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2015年11月15日 (日)

節目の第70回定期大会

金曜の夜、私どもの組合の定期大会が開かれました。昨年の記事は「解散風と定期大会」だったため、前回の衆議院選挙から1年も経っていないことを思い出しています。定期大会のことは一昨年の記事「定期大会の話、インデックスⅡ」の中で詳しく綴っていますが、組合員全員の出席を呼びかけるスタイルで続けています。そのため、いつも出席者の数を成否の目安としています。

今回、348名もの組合員の皆さんに会場まで足を運んでいただきましたが、昨年より11名減っていました。地区図書館の指定管理や保育園の民営化などが進み、大会当日の組合員数は1119名で昨年より43名減っていましたので、出席率で言えば微増という結果です。ただ今回は第70回という節目の大会でした。5年前の節目の大会は536名に達し、用意した資料や出席記念品の数が足りなくなるという「うれしい悲鳴」を上げていました。

当時の組合員数は1419名でしたので単純に比較できませんが、率で考えた際、やはり今回も400名は超えて欲しいものと願っていました。次回以降の大会に向け、いろいろ検証や反省しなければならないことが多いようです。ちなみに5年間で組合員数は220名も減っています。様々な行革計画に絡む提案を労使交渉を尽くして受け入れてきています。その結果、この5年間で児童館や体育館、学校給食共同調理場なども民間事業者に委ねるようになっています。

あわせて年に数名、残念ながら組合を脱退する方が続いている現状です。加入率100%から離れれば離れるほど深刻な事態を招くことになるため、「組合に入っているほうが当たり前なこと」という雰囲気が保たれている段階で流れを止め、流れを変えるような対策の必要性を強く感じています。そのような意味で節目の第70回定期大会が今後の組合活動の流れを変える分岐点になり得ることを望んでいるところです。

冒頭の執行委員長挨拶は、いつも簡潔に行なうように心がけています。人前で挨拶する機会が多いため、檀上で緊張するようなことはありません。原稿がなくても大丈夫ですが、いろいろ話を広げてしまい、割り当てられた5分という時間をオーバーしてしまう心配があるため、毎年、定期大会だけは必ず挨拶する内容の原稿を用意しています。ここ数年、挨拶原稿のほぼ全文をブログで紹介していますが、今回の内容は下記のとおりでした。

昨年の定期大会で出席者に記念品を渡すことを疑問視するご意見をいただきました。その提起を受け、貴重な組合費の使い道として従来通りで良いのかどうか執行委員会で議論しました。結論はこれまで通りとし、特に今回は5回節目にあたるため、例年より予算を増額しています。やはり一人でも多くの組合員の方に出席いただけることが重要であり、その一つの工夫として出席記念品の取扱いを判断させていただきました。

今回、たいへん恐縮ながら、お寄せいただいた意見に沿った結論に至りませんでした。しかし、これまで大会で示された意見を踏まえ、議案書本体は回覧とし、コンパクトな方針案を早期に組合員全員に配布するように改めてきました。また、組合予算の会計年度を1月から12月までの期間に変更したのも「決算よりも予算を重視すべき」という大会での発言を踏まえたものでした。さらに組合費の引き下げを要望する意見を受け、1年間検討した上、2012年1月から率を引き下げています。

これからも組合員の皆さんからの多様な声を受けとめ、前例にとらわれず、見直すべきものは見直していく姿勢を持ち続けていくつもりです。このような関係を重視することが、組合は組合員の皆さんのものであるという意識を高めることに繋がるものと考えています。そのような意味で、ぜひ、今大会においても多くの意見が示されることを願っています。

さて、貴重な機会ですので、組合の多岐にわたる課題についてじっくりお話したいところですが、時間も限られていますので簡潔に論点を絞ってお話させていただきます。先日、厚労省が「ブラックバイト」の実態調査の結果を明らかにしました。昨今、この「ブラック」の問題が取沙汰されています。厳しい経済や財政状況が続く中、一昔前のように賃金や一時金の大幅引き上げは容易ではありません。

それでも労使交渉を尽くせるからこそ、使用者側の勝手な賃下げ等に対する大きな歯止めになり得ています。この歯止めがない場合、「ブラック」な話に繋がりかねません。使用者側の視点だけでは問題で、働く側の視点や声が反映された労働条件の維持向上が欠かせないものと考えています。

