米大統領選と都知事選の違い
たいへん痛ましい事件が起きました。相模原市緑区の知的障害者福祉施設の入所者19人が元職員によって刺殺され、26人が重軽傷を負いました。容疑者は「声をかけて返事がない寝たきりの人を狙った」と供述し、重度の障害者を狙い撃ちにした犯行でした。木曜夜の『NEWS23』の中で、知的障害のある息子を持つ岡部耕典教授は「個人の属性に原因を求めるのではなく、それを含めた社会の構造に原因を求めるアプローチが必要」と話されていました。
福祉施設や措置入院のあり方など行政や政治の課題として問われる側面がある一方、岡部教授が示したような問題意識も留意しなければならない事件だったものと見ています。容疑者は措置入院中に「ヒトラーの思想が降りてきた」と診察した医師に語り、「ずっと車椅子で縛られ暮らすことが幸せなのか。障害者がいることが周りを不幸にする」と主張するなど障害者に対して歪んた価値観を持っていたようです。
圧倒多数の方々は、このような考え方が広まり、障害者が排除されがちな社会に繋がることを危惧しているはずです。さらに誰もがヒトラーの描いた優生思想を肯定せず、自分自身のことを差別主義者だと称する方もいないはずです。ごくごく稀に今回の事件を起こした容疑者のようにヒトラーの思想を肯定する人物が現われてしまいます。しかしながら普通に考えれば、ヒトラーの言動を容認する者が極めて少数であることは間違いありません。
ただ自覚がないまま、差別の芽を心の中に育てている場合があることにも注意しなければなりません。この事件に際し、ネット上で「容疑者は在日」という書き込みがありました。そのような書き込みに対し、LITERAの編集部は「自分たちの内部にひそむ排除思想のヤバさに気づくべきではないのか」と提起した記事を発信していました。この記事自体も「ネトウヨ」という言葉が使われ、ある面で差別的だという批判を受けてしまうのかも知れません。
今、日本に限らず排外主義やレイシズムの問題が取り沙汰されています。アメリカの大統領選、ドナルド・トランプ候補が共和党の正式な候補者に決まりました。トランプ候補の「メキシコ国境に壁を建設する」など過激な発言は排外主義という批判を受けています。とは言え、泡沫候補だと見られていたトランプ候補が共和党の代表に選ばれたという結果は、その過激な発言や考え方に共感するアメリカ国民が多いことの表われだと言えます。
対峙する民主党も党大会を終え、ヒラリー・クリントン候補が党候補者の指名を受諾しました。それぞれの副大統領候補も決まり、今後、11月8日の本選に向けてアメリカ大統領選は本格化していきます。今回の記事タイトルは「米大統領選と都知事選の違い」としていますが、各候補者の政策面についての論評ではなく、主に選挙の仕組みやあり方について掘り下げてみます。そのことを通し、前回の記事「都知事選、真っ只中」の中で書き切れなかった点などを付け加えてみるつもりです。
アメリカ大統領の任期は4年です。第2次世界大戦後、慣例だった最長2期8年の任期が合衆国憲法に明記され、大統領職は9年以上務められないようになっています。大きな権力を掌握できる大統領職の任期について、アメリカ以外にも多くの国で多選を制限する規定を採用しています。日本の自治体の首長には基本的に多選を制限する規定はなく、都知事では最長4期、他の道府県知事では8期まで務めたことがありました。ちなみに首長全体では13期42年間、村長職を務めた記録が最長です。
多選が即ワンマンな行政経営に繋がり、マンネリ化や腐敗を招くという負のイメージだけで語ることは拙速なのかも知れません。ただ明らかに多選の弊害が出ていても、新人候補が現職首長を選挙で破ることは非常に難しい現状だと言えます。地域や各種団体の集まりに顔を出すことが首長の日常的な仕事の一つであり、ある意味で任期4年間、知名度を高めるための活動に勤しめることになります。
