支持率が上がらない民主党
前々回記事「安保関連法案が衆院通過」 のコメント欄で多くの方から貴重な提起や指摘をお寄せいただいていました。私自身、土曜と日曜に限ってブログに関わるようにしているため、せっかくの問いかけもコメント欄では充分に対応できないまま失礼しがちです。前回記事「8月9日に市長選と市議補選」の冒頭でそのような現状を補うため、コメント欄に寄せられた論点に対し、機会を見ながら新規記事の本文を通して私なりの考え方を掘り下げていくことをお伝えしていました。
今回、寄せられていた論点すべてを網羅できるものではありませんが、私なりの問題意識を綴る機会に繋げてみます。いろいろ取り上げたい話題が数多くあり、論点が散漫にならないよう記事タイトルを決めてから書き始めています。前々回記事のコメント欄では安保関連法案に反対している民主党の対応に焦点が当たりがちでした。特に衆院安保特別委員会での採決の際、民主党の議員がプラカードを持ち込んだ場面に強い批判の声が寄せられていました。
安保関連法案を強引に成立させようとしている安倍政権への支持率が報道各社の世論調査で軒並み急落しています。一方で民主党をはじめ、野党に対する政党支持率が目に見えて上昇しているかと言えばそのようになっていません。民主党に関しては委員会室へのプラカードの持ち込みなど「反対の仕方」に問題があるからでしょうか。今回の記事タイトルに掲げたとおり支持率が上がらない民主党について、安保関連法案への対応ぶりを通して私なりの見方を書き進めてみるつもりです。
まずプラカードの件について、前々回記事のコメント欄で私からは「委員会室へのプラカードの持ち込みは明確に禁止されていなかったようですが、確かにその行動の評価は大きく分かれがちです。たいへん大きな問題がはらむ法案を強引に採決される際、強い反対の意思をアピールする方法の一つとして、私自身は絶対ダメだったという評価ではありません。やはり個々人の法案に対するスタンスの違いによって評価は変わってくるように見ています」と答えていました。
このレスに対し、今後も容認するような立場への違和感や「事案は非常に重たく、重大なものです。違憲性が正面から問われるような大事な大事な議案です。だからこそ、欠席して、騒ぎ立て、散らかしっぱなしにするその姿勢を批判するんです」という指摘などを受けていました。それぞれのコメントが理性的で説得力あるものであり、あっしまった!さんの意見には「モヤモヤしていたものが晴れました」と強く賛同する声を実生活の場面でも耳にしていました。
いわゆる左や右に偏っていない方々まで苛立たせてしまう民主党の国会での対応は反省すべき点が多々あろうかと思います。衆議院事務局の委員会担当者は「国会法48条に委員長は議事の整理をし、秩序を保持する」と記され、過去の議院運営委員会で「節度をもってやりましょう」という申し合わせがあり、プラカードの持ち込みは「ダメともいいとも書いてありません」と説明しています。
ルールやモラルを守ることは当然であり、国会議員の責務や役割がテレビカメラを意識したパフォーマンスの行使でないことは間違いありません。確かに国会での審議を通して与党案の矛盾や問題点を追及し、修正や廃案に追い込むことが国会議員や政党の望ましい姿だと言えます。しかし、安倍首相の答弁には断定調が多いようですが、「なぜ、そのように言い切れるのか」という理由や根拠の乏しさが目立っています。
そもそも憲法学者の圧倒多数が「違憲」とし、首相補佐官の法的安定性を軽視した発言が取り沙汰され、国民の多数が反対している法案にもかかわらず、政府与党は現有議席の数の力で押し切ろうとしています。このような局面において、圧倒的な議席を有している与党に対し、どのように野党が振る舞えば問題の多い法案を阻止できるのかどうか知恵を絞り、できる限りの力を注ぐことも大事なブレーキ役を期待された野党の役割だろうと思っています。