このような多面的な検証は働き方の問題に限りません。より望ましい「答え」を見出すためには多様な考え方や見方をもとに判断していくことが重要です。偏った意見や情報だけで決めてしまった場合、大きな問題が生じかねません。あらゆる場面で留意すべきことであり、最近では政治の場面で、その必要性を痛感しています。

安保法制や原発、沖縄の基地、労働法制、年金積立金の運用の問題などに対し、国民の中に反対や疑問視する声が多数を占めています。それでも今の政府与党はそのような声に耳を傾けず、押し切ろうとしています。BPOから政治圧力について指摘されても「問題ない」と強弁し、憲法53条で4分の1以上の議員の要求があれば国会を開かくなくてはなりませんが、年内の臨時国会を見送ろうとしています。国民や野党の声に対し、このように政府与党は謙虚さのない姿勢を見せ続けています。

しかしながら最近の世論調査の結果は内閣支持率が上向きの傾向を示しています。たいへん歯がゆく感じています。より望ましい「答え」を見出すためには多面的な考え方や見方をもとに判断していくべきだろうと思っています。政治の中にチェック機能を働かせていくためにも、自民党に対抗できる野党の存在が欠かせません。そのためにも自治労や連合と緊密な連携をはかれる民主党の奮起を期待しています。

特に私たち自治労は来年の参議員選挙に向けて、組織内議員の江崎孝さんの勝利が欠かせません。一方で、多岐にわたる情報があふれる中、組合員一人ひとりの価値観は多様化しています。組合の活動方針と組合員との間で問題意識の溝が生じないように注意していかなければなりません。その溝が広がっていくと組合活動全体に対する結集力の低下に繋がりかねません。そのような事態を避けるためには、よりいっそう「なぜ、取り組むのか」という丁寧な情報発信や説明が欠かせないものと考えています。

まだまだお話したいこと、取り上げるべき大事な課題が数多くあります。それでも皆さんからの発言の時間を充分保障するためにも、挨拶は短めにさせていただきます。最後に、これからも常に「組合員にとって、どうなのか」という判断基準を大事にし、組合運動の先頭に立ち、全力を尽くす決意です。それでは、ぜひ、最後まで参加いただき、フライパンセットなどを獲得するチャンスを持ち帰られるようよろしくお願いします。

上記は原稿の内容のほぼ全文です。出席者や来賓の皆さんに謝意を表した冒頭の言葉などは省いています。さらに最後の「それでは…フライパンセットなど…」の2行も省くことを考えました。それでも5回節目の大会は出席記念品の予算を増額していることと合わせ、「最後まで参加ご苦労様でした」抽選券の説明に繋げるため、原文をそのまま掲げています。以前の記事「組合大会成功への試行錯誤」の中で次のような説明を残していました。

いずれにしても大会が成功だったかどうか、出席者の数が大きなバロメーターだと個人的には思っています。日頃から組合活動に親近感や問題意識をお持ちの組合員は、当然のこととして出席してもらえます。その一方で、日頃は組合活動にあまり関心を持っていない方が、どうしたら出席してもらえるかが非常に大事なことだと考えています。

その一つの工夫として、出席者全員へ記念品を用意しています。そして、その記念品の内容によって出席者数は増減しているようです。原則的な考え方からすると「モノでつるのは邪道だ」とお叱りを常に受けています。それでも関心のある方だけで重要な大会議論が進むのではなく、数多くの組合員が出席した上で議論できる方が好ましいものと思います。

以前は出席記念品を受け取り、しばらくして先に帰るケースが目立ちました。500人の出席があっても、最後の採決時には半分程度だったこともありました。さらに一つの工夫として、「最後まで参加ご苦労様でした」抽選券を大会終了後に配るようにしました。それ以降、途中で帰られる方が少なくなりました。「せっかく来たのだから最後まで参加しよう」との切っかけにできたものと思っています。

ますます「モノでつっているようで不謹慎だ」と感じたり、「情けない組合だ」と思われる方がいらっしゃるかも知れません。繰り返しになりますが、日頃関心のない組合員が大会へ出席してもらうことは非常に重要です。大会へ出席したことにより、組合活動に関心を持ってもらう機会となるようならば効果的な工夫だったと位置付けられます。

