『「憲法改正」の真実』を読み終えて
前回の記事「民進党、中味に期待」の冒頭でもお伝えしましたが、このブログでは政治的な話題の投稿が多くなっています。以前の記事「組合の政治活動について」の中でも説明したとおり丁寧な情報発信のツールの一つとして、意識的に政治に関わる内容を取り上げている傾向があります。その一方で、日常の組合活動の中で政治的な課題が占める割合はごくわずかであり、賃金や人員確保、人事評価制度の労使協議などが重要な取り組みとなっています。
ブログでの題材の取り上げ方にギャップがあり、もちろん四六時中、政治的な問題に頭を悩ましている訳でもありません。不特定多数の方々が関心を寄せやすく、話題や論点も共通認識できるため、地味でローカルな話となりがちな日常の活動よりも政治的な題材を取り上げている側面もあります。さらに「運動のあり方、雑談放談」の中で記したことですが、不特定多数の皆さんへ「働きかける」という自分なりのささやかな運動と位置付け、このブログに向き合っています。
多面的な情報の一つとして、私自身の言葉が一人でも多くの方から「なるほど」と思っていただけることを願っています。ただ残念ながら「完全に逆効果」という指摘を受ける時も少なくありません。決して居直りではなく、そのように受けとめられてしまうことが分かる機会となり、それはそれで貴重な関係性だろうと考えています。どなたからも支持される、もしくは批判されない、そのことばかり重視し、発信内容を取捨選択したり、まして糊塗するような作文は論外だろうと思っています。
そもそも等身大の日常や発信している主張そのものが誰からも支持されないような独りよがりのものだった場合、文章以前の問題として即刻足元から見直していかなければなりません。自治労に所属する私どもの組合の活動や方針が、そのような関係性の中で客観視されていく機会として当ブログのコメント欄は本当に貴重な場になっています。私自身、自治労の基本的な方針を支持する立場の一人として、これからも厳しい批判や指摘は貴重な「提言」だと受けとめながら投稿を重ねていくつもりです。
今回の記事内容も視点や立場の異なる方々からは批判や反論が多く寄せられるのだろうと見込んでいます。『「憲法改正」の真実』という新書を購入し、たいへん興味深い内容で共感する箇所が多かったため、数日で読み終えていました。安倍首相や自民党を支持されている方々にとって不愉快に感じられる記述が散見するかも知れませんが、憲法を熟知した二人の憲法学者の言葉は非常に明解で、かつ重いものを感じ取っていました。ぜひ、機会があれば多くの皆さんにご覧になって欲しい新書です。
「護憲派」・「改憲派」に国論を二分して永らく争われてきた「憲法改正」問題。ついに自民党は具体的な改憲に力を注ぎ始めた。しかし、自民党による憲法改正草案には、「改憲派」の憲法学者も驚愕した。これでは、国家の根幹が破壊され、日本は先進国の資格を失う、と。自民党のブレインでありながら、反旗を翻したのは「改憲派」の重鎮・小林節。そして彼が、自民党草案の分析を共にするのは「護憲派」の泰斗にして、憲法学界の最高権威、樋口陽一。ふたりが炙り出した、自民党草案全体を貫く「隠された意図」とは何か? 犀利な分析を、日本一分かりやすい言葉で語る「憲法改正」論議の決定版!
上記はその新書の袖に掲げられた文章です。この新書のAmazonカスタマーレビューは現時点で星5つが8人、星1つが1人でした。星1つの方は「仲間内通しの仲良し談義」と批判されていますが、星5つの方々は「ベーシックな議論はおさえつつも、どこかで読んだなという内容ではないと感じた」「読者も一市民としての態度決定を迫られ、静かなうちにも迫力溢れた憲法を学べる本として推奨したい」「無味乾燥な学問だと思っていた法学が、こんなに生き生きとしたものだったとは!ふたりの憲法学の権威が、歴史を縦軸、洋の東西を横軸に繰り広げる議論の縦横無尽さに、ぐいぐい引き込まれた」という感想を寄せています。
著作権の問題を意識しなければ転載する労力を惜しまず、新書に綴られた内容の多くを当ブログで紹介したいものです。「憲法改正」が現実的な選択肢になろうとしている局面で、日本国憲法のこと、安倍首相らが理想視している自民党の憲法改正草案の問題点などを一人でも多くの方に考えて欲しいものと願っているからです。いずれにしても全体を網羅した紹介は難しいため、特に私自身が注目し、今回の記事を通してお伝えしたい内容に絞って掲げさせていただくつもりです。
まず東京大学・東北大学名誉教授の樋口陽一さんは護憲派の泰斗、慶應義塾大学名誉教授の小林節さんは改憲派の重鎮と呼ばれています。しかしながら立憲主義や国民主権について理解が不足している現政権、つまり憲法を破壊しようとする権力に対しては、護憲派も改憲派もその違いを乗り越えて闘わなくてはならないと語られています。とりわけ2013年4月に公表された自民党の改正草案は「憲法と呼べる代物ではない」とまで二人は言い切られています。
小林さんは30年前から自民党の勉強会に呼ばれ、「憲法は国民を縛るものではない。国家権力を管理するための最高法規である」という憲法の基本を徹底的に伝えてきたそうです。しかし、残念ながら自民党の国会議員の多くが「憲法とは何か」という基本的な認識に欠けている現状に至っていることを嘆かれていました。自民党の勉強会で、いつも「何で俺たちだけ(憲法を尊重し擁護する義務)なのだ。一般国民は守らなくていいのか」という声が示されがちだったそうです。