その知恵や力がプラカードでは確かに残念な話であり、民主党への批判がインターネット上では飛び交っていました。一方で、プラカードを掲げたことを評価する声も耳にしています。もっともっと与党の横暴さを浮き彫りにするためには、長時間討論や牛歩戦術なども駆使すべきだったのではないか、そのような意見も聞こえていました。「無責任」批判にひるまず、「違憲」「法案撤回」で押し通し、相手側の議論の土俵に乗る必要はないというエールも多かったようです。
よく「対案を示さずに反対だけしているのは無責任だ」という批判を耳にします。しかし、ダメなものはダメであり、その案に反対すること自体が立派な「対案」になる場合も多いのではないでしょうか。現状認識の問題に繋がりますが、Aの道か、Bの道か、Cの道を選ぶのか、前に進まなければ問題だと考えている方々にとって、A、B、C、いずれかの道を選ばなければ無責任だという話になります。
ただAの道には問題があり、Bか、Cかを選ぶことの判断材料にも乏しい場合、現在の場所にとどまることに問題がないと判断できれば、Aを選ぶことだけを反対する関係性となります。分かりやすい例えかどうか自信がありませんが、対案がないことへの批判は前述したとおり「ためにする批判」であるように感じています。最近、民主党の岡田代表が下記のような「民主党の対案」という見解を示しています。
我々の「対案」ということに意味ですが、「考え方」という意味では、すでに4月に我々の考え方は出ています。したがって、対案なく批判だけしているというのは間違いです。周辺事態法についても、PKO法についても、我々がどう考えるかということは、その中に明らかにしています。第2に、しかし集団的自衛権の行使に関しては、我々は対案を持ちません。それは、集団的自衛権の行使が違憲の疑いが濃いということで、我々は基本的に個別的自衛権で対応する、あるいは周辺事態法で、自衛権の行使に至らない、後方支援で対応するということにしているからです。
したがって、この部分について、当然のことながら対案は作ってありません。それは当然のことで、対案があるということは、集団的自衛権の行使を一部認めるということですから、私たちはそういう立場には立っていないということを申し上げておきたいと思います。周辺事態法やPKO法に関しては、「考え方」が4月にまとまり、法案化の作業も粗々整ってきています。したがって、必要があれば、いつでも提出できる状況に来ているということも申し上げておきたいと思います。
ただ、それを参議院の委員会審議の冒頭から提出するということは、私は避けるべきだと考えています。まず、国民の皆さんの8割が、政府の説明は不十分というなかで、しっかりと政府案の疑問点、問題点を指摘し、議論するということが、我々野党に求められた役割だと考えるからです。したがって、最初からPKO法や周辺事態法の対案を出すということはありません。今後、参議院で議論していく中で、タイミングを計るということになります。
これは、もっぱら国会戦術上の問題でもあり、先般のNC(『次の内閣』)において、私、参議院議員会長の郡司さん、特別委員会筆頭理事の北澤さん、細野政調会長、高木国対委員長、この5名に出すか、出さないか、出すとしたらタイミングをどうするかということは、一任を受けました。これは党として決定したことです。したがって、早く出せとか、出さないとか、そういう議論は党の中で、個人的なご意見はあるかもしれませんが、すでに方針は党として決定している、その方針に基づいて、粛々と対応していくということは申し上げておきたいと思います。
いずれにしても、「対案」を出せ、出せということしか言えない政府・与党は非常に残念に思います。まずは、政府が責任を持って出した法案を、きちんと説明しきる。聞かれたことにきちんと答える。「そんなことはありません、リスクは高まりません」ということで強弁したり、答弁が二転三転したりする、そういう姿勢を国民の皆さんは見ていて、政府の説明は不十分と言っておられる。何も分からないで言っているのではなくて、安倍総理はじめ政府の答弁をしっかりと見たうえで、不十分だと言っておられるということを、総理をはじめ政府側もきちんと認識されたほうがいいと思っています。
