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2015年6月27日 (土)

多様な声を認め合うことの大切さ

このブログを開設した後、しばらくして背景の色やイラストを一度だけ大きく変えていました。それ以降、ずっと同じレイアウトやテンプレートで続けています。あまりスクロールしなくても、文章が読めるよう任意に設定できる記事本文のテンプレート部分は「可変」としていました。最近、その設定では大きい画面で閲覧する際、文字が横に広がり過ぎて見づらいという指摘を受けました。

私自身は横に広がった記事本文の表示に見慣れていましたが、そのような「見づらい」という声を受けとめ、水曜の夜、久しぶりにレイアウトを大幅に変更しました。記事表示列を「可変」から「500ピクセル」に変え、一般的なブログのスタイルに改めてみました。もともと「文字が多い」という第一印象を与えがちなブログでしたが、変更後、ますますその傾向が強まったようにも感じています。

それでも文字の多さの目立ち方は変更前と変更後も五十歩百歩なのかも知れませんので、このまま新しいレイアウトで続けていくつもりです。仮に「以前のほうが見やすかった」という声が多く寄せられるようであれば、また元に戻すことも想定しています。いずれにしても一人でも多くの方に閲覧いただきたいと願っているため、少しでも「見やすい」ブログに近付けていければと考えています。

さて、このブログを通して多面的な情報に触れていくことの大切さを訴えた上、幅広い視点や立場からの多様な声や意見を認め合っていくことが、より望ましい「答え」を導き出すためには欠かせない心構えであることを提起してきました。物事一つ一つに対して個々人での見方や評価があります。個々人が積み重ねてきた知識や経験から基本的な考え方が培われ、その違いによって物事の見方や評価が大きく分かれがちとなります。

ただ信じている「答え」が必ずしも絶対的な「正解」とは限りません。自分自身にも省みていることですが、この論点は「完璧な人間はいない」「人は過ちを犯す」という見方に繋がります。特に物事を判断する際の情報が少なかったり、偏っていた場合、より望ましい「答え」を導き出せなくなります。同じモノを見ていても、見る角度や位置によって得られる内容が極端に違ってきます。

一つの角度から得られた情報から判断すれば明らかにクロとされたケースも、異なる角度から得られる情報を加味した時、クロとは言い切れなくなる場合も少なくありません。クロかシロか、より望ましい「答え」を選択するためには多面的な情報をもとに判断していくことが非常に重要です。これまで繰り返してきた言葉を改めて掲げさせていただきましたが、このような趣旨を踏まえた際、多面的な情報に結び付く多様な声の貴重さを認識していかなければなりません。

内閣法制局長官が、憲法学者や長官OBらと意見交換する会合「参与会」に対する不満が政府・自民党内で強まっている。国会では政府が提出した集団的自衛権を限定容認する安全保障関連法案への審議が進むが、限定容認に否定的なOBらが現在の法制局の業務に口出しするのは「筋違い」(政府関係者)というわけだ。政府内からは、政府予算で運用される参与会の廃止や予算減額を求める意見も出始めた。

参与会は月1回程度、長官が法制次長ら現役幹部とともに、長官OBや憲法学者ら計10人程度を招いて懇談する会合だ。始まってから半世紀以上の歴史を持つ。法律で規定されたものではないため、私的会合との位置付けだが、政府の予算が使われている。2014年は8回、今年も5回開催された。今年度予算には出席者への謝礼として158万円が計上されている。【読売新聞2015年6月23日

参与会は内閣法制局長官らが多様な声を受けとめ、いろいろ参考にしていくための場であるはずです。これまで異論や反論が示されれば謙虚に耳を傾け、方針を修正していく機会に繋げることもあったのではないでしょうか。今回、安保関連法案を「違憲」と指摘するOBらが多いからと言って、参与会の廃止や予算減額という声が政府内から示されたことに驚いていました。あまりにも露骨な政治的な圧力に繋がる話であり、現政権の体質を表わしている事例だと見ていました。すると数日後、もっと驚くべき出来事が明らかになっていきました。

