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2016年6月25日 (土)

『ロンドン狂瀾』を読み終えて

参院選挙が水曜日に公示され、選挙戦本番を迎えました。このブログでは選挙期間中でも必要に応じて政治的な話題を取り上げています。3年前にインターネット選挙解禁となり、個人的なブログでも特定の候補者や政党への支持を訴えることができるようになっています。しかし、私自身はプロフィール欄に掲げているとおり地方公務員という立場であり、選挙運動と誤解されるような表現は慎んでいます。

その大きな線引きとして、選挙の公示や告示後は具体的な候補者名の記述は控えるようにしています。今回の記事は『ロンドン狂瀾』という書籍の書評が中心となりますが、場合によって現在の政治状況に絡めた個人的な感想や意見も添えていくつもりです。あくまでも私自身の感じたことや問題意識の表明にすぎず、当たり前なことですが、その内容をどのように受けとめるのかどうかは閲覧された皆さん一人ひとり異なっていくのだろうと思っています。

さて、ロンドンと言えば国民投票の結果、イギリスがEUから離脱することになります。開票の直前、金曜朝のニュースでは残留派の票が最終的には上回るという見通しを耳にしていたため、離脱決定の報道には驚きました。市場も予想を裏切られたようであり、「世界同時株安」が進んでいます。東京株も全面安となり、歴代8番目となる日経平均の下げ幅を記録し、円も一時1ドル99円まで急伸しました。

今回の記事はEU離脱の問題とは直接関係なく、今から86年前のロンドンを舞台にした小説を切り口に書き進めていきます。その小説、中路啓太さんの『ロンドン狂瀾』に興味を持ちましたが、よく立ち寄る書店には置いてありませんでした。2千円を超える値段の高さもあり、久しぶりに図書館で借りようと考えました。蔵書検索システムで調べたところ1冊だけありましたが、あいにく貸出中でした。

数日たっても貸出中のままだったため、ある書店で見つけた時、迷わずレジに運んでいました。570頁に及ぶボリュームであり、さすがに読み終えるまで日数がかかりました。ただ集中的に読める時間さえ取れれば、一気に読み切りたくなるほどの面白さでした。歴史の教科書や他の小説などに登場する著名な人物が生身の人間として描かれ、それぞれの喜怒哀楽に触れながら意外な側面を垣間見ることができます。

例えば山本五十六少将は饅頭やギャンブルが好きで、外務省職員と殴り合う場面などがあり、連合艦隊司令長官として冷静な判断を下した知将のイメージからは程遠い登場人物となっています。立憲政友会の犬養毅総裁も野党のリーダーだったため、愚直な敵役として描かれていました。膨大な数の資料や文献をもとにした著作であるようですが、あくまでも小説であり、すべて事実を描写している訳ではないはずです。

したがって、登場人物を巡るエンターテイメントの部分は基本的にフィクションと理解すべきものと思いますが、資料として残る記録を中心にした箇所は紛れもない史実として読み終えていました。著作権はもちろん、ネタバレに注意した内容紹介を心がけるため、今回も書籍を宣伝するサイト上に掲げられた言葉を赤字で紹介します。さらに「本の話WEB」サイトに『オール読物』編集部による著者のインタビュー記事が掲げられていたため、少し長くなりますが、続けて青字(著者の言葉は太青字)で紹介させていただきます。

外交は正しさだけを追求すればいいってもんじゃないんだよ。「正義は我らにあったが、国は滅んだ」では元も子もないだろう。1930年1月、霧深きロンドン。米英仏伊、そして日本の五大海軍国によるロンドン海軍軍縮会議が始まろうとしていた。世界恐慌が吹き荒れ、緊縮財政と戦争回避が叫ばれているなかではあったが、各国それぞれの思惑と輿論を抱え、妥協点は見出すのは容易ではない。日本の全権団長は若槻礼次郎。随員には雑賀潤外務省情報部長がいた。難航を極める交渉の果て、雑賀は起死回生の案を捻り出すが──。誇り高き外交官の活躍と、統帥権干犯問題の複雑な経緯を、精緻かつ情熱的に描ききった、今こそ読まれるべき傑作。

■「武器を使わぬ戦争に挑んだ男たち

昨年『もののふ莫迦』で「本屋が選ぶ時代小説大賞 2015」を受賞した著者が初めて“昭和史”に挑んだ意欲作だ。主な舞台は1930年の日本とイギリス。ロンドン海軍軍縮会議における欧米列強との厳しい交渉――条約を締結させた浜口雄幸(おさち)首相と誇り高き外交官・雑賀潤(さいがじゅん)の奮闘が描かれている。

「1930年前後は重要な時代です。一般的には、戦前の日本には民主主義などなく、軍国主義一色であったことが戦争の原因と思われていますが、実はそうではなく、当時の水準ではきちんとした民主主義が機能していたし、軍縮の努力もなされていました。それで何故、戦争への道を進むことになったのか。この転換点を描きたかった」

