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2015年11月29日 (日)

なぜ、民主党なのか?

このブログでは政治的な話題の投稿が多くなっています。前回の記事「組合の政治活動について」の中で説明したとおり「丁寧な情報発信」のツールの一つとして、意識的に政治に関わる内容を取り上げている傾向があります。その一方で、日常の組合活動の中で政治的な課題が占める割合はごくわずかであり、賃金や人員確保、人事評価制度の労使協議などが現時点での重要な取り組みとなっています。

今回は政治の話から離れた身近な課題を取り上げることも考えていました。ただ前回の記事で言い尽くせなかったことがあり、記事タイトルに掲げた「なぜ、民主党なのか?」という切り口で書き進めることにしました。労使交渉だけでは解決できない課題があるため、組合としても一定の政治的な活動が必要になるという関係性を説明してきました。つまり組合の政治活動は目的ではなく、組合員の暮らしを守るための手段だと言えます。

このような関係性について概ね理解されている方々の中にも、組合が特定の政党を支持することに疑義を抱かれる方も多いようです。特に多くの国民の信頼を裏切った民主党を支持していることに反発や疑問を持たれている方々が多いことを受けとめています。そのような「なぜ?」に前回の記事では充分答え切れなかったため、今回の記事を通して私自身の「答え」や問題意識を綴らせていただきます。

前回の記事で定期大会の挨拶の中では意識的に「自治労や連合と緊密な連携をはかれる民主党」の箇所にアクセントを置いていた点を補足しましたが、これだけでは分かりづらかったものと思います。過去、総評は社会党を支持していました。現在、連合は民主党を支持しています。アメリカの民主党は一般的に中道からリベラルの立場の議員が所属し、労働組合が応援している政党です。イギリスの労働党は文字通り労働組合が支持基盤となっています。

このように歴史的にも国際的にも、労働組合が社会的な影響力を発揮するため、特定の政党との支持協力関係を築いています。支持政党と敵対する政党から疎まれるリスクもありますが、それ以上に「八方美人」的な立ち位置では得られないメリットがあることも確かです。したがって、自治労や連合と緊密な連携をはかれる民主党だからこそ、雨の日に傘を取り上げるような関係には至らず、これからも支持していくことを前提に方針を議論しています。

仮に民主党側から連合との支持協力関係を解消したいという意向が示されるのであれば、その前提は崩れるだけの話となります。ちなみに定期大会の挨拶の中で「奮起を期待」という言葉を使っていましたが、今の民主党のままで良いのかどうかで言えば、もちろん今のままでは問題だと考えています。「奮起を期待」という言葉には多くの国民から改めて信頼されるような政党に脱皮して欲しいという願いを込めています。

さらに定期大会の挨拶の中では多面的な検証の大切さを提起し、最近の政治の場面での必要性を痛感していることを訴えていました。今回の記事では提起した趣旨を少し補足しながら、民主党の奮起を期待している話に繋げていきます。以前の記事を検索した際、そのような趣旨を説明した昨年6月に投稿した記事「民主党に期待したいこと」を見つけたため、当時の記述をそのまま掲げさせていただきます。

労使交渉を通して体感してきた思いがあります。立場や視点が異なる者同士、対等な立場で率直な議論を重ねていくことの重要性です。協議事項を多面的に検証することで、問題点を改められる機会に繋がります。経営者側の目線だけでは見落としがちとなる点、もしくは働く側にとってアンフェアな提案に対し、労使交渉という手順を踏むことで、より望ましい修正や改善がはかれるようになります。

このような仕組みは政治の場でも同様に求められているものと考えています。例えば労働法制の見直しの問題では、あまりにも経営者側の視点に偏ったまま進められていくことを危惧しています。他にも具体例をあげれば切りがないほど政府与党が示す法案等に対し、視点を変えれば問題が大きい場合もあります。見方を変えれば、民主党政権の時も同様な問題があったろうと思います。物事の是非に対して絶対的な「正解」は簡単に見出せないものと考えています。

だからこそチェック機能を効果的に働かせる仕組みが重要であり、より国会審議の場などで発揮して欲しいものと願っています。「決められない政治」が批判されていましたが、与党多数の結果、問題点が修正されないまま「決められていく政治」のほうが余程批判を受けるべき話だと思っています。現在の巨大与党に対し、チェック機能を充分働かせられないバラバラな弱小野党という構図になっています。さらに今後、総選挙の際、いつでも政権交代できる緊張感を持った2大政党制の必要性からも野党再編が取り沙汰されています。

上記の内容の後に続く問題意識も当時と現在も基本的に変わらず、より増している気がしています。民主党には労働組合との関係性を決して負の側面だととらえず、逆に強みとし、そこを起点にした理念や政策の再構築を願っています。「働くことを軸として、安心できる社会を作っていく」という言葉などは民主党と連合が共通認識に立っているものです。そもそも自民党との対抗軸が曖昧なまま、野党の再編が進んでしまった場合、視点や立場の相違からのチェック機能を充分働かせられない恐れがあります。

もちろん野党だから「何でも反対」と言って欲しいという訳ではありません。もともと備えている民主党としての基本的な立ち位置、リベラルな色合いを持ちながらもイデオロギーが前面に出ない政党としての存在感を高めることで、おのずから自民党との対抗軸が浮き彫りになっていくように見ています。その対抗軸の打ち出し方によっては改めて政権交代の受け皿になり得る潜在的な基盤や可能性があることを民主党には期待しています。

野党再編にあたり、労働組合との関係性をネガティブな「しがらみ」だと批判する政党と合流するようであれば、連合との支持協力関係は断ち切られていくことになります。加えて、民主党は政権を担った時の経験や教訓を活かさなければなりません。政党としての目標や理念は高く掲げるべきですが、具体的な個々の政策に対しては現実感を重視した地道な「一歩一歩」の積み重ねに汗をかく心構えが欠かせないはずです。

