« 2016年4月 | トップページ | 2016年6月 »

2016年5月29日 (日)

サミット、広島、そして沖縄

伊勢志摩サミットが終わりました。大きな事故や事件がなく、無事に終えられたことが何よりです。ロシアや中国が参加しないG7の存在意義を問う声もありますが、今回、安倍首相は様々な思惑や仕掛けを用意しながら臨んだようです。サミットの議長を務める安倍首相は世界経済討議の冒頭に「リーマンショック級の大きなリスクに直面している」と訴えました。それに対し、首脳の一人からは「危機とまで言うのはいかがなものか」と異論が示されました。

このような異論を想定されていたようであり、安倍首相は原油や食料などの商品価格の下落率がリーマンショック直前と似ているという資料を提示していました。ただ数多くある経済指標の中の一つのデータにすぎず、金融危機時は需要不足、現在は供給過剰が原因であり、このような比較の強引さを指摘する専門家の声があります。消費税引き上げを再延期するための国内向けの布石として、サミットを利用したという指摘も的外れだとは言い切れない議論の進め方でした。

サミット以上に日本国民の注目を集めたのはオバマ大統領の広島訪問でした。71年前に原爆を投下した広島の地を現職のアメリカ大統領として初めて訪れ、平和記念資料館を見学した後、オバマ大統領は原爆死没者慰霊碑に献花されました。慰霊碑の前では亡くなった被爆者を追悼し、「核兵器のない世界」を将来にわたって追求していく必要性を世界に訴えました。声明の全文はリンク先のとおりですが、事前の見通しに反し、17分間にも及ぶ力のこもった演説でした。

フリーアナウンサーの長谷川豊さんはブログで「広島の方々には本当に申し訳ないのだけれど…どうしてもオバマ氏の広島訪問はモヤモヤします」という記事を投稿し、核兵器を減らすという「結果」を出せず、レームダックとなっているオバマ大統領の広島訪問や宣言はまったく評価できないと言い切られています。平和記念資料館の見学時間が10分間だったことも強く批判し、誰からも相手にされていない人間の自己満足のためのパフォーマンスであり、オバマ大統領から誠意を感じられないと記されていました。

2009年4月、オバマ大統領はプラハで「核兵器のない世界」をめざす決意を示しました。そのことが評価され、オバマ大統領はその年のノーベル平和賞を授与していました。大統領就任当初、高らかに理想を掲げながらも残念ながら劇的な核廃絶の歩みを実践できていません。一方で、現実の場面での選択肢を判断する際、最高権力者だったとしても個人的な思いを自制しなければならない局面ばかりだろうと考えています。

理想は理想として高く掲げた上、現実的な政策判断の積み重ねによって、その理想に現実をいかに近付けていけるかどうかという姿勢や努力がトップリーダーには求められているのではないでしょうか。結果としてオバマ大統領は「核兵器のない世界」という理想に近付けないまま退任することになります。それでも就任当初から望んでいた広島への訪問に関しては何としても大統領を退任する前、実現しようと努力した結果と強い意思があったからこそ今回実を結んだものと受けとめています。

アメリカ国内では現職大統領の被爆地訪問に対する賛否があり、原爆投下の謝罪などもってのほかという批判の声が顕在化しています。そのような中、オバマ大統領が広島を訪れ、「戦争に対する考え方を変え、外交によって、紛争を回避し、すでに始まった紛争についても、それを終えるための努力を怠ってはなりません。世界の国々は、ますます相互に依存するようになっています。しかし、それを暴力的な競争ではなく、平和的な協力に繋げるべきです」という言葉などを発せられたことを私自身は大きく評価しています。

平和記念資料館の見学時間が10分間であり、10分では何も見れず、駆け足で回ってきただけという指摘があります。ただ初めの計画では滞在時間が限られているため、その10分の見学自体も難しかったように耳にしています。オバマ大統領は4羽の折り鶴を持参され、出迎えた小中学生2人に1羽ずつ手渡していました。10分程度の見学にも関わらず館内で「私たちは戦争の苦しみを経験しました。共に、平和を広め核兵器のない世界を追求する勇気を持ちましょう」という直筆のメッセージを残され、そこに2羽の折り鶴を置いてきたそうです。

原爆投下から10年後、白血病で亡くなった佐々木禎子さんの死を切っかけに「原爆の子の像」ができ、そこに折り鶴が集まるようになっていました。案内役を務めた資料館の館長は、この折り鶴の話をはじめ、オバマ大統領が事前によく勉強されていた様子を伺えたと語っています。このようにわずか10分間だったとは言え、平和記念資料館の見学はオバマ大統領にとっても、日本側にとっても有意義な時間や機会になっていたものと見ています。

話は前後しますが、そして沖縄の痛ましい問題です。伊勢志摩サミットの開幕前夜、安倍首相はオバマ大統領と会談を持ち、米軍属の男による死体遺棄容疑事件についてアメリカ側に抗議し、実効性のある再発防止策を講じるよう求めました。オバマ大統領は事件を受け、哀悼と遺憾の意を表明した上、「米国は継続的にこの捜査に協力していく。日本の司法制度のもとで捜査が行なわれることを確保するために私どもは全面的に協力する」と答えていました。事件の概要や沖縄が抱える深刻な問題点は次の報道のとおりですが、橋下前大阪市長のツィッターをはじめ、いろいろな見方がネット上では散見できます。

