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2016年3月27日 (日)

『「憲法改正」の真実』を読み終えて

前回の記事「民進党、中味に期待」の冒頭でもお伝えしましたが、このブログでは政治的な話題の投稿が多くなっています。以前の記事「組合の政治活動について」の中でも説明したとおり丁寧な情報発信のツールの一つとして、意識的に政治に関わる内容を取り上げている傾向があります。その一方で、日常の組合活動の中で政治的な課題が占める割合はごくわずかであり、賃金や人員確保、人事評価制度の労使協議などが重要な取り組みとなっています。

ブログでの題材の取り上げ方にギャップがあり、もちろん四六時中、政治的な問題に頭を悩ましている訳でもありません。不特定多数の方々が関心を寄せやすく、話題や論点も共通認識できるため、地味でローカルな話となりがちな日常の活動よりも政治的な題材を取り上げている側面もあります。さらに「運動のあり方、雑談放談」の中で記したことですが、不特定多数の皆さんへ「働きかける」という自分なりのささやかな運動と位置付け、このブログに向き合っています。

多面的な情報の一つとして、私自身の言葉が一人でも多くの方から「なるほど」と思っていただけることを願っています。ただ残念ながら「完全に逆効果」という指摘を受ける時も少なくありません。決して居直りではなく、そのように受けとめられてしまうことが分かる機会となり、それはそれで貴重な関係性だろうと考えています。どなたからも支持される、もしくは批判されない、そのことばかり重視し、発信内容を取捨選択したり、まして糊塗するような作文は論外だろうと思っています。

そもそも等身大の日常や発信している主張そのものが誰からも支持されないような独りよがりのものだった場合、文章以前の問題として即刻足元から見直していかなければなりません。自治労に所属する私どもの組合の活動や方針が、そのような関係性の中で客観視されていく機会として当ブログのコメント欄は本当に貴重な場になっています。私自身、自治労の基本的な方針を支持する立場の一人として、これからも厳しい批判や指摘は貴重な「提言」だと受けとめながら投稿を重ねていくつもりです。

今回の記事内容も視点や立場の異なる方々からは批判や反論が多く寄せられるのだろうと見込んでいます。『「憲法改正」の真実』という新書を購入し、たいへん興味深い内容で共感する箇所が多かったため、数日で読み終えていました。安倍首相や自民党を支持されている方々にとって不愉快に感じられる記述が散見するかも知れませんが、憲法を熟知した二人の憲法学者の言葉は非常に明解で、かつ重いものを感じ取っていました。ぜひ、機会があれば多くの皆さんにご覧になって欲しい新書です。

「護憲派」・「改憲派」に国論を二分して永らく争われてきた「憲法改正」問題。ついに自民党は具体的な改憲に力を注ぎ始めた。しかし、自民党による憲法改正草案には、「改憲派」の憲法学者も驚愕した。これでは、国家の根幹が破壊され、日本は先進国の資格を失う、と。自民党のブレインでありながら、反旗を翻したのは「改憲派」の重鎮・小林節。そして彼が、自民党草案の分析を共にするのは「護憲派」の泰斗にして、憲法学界の最高権威、樋口陽一。ふたりが炙り出した、自民党草案全体を貫く「隠された意図」とは何か? 犀利な分析を、日本一分かりやすい言葉で語る「憲法改正」論議の決定版!

上記はその新書の袖に掲げられた文章です。この新書のAmazonカスタマーレビューは現時点で星5つが8人、星1つが1人でした。星1つの方は「仲間内通しの仲良し談義」と批判されていますが、星5つの方々は「ベーシックな議論はおさえつつも、どこかで読んだなという内容ではないと感じた」「読者も一市民としての態度決定を迫られ、静かなうちにも迫力溢れた憲法を学べる本として推奨したい」「無味乾燥な学問だと思っていた法学が、こんなに生き生きとしたものだったとは!ふたりの憲法学の権威が、歴史を縦軸、洋の東西を横軸に繰り広げる議論の縦横無尽さに、ぐいぐい引き込まれた」という感想を寄せています。

著作権の問題を意識しなければ転載する労力を惜しまず、新書に綴られた内容の多くを当ブログで紹介したいものです。「憲法改正」が現実的な選択肢になろうとしている局面で、日本国憲法のこと、安倍首相らが理想視している自民党の憲法改正草案の問題点などを一人でも多くの方に考えて欲しいものと願っているからです。いずれにしても全体を網羅した紹介は難しいため、特に私自身が注目し、今回の記事を通してお伝えしたい内容に絞って掲げさせていただくつもりです。

まず東京大学・東北大学名誉教授の樋口陽一さんは護憲派の泰斗、慶應義塾大学名誉教授の小林節さんは改憲派の重鎮と呼ばれています。しかしながら立憲主義や国民主権について理解が不足している現政権、つまり憲法を破壊しようとする権力に対しては、護憲派も改憲派もその違いを乗り越えて闘わなくてはならないと語られています。とりわけ2013年4月に公表された自民党の改正草案は「憲法と呼べる代物ではない」とまで二人は言い切られています。

小林さんは30年前から自民党の勉強会に呼ばれ、「憲法は国民を縛るものではない。国家権力を管理するための最高法規である」という憲法の基本を徹底的に伝えてきたそうです。しかし、残念ながら自民党の国会議員の多くが「憲法とは何か」という基本的な認識に欠けている現状に至っていることを嘆かれていました。自民党の勉強会で、いつも「何で俺たちだけ(憲法を尊重し擁護する義務)なのだ。一般国民は守らなくていいのか」という声が示されがちだったそうです。

