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2016年11月26日 (土)

年金改革関連法案を巡る論点

前回の記事「自衛隊の新たな任務、駆けつけ警護」の冒頭にコンビニの菓子パンの話を取り上げました。冒頭に取り上げた訳を最後に「475円と知った上で買った場合、何も問題はありません。駆けつけ警護の問題をはじめ、物事の是非を判断するためには幅広く、より正確な情報を把握していくことの大切さに思いを巡らす機会に繋がっていました」と記していました。改めて読み返してみると、少し言葉や説明が不足していたように感じています。

前回の記事は駆けつけ警護という個別の問題を主題としていましたが、一般論の話として「物事の是非を判断するためには」という論点も提起していたつもりです。475円という値段を知った上で買うか買わないかを決める、つまり駆けつけ警護とはどういうものなのか、南スーダンの情勢はどういうものなのか、できる限り理解した上で自衛隊の新任務の是非を判断する、このような情報把握の必要性に思いを巡らしています。

もちろん私自身をはじめ、国の行く末を左右するような重大な事案に際し、国民自らが様々な情報を把握するように努めなければなりません。同時に政府やマスメディアは国民に分かりやすく、かつ関心を高めるような伝え方に力を注ぐ必要があるはずです。今回の駆けつけ警護の問題に対し、稲田防衛相は「現地邦人のリスク低減に繋がる」と説明していますが、まったく的外れな発言です。このような国民を欺くような説明は論外だろうと思っています。

それこそ値段の表示を分かりづらくしていたコンビニの菓子パンと同じ関係性となります。もともと自衛隊という憲法上の制約のある組織を派遣しているため、建前に建前を重ね、たいへん分かりづらい構図になっているように感じています。今回も「物事の是非を判断するためには」という論点を提起するための重要な題材として、年金改革関連法案を巡る与野党の主張について掘り下げてみます。その法案は昨日、衆院厚生労働委員会で可決されました。

年金支給額を抑制するルールの強化などを盛り込んだ年金制度改革関連法案は、二十五日の衆院厚生労働委員会で自民、公明両党の与党と日本維新の会の賛成多数で可決された。民進、共産両党は審議が尽くされていないと抗議したが、与党は採決を強行した。二十九日の本会議で可決し、参院に送付する構えだ。自公両党の幹事長は二十五日、国会内で会談し、今国会で法案の成立を図るため、三十日までの会期を延長する方針を確認した。二十八日の与党党首会談で延長幅を決める。

民進、共産、自由、社民の野党四党の国対委員長らは、大島理森衆院議長と国会内で会い、委員会での採決は無効だとして、本会議で採決しないよう要請。大島氏は「与野党でよく話し合ってほしい」と述べた。民進党の蓮舫代表は、自民党の丹羽秀樹衆院厚労委員長の解任決議案を提出する考えを記者団に示唆した。安倍晋三首相は二十五日の委員会質疑で法案について、将来世代に財源を回し「世代間の公平を図る」と意義を強調した。民進党の柚木道義氏は「現状でも年金だけで暮らせない人はいっぱいいる。(年金減額は)国民の生き死にがかかっている」と批判した。

法案は、年金支給額を物価や現役世代の賃金に合わせて変動させる「賃金・物価スライド」の新ルールを盛り込んでいる。物価の下げ幅より賃金の下げ幅が大きい場合は、賃金に合わせて年金を減額。物価が上がっても賃金が下がった場合は賃金に合わせ減額し、ともに減額する内容だ。法案には、物価や賃金が上昇した場合、年金支給額の伸びを低く抑える「マクロ経済スライド」の強化も加えた。パート従業員らの厚生年金加入の拡大、国民年金に加入する女性の産前産後の保険料免除、年金積立金を管理運用する独立行政法人(GPIF)の組織改編なども含んでいる。【中日新聞2016年11月26日

最近、強行採決という言葉そのものが注目されがちです。野党は「強行」を演出していると揶揄する声も耳にします。以前の記事「安保関連法案が衆院通過」の中で記したとおり日本の法律の大半は全会一致で成立しています。与野党がしっかり議論し、必要であれば修正を加えた上、各党が共通して支持する法案のほうが圧倒多数です。与野党で法案に対して部分的に賛否が分かれた場合でも、そのほとんどは審議を打ち切ることについての与野党の合意があった上で採決していました。

委員長職権による採決は慣例上きわめて例外的なものとして位置付けられ、話し合いを続けることを拒否する非民主的な方法という批判を込めて強行採決と呼ばれています。このような背景や経緯はあまり理解されないまま、強行採決という言葉が各人各様のイメージのもとに語られがちです。要するに野党側が委員長席に押しかけなかったとしても、与野党の合意に至らない委員長職権による採決だった場合、強行採決と呼ばれることになります。