上記の見解に対し、BLOGOSに寄せられているコメントは辛辣な声のほうが目立っています。「民主党は少なくとも前の政権を担った政党です。自分たちが政権を取ったならどうするという案もなしに支持が増えると思っていらっしゃるとすれば末期的だと思います」「支持率が伸びていないという事は、結局野党が政権を担うにふさわしい政党と思われていない」「民主党が本気で政権目指してるなら、そこをまず真面目に取り組むべきだと思うんですが、結局批判することだけで終わってしまう野党になってしまっています」という指摘が多いようです。
ただ対案を示せば支持率が上昇するというものでもありません。維新の党は衆院審議で対案を提出して「責任政党」をアピールしましたが、支持率は2%前後で低迷したままです。東京新聞の本音コラムで山口二郎さんは「反対ばかりでは政権政党になれないと考える政治家が、対案作成を通して野党再編成を目指すとも言われている。これこそ野党の自殺行為である。予算に関わる話なら、対案を出して修正を勝ち取るという戦法もある。しかし、立憲民主主義を破壊する政府与党に対して中途半端な対案を提示すれば、政府にとっては格好の援軍となる」と訴えています。
このように対案に関しても賛否ありますが、私自身、岡田代表が示しているような見解に違和感はなく、参院本会議で北沢俊美元防衛相が「この法案は憲法違反だ。国民が求めているのは対案ではなく、廃案だ」と言い切ったとおりの対応を支持しています。とは言え、プラカード持ち込みの問題をはじめ、民主党に幅広い支持が集まるかどうかで言えば、いろいろ不充分さは今後も指摘されていくのかも知れません。
それでも岡田代表らの発想や判断は決して現実離れしたものではなく、国民の多数からも支持を得られるものだと考えています。もう一度、民主党が政権交代に向けて有力な受け皿として認められるのかどうかは信頼感の問題だと思っています。個々の政策に対する評価は国民の中でも賛否が分かれがちです。どちらの政策判断が国民の多数から支持を得られるのかどうか、そのことばかり重視した場合、それこそポピュリズム政党に陥ってしまいます。
立憲主義や平和主義を尊重する政党かどうか、基本的な理念や方向性で自民党との対抗軸を打ち出していくことが重要です。その上で一度政権を担った経験や教訓を生かし、より望ましい現実的な政策判断を積み重ねていける政党として国民からの信頼感を得られるのかどうか、このような関係性が大きな鍵になっていくように考えています。そのような信頼感が高まるようであれば、おのずと民主党に対する支持率も上がっていくのではないでしょうか。
そのためにも最近の記事「長島昭久さんとの関係」の中で綴ったとおり「左」に偏り過ぎだと見られても政権交代は難しいため、「リアリズムとリベラリズム」を兼ね備えた長島さんのような政治家を包み込んだ政党であって欲しいものと願っています。もう一つ強い要望として、党内ガバナンスの問題があります。個々人の意見が自由闊達に示せない組織も問題ですが、党内で議論すべき話が外部に発信され、まとまりのなさを印象付けていくことには少し注意して欲しいものと感じています。
民主党内が、安全保障関連法案に反対して「徴兵制の復活」をあおる手法や表現を巡り、収拾がつかなくなってきている。法案に反対する党のパンフレットは、徴兵制の記述に関して党内の保守系議員の批判を受け改訂したが、微修正にとどまった。党内には、「抵抗野党」とのイメージが染みつくことを懸念する声も出ている。民主党は21日付で、パンフレットを改訂した。徴兵制復活に関するページで、出征兵が女性に見送られるイラストを削除し、女性が子どもを抱きかかえるイラストに置き換えた。
ただ、「集団的自衛権の行使を禁止してきた 従来の憲法解釈を閣議決定で変更し、限定的行使を可能としました」「そのようなことが許されるなら、徴兵制も同じです」との文言は、そのまま残された。保守系議員からは依然として「徴兵制復活など、今の日本ではありえない。非現実的だ」と批判が相次いでいる。「いつかは徴兵制?募る不安。」とのタイトルが、共産党の機関紙「しんぶん赤旗」に掲載された「徴兵制!? 広がる不安」と似ているため、「共産党と足並みをそろえているように見えてしまう」と懸念の声が出ている。【読売新聞2015年7月26日】
