平和主義の効用
バングラデシュの首都ダッカで凄惨なテロ事件が起こり、日本人7名の方が犠牲になりました。バングラデシュに貢献するために赴いていた日本人犠牲者7名の方々の無念さを思うと本当に心が痛みます。そして、いかなる理由を強弁しようとも武力で人命を奪う卑劣なテロは許されず、あらゆる場所でテロがなくなることを強く願っています。
前回の記事が「憲法の話、インデックス」だった訳ですが、その翌週にも再び憲法の話を取り上げることにしました。実は前回記事の中でバングラデシュのテロ事件について触れようかどうか迷いました。やはり不本意な誤解を招く心配があり、前回の記事を通してテロ事件に触れることは望ましくないものと判断しました。その後、下記のようなニュースの記事をネット上で目にしたため、まず当該サイトの全文を紹介させていただきます。
バングラデシュ襲撃事件の現場となったレストランで、ある日本人男性は武装組織メンバーに向かってこう叫んだという。「I'm Japanese. Don't Shoot.(私は日本人です、撃たないで)」――。複数の大手紙が目撃談を報じている。事件をめぐっては、過激派組織IS(イスラム国)が犯行声明を出 した。ISが標的としているのは、ISと敵対する「十字軍連合」と呼ぶ国々であり、日本もその1つに数えられている。ISによる犯行と確定したわけではないが、日本人7人の命が奪われたことで、改めてその事実を想起した人もいたようだ。
事件は2016年7月1日夜(日本時間2日未明)、首都ダッカにあるレストランで発生した。武装組織が店内に侵入し、日本人8人を含む30余人を人質に立てこもった。翌朝に治安部隊が突入し、日本人男性1人を含む13人が救出されたが、人質20人が命を落とした。うち、7人が日本人だった。現場の目撃談を報じた、読売新聞などの記事によれば、ある日本人男性は武装組織のメンバーに対し、自身が日本人であることを繰り返し英語で強調したという。「撃たないで」とも懇願したが、店内に連れ込まれたそうだ。
日本人では唯一、男性1人が救出されている。それが叫んでいた人物なのかどうかは現在(3日夕)のところ定かではない。ただ、仮に助かった人物だとしても、「日本人」だと主張しても人質の対象からは逃れられなかった形だ。ISが標的とする「十字軍」は、 アメリカやイギリスなど主にキリスト教中心の欧米諸国を指している。一方で、非キリスト教国である日本も十字軍の一員とみなされている。ISは2015年1月、湯川遥菜さんと後藤健二さんが捕えられた日本人人質事件の際に公開したビデオの中で「日本は十字軍に参加した」との表現を使っていた。
2015年2月には英字版機関誌「ダビク」の中で、日本のアフガニスタン支援に言及。 「キリスト教という異教徒でもなく、『平和主義』憲法があり、非常にアフガニスタンから離れているにも関わらず、日本は十字軍に参加した」と非難した。また、安倍晋三首相の中東支援について触れて「すべての日本人が標的」とも主張した。
つい最近も、日本人が標的にされたとして注目を集める出来事があった。16年6月、ISを名乗る組織が世界各国4000人以上の個人情報を書いた名簿をネット上で公開し、名前の書かれた人々を直ちに殺害するよう支持者に呼びかけた。報道によれば、その中には約70人分の日本人の情報が含まれていた。名簿には間違いも多く、信憑性に欠けるものではあったそうだが、それでも「日本人は例外」――ではない、という事がうかがえる。
今回、「日本人です」と口にした男性が、どんな効果を期待して主張したのかは分からないが、もし「非キリスト教国で平和憲法を持つ国だから」という意味だったとすれば、それはもはや通用しない、ということなのかもしれない。バングラデシュは親日的な国と して知られており、そうした関係性を念頭に置いていた可能性もある。日本のネットユーザーの間でも反響が広がっており、「今後は海外では日本人を強調しない方が良いかも」「『私は日本人だ』は『私は異教徒だ』と同義」との声が上がっている。
元外交官で評論家の孫崎享さんは7月2日深夜のツイッターで、「残念ながら日本人なら無害は過去の話」と指摘。ISが後藤さんを殺害した際に、安倍首相に対して「おまえの無謀な決断でこのナイフは(後藤)ケンジを殺すだけでなく、おまえの国民を場所を問わずに殺戮する」と警告した話を挙げた。一方、ISの警告と安倍首相の外交対応を関連付けて安倍政権を批判することに対しては、「(過激派の)思うつぼだ」との逆批判も以前からある。
菅義偉官房長官は7月3日午前の記者会見で、死亡した日本人男女7人について、男性4人は80代、60代、50代、40代、30代、女性2人は40代と20代と明かした。今後の対応について、「バングラデシュについては一層の注意を改めて呼びかける」 「全在外公館に邦人の安全確保に万全を期すよう指示した」と述べた。また、日本時間3日夕になって、AFPはバングラデシュの内相が、犯行は国内の過激派 組織のメンバーで、ISの信奉者ではない、との見方を示したと報じた。【J-CASTニュース2016年7月3日】