新たな公約を掲げる際、そのようなメリハリを意識し、ポピリュズムに走り過ぎないような自制心も必要だろうと思っています。私自身の見方が必ずしも正しいのかどうか分かりませんが、以上のような軸が曖昧なまま、野党が再編された場合、「1+1=2」にならないどころかマイナスに働くような懸念を抱いています。最後に、そのような意味合いでとらえた時、私自身の問題意識は次の報道のような枝野幹事長の考え方に近いものと認識しています。

民主党の枝野幹事長は28日、さいたま市で講演し、前原誠司元代表らが訴える党の解党について、「地方議員の仲間がいるのに、国会議員の都合だけで解党なんてできるはずがない」と否定した。その上で、「我々こそが軸になって政権を取る気概がなければ、何をやってもうまくいかない」と述べた。【読売新聞2015年11月28日】

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2015年11月21日 (土)

組合の政治活動について

前回の記事「節目の第70回定期大会」に対し、たいへん多くのコメントをお寄せいただきました。コメント欄から距離を置くようになり、詳しい説明が必要な場合は記事本文を通してお答えするように努めています。様々な論点の提起や問いかけがあり、今回、すべて網羅できるかどうか分かりませんが、新規記事はコメント欄に寄せられた声を受けとめた内容を書き進めてみるつもりです。

まずハンドルネームを記載されていない方から「あれだけ親密さをアピールしていた長島氏すら民主党の解党を言い始めているという状況で、方針を抜本的に見直すことが出来ないのならば組織としては死に体としか思えないのですよ」「結局は、方針を変えることはありません。意見は聞いた振りをして、聞き流しています」という批判を受けました。定期大会の挨拶の中で私が「民主党の奮起を期待しています」と発したことに対する批判だったものと理解しています。

私どもの組合も推薦している衆院議員の長島昭久さんとの関係は、これまで多くの記事の中で綴ってきています。長島さんが民主党を解党し、野党再編をめざしていることは確かです。連合地区協の議員懇談会の中でも長島さんから少し話があったため、最近の記事「憲法の平和主義と安保法制」の最後に掲げたとおり私からは「単なる看板の付け替えや数合わせの野党の再編」では国民からの支持が広がらず、民主党として「政権を担った時の経験や教訓を踏まえた政党としての信頼感が高まるよう努力して欲しい」と要望していました。

定期大会の挨拶の中では意識的に「自治労や連合と緊密な連携をはかれる民主党」の箇所にアクセントを置いていました。民主党を見限っている国民が多く、私どもの組合員の皆さんの中でも同様な構図だろうと思っています。それでも現時点での私自身の率直な気持ちは「奮起を期待」であり、連合や自治労の方針を機械的に踏襲するものでもなく、一組合の主体的な議論や判断をもとに導き出している方針です。

匿名の方のコメントの最後には「組織の方針は既定事項です。組合員の総意だと信じて言うことを聞いていなさい。という事で宜しいですか?いや、そうとしか思えないのですよね」と問いかけられ、続いて寄せられた下っ端さんからのコメントも「余計な主張や活動が多すぎませんか?そこに、組合員が離れていってしまう、本質があると考えたことはありませんか?自民党も民主党も、どうでもいいです。政治に不満があるなら、別でやってください。組合員を巻き込まないでください。そう思う人が、大多数であることに気が付きませんか?」と手厳しい批判を受けていました。

このブログを長く続けている中で、お二人が示されたような問題意識や危機感は自治労に所属する組合の役員の中では人一倍強く認識しているつもりです。そのため、最近の記事「自治労都本部大会での発言」に掲げたような立場での問題提起に努めています。さらに機関誌を通して私どもの組合員の皆さんに対し、次のような考え方で政治的な活動に関わっていることを説明しています。その原稿の内容を参考までに「秋、あれから10年2か月」の中でそのまま転載していました。

なぜ、組合が反戦平和の課題にも取り組むのか そもそも論とも言える話から改めて入らせていただきます。労働組合の最も重要な役割は組合員の雇用や生活を守ることです。労働条件の問題は使用者側と労使交渉を通して決めていきます。一方で、組合員の暮らしに大きな影響を及ぼす可能性があったとしても、社会的・政治的な課題は一組合の力だけでは到底関与できない領域となります。そのため、社会的・政治的な課題に対し、歴史的にも国際的にも多くの組合が集まって大きな力を発揮できるようにしてきました。そのような中で私どもの組合は自治労や平和運動センターに結集し、平和で暮らしやすい社会をめざしています。具体的な取り組みとして軍事基地や原発の問題などがあり、それぞれ定期大会で活動方針を確認し、できる範囲内で取り組んでいます。

ただ多岐にわたる情報があふれる中、個々人の価値観は多様化しています。そのため、組合の活動方針と組合員の皆さんとの問題意識に溝が生じないように注意していかなければなりません。その溝が広がっていくと組合活動全体に対する結集力の低下に繋がりかねません。そのような事態を避けるためには政治的な活動の必要性や意義について、日頃から丁寧な情報発信に努めていくことが非常に重要です。「なぜ、取り組むのか」という率直な疑問に答えながら相互理解や信頼関係を高める組合運動がよりいっそう求められているものと考えています。「はじめに」にも記したとおり今回の特集記事が、その一助となれば本望なことです。

改めて紹介させていただきましたが、このブログも「丁寧な情報発信」のツールの一つとして位置付けています。インターネット上であるため、組合員の皆さんをはじめ、不特定多数の方々からも自治労の進める運動について一定の理解が得られることを願いながらブログを続けています。それに対し、「理解できる訳がない、労働組合の本務のみに専念すべきだ」という反発や批判の声が多く寄せられ、その都度、今回の記事のようなやり取りに繋げていました。

