保育や介護現場の実情
10月に投稿した記事「集団心理のデメリット」の冒頭で、連合三多摩主催「政策・制度討論集会」の分科会「子ども・子育て支援新制度スタート~保育の質の確保・向上~」で座長を務めたことを記していました。その分科会の最後に座長のまとめとして、直前に耳にしていた下記の事件について触れていました。
入居高齢者3人が昨年相次いで転落死した川崎市幸区の有料老人ホーム「Sアミーユ川崎幸町」で、入居者の頭をたたくなど虐待したとして、神奈川県警は9日までに、暴行などの容疑で男性職員3人を近く書類送検する方針を固めた。3人とも容疑を認めているという。県警や川崎市によると、入居していた80代の女性が虐待の被害を訴え、親族が居室にビデオを設置。
今年6月、複数の職員が女性の頭をたたいたり、暴言を吐いたりする様子が映像で確認された。さらに、職員はナースコールを取り外して使用できなくしていたなどとされる。この老人ホームでは昨年11~12月、86~96歳の男女3人が4階と6階のベランダから転落して死亡。県警が転落の経緯を調べている。【時事通信2015年12月9日】
今回の記事の投稿にあたり、川崎市の老人ホームでの虐待事件に関するニュースをインターネット検索したところ上記のとおり職員3人が書類送検されていました。10月の時点で入居者に対し、暴力や暴言が加えられていた映像がニュースで流されていましたので疑いようのない残念な事例として私から紹介していました。
この事件を紹介した後、どのような言葉で分科会をまとめていたのか、もったいぶる訳ではありませんが、まず分科会の内容を少し報告した上で後ほど改めて掲げさせていただきます。分科会には3人の講師を招いていました。労働経済ジャーナリストの小林美希さん、西東京市の子育て支援部長、保育士である自治労社会福祉評議会副部会長、それぞれの立場から貴重なお話を伺いました。
分科会のタイトルに掲げたとおり「保育の質の確保・向上」を共通のテーマとし、保育現場の実情、行政や労働組合の役割、現行制度の問題点などがパネルディスカッションされました。待機児解消のため、保育士配置基準や面積基準が緩和されています。その結果、保育士の負担が増え、きめ細かい保育から遠ざかりがちです。加えて、保育に関わる予算の少なさがあり、たいへんさに見合った処遇に至らず、人材不足の深刻さが指摘されています。
ちなみに2015年度の国家予算に対する保育運営の予算は、わずか0.2%です。現在、保育所で働いている保育士は約40万人ですが、保育士の免許を持ちながら保育士として働いていない「潜在保育士」は約60万人にも上るそうです。その大半の方は仕事に対する賃金が見合わない、業務が多すぎることを理由に辞めているとのことです。「保育士の給料はなぜ上がらないのか~低賃金の実態と背景~」というサイトも参考までに紹介します。
東邦大学医学部の多田裕名誉教授(新生児科)は「1歳半までの発達は取り返しのつかないことが多い。どの保育園に入ったかで、その子の一生が決まると言っても過言ではない。ただ母親を働かせるだけ、ただ子どもを預かるだけの保育園では本末転倒。子どもに合わせた発達を見てくれることが大事。劣った環境のなかで、子どもが大人になったらどうなるか考えて欲しい」と語っています。
多田名誉教授の言葉も分科会の中で、講師の小林さんが紹介したものです。小林さんは今年4月に『ルポ 保育崩壊』(岩波新書)という著書を出されています。「問題は待機児童だけじゃない。問われるべきは、『保育の質』では?」という言葉が添えられた小林さんの著書のリンク先には次のような「著者からのメッセージ」が掲げられています。分科会の中でも報告された事例であり、冒頭の一部をそのまま紹介します。
「ここに子どもを預けていて、大丈夫なのだろうか」 待機児童が多い中で狭き門をくぐりぬけて保育所が決まっても、自分の子どもが通う保育所に不安を覚え、一安心とはいかない現実がある。それもそのはずだ。ふと保育の現場に目を向ければ、親と別れて泣いている子どもが放置され、あやしてももらえないでいる。食事の時にはただの作業のように「はい、はい」と、口いっぱいにご飯を詰め込まれ、時間内に食べ終わるのが至上主義のように「早く食べて」と睨まれる。楽しいはずの公園に出かける時は「早く、早く」と急かされる。
室内で遊んでいても、「そっちに行かないで」と柵の中で囲われ、狭いところでしか遊ばせてもらえない。「背中ぺったん」「壁にぺったん」と、聞こえは可愛いが、まるで軍隊のように規律に従わされる子どもたち。いつしか、表情は乏しくなり、大人から注意を受けたと思うと、機械的に「ごめんなさい」と口にするようになっていく――。ここに子どもの人権は存在するのか。当然、子どもの表情は乏しくなっていく。その異変に気付いた親は、眉根を寄せて考えるしかない。特に母親ほど「この子のために、仕事を辞めた方がいいのではないか」と切迫した気持ちになる。
