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2016年5月 8日 (日)

憲法9条についての補足

2年前「憲法記念日に思うこと 2014」という記事を投稿した頃から集団的自衛権行使の是非が現実的な政治課題としてクローズアップされ始めていました。そのような動きに比例し、このブログでも関連した記事内容の投稿が増えていました。その年の7月1日には憲法9条の解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認する閣議決定がされました。翌年9月19日、安保関連法案が可決成立し、今年3月29日に施行されています。

安保関連法は憲法違反の疑いが高く、立憲主義や平和主義のあり方が取り沙汰されるようになっています。5月3日の憲法記念日には各地で集会が開かれ、例年にも増して護憲か、改憲か、特に憲法9条の今後について議論の高まりを見せています。マスメディアによって取り上げ方が異なっていましたが、有明臨海公園で開かれた「明日を決めるのは私たち―平和といのちと人権を!5・3憲法集会」には昨年を大きく上回る5万人が参加していました。

安倍政権が憲法改正に意欲を示すなか、憲法施行から69年となった3日、東京や大阪など各地で憲法を考える集会が開かれた。夏の参院選を前に、改憲派が、改正の発議に必要な3分の2議席の確保をめざす政権を後押しする一方、護憲派はそれを阻止するための野党共闘を主張。改憲の是非をめぐる攻防が展開された。

東京・有明の広域防災公園で開かれた護憲派の集会には、約5万人(主催者発表)が参加。旧総評系や全労連系の労働組合や、参院選での野党共闘を支援するため学生団体「SEALDs(シールズ)」などが設立した「市民連合」が集まった。市民連合の呼びかけ人、山口二郎・法政大教授は「野党と市民がまとまれば勝てる。参院選に向けてうねりを起こそう」とあいさつ。参院選1人区で野党共闘を進める民進、共産、社民、生活の党と山本太郎となかまたちの4党の党首も出席し、民進党の岡田克也代表は「安倍(晋三)首相がめざす憲法9条の改正を絶対阻止しよう」と訴えた。

東京・平河町の砂防会館別館であった改憲派の集会には、約1100人(主催者発表)が出席。有識者でつくる民間憲法臨調と「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の共催で、同臨調代表のジャーナリスト、桜井よしこさんは改憲について「緊急事態条項を入れるところから出発するのがよい」と主張した。安倍首相もビデオメッセージを寄せ、「新しい時代にふさわしい憲法を自らの手で作り上げる、その精神を広めていくための取り組みに力を尽くしたい」と語った。集会の最後には、参院選を踏まえ、改憲の発議を求める声明が読み上げられた。一方、公明党の山口那津男代表は3日、愛知県東海市の街頭演説で憲法について「やたらに変えることはない。本当は法律や予算をつくっていくことが大事」と述べた。【朝日新聞2016年5月3日

ちなみに読売新聞も有明臨海公園で催された護憲派の集会を記事にしていました。ただ主催者発表の参加者数は掲げず、野党4党の党首らがステージに上がったことや家族で参加した会社員の「安保関連法が成立した今、憲法は変えるべきではない」という声を伝えていました。一方で、東京新聞は紙面を大きく割き、有明の集会に参加した若い人たちの「平和主義の破壊は見過ごせない」「なぜ反対の声を押し切って改憲に進むのか」などというを取り上げていました。

護憲派の集会に参加した人の声ですので、当然、意見や主張は偏ります。それを少数の声ととらえるのか、多数の声を代弁したものととらえるのか、読み手一人ひとりの判断だろうと思っています。大事な点は偏った情報や考え方だけで物事を評価せず、多様で多面的な情報に接しながら判断していくという心構えではないでしょうか。そのような趣旨のもと個々人の評価は分かれがちですが、このブロクを通して私自身が正しいと信じている「答え」を多面的な情報の一つとして発信しています。

私自身の平和や安全保障への思いは過去のブログ記事を通し、膨大な字数の書き込みを積み重ねてきました。その際、様々な事例や考え方を紹介しながら不特定多数の方々にも届くような言葉での発信に努力してきたつもりです。毎回、それらに記した内容を再掲することは到底あり得ないため、最近の記事「セトモノとセトモノ、そして、D案」の紹介をはじめ、平和の築き方安全保障のあり方という言葉にリンクをはっていました。ただリンク先を参照される方が少数であることも承知しています。

