な対立を避けつつ、賛成しない他の理事国とも足並みをそろえる狙いがあったとみられる。【日本経済新聞2016年12月24日

南スーダンへの制裁決議の是非で考えれば、日本も率先して賛成側に回るべきだったのではないでしょうか。南スーダンの国民にとって望ましい選択肢は、まずジェノサイドを防ぐ手立てであり、「自衛隊の安全を優先して平和構築のための制裁に反対するのは本末転倒」という言葉はまったくその通りだと思っています。最近の記事「自衛隊の新たな任務、駆けつけ警護」の中で記したことですが、そもそもPKO参加5原則が現状から乖離し、南スーダンに自衛隊を派遣すること自体に強い疑義が生じています。

それにも関わらず、「PKOを円滑に進めるためにも制裁で南スーダン政府を追い詰めたくない」という理由で制裁決議案に賛成しなかったとすれば本当に理不尽な話です。以前「ルワンダの悲しみ」という記事を投稿していましたが、国民同士が殺し合う、ましてジェノサイドなどもってのほかであり、そのような悲劇が繰り返されないことを強く願っています。日本が取り返しの付かない事態を後押ししたような見られ方を回避するためにも、今後、南スーダンでジェノサイドが起きないことを祈らざるを得ません。

たいへん長い記事になっていますが、今年最後の記事でもあり、今回のニュースを切り口に総論的な話に広げてみます。強調しなければならない点として、安倍政権だから批判している訳ではありません。少し前に投稿した記事「『総理』を読み終えて Part2」の中で、アメリカがシリアへ軍事攻撃するかどうかという局面での安倍首相の対応について「イラク戦争を手痛い教訓とするのであればオバマ大統領の要請に対し、毅然とした対応をはかった安倍首相の判断は筋が通ったものであり、率直に評価すべきものと思っています」と記していました。

南スーダンの件も含め、すべてアメリカに追随するのではなく、独自な判断を下す場合があることを総論的な意味で評価すべき点なのかも知れません。核先制不使用の問題でも安倍首相は真っ向からオバマ大統領の意向に反対していました。しかし、核兵器の先制不使用は中国も宣言しているように基本的な立場の表明として、本来、核保有国すべてが速やかに行なうべきものだろうと考えています。それにも関わらず、専守防衛を厳格化した平和憲法を抱き、被爆国である日本の首相が「核兵器のない世界」をめざすオバマ大統領の判断に水を差す、たいへん残念で悲しいことでした。

一方で、「米国案に賛成しなかったのは極めて異例」と指摘されるようにオスプレイ飛行再開の問題や「核兵器禁止条約」制定交渉の国連決議に反対するなどアメリカに対して及び腰になるケースも目立っています。ケースによっては独自な判断を主張するという気構えがあり、沖縄県民の気持ちに寄り添うのであれば、オスプレイの飛行再開に関してはもう少し丁寧な対応が必要だったのではないでしょうか。

最近、『月刊Hanada』を購入しました。「希代の戦略家 安倍晋三」という見出しに目がとまったからでした。機会があれば詳しく報告しますが、安倍首相の優秀さや素晴らしさが満載された内容です。このような情報だけで安倍首相を評価した場合、ずっと首相を続けて欲しい、安倍政権で本当に良かったという思いが強まるはずです。ここで「『総理』を読み終えて」の最後のほうに記したことを思い出す訳ですが、内閣支持率が半数を超えているため、実際、そのように評価している国民が多い現状なのだろうと思っています。

しかし、安倍首相の判断に危うさを感じている国民も決して少数ではなく、今回の南スーダンの問題など多面的な情報を加味した上で評価していくことも欠かせないはずです。いずれにしても物事の是非を判断するためには幅広く、より正確な情報を把握していくことが重要です。そのような意味合いで、これからも当ブログとお付き合いいただければ何よりです。

最後に、この一年間、多くの皆さんに当ブログを訪れていただき、たくさんのコメントも頂戴しました。本当にありがとうございました。どうぞ来年もよろしくお願いします。なお、次回の更新は例年通り元旦を予定しています。ぜひ、お時間が許されるようであれば、早々にご覧いただければ誠に幸いです。それでは少し早いようですが、良いお年をお迎えください。

