北朝鮮の核実験
年明け早々、北朝鮮の「水爆実験成功」という報道が駆け巡りました。水爆だったのかどうか断定できませんが、4回目の核実験に成功したことは間違いないようです。このブログの新年の記事「2016年、三猿の真逆な心構えで」のコメント欄では、nagiさん、す33さん、でりしゃすぱんださんから北朝鮮の核実験を受けたご意見をお寄せいただいていました。
それに対し、私からは「このような論点について機会を見て記事本文で改めて取り上げたいものと考えています」とお答えしていました。今回、北朝鮮の核実験に絡む私なりの問題意識や現状認識を綴ることで、遅くなりましたが当該コメント欄でのレスに繋がればと考えています。まず平和フォーラムと緊密な協力関係があり、平和フォーラムのホームページでも紹介された原水爆禁止日本国民会議の声明を紹介させていただきます。
朝鮮民主主義人民共和国の「水爆実験」に強く抗議するとともに、国際的対話を求める(声明)
本日(1月6日)午前10時半、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が「水爆実験」を実施したと朝鮮中央テレビが報じました。2006年10月 9日の最初の核実験から数えて4回目、2013年2月に行われて以来3年ぶりとなる核実験です。東北アジア地域の緊張をさらに高め、世界平和の脅威となるもので決して許されるものではありません。
原水爆禁止日本国民会議(原水禁)は、ヒロシマ・ナガサキの悲惨な現実と向き合い、核兵器廃絶のとりくみをすすめてきたものとして、北朝鮮政府に対して強く抗議します。北朝鮮政府は「最初の水爆実験が成功裏に実施された」と発表し、高度な核技術を保持したと誇示しています。核兵器の非人道性を省みず、核兵器能力の向上をはかる北朝鮮政府の姿勢は、国際社会の強い非難をあびるものです。
原水禁は、北朝鮮政府に対して直ちに核兵器開発を放棄し「並進政策」を見直すよう強く求めます。日本政府は、「我が国の平和に対する重大な脅威であり、国際的な核不拡散のとりくみに対する重大な挑戦である」として、北朝鮮政府をきびしく非難しています。しかし、日本政府が米国の核の傘に依存し続けていることも事実です。原水禁は、日本政府自らが核抑止や武力による安全保障政策を放棄し、東北アジアの非核化に向けた被爆国としての真摯なとりくみに着手することを強く求めます。
また、米国政府及び国際社会は、北朝鮮に対する制裁措置を強化することなく、昨年10月1日に国連総会で行った北朝鮮の李洙墉(リ・スヨン)外相の 「朝鮮戦争の休戦協定を平和協定に転換するよう米国にあらためて要求する」とした一般討論演説に対して真摯に対応し、その実現に向けた対話を開始すべきです。1953年7月27日の休戦協定によって、朝鮮戦争における武力衝突は一旦終結したものの、北朝鮮と米国は停戦状態のまま不正常な関係を続けてきました。
そのことが国際社会から北朝鮮を国際社会から孤立させることにつながり、東アジアの平和への大きな脅威をつくりあげています。解決の道筋が何処にあるかは明確です。原水禁は、北朝鮮に対して核政策の放棄を求めるとともに、米国政府に対して北朝鮮政府の主張に真摯に耳を傾け、二国間及び六か国間の国際的対話をつくりだす努力を強く求めます。
nagiさん、す33さんの最初のコメントが寄せられた後、私から参考までに上記の声明のリンク先URLを紹介していました。リンク先をご覧になったす33さんの感想は「やっぱりね、左翼の集まりですね。紙切れ1枚で終わりですか。平和フォーラムは中国か北朝鮮の団体ですか?(笑) 中国の尖閣侵略・軍拡、北朝鮮の核実験・拉致、韓国の竹島にはまったくデモ、抗議集会やってないじゃないですか。デモの相手は日本政府、アメリカばかり。70年代~80年代の左翼活動とまったく変わってないですね。これでよく平和とか言えたものですね(笑)」というものでした。
nagiさんも「やはり予想どおりですね」と述べていますので、同じような感想を持たれたものと思っています。さらに「中東の対立、共和国の核実験や軍事行動。それらに対してどう行動するのか、平和団体及び平和活動する人々は、ものすごく注目されていますよ。頑張ってほしいですね」というシニカルなエールも付け加えられていました。
このエールに対し、でりしゃすぱんださんからは「平和運動をする人々が注目されている旨のnagiさんの指摘は私もそう思います」「日本国憲法は国内法であり、国外の愚連隊には通用しないばかりか、国内に愚連隊ができて破られた場合にも憲法が何もかも守ってくれる実力阻止できるものではありません。御名御璽を経たただの紙切れです。紙切れが実力行使を抑止するわけはありません。現場と一体となってはじめて抑止ができるのですから」というコメントが寄せられていました。