安全保障関連法案をめぐり、自民党執行部が党内の異論封じへ引き締めを図っている。25日に予定されていたリベラル系議員の勉強会に「時期が悪い」と注文をつけ、結局、中止に。OB議員の批判にも神経をとがらせる。法案への国民の理解が広がらず、憲法学者から「違憲」と指摘された焦りからか、身内の動向にまで敏感になっている。中止に追い込まれたのは、党内ハト派とされる「宏池会」(岸田派)の武井俊輔、無派閥の石崎徹両衆院議員らが立ち上げた「過去を学び『分厚い保守政治』を 目指す若手議員の会」だ。

この日、漫画家の小林よしのり氏を招いて5回目の会合を開く予定だったが、2日前に急きょ中止が発表された。小林氏は、自衛隊を軍隊と位置づけるべきだとの立場から、改憲を主張する保守派の論客だ。憲法の解釈を変更して集団的自衛権を使えるようにした安倍晋三首相に批判的な立場だ。複数の議員によると今月中旬、党幹部の一人が「分厚い保守政治の会」のメンバーに対し、「安全保障関連法案への審議に影響がある」として法案成立まで会合を開かないよう求めたという。

別の党幹部は「小林氏を呼べば、政権批判をされ、憲法学者が法案を違憲だと指摘した二の舞いになる」と打ち明ける。一方、メンバーには「党内の幅広い意見が消える」との声もあり、政治学者の御厨貴氏を呼ぶ予定だった次回の会合は中止せず、そのまま開くことを決めた。小林氏は朝日新聞の取材に「会合中止は国会が空転しているから、と説明されただけだ。執行部への抵抗勢力になるのが怖くなり、負けたんだと思う。自民は全体主義になっている」と語った。【朝日新聞2015年6月26日

前述したような趣旨を懐深く受けとめていった場合、異論や反論、批判意見やクレームは歓迎すべきものだと言えます。もちろん誹謗中傷や単に攻撃目的の罵詈雑言との峻別が欠かせないことも確かです。それでも正しいと信じた「答え」を検証していく機会として、まずは多様な声に耳を傾ける姿勢が大事だろうと考えています。その意味で今後の日本の行方を左右する重要な局面にも関わらず、貴重な異論を聞き取る機会を否定した自民党幹部の姿勢は疑問視しなければなりません。さらに驚くべき話が明らかになり、大きな波紋を広げています。

安倍晋三首相に近い自民党の若手議員約40人が25日、憲法改正を推進する勉強会「文化芸術懇話会」の初会合を党本部で開いた。安全保障関連法案に対する 国民の理解が広がらない現状を踏まえ、報道機関を批判する意見が噴出した。講師として招いた作家の百田尚樹氏に助言を求める場面も目立った。出席者によると、百田氏は集団的自衛権の行使容認に賛成の立場を表明した上で、政府の対応について「国民に対するアピールが下手だ。気持ちにいかに訴えるかが大事だ」と指摘した。

出席議員からは、安保法案を批判する報道に関し「マスコミをこらしめるには広告料収入をなくせばいい。文化人が経団連に働き掛けてほしい」との声が上がった。沖縄県の地元紙が政府に批判的だとの意見が出たのに対し、百田氏は「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない。あってはいけないことだが、沖縄のどこかの島が中国に取られれば目を覚ますはずだ」と主張した。

懇話会は木原稔青年局長が代表で、首相側近の加藤勝信官房副長官や萩生田光一・党総裁特別補佐も参加した。出席者の発言について、自民党中堅は「自分たちの言動が国民からどのような目で見られるか理解していない。安保法案の審議にマイナスだ」と指摘。公明党幹部は「気に入らない報道を圧力でつぶそうとするのは情けない」と苦言を呈した。【毎日新聞2015年6月26日