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2016年12月18日 (日)

民進党に望むこと

最近の当ブログのコメント欄では民進党に対する批判意見が目立っていました。そのため、私自身がどのように考えているのか、記事本文を通してお伝えすることを約束してきました。前回記事「SNSが普及した結果… Part2」の中では「必ず近いうちに」と記していましたが、あまり先送りせず、今回、その機会に位置付けさせていただきます。

民主党から民進党に変わった際、「民進党、中味に期待」という記事を投稿していました。看板の付け替えやイメージの刷新が大事なのではなく、政党としての理念や具体的な政策の中味が肝心であるという私なりの問題意識を綴っていました。基本的な考え方は当時と今も大きく変わっていません。このように書くと、また「支持ありき」で民進党と運命共同体であるような誤解を受けてしまうのかも知れません。

その記事のコメント欄では、いまさらですがさんから『まだ「中味」が入っていないことを知りながらすでに「支持」「応援」する意思を示している。つまり、労働組合のメリットが民進党の政策にあるかどうかがわかっていないのに支持する訳ですから、それは完全なる政治団体ですね』と指摘し、『過去のブログを拝見させていただき そうか、労組の「いかがわしさ」が民主党の失墜に追い打ちをかけたのか!としみじみ思いました」という意見が寄せられていました。

いまさらですがさんが上記のような印象を抱いたことは事実ですので、たいへん残念な見られ方や言われ方も率直に受けとめていかなければなりません。民進党の評判が落ちれば落ちるほど民進党を少しでも期待するような主張が奇異な目で見られていく構図となっています。雨の日に傘を取り上げるような関係に至らない点について、このあたりは昨年11月に投稿した「なぜ、民主党なのか?」という記事の中で説明しています。

その説明も基本的な立場や考え方の異なる方々を充分納得させられるものではないようですが、組合員のために労働組合も一定の政治活動が必要という認識などを綴っていました。いずれにしても「完全なる政治団体」という見方は大きな誤解であり、この機会に連合の神津里季生会長が『サンデー毎日』に連載している「暮らしの底上げ」というコラムに寄せた言葉を紹介させていただきます。

ちょっと勘違いされている向きもあるが、私たち連合は、はなから無条件で民進党を応援しているわけではない。あくまでも自分たちの持っている政策が民進党の考え方と最も近いから応援しているにすぎない。そもそも686万人の連合組合員は基本的に普通の国民・市民の感覚の人たちであり、特定のイデオロギーや宗教を背景とした組織のような、強固なしばりを持つ姿とは全く異なる。

神津会長の言葉はその通りだと思っています。だからこそ普通の感覚の組合員との意識が乖離しないような丁寧な情報発信に努めていかなければなりません。その一助として当ブログでは意識的に政治に関わる内容を取り上げている傾向があります。さらに民進党との支持協力関係を踏まえ、多くの国民から改めて信頼されるような政党に脱皮して欲しいという願いを込め、このブログを通し、あるいは民進党の政治家の皆さんと直接お会いした際に意見や要望を示させていただいていました。

このような連合関係者からの意見や要望が、もしかしたら民進党側には圧力やしがらみに感じられる場面があるのかも知れません。当たり前なことですが、それぞれが自立した組織ですので最終的な判断や責任は個々に帰結するものとなります。野党共闘の問題も連合は連合としての立場があり、率直な注文や要望を示していますが、最終的な判断は民進党に委ねる関係性だろうと見ています。

大事な点は信頼関係を土台にし、言うべきことは言い合い、約束したことは守る、約束できないことは安易に約束しない、このような基本を思い浮かべています。紹介した上記のコラムの中で神津会長は「ネズミを取る猫は別に白くても黒くても構わない」という言葉も発していました。このような言葉の趣旨を踏まえ、下記のような連合と自民党との政策協議の場に繋がっているのだろうと思っています。

実に5年ぶりの政策協議となった。自民党の茂木政調会長は「おそらく、現段階において、連合の政策に最も近いのは、わが自民党ではないかな。このように、自負をひそかにいたしておるところであります」と述べた。連合の逢見事務局長は「方向性がそんなに違っているものだとは思っていません」と述べた。連合の逢見事務局長らは30日、自民党本部を訪れ、茂木政調会長らと会談した。