軍縮会議では、補助艦の保有量制限などが話し合われたが、アメリカ、イギリスと、日本の主張には大きな隔たりがあった。“外交は武器を使わない戦争だ”という信念のもと、米英と粘り強く交渉した雑賀らは、なんとか調印にこぎつけるが、国内での条約批准という壁に直面。抵抗勢力を抑え、条約を締結した政府に対して、軍部や右翼からの非難が高まり、“統帥権干犯問題”が起こって、浜口首相は右翼に狙撃されてしまう。政党内閣が、安全保障政策を主導的に決定した時代を著者は、“戦前の政党政治隆盛の頂点”と捉える。当時の二大政党の興隆と崩壊のドラマも、読みどころの一つだ。

「第一次世界大戦の教訓を受けて各国が、軍縮を目指した戦間期に関心がありました。だが“協調路線”は結果的には失敗に終わり、戦後処理の難しさがあらわになります。一方で我々が現在直面している、過激派組織ISやシリアの内戦なども、ある意味では戦後処理の問題。混迷する現代の国際情勢を考えるうえでの手掛かりが、この時代にあると思うのです。日本では戦争を振り返る時、“侵略された立場になって考えるべきだ”と言われることが多いですが、善悪の概念を取っ払って、中立の立場で、日本人の問題として歴史をたどる方が、戦争の抑止につながると思うんです。“軍人は悪者だ”で済ますのではなく、軍人がどういう考えで行動していたのか。世論がなぜ戦争を支持したのか。中立的な視点で辿るべく、この小説を書きましたし、今後も書いていきたいと思っています。ただ、中立的な視点というのは難しくて、悩み抜いたというのが書き終えた今の気持ちです」

戦後70年を経て、戦争を知らない世代が増えてきた今こそ、戦前の日本を理知的に描いた本作が、読まれるべきではないだろうか。

上記の紹介で『ロンドン狂瀾』の概要や著者の意図が伝わります。ここで区切っても良いぐらいですが、せっかくの機会ですので私なりの感想や意見なども付け加えさせていただきます。1930年のロンドン海軍軍縮会議が開かれた時代、第一次世界大戦は欧州大戦と呼ばれていました。その大戦で使用された兵器の急速な進歩は、勝者にも敗者にも戦争の惨禍による大きな傷跡を残しました。

そのため、国際的な諸問題を武力によってではなく、話し合いで解決しようという機運が世界中で高まっていきました。1928年、日本を含む15か国の間でパリ不戦条約が締結されました。国際紛争解決の手段としての戦争の放棄でした。それ以前の1922年には主に戦艦の保有数を制限するワシントン条約がアメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリアの五大海軍国間で締結されていました。小説の舞台となったロンドンでの会議は巡洋艦や駆逐艦、潜水艦など補助艦保有を制限することを目的として開かれました。

当時の日本は国際連盟の常任理事国であり、五大海軍国の中でもフランスやイタリアよりも米英側から重要な交渉相手に目されていました。立憲民政党の浜口雄幸首相をはじめ、全権団の若槻礼次郎団長らは海軍側から厳守を求められた対米7割の保有割合に固執せず、軍縮条約を結ぶことが国益だと考えていました。国際協調の実を上げ、アメリカとの摩擦を解消し、膨大な国家予算を必要とする建艦競争を抑え、その浮いた分による減税等で民力を休め、経済を建て直すためにも締結を強く望んでいました。

一方で、最低7割を主張する海軍側は米英に対して不信感を持ち、日本の軍事力の伸張を抑え込み、満蒙の特殊権益を奪う目的があるのではないかと疑っていました。ただ対米7割とは、それ以上の差を付けることができないというアメリカ側に対する歯止めにも繋がる話でした。一見、日本にとって不利な条約のようですが、圧倒的な国力の差を考えた際、戦力の差を広げさせないという意味での意義を見出すこともできました。

この書籍を読み、第二次世界大戦前、ここまで戦争を回避しようとする機運が高まっていた史実に驚かされました。軍縮条約の意義や目的も改めて認識する機会となり、特に国家予算の厳しさからも必要とされていた背景に対し、感慨を深めています。「もっと軍艦が必要だ」「もっと大砲が必要だ」という軍部の要求を呑み続け、国家財政が破綻してしまっては「骸骨が砲車を引くような不条理な事態になりかねない」という記述には、思わず目が留まっていました。

他にも登場人物の語った言葉として印象に残った箇所が数多くありました。西園寺公望元老は「三国干渉」を受けて遼東半島を返還したことについて、面目にこだわらず、国力を考えて行動するのが真に賢明な政治選択だったと語っています。さらに西園寺元老の「白だ黒だと、世界のことがそんなに簡単にわかってたまりますか。簡単に白黒をつけられんというのは、政治的か否かの問題というより、あらゆる物事の本質ではありませんかね」という言葉に強く共感しています。

