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2015年7月 5日 (日)

『感情的にならない本』から思うこと

通勤の帰り道に立ち寄る書店の入口近くに精神科医である和田秀樹さんの著書『感情的にならない本』が平積みにされていました。書籍のタイトルや本文中の見出しにひかれ、購入して数日で読み終えていました。初版は2年前で新著ではありませんでしたが、期待したとおり実生活に役立つ思考法や感情的にならないための技術に触れることができました。

第1章 人には「感情的になるパターン」がある
第2章 「感情コンディション」を整える
第3章 「曖昧さに耐える」思考法
第4章 「パニックに陥らない」技術
第5章 「いつでも気軽に動く」技術
第6章 「小さなことでクヨクヨしない」技術

現在の職場は収納課で、市税や国保料を滞納された方々と接触をはかる仕事です。私自身、今年4月の記事「生活困窮者自立支援法が施行」に記したような問題意識のもと「たいへんだけど、たいへんやりがいのある仕事」だと思って日々の職務に励んでいます。中には恫喝や罵詈雑言を発する滞納者もいるため、担当者によっては自分自身の心を痛め、大きなストレスをためがちとなります。『感情的にならない本』は読み終えた後、そのような同僚職員にも紹介するつもりで手にしていました。

人との関係は「感情関係」といった一面が強いものです。腹がたつ相手には、相手のちょっとした言動で、すぐかっと怒ったり、不満が吹き出したり、つい不機嫌な反応をしてしまいます。とはいえ、すぐに感情的になったり、不機嫌でいたりしては、周りからは幼稚にも見られ、損もします。コミュニケーションも上手くいかず、他の人間関係にも悪い影響があります。「感情」は自分では制御できないものではなく、そうなる「法則」や「感情的になるパターン」があります。そのことを知り、「感情的にならない」コツを押さえれば、穏やかな気持ちを保つこともできます。

上記はリンク先サイトの書籍の内容紹介ですが、この後に「感情的にならない」心の技術と考え方を精神科医の著者が体験的に得た方法や精神医学の立場から紹介しているという説明も付け加えられています。今回、この書籍を読み進めながら所々で「なるほど」とうなづくとともに、普段自分自身の心がけていることが専門家から「お墨付き」を与えられたような思いも強めていました。

著者の和田さんが嫌う考え方として「決め付け」を上げています。和田さんがブログに書いたことを「何も分かっていない」「頭が悪い」「偏見だ」という調子でボロクソにけなされる時もあります。和田さん自身、自分の意見が絶対に正しいとは思わず、あくまでも一つの見方として「私はこう思う」と主張しているだけだと述べられています。そのため、自分の意見が批判されること自体は何とも思わなくても、根拠も論理性もなく、無礼な物言いで決め付けられてしまうと頭にきて、ムシャクシャして仕事が手につかない時もあるそうです。

そもそも最初から「分かっていない」と決め付けられれば議論が成り立たないため、そのような場合、和田さんは反論しないと述べられています。自分が感情的になった時、そのイヤな感情にこだわれば余計イヤな気分になっていきます。神経症の治療法として「感情の法則」と呼ばれるシンプルな考え方があります。「感情は放っておけばだんだん収まってくる」という法則です。

腹が立つ、悔しい、他人を憎いと思うことも、あえて否定せず、どれも感情の仕業ですので、あるがままに放っておけば、そのうち静まっていくという考え方でした。感情に振り回されるというのは、姿かたちのないものに振り回されることであり、考えても答えが出ないものに悩まされることになります。それよりも考えれば答えが出ることや変えられるところから変え、日常業務や習慣から手をつけていけば、イヤな感情も消えていくことが綴られています。

前述した「お墨付き」の話ですが、3年前まで毎日最低1回はコメント欄に関わるように心がけていました。ただ「迷った末の結論」や「コメント欄雑感、2012年春」を投稿した頃から徐々にコメント欄から距離を置くようになっていました。いろいろな「答え」を認め合った場として、このブログを長く続けていくためには必要な判断だったものと考えています。イヤな感情を抱えたままコメント欄に即応していくよりも、冷却期間を置きながらブログに向き合っていくほうが過度な負担をかけない更新ペースとなっています。

『感情的にならない本』の中には具体的なケースでのアドバイスが数多く掲げられています。「話にならない人は放っておく」では①話にならない人は一部だということ、②怒っても状況は変わらないということ、このような説明が加えられています。他に「人の悪感情」とは、まともに付き合わず、人の気持ちは変えられないものと割り切り、悪意を感じた時は聞き流すことを勧めています。挑発に乗らなければ、イヤな感情を大きくさせなくて済むことなどが記されていました。

「小さなことでクヨクヨしない」技術として、受けとめ方一つで感情が変わってくることを紹介しています。降格でも配置転換でも勤めている限り拒めないのであれば、出された結果は「しゃあない」と軽く受けとめ、自分自身を納得させることを勧めています。ショックは受けても、そのことでいつまでもクヨクヨしないことが同じ災難でも感情だけは明るく保ち続けられると説かれています。