国土面積のわずか0.6%に在日米軍専用施設の74%が集中する沖縄県では、米軍人・軍属の犯罪が後を絶たない。5月19日、沖縄県警に死体遺棄容疑で逮捕されたのも元米海兵隊員で、米軍嘉手納基地の軍属、シンザト・ケネフ・フランクリン容疑者(32)だった。細身で180センチの長身の黒人だが、取り調べ中も完全に憔悴しきって、ふるえておどおどしているという。「最初の事情聴取があった翌日の17日に多量の睡眠薬を飲み、病院に担ぎ込まれ、18日にも700ミリリットルのウイスキー2本を一気飲みし、救急搬送されていた。本人が乗っていたYナンバーの米軍車両を捜索すると、ルミノール(血液)反応があり、問い詰めると、『棒で頭を殴り、強姦し、ナイフで刺した』とすぐに自供しました」(捜査関係者)

米国出身のシンザト容疑者はメリーランド、ワシントンDCなどに住み、2007~14年まで米海兵隊に所属。その後、来日し、日本人女性と結婚し、シンザトと名乗るようになった。今は嘉手納基地の企業でインターネット配信などの業務に携わり、与那原町に妻と生まれたばかりの子どもと居住、素行など近所の評判は悪くはなかったという。殺害された女性と面識はなかったとされるが、2人の運命が交錯したのは、4月28日夜――。「ウォーキングしてくる」 女性が同居中の交際相手の男性にLINEでメッセージを送信。その後、スマートフォンの位置情報が途絶えたのが、29日午前2時40分頃だ。うるま市内の女性の自宅から1~3キロほど離れた工業地帯だった。

そしてシンザト容疑者の供述により、女性の遺体が見つかった現場は、恩納村安富祖にある雑木林。米軍セントラルトレーニングエリアの一画である。遺体は腐敗が進み、すでに白骨化していた。県警は、女性の消息が途絶えた工業地帯の防犯カメラ映像から、付近を通行した約300台の車を割り出した。「Yナンバーは数台だけだったので、すぐにシンザトは容疑者として捜査線上に浮上した」(地元紙記者) 近隣のコンビニエンスストアの防犯カメラもその奇行をとらえていた。「周囲をうろついたり、コンビニで購入した塩を車にまくような様子が映っていた。1度目の自殺未遂の直後、なぜ、すぐ身柄を押さえなかったのか。日米のややこしい問題になるのを恐れ、自殺するのを待っていたのではないかと、疑う声もある」(地元関係者)

結婚を控え、悲劇に見舞われた女性は地元のショッピングセンターで働き、勤務態度もいたって真面目。ウォーキングが趣味の活発な女性だった。親族にあたる前名護市長、島袋吉和氏が語る。「本当にむごたらしい。彼女の祖父が島袋家の門中(親族集団)の長になります。いま大勢で見送りしたが、みな怒り心頭です」 20日の告別式には翁長雄志沖縄県知事や中谷元・防衛相も参列した。「飛行機の時間を気にしてVIP扱いで、焼香の時も列に並ばなかった中谷さんは地元で顰蹙を買っただけでした」(参列した人) うるま市選出の照屋大河県議も怒る。「沖縄中が常に危険と隣り合わせであることに、改めて腹立たしい思いがする」「治外法権」という不条理のために、今回の事件も県民に知らされないまま闇に葬られかねない危険性があった。というのも、米軍関係者を保護する日米地位協定が、常に立ちはだかっているからだ。

米軍人・軍属が事件や事故を起こしても、被疑者が公務中の場合、捜査権と第1次裁判権は米軍側にある。例えば、ひき逃げ事件が発生して、県警が犯人の米軍人を逮捕しても、公務中の事故だったとされれば、検察官は不起訴にせざるを得ないのである。今回の死体遺棄事件の場合は、シンザト容疑者は公務外だったが、基地内に逃げ込んでいたら、県警の捜査の手が及ばなくなる可能性もあった。米軍犯罪に詳しい池宮城紀夫弁護士が説明する。「被疑者が米軍の手中にある場合、起訴前は米側が身柄を確保することになっています。シンザト容疑者が米軍基地内にいると、公務外でも県警は手出しができなかった」。【週刊朝日2016年6月3日号抜粋】

この事件だけを見れば最初から沖縄県警が捜査しているため、在日米軍基地全体の問題として批判するのは騒ぎすぎではないか、そのように見ている方々が多いことも承知しています。しかし、捨て石にされた沖縄戦、銃剣とブルドーザーで土地を奪われ、過去から現在まで米軍基地があることで多大な負担や被害を受けてきた歴史を見た時、今回の事件も「またしても」であり、沖縄の皆さんの怒りは必然な流れだと言えます。このような経緯や事実を見誤ったり、もしくは軽視し、したり顔で「騒ぎすぎ」と論じることは慎まなければなりません。

このような言葉も現実的な安全保障の問題と照らし合わせた際、厳しい問いかけや批判を招くのかも知れません。さらに戦争の悲惨さを知り、平和を願うだけで平和な世の中に繋がる訳ではありません。しかし、原爆の悲劇や沖縄戦の実相を知ることで戦争は絶対起こしてはいけない、そのような思いを強めていくことも間違いなく大切なことです。そのことで「どのようにしたら戦争は避けられるのか」「戦争を起こさないために何をすべきなのか」という思考に繋がっていくはずであり、ぜひ、次期アメリカ大統領にはオバマ大統領の思いを引き継いで欲しいものと心から願っています。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2016年5月22日 (日)