最終的には多数決による決着も必要なのかも知れませんが、今回の年金改革関連法案に関しては審議時間も含め、充分な議論が尽くされたのか疑問です。安倍首相は「私が述べたことをまったく理解していないようでは何時間やっても同じだ」と言い放っています。さらに「年金カット法案」という野党側の批判に対し、安倍首相は「無責任なレッテル貼りをするべきではない」とし、「将来の年金水準確保法案である」と反論しています。

私自身、固有名詞を別な呼び方で揶揄することは控えるようにしています。ただ論点を浮き彫りにし、注目を集める手法として分かりやすい言葉に置き換えるケースがあることを頭から否定していません。もちろん完全な事実誤認や誹謗中傷に繋がる言葉だった場合、許されるものではありません。しかしながら今回の「年金カット法案」という呼び方は、ある面で事実を表わす言葉であり、「無責任なレッテル貼り」という反論で一蹴するのは冷静な対応だとは思えません。

「年金が減額されるケースもあるが、世代間格差を拡大させないためにも必要な仕組みである」という説明をしっかりと尽くすべきものと思っています。このような説明は国会での野党に向けたものであると同時に私たち国民に対して果たすべき説明責任です。物価が上昇していても賃金に合わせて年金額を下げるということは「このようなマイナスやリスクがあります」という側面も政府は強調すべきなのではないでしょうか。そうでなければ年金水準確保法案という呼び方自体、「看板に偽り」という批判を招きかねません。

菓子パンの話に照らせば「475円という値段ですが、どうでしょうか」という誠実な情報の伝え方が政府側には求められています。同時に私たち国民一人ひとりも本質的な論点を把握していく努力が欠かせません。このあたりを把握するための参考サイトとして民進党衆院議員である玉木雄一郎さんのBLOGOSに掲げられた記事『「年金カット法案」で、国民年金は年4万円、厚生年金は年14万円減る?』や東洋経済オンラインの記事『民進党の「年金カット法案批判」は見当違いだ 将来世代の給付底上げへ、冷静に議論すべき』を紹介します。

いずれにしても最終的には財源の問題に行き着くことになります。政権を狙う政党だった場合、その問題を避けながら「年金額のカットはけしからん」という批判だけでは不充分だろうと見ています。とは言え、法案に問題点が見受けられれば批判し、是正を求めていくことも野党としての大事な役割です。そのような意味で萩生田光一官房副長官の「田舎のプロレス、茶番だ」や前述した安倍首相の「何時間やっても同じだ」という発言は巨大与党の謙虚さの不足であり、下記のようなメディアの批判記事に繋がっていることも確かです。

物価が上がって賃金が下がっても年金が減額される――。高齢者イジメの“年金カット法案”が25日、衆院厚生労働委員会で「強行採決」される。しかし、これほどヒドイ法案を強行採決するとはとんでもない話だ。NHKの世論調査によると、この法案に「反対」するのが49%なのに対し、「賛成」はたった10%。国会での審議時間も短い。2004年に成立した年金抑制策「マクロ経済スライド」を導入する関連法は約33時間だったのに、今回はたった15時間程度だ。民進党の試算では、法成立で国民年金は年間約4万円、厚生年金は同14万円も減額するという。

苦しい生活を送る高齢者にとっては死活問題だ。しかも、最近の安倍自民党は、年金法案に限らず、強行採決を事前に“予告”する始末だ。山本有二農相の「強行採決発言」だけでなく、“年金カット法案”の所管大臣である塩崎恭久厚労相も佐藤勉衆院議運委員長のパーティーで、「強行採決だなんて、野党はいろいろと“演出”してくる」と放言。さらに、萩生田光一官房副長官は23日の会合で、TPP関連法案の採決に反対した野党の対応を「田舎のプロレス、茶番だ」と言い放った。

圧倒的多数の国民が反対する重要法案の審議を「プロレス」「茶番」「演出」とは――あまりにも国民をなめている。政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏はこう言う。「与党は『最後は数の力で押し切れる』と考えているから、緊張感がなくなっているのです。野党を軽んじるような発言も、全て本音でしょう。気が緩んでいるから、口が軽くなる。メディアも厳しい報道を控えがちなので、内閣支持率が下落することはないとタカをくくっているのでしょう。緊張感なき国会が、政治の劣化を招いています」 野党は“乱闘”してでも抗戦すべきだ。【日刊ゲンダイ2016年11月25日

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2016年11月20日 (日)