浜口首相は枢密院ロンドン海軍条約審査委員会で「国防には広狭の二義がございます。狭義の国防は、単に兵力に関するものですが、広義の国防は軍備だけではなく、国交の親善、民力の充実などを含むものです。すなわち、国防を狭義に、単に軍備と見るのであれば河合顧問官のおっしゃるようなこともあるかもしれませんが、だからといって、軍備の点に偏重し、今次条約の不成立を見るようなことになれば、国交の親善、民力の休養実現の点より見て、広義の国防はかえって劣ることになりましょう」と発言しています。

浜口内閣の時代は大正期から続く政党政治隆盛の頂点だったと言われています。二大政党による政権交代が「憲政の常道」と認識される中、政党内閣が安全保障政策も主導的に決定した時代でした。ただ残念ながらテロによって銃撃された浜口首相が亡くなった翌月、1931年9月18日に奉天郊外の柳条湖付近で南満州鉄道の線路が爆破されました。いわゆる満州事変の勃発であり、15年に及ぶ中国との戦争の始まりでした。

立憲民政党と立憲政友会、ほとんど基本政策に差がなく、本格的な政策論争よりもスキャンダルの暴露合戦にいそしむようになっていました。ロンドン海軍条約を巡る論戦においても、政友会が民政党政権を追い詰めるため、いたずらに統帥権干犯の問題を追及しました。結果として、両党とも国民からの支持を失い、政党政治そのものへの信頼も失われることになりました。「政党政治家は財閥と結託して私利私欲を満たすことに忙しく、庶民の苦しみなどには関心のない連中だ」という印象ばかりが刻まれてしまったようです。

首席全権を引き受ける前、若槻団長は「本来、外交は政争の具にすべきものではないはずだ。にもかかわらず、自分の属さぬ党派のやることは、ことごとく邪魔しようとする輩ばかりだ。それによって、我が国がどれほど利益を失おうと、世界に恥をさらそうと、連中はかまわんときている。党あって国なしとはこのことだ。だいたいだね、気に入らぬ者を辞職に追いやったり、政府が気に入らぬことをやろうとするのを妨害したりするためには、汚職をでっち上げればよいという風潮が蔓延したらどうなる。まともな国家運営などできなくなるではないか」と憤り、政党政治の行く末を危惧していました。

国民から信頼された浜口内閣も、日本を経済的苦境から脱出させられず、いっそうの不況を招いていました。国民は政党政治を完全に見限る一方、「横暴で傲慢な支那人」に対し、大陸で果敢に戦う日本軍の情報に熱狂しました。国民の多くは二・二六事件などを起こした青年将校らの「やむにやまれぬ思い」に理解を示し、この国を改革し、国民を救ってくれるのは政治家ではなく、身命を顧みずに行動する軍人や壮士たちだと考えるようになっていきました。

著書の最後のほうには「こうして、時代は急速にきな臭いものになってゆき、日本は坂道を転がるがごとく戦争の道をひた走るようになったのだった」と綴られています。個人的な感想や意見を付け加えると記しながら、著書から引用した内容が中心となっています。それでも引用した内容に対し、前述したとおり個々人での受けとめ方は枝分かれしていくのではないでしょうか。また、現在の政治状況に照らし合わせた時、思い浮かべる具体例も人によって異なっていくのかも知れません。

たいへん長い記事になっていますが、もう少し続けます。『ロンドン狂瀾』に興味を持った切っかけは、このブログによく登場いただいている衆院議員の長島昭久さんのフェースブックでした。最後に、長島さんが投稿された内容全文を紹介します。「今日の政治の有り様に対する強烈な戒めが込められた物語」という一言は、長島さんの政治信条からすれば与党野党問わない具体例を思い浮かべながらの問題意識ではないかと想像しています。

ワシントン往復に持ち込んだ『ロンドン狂瀾』読了。中路啓太さんの作品に初めて触れたが、巻末に記された「綿密な取材と独自の解釈、そして骨太な作風の正統派歴史時代小説の旗手」の評に寸分違わぬ重厚にして躍動感溢れる筆致で、ロンドン海軍軍縮条約を巡る内外情勢を見事に活写している。ロンドン軍縮条約の批准は、民政党と政友会による束の間の二大政党時代におけるハイライトであった。

しかし、同時に天皇の統帥権を政争の具に弄ぶ政党政治の堕落が、結局は政党政治を破壊し、テロと軍国主義を台頭せしめ、やがて国家国民を奈落の底に沈めてしまった故事を改めて思い起こさせるものでもあった。深い感動とともに読み終えたが、今日の政治の有り様に対する強烈な戒めが込められた物語に暫し沈思黙考を余儀なくされた。この現代政治への教訓が詰まった近現代史の真実を、ぜひ名優を配して映画化して欲しいもの。

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2016年6月18日 (土)