報道の自由度、日本は72位

著名人が亡くなられた際、お通夜や告別式の模様がテレビの報道番組でも大きく取り上げられます。その著名人を慕っていた方々にとって、たいへん貴重な映像なのだろうと思います。確かに著名人の訃報はニュースの一つですが、もっと他に時間を割いて報道しなければならない重要な出来事があるように感じがちです。テレビ局それぞれの編集権の問題ですが、ワイドショーと一線を画した報道番組だった場合、もう少し取り上げ方の優先順位を再考して欲しいものと願っています。

今回、メディアの報道に関わる話を取り上げます。その切っかけは前回記事「憲法9条についての補足 Part2」に寄せられたコメントであり、以前の記事「民進党、中味に期待」のコメント欄でのやり取りがあったからです。前回の記事に記したとおり私自身の問題意識や主張が絶対正しいとは言い切れないことも常に念頭に置いています。そのため、意識的に「思っています」や「考えています」という言い回しを多用するように心がけています。

そのような言い回しの一つとして「核武装の検討は論外だと思っています」という記述がありました。するとbareさんから「言論の自由に対する重大な挑戦であり、民主主義の否定です。ブログ主さん個人の認識はもちろん自由ですが、日本の社会で議論さえ封じる世の中になったら、日本の民主主義は終わります」という指摘がありました。論外という言葉が誤解を受けたようですが、bareさんから指摘されたような認識は私自身もまったく同感であることをコメント欄で取り急ぎお伝えしました。

核武装論をはじめ、議論さえしてはいけないという主張だと理解されているようでしたら大きな誤解であることを強調しています。被爆者の気持ちを慮ることを失念せず、それぞれの立場や視点から問題提起されること自体を否定する意図はありません。私自身は論外だと思っている訳ですが、あくまでも私の主張は個人的な主張の一つにすぎません。bareさんはbareさんの正しいと信じている「答え」を当ブログを通して披露され、そのような意見交換を他の閲覧者も目にされ、前回記事の最後に記したように選挙での一票という個々の判断に繋がっていくものと考えています。

もう一つ、「民進党、中味に期待」のコメント欄で、OTSUさんへさんからの「言論統制ですか、中国みたいですね」「もの言えぬ唇寒し冬の空 もの言えぬ政党の影ひたひたと もの言えぬこんな日本じゃ無かったが」という書き込みが気になっていました。ハンドルネームの固定をはじめ、もう少し説明を付した文章を投稿くださるようお願いしたところ前述したようなコメントが返されていました。このような見られ方も大きな誤解であり、私からは以前の記事「コメント欄の話、インデックス」や「出入り自由な場として」を紹介し、説明を加えさせていだきました。

そもそも当ブログのコメント欄は管理人による承認制を採用していません。投稿内容は即時に反映され、明らかなスパム以外、削除することはありません。まして特定のIPアドレスを投稿禁止にできる機能も一切使ったことがありません。 その上で、あくまでも管理人の立場からの「お願い」として継続的にコメント投稿される際は、できる限りハンドルネームを固定されるようお願いしています。

意見交換をスムースに行なうためですが、匿名での投稿とは言え、その意見内容にある程度責任を持っていただくことも目的としています。このような「お願い」に対し、幸いにもOTSUさんへさんからご理解いただけた旨のコメントが届き、不本意な誤解が解けたことを安堵していました。このやり取りの中で「中国みたいですね」という言葉が上がっていましたが、最近、いみじくも下記のような報道を耳にすることになりました。

中国の文化大革命発動から50年を迎えた16日、同国の国営メディア各社は、10年間にわたり騒乱を巻き起こし多数の人々の命を奪ったこの政治運動について、ほぼ沈黙を貫いた。中国本土では、文革に関する議論は現在も規制されている。一党支配を続ける中国共産党の機関紙・人民日報は中国語版、英語版ともに、1966年の文革開始から50年の節目について取り上げることはなかった。また、同紙系列の国営英字紙・環球時報は、文革ゆかりの品が人気を集めていることを伝えるAFPの記事から、政治的な背景についての言及部分を削除したうえで、5段落分のみ掲載した。

中国共産党は1981年、文革が国内の騒乱をもたらし、党や国家、国民に悲劇的な結果をもたらした重大な過ちだったと公式に認めたが、最も大きな責任を負うのは毛沢東だとして、党の落ち度を問う声をかわした。中国共産党は現在も、文革に関する議論を認めていない。16日に行われた定例記者会見で「文革50年」について質問を受けた洪磊外務省報道官は、「中国政府はその問題について、ずっと以前に正しい結論を出している」と答えるにとどまった。中国版ツイッターの「新浪微博」では文革の話題に関する検閲が行われ、ユーザーの投稿が次々と削除された。【AFP=時事2016年5月17日

中国共産党機関紙の人民日報は17日付で、中国社会を大混乱に陥れた文化大革命について「完全な誤りだった」との論評を載せた。文革を否定した1981年の党決議を再確認したうえで「文革を否定することで党の指導を否定する誤った見方には強く反論する」と強調。文革批判が党指導部への批判につながらないようけん制した。記事は文革が始まった66年5月16日から50年の節目を踏まえたもの。中国メディアはこれまで文革50年をほとんど報道していなかったが、党の公式見解としてニュースサイトが一斉に転電した。党機関紙以外の論評はなお乏しく、情報統制が続いているもようだ。【日本経済新聞2016年5月17日

以前の記事「二極化する報道」の中で「より正しい判断や評価を行なうためにはメディア側に対し、情報は包み隠さず、正確に伝えていく姿勢が求められています」と記していました。より望ましい「答え」を探っていくためには幅広い情報や見方に触れていくことの大切さを当ブログの記事を通して訴えてきています。そのためにもメディアには幅広い情報を発信していくという姿勢を重視して欲しいものと願っています。

