『カエルの楽園』から思うこと
4月14日夜、マグニチュード6.5、最大震度7を記録した熊本での地震は前震で、16日午前1時25分頃に起こったマグニチュード7.3の地震が本震でした。震度7は気象庁震度階級における最上限の数字であり、マグニチュード7.3は阪神淡路大震災と同じ規模となります。その後も激しい揺れの余震が続き、たいへんな被害が生じています。被災された方々に対し、心からお見舞い申し上げます。私自身が支援できることは限られていますが、せめて当ブログの新規記事の冒頭でお見舞いの一言を取り急ぎ述べさせていただきました。
さて、百田尚樹さんの著書で最初に読んだのは『永遠のゼロ』でした。ストーリーの面白さが印象に残っています。そのため、コミック版全5巻も手にしていました。私が手にした当時は戦争を美化する作品だという批判は目立っていませんでした。したがって、先入観なく読み終えた訳ですが、私自身は戦争を美化するような印象を感じ取っていません。どちらかと言えば戦争は忌み嫌うものという読後感があったように覚えています。
その後、『モンスター』なども読んでいましたが、実際の場面での百田さんの直情的な発言を耳にするようになり、徐々に小説と作者とのイメージのギャップが気になるようになりました。そのため、ここ数年、百田さんの著書は手にしていませんでした。ただ最近、いろいろな意味で興味がわいた『カエルの楽園』だけは一度読んでみようと思い、久しぶりに百田さんの著書を購入し、数日で読み終えていました。
初め、この新規記事は最近のパターンである「『カエルの楽園』を読み終えて」というタイトルを付けて取りかかっていました。これまでの「『〇〇〇』を読み終えて」という記事も書評にとどめていた訳ではありません。今回も『カエルの楽園』を読んだ感想を踏まえ、私自身が思うことを書き進めていきました。書き進めていくうちに話が広がりそうな見通しとなり、途中で記事タイトルを「『カエルの楽園』から思うこと」に変えていました。
蛇足のような話から入ってしまいましたが、それほど『カエルの楽園』はいろいろ考えさせられる論点が含まれていたことを強調できます。寓話としての面白さを認めた上、登場するカエルたちが容易に実在の人物や団体に置き換えられるため、作者である百田さんの視点や問題意識が手に取るように分かりました。ただ納得できる点がある一方、極端な見方や意図的な表現方法の多さも目立ち、全体を通した私自身の感想は「違和感」という言葉にたどり着きます。
最大の悲劇は、良心的な愚かさによってもたらされる。ベストセラー作家が全力で挑んだ、衝撃の問題作。安住の地を求めて旅に出たアマガエルのソクラテスとロベルトは、平和で豊かな国「ナパージュ」にたどり着く。そこでは心優しいツチガエルたちが、奇妙な戒律を守り穏やかに暮らしていた。ある事件が起こるまでは―。平和とは何か。愚かなのは誰か。著者自らが「私の最高傑作」と断言。大衆社会の本質を衝いた、G・オーウェル以来の寓話的「警世の書」。
著作権はもちろん、ネタバレに注意した内容紹介を心がけるためには書籍を宣伝する上記の言葉やAmazonカスタマーレビューに掲げられた感想の紹介が最適です。リンク先のAmazonカスタマーレビューでは星5つが200を超え、星4つ以下を圧倒しています。その中でトップに掲げられた感想をそのまま紹介します。長い文章でしたので一部のみの紹介を考えましたが、やはり全文を紹介することで私自身の「違和感」との対比に繋がるものと思い直していました。
安全保障や歴史、政治に興味の無い人にどうしたら、そういう問題に興味を持ってもらえるのだろう、、どうしたら、今の平和ボケした方々に保守のスイッチを入れられるのだろうと常々考えていますが(笑) これを読んで、その手があったかと思いました。この小説の登場人物たちは、皆カエルです。彼らの暮らす自然環境は危険がいっぱい、カラスなどの他の動物や、ときには別の種類のカエルにさえ食べられてしまう事もあります。常に死の危険と隣り合わせです。