さらに過去の記事内容も個々人の「答え」に照らし、かけ離れた価値観だった場合、一つの「答え」という見方にも至らず「何も答えていない」、もしくは「議論の対象にさえならない絵空事」という評価を下されがちなことも覚悟しています。念のため、私自身の「答え」の正しさを主張しているのにも関わらず、それを認めてもらえないことを嘆いている訳ではありません。そもそも平和の築き方や安全保障のあり方に絶対的な「正解」は簡単に見出せないものと思っています。

前々回記事「『カエルの楽園』から思うこと Part2」の冒頭に掲げた文章です。前回記事「改めて安保関連法に対する問題意識」は「リンク先を参照される方が少数であることも承知しています」という悩ましさがいつもあったため、初めての試みとして過去の記事内容の引用を中心にした新規記事の投稿に至っていました。そのため、間違いなく過去最高の異例な長さの記事となっていました。そのような長さの記事に目を通していただいた皆さんには心から感謝しています。

ただ残念ながらコメント欄で、たろうさんから「いつもながら言葉使いやプロセスなど枝葉の議論ばかりで、どうやって国を守るか?という大事な部分が理解できませんでした。意図して避けているのだとおもいますが」という指摘を受けていました。過去の記事を焼き直した内容でしたので、たろうさんの「答え」に照らし、やはり私自身の綴っている言葉は「答え」の一つとして認めてもらえなかったことも覚悟しています。

しかし、意図して避けていると思われるのは不本意なことですので、今回の記事を通していくつか補足させていただきます。あの長さの前回の記事内容でさえ、これまで積み重ねてきた私自身の考え方や問題意識の一部にとどまります。前回記事の中でも「そもそも周辺国の脅威をどのように認識するかどうかで議論の出発点も枝分かれしていくようです」という言葉を残していましたが、たろうさんと私では周辺国の軍事的脅威に対する温度差があるようです。

たろうさんの危機感や問題意識を否定するものではありません。私自身は個別的自衛権、専守防衛を重視した上、周辺国とは相手の言い分や立場も慮りながら対話していく姿勢が大事だろうと考えています。到底受け入れられない理不尽な要求に対しては拒む必要もあろうかと思いますが、その成否を決めるのは武力を背景にしたものばかりではないはずです。第2次世界大戦以降、ある程度国際社会は成熟し、国連も一定の役割を果たしています。

国際社会の中で日本より防衛力が下回る国は圧倒多数を占めています。それでも国家間での武力衝突の頻度は減っています。曲がりなりにも侵略戦争を禁止した国連憲章による国際秩序が保たれている証しであり、帝国主義の時代のような「弱肉強食」の国際社会の現状ではありません。たろうさんの「平和主義の理想を追うのであれば、他国を巻き込むことです」という主張は、まったくその通りだと思っています。

国連による集団安全保障の深化を理想視していますが、たろうさんは「平和主義の専守防衛は援軍がいない一国では無理です」という言葉からNATOのような軍事同盟の必要性を念頭に置かれていることも推測しています。周辺国の脅威に対して抑止力を高めなければならない、そのためには日米安保条約の片務性を少しでも解消し、日本も集団的自衛権を行使できるようにすべき、そのような問題意識を持たれているものと見ています。

このような問題意識に対し、私自身の「答え」は集団的自衛権の行使を認めた安保関連法は問題だと考え、基本的に現状で充分対応できるはずであり、個別的自衛権の枠内から逸脱する必要性が本当に迫られているのであれば憲法96条のもとに国民の意思を問うべきものと訴えています。このような私なりの「答え」を示しながら、やはり「何も答えていない」「意図して避けている」と言われてしまった場合、価値観の隔たりを改めて強く認識しなければなりません。

たろうさんから「日米同盟が終了した場合はどう対応するお考えでしょうか?」という問いかけもありました。前述したロジック、片務性を解消できずにアメリカから見限られたケースを想定された質問だと理解しています。共和党のトランプ候補が新大統領になる可能性も現実味を帯びてきていますが、集団的自衛権を行使して片務性の解消に努める云々以前の問題として日米安保条約の見直しが迫られるのかも知れません。