安倍首相は「徴兵制の導入はまったくあり得ない。今後も合憲になる余地はまったくない。子どもたちが兵隊にとられる徴兵制が敷かれることは断じてない」と繰り返し、「政権が代わっても導入はあり得ない」と言い切っています。しかしながら「長年の憲法解釈を変更し、歴代内閣が使えないとしてきた集団的自衛権の行使を認めたのは首相で説得力がない」という指摘は最もであり、隣の韓国には徴兵制が敷かれているとおり「非現実的だ」と決め付けることもどうかと思っています。そのように考えた際、上記のパンフレットは必ずしもNGではなく、淡々と対応すべき事案だったように見ていました。
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コメント
どうもごぶさたです。
暑いですねえ。本当に暑いです。みなさんも熱中症にはくれぐれも気をつけて下さい。
非常に良い記事をみたのでみなさんよろしければ一読して下さい。
>http://www.newsweekjapan.jp/hosoya/2015/07/post_1.php
今週の記事を読むと、なぜ民主党の支持率が上昇しないのか、よく理解できる内容でした。なるほど上昇しないのも当然、いや下降しないだけ立派と言える。
とりあえず民主党には期待しましょう(w
投稿: nagi | 2015年8月 3日 (月) 11時43分
同じ問題点に対して「こういう解決をしたい」というものと、「こういう解決にしたらどうか」というのを同じ土俵で議論するのであれば、当然同じ審議時間でやるべき話です。
ですから、政府案に対して対案を出すというのが「本気の対案」なのであれば、それを審議する時間も相応に必要なのだと思うのです。
しかし、政府案に審議する時間が必要だから、対案の方は後でタイミングを見て出す、などと言っている時点で、本当の意味で「対案」を成立させる気などなくアリバイ的に出している、と言わざるを得ません。
くだけた言い方をすると、「早く出して政府案と同じ時間かけて審議したらボロでちゃうからでしょ」と。
>まず、国民の皆さんの8割が、政府の説明は不十分というなかで、しっかりと政府案の疑問点、問題点を指摘し、議論するということが、我々野党に求められた役割だと考えるからです。したがって、最初からPKO法や周辺事態法の対案を出すということはありません。今後、参議院で議論していく中で、タイミングを計るということになります。
投稿: とーる2号 | 2015年8月 6日 (木) 07時49分
言葉は便利なもので、本当に素晴らしい。
集団的自衛権に対しては「普通に戦争できる国」とか「戦争法案」と言う。
では、日本が他国から攻め込まれたらと言うと、それは個別的自衛権で対応可能と言う。これも戦争して相手殺しますとなぜ言わないのか不思議です。
ミサイルなら迎撃できるが、有人の戦闘機なり潜水艦なり上陸兵ならば、結果として死傷者もでるだろう。それは戦争でしかない。ならば個別的自衛権と言わず戦争でしかない。
しかしなぜか戦争と言わず、個別的自衛権で対応できると言う。
平和主義者がいかなる場合でも戦争には反対する。それは攻め込まれても同じと言うならば筋が通ってる話だ。
しかし、この戦争はだめでこの戦争はよいと言われるのは理解できない。
結局、戦争には違いはない。しかし反対派の方々は、国民の「戦争」という言葉のアレルギーを利用する為には、一方には戦争とレッテルを張り、一方は個別的自衛権と言わないと都合が悪い。
どちらも「戦争」だから、それを避けるにはどうするか、外交努力だけでは、歴史と現状をみれば難しいことは自明の理である。ならばどうしますか?と考えれば、自然と議論も深まるだろう。
原発には想定外は許さず、安全保障では想定することすら拒否していては何も始まりませんよ。
投稿: nagi | 2015年8月 6日 (木) 11時18分
民主党政権の暗黒の時代を忘れてはいけません。
埋蔵金や無駄削減はデマカセと露呈。外交は最悪(日米関係悪化。中韓への媚外交)。経済は超円高でデフレ。
