« 主催者と警察発表の落差 | トップページ | 集団心理のデメリット »

2015年10月 3日 (土)

「願望」という調味料

インターネットが普及し、たいへん幅広い情報やモノの見方がコストをかけず、容易に入手できるようになっています。一昔前の入手先は新聞、雑誌、書籍などに限られ、その発信者はメディア関係者や有識者が占めていました。他には口コミや参加した講演会などから情報を得るぐらいでした。つまり意識的に手間やコストをかけなければ、幅広く多面的な情報に接する機会が乏しい時代だったと言えます。

より望ましい判断や評価を個々人が下していくためには多様な情報を得ることはもちろん、正しい事実関係を把握していくことが重要です。このあたりは「マイナーな情報を提供する場として」という記事の中で示したとおりであり、このような問題意識を抱えながらブログの更新を重ねています。そのような趣旨のもと前回の記事「主催者と警察発表の落差」も投稿していました。ただ「主催者発表約12万人は実数に近いものと判断していました」と記したことで、意図した趣旨がうまく伝わらなかった点を省みています。

前回の記事で強調したかった点は3万3千人という警察発表が「特定のエリアの一時点における人数」だったという事実です。主催者側は日比谷公園を含む国会周辺全体での反対行動に参加した人数を発表しているのにもかかわらず、警察側の数字を前提にした批判が多かったため、前回のような内容のブログ記事に繋げていました。それでも12万人は主催者が極端に水増しした数字であり、国会周辺の面積等を考慮した場合、現実的な数ではないという指摘が引き続き寄せられていくのかも知れません。

私自身が現場に居合わせた実感としては、仮に12万人を20万人だと言われても疑う理由が見当たらないほどの「人、人、人」に包まれた数時間だったことに間違いありません。つまり「12万人は実数に近いものと判断」と記したことは、あくまでも私自身の感じ方から主催者発表の数字を疑わない立場での記述でした。12万人が絶対正しいと強調するための記事ではなかったことを改めてご理解願えれば幸いです。

国会の質疑で明らかになったとおり警察発表は国会正門前に限った数字であり、前回の記事では安保関連法案に反対の意思を持って国会周辺に集まった参加者の総数が「3万3千人は事実に反する」という点を強調したつもりでした。実際、何万人訪れていたのか、正確な数字を断定することは難しいものと考えています。参考までに詳しく検証されている「8・30反安保法案集会参加者数報道に思うこと」という他のサイトを紹介させていただきます。

いずれにしても正確な参加者数を解明することに固執している訳ではなく、前提とすべき事実認識に隔たりがあるまま対立し合うことの問題点を提起していました。より望ましい判断や評価を個々人が下していくためにも、正しい事実関係を把握していくことが重要であることは前述したとおりです。最近、古谷経衡さんの『左翼も右翼もウソばかり』という新書を購入し、一気に読み終えていました。全体を通し、共感する記述の多い著書でした。

左右両極端のイデオロギーの主張には、多分に「願望」という調味料が混じっていることを私は見逃さない。官邸前抗議集会の例で言えば、左からは「国民、特に若者が反安倍で一致団結していて欲しい」、右からは「反安倍集会をやっているのは一部の左翼団体の構成員であって欲しい」という願望が、いつの間にか「事実」にすり替えられてしまっているのだ。

上記は著書からの抜粋ですが、よく人間は「自分の見たいものしか見ない」と言われ、自分の立ち位置に好都合な解釈を付与させがちになることを古谷さんは説いています。12万人の話で考えれば、参加者数を反対派は「より多く」、賛成派は「より少なく」解釈し、好都合な「事実」にすり替えている顕著な事例の一つだったと言えます。12万人を疑わない私自身も「願望」という調味料を加えている一人だと思いますが、前述した警察発表の「事実」だけは広く伝えたかった点でした。

私の定義する「意志」は「願望」と同様に思念の一種なのだが、全く違うものだ。「願望」は後ろ向きの逃避だが、「意志」は前進性を持つ。現実の世界を冷徹に見つめて、そこから具体的な解決・成功方策を導き出そうとする思念こそが「意志」である。「意志」には戦闘性が含まれている。現実と具体的に戦い、それを変革させるためには、実際的な力と行動計画が必要だ。

目を背けたくなるような事実に直面したとしても、「願望」にすがりつくのではなく、その不利な現実を変革するための知恵や力を出すための「意志」を持つことの大切さを古谷さんは訴えています。著書の中で、ソ連の参戦はないと大本営が判断したことを一例にあげています。ソ連参戦は日本の敗北を決定的なものとするため、「あって欲しくない」という「願望」から事実認識を誤らせたと古谷さんは指摘していました。

ちなみに左翼と右翼のウソとなる具体的な事例が数多く紹介されていましたが、大半はうなづけるものでした。興味を持たれた方は、ぜひ、古谷さんの著書をご覧になってください。今回は正しい事実関係を把握していくこと、幅広い情報を得ていくことの大切さに思いを巡らす機会としています。ここで冒頭に掲げた話を逆説的に考えてみます。現在、ネットから幅広い情報やモノの見方が容易に入手できます。