以前の記事「外交・安全保障のリアリズム」の中で、あるアメリカの大学教授の「自分が日米同盟を誰よりも強く支持するのは、単に日本人が好きだからではない。それは紛れもなく米国の利益に資するからである」という言葉を記していました。このような認識がアメリカ人の中にあることも確かですが、新たな大統領の判断をアメリカ国民の多数が支持し、日米安保条約が破棄されるのであれば私たち日本人は粛々と受け入れるだけです。

在日米軍が撤退した場合、いきなり周辺国が本格的に攻め入ってくるような事態は想定していません。尖閣諸島の問題は明確な見方を容易に示せませんが、防衛費の大幅増をはじめ、核武装の検討は論外だと思っています。まず現状を基本にした専守防衛のシステムや水準を維持できるのかどうか慎重に見極めていく冷静さが欠かせないものと考えています。万が一、現状の枠内から大きく逸脱する必要性が迫られた場合、憲法96条のもとに憲法9条の改正も視野に入れていくべきという認識です。

たろうさんの問いかけに答える内容を中心に今回も長い記事になりつつあります。実は前回記事のコメント欄で、あっしまった!さんから「国会での草案審議を通し、自衛権までは禁止されず、自衛のための“必要最小限度の実力”を保有することは憲法9条に違反しないと解釈されるようになりました」という記述は事実誤認ではないかとの指摘を受けました。重大なミスリードした文章だったため、新規記事の中でも訂正した上、不充分さを補足させていただきます。

指摘された箇所は憲法草案を審議した衆議院憲法改正案特別委員会で、当時の自由党の芦田均委員長によって修正を加えられた「芦田修正」に絡んだ記述でした。憲法9条の草案には「前項の目的を達するため」という一文がありませんでした。この一文が「芦田修正」で入ったことにより、憲法9条は自衛権行使以外の武力行使を禁じているのであって、自衛のための「必要最小限度の実力」を保有することは憲法9条に違反しないと解釈できるようになったという見方があります。

しかし、一文が入った後も当時の吉田茂首相は自衛権まで含めての戦争放棄を国会で答弁していました。したがって、上記のような解釈が定着するのは1950年の朝鮮戦争が勃発した頃からとなります。そのため、憲法草案の審議の段階で「自衛のための“必要最小限度の実力”を保有することは憲法9条に違反しないと解釈されるようになりました」という前回記事の本文中の記述は誤りだったと言えます。

池上彰さんの『超訳 日本国憲法』を参考にしながら綴っていましたが、私自身の引用の仕方の致命的な誤りでした。重要な説明や前後に並べなければならない言葉が不足したため、今回のような指摘を受けることになりました。読み返して、すぐ疑問に思わなかったことも含め、私自身の認識の不充分さを猛省しています。事実誤認となる記述を残したことについて、たいへん申し訳ありませんでした。

今回の記事タイトルを通し、もっともっと語りたかったことがあります。その言葉や説明の不足が「分かりにくさ」に繋がることを心配しています。それでも毎回、異例な長さとなってしまうことも好ましくないため、そろそろまとめさせていただきます。不充分な点は次回以降の記事本文で補っていければと考えています。最後に、NHKが実施した憲法記念日にちなんだ世論調査の結果を紹介します。憲法に対する関心の度合いは高まっているはずですが、憲法を「改正する必要はない」と答えた人の割合が今回最も多くなっていました。

憲法の改正 今の憲法を改正する必要があると思うか聞きました。「改正する必要があると思う」が27%、「改正する必要はないと思う」が31%、「どちらともいえない」が38%でした。去年の同じ時期に行った調査と比べると、「改正する必要がある」は、ほぼ同じ割合だったのに対し、「改正する必要はない」は増え、「どちらともいえない」は減りました。NHKは平成19年からことしまで、合わせて5回、同じ質問を行っていますが、憲法を「改正する必要はない」と答えた人の割合は、今回、最も多くなりました。