法律は国家の意思として国民の活動を制約するものです。国民が権力に対し、その力を縛るものが憲法です。憲法を守る義務は権力の側に課せられ、国民は憲法を守らせる側という説明を小林さんは繰り返してきました。憲法はヨーロッパなどで王政と対抗する過程で出てきた法の概念で、世界初の成文憲法はアメリカ合衆国憲法です。組織である以上、統治の責任者が必要とされ、アメリカには大統領職が設けられました。

ただ大統領も人間であり、間違いを犯す不完全な存在という人々の意識のもとに憲法が成文化されました。「権力というものは常に濫用されるし、実際に濫用されてきた歴史的な事実がある。だからこそ、憲法とは国家権力を制限して国民の人権を守るものでなければならない」という小林さんの説明に対し、以前、高市早苗議員(現・総務相)から「私、その憲法観、とりません」という反論が示されたそうです。その時、小林さんは「とる、とらないって、ネクタイ選びの話じゃねぇんだぞ」と思われた逸話も新書に綴られています。

自民党の憲法改正草案の中で「個人」が「人」に置き換わっていることを二人は問題視されています。天賦人権説と呼ばれる「人は人として生まれただけで幸福に生きる権利があり、幸福とはそれぞれが異なった個性をもっていることを否定せずにお互いに尊重しあうことで成立します」という価値観があり、その幸福の条件を国家は侵害するな、というのが憲法の要だと言われています。それに対し、自民党草案の「Q&A」の中では明確に天賦人権説を否定しています。

あえて「個人」を「人」に置き換えているのは個人主義を排し、社会の土台をつくり直そうとする思惑があるからでした。ある自民党国会議員は「国があなたに何をしてくれるのか、ではなくて国を維持するためには自分に何ができるか」という国民の義務を強調していく考え方を明らかにしています。日本国民には生まれながらにして持つ権利はなく、国に奉仕して初めて権利がもらえるという思想だと見なさざるを得ません。よく安倍首相は海外で「価値観を共にする国」という言葉を発していますが、そのあたりの整合性が疑問視されていく自民党草案の特徴でした。

新書では押し付け憲法の問題にも触れています。主権国家である大日本帝国の決断として、民主主義的傾向の復活強化、人権の補強と軍国主義の除去を終戦の条件としてポツダム宣言受諾で受け入れました。その結果、明治憲法が現在の日本国憲法に改正されました。当時の権力者にとって押し付けられたという悔しさがあったことも事実かも知れませんが、国民の大半は国民主権、人権尊重、平和主義を基本理念とする日本国憲法を歓迎したことも確かです。

岸信介政権の時、憲法学者の宮沢俊義さんが「憲法の正当性ということ」という論文を発表していました。「今の時代、生まれや素生を云々して、その人の価値を論ずることはよくないはずだ」とし、その人が成す物事を基準に考えるべきであり、つまり「はたらき」が大切であることを訴えていました。「ついこのあいだも朝鮮戦争があったけれども、憲法の規定があって兵隊を出さずにすんだ。平和国家を目指して経済に注力して、焼け野原からどんどん復興してきた」、良い「はたらき」を見せている憲法を「生まれ」にこだわって正当な憲法と言わないのはおかしい、と宮沢さんは指摘していました。

憲法9条の文言を改める必要性については二人の間に温度差があり、ここで護憲派か、改憲派に見られるのかどうか分かれていくようです。それでも憲法9条があったから少なくともアメリカの戦争に付き合わなくてすんだという認識は一致されていました。アメリカの占領下に誕生した憲法であり、「9条があるから加担できません」という日本の対応について、さすがに「憲法を無視せよ」とは言えず、9条が防波堤になってきたことを語られています。

中国や北朝鮮が怖いから、アメリカと仲良くする以外に生きる道がない、アメリカにしっかり守ってもらうためには日本もアメリカに貢献しないと助けてもらえない、そのような声高な主張があり、安保法制の論点に繋がっています。このあたりの判断は個々人の情勢認識や問題意識の相違によって大きく枝分かれしていく問題です。仮に集団的自衛権の行使を必要とした場合でも、歴代の政権が積み重ね、継承してきた憲法の解釈を一内閣の閣議決定で変更し、憲法違反の疑いの高い立法を行なったことの異常さに二人は憤られていました。

たいへん長い記事になっていますが、緊急事態条項についても触れていきます。大災害、内乱やテロなどの緊急事態に直面した時、通常の立法・行政のプロセスを無視し、瞬時に決断して国家の実力を総動員する必要性がある、これが国家緊急権と呼ばれるものです。どこの国の憲法にも明記されているという説明を耳にします。昨年11月、パリで同時多発テロ事件が起こり、フランスで緊急事態の措置が発動されました。しかし、法律を根拠にしたものであり、憲法に基づくものではありませんでした。

国家緊急権を憲法化するかどうかは、あやふやな議論で決めてはならないと二人は訴えています。権力の暴走を防ぐために手足を憲法で縛っているところを緊急の時だけ解いてしまうという立憲主義の根幹に関わる問題であることを強調されていました。もし司法が力を持たない状態のまま緊急事態条項を取り入れた場合、誰も肥大化した行政をチェックできなくなることを危惧されています。

