なぜ、民主党なのか?
このブログでは政治的な話題の投稿が多くなっています。前回の記事「組合の政治活動について」の中で説明したとおり「丁寧な情報発信」のツールの一つとして、意識的に政治に関わる内容を取り上げている傾向があります。その一方で、日常の組合活動の中で政治的な課題が占める割合はごくわずかであり、賃金や人員確保、人事評価制度の労使協議などが現時点での重要な取り組みとなっています。
今回は政治の話から離れた身近な課題を取り上げることも考えていました。ただ前回の記事で言い尽くせなかったことがあり、記事タイトルに掲げた「なぜ、民主党なのか?」という切り口で書き進めることにしました。労使交渉だけでは解決できない課題があるため、組合としても一定の政治的な活動が必要になるという関係性を説明してきました。つまり組合の政治活動は目的ではなく、組合員の暮らしを守るための手段だと言えます。
このような関係性について概ね理解されている方々の中にも、組合が特定の政党を支持することに疑義を抱かれる方も多いようです。特に多くの国民の信頼を裏切った民主党を支持していることに反発や疑問を持たれている方々が多いことを受けとめています。そのような「なぜ?」に前回の記事では充分答え切れなかったため、今回の記事を通して私自身の「答え」や問題意識を綴らせていただきます。
前回の記事で定期大会の挨拶の中では意識的に「自治労や連合と緊密な連携をはかれる民主党」の箇所にアクセントを置いていた点を補足しましたが、これだけでは分かりづらかったものと思います。過去、総評は社会党を支持していました。現在、連合は民主党を支持しています。アメリカの民主党は一般的に中道からリベラルの立場の議員が所属し、労働組合が応援している政党です。イギリスの労働党は文字通り労働組合が支持基盤となっています。
このように歴史的にも国際的にも、労働組合が社会的な影響力を発揮するため、特定の政党との支持協力関係を築いています。支持政党と敵対する政党から疎まれるリスクもありますが、それ以上に「八方美人」的な立ち位置では得られないメリットがあることも確かです。したがって、自治労や連合と緊密な連携をはかれる民主党だからこそ、雨の日に傘を取り上げるような関係には至らず、これからも支持していくことを前提に方針を議論しています。
仮に民主党側から連合との支持協力関係を解消したいという意向が示されるのであれば、その前提は崩れるだけの話となります。ちなみに定期大会の挨拶の中で「奮起を期待」という言葉を使っていましたが、今の民主党のままで良いのかどうかで言えば、もちろん今のままでは問題だと考えています。「奮起を期待」という言葉には多くの国民から改めて信頼されるような政党に脱皮して欲しいという願いを込めています。
さらに定期大会の挨拶の中では多面的な検証の大切さを提起し、最近の政治の場面での必要性を痛感していることを訴えていました。今回の記事では提起した趣旨を少し補足しながら、民主党の奮起を期待している話に繋げていきます。以前の記事を検索した際、そのような趣旨を説明した昨年6月に投稿した記事「民主党に期待したいこと」を見つけたため、当時の記述をそのまま掲げさせていただきます。
労使交渉を通して体感してきた思いがあります。立場や視点が異なる者同士、対等な立場で率直な議論を重ねていくことの重要性です。協議事項を多面的に検証することで、問題点を改められる機会に繋がります。経営者側の目線だけでは見落としがちとなる点、もしくは働く側にとってアンフェアな提案に対し、労使交渉という手順を踏むことで、より望ましい修正や改善がはかれるようになります。
このような仕組みは政治の場でも同様に求められているものと考えています。例えば労働法制の見直しの問題では、あまりにも経営者側の視点に偏ったまま進められていくことを危惧しています。他にも具体例をあげれば切りがないほど政府与党が示す法案等に対し、視点を変えれば問題が大きい場合もあります。見方を変えれば、民主党政権の時も同様な問題があったろうと思います。物事の是非に対して絶対的な「正解」は簡単に見出せないものと考えています。
だからこそチェック機能を効果的に働かせる仕組みが重要であり、より国会審議の場などで発揮して欲しいものと願っています。「決められない政治」が批判されていましたが、与党多数の結果、問題点が修正されないまま「決められていく政治」のほうが余程批判を受けるべき話だと思っています。現在の巨大与党に対し、チェック機能を充分働かせられないバラバラな弱小野党という構図になっています。さらに今後、総選挙の際、いつでも政権交代できる緊張感を持った2大政党制の必要性からも野党再編が取り沙汰されています。