誤解を受けないよう強調しますが、強く非難すべき対象はテロの実行犯や首謀者たちです。昨年2月に投稿した「人質テロ事件から思うこと」の中でも記したことですが、テロ事件に便乗し、安倍政権を攻撃するような手法や発想は慎むべき点だと考えています。そのような国内的な混乱を生じさせることもテロの目的であり、テロの暴力に屈したことになるという見方もその通りだろうと思っています。
ただ事実は事実として的確に把握し、多様で多面的な情報や視点に触れていくことによって、より望ましい判断や評価に繋げていけるものと考えています。テロ事件で銃声が響く中、「アイム・ジャパニーズ、ドント・シュート(私は日本人です、撃たないで)」と懇願する男性の声が聞こえ、その懇願は武装組織のメンバーに受け入れられなかったことは事実です。ISから日本も「十字軍の一員」と見なされ、テロの標的にされていることも事実です。
昨年1月、安倍首相がエジプトでの演説の中で「イスラム国と戦う周辺諸国に2億ドルの支援」という言葉を発したため、「キリスト教という異教徒でもなく、『平和主義』憲法があり、非常にアフガニスタンから離れているにも関わらず、日本は十字軍に参加した」と非難されたことは事実です。しかし、その安倍首相の発言がなければ、ISから日本は敵視されることがなかったのかどうかは分かりません。
「憲法9条のおかげで日本は平和だ」「9条を守れば戦争は起きない」という言い方をよく耳にします。護憲派を揶揄する際、そのような言い方がされがちですが、短絡的な表現だと思っています。中には本気で「9条を守れば戦争は起きない」と考えている方がいるのかも知れません。しかし、憲法9条を大切にすべきと主張している方の大多数は個別的自衛権の必要性を認めた上での論理を組み立てているはずです。
憲法9条があったため、ベトナム戦争やイラク戦争などの際、直接戦闘に参加しない国であり続けたことは事実です。9条を守れば戦争が起きないのではなく、専守防衛という平和主義を守ることで、海外での戦争に関わる可能性の低い国であり続けられたことが事実だと言えます。事実関係が曲解されて認識されていた場合、かみ合った議論に至らないため、「憲法9条のおかげで日本は平和だ」などという言い方は誤解を生む表現だと思っています。
これまで当ブログで「改めて安保関連法に対する問題意識」や「セトモノとセトモノ、そして、D案」をはじめ、数多くの記事を通して平和の築き方や安全保障のあり方について自分なりの「答え」を綴ってきました。私自身、憲法9条さえ守れば平和が維持できるとは思っていません。重視すべきは専守防衛を厳格化した日本国憲法の平和主義であり、その平和主義の効用こそ大切にすべきものと考えています。
今回、平和主義の効用について掘り下げてみます。そもそも国際社会の中で戦争は原則禁止されています。そのため、自衛隊を国際的なスタンダードとなる組織や役割を担う国防軍に改編すべきという自民党の憲法草案からすれば、参院選挙における自民党の政権公約(マニフェスト)の「平和主義は継承しつつ、自衛権の発動を妨げないこと、国防軍を保持することを明記」の平和主義という言葉は誤解を与えがちです。
自民党は自衛隊を国防軍という軍隊に改編し、フルスペックの集団的自衛権の行使をめざしています。つまり国際社会で許された戦争を普通に行使できる国になることを謳った政権公約です、したがって、国際社会の中で「特別さ」をアピールできた日本国憲法の平和主義の旗を下ろす意味合いの説明も必要な気がしています。いずれにしても自民党のめざす改憲が実現した場合、日本は国際標準の平和主義の国にとどまるため、日本国憲法を「平和憲法」とは呼べなくなるはずです。
これまで平和主義の効用の話を取り上げた際、アフガニスタンのDDR(武装解除・動員解除・社会復帰)で活躍された伊勢崎賢治さんの言葉を紹介しています。平和国家である日本のイメージは良く、「軍事的下心がない」と認識され、「憲法9条によるイメージブランディングが失われたら日本の国益の損失だ」と伊勢崎さんは語られています。今回、伊勢崎さんの著書『戦場からの集団的自衛権入門』の内容が掲げられたサイトの中から平和主義の効用に関わる箇所を抜粋して紹介させていただきます。
「日本に言われちゃ、しょうがない」 あの時、軍閥やその配下の司令官たちは、我々が武装解除に向かった先々で、例外なくこう言い、武装解除に従いました。また、武装解除が終わった後、ノルウェーにも、ドイツにも、「あの武装解除は、地上部隊を出していない日本にしかできない役割だった。アフガンに地上部隊を出していた我々にはできない仕事だった」と言われました。
