サミット、広島、そして沖縄
伊勢志摩サミットが終わりました。大きな事故や事件がなく、無事に終えられたことが何よりです。ロシアや中国が参加しないG7の存在意義を問う声もありますが、今回、安倍首相は様々な思惑や仕掛けを用意しながら臨んだようです。サミットの議長を務める安倍首相は世界経済討議の冒頭に「リーマンショック級の大きなリスクに直面している」と訴えました。それに対し、首脳の一人からは「危機とまで言うのはいかがなものか」と異論が示されました。
このような異論を想定されていたようであり、安倍首相は原油や食料などの商品価格の下落率がリーマンショック直前と似ているという資料を提示していました。ただ数多くある経済指標の中の一つのデータにすぎず、金融危機時は需要不足、現在は供給過剰が原因であり、このような比較の強引さを指摘する専門家の声があります。消費税引き上げを再延期するための国内向けの布石として、サミットを利用したという指摘も的外れだとは言い切れない議論の進め方でした。
サミット以上に日本国民の注目を集めたのはオバマ大統領の広島訪問でした。71年前に原爆を投下した広島の地を現職のアメリカ大統領として初めて訪れ、平和記念資料館を見学した後、オバマ大統領は原爆死没者慰霊碑に献花されました。慰霊碑の前では亡くなった被爆者を追悼し、「核兵器のない世界」を将来にわたって追求していく必要性を世界に訴えました。声明の全文はリンク先のとおりですが、事前の見通しに反し、17分間にも及ぶ力のこもった演説でした。
フリーアナウンサーの長谷川豊さんはブログで「広島の方々には本当に申し訳ないのだけれど…どうしてもオバマ氏の広島訪問はモヤモヤします」という記事を投稿し、核兵器を減らすという「結果」を出せず、レームダックとなっているオバマ大統領の広島訪問や宣言はまったく評価できないと言い切られています。平和記念資料館の見学時間が10分間だったことも強く批判し、誰からも相手にされていない人間の自己満足のためのパフォーマンスであり、オバマ大統領から誠意を感じられないと記されていました。
2009年4月、オバマ大統領はプラハで「核兵器のない世界」をめざす決意を示しました。そのことが評価され、オバマ大統領はその年のノーベル平和賞を授与していました。大統領就任当初、高らかに理想を掲げながらも残念ながら劇的な核廃絶の歩みを実践できていません。一方で、現実の場面での選択肢を判断する際、最高権力者だったとしても個人的な思いを自制しなければならない局面ばかりだろうと考えています。
理想は理想として高く掲げた上、現実的な政策判断の積み重ねによって、その理想に現実をいかに近付けていけるかどうかという姿勢や努力がトップリーダーには求められているのではないでしょうか。結果としてオバマ大統領は「核兵器のない世界」という理想に近付けないまま退任することになります。それでも就任当初から望んでいた広島への訪問に関しては何としても大統領を退任する前、実現しようと努力した結果と強い意思があったからこそ今回実を結んだものと受けとめています。
アメリカ国内では現職大統領の被爆地訪問に対する賛否があり、原爆投下の謝罪などもってのほかという批判の声が顕在化しています。そのような中、オバマ大統領が広島を訪れ、「戦争に対する考え方を変え、外交によって、紛争を回避し、すでに始まった紛争についても、それを終えるための努力を怠ってはなりません。世界の国々は、ますます相互に依存するようになっています。しかし、それを暴力的な競争ではなく、平和的な協力に繋げるべきです」という言葉などを発せられたことを私自身は大きく評価しています。
平和記念資料館の見学時間が10分間であり、10分では何も見れず、駆け足で回ってきただけという指摘があります。ただ初めの計画では滞在時間が限られているため、その10分の見学自体も難しかったように耳にしています。オバマ大統領は4羽の折り鶴を持参され、出迎えた小中学生2人に1羽ずつ手渡していました。10分程度の見学にも関わらず館内で「私たちは戦争の苦しみを経験しました。共に、平和を広め核兵器のない世界を追求する勇気を持ちましょう」という直筆のメッセージを残され、そこに2羽の折り鶴を置いてきたそうです。
原爆投下から10年後、白血病で亡くなった佐々木禎子さんの死を切っかけに「原爆の子の像」ができ、そこに折り鶴が集まるようになっていました。案内役を務めた資料館の館長は、この折り鶴の話をはじめ、オバマ大統領が事前によく勉強されていた様子を伺えたと語っています。このようにわずか10分間だったとは言え、平和記念資料館の見学はオバマ大統領にとっても、日本側にとっても有意義な時間や機会になっていたものと見ています。
話は前後しますが、そして沖縄の痛ましい問題です。伊勢志摩サミットの開幕前夜、安倍首相はオバマ大統領と会談を持ち、米軍属の男による死体遺棄容疑事件についてアメリカ側に抗議し、実効性のある再発防止策を講じるよう求めました。オバマ大統領は事件を受け、哀悼と遺憾の意を表明した上、「米国は継続的にこの捜査に協力していく。日本の司法制度のもとで捜査が行なわれることを確保するために私どもは全面的に協力する」と答えていました。事件の概要や沖縄が抱える深刻な問題点は次の報道のとおりですが、橋下前大阪市長のツィッターをはじめ、いろいろな見方がネット上では散見できます。