厳しい批判があることも覚悟の上で、いろいろ試行錯誤しています。当然、日常的な組合活動の裾野を広げ、大会出席者を増やしていく努力も疎かにするつもりはありません。また、公務員組合をとりまく情勢が厳しい中、大会議論の中味が肝心であることは言うまでもありません。それらを踏まえた上で、幅広い組合員が結集できる組合活動に向けて、今後も硬軟織り交ぜた工夫に努めていく考えです。

今回の定期大会、経過報告や方針案の議論の際、それぞれ複数名の方から貴重なご意見や問いかけをいただきました。特に複線型人事制度の問題は重要な話であり、機会を見て当ブログの題材として掘り下げてみるつもりです。全体的な議事は無事終了し、執行部が提案した議案はすべて承認を得られました。大会に先がけて実施された信任投票では立候補した組合役員全員が信任されています。私自身、引き続き執行委員長として信任率91%、組合役員16名中の最上位で信任を得ることができました。

その中で、組合活動に関心と意欲を持たれていた執行委員の一人が事情で退任しますが、新旧役員の挨拶で「機会があれば、もう一度務めたい」という心強い言葉を残していただきました。毎年、お誘いしていた方が今回執行委員に立候補を決意され、2年前に退任された元副委員長が一執行委員として返り咲いていただきました。執行部の総数は1名増え、たいへん心強く、前述したような「流れを変える分岐点」に向けた一歩を踏み出せたものと受けとめています。

節目の定期大会を通し、組合に期待する組合員の声が多くあることを改めて認識しています。そのような声にしっかり応えていくために執行部は全力で頑張ります。ただ組合役員一人ひとり、仕事や家庭などに折り合いを付けながら日々苦心しています。ぜひ、ここにいらっしゃる組合員の皆さん、ここに足を運ばれていない組合員の皆さんにも働きかけていただき、一人ひとりの力を出し合い、たいへんさを分かち合えるような組合活動に高めていけることを願っています。

上記は大会の最後に私が会場の皆さんに呼びかけた言葉の要旨です。大会終了後、何人かの方から「参加者の発言なども含め、良い大会でしたね」という感想をお寄せいただきました。出席者は期待した数に及びませんでしたが、今後に向けて手応えや課題を確認できたものと思っています。最後に、組合員の皆さん、大会運営にご協力いただいた皆さん、来賓の皆さん、新旧の組合役員の皆さん、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。

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コメント

何というか、ステレオタイプなのですね。

あれだけ親密さをアピールしていた長島氏すら
民主党の解党を言い始めているという状況で、
方針を抜本的に見直すことが出来ないのならば
組織としては死に体としか思えないのですよ。

多少の目くらましで誤魔化されないで欲しいなと思います。


結局は、方針を変えることはありません。
意見は聞いた振りをして、聞き流しています。
組織の方針は既定事項です。
組合員の総意だと信じて言うことを聞いていなさい。

という事で宜しいですか?
いや、そうとしか思えないのですよね。

投稿: | 2015年11月15日 (日) 23時34分

>安保法制や原発、沖縄の基地、労働法制、年金積立金の運用の問題などに対し、国民の中に反対や疑問視する声が多数を占めています。それでも今の政府与党はそのような声に耳を傾けず、押し切ろうとしています。BPOから政治圧力について指摘されても「問題ない」と強弁し、憲法53条で4分の1以上の議員の要求があれば国会を開かくなくてはなりませんが、年内の臨時国会を見送ろうとしています。国民や野党の声に対し、このように政府与党は謙虚さのない姿勢を見せ続けています。

>しかしながら最近の世論調査の結果は内閣支持率が上向きの傾向を示しています。たいへん歯がゆく感じています。より望ましい「答え」を見出すためには多面的な考え方や見方をもとに判断していくべきだろうと思っています。政治の中にチェック機能を働かせていくためにも、自民党に対抗できる野党の存在が欠かせません。そのためにも自治労や連合と緊密な連携をはかれる民主党の奮起を期待しています。

そもそも、どうして組合がこのような話をする場になるのでしょうか?
組合本来の活動は、こういったことをすることなのでしょうか?

国民の大多数という言葉にも疑問がありますし、そもそも、自分達の労働条件を改善するべく活動が、どうして一定の政党に加担することになるのか、どうしても理解できません。

余りに、余計な主張や活動が多すぎませんか?
そこに、組合員が離れていってしまう、本質があると考えたことはありませんか?