この報道に接し、唖然としました。百田氏は「反日とか売国とか、まずとにかく日本を貶める目的を持って書いているとしか思えない記事が多い」と発言しています。いわゆる「ネトウヨ」と言われるような方々がよく使う言葉であり、思い込みが先走った批判の仕方です。以前の記事「リベラルじゃダメですか?」の中で記したことですが、「反日」と批判されるような「日本を憎む」「スパイのような立場から日本政府を転覆させる」という意図を持つ日本人は皆無に近いものと考えています。

当然、マスコミも同様であり、日本の行く末を懸念した中からの様々な報道や問題提起に過ぎません。それを「反日」や「売国」という言葉で批判することは、最近、安倍首相が忌み嫌っている「レッテル貼り」と同じだろうと考えています。この百田氏の発言に対し、出席した自民党議員の複数から「そうだ、そうだ」という声が上がっていました。「マスコミをこらしめる」という自民党議員の論外な発言をはじめ、安倍首相に近い政治家のレベルが浮き彫りになっています。

もちろん百田氏や政治家一人ひとりの個人的な発言に対しては、「言論の自由」が保障されなければなりません。しかし、その「言論の自由」を保障するため、権力側である政府与党は政治的な圧力を加えないよう細心の注意を払っていく必要があります。安倍首相も「私の考えを述べるのは言論の自由だ」と国会で答弁されていましたが、権力側と一個人の発言の峻別を適切に理解されていないような気がしています。

いろいろな「答え」を認め合った場として、このブログを続けています。いろいろな「答え」や多様な声を認め合うという言葉が誤解される時もあります。自分自身の考え方と異なる意見にも「賛同すべき」という意味合いではありません。多様な意見を見下し、全否定するのではなく、そのような見方もあったのかという懐深い相互の関係性を望んでいる言葉です。フランスの哲学者ヴォルテールの「私はあなたの意見には反対だ。だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」という言葉に繋がる発想だと考えています。

多様な声が発せられないような人間関係や組織では問題です。過ちを正す機会を逸し、結果的に大きな損失を生じさせる可能性があります。社会や政治の場面でも同様であり、よりいっそう多様な声を認め合うことの大切さが求められていくはずです。そのためにも権力側に位置する政治家の皆さんは「言論の自由」を阻害するような発言や振る舞いは慎み、委縮することなく多様な声が発せられる社会に向けて尽力して欲しいものと願っています。

安倍首相は国会の会期が95日間延長されたことを受け、国会内で記者団の質問に対し、安保関連法案は「充分な審議時間を取って徹底的に議論していきたい。最終的には決めるべき時は決める。この議会制民主主義の王道を進んでいくべきだと判断した。丁寧な説明を心がけながら、成立をめざしたい」と答えています。この発言の意図は「時間はかけるけど、最後は与党の現有議席の多数で決めます」であり、どれほど多様な声が示されても「結論ありき」で強引に押し進めることを表明したように感じています。

安倍首相の「私が丁寧にご説明します」と題された特集が目に付き、『WiLL』最新号を発売日に購入しました。読んでみても目新しい内容はなく、これまで安倍首相が答えてきている焼き直しの文章でした。それよりも「安倍外交、世界を動かす」という対談など安倍首相の働きぶりを称賛する記事があふれていることに驚かされました。一方で、ネット上からウクライナ訪問を懸念した見方や安倍首相の最近の言動を知ることができます。

称賛も批判も多面的な情報の一つとして冷静に受けとめながら、これまでも安倍首相や現政権がめざしている方向性などを評価しているつもりです。しかし、どうしても残念ながら安倍首相には『WiLL』で称賛されているような声だけが届き、耳の痛い批判意見は「どうせ〇〇の発言だから」とご自身が嫌うレッテルを貼った見方をされているように感じがちです。最後に、今回の記事の中には人によって不愉快に思う箇所もあるのかも知れませんが、ぜひ、多様な声の一つとしてご理解ご容赦いただければ幸いです。