例えばNHKの籾井会長の「公式発表をベースに伝えること」という発言は問題であり、政権にとって都合の悪いことをNHKは報道しないという疑いを持たれかねません。かつての「大本営発表」のみの報道の時代に至った場合、国民は正しい判断や評価を行なえなくなります。文革に対する中国共産党のような言論統制は誰もが問題だと思っているはずです。安倍首相も同様な認識だと信じていますが、先月公表された「世界報道の自由度ランキング」で日本は72位となり、先進7か国で最低レベルの評価でした。

鳩山政権時の2010年は11位であり、それ以降、毎年順位を下げ続けています。特定秘密保護法などの影響で「自己検閲の状況に陥っている」と見られているようです。さらに高市総務大臣の「テレビ局が政治的公平性を欠く放送を繰り返した場合、電波停止を命じることができる」という趣旨の国会答弁を行なったことも問題視されています。そもそも放送法第4条の「政治的に公平であること」という条文は放送局の倫理規定だと言われ、この条項に対する直接的な罰則規定はないと解釈されています。

放送局が番組全体で多様な意見を伝えながら政治的公平性のバランスを取るべきであり、一つの番組の中での発言を取り上げて電波停止が示唆されるようであれば言論統制という批判も的外れとは言えなくなります。それこそ「物言えば唇寒し秋の風」となり、政府の公式発表や与党幹部のリーク情報が中心となった各局横並びの無味乾燥な報道番組ばかりになってしまうのではないでしょうか。国民の知る権利を保障するための報道の自由が後退し、政権側が不都合な情報をコントロールしやすくなるため、正しい評価や判断を下しにくくなる恐れもあります。

最近、メディアが力を注いでいる報道は舛添都知事の政治資金を巡る一連の問題です。発覚している公私混同ぶりや記者会見での不誠実な対応など舛添都知事の政治家としての資質が厳しく問われています。都内の選挙管理委員会職員が青ざめてしまうトリプル選挙の声も上がるようになっています。このブログでは過去に「舛添厚労相の発言」という記事を投稿していましたが、昔からあまり評価できない政治家の一人でした。

それでも週刊誌のスクープがなければ、かなり前から日常的に繰り返されていた舛添都知事の問題は広く知られることがなく、このような批判の対象にならなかったはずです。だからこそメディアを筆頭に多様な情報の発信が重要であり、報道の自由が規制や委縮に繋がるような事態は避けなければなりません。ここで危惧していることがあります。舛添都知事の問題は「氷山の一角」であり、同じように公私混同を重ねている政治家も少なくないのかも知れません。

その際、舛添都知事は叩きやすく、叩きにくい政治家に対しては取材を手控えるようなメディアの選別がないことを祈っています。同じような構図の問題として、叩いてもメディアにとってリスクがない場合は徹底的に追及し、リスクが見込まれた場合は追及の手を緩めてしまうような選別がないことも祈っています。そのように思われないためにも、メディアはパナマ文書東京五輪招致裏金疑惑の問題も徹底的に追及して欲しいものと願っています。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2016年5月14日 (土)

憲法9条についての補足 Part2

5月に入ってから体調を崩し、現在も微熱状態が続いています。これまであまり風邪をひくこともなく、ひいても数日で回復していました。これほど長引く風邪は珍しく、仕事中はずっとマスクをしていました。完調には至っていませんが、先週土曜日の頃に比べれば随分楽になっています。体調不良を言い訳にしたくはありませんが、前回の記事「憲法9条についての補足」の内容はまとまりに欠けていたことを反省しています。

記述した内容そのものは熟考した上、私なりの責任を持った文章に心がけているつもりです。体調不良でまったくブログに手を付けられないような状態だった場合、そのような説明を付し、通常とは異なる短い文章の新規記事に変えていたはずです。そこまでの状態だった訳ではなく、いつもと同じようなスタイルでの投稿に至っていました。

前々回記事「改めて安保関連法に対する問題意識」に寄せられたコメントを意識し、前回「憲法9条についての補足」という記事タイトルを付けていました。あっしまった! さんから早々にコメントをいただき、やはり書き損ねている内容が多くあることに思いを巡らしていました。新規記事の本文を通し、「補足の補足(coldsweats01)」について書き足すことをお伝えし、今回「Part2」を付けた記事タイトルに繋がっています。

まず当ブログの記述内容一つ一つに対し、読まれた方一人ひとりの評価が分かれていくことを覚悟しています。私自身の問題意識や主張が絶対正しいとは言い切れないことも常に念頭に置いています。特に前回の記事内容に対しては反論や批判が立て続き、持論の正しさを振り返る機会になっていました。いずれにしてもコメント欄常連の皆さんからはいろいろな「答え」を認め合った場としての理解を得られ、理性的な書き込みが主流になっていることをたいへん感謝しています。

今回の内容も大きな隔たりが顕著になるだけで、劇的に「溝」が埋まるようなことはないのだろうと見ています。それでも多面的な情報の一つとして、私なりの考え方を綴らせていただきます。前回の記事で書き損ねた一つとして、憲法学者の7割以上は「自衛隊の存在自体が違憲(9条違反)」だと考えているという調査結果の問題がありました。その調査は朝日新聞が昨年7月に実施していましたが、今年2月の衆院予算委員会で次のように取り上げられていました。