以上のコメントに対する私自身の受けとめ方や考え方は次のとおりです。「紙切れ一枚の抗議文を出して終わり」という見られ方ですが、いわゆる左に位置付けられる平和フォーラムなどの団体も北朝鮮の核実験に強く反対する立場です。その際、デモや抗議集会に取り組まないことについて、これまでも同様な趣旨の指摘を当ブログのコメント欄に寄せられる時がありました。
以前の記事「自治労の話、2012年夏」の中でも触れてきましたが、中国や韓国の大使館前で抗議集会に取り組まないから「中国か北朝鮮の団体ですか?」という論法には違和感を覚えています。核兵器廃絶を求める立場であれば、いかなる国の核実験に対しても強く抗議していかなければなりません。一方で平和フォーラムは四六時中、デモや抗議集会に取り組んでいる訳ではなく、確立している方針に基づき運動の大きさや山場などの時期に必要に応じて提起している現状です。
いずれにしても北朝鮮の核実験だから抗議声明にとどめているという見方は正しいものではありません。共産圏の武力は「善」、アメリカなど西側の武力は「悪」という偏った思想の方々が現存しているのかどうか分かりませんが、そのような見方を仮に意識されていた場合、かみ合った議論に繋がりにくくなるものと考えています。このブログを通して繰り返し議論してきていますが、平和の築き方や安全保障のあり方がどうあるべきかという論点こそ、最も重視されていかなければならないはずです。
そのような論点を議論する際、誤った先入観や誤解があった場合、より望ましい「答え」を見出しにくくなります。これから書き進めることも「絶対正しい」と押し付けるものではなく、このような見方や認識のもとに平和を希求する者も多いという前提をご理解ください。ご自身が正しいと信じている「答え」からかけ離れているからと言って、「やっぱり左翼」というように決め付けず目を通していただければ幸いです。
まず「左翼」の象徴と目されそうな「戦争をさせない1000人委員会」の事務局長を務めている弁護士の内田雅敏さんの問題意識を紹介させていただきます。昨年末、三多摩平和運動センターが「不戦を誓う三多摩集会」を催した際、内田さんの「この夏を忘れまい!安保法制を巡る日本市民運動の展開と今後の展望」という講演がありました。いろいろ興味深い話を伺える機会となっていましたが、今回の記事に絡む論点に絞って内田さんの講演内容の一部をお伝えします。
「憲法が何もかも守ってくれる」という認識ではなく、現実的な視点に基づく提起を内田さんから受けています。安全保障は「抑止」と「安心供与」の両輪によって成立し、日本の場合の「抑止」は自衛隊と日米安保だと述べられていました。「安心供与」は憲法9条であり、集団的自衛権を認めない専守防衛だという説明を内田さんは付け加えています。「安心供与」の判断材料は、その国の品格や国柄であり、信頼できる国かどうかだそうです。
当日の講演では日中関係に関する内容が多く語られていました。ネットを検索したところ「隣国すべてが友人になるためにー戦後70年、米戦略と安保法制、そして平和を考える」という同様な内容の講演を報告したサイトを見つけることができました。たいへん長い記事になりつつありますが、せっかくの機会ですので「日中関係の改善を図るにはどうしたらよいか。キーワードは、平和、反省、寛容である」という箇所をそのまま掲げさせていただきます。ちなみに意外なほど自民党政権時代の外交実績を高く評価されていたことが印象に残っています。
(1) 平和 すなわち武力衝突は絶対に避ける手立てを講じることである。
後述するように、日中間には四つの基本文書がある。その内もっとも新しいのが2008年の戦略的互恵関係を推進するための日中共同声明(福田康夫・胡錦濤)である。同声明4 項は「双方は、互いに協力のパートナーであり、互いに脅威とならないことを確認した。双方は互いの平和的な発展を支持することを改めて表明し、①日本側は、中国の改革開放以来の発展が日本を含む国際社会に大きな好機をもたらしていることを積極的に評価し、②中国側は、日本が、戦後60年余り、平和国家としての歩みを堅持し、平和的手段によって世界の平和、安定に貢献してきていることを積極的に評価し、エールの交換をした。それからわずか7年、日中関係は激変した。2012年の石原都知事(当時)の挑発による尖閣諸島国有化問題、2013年12月の安倍首相による靖國神社参拝が原因である。石原や安倍の挑発に、《待ってました》とばかりに乗った中国の軍拡主義者の問題もある。尖閣での局地的な武力衝突を歓迎する軍事冒険者たちが日中にいる、米国も、日中に武力衝突に至らない程度に緊張関係があることが沖縄の米軍基地を維持するうえで好ましい。
(2) 反省 即ち過去の歴史に向き合うことである。
