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2015年9月 5日 (土)

砂川闘争から60年

最近、最高裁の砂川事件判決が注目を浴びています。後ほど詳述しますが、もともとは米軍の駐留自体を違憲とした伊達判決があり、その舞台として砂川闘争がありました。砂川闘争は私が勤務する自治体で繰り広げられた画期的な歴史の一頁でした。今年は砂川闘争が始まった年から数え、60年の節目を迎えています。

今年5月の記事「横田基地にオスプレイ」の中で機会を見て当ブログの中で砂川闘争についても綴らせていただくつもりです、と記してから投稿のタイミングを見計らっていました。水曜の昼休み、砂川闘争60周年のつどい実行委員会の方々が私どもの組合事務所に来訪されました。11月5日に催す集会への協力要請でした。この機会に砂川闘争の記事を投稿し、その集会に関しても最後に案内させていただこうと考えました。

まず60年前の砂川闘争を振り返ってみます。1955年5月、米軍は日米安全保障条約の附属行政協定に基づき、立川基地の滑走路を拡張するための土地収用について東京調達庁を通じて砂川町役場に通告しました。それに対し、砂川町議会は全会一致で拡張反対を決議し、町長をはじめ各種民主団体の老若男女が一丸となって町ぐるみで反対運動を展開することになりました。

その背景として、「土地は百姓の命」とされていながら戦前から数えて15回も日本政府や米軍に土地を接収されてきました。今までは泣き寝入りのかたちでしたが、これ以上は自分たちの生活権を脅かすことになるという危機感が高まっていました。さらに今回の計画では町の動脈である五日市街道が分断されることになり、行政的にも経済的にも被る打撃がはかり知れませんでした。わずかな補償では到底補い切れない深刻な計画内容だったと言えます。

加えて、この拡張がB52などの原子爆弾搭載のジェット機の発着のためであるという理由が重なり、町中で反対闘争の機運が高まっていきました。9月13日と14日、地元住民らの必死の抵抗も警官隊の出動で破られ、拡張予定地の第一次測量を許してしまいました。その日の報告大会の中で行動隊長だった方から「土地に杭は打たれても心に杭は打たれない」という有名な言葉が発せられました。

翌1956年10月、無抵抗の抵抗でスクラムを組む地元住民に対し、全国から労働組合員や学生らが支援に駆けつけていました。武装警官は狂暴化し、スクラムを組むピケ隊に襲いかかりました。鉄カブトとコン棒に身を固めた警官隊が一方的に無抵抗のピケ隊に暴行を加える姿はマスコミを通して全国に伝えられました。警官の暴状に憤怒した世論は地元支持、政府批判の声に繋がっていきました。

1956年10月14日の夕方、政府は「諸般の状況を考慮して残余の部分についてはこれを後日に期することとし、測量はこれにて打ち切る」と発表しました。砂川闘争が勝利に向かう歴史的な瞬間でした。それ以降も闘争は断続的に続き、1969年に政府と米軍は最終的に立川基地の拡張を断念しました。このように私どもの自治体では地元住民を中心とした反対運動で基地拡張を阻止するという貴重な歴史を刻んでいました。

一方で、立川基地の担ってきた機能は横田基地に移れされていくことになりました。横田基地周辺は常時渋滞しています。「まちのど真ん中に滑走路」であり、まちの発展に対する阻害や経済的な損失などのマイナス面ははかり知れないものと思います。その対比で考えた時、砂川闘争がなければ現在の私どもの自治体の姿は間違いなく変わっていたはずです。三多摩地域の中でもトップクラスと目されている駅前の発展も遂げられなかったかも知れません。

続いて、この砂川闘争に端を発した砂川事件判決について書き進めてみます。1957年7月、デモ隊の一部が基地内に入ったため、25人が逮捕され、このうち7人が日米安全保障条約に基づく行政協定に伴う刑事特別法第2条違反として起訴されました。1959年3月、その7人の無罪が東京地裁で言い渡されました。米軍の駐留自体を憲法違反とし、裁判長の名前を取って伊達判決と呼ばれています。

それに対し、検察側は高裁を飛ばして最高裁の判断を求める「跳躍上告」の手続きを取りました。最高裁は同年12月、一審を破棄し、東京地裁に審理を差し戻した結果、被告全員の有罪(罰金刑)が確定していました。一審判決で駐留米軍が違憲状態となってしまい、混乱を早期決着させたいという政治的な意図が働いた最高裁の判断でした。

