『安倍晋三「迷言」録』を読み終えて
新書『安倍晋三「迷言」録』を読み終えました。著者は朝日新聞の記者である徳山喜雄さんです。朝日新聞の記者だと言った途端、色眼鏡をかけて見てしまう方も多いのかも知れません。いわゆる左や右の立場に関わらず、前回記事「北朝鮮の核実験 Part2」の冒頭に記したとおり「安倍首相は戦争をしたがっている」と決め付けてしまうような思い込みによる論法は避けなければなりません。
ただ事実は事実として正確に把握し、最も冷静で的確な判断を迫られる内閣総理大臣、そのポストに座る方の振る舞いや資質は公正に評価すべきものと考えています。批判のための批判ではなく、幅広く多面的な情報の一つとして当ブログの新規記事で取り上げながら、いくつかの論点提起に繋げていければと考えています。ちなみに同じような趣旨のもと少し前に「イライラ答弁が目立つ安倍首相」という記事も投稿していました。
「早く質問しろよ!」「国民の理解が深まっていない」「全く正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから」 政治家に失言や暴言はつきものだが、かつてこれほど「迷言」を吐く首相がいただろうか。自分に対する批判は「レッテル貼り」「デマゴーグ」。一方で自らが発する暴言は「言論の自由」。安保法制、戦後70年談話などをめぐる「アベ流言葉」を通して政治・言論状況を読む。
上記はその新書の袖に掲げられた文章です。以前の記事「改めて言葉の重さ」の中で、人によってドレスの色が変わるという話題に接した時、安倍首相のことが頭に思い浮かんだ近況を綴っていました。見る人によって、ドレスの色が白と金に見えたり、黒と青に見えてしまうという話を紹介し、安倍首相に対する評価や見方も人によって本当に大きく変わりがちなことを書き残していました。
この新書のAmazonカスタマーレビューも星5つか星1つに分かれ、中間の2つから4つがありません。「『迷言録』という題名から受ける印象よりも、中味は濃く読みごたえがありました」「実に爽快で的を得ている内容です」と絶賛する感想が示されている一方、「☆一つつけるのもはばかられる。安倍総理の名を使わないと本も出せないのか。人の褌で相撲を取るとはこのこと」という酷評も掲げられています。
今回の記事タイトル「『安倍晋三「迷言」録』を読み終えて」を目にした時、やはり人によって印象は大きく分かれていくのかも知れません。安倍首相を支持されている方々を刺激し、あえて不愉快にさせるようなタイトルは避けることも考えました。特に書評を目的にした記事内容ではないため、書籍名を使わないタイトルも少し考えてみました。結局、そのあたりは過剰に意識せず、最も今回の内容を分かりやすくするタイトルに至っています。
さて、カスタマーレビューの感想にも示されていたとおり安倍首相の数々の「迷言」の紹介にとどめず、安保法制やメディア報道のあり方など多岐にわたる論点が提起された新書でした。そもそも「迷言」という言葉自体に反発される方も多いのかも知れません。「私は総理大臣なんですから」という一例も、違和感を抱く人、何の問題もなく「迷言」とは思わない人、それぞれ受けとめ方が分かれているはずです。
前者の方々が読めば「なるほど」と首肯する箇所が多く、後者の方々が読めば不愉快に感じる箇所が多い新書だろうと思っています。それでも冒頭に述べたとおり決して批判のための批判ではなく、実際に安倍首相が発した言葉を検証することで一国の「最高責任者」の思惑や資質を問うという著者の意図を受けとめています。今回、そのような内容を少しだけ紹介し、最後のほうで最近の話題に対して思うところを添えさせていただくつもりです。
まず国会の委員会中に安倍首相は閣僚席から「日教組、どうするの!」、別な日には「早く質問しろよ!」というヤジを飛ばしていました。前代未聞の珍事であり、首相の品格を大きく失墜させる信じらない行為を重ねていました。このような不規則発言は誰もが「迷言」、あるいは「暴言」と認めざるを得ないのではないでしょうか。
「日教組、日教組!」と連呼したヤジは安倍首相の事実誤認が背景にあった悪質さも指摘されています。さらにネトウヨと呼ばれる人たちが好んで使う「反日」「在日」など罵倒の言葉を思わず連想したという声が、その新書には添えられていました。本来は内閣が倒れるような問題だったのにも関わらず、取り上げ方の大きさが新聞によって異なり、とことん突き詰め切れなかった野党の不甲斐なさも記されていました。