憲法を「改正する必要があると思う」と答えた人に理由を聞いたところ、「日本を取りまく安全保障環境の変化に対応するため必要だから」が55%と最も多く、「国の自衛権や自衛隊の存在を明確にすべきだから」が20%、「アメリカに押しつけられた憲法だから」と、「プライバシーの権利や環境権など、新たな権利を盛り込むべきだから」がそれぞれ8%でした。

憲法を「改正する必要はないと思う」と答えた人に理由を聞いたところ、「戦争の放棄を定めた憲法9条を守りたいから」が70%と最も多く、「すでに国民の中に定着しているから」が11%、「憲法の解釈や運用に幅を持たせればよいから」が10%、「アジア各国などとの国際関係を損なうから」が4%でした。

憲法9条 集団的自衛権 「憲法9条」について、改正する必要があると思うか聞きました。「改正する必要があると思う」が22%、「改正する必要はないと思う」が40%、「どちらともいえない」が33%でした。3年前の同じ時期に行った調査では、憲法9条について改正が「必要」という人と「必要はない」という人の割合はほぼ同じ程度でした。その翌年のおととしからは、それぞれ「必要はない」という回答が「必要」という回答を上回っています。

憲法9条を「改正する必要があると思う」と答えた人に理由を聞いたところ、「自衛力を持てることを憲法にはっきりと書くべきだから」が55%、「国連を中心とする軍事活動にも参加できるようにすべきだから」が23%、「自衛隊も含めた軍事力を放棄することを明確にすべきだから」が10%、「海外で武力行使ができるようにすべきだから」が5%でした。

憲法9条を「改正する必要はないと思う」と答えた人に理由を聞いたところ、「平和憲法としての最も大事な条文だから」が65%、「改正しなくても、憲法解釈の変更で対応できるから」が15%、「海外での武力行使の歯止めがなくなるから」が12%、「アジア各国などとの国際関係を損なうから」が4%でした。ことし3月、安全保障関連法が施行され、日本が集団的自衛権を行使することが可能になったことについて賛成か反対か質問したところ、「賛成」は25%「反対」は27%、「どちらともいえない」は40%でした。

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コメント

「日本国憲法を巡る論議 = 第9条(だけ)を巡る論議」という構図(にしかならないこと)は、社会全体にとって、果たして良いことか悪いことか。

単に「憲法違反かどうか?」でしかないハズの政治課題が、「立憲主義に反する」に飛躍してしまうのか。
まして、冷静な学術的議論を本旨とするハズの憲法学者が率先してこういう論理の飛躍を行うのはなぜなのか。

「憲法は一部の護憲派にとって教義であり、経典である」ってのは、ワタクシの持論だったです。
加えて最近は、「実は(声の大きい)憲法学者にとっても同様(教義であり、経典である)なのかもしれない」という疑義を抱かざるを得ない状況になってしまったという疑念を捨てきれない。
※政権の方針を是認する方向での研究発表(や論文の掲載)を、学会のお偉方に潰されたなんて話も、真偽不明ながら耳にしたりもするので。

憲法学以外の複数の領域の法学者から、「憲法学者の、理屈ではなく感情的な異議申立についての疑念が呈される。学問的な議論ではなく、宗教的な議論に見えると指摘される。」という状況を見るにつけ、
「マトモに法的な議論をしてくれる憲法学者がいて欲しい」って思いを深くしつつ、「憲法論=第9条論」という構図から抜け出ることの壁の厚さを思い知らされる今日この頃ですね。

あと、日本列島の地形的・経済的・保有天然資源などの特性上、全域を何の後詰めもなく単独で守り切るのは、軍事的にはほぼ不可能です、多分。
下手をすると、後詰めが来るまで全域で凌ぎきることすら難しいかも知れません。

軍事力の大きさ以前に、地理的・地形的・資源的な与件がシビアすぎて、どうにもなりません。軍事力が小さくても、地理的・地形的・資源的な与件が今より緩やかなら遣りようもあるかも知れませんが。

投稿: あっしまった! | 2016年5月 8日 (日) 17時42分

ところで、憲法学者の7割以上は「自衛隊の存在自体が違憲(第9条違反)」だと考えているという調査結果が数ヶ月前に発表されました。

集団的自衛権云々以前に、憲法学者の大勢は「自衛隊違憲論」であるということは、もっと周知されて良いと思います。

そうであれば、「集団的自衛権の”超限定的行使”に関する憲法学者の見解を尊重し、個別的自衛権だけを認める立場の側」からも、「個別的自衛権を、言い換えれば自衛隊を、護憲の存在とするような方向での改憲論」があって然るべきなのに、そういう声も聞かない。