これまで「沖縄に揚がる自治労の旗」「組合活動への疑問や批判」などを通し、組合が政治的な活動に関わる経緯や理由を綴ってきています。ただ残念ながら「おかしい」と思われている方々にとって必ずしも充分納得が得られる記事内容だったとは言えないようです。それぞれの基本的な視点や立場から導き出している「答え」は容易に変えられるものでもなく、それぞれの「答え」の正しさの判定も簡単ではありません。前回記事のコメント欄でもアンディ・ベムさんからは労働組合が「政治に対しても何らかの影響力を持とうとすることは必要」というご意見をお寄せいただいていました。

私どもの組合の中でも様々な声があります。安保関連法案に反対する取り組みに際しては「組合ニュースでの取り上げ方が少ない、もっと積極的に集会参加を呼びかけるべきだ」という声も上がっていました。その一方で、組合ニュースの大見出しに反対集会の呼びかけを掲げた時は「ちょっと、これは…」と違和感を示す声が寄せられていました。いずれにしても組合の政治活動に対し、違和感を持たれる下っ端さんのような組合員が少なくないことを意識しながら「丁寧な情報発信」に心がけているつもりです。

御坊さんから「労働組合の本来の仕事は給与労働条件の向上で、付属的に政治的な平和や人権の運動も」という説明を加えていただきました。私どもの組合もまったくその通りであり、日常の活動の中で政治的な課題が占める割合はごくわずかです。このブログでは政治的な話題の投稿が多くなっているため、職務や労働組合の本務を疎かにしているのではないか、そのように誤解されないよう「集団心理のデメリット」の冒頭のように時々釈明させていただいています。

「すべて網羅できるかどうか分かりません」と前置きしながら、最初に寄せられたコメントのレスに当たる内容から書き進めてしまったため、ここまでで相当な長さとなっています。たいへん恐縮ですが、ここからは少し論点を絞り込みます。nagiさんから「公務員で構成する団体において、政治活動に特化してる団体なら違法で、労働組合が政治活動するのは適法となると、なんか不思議な気持ちになりますね。看板だけ掛け替えたらOKなのか」という疑問が示され、私からの見解を求められていました。

前回のコメント欄でも、あっしまった!さんから様々な論点や事例に対し、詳しい解説を加えていただいていました。管理人がコメント欄から距離を置く中、たいへん有難く、私自身も閲覧者の一人として「なるほど」と勉強させていただいています。私からnagiさんの問いかけに答える場合、真っ先に以前の記事「再び、地公法第36条と政治活動」が思い浮かびました。詳しい説明はリンク先の記事をご覧いただければ幸いですが、端的に答えれば次のような要旨となります。

地方公務員法第36条で、地方公務員は特定の政治的立場に偏らず、中立であることが求められています。ただし、この法律をもって地方公務員の政治活動が一切禁止されている訳ではありません。地位利用による選挙運動の禁止や公務員のままで立候補できない点、さらに当該職員が属する区域での選挙運動などが制限されている程度です。さらに地公法第36条は職員の政治的行為の制限を定めていますが、この規定は労働組合の政治的行為を制限するものではありません。組合が特定の選挙へ向けて、特定の候補者の支持や推薦を決め、組合員へ周知することは組合活動の範囲とされています。

地公法第36条第1項で、職員は政治的団体の結成に関与できないようになっています。その上で、上記のような規定の範囲内で「できること」に関与しています。労働組合として政治的な活動の必要性について組合員間で意思決定し、組合活動の一つとして政治活動に関わる、そのような手順や位置付けだと言えます。政治活動への関与の是非は前述したとおり様々な評価や見方がありますが、従前の方針を変えるのかどうかは当該組織の構成員一人ひとりの意思となります。

長々と綴ってきましたが、充分な説明に至っていないものと思っています。以前の記事へのリンクも多く、目新しい内容が乏しいことも否めません。もっと具体的な事例や話題に広げながら、まとめようと考えていましたが、ここで今回は一区切り付けさせていただきます。このブログは過去の記事の積み重ねのもとにあり、皆さんからのコメントを受けとめ、これからも可能な限り続けていきます。ぜひ、このような連続性にご理解いただき、今一つ、まとまりのない記事本文にご容赦ください。

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2015年11月15日 (日)

節目の第70回定期大会

金曜の夜、私どもの組合の定期大会が開かれました。昨年の記事は「解散風と定期大会」だったため、前回の衆議院選挙から1年も経っていないことを思い出しています。定期大会のことは一昨年の記事「定期大会の話、インデックスⅡ」の中で詳しく綴っていますが、組合員全員の出席を呼びかけるスタイルで続けています。そのため、いつも出席者の数を成否の目安としています。

今回、348名もの組合員の皆さんに会場まで足を運んでいただきましたが、昨年より11名減っていました。地区図書館の指定管理や保育園の民営化などが進み、大会当日の組合員数は1119名で昨年より43名減っていましたので、出席率で言えば微増という結果です。ただ今回は第70回という節目の大会でした。5年前の節目の大会は536名に達し、用意した資料や出席記念品の数が足りなくなるという「うれしい悲鳴」を上げていました。

当時の組合員数は1419名でしたので単純に比較できませんが、率で考えた際、やはり今回も400名は超えて欲しいものと願っていました。次回以降の大会に向け、いろいろ検証や反省しなければならないことが多いようです。ちなみに5年間で組合員数は220名も減っています。様々な行革計画に絡む提案を労使交渉を尽くして受け入れてきています。その結果、この5年間で児童館や体育館、学校給食共同調理場なども民間事業者に委ねるようになっています。