法律は国家の意思として国民の活動を制約するものです。国民が権力に対し、その力を縛るものが憲法です。憲法を守る義務は権力の側に課せられ、国民は憲法を守らせる側という説明を小林さんは繰り返してきました。憲法はヨーロッパなどで王政と対抗する過程で出てきた法の概念で、世界初の成文憲法はアメリカ合衆国憲法です。組織である以上、統治の責任者が必要とされ、アメリカには大統領職が設けられました。
ただ大統領も人間であり、間違いを犯す不完全な存在という人々の意識のもとに憲法が成文化されました。「権力というものは常に濫用されるし、実際に濫用されてきた歴史的な事実がある。だからこそ、憲法とは国家権力を制限して国民の人権を守るものでなければならない」という小林さんの説明に対し、以前、高市早苗議員(現・総務相)から「私、その憲法観、とりません」という反論が示されたそうです。その時、小林さんは「とる、とらないって、ネクタイ選びの話じゃねぇんだぞ」と思われた逸話も新書に綴られています。
自民党の憲法改正草案の中で「個人」が「人」に置き換わっていることを二人は問題視されています。天賦人権説と呼ばれる「人は人として生まれただけで幸福に生きる権利があり、幸福とはそれぞれが異なった個性をもっていることを否定せずにお互いに尊重しあうことで成立します」という価値観があり、その幸福の条件を国家は侵害するな、というのが憲法の要だと言われています。それに対し、自民党草案の「Q&A」の中では明確に天賦人権説を否定しています。
あえて「個人」を「人」に置き換えているのは個人主義を排し、社会の土台をつくり直そうとする思惑があるからでした。ある自民党国会議員は「国があなたに何をしてくれるのか、ではなくて国を維持するためには自分に何ができるか」という国民の義務を強調していく考え方を明らかにしています。日本国民には生まれながらにして持つ権利はなく、国に奉仕して初めて権利がもらえるという思想だと見なさざるを得ません。よく安倍首相は海外で「価値観を共にする国」という言葉を発していますが、そのあたりの整合性が疑問視されていく自民党草案の特徴でした。
新書では押し付け憲法の問題にも触れています。主権国家である大日本帝国の決断として、民主主義的傾向の復活強化、人権の補強と軍国主義の除去を終戦の条件としてポツダム宣言受諾で受け入れました。その結果、明治憲法が現在の日本国憲法に改正されました。当時の権力者にとって押し付けられたという悔しさがあったことも事実かも知れませんが、国民の大半は国民主権、人権尊重、平和主義を基本理念とする日本国憲法を歓迎したことも確かです。
岸信介政権の時、憲法学者の宮沢俊義さんが「憲法の正当性ということ」という論文を発表していました。「今の時代、生まれや素生を云々して、その人の価値を論ずることはよくないはずだ」とし、その人が成す物事を基準に考えるべきであり、つまり「はたらき」が大切であることを訴えていました。「ついこのあいだも朝鮮戦争があったけれども、憲法の規定があって兵隊を出さずにすんだ。平和国家を目指して経済に注力して、焼け野原からどんどん復興してきた」、良い「はたらき」を見せている憲法を「生まれ」にこだわって正当な憲法と言わないのはおかしい、と宮沢さんは指摘していました。
憲法9条の文言を改める必要性については二人の間に温度差があり、ここで護憲派か、改憲派に見られるのかどうか分かれていくようです。それでも憲法9条があったから少なくともアメリカの戦争に付き合わなくてすんだという認識は一致されていました。アメリカの占領下に誕生した憲法であり、「9条があるから加担できません」という日本の対応について、さすがに「憲法を無視せよ」とは言えず、9条が防波堤になってきたことを語られています。
中国や北朝鮮が怖いから、アメリカと仲良くする以外に生きる道がない、アメリカにしっかり守ってもらうためには日本もアメリカに貢献しないと助けてもらえない、そのような声高な主張があり、安保法制の論点に繋がっています。このあたりの判断は個々人の情勢認識や問題意識の相違によって大きく枝分かれしていく問題です。仮に集団的自衛権の行使を必要とした場合でも、歴代の政権が積み重ね、継承してきた憲法の解釈を一内閣の閣議決定で変更し、憲法違反の疑いの高い立法を行なったことの異常さに二人は憤られていました。
たいへん長い記事になっていますが、緊急事態条項についても触れていきます。大災害、内乱やテロなどの緊急事態に直面した時、通常の立法・行政のプロセスを無視し、瞬時に決断して国家の実力を総動員する必要性がある、これが国家緊急権と呼ばれるものです。どこの国の憲法にも明記されているという説明を耳にします。昨年11月、パリで同時多発テロ事件が起こり、フランスで緊急事態の措置が発動されました。しかし、法律を根拠にしたものであり、憲法に基づくものではありませんでした。