色々な意味で、「拗れちゃってる感」だけが募りますね。

投稿: あっしまった! | 2016年5月 8日 (日) 18時03分

あっしまった!さん、コメントありがとうございました。

記事タイトルを「憲法9条についての補足」としながら、やはり書き損ねている内容が多くあることに思いを巡らしています。できれば次回以降の記事本文を通し、「補足の補足()」について書き足せればと考えています。いつものことですが、この場では具体的なレスに至らないことをご理解ご容赦いただければ幸いです。

投稿: OTSU | 2016年5月 8日 (日) 22時04分

あっしまった!さんの
ご意見に賛同する部分が本当に多いです。

>憲法学者の7割以上は「自衛隊の存在自体が違憲(第9条違反)」だと考えているという調査結果
この件、確か東京新聞が実施した去年のアンケートでも6割ぐらいの学者が憲法違反としていたかと。
※ヤフーの掲載ですみません。ご参考まで。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yanaihitofumi/20160204-00054109/

でね、私がこの件にこだわる理由はもう省略しますが
私の意見に対して、ブログ主様は「おそらく」長島さんのご意見を掲載することでご主張をされたと思うんです。
それが以下
>しかし、今日に至ってもなお自衛隊を違憲とする学者は少数といえます。なぜでしょうか。要は、自衛隊が、憲法の要請する法規範論理の枠内に収まるとの国民のコンセンサスが確立したからなのです。(この現実自体を拒否する方々の議論は、そもそも本論の範疇の外にあるものといわざるを得ません。)

これ、アンケート結果と相反するご意見かと。
そして「コンセンサスが確立したからだ」とご指摘。
私に言わせればね
「時間かけて、ごまかして、裁判所が逃げ続けた行為が
コンセンサスを得た事になっちまうのか!」って話。
違うと思いますよ。
「憲法に違反してるかもしれないけど、多くの国民はしょうがないなぁ、アメリカには逆らえないし、自衛隊解散なんて今更現実的じゃないしなぁ」って
あきらめてるだけじゃないですか?
本当は、憲法に則って国を運営したほうが
良いに決まっているし
解釈なんかで捻じ曲げない方がよいのでは?

だからこそ、あっしまった!さんの
>自衛隊を、護憲の存在とするような方向での改憲論」があって然るべき
には激しく同意します。
今がチャンスかもしれないとも思っています。
こう言ってくれる政党は無いものでしょうか?

長嶋さんに関する記事を載せて(これもヤフーで統一w)
私が彼を信用できない理由としておきます。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/minaminoshigeru/20140307-00033318/


投稿: いまさらですが | 2016年5月 9日 (月) 22時11分

OTSU様

わざわざ本文でご回答いただきありがとうございました。
お陰でより理解が進んだと思います。

周辺国の軍事的脅威についての認識の違いもあると思い
ますが、もしかすると想定している時間軸と、危機への
準備期間について認識の違いがあるのではないかと
思いました。

わたしもここ数年は現状通りで大丈夫と思いますが、
気にしているのは5年以上先の中長期的な安全保障です。
国防は体制や装備を変えたり、整えるのには結構な年数が
かかると思うので先を見据えた対応が必要だと思います。

「現状の枠内から大きく逸脱する必要性が迫られた場合」
になってから慎重に見極めて、議論して、憲法改正して、
国防の準備をしてなんてやってたらそれこそ
10年、20年コースで、危機の対応には全然間に
合わないと思うのです。

>国連による集団安全保障の深化
常任理事国の拒否権がある以上、残念ながら日本周辺国の
脅威にはほぼ役に立たないと思います。

>>日米同盟が終了した場合
>いきなり周辺国が本格的に攻め入ってくるような事態は想定していません

周辺国は南シナ海でおこなっているように様々な手段を
用いて日本を獲りに来るのは間違いないと思います。
「いきなり」かどうか。「本格的」かどうかは備えの
要否とは関係ないと思います。