舛添都知事を反面教師に

投票できる年齢が18歳に引き下げられる参院選挙の公示日は6月22日です。公示日以降が選挙期間となり、公職選挙法で事前運動は禁止されています。前回の記事「江崎孝さんを再び国会へ」のコメント欄で、でりしゃすぱんださんから「事前活動で指摘を受けないか、ちと心配です」「七つ道具を渡されたあと、このブログでどうとうと、されたほうがよろしいかと。老婆心ながら」というアドバイスをお寄せいただきました。

このブログを始めた頃に「選挙運動とインターネット」という記事があり、3年前には「インターネット選挙解禁」という記事を投稿していました。確かにインターネットを通し、選挙運動ができるようになっているため、事前運動という誤解を招かないような峻別は必要です。ただ一方で私自身、選挙運動に対しては一定の制約があります。このあたりは以前の記事「再び、地公法第36条と政治活動」に記していました。

一定の制約があることを重く受けとめ、これまで選挙期間中に特定の候補者の名前は掲げないように心がけています。「選挙運動とインターネット」という記事の中で触れているとおり公示日前は選挙運動ではなく、あくまでも日常的な政治活動に位置付けられます。国会が閉じた後、安倍首相をはじめ、知名度の高い政治家は立候補予定者の応援のために各地に出向いています。

街頭で演説を行なっている模様をメディアが伝えていますが、参院選挙に向けた直接的な応援演説だった場合、事前運動にあたってしまいます。政治家の皆さんはそのような線引きをわきまえているはずであり、あくまでも日常的な政治活動の一環として立候補予定者の功績や人柄をほめたたえる演説に繋げているのではないでしょうか。このブログでもそのような線引きをわきまえ、選挙期間中かどうかを強く意識してきています。

都合の良い線引きであり、実質的な選挙運動ではないかと違和感を持たれる方も多いのかも知れません。それでも現行の法解釈では合法とされた線引きであり、その一線を越えないように誰もが注意しています。前回の記事にも記したとおり今後、法改正や裁判で新たな判断が示され、これまで合法だと言われていた解釈が変わってしまった場合、当然、新たな線引きのもとに活動を見直していくことになります。

いまさらですがさんからのコメントを受け、誤解されないように改めて強調したいことがあります。これまでのブログ記事の中で「合法なら、何をやってもいい」という趣旨の記述は一切ないはずであり、そのような考えは私自身、微塵もありません。法的に「できること」を大前提に組織的な議論を経た適切な活動に向き合っている、このような記述から「合法なら、何をやってもいい」という見方を導き出されているとしたら非常に不本意なことであり、真意の伝わらなさに悩ましさが倍加しています。

不適切かどうかの問題に対しても一言触れさせていただきます。私自身が適切だと確信している事例でも、人によっては不適切だと思われる場合があることを認識しています。しかし、公務員組合の政治活動はすべて不適切だと決め付け、さらに別な組合の事例を引き合いに出し、「適切かどうかの評価は人それぞれ」ですって!?ふざけないでほしい、と怒られてしまいましたが、正直なところ違和感があります。

「不適切かどうかは個々人の評価に関わる問題であり、外部からの声にも率直に耳を傾けた上、当該組織の活動方針を転換すべきかどうかは構成員の議論と意思によって判断していくものとなります」という記述が、そのような批判に繋がったものと理解しています。なぜ、裏返しにして見ていただけないのか残念でなりません。公務員組合の政治活動は適切で、必要なことだと考えている方々からすれば、いまさらですがさんの意見は逆に批判を受ける関係性になります。

念のため、繰り返し述べていることですが、いまさらですがさんのように公務員組合の政治活動を批判的に見ている方々が多いことを知り得る場はたいへん貴重な機会だと考えています。この考え方は「外部からの声にも率直に耳を傾けた上」という記述に繋がっています。公務員組合の政治活動が四面楚歌となり、圧倒多数の方々から不適切だと批判を受けるようであれば致命的な問題があることを認め、法改正云々の前に自ら改めていく姿勢が欠かせないはずです。

現時点までは当ブログのコメント欄を通しても四面楚歌ではなく、ベンガルさんのような「欧米諸国を見てみると、労働組合が政治闘争を取り組むのは当然であり、公務員も同様のようです」という声を伺うことができています。実生活の場面も同様であるため、ぜひ、いまさらですがさんの「答え」が絶対正しいということではないことをご理解願えれば幸いです。もちろん一見して不適切な事例もあろうかと思いますが、あくまでも総論としての論点を問うていることも付け加えさせていただきます。

当初、今回の記事では舛添都知事の辞任から参院選挙に関わる話を書き進めていく予定でした。前回記事に寄せられたコメントに対応した内容から書き始めたところ、ここまでで充分長い記事になっています。そのため、予定を変更し、訴えたい論点を絞り込み、途中から記事タイトルを「舛添都知事を反面教師に」としていました。いずれにしても今回の記事内容から異論や批判の声に対し、謙虚に耳を傾けない、そのような誤解を受けないかどうか心配しています。