自衛隊の新たな任務、駆けつけ警護

昼食の大半はコンビニでパンを買っています。一つは菓子パンにすることが多く、先日、いつも利用しているコンビニでの出来事です。初めて見かける「ミニシュトレン」というパンが目にとまりました。棚に金額の表示を見つけられず、パンを手にして包装紙を確認しましたが、値段は分かりませんでした。高くても200円ぐらいだろうと思い、そのままレジに持ち込みました。

バーコードを当てた一つ目が「ミニシュトレン」で、レジの金額表示画面は「475」という数字を示しました。「えっ!何かの間違いではないのか?」と心の中で驚きの声を発していました。「そんなに高いパンだったのか」と心の中でつぶやき、「すみません、そのパンを他のパンと交換したいのですが…」と店員の方にお願いするのもバツが悪く、すべて心の中での葛藤にとどめ、そのまま支払いを済ませていました。

500円近くもするパンだと知っていたら絶対買っていません。確認不足のまま勝手な思い込みでレジに持ち込んだ自分の責任ですが、値段の表示を分かりづらくしていた売り手側にも不満を残す出来事でした。それほど大騒ぎするような話ではありませんが、このブログの冒頭で紹介した訳もあり、その訳は後ほど説明させていただきます。いずれにしても記事タイトルから離れた話から入ってしまい恐縮ですが、次の報道のとおり駆けつけ警護という新たな任務が自衛隊に課せられました。

稲田朋美防衛相は18日午前、南スーダン国連平和維持活動(PKO)に参加する陸上自衛隊の部隊に「駆けつけ警護」と「宿営地の共同防衛」の新任務付与の命令を出した。いずれも3月施行の安全保障関連法に基づいたもので、付与する対象は20日から順次出発する第9師団(青森市)を中心とする部隊。現地での準備が整う12月12日から実施が可能になる。稲田防衛相は18日午前の記者会見で「命令を発出したのは私自身なので、すべてのことについて責任がある」と述べた。

駆けつけ警護は離れた場所にいる国連職員らを暴徒などから武器を使って助ける任務。今月15日に南スーダンPKO実施計画の業務内容に加えると閣議決定した。部隊の活動地域は首都ジュバと周辺に限るため、駆けつけ警護ができるのはその範囲内となる。宿営地の共同防衛は、陸自部隊と同じ首都ジュバのトンピン地区に拠点を置く他国軍が襲われた際、自衛官が直接攻撃の対象でなくても共同で対処するものだ。

他国軍と相互に身を委ねている特殊な環境にあることを考慮し、必要に応じて最小限の武器使用を認める。新任務を訓練した陸自第9師団を中心とする派遣部隊は約350人。危険が伴う新任務付与に合わせ、医官を3人から4人に増やした。先発隊が20日に青森を出発する。南スーダンでは政府軍と反政府勢力による対立で、同国の南西部や北部を中心に治安が不安定な状況が続いている。【日本経済新聞2016年11月18日

安保関連法を巡る国会論戦の中で集団的自衛権の議論が先行し、駆けつけ警護の問題はあまり掘り下げられなかったという印象です。印象の薄かった中で自衛隊員のリスクが高まるかどうかという議論は目立っていました。任務や武器使用の範囲を広げるためリスク低減に繋がるという見方がある一方、戦闘の発生している現場に駆けつける任務を増やすのだからリスクが高まらないという考え方は詭弁だという批判もありました。

南スーダンに派遣する自衛隊に駆けつけ警護という新たな任務を付け加えるかどうかという議論の際は、PKO参加5原則に照らした問題が取り沙汰されました。PKO参加5原則とは自衛隊がPKOに参加するにあたって満たすべき条件であり、①紛争当事者間の停戦合意が成立、②受け入れ国を含む紛争当事者の同意、③中立的立場の厳守、④以上の条件が満たされなくなった場合に撤収が可能、⑤武器使用は要員防護のための必要最小限に限る、 というもので1992年に成立したPKO協力法に盛り込まれています。

憲法との整合性を保つために設けられたPKO参加5原則に照らし、南スーダンは「紛争当事者間の停戦合意」や「紛争当事者の安定的な受け入れ同意」が確立していない現状だと見られています。駆けつけ警護どころか、本来、自衛隊そのものが全面的に撤収しなければならない情勢だとも言われています。それにも関わらず、安倍首相や稲田防衛相は「戦闘」を「衝突」と強弁し、現段階では法的な意味での「武力衝突」は起きていないとして「PKO参加5原則は引き続き維持される」という見解を示しています。