統治の根本に関わること、あるいはきわめて政治性の高い行為について司法は判断しないという判例のある日本の場合、緊急事態条項を憲法に書き込むことは、より慎重に判断しなければならないようです。国民主権に基づく民主主義を誇示したワイマール憲法にも緊急事態条項が明文化されていました。世界恐慌などの危機に際し、大統領が緊急令を乱発し、議会の軽視が常態化され、内閣を立法者とする全権委任法に行き着いてしまいました。

3月18日の『報道ステーション』で「緊急事態条項って何?憲法改正の焦点はここ~ワイマール憲法の”教訓” なぜ独裁がうまれたのか?」という特集が組まれました。安倍政権とナチスを結び付けるような見方がされた場合、強い反発や批判を受ける時があります。安倍首相に「ナチスの手口」を学ぼうとする意図はなく、ことさら独裁や軍国主義に走ろうとする意識が微塵もないことを信じています。しかし、前述したとおり人間は間違いを犯す不完全な存在という前提で考えた時、番組の中の民主主義の基本は「法の支配」であり、良い人ばかりが首相になる訳ではないという解説に首肯しています。

キャスターの古舘伊知郎さんは「ヒトラーのような人間が日本に出てくるとは到底想定できないんですが」と何度も念を押し、一度も安倍首相の名前は発していません。それでもドイツからのリポートVTRでは、ヒトラーが経済政策と民族の団結を全面に打ち出したこと、「強いドイツを取り戻す」「この道以外にない」という力強い言葉で民衆から支持を得たこと、巧妙に言葉を言い換え、独裁を「決断できる政治」、戦争の準備を「平和と安全の確保」と表現していたことを紹介していました。

リンク先のサイトには「『報ステ』古舘伊知郎が最後の反撃!ドイツ取材で緊急事態条項の危険性、安倍首相とヒトラーの類似点を示唆」というタイトルが付いています。しかしながら古館さんの真意は「とにかく立ち止まってじっくり議論をする、考えてみるということが、この条項に関しては必要ではないか、その思いで特集を組みました」という結びの言葉に尽きているものと思っています。『「憲法改正」の真実』から少し話が横道にそれましたが、緊急事態条項を考える上で、参考の一つにすべき情報でしたので紹介させていただきました。

最後に「憲法改正」にあたり、樋口さんと小林さんの一致した見解が次のとおりです。そもそも憲法の改正を議論する際には順番があり、どのような必要があって、どのような政治勢力が何をしたいのか、国内的・国際条件のもとで、どこをどう変えたいのか、それによって賛成反対も分かれる、 これが憲法問題の本来あるべき議論の仕方だと述べられています。本当にそのとおりであり、改正に反対か、賛成かという単純な問題ではなく、どのように憲法を改める必要性があるのかどうか、多面的な情報のもとに慎重かつ丁寧な国民全体での議論が欠かせないものと考えています。

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2016年3月20日 (日)

民進党、中味に期待

民主党と維新の党、合流後の党名が民進党に決まりました。これまで当ブログでは民主党や民主党に所属する政治家に絡む話を数多く取り上げてきています。昨年11月には「なぜ、民主党なのか?」という記事を投稿していました。その記事の中でも紹介していましたが、一昨年6月には「民主党に期待したいこと」という記事を綴っていました。

このブログは組合活動を組合員の皆さんから身近に感じてもらうためのツールの一つとして、執行委員長という肩書きを明らかにしながらも個人の責任で運営しています。同時に自治労に所属する一職員組合の活動や方針などを不特定多数の方々に発信するという目的も添えています。できれば先入観や思い込みによる批判だけは避けたいため、公務員側の言い分や組合の立場を率直に発信する場とし、等身大の組合活動の姿や日常をブログに綴っています。

その等身大の姿が批判の対象に繋がっている場合もありますが、それはそれで外部からの見られ方を把握できる貴重な機会だと考えています。批判を受けやすい論点として、公務員の組合が政治方針を掲げている現状もその一つです。取り組む意義や位置付けに関しては昨年11月に投稿した「組合の政治活動について」の中で説明してきました。いずれにしてもコソコソ隠さなければならないような問題ある活動には取り組んでいません。

さらに不特定多数の方々に発信できないような方針や活動であれば、組合員の皆さんに対しても自信を持って訴えることが難しくなるはずです。一方で、そのような方針や活動が少しでも幅広い支持を得られていくためには、より丁寧な情報発信が欠かせず、問題意識の共有化に努めていかなければなりません。以上のような関係性を踏まえ、このブログの記事に政治的な話が多くなっている経緯があります。

例えば組合が推薦している国会議員の皆さんとお会いした際、どのような意見を交わしているのかブログで取り上げています。著名な方々との親密さをアピールするような意図はなく、前述したとおり等身大の組合活動の姿や日常をブログを通して伝えてきたつもりです。これまで民主党参院議員の江崎孝さん、元内閣府副大臣の末松義規さんらが登場し、地元選挙区の衆院議員である元防衛副大臣の長島昭久さんが群を抜いた登場回数となっています。