主張すべきことは主張していくこともモットーとしていますので、いまさらですがさんに対して失礼な物言いになってしまったかも知れません。私自身、誹謗中傷は論外ですが、異論や批判意見を伺えることを本当に貴重な機会だと考えています。感度の良いアンテナを立てることで不適切かどうかなどの問題を早めにキャッチし、改める必要がある点は批判の嵐にさらされる前に自浄能力を発揮していけることが求められています。

たいへん恐縮ながら公務員組合の政治活動に関しては、いまさらですがさんとの評価は分かれていますが、これからも率直で辛口な批判を歓迎している立場であることは強調させていただきます。最後に、舛添都知事の不適切さを反面教師にできるような報道内容を紹介します。「違法ではないが不適切」という事例に対し、四方からの声に耳を傾け、不適切かどうかの判断基準が世間の一般常識から乖離しないように充分注意していかなければなりません。

「別荘の公用車。片道だったでしょう。あれが職員としての、せめてもの抵抗です」 東京都の舛添要一知事を支え続けてきた都幹部は、公用車での別荘通いについて、再三にわたり、舛添氏に“注進”してきた実態を吐露する。「都民に誤解を与えるような使い方はまずい、と。ただ、『自分の車を使って何が悪い』と聞き入れなかった」 舛添氏は4月22日までの1年間に計49回、神奈川県湯河原町の別荘まで公用車で移動し、「公私混同」と批判を集めた。

金曜の午後2、3時台に都庁を出発するケースが多く、週末は別荘で過ごす。都のルール的には公務後の「帰宅」扱いで、舛添氏は「(別荘からの)帰り道は事務所の車を使っている」などと弁明。「ルール通りで問題ない」と主張した。都幹部は「舛添氏は人事権も握っている。それ以上は、強く言えなかった」と悔やみ、「あと1年も発覚しなければ、往復になっていたでしょうね」と語った。こうした実態は、舛添氏が4月28日の会見で語った「(幹部からやめるよう助言を受けたことは)ありません」との説明と食い違う。

「暴走する地方自治」などの著書がある新潟大の田村秀教授(行政学)は「部下とコミュニケーションできないリーダーは失格だ」という。都知事が任命権を持つ知事部局の職員は2万4192人。自らの政策を実現する“手足”に使えるほか、都ではブレーン(頭脳)となる副知事は4人、対外交渉などを代行する特別秘書は2人まで置ける。だが、舛添氏は、外部人材を登用した石原慎太郎元知事や猪瀬直樹前知事らと違い、ファミリー企業の元社員ら事務所関係者2人を特別秘書に任命。「自分の意見に反論しない『イエスマン』で周囲を固め、裸の王様になってしまった」(都幹部)

都知事の権力は絶大だ。1350万都民や企業が生み出す「都内総生産」は約93兆1千億円(平成25年度)で、オランダ(約83兆3千億円)の国内総生産より多い。予算規模はノルウェーやインドネシアの国家予算に匹敵する約13兆6500億円(28年度)。「都知事は『東京国』の大統領といっても過言ではない」と田村氏はいう。都知事は米大統領と同様、有権者の投票で選ばれる。政権与党の代表が就任する首相とは違い、「党内のしがらみもなく、資質によっては、『独裁』状態にもなりかねない」(田村氏)。“暴走”を止めるのは都議会の責務だが、今回は辞職に追い込み、疑惑の解明には至っていない。【産経新聞2016年6月17日

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2016年6月12日 (日)

江崎孝さんを再び国会へ

前回の記事「新しい判断で消費増税再延期」の冒頭で、このブログを通して意識的に組合の政治活動について数多く取り上げていることをお伝えしました。ただ地方公務員の立場を明らかにした者が政治的な話を積極的に取り上げることに対し、違和感や不信感を持たれる方が多いことを自覚しています。さらに誰もが閲覧できるブログにそのような話を掲げることについて、懸念される方も少なくないのも知れません。

もちろん不特定多数の方々が閲覧できるインターネット上であることを常に意識しています。それでも決してコソコソ隠すような内容は皆無だと考えているため、あえて政治的な話を取り上げ続けています。批判的に見られている方々に対して「暖簾に腕押し」のような関係性になって誠に恐縮ですが、逆にネット上に発信できないような組合活動だった場合、そのこと自体が問題です。即刻、その活動自体を改めていかなければなりません。

前回記事のコメント欄で、いまさらですがさんからは「公務員の加盟する労働組合は政治的な活動は一切慎むべき」「不適法な事例もあって、その上に不適切」という認識が示されていました。そのように見ている方々が多い、その事実は重く受けとめていかなければなりません。自治労組合員の中にも同様な見方をされている方々が多いのだろうという認識も持たなければならないはずです。このような問題意識を強めていたため、昨年10月の自治労都本部大会での発言に至っていました。

しかし、不適切かどうかは個々人の評価に関わる問題であり、外部からの声にも率直に耳を傾けた上、当該組織の活動方針を転換すべきかどうかは構成員の議論と意思によって判断していくものとなります。私自身、組合として関わるべき政治的な活動について、法的に「できること」を大前提に組織的な議論を経た適切な活動に向き合っているつもりです。その上で、組合執行部と組合員の皆さんとの問題意識を共有化していくための一つのツールとして、このブログを活用してきている経緯があります。