上記の内容の後に続く問題意識も当時と現在も基本的に変わらず、より増している気がしています。民主党には労働組合との関係性を決して負の側面だととらえず、逆に強みとし、そこを起点にした理念や政策の再構築を願っています。「働くことを軸として、安心できる社会を作っていく」という言葉などは民主党と連合が共通認識に立っているものです。そもそも自民党との対抗軸が曖昧なまま、野党の再編が進んでしまった場合、視点や立場の相違からのチェック機能を充分働かせられない恐れがあります。
もちろん野党だから「何でも反対」と言って欲しいという訳ではありません。もともと備えている民主党としての基本的な立ち位置、リベラルな色合いを持ちながらもイデオロギーが前面に出ない政党としての存在感を高めることで、おのずから自民党との対抗軸が浮き彫りになっていくように見ています。その対抗軸の打ち出し方によっては改めて政権交代の受け皿になり得る潜在的な基盤や可能性があることを民主党には期待しています。
野党再編にあたり、労働組合との関係性をネガティブな「しがらみ」だと批判する政党と合流するようであれば、連合との支持協力関係は断ち切られていくことになります。加えて、民主党は政権を担った時の経験や教訓を活かさなければなりません。政党としての目標や理念は高く掲げるべきですが、具体的な個々の政策に対しては現実感を重視した地道な「一歩一歩」の積み重ねに汗をかく心構えが欠かせないはずです。
新たな公約を掲げる際、そのようなメリハリを意識し、ポピリュズムに走り過ぎないような自制心も必要だろうと思っています。私自身の見方が必ずしも正しいのかどうか分かりませんが、以上のような軸が曖昧なまま、野党が再編された場合、「1+1=2」にならないどころかマイナスに働くような懸念を抱いています。最後に、そのような意味合いでとらえた時、私自身の問題意識は次の報道のような枝野幹事長の考え方に近いものと認識しています。
民主党の枝野幹事長は28日、さいたま市で講演し、前原誠司元代表らが訴える党の解党について、「地方議員の仲間がいるのに、国会議員の都合だけで解党なんてできるはずがない」と否定した。その上で、「我々こそが軸になって政権を取る気概がなければ、何をやってもうまくいかない」と述べた。【読売新聞2015年11月28日】
| 固定リンク
コメント
以下は、公務員の職員団体ではなく、労組法上の労働組合を前提とした私見になりますが。
労働問題や労働法制に関して、労働者よりの思考様式をもった政治的集団(政党)を労働者の集団(労働組合)が支持するのは当然だし、そうした政治的集団も必要だと思います。
そういう観点から、「労組が、”労働問題に関して、労働政策上の課題に関して”、特定の政党を支持するのは当然のこと」と考えています。
ただ、それ以外の政治的課題に対して、労組として(組織体として)、個々の構成員(組合員)が有権者としてではなく、政治的意思表明をするのは、それは労組でなく政治団体の領域ではないか?と考えています。
例えば、原発に関して言えば、
「現場の労働実態が、労働法制から逸脱しているから改善すべき」ということであれば、労働運動の範疇であるし、労組が対応すべき労働問題だと思います。というか、労組が動かないでどうする?という。
また、「原発を廃止するとして、そこで生計を維持してきた者の生活と雇用に関し、かつての産炭地域のような、政策の転換に伴う何らかのアフターケアを政策としてなすべき」というのも、労働運動の範疇であるし、労組が対応すべき労働問題だと思います。
※※かつての炭酸地域振興法とそれに基づく政策のすべてを肯定している訳ではありません。対処の必要と、その内容の是非は別だと考えています。
しかし、「単に、原発を廃止する。原発反対!」だけであれば、それは、政治団体が行う政治運動の領域であって、個々の組合員が有権者として行うのはともかく、労組が組織として・労働運動として行う労働問題の範疇ではないと考えています。
それは、原発関係の従事者にとって、それは雇用を奪い、生活を破壊することとイコールだからです。当該の従事者(あるいはその労組)にとって、外の労組が組織として、よってたかって自分たちの生活と自分たちの団体(労組)を潰しにかかってくるという構図になるからです。