自民党も民主党も、どうでもいいです。
政治に不満があるなら、別でやってください。
組合員を巻き込まないでください。

そう思う人が、大多数であることに気が付きませんか?

投稿: 下っ端 | 2015年11月16日 (月) 07時32分

労組の本分(本義?)というか、職員団体(≒労組)の本分(本義?)が何か?ってのは古くて新しい課題かも知れませんね。

本来、労組ってのは、「労働者であるという(ある意味外形的な)属性を持つ個人の集団」であって、「特定の政治的主張(主義信条)を有する個人の集団ではない」ですからね。

労組は「単に労働者の集合体であって、特定の政治的団体(運動体)とは、趣を異にする」ってことは、運動体(労組)の指導者層には、もう少し顧慮されても良いのだろうなってことは、思いますね。

労働運動としての労組には「意義」を見いだせても、特定の政治的運動体としての労組には「異議」を見いだすという方も相当程度居られるでしょう。
つまり「労組の活動は是としても、政治的運動団体に所属するつもりはない」とか「労組には加入したけど、政治運動体に加入した記憶はない」っていうようなスタンスの方ですね。

所謂労働運動の現状には、そういう(純粋な狭義の)労働運動とは異なる「政治的運動体と化している労組の現状、むしろ政治的運動体としての活動が本務化している(少なくともそう見える)現状」に対する批判も影響してきたと思うんですよね、ワタクシなどは。
「政治的活動(反体制運動)は、政治的団体を創ってやればよい。労組という組織体を隠れ蓑にした政治的な運動体(反体制運動体)を創るんじゃない」という批判もです。

とはいえ、公務従事者の場合は公務従事者という特性による民間従業者との差と、国家公務員と地方公務員の差もあるし、そもそも労組と職員団体の相違もある(加えて所謂吏員と企業体の従事者の差とかもある)ので、更に話が複雑になりますけど。
「公務員ってのは政治体制(統治機構)の一部(執行者)なわけで、それが反体制運動をやってる。」となれば、一般の支持は広がりにくいでしょうし。

ワタクシは、管理人様よりは右寄りで、けれども、比較的「(本来の・狭義での)労働組合とか労働運動」には理解がある立ち位置だと自認はしています。

でもそれは、狭義での労働組合とか労働運動(あるいは、職員団体とか法定された職員団体の本務)に対してであって、
「特定の政治的活動がしたいなら、労組とは別の政治的運動体を組合員有志でおつくりになれば宜しい」のに。
というのは、(本来の)労組の異議を認めればこそ、現状に対する不満としては、ワタクシも思ったりします。

ただ「職員団体」はその特性(組織としての法律上の・公務員という構成員の法律上の属性の特性)から、「構成員有志で別途政治的運動体を創る」という話にはならないし、なってはいけないし、それにはワタクシも反対です。
その「労組法上の労組とは決定的に違う団体の性質や、公務従事者という構成員の性質」という与件があるのは判ります。

そうすると、政治的運動体としての活動は切り捨てて、「職員団体の本義を本務にした・本義だけに忠実な団体に変革」しないと、先行きはどうにもならんだろう。という印象はあります。

投稿: あっしまった! | 2015年11月16日 (月) 08時58分

長文な投稿を行った上に事故レスで、恐縮です。
下から3つめの段落、最後の一文中「(本来の)労組の異議を認めればこそ」とあるのは、「(本来の)労組の意義をみとめればこそ」の誤りです。

投稿: あっしまった! | 2015年11月16日 (月) 09時05分

おはようございます

概念的に労働組合が対峙する相手は、国や大企業でしょう。ここに問題はないはずです。さて、一般市民から見た労働組合ははたして敵か味方かどちらでしょう。本来なら、一般市民から見て労働組合は味方サイドのはずです。しかしどちらかと言えば、距離をおかれる存在になりつつあるのではないのでしょうか。

実際に加入率や人員の増減などを考えても組合は弱体化しています。その理由が政府や企業の作戦だ陰謀だと言われるかもしれません。そうゆう部分もあるでしょう。

なぜ一般市民が組合のデモを冷ややかに見るか、なぜ距離を置くのか、なぜ加入率が下がるのか。これをどれほど丁寧に説明を尽くしても、話せば話すほど乖離していくものと思われます。