不適法かどうかは告訴もしくは告発された場合、最終的には裁判所が判断していくことになります。したがって、以前の記事「再び、地公法第36条と政治活動」に記しているとおり現状において違法性が問われるような組合活動は一切行なっていないつもりです。 私自身がそのように認識していても、今後、法改正や裁判で新たな判断が示され、これまで合法だと言われていた解釈が変わってしまった場合、当然、新たな解釈に沿って組合活動の範囲を見直していくことになります。

このような考え方のもとに参院選挙の直前、これまで「自治労の思い、あいはらくみこさんへ」「参院選は、えさきたかしさん」「参院選公示前、今、思うこと」という記事を投稿してきました。インターネット選挙解禁となっても、このブログでは選挙期間中は候補者の固有名詞を控えるなど一定の制約を課しています。今回の記事タイトルも「江崎孝さんを再び国会へ」だったため、公務員の政治活動を批判的に見られている方々の思いに対し、火に油を注ぐような印象を与えてしまったかも知れません。

ぜひ、ご理解願いたいのはそのような批判や異論があることをしっかり受けとめ、どのようにお答えすべきか悩んでいるという点です。しかし、直ちに受け入れられない異論だった場合、曖昧な答えではなく、私自身の考え方を詳述することのほうが望ましい関係性だと判断し、今回のような記事内容の投稿に至っています。とは言え、これからも閲覧されている皆さん一人ひとりからは様々な評価や批判を受けるのかも知れません。ぜひ、改めていろいろな「答え」を認め合った場としてご理解いただけるようよろしくお願いします。

前置きのような話が長くなっていますが、いまさらですがさんのコメントに答えることを今回の記事本文の主な内容と考えていました。そのため、決して前置きではない文章を綴っているつもりであり、もう一つ、江崎孝さんの話にたどり着く前に触れるべきことがあります。前々回記事「サミット、広島、そして沖縄」のコメント欄に「理想は理想として高く掲げた上、現実的な政策判断の積み重ねによって、その理想に現実をいかに近付けていけるかどうかという姿勢」は自分自身にも心がけようと考えている点です、このような言葉を残していました。

組合の政治活動に対する私自身の考え方が「ぶれない」「変わらない」という評価を当ブログのコメント欄でよく目にしてきました。ただ驚かれる方も多いのかも知れませんが、このブログを長く続けている間に政治的な活動のあり方の一部を改めてきた事例も少なくありません。基本的な方針や姿勢は変わりませんが、日常的な判断の積み重ねによって少しずつ以前に比べて変わったことをはじめ、あるいは他の組合に比べて独特だと見られるような対応が増えてきています。

最後に、これから紹介する文章は「江崎孝さんを再び国会へ」と見出しを付けた私どもの組合の機関誌に寄稿した記名原稿の内容です。これまで組合のニュースや機関誌という紙媒体にもブログの記事内容を頻繁に転用しています。その逆に紙媒体で扱った内容を後からブログ記事に掲げる時もありました。このことはネット上と実際の場面での主張を使い分けていない証しだと言えます。原稿の内容自体に様々な評価を受けるのかも知れませんが、私どもの組合員の皆さんとの関係性を表わした文章として参考までに全文をそのまま紹介させていただきます。

参院選挙は7月10日に投開票されます。組合は比例代表の候補者として自治労組織内の江崎孝さん(民進党・現職)を推薦しています。労働組合の最も重要な役割は組合員の雇用や生活を守ることです。労働条件の問題は使用者側と労使交渉を通して決めていきます。一方で、組合員の暮らしに大きな影響を及ぼす可能性があったとしても、社会的・政治的な課題は一組合の力だけでは到底関与できない領域となります。

そのため、選挙の取り組みは歴史的にも国際的にも多くの労働組合が関与してきた領域の一つです。ただ個々人の価値観が多様化している中、選挙方針を組合員の皆さんに押し付けるような進め方は慎まなければなりません。あくまでも取り組む意義や重要性を丁寧に訴えることで、ご理解ご協力を求めていくものだと考えています。そのような意味合いのもと今回の誌面でも参院選挙の取り組みについてお伝えする機会としています。

安倍首相を嫌いな方からお叱りを受けがちですが、私自身、安倍首相を全否定するような批判の仕方は避けるようにしています。安保関連法を巡る議論の際も「安倍首相は戦争をしたがっている」というような見方をせず、その法整備が本当に望ましいものなのかどうかという論点を重視してきました。その上で、立憲主義や平和主義をないがしろにするような安保関連法は問題だと考えています。さらに経営者側の視点に偏った経済政策や労働法制の見直しなども強く危惧しています。