そこに、労組が組織として労働問題に対する労働運動として関与するのが正しいのかどうか?という問題意識をワタクシなどはもっています。
労組の個々の構成員が、有権者としての個人の意思として、原発廃止を訴えるなら、政治的思想・信条の発露としてアリでしょうが、労組が、組織として機関決定をして行うのは筋が違うという印象を持っているからです。
つまり「労働者のための組織である労組が、組織体として、他者の雇用や生活を破壊して良いのか、相手方だって労働者(とその家族)だよ。」っていう感覚ですね。
あるいは、安全保障関係について言えば、
専守防衛を唱える以上、最初の一撃は相手方の攻撃になります。攻撃を受けて被害が生じて初めて、対応できるのが個別的自衛権の発動としての専守防衛です。
そして、国境に隣接した国土が島嶼であるという性質上、その面積を与件とすると、「戦闘地域=居住地」である可能性が高くなります。
そのときに、自衛隊は、全力で相手の組織に対する必要があり、国民保護を行う余裕はありません。相手の組織に対せず国民保護を行うといっても、それは、却って国民の犠牲を増やします。一見して、目先の国民を見捨てて戦闘に専念しているように見える行為が、実は全体として国民の保護に資する(住民の犠牲を最小化する)という構図が生じる可能性があります。というか、生じることを前提に考える必要がある政策課題です。
なので「今、平安法制を考えるなら、そうした構図が生じる可能性を前提にして、自衛隊が反撃に専念する状況(自衛隊は国民=住民の保護をする余裕はないという状況)の中で、国民を以下に保護するか?ともっと真剣に考えるべきだ。それこそ綺麗事の理想論では済まない。」という問題の提起をして欲しかった。
現実に国境に隣接する地域の住民(あるいは労働者)にとっては、相手が仕掛けてくるという与件のもとで以下に自分の身を守るか?行政はどう対応するのか?は、まさしく死活問題です。
そういう提起を労組とか、その支持を受ける民主党さんなりがしてくれなければ、与党はそういう観点からの提案という視点が弱い現状において、誰がするんです。
安全保障は労働問題の範疇を超えて、政治課題ですけど、政治運動体ではなく、組織としての労組として-あえて-関与するなら、そういう提起をして欲しかった。ちゃんと法案を読んだのですか?と感じされるような、ピントの外れたスローガンで、騒いでるのではなくて。
投稿: あっしまった! | 2015年11月29日 (日) 20時55分
以下は、公務員の職員団体を前提とした私見になりますが。
職員団体が、労働問題や労働法制に関して、政治的働きかけをするのは当然だし、応じてくれる政治的団体を応援するのも当然で、そうした政治的集団も必要だと思います。
そういう観点から、「職員団体が、”自らの目先の労働問題に関して、もっと広く労働政策や公務員政策(労働法制や公務員法制)上の課題に関して”、意をくんでくれる政党を応援するのは当然のこと」と考えています。
ただ、それ以外の政治的課題に対して、職員団体として(組織体として)、個々の構成員(公務員)が有権者としてではなく、政治的意思表明をするのは、それは職員団体の本義ではないのではないか?と考えています。
その根本には、「公務員は、職務上の立場としては”決定された政策の執行者”であり、”政策の決定者・政治的意思決定の主体”は内閣や首長や国会や議会にある。個々人としては、”有権者”であったとしても」というワタクシの価値観があります。
地方公務員に関しては、「職員団体の行為は、地方公務員法第36条の政治的行為の制限の名宛人ではない。ただし、団体の構成員(公務員)が行う行為は、たとえ職員団体の決定に基づいていても、地方公務員法第36条の政治的行為の制限をうける。地方公務員法は、”公務員である”という身分に対する法規定であり、行為の職務上か否かは問わない。」という法解釈があるからです。
職員が個々の有権者として、労働問題以外の政治課題に対して是非を論じるのは当然として、職員団体が組織体として、労働問題以外の政治課題に対して是非を論じるのは、どうか?公務員の政策の執行者としての性質上、公務員が団体を組んで・団体として、決定された-労働問題以外の領域の-政策に反対の論を唱えるのは、どうか?という疑念を感じるものですから、ワタクシなどは。
念のために再度申し上げますが、個々の職員が、政治課題についてアレコレ思い、投票という意思表示を行うのは、有権者として当然のことと思います。
投稿: あっしまった! | 2015年11月29日 (日) 21時35分
なぜ、民主党なのか?