昨年6月には「長島昭久さんとの関係」という直接的な題材の記事も投稿していました。ちなみに長島さんからは一昨年5月に投稿した「もう少し集団的自衛権の話」のコメント欄で詳しい解説を加えていただきました。昨年11月の「憲法の平和主義と安保法制」にも過分な評価を添えられたコメントをお寄せくださっていました。その記事の最後には下記のとおり実際の場面で長島さんに訴えさせていただいた新党論議に対する私自身の問題意識を書き残していました。

長島さんは「今の民主党では政権交代できない、誰もがそう思っているはず」と話されています。私自身もそのとおりだと思っています。ただ単なる看板の付け替えや数合わせの野党の再編だった場合も同様だろうと思います。民主党政権の失敗は広げ過ぎた公約の問題であり、党内のまとまりのなさが原因だったように見ています。そのため、大事なことは立憲主義や平和主義、国民の生活重視など大きな理念で一致し、自民党との違いを明確に示した軸のもとの結集が欠かせないのではないでしょうか。

野党になった自民党が、わずか数年でここまで復活することを誰も想像できなかったはずです。民主党も同じように立ち直せる可能性があるはずです。再び政権交代をめざすためには理念や目標を高く掲げる一方、具体的な政策の実現に向けては現状から一歩一歩踏み出す手順を重視することの必要性を感じています。国民受けする政策や約束を広げ過ぎず、政権を担った時の経験や教訓を踏まえた政党としての信頼感が高まるよう努力して欲しいものと願っています。


今回、記事タイトルを「民進党、中味に期待」としながら前置きのような話を長々と書き進めてきました。これから本題に繋がる内容を書き足していくつもりですが、以前の記事の中に書き残した上記の問題意識が大きく変わっている訳ではありません。期待したいことも端的に言えば上記の訴えのとおりです。立憲主義や平和主義、国民の生活重視など大きな理念で一致し、政権を担った時の経験や教訓を踏まえていくことの大切さを強く意識しています。

言うまでもなく、単なる看板の付け替えでは問題であり、大事なのは名前ではなく中味です。民主党という看板のままだった場合でも、中味の変わったことを国民にアピールできるかどうかが肝心なことだろうと考えていました。そのため、個人的には民主党のままで良かったものと思っていました。それでも新党結成に至り、党名を一新する機会となったことに反発する気持ちもありません。

あまり看板の名前にはこだわらず、自民党に対抗できる政党として中味をどのように掲げられるのかどうかを重視しているからです。率直なところ民進党という名前自体、印象が良いとも悪いとも何とも言えません。台湾の民進党(正式名・民主進歩党)の報道官は「同名の政党が増えることに親近感を覚える。祝福する」というコメントを発表していました。一方で、民進党の地方議員は「あまりうれしくはない」と本音の感想を漏らしていました。

正直なところ私自身、台湾の民進党のことに詳しくなく、国民の多くも「民進」という言葉自体に馴染みが薄いのではないでしょうか。「名は体を表す」という故事がありますが、「民進」という言葉から特に具体的なイメージは湧いてきません。「国民とともに進む」という意味をこめているそうですが、今一つピンときていません。したがって、プラスでもマイナスでもなく、心機一転、ゼロからの再出発という意味で民進党という党名は望ましい選択だったのかも知れません。

今後、日本の民進党の歩みがその言葉に具体的なイメージを上書きしていくことになります。それこそ台湾の民進党から「やはりうれしくなかった」と言われないようにプラスのイメージが高まっていくことを期待しています。そのためにも決まった限り、所属されている政治家の皆さんは個人的な不満を抑え、新しい看板の下に一致結束されることを願っています。党内ガバナンスの問題も重要ですが、もちろん綱領や掲げる政策が中味を評価するための焦点となります。

民主党は17日、両院議員懇談会を党本部で開き、維新の党と合流してできる「民進党」の綱領案と規約案の取り扱いを岡田代表ら執行部に一任することを決めた。綱領、規約案は27日の結党大会で正式決定する。綱領案では原子力政策の記述が焦点になっていた。懇談会では、原案の「2030年代原発稼働ゼロを目指す」との文言を「原発に頼らない社会を目指す」に修正することがおおむね了承された。関係者によると、労組の一部などから表現を改めるよう要請が来ていたという。【読売新聞2016年3月18日

原発ゼロは、昨年12月に両党が衆院で統一会派を組んだ際、政策合意に盛り込まれました。当初、この合意を踏まえて新綱領案も「2030年代原発稼働ゼロを目指し、あらゆる政策資源を投入する」と明記される予定でした。その後、両党内で「個別の政策を書くのは綱領にそぐわない」「2040年になったらどうするのか」と否定的な意見が相次いだため、時期などを明示しない理念的な表現に変えていました。

民主党の枝野幹事長は、新綱領案から原発ゼロを削ったことについて「基本政策の中に明確にある。法律に書くべきことを憲法に書いてしまったような話だ」と記者団に説明しています。綱領・政策検討チームで維新側責任者を務める小野政調会長も「内容的に後退した認識はない。実質的には変わらない内容だ」と強調しています。読売新聞の「労組の一部などからの表現を改めるよう要請」だけが理由ではなかったようですが、原発に依存しない社会を目指すという基本理念が変わっていないことに安堵しています。

