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2015年12月27日 (日)

2015年末、今、思うこと

今年も残りわずかです。今回が2015年の最後の記事となります。毎年、元旦に年賀状バージョンの記事を投稿しているため、この記事をトップページに掲げるのは大晦日までの予定です。ここ数年、年末には「年末の話、インデックスⅡ」「言葉の力、言葉の難しさ 2014年末」という記事を投稿していました。1年を締めくくるような内容になるのかどうか分かりませんが、今年も年末を意識した記事の投稿に努めてみます。

さて、人によって成否に対する評価が大きく分かれていますが、2015年最大のトピックは安保関連法案が可決成立したことではないでしょうか。あるサイトのコラムで「(法案が成立した後、)実際にどうですか? 国民生活、何にも変わっていないでしょう?」とフリーアナウンサーの長谷川豊さんが指摘されていました。しかしながら消費税の引き上げなどと異なり、すぐ私たちの身の回りに大きな変化を及ぼすような法律ではありません。

そもそも安保関連法は9月19日に成立し、9月30日に公布され、2016年3月末までに施行される運びとなっています。つまり現時点では法律の効力が一般的、現実的に発動し、作用する施行という段階に至っていません。安保関連法に反対した勢力や一部マスコミを揶揄する意図で「何にも変わっていないでしょう?」と発言しているようであれば、ミスリードに近い指摘だと思っています。

これから年月が積み重なり、安保関連法成立の評価が定まっていくはずです。これまでと比べて大きな変化がなかった場合、もしくは安保関連法が肯定的に評価される場面に接した場合、あの時の反対騒ぎが何だったのかというような声も耳にできるのかも知れません。逆に海外で自衛隊員が人を傷付け、あるいは自衛隊員の血が流れ、よりいっそう国際テロの標的にされるリスクや近隣国との緊張が高まっていた場合、安保関連法の成立が悔やまれていくのかも知れません。

当然、前者であって欲しいと強く願っています。さらに後者の例示は安保関連法の成否に関わらず、あり得るリスクだという指摘もあろうかと思います。このあたりの評価の仕方も人によって分かれ、どのような事態に遭遇しても安保関連法の成立を理由にしない方々、ネガティブな事態は安保関連法に結び付けて「やはり2015年9月19日が分岐点だった」と批判のボルテージを高める方々、そのように枝分かれしていくのではないでしょうか。

もともと私自身、最も大事な点は安保関連法が国民にとって望ましいものだったのかどうかだろうと考えています。「安保関連法案の論点」「安保関連法案に絡む問題意識」「憲法の平和主義と安保法制」などを通し、私なりの言葉で様々な問題点を訴えてきました。ただ戦争を未然に防ぐための法案だと考えている方々も多い中、戦争に巻き込まれる、戦争に繋がる法改正だという決め付けた言い方は控えてきました。

私自身の考えを示した言葉としては「これまでより日本が戦争に関わる可能性は高まる」というように表現してきました。違憲かどうかに関しても、違憲の疑いが高い、もしくは憲法学者の圧倒多数が「違憲である」という懸念を示している、このような言葉使いに心がけてきました。以上のような言葉の使い分けについて、あまり意味がないことだと思われる方も多いのかも知れません。些末なことにとらわれ過ぎると本質的な議論の障害になる、このように考える方もいるはずです。

それでも多様な意見や考え方を認め合い、感情的な応酬を避けるためにも、言葉の使い方一つ一つを大切にすべきものと思っています。結論や正しさを押し付けるような言葉だった場合、異なる「答え」を持っている方々の心に響きづらくなります。今年最後の記事の中で、これまで繰り返し述べてきた自分なりの心構えを改めて紹介させていただきました。そのような意味合いで池上彰さんの語り口は、いわゆる左や右の立場に関わらず受け入れやすく、学ぶべき点が多々あるものと思っています。

つい最近、タイトルが目を引き『日本は本当に戦争する国になるのか?』という池上さんの新著を購入しました。数日で読み終えましたが、思っていたとおり分かりやすい著書でした。ただ戦争する国になるのかどうかで言えば、結論付けた言葉はありませんでした。抑止力を高めることで戦争のリスクを減らすという政府の説明を紹介する一方、「いつでも戦争できるんだぞという態度を見せびらかすと、かえって周辺の国々を刺激して、緊張が高まるという反対論もある」と両論を併記されています。