国家緊急権を憲法化するかどうかは、あやふやな議論で決めてはならないと二人は訴えています。権力の暴走を防ぐために手足を憲法で縛っているところを緊急の時だけ解いてしまうという立憲主義の根幹に関わる問題であることを強調されていました。もし司法が力を持たない状態のまま緊急事態条項を取り入れた場合、誰も肥大化した行政をチェックできなくなることを危惧されています。
統治の根本に関わること、あるいはきわめて政治性の高い行為について司法は判断しないという判例のある日本の場合、緊急事態条項を憲法に書き込むことは、より慎重に判断しなければならないようです。国民主権に基づく民主主義を誇示したワイマール憲法にも緊急事態条項が明文化されていました。世界恐慌などの危機に際し、大統領が緊急令を乱発し、議会の軽視が常態化され、内閣を立法者とする全権委任法に行き着いてしまいました。
3月18日の『報道ステーション』で「緊急事態条項って何?憲法改正の焦点はここ~ワイマール憲法の”教訓” なぜ独裁がうまれたのか?」という特集が組まれました。安倍政権とナチスを結び付けるような見方がされた場合、強い反発や批判を受ける時があります。安倍首相に「ナチスの手口」を学ぼうとする意図はなく、ことさら独裁や軍国主義に走ろうとする意識が微塵もないことを信じています。しかし、前述したとおり人間は間違いを犯す不完全な存在という前提で考えた時、番組の中の民主主義の基本は「法の支配」であり、良い人ばかりが首相になる訳ではないという解説に首肯しています。
キャスターの古舘伊知郎さんは「ヒトラーのような人間が日本に出てくるとは到底想定できないんですが」と何度も念を押し、一度も安倍首相の名前は発していません。それでもドイツからのリポートVTRでは、ヒトラーが経済政策と民族の団結を全面に打ち出したこと、「強いドイツを取り戻す」「この道以外にない」という力強い言葉で民衆から支持を得たこと、巧妙に言葉を言い換え、独裁を「決断できる政治」、戦争の準備を「平和と安全の確保」と表現していたことを紹介していました。
リンク先のサイトには「『報ステ』古舘伊知郎が最後の反撃!ドイツ取材で緊急事態条項の危険性、安倍首相とヒトラーの類似点を示唆」というタイトルが付いています。しかしながら古館さんの真意は「とにかく立ち止まってじっくり議論をする、考えてみるということが、この条項に関しては必要ではないか、その思いで特集を組みました」という結びの言葉に尽きているものと思っています。『「憲法改正」の真実』から少し話が横道にそれましたが、緊急事態条項を考える上で、参考の一つにすべき情報でしたので紹介させていただきました。
最後に「憲法改正」にあたり、樋口さんと小林さんの一致した見解が次のとおりです。そもそも憲法の改正を議論する際には順番があり、どのような必要があって、どのような政治勢力が何をしたいのか、国内的・国際条件のもとで、どこをどう変えたいのか、それによって賛成反対も分かれる、 これが憲法問題の本来あるべき議論の仕方だと述べられています。本当にそのとおりであり、改正に反対か、賛成かという単純な問題ではなく、どのように憲法を改める必要性があるのかどうか、多面的な情報のもとに慎重かつ丁寧な国民全体での議論が欠かせないものと考えています。
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コメント
あくまでも私個人の極めて偏った意見ですが、そんなに立憲主義って大切なんでしょうか。もともと欧州起源の主義ですよね。極めて個人主義の強く、歴史的にも王政の国です。そのような経緯で権力を縛る立憲主義が大事なんでしょう。
日本は村社会と言いますか、集団社会の秩序を優先する考えが根強いのではないでしょうか。個人と国をどちらを優先すべきかと考えると、私は国だと考えます。国を維持することでよりたくさんの個人を幸福にする。時にはよりたくさんの人を救う為に個人を犠牲にするかもしれません。しかし個人の救済の為により多くの人を不幸にすることが正しいととても思えない。そして現代の国家はそのように取捨選択をしてるのではないのでしょうか。
投稿: nagi | 2016年3月28日 (月) 19時15分
報道ステーションの悪あがきといいますか、相変わらずの偏った誘導は拍手喝采ですね。現代でも独裁者はいますし、そして未来でも独裁者は生まれるでしょう。それがどんな方法で現れるかは不明です。もしワイマール憲法がなければ、アドルフ・ヒトラーやナチスは発現しなかったのか? そんなことはないです。当時の世論や鬱積した不満がナチスを生み出し、利用できるものを利用したにすぎません。憲法が独裁者を生み出すのではなく、英雄を求める民衆が独裁者を生み出すにすぎません。
とりあえず、平和主義者の方々はトランプ候補を応援しましょう。彼はモンロー主義を復活させて、日本から米軍を撤退させるでしょう。そうすれば基地問題は解決です。実にすばらしい。朝日も毎日も平和フォーラムもこぞって応援してほしいですね。
投稿: nagi | 2016年3月28日 (月) 19時21分
nqgi さま
貴殿のお考えは理解いたします。
現実を直視して、最良の選択をすべしという感覚は
間違っていないと思います。
しかし現実として、日本は立憲主義の国です。
これを否定することは現実問題として、できないのです。
もっと根本的なお話をすると
おそらく貴殿も「民主主義」には賛同されるのでは?