私たちの活動とは別に、イラクでは、日本の自衛隊が(基地にロケット弾が着弾しながらも)銃撃戦を一度も経験せずに任務を完了しました。なぜこれが可能だったかと言えば、地元のイスラム指導者が、「自衛隊を攻撃することは反イスラム」であるというおふれを出したからです。日本は、イスラム圏において、それほどまでに良いイメージを持たれていたのです。
なぜか?そのルーツの一つは、日露戦争にあるようです。私もよくアフガンの軍閥に言われたものです。「ジャパンはスゲーよな。俺らも勝ったけど」と。また、アメリカにヒドイ目に合わされた経験があるイスラムの民は、日本に「勇猛な被害者」という印象も持つようです。日本は経済大国でありながら、彼らの痛みが分かる唯一の国だと、彼らは考えているようです。
上記の話は伊勢崎さんが体験し、見聞きしてきた事実です。伊勢崎さんは「このイメージがリセットされてしまったら? もしも、これと同じものをゼロから構築するとしたらどれだけのコストがかかるか? 一度、広告業界に試算してもらえばいいと思うのです。日本の〝国防〞への影響が出ることによるコストも含めて」と語っています。さらに平和国家というブランドイメージを活かした国際貢献の具体例として、伊勢崎さんはノルウェーの取り組みを紹介しています。
ノルウェーはロシアと国境を接し、大戦後、冷戦下で不安な時間を過ごしました。そして大国の紛争に飲み込まれないための国防の力になっているのがノルウェーの「平和外交」です。交渉や介入の腕を磨き、他国の和解に役立つことで、「ノルウェーを敵に回したら、世界を敵に回す」という認識を浸透させているのです。また、ノルウェーは移民が多く集まる国なので、国全体で異文化を受け入れる民力も培われています。例えば、アフガン難民が国際問題化した時には、一つの地方自治体が、率先して町ぐるみで難民を受け入れたぐらいです。
ノーベル平和賞の委員会が設置されていることから、平和はノルウェーのブランドです。そのため、アフガニスタンでアメリカが依存したのは、ノルウェーが発揮する、タリバンやその他の敵対勢力との和平交渉力でした。彼らの国際的なブランディング戦術の一つには、「セーフプレイスの提供」も含まれています。それは、敵対勢力をノルウェーに呼び、攻撃されることのない安全な場所を会議の場として提供することです。1993年、ノルウェーの首都、オスロで行われたイスラエルとパレスチナの会議(オスロ合意)も、その一例です。そうしてノルウェーは、平和の旗手としての立場を確固たるものにしてきたのです。
確かに憲法9条があるからと言って、国際社会の中で戦火が消える訳ではありません。しかし、武力によって憎しみの連鎖は絶ち切れず、集団的自衛権がテロの抑止に繋がらないことも明らかです。それでも平和国家というブランドイメージは、これまで日本人の安全面に寄与し、日本ならではの国際貢献の選択肢を広げていました。このような効用を改めて評価し、日本国憲法の際立った平和主義や「特別さ」を変える必要があるのかどうか、私たち一人ひとりが真剣に考えるべき岐路に差しかかっています。
残念ながら都知事選の候補者選びのほうをメディアは大きく取り上げ、参院選挙に対する注目が高まっていないように感じています。特に最近の選挙戦は事前の予想によるバンドワゴン効果が顕著で、アンダードッグ効果は働かないようになっています。とは言え、争点は数多くあるはずであり、ぜひ、一人でも多くの方が投票所に足を運ばれることを自治体職員の立場からもお願いさせていただきます。初めて18歳から投票できる歴史的な国政選挙であり、少しでも投票率が高くなることを望んでいます。
「平和主義の効用」という記事の最後に、ブックマークしている元外交官の天木直人さんのブログ「外交の根本転換を迫るダッカテロ事件とそれに気づかない日本」の中で目に留まった文章を紹介します。7月5日の東京新聞「こちら特報部」のデスクメモで、田原牧記者が書いた一文です。「リアルに考える。イスラム過激派は根絶できない。政府が米国やイスラエルと距離を置いても日本が狙われない保証はない。だが、余計な恨みを買わずに済む分、狙われる可能性は減る。政治の最優先課題は国民の生命保護であり、結果が全てだ。虚構の抑止力に頼るべきではない」
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コメント
今回のダッカの事案は、「異教徒であるという理由で殺害された」のだから、「十字軍」云々は関係ないですよ。「十字軍」に参加してなくても、「異教徒」であれば無条件に標的だったのですから。
つまるところ、
安倍氏が首相でなくても、
安保法制が成立してなくても、
違憲な自衛隊が存在しなくても、
PKOに自衛隊を派遣していなくても、
イスラム系の過激派団体から「十字軍の一員」と認定されていなくても、
あるいは”日本人じゃないから助けて欲しい”と訴えていても、
結果は一緒でしたよ。
なぜなら「イスラム教徒でない(コーランの指定された一節を暗唱できない)という理由で、殺された」のですから。