主役のソクラテスとロベルトは冒頭で、侵略を受けた母国を抜け出し、命からがらナパージュという国に辿り着きます。そこは非常に安全な場所で、皆が平和に暮らしている、まさにカエルの楽園でした。しかし、その国の事情を調べていくうちに、ソクラテスはこの国の何かが間違っていると、疑念を抱きます。かたや、ロベルトはこの国の精神は素晴らしいと絶賛し、その精神こそがこの国の平和を実現していると信じます。果たして、ソクラテスとロベルト、どちらの見解が正しいのか。二人は国の行く末を見守りますが・・・。
この小説で描かれるナパージュというカエルの楽園の結末は、ゾッとするものがあります。普段、そういう問題に関心が無い人でも、読んでいてさすがに気付かれると思いますが、ナパージュという国は明らかに今の日本の姿です。カエルの楽園を通して、戦後日本を客観的に見る事ができ、かえって今私たちが暮らしている国の状況を良くご理解頂けるのではないでしょうか。もともと安全保障などに関心を持っておられる方が読んでも、改めて危機感をさらに強くさせる事でしょう。
ナパージュという国の顛末、それは情報弱者である大半の国民達が、情報発信者にとって都合の良い情報のみを与え続けられる事により、正常な政治判断ができなくなってしまった事が原因により起こります。それは、まさに今の日本で起こりつつある事です。この作品はデリケートなテーマを扱っていながらもベストセラーとなり、それを快く思っていない者(おそらく極左の方)によって、作者のサイン会に爆破予告がされるというショッキングな事件が起こりました。しかし、マスメディアにはこの事件はほとんどマトモに取り扱われていませんでした。意図的にではないかと思えるほどに・・・。
百田さんの新刊『カエルの楽園』発売記念サイン会に対し、男性から「爆破予告」の脅迫電話がありました。幸い爆発物は発見されず、サイン会は無事に終了したようですが、このような脅迫行為は絶対容認できません。いわゆる左や右の立場に関わらず、どのような目的や意図があろうとも言語道断な犯罪行為です。ただ事件に対するマスメディアの扱いが小さいことを憂慮されていますが、的確な見方なのかどうかは疑問に思っています。
「情報弱者である大半の国民達が、情報発信者にとって都合の良い情報のみを与え続けられる」という見方も同様ですが、視点や立場が変われば、そっくりそのまま逆転するような話だと考えています。「願望」という調味料、集団心理のデメリットをはじめ、「卵が先か、鶏が先か?」 や「精神的自由と経済的自由」という記事を通して私なりの問題意識を綴ってきています。それぞれの問題意識や論点が同じ内容のものではありませんが、次のような言葉に要約できます。
一人ひとり、これまで経験してきたことや吸収してきた知識の積み重ねによって、それぞれ正しいと信じる価値観やモノの見方が培われているはずです。そのような価値観に照らし、マスメディアの報道ぶりの評価が人によって大きく異なっていくようです。他者との意見交換の際も同様です。他者の意見や考え方が自分自身の価値観からかけ離れていた場合、異なる意見に対する反発にとどまらず、他者の人格まで見下すような傾向を垣間見る時があります。
決め付けた言い方は慎まなければならず、そのような見方自体が適切ではなく、ごく少数の人に当てはまる傾向であることも確かです。私自身にも当てはまる可能性を自省しながら書き進めさせていただきます。『カエルの楽園』を読み、その傾向の強さが気になりました。百田さんの価値観に照らし、見下す対象は徹底的に愚かに描き、称賛している対象の登場人物には読者の感情移入を誘う正しさや聡明さを託しています。