再び労働組合が非常に活発になる可能性も十分にありますが、私としては過去に申し上げたとおり、組合本来の目的に回帰してほしいものです。

このあたりはOTSU氏が苦慮することですが、より先鋭化する方々とより融和的であろうとする方々の距離が離れることですね。

投稿: nagi | 2015年11月16日 (月) 10時21分

定期大会、お疲れ様でした。
私の単組の大会は、来週開催されます。

さて、労働組合が労働条件に関すること以外の政治活動その他の運動をなぜ行うのか?そんなことをしているから組合離れが進むのだ、というご意見が書き込まれています。
そのとおりなのだろうとも思います。
一方、私自身がかつて役員を担った経験からすれば、労働条件に関することを組合はすればよいというのも、なかなか難しいなとも思います。

私としては、経済と政治は切っても切れない関係であり、賃金・労働条件といった問題が経済の中で発生し、労働者側が自らに有利な状況を作り出そうとすれば、政治に対しても何らかの影響力を持とうとすることは必要(必然)なのかな、と思っています。
私たちのような公務員であれば、勤務・労働条件について労使協議のうえ互いに合意に至ったとしても、議会の議決を要するケースが多いため、否決されることもあります。そうならないよう、議会に私たちの味方になってくれる議員を増やす、私たちの代弁者としての議員を送り出すといったことが必要となってきます。そうした点で、政治にかかる運動はしなければならないなと思ってやっています。
ただ、最近は、私としては国政については民主党はじめ期待できない政党ばかりで、正直、他の人に対してもなかなか「政治闘争をがんばろう」と言えない、言ったとしても何か自身の中にモヤモヤした感じのある、ジレンマみたいなものを感じています。

長文、失礼しました。

投稿: アンディ・ベム | 2015年11月16日 (月) 23時22分

労組にとって、「政治に対する働きかけは重要な手段」であることは強く肯定します。

でもそれは「手段」でしょう。「目的は政治への働きかけを成功させること」でしょう。

「特定の政党への支持をすべての活動の基盤(起点)におく。すべて政治課題には、特定の政治的思想・信条を支持する」という今の方法は、「手段」として適当でしょうか?
ということが問われるとワタクシなどは思います。

「政治への働きかけの必要性」と「特定の政党(政治的思想・信条)を支持し、活動の基盤にする」こととは、決して等値ではないでしょう。

今の労組(職員団体も)の政治的活動の有りかたは、「”手段・手法としての領分”を超えてる」と感じられるわけで、そうした違和感が「政治運動は別のところで遣ってくれ」という感覚を育てるのだろうと思うですよ。

労働組合法にも「主として政治運動又は社会運動を目的とするものは同法による労働組合ではない」と規定されいるわけで、政治的活動は「手段(附随するもの)」でしょう。
「特定の政党やイデオロギーを支持することが、存在意義(すべての活動基盤・思考様式の起点)そのもの」になっているように見える現状は、もはや「労組法上の労組ではない」という印象を与えたりもするんですよ。

まして、公務員の職員団体は、労組法上の労組よりも、「政治との間合い」はセンシティブだろうと思います。公務員という職業の特性がそれを求めるわけですから。

「特定の政党(政治的主義・思想・信条)を、あらゆる活動についての、行動や思考の起点(規範)にせずに活動する」という方針の上で、あくまでも”手段”としての政治への働きかけであれば、もう少し展開は違ったと思うですよ。

今は、「労働運動 = (無条件の)反体制・反政府活動」という図式になりきってしまってるのが問題の本質だと思うです。「政治への働きかけの是非」ではなくて。

投稿: あっしまった! | 2015年11月17日 (火) 09時46分

労組ってのは、「労働者という、ある意味外形的な、属性で繋がった団体」ですから、「特定の政治思想・主義・信条という、すぐれて個々人の内面的な、属性で繋がった団体」として存立し続けること自体に無理があります。とワタクシなどは思っています。

労組が、「労働者の団体」ではなく、「特定の政治的思想を持った(者で、労働者という立場にある者の)団体」と化した(化したかに見えた)時点で、衰退と崩壊は必至だったと思うんです。

それが、本来の労組・労働運動の意義を評価しているワタクシとしては、もどかしいです。
約半世紀まえに「労組=反体制運動体」という構図がここまで強くならなければ、違った途もあっただろうにという思いは、強くありますねぇ。