11月15日に閣議決定された運用方針「新任務付与に関する考え方」の中で、駆けつけ警護は「極めて限定的な場面で、応急的かつ一時的な措置として、能力の範囲内で行なう」とし、活動範囲は「(首都)ジュバ及びその周辺地域」に限定し、「他国の軍人を駆けつけ警護することは想定されない」と明示しています。あくまでも駆けつけ警護は「自衛隊が(警護対象者らの)近くにいて助ける能力があるにもかかわらず、何もしないという訳にはいかない」という必要性を政府は強調しています。

派遣部隊員の壮行会が陸上自衛隊青森駐屯地で催された土曜日、仙台市内では駆けつけ警護に反対するデモ行進が行なわれていました。「隊員の安全をないがしろにした結論ありきの決定」だと批判し、「若い人たちを絶対に戦場に送らせたくない」と訴える声が報道されていました。ただ残念ながら、このような反対理由だけで運動の輪は広がらないように思っています。この駆けつけ警護の問題に対しては、反対するにしても、評価するにしても、もう少し深く掘り下げた論点や情報が欠かせないものと考えています。

アフガニスタンのDDR(武装解除・動員解除・社会復帰)で活躍された伊勢崎賢治さんが次のサイト『自衛隊「海外派遣」、私たちが刷り込まれてきた二つのウソ〜ゼロからわかるPKOの真実』の中で詳しく解説されています。お時間等が許される方は、ぜひ、リンク先の全文をご参照ください。ここではポイントとなる箇所を紹介しながら、何が問題で、どうすべきなのか、いろいろ考える材料や論点の提起に繋げさせていただくつもりです。

現在、南スーダンでは停戦が何度も破られ、混迷を深めている。停戦が破られたら撤退すればいいという日本のPKO派遣5原則は、まったく時代遅れだし、それを自衛隊が「武力の行使」の可能性のある状況に置かれない口実として、いまだに使い続ける日本の政局は、単なる無知を通り越している。この治安状況の悪化を鑑み、国連安保理は、南スーダンPKOのPKF部隊の増員を決定したばかりだ。

この状況で、自衛隊だけが撤退するのは、外交的に不可能だ(だから、現場の自衛隊は、PKO派遣5原則に反しても、現場の判断で、そうしていない)。昔と違い「住民の保護」がPKOの筆頭マンデート(使命)になっているのだ。撤退したら、「住民を見放した」と解釈され、国際人道主義を敵にまわすことになる。現代PKOは、1994年のルワンダで100万人を見殺しにしたトラウマから立ち上がっているのだ。「積極的平和主義」の失墜はおろか、日本は、卑怯な国として烙印を押されることになる。

まずPKO参加5原則が現状から乖離している点を押さえなければなりません。このブログでも「ルワンダの悲しみ」という記事を投稿していましたが、確かに「国連をはじめ、国際社会からツチ族への救いの手は皆無に等しい」という記述を残していました。このような背景や国際社会における認識の変遷がある中、日本の役割をどのように考えるべきなのか、1992年当時とは違った視点で検討する必要があります。

「駆けつけ警護」なる用語は現場には無い。あるのはProtection。これは国連平和維持活動(PKO)で行われる警護業務で、駆けつけようと、駆けつけまいと、PKO施政下で活動する国連職員、ユニセフ等の国連関連団体、NGO等の人道援助団体を、武力を使って保護する。それをやるのは、「国連平和維持軍(PKF)」と、同じPKOのもう一つの部門である「国連文民警察」である。

同じPKFの中で、窮地に陥った部隊に他国の部隊が駆けつけ、協力するのは、一つの統合指揮下に「一体化」するPKF部隊として当たり前のことだ。(PKOとPKFの用語の違い、そして施設部隊としての自衛隊はPKFであり、多国籍軍としての武力の行使に一体化する、という事実と、そうじゃないという歴代の政府のウソは、これを参照 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47860)  その他の「駆けつけ警護」は、その国で活動する国連職員、人道援助要員への傷害を違法とする紛争当事者国(例えば南スーダン)の国内法を根拠として警察権を行使する「国連文民警察」のお仕事である。

参照先は『なぜ日本政府はPKF部隊派遣にこだわるのか? 自衛隊「駆けつけ警護」問題の真実』であり、伊勢崎さんは「歴代の自衛隊の施設部隊は、PKFの工兵部隊であり、現場では、ずっとその扱いであった」と明言されています。これまで日本の自衛隊はPKFに参加せず、治安維持の任務でもなく、民生部門に寄与する施設部隊としての派遣だという説明が日本政府から加えられてきました。さらに対外的には軍隊だと見なされているのにも関わらず、宿営地を他国の軍隊に守られているという異色さが指摘されがちでした。