原発に対する私自身の考え方は「原発の話、インデックス」に綴っているとおりです。確かに連合の中にも脱原発を掲げる産別と「脱原発は難しい」と考える産別に分かれています。そのような関係性を踏まえ、私自身が声をかけられる範囲の中で「結論ありき」ではない対話や懇談の機会を探ってきていました。これからも連合は民進党と支持協力関係を維持していくはずですので、よりいっそう連合内で原発に対する全体的な議論を深めていく必要性を感じています。

結党大会で新綱領が正式に発表される運びとなっていますが、昨年末に民主党と維新の党が合意した「基本的政策」がベースになるものと見込んでいます。参考までに下記に掲げてみます。国家公務員総人件費の削減に関しては今年1月の記事「給与法改正案を巡る動き」の中で、自治労の川本委員長が民主党の長妻代表代行に申し入れた経緯を伝えています。手放しで歓迎できる内容ではありませんが、「職員団体との合意を前提」という考え方が盛り込まれることになりました。

  • 【現実的な外交・安全保障】 日米同盟を深化。安保法制について憲法違反など問題のある部分をすべて白紙化。わが国周辺の厳しい環境に対応できる法案を提出。
  • 【立憲主義の確立】 幅広い国民参加で真の立憲主義を確立。地方自治など時代の変化に対応した必要な条文改正を目指す。
  • 【新陳代謝のある経済成長】 新規参入を拒む規制を改革。自由貿易を推進。同一労働同一賃金と長時間労働規制を実現。
  • 【居場所と出番のある共生社会】 格差の少ない寛容な社会を目指す。公務員について労働基本権回復まで人事院勧告制度を尊重。
  • 【2030年代の原発ゼロ】 30年代に原発ゼロを実現。原発再稼働は国の責任明確化、責任ある避難計画策定、核廃棄物最終処分場選定プロセス開始が前提。
  • 【身を切る改革】 議員定数削減を断行。企業団体献金禁止と個人献金促進の法律を制定。職員団体との合意を前提に国家公務員総人件費の2割を目標に削減。
  • 【地域主権改革】 東京一極集中を脱し、地域主権社会を実現。基礎自治体の強化を図りつつ、道州制へ移行。

冒頭でも紹介した元内閣府副大臣の末松義規さんと数日前に直接懇談する機会を得ました。末松さんは私が役員を務めている連合地区協内の2市を選挙区の一部としています。そのため、年に数回お会いする機会があり、私どもの組合も推薦している方です。つい最近、ご自身のサイトをリニューアルされ、「あなたの暮らしは良くなりましたか?」というメッセージを発しています。そのメッセージの内容をレジュメにしたペーパーをもとに意見を交わさせていただきました。

強い者をますます強くして、そこで生じた「おこぼれ」を国民に分け与える「トリクル・ダウン」の間違いなど共感するお話が多く、私からは政治の場面で的確なチェック機能を働かせるためにも新しい政党には頑張って欲しい旨をお伝えしています。ただ「民主党の猛反省としてマニフェストを徹底的に守るべきだった」という考え方には疑問を感じていました。財源確保の見通しの甘さをはじめ、広げ過ぎたマニフェストのほうに問題があったのではないかという私なりの見方を示させていただきました。

僭越にも末松さんにお伝えした私自身の問題意識として、民進党には民主党の反省と教訓を踏まえ、個別の具体的な政策がポピュリズムに走り過ぎないように留意して欲しいものと願っています。「身を切る改革」の国家公務員総人件費の2割削減一つ取っても、多くの国民から喝采を受ける政策かも知れませんが、実際に削減するためには高いハードルがあります。そもそも人材確保や士気の面などから、そのような政策を目玉にすること自体望ましいものとは考えていません。

民進党には理念や目標は高く掲げ、具体的な政策の実現に向けては現状から地道に一歩一歩踏み出す手順や丁寧な手続きを重視する政党になって欲しいものと強く願っています。現憲法に対する評価、立憲主義への理解度、原発依存からの脱却など大きなテーマで自民党との違いを民進党は選択肢として示せるはずです。今のところ民進党への期待が高まる兆しは見えませんが、今後、民進党という党名の認知度を高めながら中味が期待されていければ支持率も上向きに転じていくのではないでしょうか。

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2016年3月12日 (土)

安倍首相の改憲発言

新年度からの職員配置増減の課題での労使交渉、前の週の木曜は深夜3時に及んでも解決できず、週を越えて協議を継続していました。昨日金曜は翌土曜の明け方まで労使交渉を重ねました。金曜夜に催された定年退職を迎えられる方の送別会を残念ながら欠席することになり、徹夜を辞さない労使交渉に集中しました。

空が明るくなった頃、最後は市側の交渉責任者である副市長と私との1対1の折衝を持ち、最低限、押し通すべき組合側の主張を認めさせることができました。職場によっては組合員の皆さんの思いや要求に充分応えることができず、徒労感や安堵感が交錯した交渉結果であり、寝不足の心身へのダメージを決して和らげられるものではありませんでした。

木曜の夕方は交渉が入らなかったため、三多摩平和運動センターが呼びかけた駅頭宣伝行動に参加しました。戦争をさせない1000人委員会が取り組んでいる「戦争法廃止を求める統一署名」の宣伝活動でした。私にもマイクを持つ順番が回り、このブログに綴っているような内容を中心に駅頭を行き交う方々に訴えさせていただきました。