小林さんは、株式会社の参入が保育の質を著しく低下させたのではないかという問題意識も示されています。保育の公共性の高さから社会福祉法人が民間保育を担っていましたが、2000年に株式会社の参入が解禁されていました。今年度、2015年度からは子ども・子育て支援新制度が始まりましたが、本当に利用者や働く側に立った制度なのか、小林さんは疑問視されています。
先ほど紹介した小林さんの「著者からのメッセージ」は「どの保育所であっても、教育を受けて現場でも経験を積み、プロとしての保育を実践できなければ、運・不運で親子の一生が左右されかねない。その状況を変えるためにも、今、保育所で起こっている問題を直視し、周囲の大人に何ができるかを考えたい。保育士も親子も笑顔で過ごすことができるように。」という言葉で結ばれています。
このような保育現場の実情や問題点を3人の講師から伝えていただきました。座長として分科会の最後をまとめるにあたり、今回記事の冒頭に紹介した川崎市の老人ホームでの痛ましい事件のことが思い浮かびました。介護職員の「質」以前の問題として、川崎市の老人ホームでの出来事は言語道断な犯罪行為であり、介護の現場で懸命に働く方々を一括りにした見方が不適切であることをあらかじめ一言添えました。
それでも長時間勤務や不規則な勤務時間等、非常に厳しい職場環境でありながら、その負担や責任の重さに見合った処遇に至っていない現状は介護現場に共通した問題です。福祉という公共性があるため、国の予算額によって運営費や人件費が左右される点は保育と同様です。財源不足から予算が限られ、充分な報酬額を示せず、人材確保や定員不足に苦慮している構図も保育現場と同様だろうと見ています。
保育園は保育士免許を持った有資格者が中心に子どもと接しています。まず保育士の資格取得者の中に「子どもが嫌い」という方はいないのではないでしょうか。介護現場でも介護福祉士等の有資格者が多いものと思われますが、資格の有無に関わらずスタッフの確保が欠かせない現状であるはずです。そのため、中には定職に就くことを優先し、「介護という仕事が嫌い」という介護職員も少なくないのかも知れません。
さらに厳しい職場環境に見合った待遇ではないため、ますます仕事に対する意欲が低下し、川崎市の老人ホームのような虐待事件に繋がっているのではないか、このような要旨の発言を分科会の最後に私から参加者の皆さんにお伝えしていました。保育も介護も「質」の確保・向上のためには担い手の問題が直結することを提起し、これからも労働組合の役割として保育や介護の現場で働く者の待遇改善に向けて努力していく必要性を訴えさせていただきました。
このような問題から消費税や3万円の臨時給付金など国の予算に関わる話まで広げたい考えもありました。 ただ際限なく長く続きそうなため、ここで今回の記事は一区切り付けさせていただきます。最後に一言、アベノミクス「新三本の矢」の中に「介護離職ゼロ」が掲げられました。家庭介護のために仕事を辞めなくてはならない人をゼロにするという目標ですが、介護の現場で働き続けたくても待遇の悪さから離職せざるを得ない人をゼロにすることも重要(参考サイト「介護離職ゼロ」のために優先すべきは介護スタッフの待遇改善)だろうと考えています。
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コメント
今回、管理人が取り上げた問題は凄く根が複雑で難解な問題です。
もちろん現状が正しい状態との認識ではなく、保育士や介護士の報酬は上がって欲しいし、上げるべきとの思いではあるのですがので、それでも現状では一方的な解決は困難だと考えていますので、その理解の上で読んでいただけると有り難いと思います。
例えば管理人の書き込みでは、株式会社の参入が質を低下させたと言っていますが、それでは株式会社以外の施設は質が高かったのかと言えば、特にそういうことではないと思います。また、昔は今より情報が気楽に拡散する時代では無かったので目に入らなかっただけで、これらの問題は相当以前からあったとも思いますし、以前は「先生」と呼ばれる職が聖域となっていた部分もありましたので、文句を言いたくても言えないという時代背景もあったと感じています。
問題の根底は、例えば認可型が登録型になるとか、それに加えて登録すら必要のない施設が増えるなど、行政などの管理監督権限が制限されることで、しっかりとした監視の目が届きにくくなったことのように思われます。
また老人介護に関しては、そのことは特に顕著な問題になっています。
昔の認可型であれば確かに行政の眼は届きやすかったと言えますが、それでも不適切な事例がなかったのかと言えば、目を覆いたくなるような施設があったことは事実です。加えて、施設の認可には資産要件などもあり、絶対的な数がどうしても不足してしまうという問題点もありました。そして保育と同様に、登録すら必要のない施設が増えてしまっており、虐待などの問題が深刻化してきている状況にあります。