続いて、人によって見方が分かれそうな「迷言」です。国会審議において安倍首相は「我々が提出する法律についての説明はまったく正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから」と「断定口調」で発言していました。「戦争に巻き込まれることは絶対にない」「徴兵制はまったくあり得ない。今後もない」など、その新書には安倍首相が「断定口調」で発言している問題を随所に取り上げていました。
東京オリンピック招致に向けた演説で安倍首相は福島第一原発事故の「状況はコントロールされており、東京にダメージは与えない」と言い切っていました。それに対し、新書では「ふざけんじゃない。原発をコントロールできないから、汚染水にこんなに苦しんでいるんじゃないか」と憤る福島県相馬市の漁業者の声をはじめ、東京電力の技術顧問の「今の状態は、コントロールできていないと我々は考えています」という見方が紹介されています。
「汚染水は垂れ流し状態なのに、他の言い方はできなかったのか。その場しのぎの発言だ」という声も紹介されていましたが、そのとおりだと思います。このブログの記事でも取り上げてきていますが、安倍首相は必要以上に強い言葉で語りがちな点があります。そのような問題意識が一致していたため、私自身、この新書に掲げられた事例の多くは首肯する内容でした。
そもそも「まったく正しい」と言われてしまえば議論が成り立ちません。また、安倍首相が「戦争法案という批判はまったく根拠のない、無責任かつ典型的なレッテル貼りだ」とし、批判されると「レッテル貼りだ」と他者を批判することの多さが紹介されています。多くの国民が反対の声をあげる中、安保法案を強引な手法で採決した後、安倍首相は「国民に丁寧に分かりやすく説明していきたい」と発言していました。
この発言に対し、法政大学の杉田敦教授が「説明とは、決める前に、合意形成のためになされるものでしょう。自らの結論をただ押し付けることを、安倍さんは説明と言っている」と指摘していたことが掲げられていました。このような事例から安倍首相が自分自身の「答え」は絶対正しく、他者の批判は見当外れだと決め付けがちな傾向を感じ取っています。ここで、著者が最も提起したかった点だろうと思う箇所をそのまま掲げさせていただきます。
代表民主制のある種の欠陥は、選挙で衆参両院の多数派を占めれば、次の選挙まで政権党は強行採決という手法をとれば、なんでもできてしまう。いまの自民党のように党内にこれといった反対勢力がなければなおさらである。安倍首相はまさにこの「代表民主制の欠陥」を逆手にとって、合意する道を投げ出した分断・対決型の劇場政治を断行、限りなく「独裁」に近い治政をおこなっているのである。
そして、その最大の武器が「断定口調」「レトリック」「感情語」という「アベ流言葉」である。合意することを放棄しているので、反対勢力を説得する必要はなく、分断し対決する状況をつくるための言葉であればいいのである。政策と民意のずれは各種世論調査が物語っている。安倍首相の発する言葉を引き金とした「政権の暴走」を止める手立てはないのだろうか。
その新書には上記と同様な趣旨の記述が他にも記されています。そのため、著者が「最も提起したかった点」という私の見立ては、それほど間違っていないものと思っています。ただ上記の内容は私自身の問題意識と必ずしも一致していません。些細なニュアンスの違いなのかも知れませんか、安倍首相自身は意図的に分断・対決型の劇場政治や「独裁」に近い治政を行なっていないものと見ています。
数々の発言の問題性は著者とほぼ同じ認識ですが、安倍首相の意図に関する見方は異なっているようです。安倍首相が正しいと信じている「答え」に照らし、様々な言葉を発し、政策や方向性に対する判断を重ねているものと思っています。その上で、前回記事に記したとおり思い込みによる論法は避け、それらの言葉や判断が望ましいものだったのかどうかを問うていかなければならないはずです。
いつものことですが、長い記事になっています。前述したとおり最近の話題に関しても少し触れるつもりでした。中途半端な頭出しは控え、最後に今回紹介した新書に掲載されていた記述内容に絡む憲法観の問題に絞り、端的に取り上げさせていただきます。先日、安倍首相は予算委員会で「占領時代に作られた憲法で時代に合わなくなってきている」と答弁(長谷川豊公式ブログ「2月3日の安倍総理の予算委員会答弁について」参照)していました。