殺害された中には現地の方もおられて、その方も現地在住の自国民でありながら、「イスラム教徒でない」という理由で殺害されたのですから。
そういう事情から、孫崎氏のような一定の影響力のある方が、明らかに事実とは異なるツイート(安倍首相の決断が理由で殺害されたわけでないのだから)を行ったことは、残念なんですよ。
いくら、政権批判をしたいから・現首相を批判したいからといって、世論をミスリードするようなツイートは問題でしょう。
ここで、見当違いな理屈で自国の政府を責めるってのは、政情不安を惹起するってことで、テロリストの目的達成に手を貸してる(ほう助してる)って側面があるんで。正統な政権批判は絶対に必要ですけど、事実に反する批判で、テロ組織の目的に叶うようなことは、個人的には賛成できかねるんですよ。
異教徒を排撃するというイスラム過激派のテロは、20年以上前から起きてますし、そういう意味では日本人も異教徒である以上は、20年前から標的ですよ。
今まで「幸運にも巻き込まれずに済んできた」ってだけの話で、「日本人だから襲われずに済んだ」ってのは幻想ですよ。
むしろそういう幻想(日本人だから、平和国家だから、襲われずに済んだって幻想・誤解)が今でも根付いてるってことの方が危機的な状況(平和ボケ?)だと思うくらいで。
「日本人だけど、イスラム教徒だから助かった」って話なら、成立するでしょうけど。
投稿: あっしまった! | 2016年7月 9日 (土) 23時54分
砂一粒ほどの些少な恨みもない程の友好関係を結んでいても、「異教徒」である限りは、襲われる可能性はあるんです。
そういう意味では、「抑止力に頼るべきでない」というのは事実だと思いますよ。今回のような相手には「異教徒である限り、改宗する以外の抑止力は無力です」から。
でも、「恨みを買わなければ襲われない」ってのは、違います。そういう認識のままではむしろ危険です。「恨まれるようなことはしてないから、大丈夫」という認識は、今回の現実の前に無力だったわけで。
「日常においてどう振る舞っていようとも、異教徒である限りは、襲われる可能性はゼロにはならない。」という認識が必要です。そういう意味では天木氏の論説も残念です。
投稿: あっしまった! | 2016年7月10日 (日) 00時11分
あっしまった!さん、コメントありがとうございました。
事実があって、人それぞれの推論があり、人それぞれの主張に繋がります。今回の記事本文にも記したことですが、その事実については的確に把握し、多様で多面的な情報や視点に触れていくことによって、より望ましい判断や評価に繋げていけるものと考えています。
そのような意味合いで、あっしまった!さんのコメント投稿はいつも感謝しています。導き出している主張の中味は私自身の「答え」と少し異なるのかも知れませんが、多様で多面的という点で記事本文の内容を補っていただけているものと思っています。ぜひ、これからも拙ブログをご注目いただければ幸いですので、よろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2016年7月10日 (日) 06時15分
論点は簡単なんです。
日本が本当に安全で平和でいられるか。
世界の不安要素が、できる限り除かれないか。
日本も世界も、どこでも平和であった方がいいと、普通の人ならそう思うでしょう。
では、今の日本を見てみると、どう感じるでしょうか。
某国は、南シナ海や東シナ海で、地域の安定を混乱させる行動を次々と実施している。
某国は、ミサイルを打ちまくり、核開発も辞めようとしない。
私たちは、この不安にしっかりと対応する政治を望むんですよ。
戦争法案とか9条とか、本当はあまり関係ないのです。
ソ連に脅威があった時代は、北海道に自衛隊の主力が多く配備されていました。
しかし、今はその当時ほどの戦力を北海道に配置する必要を感じている国民は少ないでしょう。
では、今は何を望むのか。
南や東のシナ海で何かが起きてしまった時に、すぐに対応して国民の安全を確保することを望むのです。
さて、野党の主張はどんな感じでしょう。
少なくとも、東シナ海の緊張を安心させる政策は、野党には望めないですよね。
多くの人は、その時、その時代に即した、現実的な政策を望むのではないでしょうか。
少なくとも、危険が想定される地域から、戦力を縮小させるようなことは、到底受け入れられません。
同じく、アジアに不安があるこの時代に、それこそ戦争に対する備えをしないで、何をするのでしょうか?
仕掛ける戦争などあり得ないのは、全国民の共通意識でしょう。
しかし、守る戦争は排除できないのが現実であり、その必要があるときに、アジア全体を見ないで果たしてどこをみるのでしょうか。
南シナ海で戦が始まれば、東シナ海も戦場になるのですよ。
南シナ海で多くのアジアの友好国が苦しんでいるときに、日本は何もしなくていいのでしょうか?