安倍晋三首相は三日の衆院予算委員会で、戦力の不保持を規定した憲法九条二項に直接言及して改憲の必要性を訴えた。「憲法学者の七割が九条一項、二項を読む中で、自衛隊の存在自体に憲法違反の恐れがあると判断している」と指摘。その上で「憲法学者が自衛隊に疑いを持っている状況をなくすべきだという考え方もある」と述べた。予算委では、自民党の稲田朋美政調会長が、憲法学者の七割が自衛隊の違憲性を指摘しているとの見方を示した。その上で「現実に合わなくなっている九条二項をこのままにしておくことこそが立憲主義の空洞化だ」と訴えた。

これに対し、首相は自衛隊は合憲だとする政府の見解を説明。他国を武力で守る集団的自衛権の容認を柱とする安全保障関連法が憲法学者に違憲と指摘されたことを念頭に「自衛隊の存在、自衛権の行使そのものが憲法違反だと解釈している以上、当然、集団的自衛権も憲法違反になるんだろう」と述べた。ただ、優先して見直す条項は「国会や国民の議論と理解の深まりの中で、おのずと定まってくる」と述べるにとどめた。

九条改憲による集団的自衛権の行使容認や国防軍創設を明記した自民党改憲草案については「党として将来あるべき憲法の姿を示した。私たちの手で憲法を変えていくべきだという考えで発表した」と強調。草案は二〇一二年四月に野党だった自民党がまとめた。首相は昨年の安保法審議で、九条改憲について「現状では改正せよという状況になっていない」と将来的な課題に位置付けた。安保法をめぐっては、昨年夏に本紙が行った憲法学者アンケートで、回答した二百四人のうち九割が「違憲」と指摘。安倍政権は市民の間に違憲との声が広がる中、九月に安保法を成立させた。【東京新聞2016年2月4日

稲田政調会長と同じように「現実に合わなくなっている9条2項をこのままにしておくことこそが立憲主義の空洞化だ」と主張される方が増えています。あっしまった! さん、いまさらですがさんらも同様な問題意識を抱えているものと理解しています。確かに条文と現状との乖離は認めざるを得ません。しかし、これまで繰り返し述べてきたことですが、個別的自衛権までを認めるという解釈に至った憲法9条を私自身は違憲視していません。

とは言え、国民の中に見直すべきという機運が高まり、憲法96条に沿って改正されるのであれば「何が何でも反対だ」と言い続ける立場ではありません。一方で長年、集団的自衛権は認められないとしてきた解釈を変え、憲法学者の圧倒多数が違憲の疑いを示している安保関連法を通した与党幹部の国会質問に対しては指摘したいことが多くあります。 安保関連法の成立に際し、政府与党は憲法学者らの声を軽視していたのにも関わらず、今さら「7割が」という調査結果を掲げ、尊重しなければという態度には違和感がありました。

現状に合わなくなっているから憲法の条文のほうを変えるべきという主張も、憲法99条で憲法を尊重して擁護する義務を負っている政治家の発する言葉として適切なのかどうか疑問です。このように記すと政治家は改憲に向けた議論を一切できないのではないかと言われがちです。ちなみに池上彰さんの『超訳 日本国憲法』の中では「国務大臣や国会議員は、現在の憲法に反する法律を意図的に作ったり、憲法違反の行政を行ったりしないように努める義務があるということですが、その一方で、個人としては言論の自由があるわけですから、憲法改正を主張できるのです」と解説されています。

改憲論議の総論的な見方は以前の記事(『「憲法改正」の真実』を読み終えて)の中で紹介した次の言葉のとおりだろうと考えています。東京大学・東北大学名誉教授の樋口陽一さんと慶應義塾大学名誉教授の小林節さん、二人が一致した見解「そもそも憲法の改正を議論する際には順番があり、どのような必要があって、どのような政治勢力が何をしたいのか、国内的・国際条件のもとで、どこをどう変えたいのか、それによって賛成反対も分かれる、 これが憲法問題の本来あるべき議論の仕方だ」という言葉です。

参院選挙に向けて注目を集めている小林さんは、もともと憲法9条の改正派です。9条に「個別的自衛権を行使する」「自衛軍を保有する」と明記すべきと以前から主張していたため、改憲派の重鎮と呼ばれ、自民党のブレーンという立場でした。『AERA』最新号に寄稿された文章の中にも「誰が読んでも裏口入学できないような読み間違えのない明解な憲法を望んでいます」とし、ただ「安倍政権のように時の権力によってどう運用されるか分からない今」、憲法改正を論じることはできないと訴えられています。

もう一つ、前回の記事内容の補足として、在日米軍が撤退した後の考え方について触れていきます。たろうさんから「平成27年版防衛白書」をご紹介いただきました。そこに記されている事実認識にそれほど差異はないはずです。ただ周辺国の軍事的脅威に対する温度差は時間軸の問題でもありません。寓話『カエルの楽園』に登場するカエルたちのように情勢を楽観視している訳ではありませんが、「いきなり周辺国が本格的に攻め入ってくるような事態は想定していません」「防衛費の大幅増をはじめ、核武装の検討は論外だと思っています」という認識に変わりありません。

もちろん在日米軍のプレゼンスを軽視している訳でもありません。仮に在日米軍が撤退した後も、軍事力ランキングで世界第4位の自衛隊が存在しているという事実を重視した上での見方です。当然、米軍が駐留していた時に比べれば、軍事的抑止力の大幅な低下は免れません。少なくとも在日米軍駐留費に充てていた予算、年平均1893億円、周辺対策費等5778億円は防衛費に充てるべきなのかも知れません。