投稿: あっしまった! | 2015年11月17日 (火) 09時55分

労働組合の本来の仕事は給与労働条件の向上で、
付属的に政治的な平和や人権の運動もやっているのですが

仮に、組織として
前者のために割くエネルギーが99%くらいで後者に割くエネルギーが1%としても、
前者が内向きの働きかけ(対使用者や組合員内で完結する)なのに対して、
後者が外向きの働きかけ(政府や自治体、世間への発信を伴う)
になるのであるから、外から見るとまるで後者の運動ばかりやっているように見える、

ということなのではないかと思います。


投稿: 御坊 | 2015年11月17日 (火) 13時04分

上記は仮説です。実際には、ウチの組合なんかを見ても労組の活動というのは、かなりの部分が福利厚生事業(スポーツ大会やら全労済の事務手続きやら)に割かれているような気がします。

投稿: 御坊 | 2015年11月17日 (火) 13時07分

特定の政党を、団体(組織)として、「支持」することをやめる。
執行部として、「推薦」するに留める。
政治に対する働きかけは、全方位に行う。

これだけでも、かなり違うと思うんですけどねぇ。

現状の方法では、組合が、構成員(組合員)の政治的思想・信条を、特定の方向に統制(政治的思想・信条を強制)してるように見えなくもないんですよ。

それに関する抵抗感から、労組に距離を感じる人もいらっしゃるという印象なのですけどねぇ。「特定の政治的思想・信条・価値観を押しつけられたり、強制されたりしたくない」っていう感覚や、そうした現状に対する違和感というのかな。
そういう思想的統制(の類似行為?)への違和感というか、「政治的運動体に入るつもりはない」みたいな拒否感(内心の自由を侵害されることへの抵抗感)というか。

投稿: あっしまった! | 2015年11月17日 (火) 18時15分

労働組合に加入して、労働者の利益を増やす、守る為の活動をしようと思っていたのに、そこに政治や平和や原発などの思想信条に関する事柄が絡んでくる。組合の大会でそのような議題がでる。なんて言いますか自分の思想信条の自由を阻害される気になるのでしょうか。組合にはそんな意図がなくてもそのように感じる人もいるのでしょうね。

>労組が、「労働者の団体」ではなく、「特定の政治的思想を持った(者で、労働者という立場にある者の)団体」と化した(化したかに見えた)時点で、衰退と崩壊は必至だったと思うんです。

完全に同意です。

投稿: nagi | 2015年11月17日 (火) 21時02分

組合に関する私が述べたような、労働運動への特化に関してもっとも簡単な解決方法は、労働組合は労働運動のみ。そして政治・平和活動を行う団体を設立し、そこで行う。メンバーは重複してもかまわない。

これがもっとも簡単ですっきりする方法だと思うのですがね。平和活動や政治活動をしたい人は参加し、したくない人は参加しない。

参加人数の問題か、金銭の問題か、なにかが問題で実現できないのでしょうか。

それとも労働組合の人々にとって、労働問題だけを行うのは何かおかしいことなんでしょうか。OTSU氏が過去に述べたように「主客逆転しないように活動する」とありましたが、労働問題が主である以上、他の活動に参加するほどの余力もリソースもないと私などは思うのですがね。

組合費を払ってるならば、幹部が慰安で沖縄旅行に行くことを納得できても、沖縄で反戦運動をすることには納得できないなあと、私などは思います。

投稿: nagi | 2015年11月17日 (火) 21時20分

> なにかが問題で実現できない

多分、地公法第36条第1項との兼ね合いかと思います。ボソッ。

現状は、地公法第36条第2項但書に依ってると思料しますが、別団体方式だと、おそらく同条第1項に牴触する虞があるのではなかろうかと。
そうすると、地方公務員の職員団体には、別団体方式を採る余地はないという判断になるのではなかろうかと。

単なる思いつきですので、真実の程は判りかねますけれども。

なおワタクシの一連の投稿は、「別団体方式が最善」と思いつつ、現行法を与件とした上記のような思料を前提にしており、
とりわけ2015年11月17日 (火) 18時15分の投稿はそうした理想と現実の間で捻ったものです。