あわせて年に数名、残念ながら組合を脱退する方が続いている現状です。加入率100%から離れれば離れるほど深刻な事態を招くことになるため、「組合に入っているほうが当たり前なこと」という雰囲気が保たれている段階で流れを止め、流れを変えるような対策の必要性を強く感じています。そのような意味で節目の第70回定期大会が今後の組合活動の流れを変える分岐点になり得ることを望んでいるところです。

冒頭の執行委員長挨拶は、いつも簡潔に行なうように心がけています。人前で挨拶する機会が多いため、檀上で緊張するようなことはありません。原稿がなくても大丈夫ですが、いろいろ話を広げてしまい、割り当てられた5分という時間をオーバーしてしまう心配があるため、毎年、定期大会だけは必ず挨拶する内容の原稿を用意しています。ここ数年、挨拶原稿のほぼ全文をブログで紹介していますが、今回の内容は下記のとおりでした。

昨年の定期大会で出席者に記念品を渡すことを疑問視するご意見をいただきました。その提起を受け、貴重な組合費の使い道として従来通りで良いのかどうか執行委員会で議論しました。結論はこれまで通りとし、特に今回は5回節目にあたるため、例年より予算を増額しています。やはり一人でも多くの組合員の方に出席いただけることが重要であり、その一つの工夫として出席記念品の取扱いを判断させていただきました。

今回、たいへん恐縮ながら、お寄せいただいた意見に沿った結論に至りませんでした。しかし、これまで大会で示された意見を踏まえ、議案書本体は回覧とし、コンパクトな方針案を早期に組合員全員に配布するように改めてきました。また、組合予算の会計年度を1月から12月までの期間に変更したのも「決算よりも予算を重視すべき」という大会での発言を踏まえたものでした。さらに組合費の引き下げを要望する意見を受け、1年間検討した上、2012年1月から率を引き下げています。

これからも組合員の皆さんからの多様な声を受けとめ、前例にとらわれず、見直すべきものは見直していく姿勢を持ち続けていくつもりです。このような関係を重視することが、組合は組合員の皆さんのものであるという意識を高めることに繋がるものと考えています。そのような意味で、ぜひ、今大会においても多くの意見が示されることを願っています。

さて、貴重な機会ですので、組合の多岐にわたる課題についてじっくりお話したいところですが、時間も限られていますので簡潔に論点を絞ってお話させていただきます。先日、厚労省が「ブラックバイト」の実態調査の結果を明らかにしました。昨今、この「ブラック」の問題が取沙汰されています。厳しい経済や財政状況が続く中、一昔前のように賃金や一時金の大幅引き上げは容易ではありません。

それでも労使交渉を尽くせるからこそ、使用者側の勝手な賃下げ等に対する大きな歯止めになり得ています。この歯止めがない場合、「ブラック」な話に繋がりかねません。使用者側の視点だけでは問題で、働く側の視点や声が反映された労働条件の維持向上が欠かせないものと考えています。

このような多面的な検証は働き方の問題に限りません。より望ましい「答え」を見出すためには多様な考え方や見方をもとに判断していくことが重要です。偏った意見や情報だけで決めてしまった場合、大きな問題が生じかねません。あらゆる場面で留意すべきことであり、最近では政治の場面で、その必要性を痛感しています。

安保法制や原発、沖縄の基地、労働法制、年金積立金の運用の問題などに対し、国民の中に反対や疑問視する声が多数を占めています。それでも今の政府与党はそのような声に耳を傾けず、押し切ろうとしています。BPOから政治圧力について指摘されても「問題ない」と強弁し、憲法53条で4分の1以上の議員の要求があれば国会を開かくなくてはなりませんが、年内の臨時国会を見送ろうとしています。国民や野党の声に対し、このように政府与党は謙虚さのない姿勢を見せ続けています。

しかしながら最近の世論調査の結果は内閣支持率が上向きの傾向を示しています。たいへん歯がゆく感じています。より望ましい「答え」を見出すためには多面的な考え方や見方をもとに判断していくべきだろうと思っています。政治の中にチェック機能を働かせていくためにも、自民党に対抗できる野党の存在が欠かせません。そのためにも自治労や連合と緊密な連携をはかれる民主党の奮起を期待しています。

特に私たち自治労は来年の参議員選挙に向けて、組織内議員の江崎孝さんの勝利が欠かせません。一方で、多岐にわたる情報があふれる中、組合員一人ひとりの価値観は多様化しています。組合の活動方針と組合員との間で問題意識の溝が生じないように注意していかなければなりません。その溝が広がっていくと組合活動全体に対する結集力の低下に繋がりかねません。そのような事態を避けるためには、よりいっそう「なぜ、取り組むのか」という丁寧な情報発信や説明が欠かせないものと考えています。

まだまだお話したいこと、取り上げるべき大事な課題が数多くあります。それでも皆さんからの発言の時間を充分保障するためにも、挨拶は短めにさせていただきます。最後に、これからも常に「組合員にとって、どうなのか」という判断基準を大事にし、組合運動の先頭に立ち、全力を尽くす決意です。それでは、ぜひ、最後まで参加いただき、フライパンセットなどを獲得するチャンスを持ち帰られるようよろしくお願いします。

上記は原稿の内容のほぼ全文です。出席者や来賓の皆さんに謝意を表した冒頭の言葉などは省いています。さらに最後の「それでは…フライパンセットなど…」の2行も省くことを考えました。それでも5回節目の大会は出席記念品の予算を増額していることと合わせ、「最後まで参加ご苦労様でした」抽選券の説明に繋げるため、原文をそのまま掲げています。以前の記事「組合大会成功への試行錯誤」の中で次のような説明を残していました。

いずれにしても大会が成功だったかどうか、出席者の数が大きなバロメーターだと個人的には思っています。日頃から組合活動に親近感や問題意識をお持ちの組合員は、当然のこととして出席してもらえます。その一方で、日頃は組合活動にあまり関心を持っていない方が、どうしたら出席してもらえるかが非常に大事なことだと考えています。