ナパージュには「カエルを信じろ、カエルと争うな、争うための力を持つな」という「三戒」があります。ナパージュのカエルたちは「三戒」のおかげで平和が守られていると信じていました。「三戒」は憲法9条を想定していることが一目瞭然でした。百田さんは「三戒」を大切にしているナパージュのカエルたちの愚かさを描き、悲劇的な結末を見せることで現実の場面で憲法9条を守ろうとしている人たちを揶揄していることが分かります。
ネットを検索したところ「『カエルの楽園』の安易さがスゴい!」という論評を目にしました。「平和主義者たちが叫ぶ『9条を守れ』の声をのさばらせておくのはこんなにコワイ結果を招くのか!」という感想が出ることを期待し、百田さんが『カエルの楽園』を書いたのだろうと論じています。若いカエルの集団フラワーズはSEALDsであることが明らかですが、「オタマジャクシからカエルになったばかりの若いカエルたちで、お尻にシッポが残ったままです」と説明し、稚拙な集団であることを強調した描き方には悪意まで感じられたようです。
上記のサイトを紹介しましたが、表現方法や言葉の使い方などは必ずしも私自身が共感や賛意を示しているものではありません。Amazonカスタマーレビューでは絶賛する声が多数を占める中、このような見方もあるということを参考までに示させていただきました。予想したとおり長い記事になりつつあります。『カエルの楽園』の内容に対し、まだまだ指摘したい点も少なくありません。それでも今回の記事タイトルに掲げた私自身の「思うこと」に絞り、もう少し書き進めてみます。
物事の評価は〇か、×か、単純に決められない場合が多いはずです。憲法9条に対する評価も同様です。憲法9条を守っていれば日本の平和は守れる、そのような見方は一面で正しく、別な一面で誤りだと言えます。自衛隊創設前、朝鮮戦争の際に海上保安庁の日本特別掃海隊が機雷除去に携わりました。このような歴史を忘れてはいけませんが、憲法9条という歯止め、集団的自衛権は行使できないという憲法解釈のもと日本は戦争に直接参加せず、他国の人の命を一人も奪うことなく戦後の70年を乗り切ってきたことも事実です。
これまで「セトモノとセトモノ、そして、D案」をはじめ、数多くの記事を通して平和の築き方や安全保障のあり方について自分なりの「答え」を綴ってきました。私自身、憲法9条さえ守れば平和が維持できるとは思っていません。重視すべきは専守防衛を厳格化した日本国憲法の平和主義であり、その平和主義の効用こそ大切にすべきものと考えています。 憲法9条を守ろうとしている人たちの中でも考え方は様々なのかも知れませんが、『カエルの楽園』に登場するナパージュのカエルたちのような盲目的な信者は皆無に近いのではないでしょうか。
寓話に目くじらを立てても仕方ありませんが、集団的自衛権に反対する人たちは愚かで、国を滅ぼすという見方はあまりも短絡的すぎるものと思っています。さらに『カエルの楽園』に綴られている内容が多くの人に支持されている悩ましさも軽視できません。いずれにしても基本的な立場や視点が異なっていても、正確な事実認識の突き合わせを重視しながら思い込みや偏見を排した議論が欠かせないものと考えています。そのような意味合いで『カエルの楽園』に綴られている内容の多くは私自身にとって「違和感」が付きまとっていました。
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コメント
立場の相違はあっても「平和な世界」という理想は共有してるはずです。
そこに至る過程が異なる。目標に至る案を大雑把に二つにまとめてA案、B案とします。
A案 戦争、戦争に関係する存在(軍隊、兵器)を直接的にも間接的にも否定し、廃棄する。
紛争は国連等を中心とした団体による話し合いにより解決を目指し平和な世界を構築する。
B案 戦争、戦争に関係する存在(軍隊、兵器)を直接的にも間接的にも否定せず、戦争に
至らない程度に抑止力を利用し、結果として平和状態の維持を目指す。
かなり大雑把に2案にまとめてみました。平和主義の方々はだいたいA案で、現在の政権などは