投稿: あっしまった! | 2015年11月17日 (火) 21時59分

あっしまった!による
2015年11月17日 (火) 21時59分投稿の補足。

同投稿は、「地方公務員の職員団体(地公法上の職員団体、国公法上の職員団体を含まない。)」を前提に置いており、「民間従業者の労働組合=労組法上の労働組合」を念頭に置いたものではありません。

民間従業者の労働組合に対しては、躊躇なく「別団体方式」を推しますし、国家公務員の職員団体に対してはまた別のことを述べます。

今回のワタクシの一連の投稿は、この「労組」と「職員団体」の違いについては、文章表現が下手なので表現としてはボケていると思いますが、明確に意識して分けて考えています。

投稿: あっしまった! | 2015年11月17日 (火) 22時15分

あっしまった!による
2015年11月17日 (火) 22時15分投稿の訂正

×原状
「地方公務員の職員団体(地公法上の職員団体、国公法上の職員団体を含まない。)」

○含意
「地方公務員の職員団体(地公法上の職員団体を意味し、国公法上の職員団体を含まない。)」

投稿: あっしまった! | 2015年11月17日 (火) 22時50分

皆様から、色々なご意見が聞けて感謝しています。

確かに、御坊さんのおっしゃるとおり、政治的活動の比率は高くないかもしれません。

でも、管理人さんはこの場で政治的なことをよく発信していらっしゃる。
動員もいいのですが、安保反対や、原発反対などの動員も、結構来たりしていますよね。
春闘決起大会の動員などは、本質的な運動でしょうからいいのですが、ちょっと本筋から外れてしまっていませんか?

たぶん、役員の皆さんは組合員の加入率増加や、活動へ参加してもらいたいと、日々苦心されているのかと。
だからこそ、あえてこういったお話をさせて頂きました。

一組合員が、深く考えるのではなく、単純に感じていること。そこに、何かを感じ取って頂けたらと思います。

投稿: 下っ端 | 2015年11月18日 (水) 00時06分

>あっしまった!氏

>多分、地公法第36条第1項との兼ね合いかと思います。ボソッ。

何度かプログで話題になりましたね。OTSU氏は違法性はないと言及してたように記憶しています。

しかし、公務員で構成する団体において、政治活動に特化してる団体なら違法で、労働組合が政治活動するのは適法となると、なんか不思議な気持ちになりますね。
看板だけ掛け替えたらOKなのかと。

私の理解がおかしいのではなければ、是非OTSU氏にも見解をうかがいたいですね。

投稿: nagi | 2015年11月18日 (水) 10時33分

正解は、後ほど管理人様から、ご見解が示されると思うのですが、ワタクシの現時点での認識を明らかにする意味で、以下を投稿しておきます。
※無責任にコメントを投稿しておいてアレですけど、全部読んでもれなく解答を錬るとなると、管理人様も大変だなぁと思ったり。(アセアセ;;

一応、現状は、「地公法第36条第2項に照らして妥当な範囲」という見解になるのだろうと、思料しますが、
そうであれば、第36条第1項に牴触せず、第2項の制限を遵守しているということで、”適法(すなわち違法性はない)”ということかと思います、ワタクシも。

もちろん「無条件ではなく、第36条第2項の制約の範囲」が遵守されている限りにおいて、ですけれども。

政治団体の結成は禁止ですけど、第36条第2項の範囲(限定された範囲)であれば、政治的行為は是認されてますので。
地方公務員法の、政治的行為に関するこの条文は、いろいろと経緯もあって、難儀なんです。
よほど注意深く読まないと、適法の範囲が見えてこないという。かくいうワタクシも自信がない部分があるのですけど。

この辺り、労働三法の適用範囲の部分と並んで、地方公務員(地公法)と国家公務員(国公法)との違いがある部分ですね。

流石に、「第36条は職員の規定であり、職員団体について定めた第3章第9節の規定ではない。」とかいう理屈ではないだろうと信じたいのですが。

投稿: あっしまった! | 2015年11月18日 (水) 12時08分

シビアなことばかり投稿しているので、ちょっと思うところを。

民間従業者からすると、「労働運動(労働条件=雇用契約の改廃に関して社長に訴える)」のと、「政治運動(法制度や諸々の政策に対して政治に訴える)」のと、この2つは全く別物なんです。その前提に立って、「労働運動は労組で・政治運動は政治的団体」でという役割分担論は「意識する必要もないほど当たり前で、両者には強固な壁があるもの」なんです。※※以降、両者を前述の定義で使います。
一方、公務員からすると「労働条件=(広義の)法令であり、いってみれば政府(政治)に雇用される状態」なので、「労働条件について訴える=議会に法令の制定や改廃を訴える」であって、民間従事者にとっての明確な区別はないんです。労働運動であっても政治運動であっても、政治への働きかけという意味で一緒。この2つの境界は曖昧というか「あまり意識されない程に区別がないというか、区別するという発想自体がない(両者に壁がない)。」というべきかな。