つまり株式会社の参入自体が問題ではなく、保育にしても介護にしても利用ニーズが時代とともに高まり、施設数の確保を最優先課題としなければならなかったことで、しっかりとした監視の目が届きにくくなったことが問題の源と考えられます。
加えて、この国の文化として子育ても介護も家族の役割との認識があり、職業として尊敬を得られないという問題点も、依然として強く残っています。
この問題の要因として、私は公務員への信頼が低下することにより、行政のなどの管理監督権限を制限することが是とされる世情も大きく影響したと考えています。ことここに及んでも、報道などでは、未だに公務員は多すぎる報酬が高すぎるとの論調が主流であり、目も当てられないと思っています。
次の問題として、予算配分を変えて保育や介護に手厚く配分すれば良いのではないかとの意見に対しても、この国も低負担高福祉の現状(赤字垂れ流し)を見れば、そのような事も気楽にはできません。
例えば、公共投資をコンクリートから人へと言った政権がありましたが、この国の構造をみればゼネコン関係の従事者が多すぎて、それを行えば単に経済を低迷させるだけというのは実証されてしまっています。従って、本当に予算配分を変えるのであれば産業構造自体を変える必要がありますが、その為には雇用の流動化が不可欠で、要は首切りをしやすくする必要があります。
加えて、頭脳労働が苦手で体を動かす仕事のみが得意という人材の活用は、今のこの国の状況からは困難を極めます。何かしらの製造業への転換を考えてみても、既に製造関係の多くは国外へ流出しており、国内製造で勝負する為には「海外並みの工賃+品質という付加価値」に見合う程度までの人件費の低下は避けられないことになります。若しくは、昔ながらの良い物を作るためには寝食を忘れて(報酬度外視で)仕事をするという事が出来なければ、海外との勝負にはなかなか勝てないと思われます。
一方で、このような人たちを保育や介護分野への人材として流動できれば良いのですが、先にも言ったように、職業として尊重されていないというこの国の文化を考えると、なかなか難しいこともまた事実です。そして、これを変える為には、それこそ教育機関が率先する形で、道徳教育からテコ入れする必要があります。
更に、視点を変えて税収を上げて分配するという話もありますが、現実的に上げれる税は限られています。
特に法人税については、90年代後半に名のある複数の大企業が本当に本社機能の海外移転の一歩手前まで行っていたことを考えると、非常に難しいのが現状では無いでしょうか。
また、資産課税や、特に個人的には投機的な資金の動きに対して課税強化をするべきと思いますが、これも海外市場に資金が逃げるだけの結果が容易に想定できるので難しいかと思います。
税率を維持して(または上げて)も、雇用が失われて資金が海外へ流出するようでは本末転倒で、まったく意味がありません。(実際に一部の企業や、それを経営する富裕層は東南アジアなどに移動を始めていますし、それで国内の企業活動に不便があるという話も聞くことができません)
そうすると簡単には移住できない労働者に対しての増税ということになりますが、これに国民が納得することが出来るのかというと、これまた難しいと思います。
結局は、消費税の増税とかに落ち着くことになると思われます。後は、特定の嗜好品に対する増税でしょうか。
要するに、一部の問題を解決する為であっても、税や雇用問題から文化の変更まで考慮したトータルパッケージで議論をしなければならない問題で、特に、税などの問題は海外の主要国とも足並みを揃えて対処しなければ、国自体が破綻してしまうというのが現在の状況ではないと思います。
これらのことから、自分の国のことだけを取り上げて、更には自分の眼の届く範囲で、変更したい一片だけを批判してみても、何も解決できない問題であることは疑いようが無く、何かしら改善したいのならば別の部分では身を切る覚悟が必要な時代になっているということでしょう。
また、最近は色々なことがセンセーショナルに問題視されますが、全体的に見れば、これらの事は昔からあったことも多くて、人権意識の高まりと共に、気楽に文句を言える時代になったことから顕在化してきたと言えると思います。
最終的には、個々の問題の本質は今に始まったことではなく、国として思い切ったスクラップアンドビルドをしない限りは解決は困難としか言い様がないのではないでしょうか。
