『「憲法改正」の真実』を読み終えて
前回の記事「民進党、中味に期待」の冒頭でもお伝えしましたが、このブログでは政治的な話題の投稿が多くなっています。以前の記事「組合の政治活動について」の中でも説明したとおり丁寧な情報発信のツールの一つとして、意識的に政治に関わる内容を取り上げている傾向があります。その一方で、日常の組合活動の中で政治的な課題が占める割合はごくわずかであり、賃金や人員確保、人事評価制度の労使協議などが重要な取り組みとなっています。
ブログでの題材の取り上げ方にギャップがあり、もちろん四六時中、政治的な問題に頭を悩ましている訳でもありません。不特定多数の方々が関心を寄せやすく、話題や論点も共通認識できるため、地味でローカルな話となりがちな日常の活動よりも政治的な題材を取り上げている側面もあります。さらに「運動のあり方、雑談放談」の中で記したことですが、不特定多数の皆さんへ「働きかける」という自分なりのささやかな運動と位置付け、このブログに向き合っています。
多面的な情報の一つとして、私自身の言葉が一人でも多くの方から「なるほど」と思っていただけることを願っています。ただ残念ながら「完全に逆効果」という指摘を受ける時も少なくありません。決して居直りではなく、そのように受けとめられてしまうことが分かる機会となり、それはそれで貴重な関係性だろうと考えています。どなたからも支持される、もしくは批判されない、そのことばかり重視し、発信内容を取捨選択したり、まして糊塗するような作文は論外だろうと思っています。
そもそも等身大の日常や発信している主張そのものが誰からも支持されないような独りよがりのものだった場合、文章以前の問題として即刻足元から見直していかなければなりません。自治労に所属する私どもの組合の活動や方針が、そのような関係性の中で客観視されていく機会として当ブログのコメント欄は本当に貴重な場になっています。私自身、自治労の基本的な方針を支持する立場の一人として、これからも厳しい批判や指摘は貴重な「提言」だと受けとめながら投稿を重ねていくつもりです。
今回の記事内容も視点や立場の異なる方々からは批判や反論が多く寄せられるのだろうと見込んでいます。『「憲法改正」の真実』という新書を購入し、たいへん興味深い内容で共感する箇所が多かったため、数日で読み終えていました。安倍首相や自民党を支持されている方々にとって不愉快に感じられる記述が散見するかも知れませんが、憲法を熟知した二人の憲法学者の言葉は非常に明解で、かつ重いものを感じ取っていました。ぜひ、機会があれば多くの皆さんにご覧になって欲しい新書です。
「護憲派」・「改憲派」に国論を二分して永らく争われてきた「憲法改正」問題。ついに自民党は具体的な改憲に力を注ぎ始めた。しかし、自民党による憲法改正草案には、「改憲派」の憲法学者も驚愕した。これでは、国家の根幹が破壊され、日本は先進国の資格を失う、と。自民党のブレインでありながら、反旗を翻したのは「改憲派」の重鎮・小林節。そして彼が、自民党草案の分析を共にするのは「護憲派」の泰斗にして、憲法学界の最高権威、樋口陽一。ふたりが炙り出した、自民党草案全体を貫く「隠された意図」とは何か? 犀利な分析を、日本一分かりやすい言葉で語る「憲法改正」論議の決定版!