今回紹介した新書の中に「憲法を戦後、新しい時代を切り開くために自分たちでつくったというのは幻想だ」という安倍首相の言葉が掲げられていました。そのため、予算委員会では安倍首相の本音が示されたようですが、たいへん重大な発言であるのにも関わらず、それほど大きな注目を集めていません。それ以上に話題性のある報道が続いていたからでしょうか。
今回、記事の最後に付け加える形になりますが、きっと言葉や内容を補足する機会が必要になるものと考えています。ここでは新書に掲げられていた「押し付け憲法」論を反証する記述を紹介します。「GHQ案には西欧の人権思想だけでなく、明治の自由民権運動での様々な民間草案や、その思想を昭和に受け継いだ在野の『憲法研究会』の案など国内における下地もあった」
「後に憲法制定過程を検証した内閣憲法調査小委員会は報告書(1961年)で、『憲法研究会案は、GHQ案の作成に当たって相当の程度において参照されたことは明らか。日本国内における憲法改正問題の動向に注意を払いつつ起草に当たったことの一つの現れ』との分析を載せている」という説明があり、制定過程に詳しい五百旗頭真・前防衛大学校長の「半世紀以上も歩んできた中で制定の経緯を最重要視するのは滑稽だ」とするコメントも載せていました。
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コメント
> 「我々が提出する法律についての説明はまったく正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから」
エッ、冗談ではなくて、ホントにこういう発言があったのですか?
と思って、動画を確認すると、確かに斯く発言されてるように聞こえますね、音声が。
内閣が国会に提出するのは「法律案(法案)」であって、「法律」では決してない。立法権は国会にしかないから。
「法律についての説明」ではなく、「法律案についての説明」でなければいけなくて、この違いは大きい。
その一点でもって、これはダメでしょう、擁護できないです。字義通りに受け止めるなら、迷言ということで宜しいのではないでしょうか。
咄嗟に言い間違えたとしても、審議の段階で「提出した法律」って意識をもつのは気が早いでしょう。法案と法律の区別はやはり大事ですので。
ただ、内閣として国会に提出する法律案について、最終的に内閣総理大臣が(内閣の長として)責任を持つのは事実ですしね。
したがって、内閣提出法案について、”内閣における、法案についての内容(解釈や意図)の説明”は、やはり内閣総理大臣の説明が内閣を代表する見解と考えざるを得ないという面もあるかと。
そういう意味では、総理としての発言が、(法案提出者である)内閣としての見解に間違いないってのは、全否定はできないかなと。個人的には、印象が良くない発言ですけれども。担当大臣の立場もあるので。
ご紹介の書籍は未読ですので、改めて読んでみることにしたいと思います。
投稿: あっしまった! | 2016年2月14日 (日) 17時50分
委員会の発言や珍言については、確かに眉をひそめることはあります。
特に、議事録が公式発言となる国会では、ヤジについて「~~の声あり」くらいしか公式記載されないものですから、あれはわざと言ってるのかなぁと思うことはあります。
予算委員会審議などにおいても、別の委員会審議でやればよいようなことをわざわざテレビ中継があるからといって、あんまり予算内容とは関係がなくて、細かすぎる質問を出すような風潮も、あまりよくないのかなと。後援会の人は見ていたりしますからね。パフォーマンスなんですかね。推測です。
特別委員会等でも本来、場外乱闘程度のことを貴重な審議時間を使って、ねちねち質問されれば、いい加減にしてほしいというミスターAの心理状態もわかりますけどね。
珍言の多かった首相もいましたし、手癖の悪かった首相もいらっしゃいましたが、雑談さえもすべてが「公式発言」と同じようなことになってしまうような現代が、少々、神経質っぽくて、病んでいるような気がします。気がするだけですけれども。
投稿: でりしゃすぱんだ | 2016年2月14日 (日) 21時31分
あっしまった!さん、でりしゃすぱんださん、コメントありがとうございました。
過去、安倍首相以外に国会でヤジを飛ばした総理大臣がいたかどうか改めてネット検索してみました。吉田茂元首相がバカヤローとつぶやき、解散になった事例が有名ですが、それ以外見つかりませんでした。