で、ワタクシなどが「職員団体(≠労働組合)は、政治運動の範疇は切り捨てるべき(労働運動の範疇は団体の本義の部分だけを行うべき)」という論を展開したとして、公務においては「そもそも政治に働きかけなくて済む領域の労働問題って何だろう?」みたいな話になるのも一面で事実かと。
そうすると、「政治的運動はやめるべき = 政治的働きかけは許されない = 労働運動の範疇であっても許されない」みたいな話になったりすると、「職員団体の結成は法的に認められている = 労働運動の範疇は認められる = 事実上渾然一体な政治への働きかけも認められる」という反論が返されたりもする。

だから、「労働運動は本義なのだからおやりになったらいい。政治運動は避けるべき。」という主張も、「そもそも両者を分けるという観念がない(そもそも分かれた概念ではない)のだから、通じようもない」みたいな部分があるかも知れないと思ったり。
さらに、世間には「公務員が、待遇改善を求めること(自分の労働条件を論じること)自体が悪である」というような論説もあって、そういう論に立つと「労働運動も政治運動も許すべきでない」ということになって、そうすると「公務員だって労働者だ、奴隷じゃない。労働条件の改善を求める権利はある」というような反論(この反論についてはワタクシは同意ですけれども)が出てきたりして、いつもの遣り取りに落ち着く。
悪いことに世間には、「労基法=最高限度(上限規制)」みたいな認識(=もちろん誤解。労基法は最低基準)もある程度普及してるみたいで、「労基法を超える待遇を得る、例えばそれが法令の裏付けのあるものであっても、は悪だ」みたいな論調が、公務に対してだけでなく、民間労働者に対して向けられる場合さえある。

みたいな側面はあるわなぁという。
ワタクシは、「公務員の職員団体は、労働運動の範疇は本義だし法令の範囲内であればご自由にどうぞ。政治運動の範疇はお控えになった方が・・・。」という意見で、「政治運動は主義・思想・信条の自由を統制することに繋がるので、職員団体の機関決定として行うべきでない。行うのであれば、職員団体が政治的信条などが一致した者だけの(ある意味で狭い・事実上の政治運動体としての)集まりになるのも避けられない。」とも訴えていますが、噛合うのは難しいかなと思います。

公務員の職員団体に対して「分けるという観念のないものを、分けて考えましょう。片方は捨てましょう。」といっても、例えは悪いですが「教義を改めましょうって部外者がいってるようなもの」みたいな部分があって、難しいよなぁっていう。

投稿: あっしまった! | 2015年11月19日 (木) 14時04分

皆様から、色々なご意見が聞けて感謝しています。

>下っ端さんへ

私の記事への言及ありがとうございます^^

言葉足らずで誤解されてしまったかもしれませんのですが、私は比率の問題を話しているのではなくて

賃金労働条件などの内向きの課題は機関誌等で組合員に周知しているのだろうし、

外向きの課題については、当然外部に発信することで目的の達成を図ろうとするのであるから、このブログでの発信やデモ・集会等で発信しているのであろう、

から、このブログだけでotsuさんの組合を把握している人からすると後者の運動しかしていないように見えるのではないか?

ということです。


投稿: 御坊 | 2015年11月20日 (金) 12時32分

2015年11月15日(日)23時34分に投稿された方、下っ端さん、あっしまった! さん、nagiさん、アンディ・ベムさん、御坊さん、コメントありがとうございました。

様々な論点の提起や問いかけがあり、すべて網羅できるかどうか分かりませんが、新規記事は今回のコメント欄に寄せられた声を受けとめた内容に繋げるつもりです。コメント欄を通したきめ細かいレスにいつも至らず恐縮ですが、ご理解ご容赦くださるようよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2015年11月21日 (土) 08時16分

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