ただ軍事力に依拠した抑止力重視の路線は際限のない軍拡競争に陥ります。それこそ北朝鮮の言い分のように核兵器保有の問題に繋がりかねません。つまり防衛費の大幅増を必須とするのかどうかは、仮想敵国と見なしがちな中国と対等に渡り合えるような軍事大国化路線をめざしていくのかどうかという問題に繋がるものと考えています。そのような発想に対し、私自身は懐疑的に見ているため、前回記事のような言葉に繋がっていました。

bareさんからは「冷静さが欠かせない」と言いつつ、防衛費の大幅増は「論外」だと非常に感情的に否定するという批判を受けました。他の方からも「想定していません」という言葉の使い方について強い疑念の声が示されていました。「想定外」の自然災害の影響を受けた原発事故に対する言葉使いと同列視されてしまったようですが、どちらも私自身の主観的な文章であり、あくまでも私自身の見方を示した言葉であることをご容赦ください。

いずれにしても仮に本格的な侵攻があった際、「蜂の一刺し」にとどまるのかも知れませんが、相手側も一定のリスクを負うという抑止力は現時点でも維持できているものと考えています。「国連による集団安全保障の深化を理想視している」という記述に関しては、国連安保理の常任理事国に拒否権がある現状などを理解した上での問題意識です。現状に問題が多いからと言って見限るのではなく、国連の役割を一定評価しながら、改めるべき点は改めていくという努力を重ねる姿勢も大切なのではないでしょうか。

以上のような考え方について、頭から否定される方も多いのかも知れません。「抽象的すぎて、お花畑すぎて議論の余地がない」という辛辣な批判を受けるのかも知れません。それでも肯定的に受けとめていただける方も少数ではないことを願っています。6月1日衆院解散、7月10日衆参ダブル選挙という日程が現実味を帯びているようです。憲法9条に対する評価をはじめ、これまで以上に私たち一人ひとりの問題意識や考え方に沿う候補者や政党を選ぶ重要な選挙戦だと言えます。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2016年5月 8日 (日)

憲法9条についての補足

2年前「憲法記念日に思うこと 2014」という記事を投稿した頃から集団的自衛権行使の是非が現実的な政治課題としてクローズアップされ始めていました。そのような動きに比例し、このブログでも関連した記事内容の投稿が増えていました。その年の7月1日には憲法9条の解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認する閣議決定がされました。翌年9月19日、安保関連法案が可決成立し、今年3月29日に施行されています。

安保関連法は憲法違反の疑いが高く、立憲主義や平和主義のあり方が取り沙汰されるようになっています。5月3日の憲法記念日には各地で集会が開かれ、例年にも増して護憲か、改憲か、特に憲法9条の今後について議論の高まりを見せています。マスメディアによって取り上げ方が異なっていましたが、有明臨海公園で開かれた「明日を決めるのは私たち―平和といのちと人権を!5・3憲法集会」には昨年を大きく上回る5万人が参加していました。

安倍政権が憲法改正に意欲を示すなか、憲法施行から69年となった3日、東京や大阪など各地で憲法を考える集会が開かれた。夏の参院選を前に、改憲派が、改正の発議に必要な3分の2議席の確保をめざす政権を後押しする一方、護憲派はそれを阻止するための野党共闘を主張。改憲の是非をめぐる攻防が展開された。

東京・有明の広域防災公園で開かれた護憲派の集会には、約5万人(主催者発表)が参加。旧総評系や全労連系の労働組合や、参院選での野党共闘を支援するため学生団体「SEALDs(シールズ)」などが設立した「市民連合」が集まった。市民連合の呼びかけ人、山口二郎・法政大教授は「野党と市民がまとまれば勝てる。参院選に向けてうねりを起こそう」とあいさつ。参院選1人区で野党共闘を進める民進、共産、社民、生活の党と山本太郎となかまたちの4党の党首も出席し、民進党の岡田克也代表は「安倍(晋三)首相がめざす憲法9条の改正を絶対阻止しよう」と訴えた。

東京・平河町の砂防会館別館であった改憲派の集会には、約1100人(主催者発表)が出席。有識者でつくる民間憲法臨調と「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の共催で、同臨調代表のジャーナリスト、桜井よしこさんは改憲について「緊急事態条項を入れるところから出発するのがよい」と主張した。安倍首相もビデオメッセージを寄せ、「新しい時代にふさわしい憲法を自らの手で作り上げる、その精神を広めていくための取り組みに力を尽くしたい」と語った。集会の最後には、参院選を踏まえ、改憲の発議を求める声明が読み上げられた。一方、公明党の山口那津男代表は3日、愛知県東海市の街頭演説で憲法について「やたらに変えることはない。本当は法律や予算をつくっていくことが大事」と述べた。【朝日新聞2016年5月3日

ちなみに読売新聞も有明臨海公園で催された護憲派の集会を記事にしていました。ただ主催者発表の参加者数は掲げず、野党4党の党首らがステージに上がったことや家族で参加した会社員の「安保関連法が成立した今、憲法は変えるべきではない」という声を伝えていました。一方で、東京新聞は紙面を大きく割き、有明の集会に参加した若い人たちの「平和主義の破壊は見過ごせない」「なぜ反対の声を押し切って改憲に進むのか」などというを取り上げていました。