B案だと思います。私が知りたいのはそれぞれのリスクとリターンです。
「カエルの楽園」が現在の安全保障の問題点を表していて、それに賛同するレビューが多いの
ならば、違和感があると言うと同時に、A案(あくまでも私の例示です)のメリットを説明し
現状に適応させる方法を説明すればよいのではないでしょうか。今現在は、B案に対する反対
しか聞こえません。ひょっとするとOTSU氏は過去に説明してるかもしれませんが、その場合は
私が理解してないだけなのでお詫び申し上げます。
投稿: nagi | 2016年4月18日 (月) 12時54分
>いずれにしても基本的な立場や視点が異なっていても、正確な事実認識の突き合わせを重視しながら思い込みや偏見を排した議論が欠かせないものと考えています。
議論をする上で、テーマあるいは何を論ずるかは重要です。さらにベースとなる事象を定めなければなりません。安全保障の話をする上で、最初に事実認識を確認しなければならないことはなんでしょうか。
1. 日本国周辺に国家国民を脅かす危機あるいはその可能性があるか。
2. 自国(日本)が周辺国家国民を脅かす危機あるいはその可能性があるか。
まずはこの2点で認識を一致させないと議論はできないでしょうね。
投稿: nagi | 2016年4月18日 (月) 18時08分
>憲法9条という歯止め、集団的自衛権は行使できないという憲法解釈のもと日本は戦争に直接参加せず、他国の人の命を一人も奪うことなく戦後の70年を乗り切ってきたことも事実です。
日本特別掃海隊は朝鮮戦争に直接参加した事例です
憲法9条を神聖化したいがために、日本特別掃海隊に言及しながらもあくまで「直接参加していない」とするのは、はやり歴史に対する冒涜です
朝鮮戦争での掃海任務は米軍が朝鮮半島に上陸するために、北朝鮮がばら撒いた機雷を排除するという、最前線での非常に危険な任務であり、完全に戦闘行為です
湾岸戦争後の、戦争が終わった後の機雷掃海とは全く違います
戦争中の、最前線での任務です
「日本国憲法により戦後70年~」という言葉を使う人たちは、なぜか日本国憲法より長い歴史を持つ在日米軍駐留による日本の平和には無視します
どうして「日米同盟により日本の代わりに米国が戦ってくれたので、戦後70年直接戦争に加担せずに済んだ」とは言わないのでしょうか
イラン・イラクによるタンカー戦争では、イラン・イラクがお互いの石油タンカーを攻撃しあい、日本のシーレーンは危機に陥りました
その脅威を取り除いたのは米ロ英仏などの国々が軍事力を持ってイラン・イラクの石油タンカー攻撃を排除したのです
中東からのシーレーンで一番利益を得ていたのは日本であり、要するにに日本の利益のために米軍人の命を使った形となりました
そして日本はその後ろめたさと、タンカー攻撃を排除した国々への配慮から、いつもの通り拠出金を出して勘弁してもらっています
つまり、「憲法9条の元、自分は危険にさらさずに他国を危険にさらし、その代わりに金を出して解決する」という事を行っています
「憲法9条の元、70年間を乗り切る」とは、金で解決してきた70年という歴史的事実もきちんと認識しなければなりません
投稿: bare | 2016年4月19日 (火) 23時23分
>集団的自衛権に反対する人たちは愚かで、国を滅ぼすという見方はあまりも短絡的すぎるものと思っています。
集団的自衛権に反対ということは、戦時には個別的自衛権のみで戦うということです
スイスは集団的自衛権を認めない国防政策を取っています
集団的自衛権を認めないということは、他国を軍事的に助けない代わりに他国の軍事的助けも受けないということです
ですのでスイスは重武装の国民皆兵となっています
集団的自衛権を認めないのであれば、スイスのように国民一人ひとりがその覚悟を持つことが必要です