つまり、国民が決めたルールに則って政治をするという
考えには、異論はないと思います。
であれば、現行憲法がそのルールなのです。
ルールが嫌なら、変えればいい。
ただそれだけです。
極端に申しますと、憲法に
国家存亡の危機と判断すれば
独裁者を認める条文を入れても良いし
徴兵制を加えてもいい。
それでも立派な立憲政治の国家です。
貴殿のおっしゃるように
ワイマール憲法が独裁者を生み出すなんて話は
詭弁以外の何物でもない。
大切なのは、憲法とは何かを知ることです。
そして、憲法というルールブックに
私たちが【どういう国を目指すのか】
責任をもって銘記することなんです。
投稿: いまさらですが | 2016年3月29日 (火) 00時00分
ブログ主様、私も読みましたよw
ただね、私の読んだ感想は以下です。
盲目的な憲法擁護の考えからは批判以外何も生まれない。
本来それは政治活動ですらない。
政治活動とは
憲法に則って「どういう施策を打つか」を考える活動。
だからこそ、本当は民進党はチャンスなんです。
憲法に則った施策はこうじゃないの?という
国民が耳を傾けやすい機会を自民党が与えてくれた訳で。
しかし、主張するのは
「憲法違反だ!」「立憲主義の冒涜だ!」の一点張り。
はいはい、わかりました。
小林さんの主張は自民党から離れた時に
よーくわかりました。
あれは私には絶対にまねできない
英断だと思いましたしね。
訴訟を起こす行動力もお見事です。
でもね、いま私が欲しいのは
「じゃぁどうすればいいと思う?」って事。
「ごまかし続けた70年のツケを
日本はどうやって清算するの?」って事。
うわぁ、すげぇ!これはいいね!
なんて正解は、ハナから望んじゃいないけど
大の大人が必死になって叫ぶ内容が
「戦争法案絶対反対!」では
オハナシにならんのですよ。。。
投稿: いまさらですが | 2016年3月29日 (火) 00時19分
この主張の前に
私の持論を書いていませんね。
私は自衛隊は憲法違反だと思っているんです。
だからこそ、憲法改正の発議を挙げるべきだと。
そして、その憲法改正にあたり
どういう条文にするのかを
政策として各政党に掲げてほしいのです。
それこそが、私たちの責任ある国づくりの
第一歩となると思っているのです。
現行憲法で戦力を否定している以上
「個別自衛権で十分対処できる」なんて主張は
正直、政策にもなっていないと思っています。
投稿: いまさらですが | 2016年3月29日 (火) 00時37分
ご紹介の新書を読了しました。
読後の総論として、今ワタクシが思うのは、
憲法に関して「全部改正派」と「現状固守派」しかいなくて、「一部改正派」という政治勢力が見えてこないことが厳しいなぁってことなんです。
「全部改正派」というのは自民党のことで、「第2次草案が帝国憲法どころか、封建領主の掟書・御定書・御触書」って印象があって、どうにも賛成はできないんです。
「現状固守派」というのは所謂「護憲派」のことで、現状認識について行けないところがあるんです。これは、それなりに多数の賛同を得られる意見だと自分では思っています。
で、ワタクシが臨むのは「現行の憲法をベースに穴を埋める一部改正を呈示してくれる政治勢力」なんですよ。
一部改正なら何でもOKというわけでなく、”臨時国会を開かなければならない規定に期限を盛り込む”だったり、”憲法裁判所の設置”だったり、”実力組織の位置づけ・責任と権能と限界の明定”だったりですけどね。
で、この役回りを民進党さんにこそ期待したいのですが…。「全部改正の全否定布かしていない現状」にはもどかしさがあるんですよ。
前にも触れましたが、10年ほど前の民主党さんは、「従前の集団的自衛権に関する政府解釈と自民党の態度を口撃(批判)してた」のです。それも、政権に就いて重要な役職に就任したような幹部クラスの方がですよ。
「集団的自衛権を認めるべき。今の憲法でムリなら憲法を改正して認めるべき。」とか公言されてたり、
「内閣法制局の憲法解釈が内閣を拘束する(追認するだけ)なのは、”官僚主導の象徴”」とか「内閣法制局の憲法解釈が憲法の番人になってることと、事務次官等会議が”官僚内閣制の根幹であり、両者の解消が政治主導に必要」って力説されたわけですよ。
それが今では「内閣法制局の解釈を内閣(を構成する政治家)が変えるのは…」とか、「安倍氏の行う改憲は反対」とか仰るわけですけど、