「安倍首相が戦争をしたがっているとは考えていませんが、昨年9月に成立した安保法制には様々な問題点があるのではないでしょうか」という他のメンバーの訴え方とは少し異色な論点提起だったかも知れません。持ち時間に余裕があると思って話し続けていたところ司会の方から「そろそろ」という合図を受けてしまい、あわてて話を切り上げることになりました。

マイクを持っていない時間はチラシを配っていました。昨年、安保法案の成立に多くの皆さんが反対していたことは間違いありません。しかし、今回の駅頭でのチラシの受け取りは極めて芳しくありません。もともとティッシュペーパーの配布と異なり、チラシだけの受け取りは芳しいものではありません。それでも安保法制に対する関心の低さやチラシを配る私たちが浮いた存在になっているような現状を感じ取る機会に繋がっていました。

さて、前回記事「精神的自由と経済的自由」のコメント欄では日本国憲法を巡る意見や情報提供が数多く寄せられました。私自身のとらえ方は前々回記事「セトモノとセトモノ、そして、D案」に綴ったとおりですが、憲法9条さえ護れば平和が維持できるとは思っていません。専守防衛を厳格化した日本国憲法の平和主義を重視し、その平和主義の効用こそ強調すべきものと考えています。

集団的自衛権が行使できない「特別な国」 だったからこそ、アメリカ軍と一緒に自衛隊が戦場に立つことはなく、日本の平和主義の効用とも言えるブランドイメージを培ってきたことも確かだろうと思っています。このように端的に書いてしまうと真意が正確に伝わらない恐れもありますが、これまで数多くの記事を通して平和の築き方安全保障のあり方について自分なりの「答え」を綴ってきたつもりです。

さらに改正条項の96条があるのですから大多数の国民から賛同を得られた場合、憲法9条が改められる可能性を残していることも覚悟しています。改めた後、今まで通りで何も変わらないのか、有益だったのか、致命的な間違いだったことに気付くのか、改めた先にどのような未来が待っているのか分かりませんが、すべて国民一人ひとりの責任と判断だろうと考えています。

ただ改憲の是非に対する論点が隠されたり、もしくは曖昧なまま国政選挙が行なわれるような事態は決して望ましいものではありません。国会の勢力図が変わった後、国民投票という直接的な是非を問う場面があることも承知しています。それでも初めて改憲という重要な局面を迎えるかどうかについては、与野党問わず各政党が真正面から争点にすべきものと思っています。

安倍晋三首相は2日の参院予算委員会で、憲法改正について「私の在任中に成し遂げたい」と明言した。首相の自民党総裁任期は2018年9月まで。夏の参院選で自民、公明両党に一部野党も加えた勢力で改憲発議に必要な3分の2以上の議席を確保することに強い意欲を表明。首相は衆参同日選も視野に、参院での改憲勢力の拡大を目指す考えだ。

首相は「自民党は立党当初から党是として憲法改正を掲げており、私は党の総裁だ。先の衆院選でも訴えているわけであり、それを目指していく」と強調した。そのうえで「自民党だけで3分の2以上を獲得することは、ほぼ不可能に近いだろう」と指摘。「与党、さらには他党の協力も得なければ難しい」と述べた。民主党の大塚耕平氏への答弁。

国会が憲法改正を発議するには衆参両院で3分の2以上の賛成が必要で、衆院では既に自民、公明両党で3分の2以上を確保している。参院でも与党だけで確保するには夏の参院選(改選数121)で86議席の確保が必要だが、これは大勝した13年の前回選挙(76議席を獲得)を上回る必要がある。

このため、首相は1日の衆院予算委で「おおさか維新も(改憲案を)一部示している」と指摘。憲法改正に前向きなおおさか維新の会などに呼びかけ、野党も加えた改憲勢力の結集を進めていく考えだ。首相は年明けから憲法改正に踏み込んだ発言を繰り返してきた。1月21日の参院決算委員会では「いよいよ、どの条項を改正すべきかという現実的な段階に移ってきた」と述べた。

2日の参院予算委では具体的な改憲項目に関する言及は見送ったものの、首相は最初の改憲項目として、大規模災害などを想定した「緊急事態条項」を創設することが念頭にある。自民党は党則で総裁任期を連続2期6年までと規定している。首相は既に再選を果たしているが、党内には中曽根康弘元首相以来となる任期の延長を支持する声もある。

参院予算委ではまた、中谷元防衛相が自民党の憲法改正草案で自衛隊を「国防軍」と位置付ける規定について「一定規模の人口の国家で軍隊を保持していないのは日本だけだ。独立国家が独立と平和を保ち、国民の安全を確保するため軍隊を保有するのは世界の常識だ」と説明した。【毎日新聞2016年3月2日

最近の国会質疑の中で、上記の報道のとおり憲法に絡む安倍首相の大胆な発言が目立っています。 安倍首相は具体的な改憲項目に関する言及を避けたようですが、中谷防衛相は自衛隊を軍隊に変える必要性を明言していました。そもそも安倍首相も先月の衆院予算委員会の中では下記の報道のとおり「戦力の不保持」を宣言した憲法9条を問題視し、現行憲法について「占領時代につくられ、時代にそぐわないものもある」と発言しています。