自民党の政調会長が、民進党の最大の支持母体である連合の幹部と会談するのは、5年ぶりで、連合から、2017年度の予算編成に向けた要望書が手渡された。会談後、逢見事務局長は、選挙の話は出なかったと話しつつも、民進党と共産党の連携について、「われわれは、共産主義社会を作ろうという運動をやっているわけではないので、そういった政党との関係を応援できない」とけん制した。【FNNニュース2016年12月1日

組合員のための政治活動であり、決して特定の政党のために連合が存在している訳ではありませんので、それほど驚くようなニュースではないのかも知れません。労働政策の研究者である濱口桂一郎さんのブログ「hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)」をブックマークし、よく訪問しています。このニュースを濱口さんは少し前の記事「そりゃそうなるよな」の中で取り上げ、「労働組合とは政治団体でもなければ宗教団体でもなく、況んや思想団体でもないのですから」と記していました。

自治体で言えば推薦非推薦に関わらず、毎年、各地域の連合が首長あてに政策要請書を提出しています。その延長線上でとらえた場合、政権与党である自民党と政策協議の場を持ったことも自然な流れなのだろうと見ています。ただ逢見事務局長の自民党との「方向性がそんなに違っているものだとは思っていません」や共産党との連携に絡む発言は少し言葉が先走りしすぎているように感じていました。

民進党の蓮舫代表(49)は11日、来年夏の都議選で自身の政治塾から候補者を擁立する意向を示した小池百合子東京都知事(64)と連携を模索する考えを示した。「小池氏の頑張っている点を最大限評価し、古い政治と闘う姿に共鳴もしている。何か協力できることがないか探ってみたい」と新潟市で記者団に述べた。これに関し、野田佳彦幹事長(59)は滋賀県草津市で「連携できるかどうかはこれからの展開次第だ。動向を注視したい」と語った。【産経ニュース2016年12月11日

それまで対立してきた相手との距離感を縮めるという意味で、上記の蓮舫代表の言葉は逢見事務局長の発言以上に違和感を抱きました。自らの基本的な立ち位置や軸が定まっていないような印象を受け、変わり身の早さが気になっていました。個人的な印象なのかも知れませんが、小池都知事と民進党の立ち位置が近いとは思えません。今回の記事タイトルにした「民進党に望むこと」は基本的な立ち位置や軸をしっかり押さえて欲しいという要望に行き着きます。

カジノを中心とする統合型リゾート施設(IR)整備推進法案への対応も、政党としての基本的な立ち位置や軸が定まっていないため、参院民進党と党執行部との連携不足が露呈してしまったように見ています。TPPや年金制度に関しても与党だった時の政治的な判断を必ず念頭に置きながら整合性の取れた主張や反論を加えなければ、国民からの信頼は取り戻せないものと思っています。

与野党が対立する法案だった場合、最後は委員長の職権での採決に付さなければならない局面があることも否めません。実際、民主党政権時代も強行採決を行なっています。大事な点はそれぞれの法案の成否が国民にとってどうなのか、中味のある国会審議と国民への情報発信を尽くしていくことではないでしょうか。採決の時、委員長席に押しかけたり、反対のプラカードを掲げるパフォーマンスに力を注ぐ必要はありません。

国民にとって問題ある法案を数の力で押し切り続けた場合、次の選挙で議席を激減させるという政治的な構図が欠かせないはずです。それでも選挙で負けない場合、結局のところ国民にとって必要な法案だったということなのかも知れません。絶対避けたい点として、国民が問題性を的確に把握しないまま一票を投じるケースであり、もっと最悪なのは問題がある政党だと認識していても「他に選択肢がないため、仕方なく与党に入れてしまう」というケースです。

以前の記事「民主党に期待したいこと」の中で述べた話ですが、労使交渉を通して体感してきた思いがあります。立場や視点が異なる者同士、対等な立場で率直な議論を重ねていくことの重要性です。協議事項を多面的に検証することで、問題点を改められる機会に繋がります。経営者側の目線だけでは見落としがちとなる点、もしくは働く側にとってアンフェアな提案に対し、労使交渉という手順を踏むことで、より望ましい修正や改善がはかれるようになります。このような仕組みは政治の場でも同様に求められています。