安倍氏の行う改憲(全部改正)には反対だからこそ、「往年の自らの主張を体現するような、現行憲法をベースに、根幹はいじらず、必要な一部改正を推進する主体」であって欲しいのですよ。
10年前のご自身の主張や政府・与党批判は何処に行ったんですか?って話ですよ。
投稿: あっしまった! | 2016年3月29日 (火) 18時10分
緊急事態条項について、今ワタクシが思うのは、
自民党の改正案にはマッタク賛成できない。だからこそ「今、議論する必要がある。」ということ。
結果として、憲法に盛り込む方向に進むとしても、差し控える方向に進むとしても、「平時である今にこそ、徹底的(多角的・多面的・複眼的)に論じる必要がある。」と強く思う。
緊急事態条項は、何かコトが起きてから勢いで決めるとか、超法規的にその場でアレコレするには問題がありすぎると思う。
かつて昭和天皇が終戦直後、超訳で「付和雷同する国民性がもう少し落ち着かないと、また破局的な失敗を繰り返すだろう」って意味のことを仰ったと伝わるわけですが、
そうした国民性は現にあると思っているので、何かコトがあってからヒステリックに・あるいはパニック状態で決めるのは、緊急事態条項はいかにも危ういテーマだと思う。
前にも言ったように、「憲法に書いたら実現するわけでなく、実際に体現すべく汗をかく人間の営みがあればこそ、具現化する」というのは事実だけど、
だからといって、放置しておくと、何かコトがあってからヒステリックに・あるいはパニック状態で対応して、それこそ宜しからざる仕儀になりそうな気がする。
民主党さんの政権だって震災後に、「震災を口実にして、何の法律上の根拠もなければ、憲法上も疑わしいとの解釈可能な、超法規的措置(要請という名の強制・脅迫・排除・抑圧・封殺)」を幾つか行ったじゃないですか。
そういう意味でも、やはり、コトが起きてパニックやヒステリーの中で行う緊急対応は、宜しからざる仕儀を招きかねないと思う。
なので、緊急事態への対応は、平時から論じて制度的枠組みを整え、必要なときに使える状態にしておくことが必要な領域なのでしょう。
それと「フランスでは法律で緊急事態対応をした」のは事実だけど、「そうした法律が憲法上容認されていたという背景事情があるのも、亦事実」じゃないですか。
だから、「確かにフランスでは法律で対応したけど、では日本の現行憲法下では同じような法律が制定できるんですか?法律で対処できる憲法上の根拠はあるんですか?」という問いかけも重要だと思う。結果として、憲法に緊急事態条項を盛り込まないとしても。
ワタクシは自民党さんの改正草案は全否定したいのだけど、だからといって「安倍氏の改憲には反対」だけしか言わない民進党さんも、亦否定的に見てます。自民党さんの草案に対して、こういう現実的な議論を提起して欲しい。
投稿: あっしまった! | 2016年3月29日 (火) 18時12分
あと、
今日が施行日な例の法律ですけど、「批判派は”従前の憲法解釈が正しい前提で論じてる”のだけど、”従前の憲法解釈が間違った解釈である”可能性はないのですか?」という視点は不要なのでしょうか?
だって、これまでの解釈が間違っていたなら、それこそ憲法第99条の主旨からしても、正しい解釈に改めることが、本来あるべき尊重・擁護の姿じゃないですか。
もっとも、従来の解釈が誤りだとする論ずる学識者は、超少数派ですけどね。
例の「内閣がどのような解釈を採るのかについての最終的な責任者は、内閣総理大臣である私である」というのも、現行憲法下の法体系では、理屈としては正しいのではないですか?だって現行憲法下では、内閣法制局は内閣の補助機関でしかないのですよ。
それを「私が最高責任者だ」と(曲解して伝わりかねない可能性のある)切り取り方をした報道をして、それに基いて批判をしているだけで良いのですか?残念ながら首相が言ってるのは現行法の下では正論ですよ。批判するなら、それなりのロジックが要るのではないですか?
同じように、自民党さんの第2次改憲草案も、「批判派は”天賦人権論や立憲主義こそ正しい価値観という前提で論じている”のだけど、”それがホントに唯一無二の正解”なのですか?」という視点は不要なのでしょうか?
反対派は、「主張が届かない。主張を広めて判って貰う必要がある」って盛んに仰るのですが、「解った上で棄却されてるから賛同の声が広がらない」という視点は無視して良いのですか?