その一つの工夫として、出席者全員へ記念品を用意しています。そして、その記念品の内容によって出席者数は増減しているようです。原則的な考え方からすると「モノでつるのは邪道だ」とお叱りを常に受けています。それでも関心のある方だけで重要な大会議論が進むのではなく、数多くの組合員が出席した上で議論できる方が好ましいものと思います。

以前は出席記念品を受け取り、しばらくして先に帰るケースが目立ちました。500人の出席があっても、最後の採決時には半分程度だったこともありました。さらに一つの工夫として、「最後まで参加ご苦労様でした」抽選券を大会終了後に配るようにしました。それ以降、途中で帰られる方が少なくなりました。「せっかく来たのだから最後まで参加しよう」との切っかけにできたものと思っています。

ますます「モノでつっているようで不謹慎だ」と感じたり、「情けない組合だ」と思われる方がいらっしゃるかも知れません。繰り返しになりますが、日頃関心のない組合員が大会へ出席してもらうことは非常に重要です。大会へ出席したことにより、組合活動に関心を持ってもらう機会となるようならば効果的な工夫だったと位置付けられます。

厳しい批判があることも覚悟の上で、いろいろ試行錯誤しています。当然、日常的な組合活動の裾野を広げ、大会出席者を増やしていく努力も疎かにするつもりはありません。また、公務員組合をとりまく情勢が厳しい中、大会議論の中味が肝心であることは言うまでもありません。それらを踏まえた上で、幅広い組合員が結集できる組合活動に向けて、今後も硬軟織り交ぜた工夫に努めていく考えです。

今回の定期大会、経過報告や方針案の議論の際、それぞれ複数名の方から貴重なご意見や問いかけをいただきました。特に複線型人事制度の問題は重要な話であり、機会を見て当ブログの題材として掘り下げてみるつもりです。全体的な議事は無事終了し、執行部が提案した議案はすべて承認を得られました。大会に先がけて実施された信任投票では立候補した組合役員全員が信任されています。私自身、引き続き執行委員長として信任率91%、組合役員16名中の最上位で信任を得ることができました。

その中で、組合活動に関心と意欲を持たれていた執行委員の一人が事情で退任しますが、新旧役員の挨拶で「機会があれば、もう一度務めたい」という心強い言葉を残していただきました。毎年、お誘いしていた方が今回執行委員に立候補を決意され、2年前に退任された元副委員長が一執行委員として返り咲いていただきました。執行部の総数は1名増え、たいへん心強く、前述したような「流れを変える分岐点」に向けた一歩を踏み出せたものと受けとめています。

節目の定期大会を通し、組合に期待する組合員の声が多くあることを改めて認識しています。そのような声にしっかり応えていくために執行部は全力で頑張ります。ただ組合役員一人ひとり、仕事や家庭などに折り合いを付けながら日々苦心しています。ぜひ、ここにいらっしゃる組合員の皆さん、ここに足を運ばれていない組合員の皆さんにも働きかけていただき、一人ひとりの力を出し合い、たいへんさを分かち合えるような組合活動に高めていけることを願っています。

上記は大会の最後に私が会場の皆さんに呼びかけた言葉の要旨です。大会終了後、何人かの方から「参加者の発言なども含め、良い大会でしたね」という感想をお寄せいただきました。出席者は期待した数に及びませんでしたが、今後に向けて手応えや課題を確認できたものと思っています。最後に、組合員の皆さん、大会運営にご協力いただいた皆さん、来賓の皆さん、新旧の組合役員の皆さん、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。

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2015年11月 7日 (土)

図書館の話、インデックス

カテゴリー別に検索できる機能を使いこなせず、これまで「自治労の話、2012年夏」のように記事本文の中にインデックス(索引)代わりに関連した内容のバックナンバーを並べていました。その発展形として「○○の話、インデックス」を始めています。その記事の冒頭、インデックス記事のバックナンバーを並べることで「インデックス記事のインデックス」の役割を持たせています。カテゴリー別のバックナンバーを探す際、自分自身にとっても役に立つ整理の仕方であり、今回もそのような構成で新規記事をまとめてみます。

これまで投稿したインデックス記事は「平和の話、インデックス」「職務の話、インデックス」「原発の話、インデックス」「定期大会の話、インデックス」「年末の話、インデックス」「旗びらきの話、インデックス」「春闘の話、インデックス」「コメント欄の話、インデックス」「非正規雇用の話、インデックス」「定期大会の話、インデックスⅡ」「年末の話、インデックスⅡ」「平和の話、インデックスⅡ」「組合役員の改選期、インデックス」「人事評価の話、インデックス」となっています。

今回、図書館の話を取り上げようと考えた切っかけがあります。後ほど詳述しますが、私どもの市では中央図書館が一つあり、その他に地区図書館が8館あります。地区図書館を指定管理者に委ねたいという提案を受けた際、図書館について掘り下げた記事を連続で投稿していました。中央図書館は直営ですが、地区図書館は段階的に指定管理に移行し、今年4月には8館すべて民間業者に運営を委ねています。それほど数は多くありませんが、図書館を直接的な題材にしたバックナンバーは次のとおりです。

以上の記事を通し、本の貸し出しだけが図書館のサービスではないことを訴えてきました。また、日本図書館協会が公立図書館への指定管理者制度の適用について、事業の継続性や専門性という観点などから「基本的になじまない」という見解を示していることをはじめ、有川浩さんの代表作『図書館戦争』シリーズから「図書館の自由に関する宣言」の話などに繋げ、特に宣言の中の次の一文を重く受けとめていることを書き添えていました。