これだけの戦力を保持している、先進国の日本がですよ。
投稿: 下っ端 | 2016年7月10日 (日) 11時13分
下っ端さん、コメントありがとうございました。
そのように思われている方々が多いのだろうと受けとめています。その上で日曜の夜、いろいろなことに思いを巡らす長い夜になりつつあります。最近の記事本文の冒頭で頻繁に申し上げていることですが、あえて政治の話を数多く取り上げています。
そのような趣旨を踏まえれば、今回の記事に続くような論点は引き続き掘り下げていくべきものと考えています。ぜひ、これからもお時間等が許される際、ご意見をお寄せいただければ幸いですのでよろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2016年7月10日 (日) 21時48分
選挙帰りです。
結果は改憲勢力が2/3を占めるとか。
管理人さんの意見は理想であり、決して悪い考えと思うことはないです。
しかしながら、それは現実的とは思えません。
沖縄の負担は理解できても、一番危険な地域から手を引くことは現実と思えません。
特定の脅威がなくなれば、沖縄の基地を縮小していけばいい。
地球の裏側で戦争するなど、誰も考えていません。
正直、そんな議論など、詭弁にしか聞こえません。
もし、日本が個別自衛権以外で戦うのならば、それはアジアの一定の地域のことであり、そのことは日本の安全に直接的に関わると考えているのです。
そういった多くの国民の不安が、今回の選挙結果であったと理解しています。
投稿: 下っ端 | 2016年7月11日 (月) 02時21分
>OTSU氏
>国際社会の中で「特別さ」をアピールできた日本国憲法の平和主義の旗を下ろす意味合いの説明も必要な気がしています。
上記文言から考えると、日本国憲法において
個別的自衛権のみを保有 = 平和主義
集団的自衛権も保有 = 平和主義ではない
ということになりますが、これでよろしいですか?
領土が他国に侵略された場合、専守防衛において個別的自衛権を行使することになります。他国が攻撃してくれば反撃することになり、侵略行為も撃退しなければならず、死傷者も発生することになるでしょう。流血が伴う平和主義ってどう思われるのでしょうか。不可思議な気分ですね。
投稿: nagi | 2016年7月11日 (月) 10時40分
自衛隊を創設した時点で平和主義は破綻していると考えている者です。
自衛隊の行動を実際に制限してるのは法律だけであり
政府が憲法9条を自由に解釈してるので歯止めになっていないからです。
私は自衛するための軍隊は必要だと思っているので
憲法を改正して自衛隊を正式な日本軍に改組すべきだと思います。
このまま解釈改憲を続けて行くと憲法が空洞化してしまうからです。
憲法9条が解釈改憲されるだけならまだ被害は少ないですが
権利の乱用を諌めた12条、13条、22条1項、29条2項を拡大解釈され
基本的人権が制限されてしまうととんでもないことになります。
また29条3項(強制収用の根拠)を拡大解釈されると財産権が脅かされます。
さらに21条2項では検閲を禁止し通信の秘密を侵してはならないとしていますが
名誉棄損裁判などで内容が名誉棄損に当たることを理由として
まだ出版していない段階で出版を禁止することは実質的には検閲なのに
裁判所が行う検閲は憲法で禁止されてる検閲に当らないとされていたり
組織犯罪の捜査では通信傍受が許される法律を検討されたりしています。
完全には無理でしょうが憲法は誰が読んでも同じように解釈できるようにするのが理想でしょう。
憲法学者の7割が自衛隊の存在そのものを違憲だとし9割以上が集団的自衛権は違憲としています。
違憲立法審査権は最高裁にありますが最高裁が明確に自衛隊を合憲と判断したことは一度もありません。
地方裁判所の判決では自衛隊は違憲だとされた例もあります。
(長沼事件 最高裁では統治行為論に基づき裁判所が判断することではないとし訴えを却下)
このように異論が多いのに政府の一部局の判断だけで合憲としている現状は異常です。
憲法に日本軍(名称は何でもかまわないと思います)の存在を明記し
戦前の軍隊のような暴走を防ぐための制限を記述するべきです。
具体的には他国の憲法を参考にして最高指揮権だけは首相に持たせ、
その他(宣戦布告 軍事予算 軍の編成 終戦の判断および条件の確定など)は国会の権限とすればよいと思います。
専守防衛に限った方がいいという意見の方が多いと思いますが私は違う意見です。
戦争での制限は少ない方が抑止力が働いて実際の戦争になる場合が少なくなると思うからです。
日本を侵略した場合、自国の領土も多大の被害を受けるとなれば日本が攻撃される可能性は低くなるでしょう。
ただ日本からの侵略は行わないという制限は設けるべきだと思います。
核武装も抑止力の有効な手段として考えられますが実際に使うことはほぼないでしょう。
相手が大国の場合お互いに核兵器を使用したら日本が滅ぶのは確実だからです。
敗戦が濃厚の時に少しでもいい終戦条件を引き出す為に使用をにおわせるぐらいが限界だと思います。
平和主義とは関係ないですが