基本的にワタクシは、主張の是非以前に、運動のあり方・手法といったものを批判してる面が強いのです。プラカード事件以来ずっと。
投稿: あっしまった! | 2016年3月29日 (火) 18時14分
>「ついこのあいだも朝鮮戦争があったけれども、憲法の規定があって兵隊を出さずにすんだ。~と宮沢さんは指摘していました。
何度でも指摘します
朝鮮戦争では日本特別掃海隊を派遣し、日本は事実上参戦し、戦死者も出しています
朝鮮戦争で、日本国憲法によって米国の要請を断れたという事実はありません
投稿: bare | 2016年3月31日 (木) 04時56分
まず前提として「仕掛けていくだけが戦争」ではないですからね。
近代日本は、「仕掛けていく戦争」しか知らないからか、「無意識のうちに、仕掛けない限り戦争にならない。戦争の当事者にはならない。」っていう迷信が強く信じられてる気がします。
むしろ戦争は、仕掛けられて否応なく始るパターンの方が厳しいですよ。こちらに主体性がない訳ですから。
でっ、
特別掃海隊は、確かに「兵隊(武官)」ではなかったけど、だからこそより深刻ではあるという気はしますね。
なにしろ「海保職員(=警察職員(文官)」を、戦地に派遣しなければならなかったのですから、「戦地に軍人を派遣する」よりもある意味で酷ですし、政治的はより深刻な決定です。
ようは「軍人がいないから文官を戦地に送った」のですよ。憲法&占領下という状況の故に、現場にむちゃくちゃな無理を強いたのであって、憲法があったから戦争に行かずにすんだのでは決してないです。
当時、海自は影も形もなかったので、派遣するとしたら海保をだすしかなかったのですが、
だからこそ「兵隊を送らずにすんだ」とか「参戦せずにすんだ」とか、そんな誤魔化しで済ましてはいけない。
国連軍指定基地があった(今もある)以上は「国連軍として参戦していた(休戦中のいまでもしている)」という構図は消せないのだけど、「軍隊を送ってないから、戦争をしてない」とかいう誤魔化しで蓋をするのも、一種の現実逃避かと思います。
今この瞬間においても、仮に休戦が敗れれば、戦争の当事国であり、相手方からの攻撃の対象になるんですから。
『当時、相手方に直接日本を攻撃する兵器がなかったから、直接の戦地にならなかっただけ』なのであって、「憲法第9条があるから、戦争が避けていってくれる(戦争をしなくてすむ)」なんてのは幻想で、「軍隊(兵隊)を戦争に投入せずにすんだのは、戦争に参加しなかったのでなく、参加したけど出せる軍隊がなく、警察組織を戦地に派遣したからにすぎない」っていう現実は、やはり蓋をせず直視しなければならないと思う。
投稿: あっしまった! | 2016年3月31日 (木) 13時10分
>いまさらですが氏
当然ながら私も民主主義を信奉しております。
>ルールが嫌なら、変えればいい。
>ただそれだけです。
そのとおりです。しかしそれができないことに不満を抱いています。議論しろと言ってるわりには憲法について長年まともな議論がなされていません。
>大切なのは、憲法とは何かを知ることです。
そして、憲法というルールブックに
私たちが【どういう国を目指すのか】
責任をもって銘記することなんです。
私は、憲法を知ることを重要とみなしません。他の方が指摘されてますが、憲法が国民を幸福にするわけでなく、あくまでも国民を幸せにする道具のひとつにすぎません。
日頃、テレビを見たり自動車を使用しますが、どちらについても使用はできても構造や理論などまったく知りません。それでも道具を使い利便を享受しております。同じようにルールは国民を幸福に導く道具の役割でしかなく、不備があったり古くなれば、速やかにバージョンアップしてほしい。ただそれだけです。
私としては、解釈する必要があるような条文は全て、明確に判り易くすべきと思います。
そろそろ野党にしっかりとしてもらい真剣に憲法について議論し尽してほしいと心から願っています。
とりあえず憲法を改正するか否か、先に国民投票してほしいですね。賛成が過半数なら、真剣に議論するということで。w
投稿: nagi | 2016年3月31日 (木) 20時18分
nagi様
日本人の多くはnagi様のように
憲法の存在意義や解釈改憲なんて
自分には関係ないと感じて
日々の生活を送っている人たちだと思います。
日本は、今平和ですからね。
でも、こういう板に自由に書き込める権利を始め
私たちの基本的人権を保障してくれているのは
全部、日本国憲法のおかげです。
憲法がなければ、権力者が国民を支配する一方ですし
憲法を重要視しないという選択肢は
立憲国家の参加資格を自ら放棄しているのと
同じではないでしょうか?
もちろん、否定はしませんよ。
知る権利は権利であって、義務ではない。
けれども、ルールブックを把握しなければ
対話のステージに立つこともできないのでは?