極めつけ:野田首相が慰安婦被害者に謝罪して政府の予算で補償する予定だった
http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2015/01/29/0400000000AJP20150129001200882.HTML
ドライバーの運転が下手だからといって、幼児に運転を任せたら大変なことになる。
投稿: たろう | 2015年8月 6日 (木) 13時20分
憲法違反の法案に対案などありません。
首相の応援団が足引っ張って防戦一方なので、なんとか矛先を変えたいのでしょ。
集団的自衛権を使いたいなら憲法変えろ、スジを通せ。ということです。
自民党も民主党も政権を失った原因分析と対策がまともに議論されないんだよね。
議員だから選挙で負ければ責任取った、勝ったら禊ぎは済んだ、という発想なのだろう。
>民主党政権の暗黒の時代を忘れてはいけません。
>埋蔵金や無駄削減はデマカセと露呈。外交は最悪(日米関係悪化。中韓への媚外交)。
私は違う評価ですが、貴殿の評価ではそうなんでしょう。
埋蔵金は麻生政権が使ってしまった。
日米関係は悪化ねえ、アメリカの言いなりから距離を置くことを悪化と言うなら悪化なんだろう。
大きな貿易相手でもある中国韓国との関係をよくするのは当然のこと、
対立を煽るなんてバカのすること
>ドライバーの運転が下手だからといって、幼児に運転を任せたら大変なことになる。
この点は同意します、今がまさにその状態だ。
投稿: ハルチャンド | 2015年8月 7日 (金) 13時30分
う~ん、民主党さんには自民党さんと代替可能な程度に拮抗した「野党を演じる力量があり&現に野党という役割を演じている”与党”」であって欲しいというのは、政権交代前からのワタクシの主張です。
ただ、今の民主党さんは、「自民党への支持を減らすことに注力され、ある程度成果がでてる」けど「民主党への指示を増やす努力は皆無に近い(もしかしたらその必要性に気づいてない?)」状態だと感じています。
「自民党さんへの支持が減ったら、その分だけ民主党さんが支持される」という状況は、今の民主党さんでは生じ得ないという印象を持っています。
ところで昨秋のことですが、中野雅至氏が著作で
「日本の安全保障はいつも抽象的な思想論で語られる。如何にも平和に慣れている。今でも安全保障を思想や法学の観点からのみ論じていれば済むというのは、日本の安全保障にはまだ余裕があるのだろう。」
という主旨のことを述べられたことがあります。
ワタクシは当該書籍で述べられた中野氏の認識には概ね同意しているのですが、「ホントに余裕があるのか、余裕がないのに余裕があると錯覚しているのか?」は諸々考えるところがあります。
個人的な主観を述べると、今は「攻められてはいない」しかし「現実問題として、確実に獲りには来られている。むしろ明示的に攻めてこないだけになおさら老獪で難儀」と認識していまして、「いかに、アメリカに付き合わされることを避けるか?」よりも「有事にアメリカ(議会)に日本に付き合うことを認めて貰う為に、平時に日本は何を為すべきか?」という命題(如何にアメリカに付き合って貰うかという命題)の方が遙かに緊要なものと考えています。
ところで先日ですが、2年前に単行本として刊行された「暗闘 尖閣国有化」という書籍が文庫化されて刊行され、単行本にはなかった長島昭久氏と同書の著者との対談が追加収録されました。
ここで長島昭久氏が述べられている情勢認識は概ねワタクシと同じでして、そうした認識に立脚した長島氏の昨今の言動には、「前提となる現状認識からすると当然そうなるよなぁ」と感じています。
「領土を巡る戦争は=防禦=によって始る(成立する)」という有名な理論がありまして、「防禦」がなければ戦争そのものが成立しない(すなわち、ヒト・モノ・カネの全てにおいて略取され放題)ということが言われています。