しかし、必ずしも誰もがそのような手間をかけ、意識的に異質な考え方に触れるように努めている訳でもないようです。逆に自分自身の「答え」の正しさを裏打ちするようなサイトや書籍に触れる機会が多くなっているのかも知れません。さらに入手した情報やモノの見方に「願望」という調味料が混じっていた場合、ますます左右の立場の相違による論調の開きが際立っていくように危惧しています。

このような論点から集団心理の話に広げていくつもりでした。ただ相当な長さになることが見込まれるため、ここで今回の記事は一区切り付けさせていただきます。実は他にも、いろいろ綴りたい話や取り上げなければならない題材が頭の中に浮かんでいました。そのため、次回の記事が集団心理に関する内容にならないかも知れませんがご容赦ください。これからも毎週1回、土曜か日曜に更新していくブログですので、長い目で見てお付き合いいただければ幸いです。よろしくお願いします。

|

« 主催者と警察発表の落差 | トップページ | 集団心理のデメリット »

コメント

えっと、ご紹介&ご推薦の書籍に関しましては、読了済であることをご報告申し上げます。書籍の内容に関しては、管理人様の仰るような感想を抱いています。

ところで、エントリ本文の人数の話ですが、
そうなんですよね、警察発表に何の留保もないのと同じく、主催者側の発表にも何の留保もないわけでして、どちらの側も「ホントニ数えたのか?数えることは可能だったのか?」という疑問はあるわけです。
必要な留保(限定条件)を附けていない人数という意味では、33000も120000も一緒だろうという。
比較するなら、同じ前提条件でないといけないのですけど、いかなる場合でも条件反射的に「いま、耳にした複数の数字は、同じ前提条件なのか?」と考えるのは、なかなかに難しそうですし。

それでですね、
参加者個々人の物理的な目線の高さからすると、「人、人、人、とても大勢の人」と見えるのは当然で、立脚する地点の標高が同じであれば、正確に人数を把握するのが困難なのはご指摘の通りかと。

というか、仮に標高の高いところに立って、眼下の光景を見渡したとして、直感的に正しい人員規模を言い当てることができる能力の持ち主って、そんなにはいらっしゃらないだろうなと思います。
いや、実は、皆さんそういう才能をもっておられるのかも知れませんが、少なくともワタクシにはムリです。まず、概ね水平な場所で、”万”というオーダーの集団を目にする機会がないので、「人、人、人、とても大勢の人」という印象でおわる気がします。
ワタクシなどは、そうして発表された人数を聞くと、「それ位は集まっててもおかしくないかな」と納得する自信があります。(汗;;

投稿: あっしまった! | 2015年10月 3日 (土) 21時06分

あっしまった!さん、コメントありがとうございました。

昨日の私からのコメントで、あっしまった!さんのお名前を漏らしていたことに気付きました。すぐ加えさせていただきましたが、たいへん失礼致しました。

あっしまった!さんからのコメントは不充分さを残す記事本文を補っていただける貴重なご意見やご指摘だと受けとめ、いつも感謝しています。ぜひ、これからも何かお気付きの点を気軽にコメントいただければ幸いですのでよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2015年10月 4日 (日) 08時19分

はじめまして。
最近FacebookやYahoo!ニュースのコメント欄を見るたびに考えることがあり、悩み、自分の考えることはずれてるのかな?なんて気になり検索していたらこちらに行き着きました。

国会前に集まった方々の人数、ニュースで12万人と聞いたときは驚きました。そんなにいたのかなぁと。
いたとしても、どれだけのひとが本気で反対しているのかが気になりました。
実際に、先日NHKで放送されたドキュメント72時間でしたでしょうか、で国会前を行き交う人々にインタビューをしていて、反対デモが行われてるときに一人で座り込んでいる学生さんに何をしてるんですかと聞くと、法案には反対でも賛成でもなく、今この時代に何が起こってるのかを実際に感じたいと思い見にきたと答えていました。
そうゆうひともいるんだなと、なんだか感心してしまいました。
そのかたのようなひともいれば、友達に誘われてなんとなくってひとも中にはいるのではないかとも思いました。
実際、私達人間には心があり、例えば嘘もつける生き物なので、周りに溢れてる全てのことから、本当の数字や答えを見付けるのは不可能だと思っていますが、こうやって考えを伝えたりすることで、心の中のモヤモヤを取り除くこともできるのかなと思っています。
それで否定されて余計にモヤモヤが増える場合もありますが...

投稿: かんがえるひと | 2015年10月 9日 (金) 12時26分

かんがえるひとさん、以前の記事も含め、コメントありがとうございました。

このブログのコメント欄では、いろいろな立場や視点からのご意見を伺えることの貴重さを重視しています。記事本文の論点と少し離れていても、多くの方からお寄せいただけることを歓迎しています。ぜひ、これからもお時間等が許される際、お気軽にご投稿ください。

投稿: OTSU | 2015年10月10日 (土) 07時20分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/130697/62387624

この記事へのトラックバック一覧です: 「願望」という調味料:

« 主催者と警察発表の落差 | トップページ | 集団心理のデメリット »