朝鮮戦争のお話ですが
確かに吉田茂は現行憲法を盾にして
J・Fダレスの参戦要求を何度も拒否してます。
確か、憲法改正要求すらマッカーサーの力を借りて
跳ね除けたのではなかったでしたっけ?
(※以前、何かの本で読んだ記憶が。。)
しかし、日本として後方基地の提供だけでは
ダレスを説得できない。ダレスも米国に帰れない。
だから、折衷案として
海保による機雷掃海部隊の派遣だったと記憶してます。
それを参戦したと捉えるなら参戦したんでしょうし
9条によって本格的な参戦を免れたととらえるなら
そうなんでしょう。
まぁ、歴史とは過去の対話ですから
すでに完全なる客観性はないわけで
だからこそ、別にこれにこだわる必要もないのかなと。
投稿: いまさらですが | 2016年3月31日 (木) 22時32分
おそらく
「9条があったから日本は平和だった」の一節を
護憲派が印籠のように使う手法が許せないのでしょうね。
それは確かに思います。
しかし、それに過度に反応して
相手を全否定するのだとしたら(だとしたらですよw)
自分の主張も相手と同じ
低レベルな論法になってしまいますね。
投稿: いまさらですが | 2016年3月31日 (木) 22時56分
労連を政治団体と解釈して要望すると
もう、そこまで護憲にこだわるなら
いっそのこと自衛隊を解散させる政治方針を
掲げてしまえばいいのでは?
ちょうど、国際緊急援助隊があるじゃないですか。
①自衛隊を「国際災害援助隊」に名称変更し
自衛官すべてを災害対策スペシャリストにする
②国内の基地及び自衛隊の戦力すべてを国連軍に譲渡
③災害と防衛に関する条約を各国と締結
「世界一の災害救援を無償で提供する代わりに
日本の防衛を条約国に要請できる」内容
④日本は一切の戦力を持たず、砂川判決の通り
「外国に守ってもらう」事で自衛権を行使する
憲法の部分的な改正案すら出せないのなら
上記のようなバカバカしい案でも出して欲しいものです。
その方がまだ「誠意」があるw。
投稿: いまさらですが | 2016年3月31日 (木) 23時33分
そう言えば、宮沢俊義氏の「憲法の正当性ということ」って、1957年の発表だったと記憶しています。
当時は「憲法調査会(今ある同調査会とは別物・廃止済)」ができて、改憲論議が盛り上がりはじめた頃だと思うのですが、
『現憲法の「生まれ」を問うことについて論じた』という主題については、理解できます。
ワタクシも「憲法の一部改正派」を自称していますから、現行憲法を全否定して全部改正するという主張には同意しませんし、「生まれ」を理由に全否定する意見に同意はしませんので。
ただしですよ、主題についての意識には深く同意するのですが、
「朝鮮戦争があったけれども、憲法の規定があって兵隊を出さずにすんだ。」の部分を切り取って強調することには賛成出来ないんですよ。「戦争に参加せずにすんだ」という解釈が強調されたり広まったりする可能性があるので。
朝鮮国連軍の基地が日本にあって、今もその司令部は日本国内にある(同基地には、国連旗が掲揚されてます)のですから、その時点で「相手からすると、敵方として参戦してる」以外の何者でもないからです。
さらに、「直接の戦地に、相応の装備もなく、訓練も受けていない、文官(事務官や技官)を送った」のですよ。
管理人様をはじめこのblogは公務従事者の方も多くご覧になっているでしょうが、そうした立場の方がいきなり戦場に送られたわけですよ。自分の身に置き換えてみてどうですか?それで世間からは、憲法の下で派遣されたのに「憲法のおかげで戦争に参加せずにすんだ」といって、無かったことにされるわけですよ。正式には存在しないはずの存在のままでは、死傷しても爾後に公的な補償(公務災害補償)が受けられる保証もないんですから。
※文官とは言え、旧軍経験者もいた。この点は、無視できない。
※厳密には、自治体の職員(当時でいうと吏員)は、国=中央政府の職員(昔でいう官吏)ではないので、送られることはなかったでしょうが、軍人としての心構えも訓練も受けてないという意味では一緒でしょう。
投稿: あっしまった! | 2016年4月 1日 (金) 11時34分
>いまさらですが氏
凡庸な一般人にすぎない私でも、憲法の重要性は理解しています。憲法により保障された自由を享受しております。
私が懸念してることは、原理原則論に固執し、現実を直視しない一部の勢力が、議論のさまたげになってることです。
>低レベルな論法になってしまいますね。
既に低レベルな議論がはびこっています。
>「9条があったから日本は平和だった」の一節を
護憲派が印籠のように使う手法が許せないのでしょうね。
許せないと言うより、既に悪意しか感じませんね。
投稿: nagi | 2016年4月 1日 (金) 11時59分
安保条約には第10条という規定があり、これは、同条約の効力の終了について定めた規定です。
つまり、条約の破棄ではなく、条約に基づく効力終了の手続が定められているので、この規定が発動されたら、安保条約は終ります。
アメリカ側から終らせることも or 日本側から終らせることもできますし、その条件は形式的にはかなり低いハードルです。