安倍首相や自民党幹部は、この時の最高裁判決の「自国の平和と安全を維持し、存立を全うするために必要な自衛の措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然」との一文をもって、必要最小限度の集団的自衛権も認めたものだと主張しています。しかし、その理屈が後付けであることは明らかです。

これまで「必要最小限度の自衛権」の中に集団的自衛権が含まれないことは歴代の自民党政権をはじめ、広く認められてきた憲法9条の根幹に関わる解釈でした。それが内閣の意思で解釈を変えてしまった行為は権力を縛るという立憲主義をないがしろにした暴挙だと言わざるを得ません。憲法そのものを変えるためには時間がかかるという理由だとすれば論外な話だと言えます。

金曜の夜、私どもの組合は「憲法はどう壊されようとしているのかー戦争の放棄から戦争ができる国へー」という題名の学習会を開きました。講師に弁護士の古田典子さんをお招きし、たいへん幅広いテーマを歴史や最近の情勢を踏まえながら分かりやすく説明していただきました。その中で砂川事件判決についても触れていただいています。

安保条約は高度の政治性を持ち、違憲、合憲の判断は司法審査になじまないとし、明白に違憲無効と認められない限り、内閣、国会の判断、終局的には主権を持つ国民の政治的な判断に委ねられるという見解を最高裁は示していました。その上で、あくまでも判決の傍論として、必要な自衛の措置は国家固有の権能と述べたにすぎません。このような論理立てから「在日米軍の駐留は一見極めて明白に違憲とまでは言えない」とし、一審の伊達判決を破棄していました。

その後、1972年の政府見解は砂川事件判決を前提に「憲法上許される自衛の措置は無制限ではなく、外国の武力攻撃によって国民の権利が根底から覆される急迫・不正の侵害の事態に対処し、国民の権利を守るためのやむを得ない措置で必要最小限度のもののみ許される。集団的自衛権は憲法上許されない」としていました。同じ判決を根拠にまったく逆の結論を導き出していることに古田さんは強い疑念を示されていました。

時節柄、どうしても安保関連法案の話に繋がりがちです。冒頭で紹介した11月5日の砂川闘争60周年の集会のメインスローガンも「わたしたちに基地も戦争もいらない」とし、「砂川の勝利を辺野古につなげよう 砂川判決は集団的自衛権と関係ない 安保法制合憲論に悪用するな!」というサブスローガンを付けています。

集会は午後6時30分からRISURUホールで開かれ、参加券千円で入場できます。オープニングでは組曲『砂川』を200人で大合唱します。記念講演の講師として評論家の森田実さんを招き、基調報告やパネルディスカッションも予定されています。興味を持たれた方は、ぜひ、直接会場に足をお運びください。私どもの組合員の皆さんへは後日、組合ニュース等を通して改めて案内させていただきます。よろしくお願いします。

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コメント

もうずいぶんと前になりますが、西武立川駅近くの松川団地に通ったことがあります。
もちろん、JR立川駅にも行きましたし、当時、できたばかりのモノレールにも乗りました。
西武立川駅の上を航空機が飛んでいくのです。特別区内や実家では目にすることが・・・いや、ひどい騒音だなと正直思いました。これで日常生活が耐えられるのかな?そういう思いを持ったものです。
また、立川市は、駐屯地があるために「つ」の字に市域があり、行政するほうも大変だろうと思っていました。
現住地は都市部ですが、新幹線が見えるほど近くに通っており、騒音は気づけばあるといった程度で、自衛隊機の低空飛行もあるにはありますが、数か月の間行なわれないこともしばしばです。
ですから、騒音問題の少ない地域の人に、ぜひ、横田や立川の飛行場を見ていただきたいものだと思います。隣接した昭和記念公園でもいいです。こと、騒音については、立川や沖縄や厚木あたりの住民感情は相当なものがあるのだろうと思います。
それと、国防の話をどうコミしていくのかは、国家レベルの話なので、難しい問題です。
夕刻の西武立川~拝島で聞いた、あの爆音が忘れられません。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2015年9月 8日 (火) 07時35分