「他国(米国)を軍事的に助けないが、他国(米国)の軍事的助けは受ける」などという、日本にとって非常に都合の良い、甘えた考えは、はやり「愚か」としか言えません
米国の要請を断り続けていた場合、当然米国も日本の要請を断ることも有り得ます
そのような可能性を、集団的自衛権に反対している人たちは考えたことがあるのでしょうか
ある意味、集団的自衛権に反対の人たちは、米国は何があっても日本を軍事的に助けると思っているということであり、意識しているかどうかは分かりませんが、非常に親米な人たちです
そして集団的自衛権に賛成の人たちの多くは、米国がそこまで親日国家だとは思っていないということでしょう
私も米国が「日本が米国の要請を断り続けても、絶対に米国民の命を懸けて日本を守る」というほどの親日国家とは到底思えません
というか、そんな親日国家は地球上に存在しません
投稿: bare | 2016年4月19日 (火) 23時50分
ブログ主様はいつか「カエルの楽園」を
題材にするんだろうなぁと思ってましたw
私がこの本を読んだのは、発売日当日です。
本、好きなもので^^。
そして、私が予想するのとほとんど同じ
ブログ主様のご感想だったので
正直、笑いがこみあげてきて。。失礼しました。
一点。
>重視すべきは専守防衛を厳格化した日本国憲法の平和主義であり、その平和主義の効用こそ大切にすべきものと考えています。
ブログ主様のおっしゃりたいことを凝縮したカタチは
この一文に表れていると思ったのですが
・専守防衛を厳格化したのが
日本国憲法の平和主義なんですか?
・平和主義の効用とはいったい何なのでしょう?
ここにブログ主様が作者に抱く「違和感」と
訴える主張は正反対ですが
同じような「違和感」を私は抱いてしまいます。
後は・・・「たとえ話」には良い点と悪い点があるんです。
そして、良い点をきちんと理解しなければ、
悪い点を批判しても説得力がなくなるような気がします。
投稿: いまさらですが | 2016年4月20日 (水) 00時16分
本は読んでいませんが。。
わたしは重要であり守るべきは国民、国家の平和そのものであり、平和主義ではないと考えます。
例えば北朝鮮が核兵器の量産化するのを平和主義で傍観した結果、戦争に至って数百万人の命が失われる可能性だってあるわけです。
そうなる前に警告や先制攻撃して無法者を無力化するのは平和主義じゃないけどより平和に繋がるかもしれません。
平和主義のお陰でこれまで平和だったなんていったら、国防関係者のこれまでの不断の努力に対する冒涜ではないかと思います。
投稿: たろう | 2016年4月20日 (水) 02時49分
私が「カエルの楽園」の欠点をあえて探すとしたら
(実は私、例え話と現実情勢の関係性を描写する表現力、そして皮肉のセンスにおいて天才的な本だと思っているのですが)
三戒の位置づけなんだと思います。
国家を営む上で守るべきルールの根幹に
憲法を掲げるのなら、国際情勢に合わせて
憲法の「とらえ方を変える」という行為は
最も根本的な部分で間違っているんです。
Aさんは合憲認識、Bさんは違憲認識
同じ国で、そんな事が起こってはいけないんです。
この状態を70年間も裁判所が許しているという
異常さを、私は強く懸念します。
この状態を「常識化」するから
平和を守る手段を議論したり
右だ左だという主張の道具に憲法が使われ
挙句の果てには「憲法ってそんなに重要ですか?」と
疑問視する人まで出てきてしまう。
みんなで掲げたルールに複数の解釈があれば
もうそれはルールじゃありません。
全員が同じ認識に立って
初めてルールの価値が生まれるのです。
「人のものを盗んではいけません」
皆が知っているルールです。
しかし、このルールを
「基本的にはダメだけど
お腹がすいたら人の物を盗んでもよい」と解釈し
誰も罰せられないのなら
もうそれはルールではないのと同じです。
100年議論したら、そう解釈していいんですか?