衆院予算委員会は3日、安倍晋三首相と全閣僚が出席して平成28年度予算案に関する基本的質疑を行い、実質審議入りした。首相は戦力の不保持を宣言した憲法9条2項について「7割の憲法学者が自衛隊について憲法違反の疑いを持っている状況をなくすべきではないか、という考え方もある」と述べ、改正の必要性に言及した。自衛隊については「60年以上にわたり国内外で活動を積み重ね、いまや国民の支持は揺るぎない」と強調した。

さらに、現行憲法について「占領時代につくられ、時代にそぐわないものもある」と指摘。その上で「私たちの手で変えていくべきだとの考えの下で自民党の憲法改正草案を発表した。国会は発議するだけで、決めるのは国民だ。国会が国民に決めてもらうことすらしないのは責任の放棄ではないのか」と述べ、改めて憲法改正に前向きな姿勢を示した。具体的な改正内容については「国民の理解が不可欠だ。国会や国民的な議論と理解の深まりのなかで、おのずと定まってくる」と述べた。【産経新聞2016年2月3日】 

安倍首相の紛れもない本音であり、このような本音を発しても現在の選挙戦の構図においては「絶対負けない」という驕りがある表われなのかも知れません。この発言に対して「九条の会」は緊急アピールし、「9条の意義を正面から否定する考えの持ち主」と批判していました。一方で、安倍首相の改憲発言を真っ当なものと受けとめ、諸手をあげて賛意を示される方々も多いのだろうと見ています。

いずれにしても精神的自由の実効性を確保するためには、このような一連の発言をメディアがもっと大きく取り上げ、論点を明確化していく必要があります。憲法9条を改め、日本国憲法の「特別さ」を否定し、「普通の国」になることの是非を国民全体で考えていくためにはメディア等から多面的な情報の提供が欠かせないはずです。最後に、自民党の山東元参院副議長は下記のとおり発言していますが、ぜひ、争点隠しに繋がるような姑息なことは謹んで欲しいものと願っています。

自民党の山東昭子元参院副議長は4日の党役員連絡会で、安倍首相が首相在任中の憲法改正に意欲を示したことについて「首相の思いは分かるが、参院選を前にして不適切だ」と批判した。参院選で憲法改正が争点になれば、自民党に不利に働くとの懸念を示したものだ。山東氏は「子育て支援策など、自民党の良い取り組みの効果が全部消えてしまう。選挙はますます厳しくなる」とも語った。これに対し、同じ会合に出席した同党の谷垣幹事長は「今までの選挙でも憲法改正を公約に掲げている」と取りなし、首相の姿勢に理解を求めた。首相は2日の参院予算委員会で「(憲法改正を)在任中に成し遂げたい」と述べた。【読売新聞2016年3月4日

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2016年3月 6日 (日)

精神的自由と経済的自由

用語の解説や紹介した人物のプロフィールなど、このブログの記事本文中には他のサイトにすぐ飛べるリンクを数多くはっています。最も多いケースは以前投稿した記事へのリンクです。新規記事に綴っている内容の補足として、できれば以前の記事もご覧になっていただければと考えているからでした。それぞれ文字の色はピンクで、下線が引かれ、クリックするとリンク先に飛びます。ちなみに戻った時、その文字の色はブルーに変わっています。

リンクをはる習わしはブログを始めた頃からの自分自身のこだわりでした。文章が長く、文字ばかりのサイトですので、カラーの文字を加えることで少しだけ画面上にアクセントが付くような配慮も意識しています。唐突にどうでも良いような話から入ってしまいましたが、記事本文中のリンクをクリックされる方はそれほど多くないものと思っています。前回記事「セトモノとセトモノ、そして、D案」の中に「精神的自由が経済的自由よりも憲法上優越的地位を持つ」と記し、優越的地位に他のサイトに飛べるリンクをはっていました。

そのリンク先のサイトを閲覧すると精神的自由と経済的自由について、ある程度理解できるようになっています。はるか昔、清水睦先生から憲法の講義を1年間受けていましたが、私自身は正直なところ精神的自由と経済的自由のことをよく知りませんでした。部屋の書棚に当時の書籍が眠っていましたので、本当に久しぶりにホコリをはらいながらパラパラめくってみました。探し方が不充分なのかも知れませんが、索引をはじめ、その二つの言葉は清水先生の著書『憲法』には見当たりませんでした。

自分の浅薄さや不勉強ぶりを棚に上げる形になりますが、精神的自由と経済的自由という言葉はあまり馴染み深いものではないように受けとめています。そのような訳で新規記事のタイトルを「精神的自由と経済的自由」としましたが、受け売りの言葉で説明するよりも手っ取り早く前回の記事本文中にリンクをはったサイトの内容の一部をそのまま紹介させていただきます。

憲法において表現の自由や信仰の自由などの「精神的自由」が、財産権や営業・契約の自由のような「経済的自由」に対して優越的地位にあると解される理由は、精神的自由が維持されていれば、仮に統治権力によって経済的自由が侵害されたとしても、われわれはその事実を知ることができ、またそれを批判したり、それを投票行動によって改めさせたりすることが可能だが、精神的自由が侵害されれば、われわれは統治権力に対してそれを改めさせる機会を失うばかりか、そもそも自分たちの権利が侵害さていることを知ることさえできなくなる恐れがあるからだ。