護憲派の集会に参加した人の声ですので、当然、意見や主張は偏ります。それを少数の声ととらえるのか、多数の声を代弁したものととらえるのか、読み手一人ひとりの判断だろうと思っています。大事な点は偏った情報や考え方だけで物事を評価せず、多様で多面的な情報に接しながら判断していくという心構えではないでしょうか。そのような趣旨のもと個々人の評価は分かれがちですが、このブロクを通して私自身が正しいと信じている「答え」を多面的な情報の一つとして発信しています。

私自身の平和や安全保障への思いは過去のブログ記事を通し、膨大な字数の書き込みを積み重ねてきました。その際、様々な事例や考え方を紹介しながら不特定多数の方々にも届くような言葉での発信に努力してきたつもりです。毎回、それらに記した内容を再掲することは到底あり得ないため、最近の記事「セトモノとセトモノ、そして、D案」の紹介をはじめ、平和の築き方安全保障のあり方という言葉にリンクをはっていました。ただリンク先を参照される方が少数であることも承知しています。

さらに過去の記事内容も個々人の「答え」に照らし、かけ離れた価値観だった場合、一つの「答え」という見方にも至らず「何も答えていない」、もしくは「議論の対象にさえならない絵空事」という評価を下されがちなことも覚悟しています。念のため、私自身の「答え」の正しさを主張しているのにも関わらず、それを認めてもらえないことを嘆いている訳ではありません。そもそも平和の築き方や安全保障のあり方に絶対的な「正解」は簡単に見出せないものと思っています。

前々回記事「『カエルの楽園』から思うこと Part2」の冒頭に掲げた文章です。前回記事「改めて安保関連法に対する問題意識」は「リンク先を参照される方が少数であることも承知しています」という悩ましさがいつもあったため、初めての試みとして過去の記事内容の引用を中心にした新規記事の投稿に至っていました。そのため、間違いなく過去最高の異例な長さの記事となっていました。そのような長さの記事に目を通していただいた皆さんには心から感謝しています。

ただ残念ながらコメント欄で、たろうさんから「いつもながら言葉使いやプロセスなど枝葉の議論ばかりで、どうやって国を守るか?という大事な部分が理解できませんでした。意図して避けているのだとおもいますが」という指摘を受けていました。過去の記事を焼き直した内容でしたので、たろうさんの「答え」に照らし、やはり私自身の綴っている言葉は「答え」の一つとして認めてもらえなかったことも覚悟しています。

しかし、意図して避けていると思われるのは不本意なことですので、今回の記事を通していくつか補足させていただきます。あの長さの前回の記事内容でさえ、これまで積み重ねてきた私自身の考え方や問題意識の一部にとどまります。前回記事の中でも「そもそも周辺国の脅威をどのように認識するかどうかで議論の出発点も枝分かれしていくようです」という言葉を残していましたが、たろうさんと私では周辺国の軍事的脅威に対する温度差があるようです。

たろうさんの危機感や問題意識を否定するものではありません。私自身は個別的自衛権、専守防衛を重視した上、周辺国とは相手の言い分や立場も慮りながら対話していく姿勢が大事だろうと考えています。到底受け入れられない理不尽な要求に対しては拒む必要もあろうかと思いますが、その成否を決めるのは武力を背景にしたものばかりではないはずです。第2次世界大戦以降、ある程度国際社会は成熟し、国連も一定の役割を果たしています。

国際社会の中で日本より防衛力が下回る国は圧倒多数を占めています。それでも国家間での武力衝突の頻度は減っています。曲がりなりにも侵略戦争を禁止した国連憲章による国際秩序が保たれている証しであり、帝国主義の時代のような「弱肉強食」の国際社会の現状ではありません。たろうさんの「平和主義の理想を追うのであれば、他国を巻き込むことです」という主張は、まったくその通りだと思っています。

国連による集団安全保障の深化を理想視していますが、たろうさんは「平和主義の専守防衛は援軍がいない一国では無理です」という言葉からNATOのような軍事同盟の必要性を念頭に置かれていることも推測しています。周辺国の脅威に対して抑止力を高めなければならない、そのためには日米安保条約の片務性を少しでも解消し、日本も集団的自衛権を行使できるようにすべき、そのような問題意識を持たれているものと見ています。

このような問題意識に対し、私自身の「答え」は集団的自衛権の行使を認めた安保関連法は問題だと考え、基本的に現状で充分対応できるはずであり、個別的自衛権の枠内から逸脱する必要性が本当に迫られているのであれば憲法96条のもとに国民の意思を問うべきものと訴えています。このような私なりの「答え」を示しながら、やはり「何も答えていない」「意図して避けている」と言われてしまった場合、価値観の隔たりを改めて強く認識しなければなりません。

たろうさんから「日米同盟が終了した場合はどう対応するお考えでしょうか?」という問いかけもありました。前述したロジック、片務性を解消できずにアメリカから見限られたケースを想定された質問だと理解しています。共和党のトランプ候補が新大統領になる可能性も現実味を帯びてきていますが、集団的自衛権を行使して片務性の解消に努める云々以前の問題として日米安保条約の見直しが迫られるのかも知れません。

以前の記事「外交・安全保障のリアリズム」の中で、あるアメリカの大学教授の「自分が日米同盟を誰よりも強く支持するのは、単に日本人が好きだからではない。それは紛れもなく米国の利益に資するからである」という言葉を記していました。このような認識がアメリカ人の中にあることも確かですが、新たな大統領の判断をアメリカ国民の多数が支持し、日米安保条約が破棄されるのであれば私たち日本人は粛々と受け入れるだけです。