投稿: たろう | 2016年5月11日 (水) 03時38分

>国際社会の中で日本より防衛力が下回る国は圧倒多数を占めています。それでも国家間での武力衝突の頻度は減っています。

日本と関係ない国の防衛力の話をして何の意味があるのでしょうか
日本の周辺国はロシア・中国・北朝鮮・韓国・米国です
どれも世界最大級の軍事国家であり、韓国を除いて核保有国です

そしてロシアはまるで帝国主義時代に戻ったかのようにクリミアを武力により併合して領土を拡大し、ウクライナ東部に軍事介入して戦争中です
中国は海軍を大増強させ、海洋進出に非常に力を入れており、南沙諸島で岩礁を埋め立てて3000m級の滑走路を建造しています
また中国は人工島を「自国の領土」として扱えと、国際社会に要求し、人工島に近づくことを拒否しています
国際法的には人工島には領海も領空も発生しませんので、人工島の傍を自由に航行できるハズにも関わらずです
これは強い言葉で言えば国際法への挑戦です
これを許容してしまうと、埋め立ての人工島を作ればその周辺は自国の領海・領空となってしまい、事実上の領土拡大となってしまいます
そして中国はそれをやろうとしています

>在日米軍が撤退した場合~防衛費の大幅増をはじめ、核武装の検討は論外だと思っています。まず現状を基本にした専守防衛のシステムや水準を維持できるのかどうか慎重に見極めていく冷静さが欠かせないものと考えています。

「冷静さが欠かせない」と言いつつ、防衛費の大幅増は「論外」だと、非常に感情的に否定する
どこが冷静なのでしょうか
在日米軍が撤退した場合、「現状を基本とした専守防衛のシステムの維持」などできません
現在の自衛隊は、米軍の援軍が大前提で整備・運用・訓練されており、米軍の援軍が大前提だからこそ防衛費がGDP比で1%前後の軽い負担で済んでいます
在日米軍撤退となれば、日本も英仏や隣国韓国と同じようにGDP比で2%台とまではいかなくても、1.5%程度に増額させることが「冷静に、軍事的に見て」必要になるでしょう
「在日米軍が撤退したけど、防衛費は絶対増やしたくない」という方が、冷静な分析ではなく感情的な意見です
防衛費・軍事費は保険です
状況が危険になれば、保険金も上昇するのは自然かつ当然のことです

もちろん核武装も「論外」と議論もせずに否定することこそ「論外」です
メリット・デメリット双方を冷静に判断して決めるべきでしょう
在日米軍が撤退し、米国の核の傘が消滅した場合、その「メリット」が上回ることも十分有り得ます
というか、在日・在韓米軍が撤退すれば韓国は確実に核武装します
日本の周辺国のほとんどが核武装している状況で、日本だけ核武装しないで「自衛」できると考える人は少数でしょう

そして、自衛の範囲なら核武装も憲法違反ではないと数十年も前に憲法解釈済ですので、憲法上は問題ありません

投稿: bare | 2016年5月11日 (水) 18時32分

ワタクシも「望むのは平和」ですよ。
ただし、「隷属や服従の結果として表出する”平和”」であるなら、それは違う。

その上で、ワタクシが思うには「現状を基本とした専守防衛のシステムを維持する」ことに反対する人は少数派だろうとは思う。

けど、そうした現状維持派の中で、「この文脈にいう-現状-には、日米安保条約と在日米軍の存在(米軍の常時駐留)が含まれている」ということは、案外見落とされてる(というか無自覚 or 故意に目をそらしている)という印象があります。

日米安保と在日米軍の存在が否定された時点で、維持すべき現状は既に崩れてる。
崩れた現状を前提にした防衛体制なんて、脳内世界の日本でしか通用しない空想の産物でしかないと、ワタクシは思う。

そんなわけで、「日米安保と在日米軍の存在しない中での、現状を基本とした専守防衛のシステム」という理屈には、旧民主党さんのマニフェスト(立案者の脳内世界の中の日本でしか成立しない)と同じ扱いになるかな、ワタクシの中では。