日本国憲法は主権が国民に存するとの原理にもとづいており、この国民主権の原理を維持し発展させるためには、国民ひとりひとりが思想・意見を自由に発表し交換すること、すなわち表現の自由の保障が不可欠である。知る自由は、表現の送り手に対して保障されるべき自由と表裏一体をなすものであり、知る自由の保障があってこそ表現の自由は成立する。

最近はインターネットの普及によって、既存のマスコミ以外からの多様な情報が手軽に得られるようになっています。そのため、一昔前に比べれば図書館の役割も変わっているのではないかとのご意見もあります。それでもパソコンを揃えるための資金、プロバイダへの使用料金などを考えた場合、ある程度経済的にゆとりがないとインターネットを利用したくても利用できない方もいるはずです。

経済的には問題なくても操作が不得手で、利用していない人たちも多いものと思っています。このように考えた場合、誰もが気軽に無料で、様々な分野の書籍や情報を手にできる図書館の役割は今後も決して極端に低下しないものと見ていることを綴っていました。日本図書館協会理事の方を講師に招いた講演会に参加した後、マスコミ、出版流通、インターネットの限界が次のように指摘されていたことも書き留めていました。

  • マスコミ情報は一方通行であり、必要な時に必要な情報を取得できない。
  • 通常の書店では、売り場面積の問題などから「売れない本」は返品され、とりわけ専門書の類いは置いていない。
  • インターネットだけでは、体系的網羅的な知識やモノの考え方に関する知識などは入手できない。例えば平均的な本の頁数は200頁もあり、その分量に匹敵する情報をネット上から閲覧又はダウンロードすることは難しい。

さらに何か困ったことが起こり、行政に相談しようと考えても、すぐにどこへ行けば良いのか分からない、その点で図書館は「どこにあるのか」「どんな人がいるのか」「何をしてくれるのか」分かりやすく、土日も開館しているため、足を運びやすい公共施設であることを講師の方は強調されていました。加えて、図書館は法律や医療など単一の問題にとどまらず、すきま情報を埋められるワンストップ窓口であるとも話されていました。

このような情報提供や住民の課題解決に向けた「気付き」のサポートを適確に行なうためには、やはり図書館職員としての経験の蓄積が欠かせません。したがって、契約社員やアルバイトが中心となりがちな指定管理者では、そのような図書館員は育ちにくいと主張されていました。残念ながら講師の方の問題意識とは裏腹に自治体の図書館を民間企業に委ねる動きが強まっています。武雄市ではTSUTAYAが指定管理者を引き受け、話題になっていました。

上記のインデックスに掲げたとおり当ブログでも武雄市の動きについて取り上げていました。武雄市の樋渡啓祐前市長は佐賀県知事選に落選した後、今年7月にTSUTAYAの関連企業の社長に就任していました。そのことを知った時は、たいへん驚きました。TSUTAYAが運営する武雄市の図書館そのものも様々な問題が取り沙汰されていたため、このブログでも機会を見てTSUTAYA図書館について改めて取り上げてみようと考えていました。

神戸女学院大学名誉教授の内田樹さんは週刊誌『AERA』2015年8月24日号で次のような問題点を指摘していました。一つはCD、DVDの大量処分です。指定管理者のTSUTAYAがレンタルショップを経営しているため、図書館の無料利用を停止すれば自社の収益が増える可能性はあり、「李下に冠を正さず」という古諺をTSUTAYAの管理者は知らなかったらしいと皮肉られていました。

もう一つは郷土史研究資料の大量廃棄の問題です。商品価値は低くても研究者にとって資料的に貴重なものを廃棄していたようですが、前述した図書館の役割を無理解な行為だったと言わざるを得ません。内田さんが最後に指摘されたのは指定管理者の選書の問題でした。初期蔵書の内容はグルメガイトや旅行案内、「ウインドウズ98」マニュアルや『ラーメンマップ埼玉』『公認会計士第2次試験2001』など、図書館整備のために優先的に選書すべきものだったのかどうか疑問視していました。

内田さんは「どこかの書店の不良在庫を押しつけられたのではないかという疑念にも説得力のある反論が示されなければならない」とし、「図書館は市民の知性的、感性的成熟を支援するための公共機関であり、営利事業ではない」と述べられています。コラムの結びの言葉は、世の中には「市場のロジック」だけでは律してはならないものがあるということに、いつになったら日本人は気づくのか、というものでした。

以上の内田さんのコラムの内容が印象深かったため、このブログで久しぶりに図書館について取り上げる切っかけとなっていました。投稿のタイミングを見計らっていたところ10月4日には愛知県小牧市でTSUTAYA図書館の是非を問う住民投票が行なわれました。結果は下記の新聞報道のとおりTSUTAYA図書館の建設計画が否決されていました。この結果が図書館の役割を改めて問い直していくための切っかけになることを願いながら「図書館の話、インデックス」という記事を終わらせていただきます。

全国で開設や計画が相次ぐ「ツタヤ図書館」。書店やカフェもあって利用者が増える、と自治体は説明するが、愛知県小牧市では「反対」の住民の方が多かった。なぜなのか。

街活性化?市側の皮算用 反対3万2352票、賛成2万4981票。小牧市で計画されている新図書館建設を巡る4日の住民投票の結果、レンタル大手「ツタヤ」を展開するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)と連携する計画は、一時停止に追い込まれた。市は昨年4月に新図書館の計画を発表し、同8月にCCCを連携事業者に選んだ。老朽化し、蔵書スペース不足が目立つ現在の図書館は建て替える必要がある一方、再開発が進まず活気がない中心市街地に「ツタヤ図書館」を建てれば人が集まり活性化する。そんな「1粒で2度おいしい」をもくろんだ計画だった。建設費は約42億円。延べ床面積を約2・6倍、最大収容冊数を2倍強に増やし、書店やカフェを併設。3年後の開設をめざしていた。参考にしたのが、佐賀県武雄市が2013年に開設した全国初の「ツタヤ図書館」。CCCが指定管理者として運営している。初年度の訪問者は92万3千人と当初見込みのほぼ倍。市外からの訪問も多く、武雄市は食事や土産など年間の経済効果を約20億円とはじく。