安倍首相は「この道しかない」と強弁します。しかし、本当に正しい道なのかどうか、常に多面的な視点からの検証が欠かせないはずです。そのためにも参院選挙では民進党を中心に野党側が議席を伸ばし、国政の場で適切なチェック機能を働かせられるようにすることが極めて重要です。民進党に対する評価も様々なのかも知れません。それでも労働組合、連合と緊密な連携をはかれる意義は非常に大きいものがあります。また、民進党の中で、自治労の代表である江崎孝さんの存在の重要性もはかり知れません。

公共サービスの拡充をはじめ、自治労の声を民進党の中で反映し、引き続き国政に届けるためにも、江崎さんの勝利が不可欠です。江崎さんの政策等は次頁以降に掲げています。参院選挙の比例代表は政党名もしくは候補者名、どちらでも投票できます。しかし、江崎さんを再び国会に送るためには候補者名での投票が重要な点となります。なお、東京都選挙区は小川敏夫さん(民進党・現職)を連合や自治労の重点推薦候補としています。ぜひ、参院選挙を取り組む意義や重要性について、一人でも多くの組合員の皆さんにご理解ご協力いただけますようよろしくお願いします。

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2016年6月 4日 (土)

新しい判断で消費増税再延期

このブログに書き込んだ記事内容の反応は専らコメント欄を通して把握できます。私どもの組合員や知り合いの皆さんらにとって匿名のブログではなく、実名での発信と同じ扱いになっているため、直接感想を耳にすることもできます。もう一つ、他のサイトに「公務員のためいき」のことが取り上げられる場合もあり、たいへん貴重な意見を把握できる機会に繋がっています。

以前の記事「長島昭久さんとの関係」の中でも紹介させていただいた「市役所職員の生活と意見」は当ブログを開設した頃からご縁のあるサイトです。いつも興味深い内容の投稿が多く、ほぼ毎日、訪問させていただいています。お互い気になった記事を自分のブログの中で紹介する時があり、最近では「パワハラ被害の駆け込み先。」という記事に当ブログのことが触れられていました。

その際、「政治絡みのネタはいつも取り上げられるものの、パワハラなどの問題が話題の中心として取り上げられているのを見た記憶は、ほとんど無いように思います」という一言が気になっていました。過去、直接的な題材にした記事(「投資」となるパワハラ対策)もありますが、政治的な話題の記事の数に比べれば皆無に等しいバランスであることも確かです。

以前の記事(『「憲法改正」の真実』を読み終えて)の冒頭で丁寧な情報発信のツールの一つとして、このブログを通して意識的に組合の政治活動について数多く取り上げていることをお伝えしました。一方で、日常の組合活動の中で政治的な課題が占める割合はごくわずかであり、賃金や人員確保、人事評価制度の労使協議などが重要な取り組みとなっています。要するにブログでの題材の取り上げ方と日常の組合活動に対する力点の置き方にはギャップがあることを強調させていただきました。

また、不特定多数の方々が関心を寄せやすく、話題や論点も共通認識できるため、地味でローカルな話となりがちな日常の活動よりも政治的な題材を多く取り上げている側面もあります。さらに「運動のあり方、雑談放談」の中で記したことですが、不特定多数の皆さんへ「働きかける」という自分なりのささやかな運動と位置付け、このブログに向き合っていることも以前の記事でお伝えしています。

組合活動の中でパワハラ対策も重要な取り組みの一つであり、今回、久しぶりに直接的な題材として取り上げることも考えました。しかし、時機的な面や旬な話題であることを優先し、記事タイトルに掲げたとおり安倍首相が新しい判断で消費増税を再延期した話を取り上げることにしました。そのため、パワハラ防止に向けた私どもの組合の取り組みに関しては機会を見て改めて取り上げさせていただくつもりです。

2017年4月の消費税率10%への引き上げについて、増税に耐えられる環境にないとして再延期を正式表明した安倍晋三首相。リーマン・ショックのような重大な事態が起こらない限り引き上げるとしてきた、従来の説明と整合性が乏しい。首相は1日の記者会見で「新しい判断」と説明しつつ、公約違反との指摘は「真摯に受け止める」と認めた。

10%への引き上げを延期するのは2回目。当初予定した15年10月から4年遅れることになる。首相は14年11月、10%への増税時期を17年4月に一年半先送りすると表明した際「再び延期することはない。(アベノミクスの)『三本の矢』をさらに前に進め、必ずや(増税できる)経済状況を作り出す」と約束した。

さらに、日本の財政への信認を保つため「景気判断による再延期は行わない」とも述べ、消費税増税法を改正して「景気弾力条項」を削除。リーマン・ショック級の金融危機や東日本大震災並みの自然災害が起きた場合の再延期は、あくまで例外と位置付けていた。国会論戦でも、リーマン・ショックなどの場合を除いて予定通り実施するという見解を繰り返してきた。

だが、現在の世界経済はリーマン・ショックのような危機的状況にはない。首相は先の主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)で、新興国経済の減速をきっかけとした下振れリスクを各国首脳に訴えたが、理解は広がらなかった。多くの犠牲者が出た熊本地震についても、首相は「政治利用は被災者に失礼」として、従来の再延期要件に該当しないと説明した。