上記はその新書の袖に掲げられた文章です。この新書のAmazonカスタマーレビューは現時点で星5つが8人、星1つが1人でした。星1つの方は「仲間内通しの仲良し談義」と批判されていますが、星5つの方々は「ベーシックな議論はおさえつつも、どこかで読んだなという内容ではないと感じた」「読者も一市民としての態度決定を迫られ、静かなうちにも迫力溢れた憲法を学べる本として推奨したい」「無味乾燥な学問だと思っていた法学が、こんなに生き生きとしたものだったとは!ふたりの憲法学の権威が、歴史を縦軸、洋の東西を横軸に繰り広げる議論の縦横無尽さに、ぐいぐい引き込まれた」という感想を寄せています。
著作権の問題を意識しなければ転載する労力を惜しまず、新書に綴られた内容の多くを当ブログで紹介したいものです。「憲法改正」が現実的な選択肢になろうとしている局面で、日本国憲法のこと、安倍首相らが理想視している自民党の憲法改正草案の問題点などを一人でも多くの方に考えて欲しいものと願っているからです。いずれにしても全体を網羅した紹介は難しいため、特に私自身が注目し、今回の記事を通してお伝えしたい内容に絞って掲げさせていただくつもりです。
まず東京大学・東北大学名誉教授の樋口陽一さんは護憲派の泰斗、慶應義塾大学名誉教授の小林節さんは改憲派の重鎮と呼ばれています。しかしながら立憲主義や国民主権について理解が不足している現政権、つまり憲法を破壊しようとする権力に対しては、護憲派も改憲派もその違いを乗り越えて闘わなくてはならないと語られています。とりわけ2013年4月に公表された自民党の改正草案は「憲法と呼べる代物ではない」とまで二人は言い切られています。
小林さんは30年前から自民党の勉強会に呼ばれ、「憲法は国民を縛るものではない。国家権力を管理するための最高法規である」という憲法の基本を徹底的に伝えてきたそうです。しかし、残念ながら自民党の国会議員の多くが「憲法とは何か」という基本的な認識に欠けている現状に至っていることを嘆かれていました。自民党の勉強会で、いつも「何で俺たちだけ(憲法を尊重し擁護する義務)なのだ。一般国民は守らなくていいのか」という声が示されがちだったそうです。
法律は国家の意思として国民の活動を制約するものです。国民が権力に対し、その力を縛るものが憲法です。憲法を守る義務は権力の側に課せられ、国民は憲法を守らせる側という説明を小林さんは繰り返してきました。憲法はヨーロッパなどで王政と対抗する過程で出てきた法の概念で、世界初の成文憲法はアメリカ合衆国憲法です。組織である以上、統治の責任者が必要とされ、アメリカには大統領職が設けられました。
ただ大統領も人間であり、間違いを犯す不完全な存在という人々の意識のもとに憲法が成文化されました。「権力というものは常に濫用されるし、実際に濫用されてきた歴史的な事実がある。だからこそ、憲法とは国家権力を制限して国民の人権を守るものでなければならない」という小林さんの説明に対し、以前、高市早苗議員(現・総務相)から「私、その憲法観、とりません」という反論が示されたそうです。その時、小林さんは「とる、とらないって、ネクタイ選びの話じゃねぇんだぞ」と思われた逸話も新書に綴られています。
自民党の憲法改正草案の中で「個人」が「人」に置き換わっていることを二人は問題視されています。天賦人権説と呼ばれる「人は人として生まれただけで幸福に生きる権利があり、幸福とはそれぞれが異なった個性をもっていることを否定せずにお互いに尊重しあうことで成立します」という価値観があり、その幸福の条件を国家は侵害するな、というのが憲法の要だと言われています。それに対し、自民党草案の「Q&A」の中では明確に天賦人権説を否定しています。
あえて「個人」を「人」に置き換えているのは個人主義を排し、社会の土台をつくり直そうとする思惑があるからでした。ある自民党国会議員は「国があなたに何をしてくれるのか、ではなくて国を維持するためには自分に何ができるか」という国民の義務を強調していく考え方を明らかにしています。日本国民には生まれながらにして持つ権利はなく、国に奉仕して初めて権利がもらえるという思想だと見なさざるを得ません。よく安倍首相は海外で「価値観を共にする国」という言葉を発していますが、そのあたりの整合性が疑問視されていく自民党草案の特徴でした。
新書では押し付け憲法の問題にも触れています。主権国家である大日本帝国の決断として、民主主義的傾向の復活強化、人権の補強と軍国主義の除去を終戦の条件としてポツダム宣言受諾で受け入れました。その結果、明治憲法が現在の日本国憲法に改正されました。当時の権力者にとって押し付けられたという悔しさがあったことも事実かも知れませんが、国民の大半は国民主権、人権尊重、平和主義を基本理念とする日本国憲法を歓迎したことも確かです。
岸信介政権の時、憲法学者の宮沢俊義さんが「憲法の正当性ということ」という論文を発表していました。「今の時代、生まれや素生を云々して、その人の価値を論ずることはよくないはずだ」とし、その人が成す物事を基準に考えるべきであり、つまり「はたらき」が大切であることを訴えていました。「ついこのあいだも朝鮮戦争があったけれども、憲法の規定があって兵隊を出さずにすんだ。平和国家を目指して経済に注力して、焼け野原からどんどん復興してきた」、良い「はたらき」を見せている憲法を「生まれ」にこだわって正当な憲法と言わないのはおかしい、と宮沢さんは指摘していました。