■利益優先?選書に不安も 小牧市民はなぜ「ツタヤ図書館」に反対したのか。住民に聞くと「税金の無駄づかいでは」(会社員の西田秀樹さん)、「ツタヤのサービスはツタヤで利用すればいい」(パート従業員の島村厚子さん)。高額な建設費に対する批判が目立ったが、「民間企業が本を選ぶと利益優先になる」という懸念も多く出た。武雄市図書館では、CCCと出資関係があった古本業者から中古本を購入していたことが発覚。市民から「在庫本の押しつけ」「貴重な郷土資料などが蔵書からなくなる」といった批判や不安が出た。今月1日に神奈川県海老名市が開設した「ツタヤ図書館」では、市が購入本を全て点検したが、海外の風俗店を案内する不適切な本が開設後に見つかった。【朝日新聞2015年10月9日

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2015年11月 1日 (日)

憲法の平和主義と安保法制

最近の記事「集団心理のデメリット」のコメント欄の中で、nagiさんから「憲法の平和主義を踏みにじる」って具体的にどの行為を指すんでしょうか、という問いかけがありました。端的な質問でしたが、いろいろ論点を広げて展開できそうな貴重な問いかけだと考えていました。そのため、機会を見て記事本文を通し、じっくりお答えすることを約束していました。記事本文の冒頭では連合地区協議会の「議員団懇談会」が開かれ、衆院議員の長島昭久さんと直接意見を交わす機会があったことを報告していました。

やはり長島さんと懇談した話は機会を見て、次回以降の記事の中で改めて報告したい旨を記していました。さらに前々回の記事「秋、あれから10年2か月」のコメント欄ではnagiさんからの問いかけに答える形で、長島さんとの懇談内容を報告しながら私なりの問題意識を改めて綴ってみようと考えています、とお伝えしていました。前置きが長くなりましたが、今回、その機会に位置付け、新規記事の投稿画面に向かっています。

今回の記事投稿にあたり、nagiさんから寄せられたコメントを改めて読み返しました。端的な問いかけの後にnagiさん自身の問題意識が付け加えられているため、当該のコメントの全文を紹介しないとフェアなやり取りに至らない恐れもあります。レイアウト上、そのままとなりませんが「よく理解できないので教えていただければ幸いですが」で始まるnagiさんのコメントは「>立憲主義や憲法の平和主義を踏みにじろうとしている安倍首相に対し」の後に次のように続いていました。

この「憲法の平和主義を踏みにじる」って具体的にどの行為を指すんでしょうか。日本は個別的自衛権は有していて、攻め込まれた場合、相手を殺すことも戦争行為であるとOTSU氏も言及していました。つまり、個別的自衛権は良い戦争であるから平和主義で集団的自衛権は悪い戦争だから戦争主義と考えてるのですか? それとも、個別的自衛権は最低限の防衛する権利を有するので、平和主義に反しない戦争であると考えるのでしょうか?私にはどう平和主義を踏みにじってるのかよくわかりません。もともと憲法制定時には、個別的自衛権も否定してたのに、解釈を変えて個別的自衛権を認め、自衛隊も認めたわけですが、この段階では「憲法の平和主義」は踏みにじってないのでしょうか。ただただよくわからない。それだけです。

まず本論から少し離れますが、当ブログで強くこだわっている言葉使いの問題から説明させていただきます。nagiさんから指摘を受けた当該の記事に書き残した文章は「立憲主義や憲法の平和主義を踏みにじろうとしている安倍首相に対し、強い憤りを持って集まっている参加者の思いを代弁するように…」であり、二つの意味で断定調の批判を避けています。「踏みにじる」ではなく、「踏みにじろうとしている」であり、安保関連法案の反対集会に集まる方々がそのように見ているという「事実」を示した文脈での言葉の使い方です。

私自身も「踏みにじろうとしている」という見方を持つ一人ですが、「安倍首相は平和主義を踏みにじっている」と言い切ってしまった場合、そのように見ていない方々との「溝」が浮き彫りになるだけだと思っています。「私はこのように考えますが、皆さんはどのようにお考えですか?」というスタンスを重視しています。分かりづらく、大差のない言葉使いなのかも知れませんが、姿勢や心構えの問題でもあり、断定調の批判は他者の異質な意見の全否定に繋がりがちです。

決め付けた批判のやり取りは感情的な応酬に至る場合が多く、ハナから「この人とは話し合っても無駄」だと思われ、分かり合える機会さえ逸してしまう恐れもあります。このような考え方自体「絶対正しい」と言い切るつもりはなく、あくまでも私自身のこだわりであり、このブログを通して再三訴えてきた心構えです。本論に近付けていきますが、つまり安倍首相自身「平和主義を踏みにじる」意図がなく、これからも「踏みにじる」結果に繋がらないものと考えているのかも知れません。

nagiさんをはじめ、そのようにお考えの皆さんも多いのだろうと見ています。しかし、意図がないことはその通りなのかも知れませんが、強引に成立させた法律の中味には様々な問題点が指摘されています。権力を縛るという立憲主義の観点から手続き的な問題が適切だったのかどうか、憲法9条のもと集団的自衛権は認められないと長年解釈されてきたにもかかわらず行使できるようにしたことの是非、このような論点に照らした結果、意図せず「踏みにじってしまった」という責任が問われる可能性は否定できないはずです。