そうした理由から、裁判所は合憲性を判断する際、統治権力による精神的自由に対する制約を、経済的自由に対する制約よりもより厳しい基準で判断する。これが二重の基準論と呼ばれ、表現の自由などの精神的な自由が経済的自由より憲法上優越的地位を持つと言われる所以だ。もしも安倍首相をはじめ、政権の主要閣僚にこの「精神的自由の優越」や「二重の基準」に対する基本的な理解が欠けていれば、つまり政府による精神的自由に対する制約と経済的自由に対する制約には差異がなく、その両者を同等のものと考えているのであれば、昨今の首相や高市早苗総務相の誤った放送法の解釈の理由は容易に理解できる。

つまり現政権が、言論機関である放送局に対する権力の行使を、例えば営利主義に走った結果、不正な建築を行った建築業者や、偽装表示をしたり食中毒を出した食品メーカーに対する行政処分と同等のものと捉えているのであれば、その政権にとっては放送局にだけ介入しない理由がないことになる。しかし、停波を含めた放送局の表現の自由を制限するような行政処分に対しては、この表現の自由の優越的地位に基づいて厳しい違憲審査基準が適用されることを知っていれば、それが憲法違反と判断される可能性が非常に高いことは容易に理解できるはずだ。

安倍政権がその高いハードルを承知の上で、放送局への介入を繰り返しているのか、あるいは介入する際に、停波などの行政処分までは行わず、行政指導にとどめておけば、違憲審査の対象とはなりにくいことを知った上での確信犯的なものなのかは、定かではない。しかし、政権のトップに立つ安倍首相自身が、表現の自由という価値に対する理解を根本的に欠いていることが露わになった以上、われれれは今後、安倍政権による表現の自由への介入にこれまで以上に警戒心を持つ必要があるだろう。

リンク先のサイトはVIDEO NEWSで「安倍政権が放送局への介入を躊躇しない理由が判明した」というタイトルが付けられています。精神的自由と経済的自由の関係や、そうした自由を保障しつつも、いかにして放送局の公共性を維持していくべきかなどをジャーナリストの神保哲生さんと社会学者の宮台真司さんが議論していました。参考までに「二重の基準論」が説明されている弁護士ドットコムや「憲法をわかりやすく」というサイトのリンクもはっておきます。

前回の記事でも触れたとおり最近、メディアの中立性が取り沙汰されています。現政権を支持するメディアは中立で、反論を加えるメディアは中立ではない、そのような極端な動きが論外であることは言うまでもありません。今回、紹介したサイトの内容のとおり現政権は表現の自由に対し、意図的なのか、自覚が不足しているのか、 メディアが自己規制してしまうような振る舞いも目立っています。

そもそも安倍首相は「(出演した報道番組の中で)私の考えをそこで述べるのは、まさに言論の自由だ」と言い切っています。この件で国会質問を受けた際、安倍首相は「番組の人たちは、それぐらいで萎縮してしまう。そんな人たちなんですか? 情けないですね」という反論を加えています。表現の自由や言論の自由は国民に与えられている権利であり、権力者である安倍首相はそれらの権利を保障させていかなければならない立場です。

安倍首相も国民の一人ですから「私にも言論の自由がある」という主張も分からない訳ではありませんが、自分自身が権力者であるという理解不足を露呈させているように見受けられてしまいます。立憲主義を知らなかった首相補佐官がいましたが、「憲法は権力者が守るべき最高法規」であることは一般的に知れ渡っているように思っています。以前の記事「改憲の動きに一言二言」の中では早稲田大学の水島朝穂教授から立憲主義の考え方や自民党改憲草案の問題点などを伺った話を書きしるしていました。

水島教授の講演で改めて認識を深めた話として、あくまでも憲法は政治権力の専制化や恣意的な支配を制限するもので、国民が守る決まりではなく、権力者が守る決まりであるという点です。そのような根本的な理念が的確に押さえられず、憲法改正の議論が前のめりになるようであれば、立憲主義を軽視した動きとなることを水島教授は危惧されていました。さらに自民党の改憲草案は「権力にやさしい憲法」に繋がる箇所が随所に目立っている点も指摘されていました。

占領下に押し付けられた憲法だと反発し、「憲法改正」を党是としているため、現憲法を軽視しがちな政治家が特に自民党に多いようです。憲法第99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」をどのように考えているのか疑問に思うような発言を耳にする時が少なくありません。最近の国会質疑の中では「改憲、在任中に」をはじめ、憲法に絡む安倍首相の大胆な発言が目立っています。

精神的自由の実効性を確保するためには、このような一連の発言を報道機関はもっと大きく取り上げ、論点を明確化すべき責務があるように感じています。実は今回の記事、安倍首相の改憲発言を主題にした内容の投稿を考えていました。いつものことですが、前置き的な入り方のつもりだった「精神的自由と経済的自由」の話が予想以上に広がり、ここまでで相当な長さの記事となっています。そのため、たいへん重要なテーマですが、安倍首相の改憲発言に関する内容は次回以降の記事に送らせていただきます。

最後に、安倍首相も精神的自由と経済的自由という言葉について、よく理解されていなかったようです。立憲主義を知らなかった事例に比べれば、あまり問題視できないように思っています。しかし、「いずれにせよ、そうしたことを今、この予算委員会で、私にクイズのように聞くこと自体が、意味がないじゃないですか」とイライラした切り返しは最高権力者の資質として適切なのかどうか疑問を残し、最近の記事「予算委員会の現状」の最後に記したとおり意味があるのかどうかも国民が評価していくことになるはずです。

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