それでも日本国憲法の制約がある中、できる限りの活動であるという理解を求めてきています。PKO協力法の見直しにあたり、襲撃された場合の警護力の強化、つまり「駆けつけない警護」を検討していくのではないか、そのように予想していました。それが駆けつけ警護という新たな任務にまで広がった背景について、伊勢崎さんの解説に触れて理解できたような気がしています。日本政府は自衛隊の活動を憲法の枠内であるという見方を決して曲げませんが、対外的には国際標準の自衛隊の任務に近付けようと企図していることが推測できます。

伊勢崎さんは一つの「答え」として、自衛隊を撤退させる代わりに警察官を国連文民警察に派遣するという案を示しています。その案が現実的なのかどうか分かりませんが、引き続き自衛隊を派遣するのかどうかも含め、議論が未成熟なまま既成事実だけ積み重なられていくことを危惧しています。最後に、コンビニの菓子パン「ミニシュトレン」の話に戻ります。475円と知った上で買った場合、何も問題はありません。駆けつけ警護の問題をはじめ、物事の是非を判断するためには幅広く、より正確な情報を把握していくことの大切さに思いを巡らす機会に繋がっていました(coldsweats01)。

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2016年11月12日 (土)

定期大会を終えて、2016年秋

10月31日にクールビズが終わり、翌日の11月1日からウォームビズに切り替わっています。一気に男性職員の首元にネクタイが目立つようになります。その日を境に気候が急激に変わる訳ではありませんが、数年前から定着している私が勤めている職場の風景です。この切れ目の極端さに象徴されるように最近、いつからいつまでが秋なのか分かりづらくなっています。

11月上旬、まだ冬と呼ぶのには早いと考え、今回の記事は「定期大会を終えて、2016年秋」というタイトルを付けてみました。金曜の夜、私どもの組合の定期大会が開かれました。3年前の記事「定期大会の話、インデックスⅡ」の中で詳しく綴っていますが、組合員全員の出席を呼びかけるスタイルで続けています。昨年が開催回数における節目の第70回定期大会でしたが、今回、今後の活動内容や発想の転換という意味で大きな節目に位置付れられる大会になりました。

定期大会冒頭の執行委員長挨拶はそのような論点の提起に絞り、例年以上に簡潔な内容の挨拶に努めました。ちなみに人前で挨拶する機会が多いため、檀上で緊張するようなことはありません。原稿がなくても大丈夫ですが、いろいろ話を広げてしまい、割り当てられた5分という時間をオーバーしてしまう心配があるため、毎年、定期大会だけは必ず挨拶する内容の原稿を用意しています。ここ数年、挨拶原稿のほぼ全文をブログで紹介していますが、今回の内容は下記のとおりでした。

アメリカ大統領選はトランプ候補が勝利しました。今後、どのような展開が待っているのか容易に見通すことはできません。日本にも一定の影響があるのでしょうが、この挨拶では、よりローカルで、より大切な自分たちの足元について触れさせていただきます。ここ数年、春闘期に発行する特集記事の見出しですが、「役に立たない組合はいらない?」と掲げています。一歩間違うと大きな誤解を招き、組合をつぶそうと考えているような言葉です。決してそうではなく、組合員の皆さんに対し、まったく役に立たない組合であれば、私自身も「いらない」と思います。

しかし、いろいろ力不足な点もあろうかと思いますが、一定の役割を果たしていることを確信しているため、組合は必要という認識を持ち続けています。この1年間の成果として、扶養手当と一時金役職加算を東京都の支給水準に引き下げたいという提案が示されていましたが、地域手当は都の水準よりも大きく下回っている点などを指摘し、今年度からの実施を見送らせました。人員確保の取り組みの最終盤、3月12日には明け方まで労使交渉を重ね、人事当局の想定を大きく打ち破る交渉結果を得ていました。

そのため、新年度にいくつかの職場で欠員が生じ、負担をおかけしました。組合は年度内早期の補充を求めるとともに今後、このような事態を生じさせない採用計画のあり方についても申し入れています。8月1日には人事及び教委当局と合同の交渉を持ち、単独校給食職場のセンター化にあたっては労使合意なく一方的に実施しないという原則を改めて確認しています。本日お配りした議案書の中にそのような経過の内容が詳しく掲げられていますので、ご一読いただければ幸いです。

このような職場課題を解決できる労使交渉能力があるからこそ、組合役員を長く続ける中で「組合は必要」という思いを強めています。ただ残念ながら来期は過去最少の執行委員の数で組合活動に向かわざるを得ません。さらに組合財政も非常に厳しく、今回提案しているとおり幅広い組合活動のあり方を見直していくことになります。私自身、このような現状に至っていることの責任の重さを強く受けとめながら「ピンチをチャンス」に変えられるよう努力していくつもりです。