都知事選の話に戻れば、3代続けて現職知事が任期途中で辞任し、3回連続で新人同士の選挙戦となっています。1回あたり約50億円かかり、余計な出費や労力の負担を強いられています。アメリカ大統領選は4で割り切れる年、閏年でもある夏季五輪が開催される年に必ず行なわれています。ケネディ大統領は任期途中で暗殺されていますが、残任期間はジョンソン副大統領が大統領に昇格し、選挙は行なわれていません。
任期途中で大統領が死亡や辞任した場合、副大統領が大統領に昇格して残りの任期を引き継ぐ制度となっています。副大統領の次は下院議長、国務長官の順番に大統領継承権があります。このような制度であるため、大統領選に当たって副大統領が誰なのかという点も有権者にとって重要な判断材料になっているようです。ここ数年、短期間での選挙を強いられている東京都民の一人として、アメリカ大統領職のような仕組みも一考の余地があるように感じています。
都知事選をはじめとする日本の選挙とアメリカ大統領選との大きな違いがあります。候補者の政策や資質などを有権者が吟味できる期間の長さの違いです。アメリカ大統領選は選挙の年、1月から州ごとに政党内の候補者を決める争いが始まります。その結果をもとに全国党大会の中で大統領選の正式な党の候補者を決めます。今年で言えば、共和党がトランプ候補、民主党がクリントン候補を指名し、11月の本選に向けて激しい論戦やメディア戦略などが繰り広げられていきます。
このようにアメリカ大統領選の候補者の場合、1年以上にわたって国民から注目されることになります。新人候補だったとしても詳細な経歴や人柄などが明らかになり、ネガティブな情報も含め、大統領としての適格性を判断できる材料が揃えられていきます。前述したトランプ候補の排外主義にも賛否があり、共和党内では支持が上回ったという民意の表われだったものと理解しています。クリントン候補には国務長官時代のメール問題が指摘されていましたが、そのような減点材料を踏まえながらも民主党の候補に選ばれた構図になっています。
一方で今回の都知事選、あまりにも各候補者の長所や短所を知るためには時間が不足しています。時間の問題ではないのかも知れません。インターネット上で検索を重ねれば、各候補者の詳しい主張や過去の言動なども詳しく調べられます。通常、そこまで手間暇をかける方は少ないはずであり、専らマスメディアからの情報をもとに各候補者を評価しているのではないでしょうか。そのマスメディアも選挙期間中は踏み込んだ報道を控えているように感じています。
選挙が終わった途端、週刊誌が報じているような「政治とカネ」や資質に絡む問題を一斉に取り上げてくるのかも知れません。誰が当選しても同様な可能性を残しているため、都知事の任期途中の辞任連鎖が絶ち切れるのかどうか危惧しています。このような危惧が杞憂となることを願っていますが、やはり各候補者の都知事としての適格性を判断するための情報提供のあり方に難点があるように思えます。
知名度だけで判断するのではなく、劇場型のイメージ戦略に流されることなく、プラス面とともにマイナス面の情報も踏まえて一票を投じられるアメリカ大統領選のような仕組みの必要性に思いを巡らしています。今回の都知事選には21人が立候補していますが、各テレビ局は有力3候補に絞った報道に努めていました。3候補以外は不公平感を強めていたはずですが、21人を平等に扱った場合、それはそれで新たな都知事を選ぶための情報の提供のあり方として不充分さが際立ってしまったのではないでしょうか。
このあたりは誰もが自由に立候補できることの意義に対し、安易な立候補や乱立を防ぐ手立てのバランスの取り方が非常に悩ましいものと考えています。脳科学者の茂木健一郎さんの問題提起「都知事選挙の候補者ポスターは、なぜ一部しか貼られていないのか」などを切り口に日本の選挙制度全般について、いろいろ思うことを書き進めてみるつもりでした。いつものことですが、たいへん長い記事になっています。今回はここで一区切り付け、選挙ポスターや供託金の問題などは機会を見て取り上げさせていただきます。
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