最近こんな話を耳にしました。

>日本の平和主義者くらい好戦的で攻撃的な人たちもいない。彼らは「平和」のためなら「人殺し」も「戦争」もやむを得ないと考えているように思える。

こんな人ばかりではないのが当然ですが、こんなことを言われる人々もいるのはたしかな話です。

>でりしゃすぱんだ氏

基地問題を安全と騒音だけで考えれば、撤去以外の選択肢はありませんよね。騒音問題は現地に行って考える以外にないです。私も考えたいです。

投稿: nagi | 2015年9月10日 (木) 14時55分

>>日本の平和主義者くらい好戦的で攻撃的な人たちもいない。彼らは「平和」のためなら「人殺し」も「戦争」もやむを得ないと考えているように思える。

そうか、この人たちも「平和主義者」だったんですね。

 <http://matome.naver.jp/odai/2137875629572885301>

投稿: 対人手当 | 2015年9月12日 (土) 00時07分

でりしゃすぱんださん、nagiさん、対人手当さん、コメントありがとうございました。

できれぱ新規記事は土曜の夜のうちに投稿したいものと考えています。やはり時節柄、連続性のある内容になるものと思っています。ぜひ、またご訪問いただければ幸いですので、よろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2015年9月12日 (土) 21時17分

>対人手当氏

URLの人々は平和主義者ではなく、単に差別主義者の団体、あるいはヘイトクライムの団体ではないでしょうか。

私は平和活動をする団体を非難してるのではなく、その
一部に紛れ込む暴走する人々、あるいはそれを隠れ蓑に異なる活動をする連中を非難してるにすぎません。

世界には本当に平和活動に尽力する団体や人々がいることを知っていますし、それらの活動には一定の賛同をしています。

投稿: nagi | 2015年9月14日 (月) 13時00分

nagi様

>私は平和活動をする団体を非難してるのではなく、その一部に紛れ込む暴走する人々、あるいはそれを隠れ蓑に異なる活動をする連中を非難してるにすぎません。

そういうのを見分ける、あるいは見抜く方法論をお持ちなんですね。
なるほど。

投稿: 対人手当 | 2015年9月15日 (火) 23時44分

>対人手当氏

>そういうのを見分ける、あるいは見抜く方法論をお持ちなんですね。
なるほど。

何がなるほどなのか意味不明ですね。私はごく当たり前のことしか言ってませんが。差別主義者など論外であり、認めない。
平和団体ならば、平和を希求する団体らしく言葉の暴力などもゆるされない。

当然の話をしたにすぎませんがおかしいですか?

投稿: nagi | 2015年9月16日 (水) 09時19分

nagi様

>言葉の暴力などもゆるされない。

言葉は表面に出てきますからわかりやすいですが、nagi様は、こうおっしゃった。

>その一部に紛れ込む暴走する人々、あるいはそれを隠れ蓑に異なる活動をする連中

「一部に紛れ込む」「隠れ蓑に異なる活動」、これらの言葉から、私は「裏側で何らかの動きをする」イメージを受け取りました。
そのような裏側での動きを見抜くにはどうすればいいのか、サッパリ見当がつかない私は、nagi様がそういうことが可能な方法論をお持ちなのだろうと思ったんです。

個人的には、大勢の人が集まると、群集心理で多少言葉が乱暴になることはあるので、nagi様の「平和を希求する団体らしく言葉の暴力などもゆるされない」というハードルは少し高いような気もしています。

投稿: 対人手当 | 2015年9月17日 (木) 00時30分

生まれも育ちも神奈川県です。
厚木飛行場近くに住んでおります。
飛行機の騒音は、慣れですかねぇ。もはやあまり気になりません。
そもそも、先に基地があってウチがあとから引っ越してきたので何も言えませんねぇ。
その分、土地がいくらか安いです。
(まぁ綾瀬が不便だからという理由のほうが大きいですけど。)

立川はまだ飛行機が離着陸しているのでしょうか?
もう消防と陸自のヘリコプターしか飛んでいないのかと思っていました。

投稿: | 2015年9月19日 (土) 09時50分

nagiさん、対人手当さん、2015年9月19日(土)09時50分に投稿された方、コメントありがとうございました。

立川基地には入間基地から訓練を目的とし、C1ジェット輸送機が飛来する程度です。ヘリコプターを中心にした基地であり、横田基地の騒音被害に比べれば大きな差があります。

なお、新規記事も安保関連法案に関して投稿する予定です。最近の動きから派生した個人的な思いを綴らせていただくつもりです。ぜひ、またご訪問いただければ幸いですので、よろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2015年9月19日 (土) 21時17分

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