逆に昨年8月21日、民主党の蓮舫代表代行の質問中に「まあいいじゃん、そんなこと」と安倍首相がヤジを飛ばしていたことを思い出す機会となりました。蓮舫代表代行の抗議を受け、鴻池祥肇委員長から「自席での発言は控えてほしい」と注意され、すぐ発言を撤回していました。
前代未聞の珍事を一人の首相が繰り返していることにあきれ果ててしまいますが、それでも支持率が過半数前後で推移している現状も非常に悩ましい話です。野党の不甲斐なさがあり、もっと安倍首相に緊張感を持たせられるような政治的な構図が築かれて欲しいものと願っています。
投稿: OTSU | 2016年2月14日 (日) 22時11分
今日の予算委員会を冒頭から一時間ほど中継をみていました。
あの場は「予算」委員会なんです。28年度予算のナカミに関することは、今日に限ってみてもまるで出ていない。
政府が予算の政府原案を毎年クリスマスごろに仕上げますが、そのナカミに関することなんて、まったくやらない。他の委員会でやることも、政府全体にかかわるような項目は予算委員会でやるのがホンスジだと思うのです。
アマリ前大臣とかの問題は、よそでやってもいいんです。やったことはご本人が大筋認めていらっしゃるので、細かいところはアレですが、重箱のスミをつつかれると、政権与党からむちゃくちゃな返り血をあびることもあるのではないかと思っています。
放送法の規定も、4条が問題なら、改正案を出したらいいんです。議員立法もしない。
電波法には政府転覆をナミに載せたら処罰するような規定もあります。それらは、言論の自由とかの話でなくて、公共の福祉で語られるようなことであって、来年度予算になんの影響があるのかよくわからないところではあります。
鬼の首を取ったように、言葉狩りや、今日は音声データをマスコミに流した某会派ですが、返り討ち覚悟なんだろうと思っています。鼻息が荒すぎやしませんか。
特別職であっても公務員の不正については、ただすべき。これはそのとおりですが、政策案のことは政策案で応酬するのが本来とするならば、場が違っている。
あとは、日本人らしい言葉ですが、品格のある態度も国家の最高意思決定機関たる国会の中にいる人に求められるのは当然だと思います。
ならば、政権与党だけでなく、野党においても、舌鋒鋭いのはよしとしても、どうも勉強不足で、言葉の端を取って喜んでいる人たちがいる。枝葉末節、些末もいいところです。
国民の大多数は、刺激的な政治、ドラスティックな政治を求めていますが・・・パラダイスを求める人もいます。しかし、品性下劣までは求めていません。それは排除すべきことで、自分でやめてしまうような方はおいておいても、追及する側がお下劣では話になりません。
OTSUさんに申し上げても仕方がないのですが、労組によっては、伝統的に管理者と対等だからといって、暴言にならないような下品な言葉で交渉してみたりしていますよね。
某会派はそういうことをしているのではないか、そういうことをやっておきながら、支援組織の人々は、政権与党の人のひとりごとやスタイルを批判しても、あまり意味がないように思われるのです。
投稿: でりしゃすぱんだ | 2016年2月15日 (月) 22時05分
まぁその、
「特別会計の闇」云々をウリの一つにして、一度は政権を執った政党がですよ、「予算」委員会でこの状況では、「歳費の分は仕事してくださいよ、何遣ってるんですか。」位のことは思いますね。
「特別会計だって、予算委員会の議案」なんですよ。
昔(政権交代前)から、マトモに予算委員会で予算審議しないで「特別会計は不透明だ」とか言っておられた訳ですけど、「職務遂行能力の低さ・職務怠慢ぶりを公言してるだけ」だと思うんですよね。
それが受けて票が集まる・一度は政権の座につくことができたのは、有権者もどうなんだろう?と思わなくもないですが、だからといって、民主党さんが今のままで良いとはならない。
甘利氏のことは政倫審で、放送法のことは総務委員会で、それぞれおやりになれば良い。後者は、放送法の改正案を創って、総務委員会に提出すれば良いでしょう。
いくら予算委員会は中継があるからアピールになるとはいえども、「歳費の分は、マトモに仕事したらどうですか?」感があるですよ。
「審議の過程で批判することはあるでしょう。審議をすることが目的であれば批判的な意見を述べることは当然です。でも、批判する事が目的になって議案(予算案)が全く見向きもされないる現状では、事実上の職務放棄」でしょう。
支持団体も諌言された方が良くないですか?