この手法はテレビ番組の解説でも同様であり、立場に関わらず池上さんの説明が受け入れやすくなる持ち味だろうと見ています。これまでの安全保障に関わる経緯や事実関係を解説した内容に対しては「なるほど、そうだったんだ」という新たな発見もありました。政府からの安保関連法案の説明に関しては、私自身が抱いた問題意識と同じように池上さんも数多くの疑問を抱えられていたことを確かめられました。

日本人母子を乗せて退避中のアメリカ軍艦船を自衛隊が守るケース、中東のホルムズ海峡が機雷で封鎖されたケースなどは現実的には想定できないことを説明されています。11本の法案を一括審議にしたことの無謀さをはじめ、PKO活動中に駆けつけ警護を可能にすることに対しては「自衛隊員のリスクが高まらないなんて詭弁です」と率直に批判されていました。また、安保関連法によって尖閣諸島がアメリカ軍に守られるという見方の誤りなども池上さんは指摘されています。

他にも安保関連法案を報道する新聞の論調が二分されたこと、「アーミテージ・ナイ報告書」の対日要求など興味深い内容が盛りだくさんでした。ところで今回のブログ記事のタイトルは「今、思うこと」であり、もっと幅広い内容を書き込むことも考えていました。結局、池上さんの著書の紹介も含め、ここまで安保関連法を中心にした内容にとどまっています。書き残した内容は来年に送り、2015年最後の記事のまとめとして、池上さんの著書の「おわりに」に書かれている言葉をそのまま掲げさせていただきます。

民主主義とは何か。2015年の夏は、そんなことを私たちに教えてくれたような気がします。この機会に民主主義を考える本のフェアを企画した書店は、その内容が「偏向している」という批判を受け、軌道修正に追い込まれました。しかし、フェアで展示された書籍名のリストを見ると、「偏向している」と批判した人の思想こそ「偏向している」と感じてしまいます。憲法を、そして民主主義を考える絶好のチャンスを、2015年夏は私たちに与えてくれました。自由闊達に議論し、議論することが批判されることのない社会。それこそが民主主義社会だと思うのです。

最後に、この一年間、多くの皆さんに当ブログを訪れていただき、たくさんのコメントも頂戴しました。本当にありがとうございました。どうぞ来年もよろしくお願いします。なお、次回の更新は例年通り元旦を予定しているため、変則な日程となります。ぜひ、お時間が許されるようであれば、早々にご覧いただければ誠に幸いです。それでは少し早いようですが、良いお年をお迎えください。

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コメント

奇遇にも、エントリ本文中でご紹介の池上氏の新書本は、昨日読了したところです。

同著の中で、ドイツの件について、集団的自衛権と集団安全保障とを混同した書き方になっていたのが残念です。池上氏ほどの影響力のある方なら、正しく書いて欲しかった。そのことが、本来あるべき議論に繋がると思うので。両者の混同が議論を拗らせている要因の一つだと感じますし。

とはいえ同書は、メディアの報道姿勢の問題や、ホントに議論すべき部分が置き去りになっていることについての言及について、多いに得心できるものでした。

ワタクシは、前から”必要性と違憲性の両方を認める立場”でいましたから、重ね重ね、野党さんが池上氏が同著で仰るような議論の構図に持ち込んでくださっていたなら・・・と思わざるを得ません。
両極が同居して居られる今の民主党さんに出来るとは思えませんが、結果として党が割れることになったとしても、そういう議論をやって欲しかった。それほどに重要な課題だと思います。

※集団的自衛権と集団安全保障は、同じ国連憲章に由来しますけど、根拠は別にあります。
※※ドイツが死傷者を出したのは、「(政権交代前には小沢一郎氏も参加に意欲を示していた)集団安全保障措置に参加した結果」であり、「集団的自衛権の行使の結果ではない」です。

投稿: あっしまった! | 2015年12月27日 (日) 22時20分

あっしまった!さん、コメントありがとうございました。

奇遇にも以前も『左翼も右翼もウソばかり』という新書を同じタイミングで読了されていたことをお知らせいただきました。博識なあっしまった!さんと同じような興味の示し方について、たいへん光栄なことだと思っています。

ぜひ、これからもお時間等が許される際、貴重なご意見や情報提供いただければ誠に幸いですのでよろしくお願いします。それでは改めて良いお年をお迎えください。

投稿: OTSU | 2015年12月31日 (木) 09時05分

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