例えば労働法制の見直しの問題では、あまりにも経営者側の視点に偏ったまま進められていくことを危惧しています。他にも具体例をあげれば切りがないほど政府与党が示す法案等に対し、視点を変えれば問題が大きい場合もあります。見方を変えれば、民主党政権の時も同様な問題があったろうと思います。物事の是非に対して絶対的な「正解」は簡単に見出せません。だからこそチェック機能を効果的に働かせる仕組みが重要であり、より国会審議の場などで発揮して欲しいものと願っています。

「決められない政治」が批判されていましたが、与党多数の結果、問題点が修正されないまま「決められていく政治」のほうが余程批判を受けるべき話だと思っています。現在の巨大与党に対し、チェック機能を充分働かせられない政治的な構図は非常に問題です。国民にとって問題ある法案の強行採決を繰り返した場合、政権交代に繋がるという緊張感が絶対必要です。そのような緊張感を与党に持たせるためにも、政権を担った経験のある民進党が奮起していくことを期待しています。

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2016年12月11日 (日)

SNSが普及した結果… Part2

かなり前に「一期一会」と当ブログについて語ったことがありますが、初めて当ブログを訪れてくださった方々からもご理解いただけるような記事内容の投稿に極力努めています。要するになるべく1回ごとに完結した内容であることを基本としています。とは言え、すべてその通りに至っている訳でもありません。極端な話として毎回同じような内容を繰り返した場合、今度は常連の皆さんに飽きられてしまいます。したがって、関連した内容の説明には以前投稿した記事のリンクをはるように心がけています。

もちろんリンク先の記事まで目を通される方のほうが少ないはずであり、リンク先を参照しなくても当該記事の論点は概ね伝わるような文章を綴っているつもりです。詳しい説明や私自身の問題意識に興味を示された方がリンク先の記事にも触れていただければ幸いだと考え、参考までに以前の記事を紹介することが多くなっています。例えば前回記事「SNSが普及した結果…」の中では、基本的な視点や立場が異なる方々との「溝」を埋めることの難しさも痛感しているため、分かり合えなくてもいろいろな「答え」を認め合うことの大切さに思いを巡らすようになっています、と記していました。

しかし、いまさらですがさんには残念ながら分かり合えなくてもいろいろな「答え」を認め合うという主旨や私自身の問題意識が適切に伝わらず、「許し難いのはこの一節」「これが最終結論だとしたらこんな悲しいやり取りはありません」と強い憤りと批判を受けてしまいました。もしかしたらリンク先の記事内容もご覧になった上での批判だとしたら、それこそ決定的な「溝」が存在することになりますが、「認め合う」イコール「その考え方を肯定や賛同する」という主旨ではありません。

当ブログでは「正解」と「答え」という言葉を使い分けています。試験の答案用紙を前にして、それぞれ「答え」を書き込みます。ただし、自信を持って書き込んだ「答え」が必ずしも「正解」とは限りません。普通に考えれば皆の「答え」が一致し、間違いようのない問題もあろうかと思います。問題の性格によっては複数の「正解」が存在する場合もあるのかも知れません。ここで述べたい点は、人によって「答え」は様々に異なり、自信を持っていた「答え」も「正解」ではない可能性があるという現状でした。

上記はリンク先の記事内容の一文です。ほぼ全文を掲げなければ正確な主旨が伝わらない心配もありますが、今回の記事の題材は別にもあるため要点のみ改めて説明させていただきます。私自身も異なる「答え」を持った方々が激論することを否定していません。いまさらですがさんの「違うからこそ、議論の価値がある」という考え方もまったくその通りだと思います。「明らかに考え方として無理のある主張が含まれている時、他人の主張を受け入れた上で【主張を修正】する必要があると感じています」という指摘もその通りです。

大きな誤解は「お互いが、差異を共有することが大切なのではなく」という点でした。分かり合えなくても、その後に続く言葉に関連する話ですが、差異を共有すべきという主旨ではなく、相手側の言い分にも耳を傾ける、考え方が異なるからと言って相手を敵視しない、いがみ合わない関係性を築いていくことの大切さを提起しています。分かりやすい具体的な事例として、国と国との関係、とりわけ領土問題の交渉があげられます。