結局首相は、一貫して否定してきた景気判断を再延期の理由にせざるを得ず、この日の会見で「これまでの約束とは異なる新しい判断。公約違反との批判は真摯に受け止める」と述べた。従来の説明に固執して、苦しい立場に追い込まれるよりも、自ら公約違反との言葉を使うことで国民に潔さを印象づけ、野党の批判をかわす狙いもある。【東京新聞2016年6月2日

上記の報道のとおり消費税の引き上げは再び延期されます。この会見で安倍首相は参院選で「国民の信を問いたい」と述べ、衆院を解散して衆参同日選を行なう考えがないことも明らかにしました。これまで安倍首相は非改選の議員を含め、自民・公明の与党で過半数を維持できる46議席を参院選での獲得目標としてきました。与党の改選議席数は59であり、与党内からも「低すぎる」という声が上がっていました。今回の会見で安倍首相は獲得目標を与党で改選議席の過半数とし、現有議席に2議席を上積みする61という数字に改めました。

私自身、安倍首相を誹謗中傷するような言葉は慎んでいます。このブログでは批判的な記事内容が多いことも確かですが、あくまでも安倍首相の言動や考え方に対する批判であって人格を攻撃するような記述は一切ないはずです。そのような批判の仕方は安倍首相を支持されている皆さんに対して失礼なことであり、言葉の真意そのものが届きにくくなるものと考えています。今回の記事も同様な趣旨で書き進めていくつもりです。

ただ消費増税の再延期を表明した記者会見の内容を受け、そのような心構えが揺らぎそうです。『日刊ゲンダイ』を久しぶりに購入しましたが、「自己愛の激しい首相」という言葉をはじめ、「失速したアベノミクスの成果を誇り、失笑されたサミットでの独り相撲を正当化し、反省の弁すらなく野党を罵る支離滅裂」「ここまで勝手な理屈で自己弁護に終始するのは人格破綻か」という辛辣な言葉が並んでいました。言いすぎではないかと思う一方、その通りかも知れないという思いが錯綜していました。

『日刊ゲンダイ』の記事内容の一部を引用したことにお叱りを受けるのかも知れませんが、もう少し大手メディアも安倍首相の会見内容や消費増税の再延期を決めるまでの経緯などの問題性を大きく扱うべきものと考えています。前回記事「サミット、広島、そして沖縄」の冒頭で、安倍首相が世界経済討議の際にリーマンショック直前と似ているという資料を提示した話を紹介しました。

土曜夕方の『報道特集』で、この資料のことなどが取り上げられていました。政府関係者からも「G7のような国際会議で議論する資料なのに財務大臣などと事前にすりあわせをしないというのは通常ありえない」「サミットでは自らの責任を免れるために世界経済のせいにして、国際会議を政治利用した。これを放置していたら長い歴史の中で役人やメディアは何をしていたのかと笑われますよ」と問題視する声が上がっていたことを伝えていました。

そもそも安倍首相は世界経済の危機を「G7はその認識を共有し、強い危機感を共有した」と話していましたが、出席した首脳らは「我々は危機にない」と反論し、G7として同意していないことが明らかになっています。そのため、再延期を表明した記者会見では「新しい判断で」という言葉が枕詞に浮上していました。「再び延期することはない」と断言した約束を新しい判断で覆す、このような理屈がまかり通れば約束事に対する信頼関係の低下は免れません。

以前の記事「消費税引き上げの問題」に記したとおり私自身は消費税の引き上げの必要性を認めています。国債の信用を落とさないためには財政の健全化が欠かせず、社会保障財源の確保のためにも消費税の引き上げは避けられないものと考えています。そのため、民進党の岡田代表が党首討論で再延期を訴えたことを残念に思っています。不足する財源を赤字国債に頼るという発言も評価できません。

赤字国債のことを安倍首相も批判していましたが、安倍首相の税収増を前提にした財源確保の説明も安定性の面で危うい発想だと見ています。国民の大半が消費税の引き上げに反対しているため、消費増税を参院選での争点にすることの難しさも理解しています。それでも野田前首相が「再延期」を強く批判しているとおり民進党には3党合意の基本を貫いて欲しかったものと思っています。そのような構図に至っていた場合、将来に対する政治の責任を争点に問えたはずです。

いずれにしても安倍首相の判断が正しかったのか、誤りだったのか、すぐ結論は出ません。ただ再延期によるリスクや混乱が数多くあることも確かです。それにも関わらず、サミットで配付した資料に象徴されるように最近の安倍首相は限られた側近との間だけで物事を判断しているように見受けられます。自民党総務会で示された「首相が言ったらすべて従うのか。今後の見通しを示さないまま増税を見送り、誰が財政規律を体を張って守るのか」という村上元行革担当相の異論に安倍首相は真摯に耳を傾ける必要があるのではないでしょうか。

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