投稿: あっしまった! | 2016年5月11日 (水) 21時08分

主題とはかなり離れますがね
私は自衛隊は違憲だと思ってますが
日米安保と在日米軍は合憲だと思っているんです。
というか、もう既に砂川判決が出ています。

その上で。
国際情勢の捉え方なんて
個人個人で違って当たり前なんです。
隣国を見れば危機的な状況だと思う人もいれば
いたずらに不安を煽り立て、右傾化してるだけだと
批判する人もいる。これはとても健全な議論であり
これこそ、政治分野の役割なんだと思うんです。

さらにその上で。
国際社会は時々刻々と情勢が変わります。
私たちは、その時々で日本の立ち位置を判断しながら
政治家にその方針を委ね
場合によっては国家の運営ルール(憲法)を
現状に対応すべく変えてゆく事で存続すべきもの。

その際、内閣が解釈を変えるんじゃダメなんです。
国民がルールそのものを変えないと
憲法の意味や役割が崩壊するんです。
一度崩壊すれば、もうそれはシンボルみたいなもんで
変える意義すらなくなるんです。

その結果
「憲法守れ!」と
「憲法守って国守らず」とが
巷にあふれだすわけです。
これが政治と結びつくから、厄介この上ない。
本来、これは政治の話ではなく
もっと基礎的な国家運営の問題。

だから、こういうことが起きないように
本来はきちんとジャッジする機関がある訳です。
「ルール違反だよ」「ルールに則ってるよ」って。
それが裁判所でしょ?
しかし!ここが「判断しません」ってジャッジを放棄して
もう半世紀ですよ。。。
なんでここに不満を持つ人が
あまりいないのでしょう?

私の話はとても単純。
それぞれがそれぞれの役割をフツーに果たせば
こんなくだらない憲法論議なんて、一瞬でなくなる。

そして、本来の主題である
「平和を構築する具体的手段」についても
誰もが健全に、建設的に、大いに論じられるんです。
それこそが、本来の立憲政治の姿なんです。

投稿: いまさらですが | 2016年5月11日 (水) 23時50分

>在日米軍が撤退した場合、いきなり周辺国が本格的に攻め入ってくるような事態は想定していません。

なぜ想定しないのですか? 自然災害等に備えていろいろ想定して準備し訓練しますよね。特に原子力発電などには想定外は許されないと言われる方も多いですよね。安全保障も同じじゃないんですか。実際にくるかどうかはわからないですが、あらゆることを想定して、コストを試算して対策を練るのではないのでしょうか。

本当に冷静に見極めることをしてほしいですね。

投稿: nagi | 2016年5月12日 (木) 08時59分

ワタクシも、結論はどうであっても、「想定して検討するコト自体を排除する論」には賛成出来ません。
原発に対する「想定外は許されない」と同じくらいのレベルで、安全保障に対しても「想定外は許されない・あり得ないことをあり得ると想定して備える。」を貫いて欲しいですね。
原発については、「あり得ないくらい悪い想定を持ち出す」のに、安全保障に関しては「あり得ないくらい、何の想定をも否定する・想定自体を否定する」っていう人がワタクシの周辺にも居られるので。
この不均衡はなんなのだろうって。

周辺国との安全保障問題を論じるのであれば、「日本は、国連憲章上は今も”敵国”である」という事実を、前提(与件)から 絶対に 外さないで欲しいです。

つまり、「国連憲章上の常任理事国 と 国連憲章上の敵国」が国連を舞台にした外交戦を行う必要があるのだということを、無視しないで欲しい。
この一点において、こうした政治課題においては「日本は、南シナ海の当事国よりも、むしろ国連内での立場は弱い」ってことを、必ず前提において欲しい。

このあたり、国連を絡めた安全保障を論じたり政策論を展開する上では、ある種の「国連幻想みたいな何か」が国内に根強くあることの負の側面じゃないかなぁ。

結論は、人それぞれで、ワタクシとは反対の方策を是とする人は必ず居るだろうし、それを否定したり排除するつもりはないのだけれど、
「日本は”国連憲章上の敵国”であること、相手は”国連憲章上の常任理事国”であることを当然の与件として、応分の検討を加え、応分の目算があっての結論なのですか?」という一点だけは、気になりますね。
そういう観点からの分析・検討なくして、「単に、国連の場で何とかする」とだけ言ってるのであれば、いざというときには、ちょっと洒落にならないので。

投稿: あっしまった! | 2016年5月12日 (木) 10時11分

>「そもそも周辺国の脅威をどのように認識するか」

とりあえず公式資料です。
<平成27年版防衛白書 概観>
http://www.mod.go.jp/j/publication/wp/wp2015/html/nd100000.html

わたしは事実ベースで抑制気味に書いてあると思いましたが、もしかするとOTSU様や平和団体の方は危機を煽っていると感じられるのでしょうか?