お互いが正当性を主張し、「領土問題は存在しない」という立場だった場合、解決の糸口は閉ざされたままとなります。相手側の主張の是非を横に置いた上、相手側の主張や言い分に耳を傾けるからこそ外交交渉が成り立つはずです。したたかな思惑や戦略が織り交じった交渉だったとしても話し合いを否定した場合、最後は武力と武力のぶつかり合いで決着をはかることになりかねません。

話を大きくしすぎて逆に分かりにくくしていたら申し訳ありません。言うまでもありませんが、いくつもの「答え」が飛び交い、議論が紛糾していたとしても一つの結論を出さなければならない場面が多いことも確かです。それに対し、このブログの場では一つの結論を見出す場だと考えず、異なる「答え」の相手を「なるほど、そのような見方もあったのか」とうならせるような「言葉の競い合い」が高まることを切望しています。

そのようなやり取りを通し、少しでもお互いが影響し合えるのかどうか、さらに【主張を修正】する必要があると認めた場合は他人の主張を率直に受け入れていくのかどうか、個々人の受けとめ方に委ねる関係性だろうと思っています。このように言葉を付け加えてきましたが、いまさらですがさんから納得いただける説明に至ったかどうか分かりません。もしリンク先の記事をまだご覧になっていなかった場合、お時間等が許される際、合わせてご参照いただければ幸いです。

ここまでで相当な長さの新規記事となっています。今回は迷わず最初から前回記事「SNSが普及した結果…」の続きに位置付け、記事タイトルに「Part2」を付けて書き進めています。これから記すことも、いつもお伝えしている説明の一つです。このブログは週に1回、土曜か日曜に更新しています。2012年春頃からコメント欄への対応も週末に限らせていただいています。このペースが実生活に過度な負担をかけず、長く続けることができているブログとの距離感だと思っています。

以前は一つの記事に寄せられるコメントの数が100を超えることも珍しくありませんでした。それに対し、平日の夜、必ず私から一つ一つレスするように努めていました。労力的な負担よりも前述したような事情、基本的な視点や立場が異なる方々との「溝」を埋めることの難しさを痛感し、現在のようなブログとの距離感に繋がっていました。そのため、たいへん恐縮ながらコメント欄での問いかけに対し、言葉が不足しがちなコメント欄ではなく、じっくり腰を落ち着けて臨める記事本文で対応するようになっていました。

基本的に一問一答に至らない場であることをご理解ご容赦願っていますが、前回記事のコメント欄に寄せられた「管理人さんも記事だけで対応していては、理解は得られないですよ。私も、現実から逃げているだけと感じてしまいます」という下っ端さんからの言葉は悩ましいものがありました。いずれにしても最近のコメント欄では民進党に対する批判や不満を示すご意見やご指摘が目立っているため、必ず近いうちに民進党に関するブログ記事を投稿する予定です。

今回の記事では引き続き前回記事「SNSが普及した結果…」に寄せられたコメントを踏まえ、気になった点を補足させていただきます。す33さんから「”偏向報道””報道しない自由”と言う言葉を聴いたことないですか?」という問いかけがありました。もちろん耳にしています。マスメディアの報道の仕方を批判する言葉ですが、いわゆる左や右それぞれの立場の方々から発せられています。

だからこそ意識的に幅広く、多様な情報や考え方にアクセスしていくことが重要です。そのツールとしてインターネットがあり、SNSの活用が手軽な時代となっています。しかしながら一方で、nagiさんも指摘しているとおりネットで得られる情報には信用性の問題が常に付きまといます。つい最近、DeNAの医療情報サイトの問題が発覚していました。掲載する記事の品質を担保する仕組みがなく、誤った内容の記事の掲載を防ぐことができなかったという問題です。

このような問題に留意していくと、SNSが普及した結果、誤った情報のもとに物事を評価されている方々も多いような気がしてきます。加えて、前回の記事で紹介した田中優子さんの「人は自分と同じ意見や感性にしかアクセスしなくなった。異なる立場の人々の意見と接する機会がなくなり、人々は極端な意見をもつようになっている」という指摘が重なるため、いっそう「願望」という調味料集団心理のデメリットに拍車がかかっている時代なのかも知れません。