憲法9条以外に以下の改正もした方がいいかなと思います。
①緊急事態時の国会議員の任期の延長条項の追加
②憲法96条(改正条項)に国民主権および基本的人権に関する条文と96条自身の改正の禁止を追加
③公共の福祉の内容の明確化
④国家体制の規定 日本国は国民主権の議会制民主主義に基づいた立憲君主国である など
⑤領土条項の追加
さらに
伝統を踏まえて天皇陛下については現状のまま権力を持たない君主として君臨していただくのが望ましいと思います。
理由は
・最高権力者(首相)と最高権威者(天皇陛下)は分離しておいて最高権力者のみに責任を負わせておいた方が失政を起こした場合でも体制の転覆が起こりづらい
・共和制の場合、大統領が汚職などによって逮捕され権力の失墜が起こる例が他国でたびたび見られる
・権力を持った君主制の場合、国民を弾圧したり 暴力革命によって共和制に移行した後混乱が続いたり独裁制になったりすることが多い
・天皇家は史実として確認できる範囲に限っても1400年以上日本の最高権威者として君臨しているが現状と同様そのほとんどの期間権力をもっていない
・伝統を重んじる人からすると普通の国民である首相に表彰されるより最高神の子孫であると伝えられる天皇陛下から表彰される方がありがたい
などです。
最後に
憲法9条改正論者の中には憲法で認めらている権利の縮小や義務の拡大を唱えて戦前の体制を美化したり
隣国を過剰に敵視したりする人が多いのが残念です。
自衛隊の必要性は認めても憲法の改正には不安を覚える人が多いのはそれらも一因ではないかと思います。
投稿: すでに平和主義は破綻している | 2016年7月12日 (火) 00時08分
すでに平和主義は破たんしている 様
貴殿のご主張と関連する議論が
当ブログの中でもございます。
私と「あっしまった!」様のやり取りは
貴殿のご見識の参考になるかもしれません。
以下、貼っておきます^^
http://otsu.cocolog-nifty.com/tameiki/2016/03/post-bf08.html
さて、選挙も終わりましたので
私もそれなりの総括を。
まず、ダッカの事案は、あっしまった!さんの
おっしゃる通りで、私はブログ主さまの
「色々な意見を認め合った場」という伝家の宝刀のような
収め方に少々疑問を持ちますね。
このテーマだけに留まらず。
反ってお互いの不信感を深めてしまっている
可能性を否定できません。
話題転換w時間がないので結論だけを。
野党連合の惨敗の原因は
これまでの護憲活動やデモを実施してきた
「いかがわしい団体」(と私が勝手に断定する)にも
ある事を私は確信しています。
支持母体が宗教団体であれば
それに嫌悪感を持つ民衆は絶対にいる。
それと同じ原理です。
「まともな野党」を切に願う無党派層は今
頼るべき政党を失っているのです。
公務員の労働組合が
この選挙に与えたマイナス要因を
きちんと分析すべきだと私は思っています。
私は。個人的には。
投稿: いまさらですが | 2016年7月12日 (火) 23時38分
平和フォーラムが参議院選挙の総括を出しました。戦争法反対2000万人署名から考えたら、なぜ野党が圧勝しなかったのか不思議ですよね。野党連合の唯一の主張と言える戦争法廃止を全面に出したのに。2000万人はどこに行ったのでしょうか。
中国に対する仲裁裁判所の判決が出て、大反発してますが、南シナ海の平和の為に、ここは平和フォーラムが日本の平和理念の象徴として話合いによる解決に乗り出してはいかがでしょうか。戦争に突き進む安倍政権に対する強烈なアピールになること間違いないですね。
他のアジア諸国も欧州も喜ぶこと間違いないです。ぜひ総力をあげて北京に人を送って話合いで解決しましょう。ここで実績を作れば次の選挙では自民党大敗北間違いなしですよ。OTSU氏も是非提案してみてはいかがですか。
投稿: nagi | 2016年7月14日 (木) 10時33分
本記事にでてくる伊勢崎さんがこんな提言をしていますね。
>https://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/160112/
私は内容には賛同できないのですが、このような考え方を主張することはとても賛成できます。建設的な議論ができると思いますね。
投稿: nagi | 2016年7月14日 (木) 16時52分
下っ端さん、nagiさん、すでに平和主義は破綻しているさん、いまさらですがさん、コメントありがとうございました。
日本国憲法の「特別さ」について数多くの記事を通して私自身の考え方を綴ってきましたが、改めてnagiさんからの問いかけに対して補足させていただきます。今回の記事本文にも記したとおり国際社会の中で戦争は原則禁止されています。個別的、集団的問わず自衛のための戦争と国連安保理の決議に基づく集団安全保障としての戦争のみ認められています。