在日米軍が撤退した場合、いきなり周辺国が本格的に攻め入ってくるような事態は想定していません。尖閣諸島の問題は明確な見方を容易に示せませんが、防衛費の大幅増をはじめ、核武装の検討は論外だと思っています。まず現状を基本にした専守防衛のシステムや水準を維持できるのかどうか慎重に見極めていく冷静さが欠かせないものと考えています。万が一、現状の枠内から大きく逸脱する必要性が迫られた場合、憲法96条のもとに憲法9条の改正も視野に入れていくべきという認識です。

たろうさんの問いかけに答える内容を中心に今回も長い記事になりつつあります。実は前回記事のコメント欄で、あっしまった!さんから「国会での草案審議を通し、自衛権までは禁止されず、自衛のための“必要最小限度の実力”を保有することは憲法9条に違反しないと解釈されるようになりました」という記述は事実誤認ではないかとの指摘を受けました。重大なミスリードした文章だったため、新規記事の中でも訂正した上、不充分さを補足させていただきます。

指摘された箇所は憲法草案を審議した衆議院憲法改正案特別委員会で、当時の自由党の芦田均委員長によって修正を加えられた「芦田修正」に絡んだ記述でした。憲法9条の草案には「前項の目的を達するため」という一文がありませんでした。この一文が「芦田修正」で入ったことにより、憲法9条は自衛権行使以外の武力行使を禁じているのであって、自衛のための「必要最小限度の実力」を保有することは憲法9条に違反しないと解釈できるようになったという見方があります。

しかし、一文が入った後も当時の吉田茂首相は自衛権まで含めての戦争放棄を国会で答弁していました。したがって、上記のような解釈が定着するのは1950年の朝鮮戦争が勃発した頃からとなります。そのため、憲法草案の審議の段階で「自衛のための“必要最小限度の実力”を保有することは憲法9条に違反しないと解釈されるようになりました」という前回記事の本文中の記述は誤りだったと言えます。

池上彰さんの『超訳 日本国憲法』を参考にしながら綴っていましたが、私自身の引用の仕方の致命的な誤りでした。重要な説明や前後に並べなければならない言葉が不足したため、今回のような指摘を受けることになりました。読み返して、すぐ疑問に思わなかったことも含め、私自身の認識の不充分さを猛省しています。事実誤認となる記述を残したことについて、たいへん申し訳ありませんでした。

今回の記事タイトルを通し、もっともっと語りたかったことがあります。その言葉や説明の不足が「分かりにくさ」に繋がることを心配しています。それでも毎回、異例な長さとなってしまうことも好ましくないため、そろそろまとめさせていただきます。不充分な点は次回以降の記事本文で補っていければと考えています。最後に、NHKが実施した憲法記念日にちなんだ世論調査の結果を紹介します。憲法に対する関心の度合いは高まっているはずですが、憲法を「改正する必要はない」と答えた人の割合が今回最も多くなっていました。

憲法の改正 今の憲法を改正する必要があると思うか聞きました。「改正する必要があると思う」が27%、「改正する必要はないと思う」が31%、「どちらともいえない」が38%でした。去年の同じ時期に行った調査と比べると、「改正する必要がある」は、ほぼ同じ割合だったのに対し、「改正する必要はない」は増え、「どちらともいえない」は減りました。NHKは平成19年からことしまで、合わせて5回、同じ質問を行っていますが、憲法を「改正する必要はない」と答えた人の割合は、今回、最も多くなりました。

憲法を「改正する必要があると思う」と答えた人に理由を聞いたところ、「日本を取りまく安全保障環境の変化に対応するため必要だから」が55%と最も多く、「国の自衛権や自衛隊の存在を明確にすべきだから」が20%、「アメリカに押しつけられた憲法だから」と、「プライバシーの権利や環境権など、新たな権利を盛り込むべきだから」がそれぞれ8%でした。

憲法を「改正する必要はないと思う」と答えた人に理由を聞いたところ、「戦争の放棄を定めた憲法9条を守りたいから」が70%と最も多く、「すでに国民の中に定着しているから」が11%、「憲法の解釈や運用に幅を持たせればよいから」が10%、「アジア各国などとの国際関係を損なうから」が4%でした。

憲法9条 集団的自衛権 「憲法9条」について、改正する必要があると思うか聞きました。「改正する必要があると思う」が22%、「改正する必要はないと思う」が40%、「どちらともいえない」が33%でした。3年前の同じ時期に行った調査では、憲法9条について改正が「必要」という人と「必要はない」という人の割合はほぼ同じ程度でした。その翌年のおととしからは、それぞれ「必要はない」という回答が「必要」という回答を上回っています。

憲法9条を「改正する必要があると思う」と答えた人に理由を聞いたところ、「自衛力を持てることを憲法にはっきりと書くべきだから」が55%、「国連を中心とする軍事活動にも参加できるようにすべきだから」が23%、「自衛隊も含めた軍事力を放棄することを明確にすべきだから」が10%、「海外で武力行使ができるようにすべきだから」が5%でした。

憲法9条を「改正する必要はないと思う」と答えた人に理由を聞いたところ、「平和憲法としての最も大事な条文だから」が65%、「改正しなくても、憲法解釈の変更で対応できるから」が15%、「海外での武力行使の歯止めがなくなるから」が12%、「アジア各国などとの国際関係を損なうから」が4%でした。ことし3月、安全保障関連法が施行され、日本が集団的自衛権を行使することが可能になったことについて賛成か反対か質問したところ、「賛成」は25%「反対」は27%、「どちらともいえない」は40%でした。

| | コメント (14) | トラックバック (0)

« 2016年4月 | トップページ | 2016年6月 »