先日放映された『NEWS23』で「ポスト真実」という言葉を取り上げていました。イギリスのオックスフォード辞書が今年の言葉に「post-truth(ポスト真実)」を選びました。オックスフォード辞書によると、客観的事実よりも感情的な訴えかけが世論形成に大きな影響を与える状況を示す形容詞であり、イギリスのEU離脱とアメリカの大統領選を反映した選択だと言われています。トランプ氏の発言は約7割がウソだったのにも関わらず、「真実のように感じられる」事実無根の主張が支持を広げ、エリート権力に立ち向かう意思の表れだと解釈されていました。

番組のまとめとして、インターネットなしの生活はあり得ないため、ますます情報の受け手側のリテラシーを鍛えていくことが必要だと解説されていました。本当にその通りであり、マスメディアやSNSの特性や難点を的確に理解した上、一つの経路からの情報だけを鵜呑みせず、意識的に幅広く多面的な情報に触れていくことが強く求められています。より望ましく、より正しい「答え」を見出すためには欠かせない心構えだろうと考えています。

ちなみに当ブログの発信内容自体が多様な立場のものではなく、読み手の印象によっては偏っているように受け取られているはずです。あくまでもSNS全体の中で無数にあるサイトの一つとして、多様な情報や主張の一角を発信しているつもりです。その上で当ブログが「異なる立場の人々の意見と接する機会」に少しでも繋がることを願っています。そのため、LITERAや『日刊ゲンダイ』の記事をあまりご覧にならないのだろうと思われる方々に対し、このような見方もあるという紹介を意識的に行なっていることも付け加えさせていただきます。

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2016年12月 4日 (日)

SNSが普及した結果…

前回の記事「年金改革関連法案を巡る論点」に対し、あっしまった!さんから熱いコメントを多数いただきました。先週の時点で私から「私自身も民進党が行なうことは”善”で、今の与党が行なうことは”悪”という立場で物事を論じないように極力注意しています」とお答えし、前回記事の最後のほうで「最終的には財源の問題に…」以下の問題意識に繋がっていることをお伝えしていました。

最後の最後に政権与党批判を基本的な立ち位置にした『日刊ゲンダイ』の記事を参考までに掲げていたため、結局は安倍政権批判のブログ記事という印象を閲覧された皆さんに強く与えてしまったかも知れません。私自身、以前の記事「消費税引き上げの問題」の中で綴っているとおり社会保障の維持・充実のために一定の負担増はやむを得ないという考え方です。

年金制度で言えば、2004年の法改正で将来にわたって制度を持続できるように年金財政のフレームワークを導入しています。少子高齢化が進行しても財源の範囲内で給付費を賄えるように年金額の価値を自動調整する仕組み(マクロ経済スライド)の導入です。財源の確保が不充分なままだった場合、このような仕組みも否定できず、状況によって年金額が下がることもやむを得ないものと考えています。

政権を担った民主党、ほぼ看板の付け替えに過ぎないと見られている民進党に対し、失望感や嫌悪感を高めている方々が多いことを承知しています。決して民進党だけを肩入れしたブログ記事ではないつもりですが、安倍政権を批判した記述が含まれると前述したような印象を与えてしまうようです。インターネットは不特定多数の方々に情報や主張を発信できる利点があるため、このブログでは多面的な見方を意識的に紹介するスタンスを重視しています。

いわゆる左や右の立場にとらわれず、幅広く多様な情報や発想に触れた上で物事を評価していくことが重要です。そのような関係性の中で、このブログが少しでも皆さんのお役に立てれば幸いだと願いながら投稿を続けています。ただ私自身の考え方や立場は明らかにしているため、どうしても特定の組織や政党の「プロパガンダ」記事のように見られてしまう傾向も否めません。