いかなる国も外交交渉の延長線上としての戦争は禁止されているため、どこの国も平和主義を標榜できます。その中で日本は現憲法のもと専守防衛という「特別さ」を維持してきている関係になります。今後、自民党の憲法草案にあるとおり集団的自衛権も含む国際的なスタンダードとなる国防軍に改編するのであれば、ことさら日本国憲法だけを「平和憲法」と強調できななくなるという論点を示しています。
そのため、nagiさんの問いかけで言えば「個別的自衛権のみを保有」は特別さであり、「集団的自衛権も保有」は国際標準の平和主義という関係性になります。そのような点について、これまで当ブログで論点提起してきているつもりですが、私の表現力の拙さか充分伝え切れていないことを反省しています。
他にも本来、この場を通して即座に私の考え方を補足すべき点も見受けられていますが、取り急ぎ上記の問いかけに絞ってお答えさせていただきました。今後、積み重ねていく新規記事を通し、少しでも考え方の距離感が縮まるよう努力していくつもりです。引き続き多くの方々にご訪問いただければ幸いですので、よろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2016年7月16日 (土) 08時15分
充分に伝わってると思いますよ。私はOTSU氏をからかうつもりも馬鹿にするつもりもありません。
なんと表現してよいのかわかりませんが、「平和主義」って言葉にみんな踊らされてるような気がしてなりません。これが「平和主義」だと言える何かがこの世界にあるのでしょうか?そしてそれを維持することで国民が安全で繁栄することが可能なのでしょうか?
個別的自衛権のみを保有することが平和主義ならば、徴兵制度があろうとも、核兵器を保有しても、先制攻撃をしないと憲法に定めれば、平和主義は維持できることになります。
私が申し上げたいのは、個別的自衛権で戦争することもあり、そして死傷者も発生し、流血することがありえる状況で何をもって「平和主義」と言えるのか、言葉だけの主義主張など意味があるのかと思いますね。
南シナ海での出来事と中国の発言を聞いていると、次は東シナ海で発生するかもしれません。その時は日本は平和主義の名の元で流血することになるのでしょうか。
投稿: nagi | 2016年7月16日 (土) 13時47分
nagiさん、コメントありがとうございました。
私の訴えている論点が伝わっていても、日本国憲法の平和主義などの見方が共通認識には至らないという関係性であることを改めて理解させていただいています。
なお、あってはならない仮定の話となりますが、個別的自衛権のもとに流血はあり得るものと考えています。ただ端的に答えすぎても真意がうまく伝わらない心配もあります。今朝のコメントに記したとおり今後、積み重ねていく新規記事を通し、少しでも考え方の距離感が縮まるよう努力していくつもりです。
ちなみに今夜投稿する記事はそのような論点を直接取り上げるものではありませんが、今、思うことを気ままに書き進めたものとなります。ぜひ、またご訪問いただければ幸いですのでよろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2016年7月16日 (土) 17時14分
現憲法の特別さは「戦力不保持」であって「個別的自衛権only」ではないと思う。
そもそも、現憲法の下での「個別的自衛権onlyという考え方(すなわち安保法制成立前の憲法解釈)」自体が、「現憲法を解釈改憲することによって導き出されたもの」なわけすし。
制定時の解釈は個別的自衛権も否定していたのですから。
従って、現憲法の-特別さ-を維持するのであれば、「解釈改憲によって導き出された個別的自衛権onlyという考え方(憲法解釈)自体を否定する(自衛隊違憲論の下で、自衛隊を廃止する)」ことが必要で、
安保法制成立前の状況自体が「解釈改憲によって導き出された違憲状態」という認識に立ち返る必要があると思います。
そこまで首尾一貫してれば、賛成はしませんが、現行憲法の特別さを説くうえで、一理あるとは思います。
このワタクシの考え方は、井上達夫先生(法哲学者、憲法学者でなく。)のご見解に近いですね。
投稿: あっしまった! | 2016年7月16日 (土) 23時42分
あっしまった! さん、コメントありがとうございました。
ご指摘のとおり現憲法の9条が違憲であるという見解の多さを承知しています。最近の記事「憲法の話、インデックス」の中で記したことですが、憲法9条を改める必要があると考えている方々の中にも大きく2通りに分けられるものと理解しています。
自衛隊の位置付けを明確化し、基本的に現状を追認するような条文の整備が必要だと考えている方、自衛隊を国際的なスタンダードとなる組織や役割に改編すべきと考えている方に分けられます。
私自身、これまでの解釈が何とか合憲の範囲内という見解ですが、今後、上記のような論点が大きく焦点化されていくものと見ています。そのことに対し、護憲か改憲かどうかだけでは建設的な議論に至らないのだろうとも憂慮しています。
投稿: OTSU | 2016年7月17日 (日) 06時11分
私は改憲賛成ですが、集団的自衛権に関しては現行の憲法で問題が無いのでは無いかと考えます。
またそれでも駄目だと言うのであれば自衛隊と共に明記すべきと考えます。