クヨクヨしてもしなくても結果は同じ、だからと言って「クヨクヨしてはいけない」「怒ってはいけない」「感情的になってはいけない」と自分に言い聞かせすぎることも戒めています。喜怒哀楽は人間の本能的な反応であり、押し殺せばストレスが生まれます。怒りや悲しみは堪えれば堪えるほど噴き出す時に一気に噴き出してしまいます。適当に発散し、感情表現をためらわない人は、突然、感情的になることはありません。「感情的にならない人は、上手に感情的になれる人でもある」と和田さんは述べられていました。

実は前回記事「多様な声を認め合うことの大切さ」の中で『感情的にならない本』の第3章「曖昧さに耐える」思考法について触れるつもりでした。蛇足のような内容であり、たいへん長い記事になっていたため、その時は触れずに今回の記事に至っていました。この書籍で「感情的になる人は自分の思い込みにこだわる人」であると指摘しています。知識や情報が豊富で知的発達している人の中にも、白か黒か「これしかない」と決め付け、しばしば周囲とぶつかる人がいます。

そのような人は専門用語で認知的に成熟していないと呼ばれ、俗に言えばオトナ気ない人のことです。認知的成熟度の低い人は、相手を敵か味方かのどちらかに分けてしまう傾向があり、いったん敵と見なしてしまうと、その人が何を言っても反対や無視してしまうようです。心理学に「曖昧さ耐性」という言葉があり、曖昧さにどれだけ耐えられるかどうかが認知的成熟度の大きな指標になってくるそうです。

自然界には少しなら薬になるけど大量に食べると毒になる植物があります。「ほどほど」という曖昧な量の概念がないため、その植物を動物は毒と判断します。人間の子どもに対しても同様です。飲みすぎたら毒になるような薬を大人は子どもに「危ないから絶対口に入れたらダメよ」と教えます。だんだん成長して認知的にも成長してくると白か黒かだけではなく、その中間があることも分かってきます。

ある植物を見て「これは毒にもなるし薬にもなる」と理解するようになります。しかし、認知的成熟度が低い人は白黒をはっきりさせないと気が済まず、敵でも味方でもないという曖昧さに耐えられないようです。さらに「○○でなければならない」「○○すべきだ」という決め付ける考え方を「should思考」と呼ぶそうですが、やはり「曖昧さ耐性」の低さが原因だと言われています。

以上のような記述を目にした時、前回の記事で取り上げた自民党国会議員の勉強会「文化芸術懇話会」のことを思い浮かべていました。週明け、火曜日には「マスコミを懲らしめろ」発言で物議を醸した自民党の大西英男衆院議員は記者団を前にして同様な発言を繰り返し、党から2度目の厳重注意処分を受けていました。また、自民党内からは下記の報道のような声が上がり、さらに「木原氏を処分するなら衆院憲法審査会で失態を演じた船田氏も処分する必要がある」と党執行部の一人が疑問を呈しているようです。

「報道規制」問題の発端となった自民党有志の勉強会「文化芸術懇話会」を主宰した木原稔氏が「役職停止1年間」の処分を受けたことについて、30日の同党副幹事長会議で、支持する意見が出される一方、「重過ぎる」などと異論を唱える声も相次いだ。出席者の一人は、勉強会で報道機関へ圧力をかけるよう発言した大西英男衆院議員ら3人が厳重注意にとどまったことを念頭に、「なぜ木原氏だけ重い処分になるのか」と指摘。「党内の自由な雰囲気がなくなる」と懸念する意見もあった。出席者によると、賛否は「半々」だったという。【時事ドットコム2015年6月30日

安保関連法案の審議への影響という面では木原氏も船田氏も党内的な処分において「同罪」に近いのかも知れません。しかし、なぜ、これほど批判されているのか、まったく理解されていないような自民党内の声に驚いています。自分たちの考え方が唯一絶対正しいものという前提に立ち、反対するマスコミには報道の自由を認めないような発言の数々に批判を受けていることへの理解が欠けているようです。認知的成熟度が低いと言わざるを得ない国会議員の多さ、それも政権与党の自民党内に目立つ現状を非常に残念なことだと思っています。

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コメント

時には極論もアリだと思いますよ。
押し殺したりなだめてすかしたりということだけではおさまらないです。

自民の先生方が論外の発言をされるのはアレですが、かつては「オフレコ」「ここだけのはなし」がありましたからね。

労使関係でも、かつては、交渉時間だけを長引かせているように見せかけて、実際は交渉室で雑談してお茶飲んで、「時間になったから、そろそろオープンにしようか」ってことが・・・あったようななかったような。

公式ってなんなんですかね。公私もへったくれもなくなっているようで、最近は。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2015年7月 8日 (水) 18時12分

でりしゃすぱんださん、コメントありがとうございました。

国政の動きに目を離せない状況が続いています。そのような中で、逆に唐突感を与えてしまうのかも知れませんが、新規記事は「公務員」に直接関わる話題での投稿を予定しています。ぜひ、またご覧いただければ幸いですのでよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2015年7月11日 (土) 07時07分

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