もちろん私自身が正しいと信じている「答え」に対し、支持してくださる方が増えることを期待し、良い意味で「なるほど、そのような見方もあったのか」と思っていただける方が一人でも多くなることを願っています。とは言え、このブログを長く続ける中で、基本的な視点や立場が異なる方々との「溝」を埋めることの難しさも痛感しています。そのため、分かり合えなくてもいろいろな「答え」を認め合うことの大切さに思いを巡らすようになっています。

おかげ様でコメント欄常連の皆さんからは上記のような関係性についてご理解いただき、理性的で節度を保った場になっていることをいつも感謝しています。いずれしてにも当ブログを通して私自身が発信した内容は、あくまでも閲覧されている方々が、どのように感じ、共感するのか、反発するのか、個々人の判断や評価に委ねていく関係性だろうと考えています。当たり前なことですが、前述したような期待感を託しながらも「正しさ」を押し付けるような意図は一切ありません。

以上のような意味合いを踏まえ、前回の記事の中でも参考サイトとして民進党衆院議員である玉木雄一郎さんのBLOGOSに掲げられた記事『「年金カット法案」で、国民年金は年4万円、厚生年金は年14万円減る?』と東洋経済オンラインの記事『民進党の「年金カット法案批判」は見当違いだ 将来世代の給付底上げへ、冷静に議論すべき』を並列に紹介していました。多面的な主張や情報に耳を傾けた上、それぞれの立場に関わらず拙速な決め付けを避けていく心構えが大切なのだろうと思っています。

実は今回の記事、先週水曜の夜に連合地区協議会が催した『働き方改革を考える』という労働学習会の内容を取り上げるつもりでした。前置きとして書き進めた内容が思った以上に膨らんでしまい、途中で記事タイトルを変更していました。労働学習会については次回以降の記事で取り上げる予定とし、途中から「SNSが普及した結果…」という話でまとめることにしました。

今回の題材も機会を見て当ブログで取り上げてみようと温めていたものです。少し前の『週刊金曜日』に掲載された法政大学総長の田中優子さんの「安心するための『金曜日』?」というコラムが目に留まっていました。「SNSが普及した結果、人は自分と同じ意見や感性にしかアクセスしなくなった。異なる立場の人々の意見と接する機会がなくなり、人々は極端な意見をもつようになっている」という話からコラムは始まります。

「実際、テレビなどのマスメディアではさまざまな立場の人が出てきて主張するので、聞きたくなくともそれを耳にする。新聞を隅から隅まで読めば、やはり異なる意見も読むことになる。しかしインターネット上では読むものを自分で選ぶことができるので、安心できる同じ意見しか読まなくなるのである。本来、インターネットの効用は多様なデータを入手できる点であった。異なる意見に頭を悩まし、データ解釈に時間をかける。それを怠ったとたん、人はものを考えなくなる」と続きます。

田中さんの問題提起は「本誌のような明確な媒体にも起こることだ。媒体を、自分の考えの補強にのみ使っていないだろうか? 媒体の側も、固定読者の賛同を求めて、それが得られるような内容にしていないだろうか? SNS社会だからこそ、多様な主張とデータをめぐって論争の場となる媒体が必要だ」というものです。私自身、インターネットの普及は幅広く詳しい情報を手軽に素早くコストをかけずに入手できるため、大多数の方が「異なる立場の人々の意見と接する機会が増えている」傾向にあるものと見ていました。

自分自身がそうであったため、SNSの普及が真逆の流れを生み出しているという田中さんのコラムの内容は意外なものでした。一方で田中さんと同様、多様な主張とデータをもとに率直な意見を交わせる機会が非常に大事なことだと考えているため、この記事の冒頭に記したような私なりの問題意識を改めて掲げさせていただきました。これからも当ブログが異なる意見の方々同士の接点になれることを願いながら、田中さんがコラムの最後に残した言葉を紹介させていただきます。

敵をひとつにまとめて攻撃するのは気持ち良いかもしれないが、実はひとつではない。ものごとを単純化してイデオロギーで説明するとわかりやすいが、世界は本当は複雑だ。その複雑さのまま、そこからより良いものを見分ける分別が、多様性とともに欲しい。今必要なのは、思考の隘路に入り込まない柔らかさだろう。日本の債務は今後も膨れ上がる。大震災もやってくる。人口も減る。ほんものの豊かさを選ぶ知性を備えなければならない。

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