職場課題を解決できる交渉能力の維持を大前提とし、優先順位を判断しながら活動全般を見直します。この見直しを通し、組合役員の負担軽減も同時に考慮していきます。持続可能な組合組織につなげていくためにも、ハードとソフト両面から組合に対するイメージを転換させ、組合役員の担い手問題を解決していく好機にしたいものと考えています。「組合は必要」という認識が全体で共有化され、この程度の負担であれば「良い経験にもなるし、執行委員を引き受けてみようか」という声が増えていくことを強く願っています。

まだまだお話したいこと、取り上げるべき大事な課題が数多くあります。それでも皆さんからの発言の時間を充分保障するためにも、挨拶は短めにさせていただきます。最後に、これからも常に「組合員にとって、どうなのか」という判断基準を大事にし、組合運動の先頭に立ち、全力を尽くす決意です。それでは、ぜひ、最後まで参加いただき、ハンディクリーナーなどを獲得するチャンスを持ち帰られるようよろしくお願いします。

少し前に「米大統領選と都知事選の違い」という記事を投稿していましたが、時事の話題や情勢を語り始めるとそれだけで挨拶の時間が長くなりがちです。そのため、アメリカ大統領選の話題はサワリだけにとどめ、一気にローカルな私どもの組合に関する課題に入っていました。主な論点は前々回記事「持続可能な組合組織に向け」の中で綴った内容のとおりです。キーワードは「「ピンチをチャンス」にであり、組合役員の担い手と組合財政の問題を同じ道筋で解決しているかどうかを提起しています。

方針案の質疑の時間では「公立保育園の大切さ」を保育士の皆さんからアピールがあり、他に予算案に対する質問などが寄せられました。大会出席者からの指摘を受け、2017年度一般会計予算案の数字上に確認すべき点が生じたため、年内に開く予定の第1回職場委員会に改めて提示する運びとしています。差し替えることを決めた予算案以外は、すべて執行部提案の原案通り承認を得られました。

その中の一つに特別議案「組合財政の確立に向けて」があり、経常的な収入に見合った支出構造に近付けるための大胆な一歩を来年度から踏み出すことになりました。例えば定期大会の会場の見直しです。組合員全員の出席を呼びかけているため、これまで千人以上収容できる市民会館の大ホールで催してきました。2階席は使用していませんが、実際の出席者数に比べて大ホールは広すぎて、残念ながらガランとした雰囲気になりがちでした。

今年の定期大会当日の組合数は1172人です。一人でも多くの出席を呼びかけながら300人も入らない会場で開いた場合、初めから出席者をあまり集める気がないように思われてしまいます。このような点を考慮し、大ホールを大会会場に定着させていました。しかしながら組合員数の減少に伴い、大会出席者数も漸減してきています。そのため、来年度以降、大会の会場を大ホールから小ホールに移すことを決めました。

今回、最終的な出席者数は250人ほどだったと聞いています。来年、極端に増えない限り、小ホールの収容規模に見合った出席者数だと言えます。300人を超えた場合は「うれしい悲鳴」を上げることになりますが、経費縮減の検討を通し、背伸びしない身の丈に合った大会会場に切り替えるという発想の転換をはかりました。また、引き続き出席者数の推移を見ながら会場規模の再検討をはじめ、代議員制への移行など大会のあり方そのものを検討していくことも確認しています。

事務費、行動費、活動費など全体を通し、かなり踏み込んだ見直しを進め、大幅な支出縮減に努めた予算策定の考え方を確認しました。職場課題を解決できる交渉能力の維持を大前提とし、優先順位を判断しながら活動全般を見直す機会としています。私自身の大会挨拶の中で触れているとおり組合役員の負担軽減も同時に考慮しながら、来年度から経費のかかる機関誌の発行回数やイベントの数などを見直していきます。

組合役員の負担軽減が進み、執行委員を引き受けることが一大決心を必要としている現状を転換できれば何よりだと考えています。組合の今後を左右する重要な特別議案を諮った定期大会が終わって安堵し、金曜の夜だったため、久しぶりに飲み過ぎてしまったようです。土曜日、ずっと頭の中にモヤがかかっている状態(think)でした。最後に、組合員の皆さん、大会運営にご協力いただいた皆さん、来賓の皆さん、新旧の組合役員の皆さん、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。

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2016年11月 6日 (日)

沖縄で起きていること

nagiさんから少しの前の記事「電通社員が過労自殺」のコメント欄で『沖縄自称「平和運動」の狂態を写真で見る』というサイトの紹介がありました。沖縄の辺野古新基地建設に反対している現地活動家の手法を痛烈に批判しているブログでした。他人の車のボンネットに乗り上がり、行く手を阻止しようとしている写真をはじめ、このような事実関係を知った方々にとって到底支持できない反対活動の光景だろうと思っています。