興味深い内容ですね。私には組合が民主党にこだわる理由が理解できなかった。
仮に自民党のリベラル勢力に力を貸してもおもしろいと思うのですがね。彼らにとって選挙が全てですから。
しかし、本来組合は労働者の代表の意味合いがあると思うのです。しかし労働者の支持は民主党より自民党のほうが多いでしょう。労働者が比較的支持する自民党より、民主党を支持するということは、労働者と組合の意思が相反する事態になってますね。
アメリカの民主党もイギリスの労働党も国防という点では、日本のリベラル系政党とは大きくことなるようですね。
投稿: nagi | 2015年12月 3日 (木) 11時36分
そういえば、「SEALDs」っていう若者の団体が朝日新聞で全面広告を出したことがありましたが、よくよく思うと全国紙の一面広告ってかなりの金額が必要なはずです。ちょっとググってみると
全15段:1ページ(382×514) 39,855,000円
とあります。事実かどうか未確認ですが、本当ならすごい金額ですよね。どうやってこれだけの金額を集めたのでしょうか。カンパだけで集めたのなら、かなり魅力的な団体なのでしょう。集めた費用で、広告しようと誰が提案したのかも興味深いですね。
投稿: nagi | 2015年12月 3日 (木) 18時31分
組合費が政治に使われてるんだろうと思いますが
残念です。
民主党、自治労なら地方公務員は守られているので
うらやましいですね。
投稿: 貧乏国家公務員 | 2015年12月 3日 (木) 22時07分
私も知らないので、もし知っている方がいたら教えてください。
民主党が掲げる政策だから、自治労は賛同するんですか?
民主党の政策が自治労の考えに合致するから、賛同するんですか?
投稿: 下っ端 | 2015年12月 3日 (木) 22時31分
組織の機関決定として、「自民党のハト派に力を貸す」なんてことは、今の自治労さんには、ムリでしょうねぇ。
もし出来るとすると、組織体を原子レベルまで分解して再構成する位の根源的な変革が生じたときでしょう。
自治労さんは、旧総評の主流派でしたから、「基本的に(本能的に?)資本主義の否定を前提とした政治的思考様式」が根底(源流というか、源泉)にあるハズですので。
いかにハト派(リベラル派)に限るとしても、自民党さんのように資本主義を前提にした政党(の部分集合の議員さん)を応援するなんてことが出来るはずもないかと。
せめて、もし労組の主流派が、高度成長期に「本来の意味での社民主義」を受け入れることが出来ていたら、様相は違っていたでしょうけど。
もっとも、仮に「本来の意味での社民主義を指向する政党が相応の力を持ったとしても、今の日本では、もうどうしようもない」位には、現実的に選択可能な政策の幅は狭くなってるのが現実だと思いますけれど。
投稿: あっしまった! | 2015年12月 3日 (木) 23時06分
> 国防という点では、日本のリベラル系政党とは大きくことなる
この分野に関しては、
戦前の日本は、軍国主義によって、世界で孤立する(主要国の中で孤立する)途を選んだ。
だけど、
現在の日本は、特殊日本的(ガラパゴス的)な平和主義によって、世界で孤立する(主要国の中で孤立する)途を選びつつある。
って、言説があるくらいに、リベラル系団体の思考様式は 特殊日本的 になってますからねぇ。
投稿: あっしまった! | 2015年12月 3日 (木) 23時10分
あっしまった! さん、nagiさん、貧乏国家公務員さん、下っ端さん、コメントありがとうございました。
いつもコメント欄を通したきめ細かいレスに至らず恐縮です。取り急ぎお答えしなければならないような問いかけも見受けられますが、やはり機会を見て記事本文を通してじっくりお答えしようと考えています。手応えのないコメント欄で申し訳ありませんが、ご理解ご容赦くださるようよろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2015年12月 5日 (土) 22時02分