自民党さんが最良とは思わないけど、民主党さんが最悪すぎて、結局自民党が残るんですよ。
※※「睡眠障害」云々発言は、ちょっと許せんですね。重度の睡眠障害でアレコレ薬剤を試し、薬剤が効いてフラフラになりながらも、良い結果が得られずに、真面目に生命の危機を感じた人間としてはですね、「総理のは迷言かもしれんが、あなたのは”許されざる妄言”でしょう。ふざけるなよ、(#-o-)」って印象ですね。
「真意が伝わらず、誤解を招いた」からではなく、「真意が伝わったが故に許せん」です。
投稿: あっしまった! | 2016年2月17日 (水) 12時46分
民主党も政権取った時の反省をちゃんとしないから、あいかわらずくだらない質問したり、愚かな発言をしてしまう。もう一度政権を取った時に、簡単に攻め落ちてしまいますよ。もう以前と同じ手法はだめだと理解できないのかなあと不思議です。
安倍総理が珍言、迷言、暴言を吐いても、民主党のくだらない質問がそれを言わせるのだろうと思ってしまいますね。実際、民主党の支持が上がらないのがそれを証明しています。
国会でブーメラン競争ばかりするのを止めて、政策や日本の将来像の論争を期待しています。
今の民主党は薬物で逮捕された後、口だけで薬は辞めたと言ってるのに等しい。なかなか信用されませんよね。
投稿: nagi | 2016年2月17日 (水) 18時36分
甘利氏が辞任されたあと、世論調査で内閣支持率が上がったりしたじゃないですか。
で、民主党さんは「信じられない・なぜなんだ」みたいな反応を示されたとか。
ワタクシなどは、「その理由がわからないから、民主党さんの支持率は伸びないのです。理由を判って、ちゃんと対応されたら良いんですよ。」としか言いようがないと思うのです。
で、ワタクシが視るところ、どうも民主党さんは「攻め方が甘かった。今の路線をもっと強化して、より強く攻めかけよう」と解釈されてるのではないか?と感じるのですが、それ自体が「大いなる錯覚である可能性」を検討された方が良いと思います。支持団体さんも忠告された方が良くないですか?
「主張が浸透しなかった のではなく、 主張が浸透した結果として主張が拒絶された」という可能性をもう少し考えた方が宜しいのでは?というような、進言をしてあげる支持団体はないのかなぁ。
投稿: あっしまった! | 2016年2月18日 (木) 11時29分
政府・与党が行っていることを「PLAN-A」とすると、民主党さんが行っているのは、「NO! PLAN-A」じゃないですか。
でも、世間が民主党さんに求めているのは、「NO! PLAN-A. but PLAN-B」なのだと思う。
しかも「PLAN-Bの完成予想図(脳内世界の)」ではなく、「実現可能なPLAN-Bの政策案(現実世界の)」であることが大事。
少くとも「有権者が、民主党さんでも-今度は-実現できそうだと思えるような、手堅いPLAN-B」を示すことが、政権・与党に対する最大の攻勢だと思う。
投稿: あっしまった! | 2016年2月18日 (木) 11時46分
もう今更民主党の対案なんてだれも求めてないかもしれませんね。さんざんチャンスがあったんですがね。アベノミクスにしても、失敗だ反対だと言うのはかまわないのです。それでは経済対策どうするの?を国民は聞きたい。しかし彼らはアベノミクスの失敗で格差が広まった。だから自民ではなく民主にと主張します。誰が民主党に投票しようと思うのでしょうか。民主党がアベノミクスに変わるプランを提示して初めてアベノミクスよりよく思えるから民主にしようと考える。
まあ民主党にはまともなブレーンがいないんでしょうね。このままだと夏の選挙も自民の議席がどの程度増えるかしか関心がなくなりそうです。
シールズ等がデモするほど自民党の票が伸びるのがはっきり見えておもしろいですがね。
投稿: nagi | 2016年2月18日 (木) 18時30分