周りの情勢が変わったら、そう解釈していいんですか?
日本の憲法を語る上で
いちばん重要なのは、この点だと私は思っています。
ちなみに、私は「フラワーズになれ!」とは
絶対に思っていませんからねw
投稿: いまさらですが | 2016年4月20日 (水) 20時52分
nagiさん、bareさん、いまさらですがさん、たろうさん、コメントありがとうございました。
新規記事は今回の記事本文の内容を補足する意味合いから久しぶりに「Part2」を付けた記事タイトルを考えています。この場では具体的なレスに至りませんが、ご理解ご容赦ください。ぜひ、また新規記事にご訪問いただければ幸いですので、よろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2016年4月23日 (土) 21時27分
今頃この本の存在を知りました。
カエルの楽園に対するネット上の賛美が多く、やや驚いています。右だ左だ、という分類は好きではありませんが、どっちかの人が多いのでしょうか、ネットでは。よく見かけますね、中国と韓国に関しての事件での書き込みで(なんでこんなに早く反応でき、それに賛同する人の数があっという間に増えるのか、夜中とかにも関わらず、いつも驚かされます)。
私も、去年の今頃、安保法で安倍首相が暴走しそうなので、何かできないかと、持っていたアイデアを電子書籍にして出しました(結局10月ですが……「地味なペパーはピースが好き(ゴシック版が見やすいかと))。
何で今の日本はこんなに好戦的なんだろう、と悲しくなります。中国と韓国の人々を見下しているんでしょうね。だから腹が立つんでしょう。バブルが崩壊していなければこんな事にはなっていなかったのでしょうが。
立憲国だから憲法を時の首相が勝手に解釈を変えれば、それは法律ではありません。変えたければ遵法的な手段で。それがルール。援用解釈にも程があります。こんな援用解釈なら、無罪の人も簡単に有罪にできそうですね。
誰も世界平和を望んでいないのでしょうか?
政治家は戦争するために存在してるのではありません。戦争を選ぶのは軍人です。政治家は国と国との対立に議論で解決するのが仕事です。政治家の沽券にかかわると、感情的になって戦争を始めるのは無能以外の何ものでもないかと。
妄想ですが、もっと遠未来的に世界平和を考えられないでしょうかね。
平和、平和と言って、国を守るために戦う? 平和的解決もある筈。役に立たないけれど国連も一応ある。他国の協力もあるだろう。ナパージュのようにはならないと思います。
投稿: とし | 2016年5月22日 (日) 23時23分
としさん、コメントありがとうございました。
幅広くいろいろなご意見を伺える場として、このコメント欄の貴重さを受けとめています。としさんと私自身の問題意識は近しいものと理解させていただき、たいへん心強くしています。
また、クオリティーの高い電子書籍の取り組み、素晴らしい試みだと思っています。ぜひ、これからもお時間等が許される際、ご訪問いただければ幸いですのでよろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2016年5月28日 (土) 10時35分
百田直樹さんが「カエルの楽園」の新刊を記念して、近所の多目的商業施設内の書店にわざわざご来店されていました。
政権と絡みのある方なので、多数名の警察官が税金を使って無料の警備サービスを実施。正直呆れました。
内容はざっと見て予想通りの軽く薄い出来栄え。こんな本を買う人の気がしれません。
百田さんと言えば、元々は関西のローカルTV局(朝日放送)の「探偵!ナイトスクープ」というバラエティ番組で放送作家などをされていた方で、ノンフィクションのシリアスな書籍を書くような方とは思えません。
百田さんの昔からの友人方が、皆さんは騙されている。こいつはそんなに性格の良い感心出来た男ではない。と云った風なコメントをされている旨を新聞記事にて読んだ覚えがあります。