私は憲法学者ではありませんし、専門家でもありません。
過去の内閣の解釈からして拡大解釈だ!とか、過去の内閣の解釈では意見だ!とか憲法学者さんが言ってますがそもそも過去の解釈が絶対という論法にも疑問を感じます。
書いてる通りをそのまま理解すればいいと思うし、そう出来る様に改憲して行くべきだと思います。
1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
2.前項の目的、様は紛争や国権の発動すなわち宣戦布告して攻撃する為の戦力を持たないとは書いてますが自衛する戦力を持たないとは書いて無いと私は思います。
もちろん自衛隊機が他国に行って自衛の為だと言って爆撃する事とかは無しだと思います。
また国際貢献といって自分の子供が行く(他人様の子供も同じですが)のは嫌だと思うし、じゃ他の国の人が行くのはとか、不安定な地域で生まれた同じ人間を運がなかったと見捨てるのも違うようで自分の中で明確な運用に関して結論は出て無いのです。運用に関してもう少し議論が深まればよかったと思います。
投稿: ぴょん吉 | 2016年7月17日 (日) 17時46分
ぴょん吉さん、コメントありがとうございました。
最後のほうに示されている見方に対し、伊勢崎さんが体験し、見聞きしてきた事実などを紹介しながら私なりの「答え」を提起させていただいています。このような論点について、また記事本文を通して掘り下げていければと考えています。ぜひ、これからもお時間等が許される際、コメントをお寄せいただければ幸いですのでよろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2016年7月17日 (日) 22時27分
このコメント欄を拝見するだけでも
9条の解釈は分かれていますよね。
この事実、私は非常に問題視しています。
解釈が分かれたまま、改正の議論をするんですか?
「00を意味する文章を××に変える」議論において
「00を意味する」部分で、すでに違うわけですよね?
ブログ主様風に「それぞれの解釈を認め合った場」
等で収めては、絶対にいけない事です。絶対に。
またぶり返しますが、最大の問題は裁判所なんですよ。
この部分、理解して欲しいなぁ。
制定当時の9条の趣旨(現在の日本国憲法)を
まずは統一してほしい。
安倍さんが立ち上げ直す憲法審査会で
是非それをしてほしい。
歴史を踏まえた正しい認識をしてほしい。
芦田修正なんぞを信じる輩や
砂川判決を悪用して
自衛隊(戦力)による個別自衛権は合憲だけど
集団的自衛権は違憲だ等と叫ぶ方を
きちんと軌道修正してほしい。
そうしなければ
「自衛隊は合憲なんだから改正しなくてもいい」等と
勝手な解釈の上に、自分の判断を上乗せする議論が
横行してしまうのです。
結局、砂の上に城を立てる議論しかできないんです。
「憲法とは何か」
そういう基本的な認識すらないままに
改憲論議を進める怖さを、私は感じています。
【英国の国民投票を教訓に】切に願います。
投稿: いまさらですが | 2016年7月18日 (月) 23時49分
いまさらですがさん、コメントありがとうございました。
いろいろな「答え」を認め合った場として、このブログを続けています。この意味合いや目的について、その前のコメント中の「伝家の宝刀」という言葉も気になりましたが、いまさらですがさんに対して残念ながら適切に伝え切れていないようです。やはりコメント欄ではなく、機会を見て記事本文で改めて説明できればと考えています。その上で過去の記事も一つだけ紹介させていただきます。
http://otsu.cocolog-nifty.com/tameiki/2012/03/post-ea36.html
投稿: OTSU | 2016年7月24日 (日) 07時30分
左派リベラルの考え方を知りたくて、たどり着きました。
誠実な思考に敬意を表します。
https://www.youtube.com/watch?v=9PpwFTR3qL4
細谷さんのこういったご意見をどのようにお考えでしょうか?
特に50:00あたりのトイレ掃除のたとえはとてもわかりやすいと思うのですが…
投稿: サイアム | 2016年8月22日 (月) 01時22分
サイアムさん、コメントありがとうございました。
ご紹介いただいた録画は視聴しました。いわゆる左に位置する方々に対し、そのような見方が多いことを強く認識しています。このブロクではそのような見方が多いことを踏まえた記事の投稿を重ねています。
一つのまとめとして綴った下記の記事を参考までにご紹介します。お時間等が許される際、ご覧いただければ幸いですのでよろしくお願いします。また、トイレ掃除の件については新規記事の中に私なりの考え方を付け加えてみるつもりです。
2016年4月30日(土) 改めて安保関連法に対する問題意識
http://otsu.cocolog-nifty.com/tameiki/2016/04/post-6ba3.html
投稿: OTSU | 2016年8月27日 (土) 08時06分