「憲法を戦後、新しい時代を切り開くために自分たちでつくったというのは幻想だ」
事実ですから、問題になりません
米国・GHQ占領下の日本で、日本人が独自に憲法を作れるなんて誰も思ってないでしょう
当時の日本人がGHQに何とか受け入れられる範囲でしか憲法は作れませんでした
事実上米国の作った憲法でしたから、朝鮮戦争では憲法9条があっても日本は特別掃海隊を派遣し、事実上参戦せざるを得ませんでした
投稿: | 2016年2月19日 (金) 20時43分
まず、GHQ占領下で、日本人が独自に憲法を作ろうと思った人は、それなりにいたのは事実ですよ、だれも思ってなかったってコトはなくて。
特別掃海隊、アレはどうかなぁ。
日本人が独自に憲法を作っていても、あるいは大日本帝国憲法が継続して施行されていたとしても、敗戦後の占領下という状況では、拒絶はできなかったと思うので、日本国憲法が悪いとは言い難いとは思うけども。
第9条が無力と言うより、自主憲法でも帝国憲法でも無力だったと思うので。
あの出来事が、後の海上自衛隊の方向性を決めたとは言えるかも知れないけどさ。
日本国憲法の制定に関しては、日本側としては「天皇制の維持と、天皇への責任追及をさせないために、必要な範囲でしか憲法を作れなかった」って側面があったのだろうなと。
GHQの草案は、当時日本の民間団体が創った憲法改正私案から取り入れられた部分があったり、帝国議会の審議の結果が反映された部分があったので「押しつけ説」にも「幻想説」にも100%の賛成はできないなぁ、私は、改憲(=一部改正、全部改正でなくて)が必要とする立場だけれどもさ。
投稿: あっしまった! | 2016年2月19日 (金) 21時06分
>日本人が独自に憲法を作ろうと思った人は、それなりにいたのは事実ですよ、だれも思ってなかったってコトはなくて。
言葉が足りなかったですね
今現在の日本人の認識で、「当時の日本で自由に憲法を作れたなんて思ている人は居ないでしょう」です
>敗戦後の占領下という状況では、拒絶はできなかったと思うので
そこは同意しますが、私が問題だと思うのは、護憲派と言われる人たちが日本特別掃海隊による朝鮮戦争への事実上の参戦を、まるで無かったかのようにする姿勢です
日本人が自らの手で作り上げた憲法だったのなら、朝鮮戦争という明らかな憲法違反の戦争参戦は絶対に忘れられないハズです
結局、借り物という認識が改憲派にも護憲派にも根底にあるのでしょう
投稿: | 2016年2月20日 (土) 07時58分
> 護憲派と言われる人たちが日本特別掃海隊による朝鮮戦争への事実上の参戦を、まるで無かったかのようにする姿勢
それは、同意です。マッタクです。
「第9条」絡みの一部運動体に対しては、特にそういう違和感を感じます。
改憲派の方も「特別掃海隊」の例を正面から持ち出して訴える(論じる)人は少数派だとも思いますけど、護憲派の方のお話を聞いてると、「現実に起きたことに蓋をして、地に着いてないなぁ。これじゃぁ現実世界の政治には対応できないだろう」って思います。
投稿: あっしまった! | 2016年2月20日 (土) 11時17分
でりしゃすぱんださん、あっしまった!さん、nagiさん、2016年2月19日(金)20時43分と2016年2月20日(土)07時58分に投稿された方、コメントありがとうございました。
憲法観については今回の記事本文の最後に触れたとおり機会を見て自分なりの考え方を改めてまとめてみたいものと思っています。新規記事は雑談放談の類いの内容になってしまうかも知れませんが、ぜひ、またご訪問いただければ幸いですのでよろしくお願いします。
2016年2月19日(金)20時43分と2016年2月20日(土)07時58分に投稿された方へ、意見交換をスムースに行なうためにも名前欄の記入とともにハンドルネームは固定くださるようご協力ください。
投稿: OTSU | 2016年2月21日 (日) 07時06分