「永遠のゼロ」と見て、私はまずかつて一世を風靡し、その後、多分にやらせ的であったことが露呈した「一杯のかけそば」を思い出しました。この方は、ゼロ戦乗りに対して恐れ多いとは思っていても、どこか心の中で英雄的行為と言うよりも愚かしさを感じておられるのではないでしょうか。
更には、きっとモデル(似た存在)がいて、自殺的行為が無理強いではなく自ら選んだのだ、と(政治絡みの事情もあって)そういう風な流れに話を持って行きたいが為に、わざわざ作品を書かれたのではないか、そんな気がしています。(アニメやドラマなどでも、ゼロの名が近年よく登場していますよね。)
そして、自民党の文化技術関係の勉強会での発言において、結局、沖縄のように戦時中多大な犠牲を払った地域の方々に対しても、配慮や敬意すら持ち合わせていなかったことが問題視されて明らかになってしまったことは記憶に新しい話です。
「カエルの楽園」もきっと根本は同じですよ。どこか仏教臭い感じのする方ですけれど、生臭坊主の類の方かと。
是非に及ばず、ですね。
投稿: 天空の住人 | 2016年6月 9日 (木) 07時16分
天空の住人さん、コメントありがとうございました。
管理人の私自身、コメント欄から距離を置きがちで恐縮です。この場を通し、幅広いご意見や情報を提供いただけることの貴重さを感謝しています。ぜひ、これからもお時間等が許される際、ご意見等をいただければ幸いですのでよろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2016年6月12日 (日) 06時53分
私は良い本だと思います。もっといえば右とか左とかそういう事ではないと思います。
この本で百田氏が伝えたかったのはレッテル貼りや自分たちとは違う意見を封殺する現在のマスコミにアンチテーゼではないかと思います。
主人公の名前をソクラテス、三戒に異を唱えたカエルをプロメテウスにしたのは常に自分が間違った方向に進んでいないか、絶対に正しい事なんてないだから他者の意見も聞いて模索し続ける事が重要なんじゃないかと言う事だと思います。
フラワーズにお玉じゃくしの尻尾を残したのも自分が正しい、他者は間違ってると思い込んだ時点で成長が止まってるの表わしているのではないでしょうか。
百田氏のパフォーマンスもマスコミに対して『どうせちゃんと話も聞かず一部の言葉だけを切り取って大騒ぎするのだろう!』と揶揄しているのだと思います。
百田氏自身が放送作家していた探偵ナイトスクープも『そんなの当たりえやん』『分かりきってるやん』って事に対して実際にやってみて新たな事が見えてきたり、やぱっりそうなるやんってのを見せてる。本当にそうなるのと言う疑問を持ち実際にやっていみる。これってこの本の主人公ソクラテスが三戒に疑問をもって自分で調べた事に重なります。
マスコミに踊らされ鵜呑みにする事の危うさや、マスコミの姿勢、そして今後の日本や百田氏自身を育ててくれたマスコミを憂いてこの本を書いたのではないかと思います。
本を読んで感じること思う事は人それぞれでそこには絶対に正しいという事はない。これはあくまでも私の感想です。
投稿: ぴょん吉 | 2016年6月21日 (火) 14時47分
ぴょん吉さん、コメントありがとうございました。
直前のレスにも記したことですが、幅広いご意見や考え方に触れられる機会の貴重さを感じ取っています。ぜひ、これからもお時間等が許される際、ご意見等をいただければ幸いですのでよろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2016年6月25日 (土) 08時03分
コメント欄で議論されていることとは異なりますが、
未だ尻尾の消えぬ不完全な存在である私たちも、人間様の管理主様に一言お伝えしたいことがございます。
花(フラワー)には、色々な仲間がいます。
赤い薔薇、白い百合、青い瑠璃、黄色い向日葵・・・。
しかし、誰もが朝日(デイブレイク)の方に向かなければなりません。背くことが許されないのです。
私たちは「一括り」にならざるを得ないのです。
人間様は、単組、自治労、連合らのリーダーに、意見が自分と食い違う所があった時、「あなたたちと私の思想は、大筋で合致しているが、相違点もある」と面と向かって言えますか?