>私自身は個別的自衛権、専守防衛を重視
PKOも反対なのでしょうか。
あの時も野党は戦争法案だと叫んでいましたよね…


>周辺国とは(中略)対話していく姿勢が大事
>成否を決めるのは武力(中略)ばかりではないはずです

成否を決めるものは具体的には何ですか?
対話は現状でもやっていますが核開発・領土侵害・人工島埋立てなど難しいですよね。対話に応じるふりをしながら時間稼ぎをして既成事実化を図るのが周辺国の常套手段かと。


>国連による集団安全保障の深化を理想視しています
理想の話ではなく、現実の話をしたいのですが。
国連の本質は常任理事国同士の争いを避けることにあり、常任理事国の国益を損なわない範囲で平和を追求する機関です。よって過度の期待は禁物かと。

<蛇足>
憲法改正について娘(最近選挙権取得)に賛否を聞いてみたところ反対とのことでした。理由を聞いてみると、「よくわからないけど今まで平和だったなら変えなくてもいいんじゃないか」とのこと。
普通の人は国防や憲法のことなんて関心ないんだなぁと実感。若い人には民主党政権時代のことをちゃんと伝えないと危ないなぁと感じました。

投稿: たろう | 2016年5月13日 (金) 00時35分

障害者差別解消法が施行されたのに、えげつない差別がでてますね。国会でALS患者の参考人の意見徴収で自民党が反対したとニュースを見ました。 そして民進党の山井議員がツイッターで自民党を非難してました。もっともこのツイートは削除されたようですが。

そしてこの記事です

>http://agora-web.jp/archives/2019147.html

結局、民進党がことのおこりのようですね。
それにしても民進党の山井さん、事実関係をちゃんと確認しないでの発言はまずいのではないのでしょうか。

そして、ちゃんと事実関係を報道しないならマスコミは政府の圧力で報道の自由が低下してるのではなく、単純に報道能力が低下してるからだと思いますよ。

投稿: nagi | 2016年5月13日 (金) 18時00分

○国連の本質は「戦勝国倶楽部」であり、日本は「敗戦国」である。

○日本は、国連憲章上の敵国(敵国条項の対象国)であり、”国連憲章の明文の規定によって、特定の事案に限っては、安保理の決議なく、軍事的攻撃を受けても文句を言えない立場”である。

ワタクシは国連という組織体の存在意義を認めていますが、一方で上記の2点は絶対に失念してはならない現実であるとも考えています。

ロシアや中国の首脳が、ときおり「日本は敗戦国であり国連憲章上の敵国であるという立場を弁える必要がある」っていう意味の牽制を、公式の発言として行うのも、そうした歴史的経緯や国際条規上の根拠があってのことですから。

もっとも、こういう直截な言い方はしませんから、そうした牽制をする(圧力をかける)意図があると理解している人は少数派かも知れません。

日本には、憲法第9条信仰とならんで、ある種の国連信仰がありますから。

そもそも「国連」って言い方自体が特殊日本的な言い回しで、国際的には「連合国」って言い方がされるんですが、国連という組織体の歴史的経緯からすると、「連合国(枢軸国の対になる国家群)」ってのは、本質を表わした言葉だと思いもします。

投稿: あっしまった! | 2016年5月13日 (金) 23時42分

いまさらですがさん、たろうさん、bareさん、あっしまった!さん、nagiさん、コメントありがとうございました。

どこまで対応できるかどうか分かりませんが、今回の記事で触れられなかったことや皆さんからのご指摘等を踏まえ、新規記事をまとめてみるつもりです。ぜひ、またご訪問いただければ幸いですので、よろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2016年5月14日 (土) 06時36分

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