従って、今求められるのは、ある居面での利益代表的な意見ではなく、身を切る覚悟(スクラップアンドビルド)を前提とした意見であり、国民全体としては、雇用の流動化や医療費自己負担の引き上げ、年金の強制徴収(拒否者への労役)や支給額の削減の受け入れであると思いますし、貴組合のスタンスとしても、雇用の流動化も受け入れる、報酬の他業種への再配分も受け入れる、そして、それらをしてでも保育や介護の問題を解決して行きたいとのスタンスでなければならないのではないでしょうか。
そうではない総花的な意見では問題を悪化させても、改善は期待できないと思わざるを得ません。残念ながら、鎖国でもしない限りは、そういう時代なのだと思います。
最後に管理人の様な人が常に標榜する北欧諸国の福祉政策も、いよいよ破綻が見えてきています。入りを量りて出ずるを制すという格言は万国共通ということでしょう。特にフィンランドでは他の福祉政策を整理廃止してベーシックインカムを導入するという話もあります。大きな社会実験という意味で、結果に注目していきたいと考えています。
ちなみに日本の地方自治体において、医療を含めた福祉政策を全廃し、最低限のインフラの維持(住宅は含まず、水道なども民営化した上で)と、住民登録などの管理、そして租税だけを残すとすれば、職員数は何分の一に出来るのでしょうね。多いに興味のある話だと思っています。
投稿: s | 2015年12月20日 (日) 01時23分
sさん、コメントありがとうございました。
ご指摘のように物事一つ一つ、見る角度を変えることで評価は枝分かれしていくものと思っています。唯一絶対正しいと胸を張れる「答え」は容易に見出せないことも痛感しています。その上で、より望ましい判断や評価を下していくためには多面的な情報や考え方に触れていくことが欠かせません。このブログはその多面的な情報提供の一つになれればと考え、これまで週に1回記事を更新しています。
そのような意味合いがあるため、コメント欄に今回のsさんのような幅広い視点からの補足意見をいただけることは非常に有難く、たいへん感謝しています。コメント欄を通し、きめ細かいレスに至らず申し訳ありませんが、取り急ぎ一言申し添えさせていただきました。ぜひ、これからもお時間等が許される際、記事本文を補強いただくようなご意見をお待ちしています。よろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2015年12月20日 (日) 20時40分
>見る角度を変えることで評価は枝分かれしていくものと思っています。
管理人は、人が変わることによって見る角度が変わると言われているように感じますが、そうではなく、個人が自分の考えをまとめる為に、その者が見る角度を変えて評価することが必要だと思っています。
逆に、複数の人がそれぞれ一つの角度から見ているのでは全く意味がなく、頑なに一方向からしか見ない人達が議論してみても、永遠に「正解」にたどり着けないとことは言うまでもありません。
そういう意味で、いわゆる「組合もどき」の団体で、社会問題を多方面から見て考えて判断している所は皆無に近いと言わざるを得えません。逆に、無理やり一方向から見て、何でも批判に持ち込むのがお家芸という状況と感じてすらいます。
さて、現在のように複雑化してしまった社会情勢の中で、次の世代のために何をしておくかという問題は、確かに管理人の言われるように「唯一絶対正しい答え」は無いと思われます。しかし、それはつまり、今までしてきたことの無いことに「正解がある確立が大きい」ということでもあります。そのために、社会を少しでも良い方向に変えるには、個人個人が、社会問題をトータルパッケージとしてみる能力が高いレベルで求められることになると考えています。
しかし残念ながら、自分の意に逆らう考えを受け入れる素地を持たない、または、相手に自分の意を丸呑みさせることが話し合いだと考えているような個人や組織は、この社会問題をトータルパッケージとしてみる能力を、自分たちだけではなく周囲の人や組織からも奪ってしまう存在と感じさせられています。
最後に、労働組合に属する者は様々な見方や考え方を持つ人が居るはずですが、是非、異なる考え方を受け入れた上で、一つの角度から見ただけの意見主張を控えて、多くの者が共有できる労働問題のみに取り組むような、本当の労働組合と言える活動をして欲しいものです。
投稿: s | 2015年12月26日 (土) 04時28分
sさん、コメントありがとうございました。
掛け値なしで多様なご意見を伺える機会は貴重なことだと考えています。そして、多様な声に数多く接してきているため、少しの前の記事「自治労都本部大会での発言」に綴ったような私自身の現状認識や問題意識に繋がっています。
なお、新規記事は今年最後の投稿になる予定です。sさんのご提起に対し、直接対応する内容に至らないかも知れませんが、ぜひ、ご覧いただければ幸いですのでよろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2015年12月26日 (土) 21時01分