国土面積のわずか0.6%に在日米軍専用施設の74%が集中する沖縄県では、米軍人・軍属の犯罪が後を絶たない。5月19日、沖縄県警に死体遺棄容疑で逮捕されたのも元米海兵隊員で、米軍嘉手納基地の軍属、シンザト・ケネフ・フランクリン容疑者(32)だった。細身で180センチの長身の黒人だが、取り調べ中も完全に憔悴しきって、ふるえておどおどしているという。「最初の事情聴取があった翌日の17日に多量の睡眠薬を飲み、病院に担ぎ込まれ、18日にも700ミリリットルのウイスキー2本を一気飲みし、救急搬送されていた。本人が乗っていたYナンバーの米軍車両を捜索すると、ルミノール(血液)反応があり、問い詰めると、『棒で頭を殴り、強姦し、ナイフで刺した』とすぐに自供しました」(捜査関係者)
米国出身のシンザト容疑者はメリーランド、ワシントンDCなどに住み、2007~14年まで米海兵隊に所属。その後、来日し、日本人女性と結婚し、シンザトと名乗るようになった。今は嘉手納基地の企業でインターネット配信などの業務に携わり、与那原町に妻と生まれたばかりの子どもと居住、素行など近所の評判は悪くはなかったという。殺害された女性と面識はなかったとされるが、2人の運命が交錯したのは、4月28日夜――。「ウォーキングしてくる」 女性が同居中の交際相手の男性にLINEでメッセージを送信。その後、スマートフォンの位置情報が途絶えたのが、29日午前2時40分頃だ。うるま市内の女性の自宅から1~3キロほど離れた工業地帯だった。
そしてシンザト容疑者の供述により、女性の遺体が見つかった現場は、恩納村安富祖にある雑木林。米軍セントラルトレーニングエリアの一画である。遺体は腐敗が進み、すでに白骨化していた。県警は、女性の消息が途絶えた工業地帯の防犯カメラ映像から、付近を通行した約300台の車を割り出した。「Yナンバーは数台だけだったので、すぐにシンザトは容疑者として捜査線上に浮上した」(地元紙記者) 近隣のコンビニエンスストアの防犯カメラもその奇行をとらえていた。「周囲をうろついたり、コンビニで購入した塩を車にまくような様子が映っていた。1度目の自殺未遂の直後、なぜ、すぐ身柄を押さえなかったのか。日米のややこしい問題になるのを恐れ、自殺するのを待っていたのではないかと、疑う声もある」(地元関係者)
結婚を控え、悲劇に見舞われた女性は地元のショッピングセンターで働き、勤務態度もいたって真面目。ウォーキングが趣味の活発な女性だった。親族にあたる前名護市長、島袋吉和氏が語る。「本当にむごたらしい。彼女の祖父が島袋家の門中(親族集団)の長になります。いま大勢で見送りしたが、みな怒り心頭です」 20日の告別式には翁長雄志沖縄県知事や中谷元・防衛相も参列した。「飛行機の時間を気にしてVIP扱いで、焼香の時も列に並ばなかった中谷さんは地元で顰蹙を買っただけでした」(参列した人) うるま市選出の照屋大河県議も怒る。「沖縄中が常に危険と隣り合わせであることに、改めて腹立たしい思いがする」「治外法権」という不条理のために、今回の事件も県民に知らされないまま闇に葬られかねない危険性があった。というのも、米軍関係者を保護する日米地位協定が、常に立ちはだかっているからだ。
米軍人・軍属が事件や事故を起こしても、被疑者が公務中の場合、捜査権と第1次裁判権は米軍側にある。例えば、ひき逃げ事件が発生して、県警が犯人の米軍人を逮捕しても、公務中の事故だったとされれば、検察官は不起訴にせざるを得ないのである。今回の死体遺棄事件の場合は、シンザト容疑者は公務外だったが、基地内に逃げ込んでいたら、県警の捜査の手が及ばなくなる可能性もあった。米軍犯罪に詳しい池宮城紀夫弁護士が説明する。「被疑者が米軍の手中にある場合、起訴前は米側が身柄を確保することになっています。シンザト容疑者が米軍基地内にいると、公務外でも県警は手出しができなかった」。【週刊朝日2016年6月3日号抜粋】
この事件だけを見れば最初から沖縄県警が捜査しているため、在日米軍基地全体の問題として批判するのは騒ぎすぎではないか、そのように見ている方々が多いことも承知しています。しかし、捨て石にされた沖縄戦、銃剣とブルドーザーで土地を奪われ、過去から現在まで米軍基地があることで多大な負担や被害を受けてきた歴史を見た時、今回の事件も「またしても」であり、沖縄の皆さんの怒りは必然な流れだと言えます。このような経緯や事実を見誤ったり、もしくは軽視し、したり顔で「騒ぎすぎ」と論じることは慎まなければなりません。
このような言葉も現実的な安全保障の問題と照らし合わせた際、厳しい問いかけや批判を招くのかも知れません。さらに戦争の悲惨さを知り、平和を願うだけで平和な世の中に繋がる訳ではありません。しかし、原爆の悲劇や沖縄戦の実相を知ることで戦争は絶対起こしてはいけない、そのような思いを強めていくことも間違いなく大切なことです。そのことで「どのようにしたら戦争は避けられるのか」「戦争を起こさないために何をすべきなのか」という思考に繋がっていくはずであり、ぜひ、次期アメリカ大統領にはオバマ大統領の思いを引き継いで欲しいものと心から願っています。
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