憲法9条の文言を改める必要性については二人の間に温度差があり、ここで護憲派か、改憲派に見られるのかどうか分かれていくようです。それでも憲法9条があったから少なくともアメリカの戦争に付き合わなくてすんだという認識は一致されていました。アメリカの占領下に誕生した憲法であり、「9条があるから加担できません」という日本の対応について、さすがに「憲法を無視せよ」とは言えず、9条が防波堤になってきたことを語られています。
中国や北朝鮮が怖いから、アメリカと仲良くする以外に生きる道がない、アメリカにしっかり守ってもらうためには日本もアメリカに貢献しないと助けてもらえない、そのような声高な主張があり、安保法制の論点に繋がっています。このあたりの判断は個々人の情勢認識や問題意識の相違によって大きく枝分かれしていく問題です。仮に集団的自衛権の行使を必要とした場合でも、歴代の政権が積み重ね、継承してきた憲法の解釈を一内閣の閣議決定で変更し、憲法違反の疑いの高い立法を行なったことの異常さに二人は憤られていました。
たいへん長い記事になっていますが、緊急事態条項についても触れていきます。大災害、内乱やテロなどの緊急事態に直面した時、通常の立法・行政のプロセスを無視し、瞬時に決断して国家の実力を総動員する必要性がある、これが国家緊急権と呼ばれるものです。どこの国の憲法にも明記されているという説明を耳にします。昨年11月、パリで同時多発テロ事件が起こり、フランスで緊急事態の措置が発動されました。しかし、法律を根拠にしたものであり、憲法に基づくものではありませんでした。
国家緊急権を憲法化するかどうかは、あやふやな議論で決めてはならないと二人は訴えています。権力の暴走を防ぐために手足を憲法で縛っているところを緊急の時だけ解いてしまうという立憲主義の根幹に関わる問題であることを強調されていました。もし司法が力を持たない状態のまま緊急事態条項を取り入れた場合、誰も肥大化した行政をチェックできなくなることを危惧されています。
統治の根本に関わること、あるいはきわめて政治性の高い行為について司法は判断しないという判例のある日本の場合、緊急事態条項を憲法に書き込むことは、より慎重に判断しなければならないようです。国民主権に基づく民主主義を誇示したワイマール憲法にも緊急事態条項が明文化されていました。世界恐慌などの危機に際し、大統領が緊急令を乱発し、議会の軽視が常態化され、内閣を立法者とする全権委任法に行き着いてしまいました。
3月18日の『報道ステーション』で「緊急事態条項って何?憲法改正の焦点はここ~ワイマール憲法の”教訓” なぜ独裁がうまれたのか?」という特集が組まれました。安倍政権とナチスを結び付けるような見方がされた場合、強い反発や批判を受ける時があります。安倍首相に「ナチスの手口」を学ぼうとする意図はなく、ことさら独裁や軍国主義に走ろうとする意識が微塵もないことを信じています。しかし、前述したとおり人間は間違いを犯す不完全な存在という前提で考えた時、番組の中の民主主義の基本は「法の支配」であり、良い人ばかりが首相になる訳ではないという解説に首肯しています。
キャスターの古舘伊知郎さんは「ヒトラーのような人間が日本に出てくるとは到底想定できないんですが」と何度も念を押し、一度も安倍首相の名前は発していません。それでもドイツからのリポートVTRでは、ヒトラーが経済政策と民族の団結を全面に打ち出したこと、「強いドイツを取り戻す」「この道以外にない」という力強い言葉で民衆から支持を得たこと、巧妙に言葉を言い換え、独裁を「決断できる政治」、戦争の準備を「平和と安全の確保」と表現していたことを紹介していました。
リンク先のサイトには「『報ステ』古舘伊知郎が最後の反撃!ドイツ取材で緊急事態条項の危険性、安倍首相とヒトラーの類似点を示唆」というタイトルが付いています。しかしながら古館さんの真意は「とにかく立ち止まってじっくり議論をする、考えてみるということが、この条項に関しては必要ではないか、その思いで特集を組みました」という結びの言葉に尽きているものと思っています。『「憲法改正」の真実』から少し話が横道にそれましたが、緊急事態条項を考える上で、参考の一つにすべき情報でしたので紹介させていただきました。
最後に「憲法改正」にあたり、樋口さんと小林さんの一致した見解が次のとおりです。そもそも憲法の改正を議論する際には順番があり、どのような必要があって、どのような政治勢力が何をしたいのか、国内的・国際条件のもとで、どこをどう変えたいのか、それによって賛成反対も分かれる、 これが憲法問題の本来あるべき議論の仕方だと述べられています。本当にそのとおりであり、改正に反対か、賛成かという単純な問題ではなく、どのように憲法を改める必要性があるのかどうか、多面的な情報のもとに慎重かつ丁寧な国民全体での議論が欠かせないものと考えています。
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