さらにnagiさんから私に対し、このような現状に関して「OTSU氏の立場から見ると、沈黙は賛成の証と見えます」という言葉が添えられていました。反対の意思表示として基地のフェンスに貼られたテープの中にガラス片やカッターの刃を入れ、はがそうとする人を傷つけるように企てているという話もそのブログに記されています。それらがすべて事実であるものと理解した場合、賛成できる訳がなく、反対運動のマイナスに働く行為だと言わざるを得ません。

前々回記事「心が折れる職場」のコメント欄では、やはりnagiさんから「現在、沖縄に動員されている公務員の方々はまさに心が折れそうになる職場ですよね。心から同情します」というコメントが寄せられていました。この場合の公務員は警察官を指していますが、私自身も職務上、差押を受けた滞納者から理不尽な罵詈雑言を浴びせられる時があります。人格攻撃のような罵声には内心ムッとしても、あくまでも職務に対して浴びせられている言葉だと思って耐えるようにしています。

沖縄現地の反対運動の緊迫した場面で怒号が飛び交い、矢面に立つ警察官が直接浴びせられた罵声に対し、言い返したくなる人も多いようです。しかし、「土人」や「シナ人」という言葉が警察官の口から発せられていた事実には驚き、たいへん残念なことだと思っています。ジャーナリストの吉富有治さんの『危険な「土人」発言の擁護論 通用しない警察官の“売り言葉に買い言葉”』の中で下記のような問題提起がされています。冒頭の箇所をそのまま紹介させていただきます。

この「土人」発言をめぐっては保守系のメディアや一部政治家などが、「現場で警察官を挑発し、過激な行動を繰り返す活動家がいるからこのような問題が起こったのだ」などという理屈によって問題を起こした警察官を擁護している。また、ネットでもこれらの意見に共感する人たちは少なくない。要は「売り言葉に買い言葉」だから、どっちもどっちだろうというのである。だが、チンピラ同士のケンカならいざしらず、当事者のひとりが警察官ならこの理屈は通用しない。

そもそも「売り言葉に買い言葉」が“成立”するのは立場が対等な場合に限られる。ただし、ここでいう「立場」とは職業や役職といった身分的なものではなく、プライドや自信といった、いわば心の余裕に基づくものだ。たとえば、小学校の教師が生徒から面と向かって暴言を吐かれても、普通なら諭すことはあっても言い返しはしない。教師と小学生とでは立場も心の余裕もまったく違うからである。それでも言い返す教師がいるとすれば、その人の頭の中身は小学生並みということだろう。

騒ぎになっている現場周辺に過激な反対派がいたとしても、人を物理的に拘束できる国家権力を持つ警察官とがそもそも対等なわけがない。また、現場の警察官はそのような強大な公権力を持ち、治安を守るプライドがあるからこそ、いき過ぎた言動が起こらないよう普段から自律心と自制心という高い精神性も求められているのだ。公権力を行使できる立場にいる警察官の行動は法律に従う必要がある。

一方、「土人」「シナ人」は差別語でありヘイトスピーチである。当然、これは法に則ったものではない。したがって、「土人」と言い放った警察官は法を破ったにも等しく、法を守る警察官の行動として不適切である。さらには、反対派の行動が過激で無法なものだとして、だから「売り言葉に買い言葉」で「土人」という言葉を投げつけたのだとしたら、この警察官の頭の中身は相手と同レベルである。

nagiさんから寄せられたコメントの中で、たいへん重要な問いかけがありました。「自分たちの活動が正しい、だから法律違反しても関係ないと考え行動するならば、テロリズムとなにが異なるのか説明できるのでしょうか」というものです。大きな歴史の流れの中では前体制の築いた法律や秩序を否定し、新しい体制に変革した事例は数多くあります。その変革を歴史的に評価する見方もあるのかも知れませんが、問題ある体制を変えるために暴力や破壊活動を肯定する考え方はテロリズムと表裏一体となってしまう危うさがあります。

最低限、ここ日本においては法律や社会的な規範を強く意識した中で、それぞれの立場からの主張の「正しさ」を競い合っていくべきものと考えています。ヘイトスピーチの応酬は論外であり、反対運動を進める側にも公権力側にも自制心を持った振る舞いが求められているはずです。初めに紹介したブログの中で伝えられているような行為は反対運動側が省みなければなりませんが、高江のヘリパッド建設のための陸上自衛隊のヘリコプター投入は法律違反の疑いを取り沙汰されるなど強い権力を持っている国側にも反省すべき点が多々あります。