ワタクシも「戦争をしない」と「戦争が成立しない」とでは全く意味が違うと考えておりまして、「戦争をしない(すなわちこちらから仕掛けてはいかない)」ということについては全面的に賛成ですが、「戦争が成立しない(攻め込まれても、なんの対応も出来ない。やられるが儘)」という状況については許容しがたいものを感じます。
今問題にすべきは、「最低限、攻め込まれても戦争が成立するだけの=防禦=体制とは如何なるものか?」を論じることだと思います。集団的自衛権ありきでなく、この観点からの検討の結果どう考えても必要なら、改憲をしてから法律を作るのが筋だと考えています。
そういう意味で、「集団的自衛権云々は手段であるのに、目的化している。順番が逆。」という感じはします。
なのでワタクシは、民主党さんには「0か100かという命題をたてて、0を求める」という今のような対応ではなく、「如何に100を0に近づけるか?という命題をたてて、可能な限り0に近づける(結果として0になれば良いが、0が目的ではない)」という対応を期待しています。今のままでは「理屈の上では、どうしても100が100のまま通ります」ので。
言い方を変えると、「もし今民主党さんが与党であれば何を為すか?」が知りたい訳です。現実に起きていることを「起きていないことにして傍観する」のではなくて。
投稿: あっしまった! | 2015年8月 7日 (金) 21時04分
nagiさん(お久しぶりです)、とーる2号さん、たろうさん、ハルチャンドさん、あっしまった!さん、コメントありがとうございました。
民主党のことは機会を見て触れるつもりですが、新規記事は安保関連法案の論点について改めて掘り下げてみます。ぜひ、またご訪問いただければ幸いですので、よろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2015年8月 8日 (土) 21時17分
うーん
そもそも徴兵の話でおかしいのは、この法案のさきにあるかのような話ですよ。
あるかないかといえば集団的自衛権の安保に関係なく地政学上の情勢が変化して紛争か戦争にはってんした場合は十分ありえるでしょう。
負けた国がどうなるのか現在においても世界の歴史が証明してますからね。こっぴどくやられるまで世論が降伏しようとはならないかもしれないし
徴兵があるかないかでいえばそりゃ有り得るとしかいえないでしょう。世界は善意でできてるわけじゃないし
集団的自衛権や安保は、じゃあ個別とどちらを選んだほうがリスクがすくなくなるのか?といった話です
NATOのように集団を形成することでその地域の秩序の安定を目指すって方法もあるし、集団的自衛権否定して個別的自衛権だけでいくと拡大解釈して暴走するリスクもはらみますからね
たしかに集団のなかにいと、自国と関係ない事案で兵士を死なせるリスクがでるデメリットがあるが、集団を組むことでむやみやたらな「(自称)防衛行動」にたいして静止がかかるメリットがあるので集団的自衛権の容認には賛成です
ただし、安保では日本はアメリカの無茶な行動にNOといえるのか
まあ、安倍は~なんてきこえるけど…安倍総理が総理やってるうちは安倍発動する事態はおきんでしょう
投稿: アホウドリ | 2015年8月 8日 (土) 22時47分
アホウドリさん、コメントありがとうございます。
皆さんの問いかけに対し、きめ細かく対応できていないかも知れませんが、「安保関連法案の論点」という新規記事を投稿します。ぜひ、またご意見等をお寄せいただければ幸いです。
投稿: OTSU | 2015年8月 8日 (土) 23時40分
ドイツは、集団的自衛権”だけ”を認められて、個別的自衛権が認められていないのです。
これは、ドイツの「個別的自衛権を認めると、拡大解釈して暴走するリスク」を抑える為と言われてます。だから、集団的自衛権だけを認めることになったという。
※ドイツの集団的自衛権といえば、ドイツ軍のアフガニスタンへの派遣(犠牲者がでたISAFでの派遣)は「国連憲章による集団安全保障措置への参加」であって、「集団的自衛権の行使ではない」のですが、とりわけ反対派の方から混同されて論じられている気配がありますね。
投稿: あっしまった! | 2015年8月 9日 (日) 18時07分