日中間には日中共同声明(1972年)、日中平和友好条約(78年)、日中共同宣言(98年)、戦略的互恵関係を推進するための日中共同声明(2008年)の四つの基本文書がある。日中の関係改善を図るためには、この四つの基本文書、とりわけ根本たる日中共同声明の精神に立ち返るべきである。同声明5項は「中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために日本国に対する戦争賠償請求の放棄を宣言する」としているが、これは前文の「日本側は過去において、日本国が戦争を通じて、中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」を受けてのものである。同6項は「紛争の平和的解決」を、同7項は、互いに覇権国家にならないという「反覇権主義」を謳っている。
(3) 寛容
欧州共同体(EU)の根幹をなすのは仏・独の和解である。歴史的に仏・独は、日・中以上に何度も戦争をくり返してきた。その仏・独が和解を成立させることが出来たのは、メルケル独首相が言うように仏の寛容な態度があった。仏の寛容を得るために独は真摯に歴史に向き合ってきた。2001年、独国防軍改革委員会報告書は「ドイツは歴史上初めて隣国すべてが友人となった」と記している。日本が中国、韓国らアジア諸国からの寛容を得るためには何を為すべきか。集団的自衛権行使容認をして、米軍と一体化することではないことは明らかである。
この講演を受け、私自身と内田さんの考え方は基本的に同じであることを確かめられました。個別的自衛権の必要性は認識した上で、集団的自衛権行使まで踏み出すことの不適切さを同じように考えています。中国と対話できる過去の積み重ねがありながら抑止力の強化を優先することで、ますます強硬な姿勢に転じさせる口実を相手に与えてしまうジレンマに注意しなければなりません。
水曜日、読売新聞朝刊の政治面に福田康夫元首相の「語る 外交に注文」というインタビュー記事が掲げられ、「日中 まずは信頼関係」という見出しが付いていました。「問題をお互いに言いつのるだけではなく、懸案をお互いに信頼して話し合える雰囲気が欲しい。安倍首相も習近平国家主席も、強調して良い関係を作りたいという気持ちを持っているはずだ。けんか腰ではなく、まずは互いに信頼醸成の努力をすべきだ」と福田元首相も語られています。
その上で、戦後70年談話や慰安婦問題での安倍首相の対応を福田元首相は一定評価されていました。確かに安倍首相が対話を軽視しているとは言い切れません。しかしながら集団的自衛権行使の問題は、安全保障の両輪の一つ「安心供与」や日本の国柄を棄損する判断だったものと考えています。さらに安倍首相が外交や安全保障に関わる場面で、必要以上に強い言葉で語りがちな点を懸念しています。
北朝鮮の核実験の問題から話が広がり、たいへん恐縮です。そもそも北朝鮮の核兵器開発も「自存自衛のため」という相手側の言い分があります。だから仕方ないと決して認めるものではなく、抑止力のジレンマの問題としてとらえなければなりません。そして、北朝鮮の核兵器開発や拉致問題を解決する道筋として、圧力一辺倒では難しく、やはり対話に向けた努力の必要性も認識すべきものと考えています。
それこそ「窮鼠、猫を噛む」状態に追い込み、一発のミサイルで多くの犠牲者を出すような事態だけは絶対避けなければなりません。北朝鮮が人的被害を及ぼす地域に核ミサイルを発射するようであれば全面的な報復を受け、自らの政権の崩壊に直結することは充分認識しているはずです。万が一に備えることも欠かせませんが、必要以上に脅威を高め、敵愾心をあおり過ぎることにも注意を払うべきではないでしょうか。
このような訴えが「北朝鮮のため」と見られるようであれば、残念ながら理性的な議論から離れがちとなります。実は今回、もっと書き足したい内容がありました。たいへん長い記事になっていますので、ここで一区切り付けさせていただきます。書き足したかった内容は改めて綴らせていただくつもりですが、最後に北朝鮮の核実験に関連した報道を紹介します。このような非人道的な強制収容所の問題も絶対看過できず、一刻も早い解決を強く強く願っています。
北朝鮮が核開発を継続する中、核実験の過程で、深刻な人権侵害が行われていることが明るみに出つつある。実は、核実験施設があるとされている豊渓里(プンゲリ)近くには、悪名高き政治犯収容所「16号管理所」(化城強制収容所)が存在する。ここに収容された政治犯が、核実験施設で防護服なし、すなわち放射能に被曝しながら強制労働させられているというのだ。北朝鮮当局は、国民の反発を抑えるため「見せしめ」の公開処刑をおこなっているが、核施設での極めて危険な強制労働も、隠れた人権侵害の一つと言える。 【デイリーNKジャパン2016年1月30日 】
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