そもそも沖縄の基地負担軽減策とは、老朽化した米軍基地(施設)の代わりに沖縄県内の土地や海に新しい基地を建設し、住民に新たな被害と負担を強いるだけだという見方があります。一方で、高江住民の中には道を塞ぐような抗議活動に反発する人が多いことも確かです。それでも直近の参院選挙では辺野古の新基地建設と高江ヘリパッド建設に反対する候補者が勝利しています。それにも関わらず、国は選挙結果が出た数時間後、高江の工事を始めていました。地元の民意をまったく無視した不誠実な振る舞いだと言えます。

いずれにしても過去に「普天間基地の移設問題」という記事を綴っていましたが、沖縄の問題を語る際は歴史や安全保障のあり方など幅広い論点を押さえていかなければなりません。今回の記事を通し、もう少し高江の問題を掘り下げることも考えていました。結局、そこまで広げず、反対運動の現場において「沖縄で起きていること」に絞らせていただきました。最後に、芥川賞作家の目取真俊さんが現場で体験した事実として「沖縄タイムス」に寄稿した文章を紹介させていただきます。

10月18日の午前9時45分頃、ヘリパッド建設が進められている東村のN1地区ゲート付近で抗議行動を行っている際に、大阪府警の機動隊員から「どこつかんどるんじゃ、こら、土人が」という言葉を投げつけられた。現場では10人ほどの市民が、砂利を搬入するダンプカーに対し、金網のフェンス越しに抗議の声を上げていた。この機動隊員はその市民に「ボケ」「クソ」という言葉を連発し、言葉遣いがひどいのでカメラを向けているところだった。本人も撮影されているのは承知の上で「土人が」と言い放った。

それだけではない。その後、別の場所で砂利を積んだダンプカーに抗議していて、3人の機動隊員に抑え込まれた。「土人が」と発言した機動隊員は、離れた場所からわざわざやってきて、私の頭を叩いて帽子を落とすと、脇腹を殴ってきた。近くに新聞記者がいたので、写真を撮るように訴えた。機動隊員は記者から見えにくい位置に回り、抑え込んでいる仲間の後ろから、私の足を3回蹴った。ビデオ撮影されたときは、フェンスがあって手を出せなかったので、暴力をふるうチャンスと思ったのだろう。

その前には大阪府警の別の機動隊員が、ゲート前で抗議している市民に「黙れ、こら、シナ人」という暴言を吐いていた。この機動隊員もゲート前に並んだ時から態度が横柄で、自分の親や祖父母の世代の市民を見下し、排除の時も暴力的な言動が目立っていた。そのため、注意してカメラを向けている際に出た差別発言だった。 高江には現在、東京警視庁、千葉県警、神奈川県警、愛知県警、大阪府警、福岡県警から500人と言われる機動隊が派遣されている。沖縄県警の機動隊を含めて、沖縄島北部の限られた地域にこれだけの機動隊が集中し、長期にわたって市民弾圧に乗り出している。こういう事例が過去にあっただろうか。

警察官は市民が持たない権力を持っている。本来はヘイトスピーチを取り締まる立場にある彼らが、ネット右翼レベルの知識、認識しか持たず、沖縄県民に差別発言を行っているのは恐ろしいことだ。このことが徹底して批判され、是正されなければ、沖縄差別はさらに広がっていく。ヤマトゥに住むウチナンチューに実害が及びかねない。そういう危機感を持つ。かつて就職・進学で沖縄からヤマトゥにわたった若者たちが、沖縄に対する差別と偏見に悩み、苦しんだという話が数多くあった。1980年代後半から沖縄の音楽、芸能がもてはやされ、観光業が伸びていくのと合わせて「沖縄ブーム」が生まれた。沖縄への理解が進み、差別・偏見も改善されたように見えた。

しかし、「明るく、楽しく、優しい沖縄」イメージがもてはやされる一方で「基地の島・沖縄」という実態は負のイメージとして隠蔽され、米軍基地の負担は変わらないばかりか、自衛隊の強化が進められた。しょせん「沖縄ブーム」はヤマトゥに都合のいいものでしかなかった。そういう二重構造は差別意識にも反映している。ウチナンチューがヤマトゥの望むように行動すれば評価されるが、意に反して自己主張すればはねつけられ、言うことを聞かなければ力ずくで抑え込まれる。高江や辺野古はそれが露骨に現れる場所だ。だから隠れていた差別意識も噴き出す。そもそもヘリパッド建設強行自体が差別そのものなのだ。【沖縄タイムス2016年11月4日

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