それとも「団結してガンバロー!!」と自分の意見を殺してついていきますか?
投稿: キル | 2016年7月 3日 (日) 21時54分
キルさん、コメントありがとうございました。
奥深く、難しい問いかけであり、かみ合った答えに至らないかも知れませんが、相違点は基本的に言葉にするようにしています。とは言え、すべて自分自身の「答え」が全体化される訳ではないことも認識しています。私の「答え」が誤っていれば修正し、あるいは一歩一歩、その「答え」が全体化されるように努力しています。
投稿: OTSU | 2016年7月 3日 (日) 22時17分
いろいろ、論議がありますがじぶんの国を自分で守れない。他の国に守ってもらっているって変だとおもいませんか?
純粋な話ですよ。トランプさんになったことでこの仮説は勢いを増す。
日本が変わるときです、
投稿: 大口 | 2016年11月18日 (金) 16時07分
大口さん、コメントありがとうございました。
トランプ大統領が誕生し、日本に大きな影響を及ぼす可能性があります。その影響が、より望ましい「答え」に向かう機会になることを願っています。とは言え、安全保障のあり方に関しては個々人いろいろな考え方や正しいと信じている「答え」があります。
そのため、より望ましい「答え」を見出すための情報や意見に触れられる場として、手前味噌ながら当ブログの貴重さを感じています。そのような場であることをお伝えした上、ぜひ、お時間等が許される際は他の関連した記事もご覧いただければ幸いですのでよろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2016年11月19日 (土) 07時09分
「三戒」教を信じて 国滅びる 殉教ですね
島原の乱 ある宗教を信じて 皆殺し これも殉教
すべては 特定の扇動者(デイブレイク、ス・シロー)の方便です。
投稿: jun-kyo-jyu | 2016年11月21日 (月) 16時12分
jun-kyo-jyuさん、コメントありがとうございました。
いつも申し上げていることですが、幅広い声に触れられる機会の貴重さを感じ取っています。ぜひ、これからもお時間等が許される際、ご訪問いただければ幸いですのでよろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2016年11月26日 (土) 06時55分
周りの人との人間関係がうまくいかない方は、トラブルばっかりです。トラブルは結果論で、良し悪しではありません。
国も同じで、関係諸国とうまく政治・外交ができないと戦争になります。戦争は結果論であり、良し悪しではありません。
そろそろ、1945年の戦勝国呪縛「イエローモンキーは武器を持って、白人に対して戦争をしてはいけません」を捨てる時かもしれません。
政治・外交・戦争は三位一体に考えるものです。
投稿: jun-kyo-jyu | 2016年12月15日 (木) 19時24分
jun-kyo-jyuさん、コメントありがとうございました。
このブログのコメント欄への投稿は制約を少なくしています。当該記事の内容に直接関連しなくても新規記事に投稿いただければ検証の手間も省けますので、今回のようなコメントであれば新規記事でも結構ですのでよろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2016年12月17日 (土) 08時36分
チベットでは、平和論者が武装解除を誘導し、中国軍による侵略と大虐殺を招いた。事実を学ぼうとしないものは、ただの愚か者である。
投稿: | 2017年1月26日 (木) 21時46分
2017年1月26日(木)21時46分に投稿された方、コメントありがとうございました。
幅広いご意見等に触れる機会の大切さを感じています。本来、コメント欄を通して迅速に私なりの「答え」をお示しすべきところですが、プロフィール欄に記しているとおりご理解ご容赦ください。その上でお願いです。これからもコメント投稿される場合は、ぜひ、名前欄の記載についてご協力いただければ幸いですのでよろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2017年1月28日 (土) 07時06分