現状、「安保条約第10条のアメリカ側からの適用表明」があり得ることも想定せざるを得ない状況になりつつあります。
というか、今から頭の体操をしておかないと、間に合わなくなりかねません。
そういう状況認識のもとでは、「原理主義的・教条主義的な9条護憲派」は、本来必要な議論についての攪乱要因・阻害要因・下手をすれば遮蔽要因になりかねないので、憂慮すべき状況かと思います。
議論の結果はどうなるにしても、とにかく「マトモに議論できる状況を創り出す邪魔をしないで欲しい」っていう危機感はありますね。
投稿: あっしまった! | 2016年4月 1日 (金) 20時57分
nagiさん、いまさらですがさん、 あっしまった!さん、bareさん、コメントありがとうございました。
記事本文の中に記している内容が正確に伝わっていない場合や以前の記事本文を通してお答えしている問いかけも見受けられます。やはり分かりやすさで言えば、この場を通して一問一答に努めなければ、すれ違いが広がっていくのかも知れません。
また、私自身は「答えているつもり」だったとしても、その人が想定している「答え」とかけ離れている場合、「答えていない」関係性に至っていることも懸念しています。このような不充分さを残しがちとなり、たいへん申し訳なく思っています。それでも従来通り記事本文に集中していくことを改めてご理解ご容赦くださるようよろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2016年4月 3日 (日) 07時47分
公的機関の活動は公的機関関係者らが自ら責任を以って問題なく対処すべきは当然であるにも関わらず、ためいきなどと愚痴なのか世間の同情誘い乃至はガス抜き狙いなのか、そのような内容のコメントが発せられる様からは職業公務員の生態を再確認するのみである。
などと申しましたら、厳し過ぎる意見でしょうか?
金を使うしか能がなく、気付いてみたら政府の借金が千兆円を超えている。どうしたらよいものか? そうだ!戦争でもして誤魔化してしまえ。邪魔な奴らにはついでに消えて貰おう。そうだ、それがいい。
ま、そんな感じじゃないですか? あべこべ頭の無責任ホラ吹き偽善者暴君を相手に、真面目に議論しても仕方なし。
昔から言うじゃないですか。「ぬかに釘」、「豆腐にかすがい」、「馬の耳に念仏」、「猫に小判」、「豚に真珠」。そして、「司法は警察よりも不正が多い」等々。
取り敢えず、公的機関でもリストラを実施すべきでは? 早速、文中に最適な対象者を発見致しました。これ程に簡単なことはないですね。
投稿: 通りすがり@legend | 2016年6月 9日 (木) 06時44分
通りすがり@legend さん、コメントありがとうございました。
管理人の私自身、コメント欄から距離を置きがちで恐縮です。ブログのタイトルに「ためいき」が付いていますが、ためいきや愚痴を中心にした記事内容を投稿している訳ではないことをご理解ください。
このようなレスは的外れだったかも知れませんが、いずれにしても幅広いご意見をいただける場をたいへん貴重なことだと感謝しています。ぜひ、これからもお時間等が許される際、何か気になった点などをご指摘ください。よろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2016年6月12日 (日) 06時49分
この本の記述の中にこんなのがあったなあ…罪を背負う必要はないが、日本国民である以上は後世生まれた人も含め戦争責任を負い続けなければならない。みたいなことが書かれてたと思う。
恐ろしいなって思った。この人たちは後世の人らが戦争責任に問われ続けようと仕方ないなんて言いたいのだろうか。少なくとも俺はいやだね。戦争責任?そんなのは当時のお偉方が背負うだけでいい。何も知らない俺らがそんなの背負うのは御免だ。そんなに責任を問う矛先が欲しければ墓に行って一生怒ってろって話。
こんなひどい著書を国民に読ませるわけにはいかない。って思った。あと、こんな記述がある時点でこの本は全てダメだという事も分かる。だってこんな歴史観で文章が作られているんでしょ?ダメじゃん。って心底思う。
つーか、これの著者の片方は改憲派を自称しやがってるけど実際は「護憲」とか唱えてんだよなw要するに護憲×護憲の安倍に対する陰口ってわけだ。改憲×護憲という討論どころかそろって陰口か?ここからも分かるな。この著書はデタラメだってね。はっきり言って詐欺師紛いだな。
投稿: | 2017年4月20日 (木) 22時41分
2017年4月20日(木)22時41分に投稿された方、コメントありがとうございました。
いろいろな考え方があり、紹介した書籍等に対しても評価は分かれていくものと思っています。その上で当ブログのコメント欄を通し、幅広いご意見を伺えることは貴重なことだと考えています。
これからもお時間等が許される場合、何か気になった点やご意見をお寄せいただければ幸いです。なお、その際は名前欄の記入についてご協力くださるようよろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2017年4月22日 (土) 06時45分