長島さんの話に行き着く前に長い記事になりつつあります。ここからはnagiさんから問いかけられた平和主義に絞って書き進めていきます。これまでの記事に綴ってきたことですが、国際社会の中で原則として戦争は認められていません。例外の一つに自衛のための戦争があります。集団的自衛権もその名の通り自衛のための戦争に位置付けられます。国連加盟国は侵略戦争を放棄しているため、建前上は日本と同様、すべて「平和主義」を希求している国だろうと思っています。

そもそも「平和主義」に対比した「戦争主義」という言葉が成り立つのでしょうか。良い戦争、悪い戦争という峻別も疑問であり、できれば誰もが「戦争は避けたい」と考えているはずです。戦争を防ぐため、平和を守るため、抑止力を高めることが大事だと考え、今回のような安保法制に繋がっていることを理解しています。一方で、自国や自分たちの「正義」を武力によって押し通そうとする場面が後を絶たず、残念ながら世界のどこかで戦火が上がり続けています。

数多くの戦争への痛切な反省を踏まえ、同じような時期に崇高な理想を掲げ、国連憲章と日本国憲法は制定されていました。しかし、それらの理念と国際情勢の現実とのギャップは埋められないまま、現在に至っていることを否定できません。nagiさんの指摘の通り憲法9条は草案の段階では、自衛権も認められないと解釈されていました。国会での草案審議を通し、自衛権までは禁止されず、自衛のための「必要最小限度の実力」を保有することは憲法9条に違反しないと解釈されるようになりました。

この解釈があり、1950年の朝鮮戦争勃発という事態を受け、警察予備隊が発足し、保安隊から自衛隊に改組されていきました。その上で歴代自民党政権をはじめ、内閣法制局は「必要最小限度」の中に集団的自衛権の行使は認められないと明言してきました。いずれにしても「平和主義」は日本だけが標榜するものではありませんが、憲法9条のもと国際社会の中で日本は際立った「平和国家」だと認められてきたことも確かです。

このような憲法9条の抑制的な「特別さ」は誇るべきものと考えた際、集団的自衛権の行使に道を開き、いつでもどこでも同盟国と一緒に戦争をできる国に変えようとしている安倍首相は「平和主義を踏みにじろうとしている」という批判を受けるべき対象になってしまいます。前述した通り安倍首相に対する批判や評価は人によって分かれていくのかも知れませんが、最も大事な点は今回の法整備が国民にとって望ましいものだったのかどうかだろうと考えています。

たいへん長い記事になっていますが、長島さんとの懇談内容も少しだけ報告させていただきます。長島さんからの時局講演は「子どもの貧困」問題も柱の一つでしたが、今回、安保法制に絡んだ内容の報告にとどまることをご容赦ください。安保法制が成立した国会に対する長島さんの思いや問題意識はご自身の直近のブログ記事に綴られています。近くは現実的、遠くは抑制的な安全保障政策の必要性を長島さんは強調されています。

人道援助も積極的な立場であり、10本もの法案を一括りにした政府側の姿勢を批判されていました。法案の内容によって必要な点も認めていたため、きめ細かい審議を尽くせず、領域警備法案以外の対案も示せなかったことなどを反省されていました。政府が示した安保関連法案に対し、周辺事態という地理的な制約を外すという自衛権行使を巡る「歯止め」の曖昧さをはじめ、国民に対する立法事実の説明不足など具体的な事例を掲げた上、問題の多い法案だったことを説かれていました。

一方で、憲法9条が認める「必要最小限度」の自衛力に関し、時代情勢の変化の中で解釈を変えることの必要性についても長島さんは認識されていました。軍事技術の急速な進歩、特にミサイル技術の進歩による脅威に備えるため、これまで想定していなかった事態への対応も欠かせないという問題意識を持たれていました。全体を通して1時間ほどの講演でしたが、たいへん分かりやすい説明の数々でした。

少し前の記事「長島昭久さんとの関係」に綴っている通り長島さんと意見を交わせる機会があれば必ず問いかけや要望を示させていただいています。長島さんや周囲の皆さんからも、そのような関係が当たり前のように見られています。今回も質疑の時間、下記のような発言をさせていただきました。前回の記事のように原稿を用意していませんので、簡単なメモと記憶をもとに書き起こしています。最後に、その内容を掲げ、たいへん長くなった記事をまとめさせていただきます。

今回の分かりやすい説明を伺い、民主党の中に長島さんは改めて欠かせない人材だと思っています。安保関連法案に対し、私自身のスタンスとすべて一致している訳ではありませんが、問題が多い法案だったという認識を共有でき、たいへん心強くしています。ただ対案を出すことを長島さんは重視されていましたが、あまりにも違憲の疑いが高いため、国会の最終盤、岡田代表らの廃案に絞った判断を私自身は支持していました。圧倒的な与党の数の前に対案を出すことで法案成立を後押しするような見られ方があったことも間違いないようです。

長島さんは「今の民主党では政権交代できない、誰もがそう思っているはず」と話されています。私自身もその通りだと思っています。ただ単なる看板の付け替えや数合わせの野党の再編だった場合も同様だろうと思います。民主党政権の失敗は広げ過ぎた公約の問題であり、党内のまとまりのなさが原因だったように見ています。そのため、大事なことは立憲主義や平和主義、国民の生活重視など大きな理念で一致し、自民党との違いを明確に示した軸のもとの結集が欠かせないのではないでしょうか。

野党になった自民党が、わずか数年でここまで復活することを誰も想像できなかったはずです。民主党も同じように立ち直せる可能性があるはずです。再び政権交代をめざすためには理念や目標を高く掲げる一方、具体的な政策の実現に向けては現状から一歩一歩踏み出す手順を重視することの必要性を感じています。国民受けする政策や約束を広げ過ぎず、政権を担った時の経験や教訓を踏まえた政党としての信頼感が高まるよう努力して欲しいものと願っています。

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