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2015年6月21日 (日)

長島昭久さんとの関係

中谷元防衛大臣は2年ほど前の雑誌の対談で「集団的自衛権は行使できない」と語られていたようです。自民党の高村正彦副総裁も小渕内閣で外務大臣だった時に集団的自衛権を行使することは「我が国の憲法上許されない」と国会で答弁していたことが明らかになっています。それにもかかわらず集団的自衛権の行使に道を開く問題が多い安保関連法案の推進役になっている二人に失望しつつ、さらに村上誠一郎衆院議員以外、表立った反対意見が聞こえてこない安倍内閣や自民党内の現状を危惧しています。

ちなみに時事の話題をブログに取り上げる際、政治家の名前をそのまま掲げることは特段配慮や意識する必要もない慣わしだろうと思っています。一方で、プロフィール欄に記しているとおり管理人の名前は「OTSU」とし、このブログの中に登場される皆さんも匿名を基本としています。その中で前述したとおり政治家、よくマスコミなどに顔を出されている有名人、他に講演会などを扱った記事では本人の了解を得た上で実名で紹介させていただいていました。

インターネット上では「OTSU」としていますが、私どもの組合員や知り合いの皆さんらにとって匿名のブログではなく、実名での発信と同じ扱いとなっています。このあたりの関係性は以前の記事「再び、コメント欄雑感」の中で綴っていました。本題に入る前の前置きが長くなっていますが、時事の話題ではなく、政治家の方と実際にお会いした際のエピソードなどを当ブログの記事に綴る時も少なくありません。その際、基本は匿名での発信ですので自治体議員の名前は伏せるように努め、国会議員のみ実名で取り上げています。

これまで民主党参院議員の江崎孝さんや元内閣府副大臣の末松義規さんらが登場していますが、元防衛副大臣の長島昭久さんが群を抜いた登場回数となっています。地元選挙区の衆院議員であり、私どもの組合も推薦し、連合地区協議会の懇談会などでお会いする機会が頻繁にあるため、長島さんに関する記事は積み上がっていきました。最近の記事「問題が多い安保関連法案」の中で触れたことですが、いわゆる左や右でとらえれば長島さんは民主党の中でも「右」寄りと見られています。一方で、自治労に所属する私どもの組合は「左」に位置付けられがちです。

その両者に推薦関係があるため、時々、違和感や批判的な意見が寄せられていました。そのため、あえて意識的に当ブログの中で長島さんについて触れてきた経緯があります。「インデックス」記事をまとめられるほど長島さんに絡む記事が数多く残されています。3年前に投稿した記事「ある苦言とトラックバック」の中では改めて長島さんと私どもの組合との関係性ついて説明していました。記述した内容の関係性が当時と現在も変わりませんので、そのまま掲げさせていただきます。

長島さんとの関係も少し補足します。そもそも自治労は一つ一つの組合の連合体であり、中央本部や都本部の決定が必ずしも徹底できないケースもあります。長島さんを私どもの組合として推薦できないと判断すれば、そのような選択肢もあり得るのが自治労という組織の特性でした。いずれにしても組合方針の大半が一致できる候補者は極めて限られ、大きな方向性が合致した上で、基本的な信頼関係を築けるかどうかが大事な時代になっているものと思っています。 

したがって、長島さんの考え方と私どもの組合方針との差異があることを否定しません。しかしながら以上のような問題意識のもと、私どもの組合は長島さんを推薦してきていました。そして、推薦関係があるからこそ、自治労に所属する一組合の立場や要望を長島さんに直接訴える場を持ち得ることができていました。以前の記事「大胆な改革、オランダのダッチ・モデル」をはじめ、このブログの中で何回か長島さんは登場しています。機会があれば、このような関係性の話を改めて取り上げてみるつもりです。

後段に記した「直接訴える場」があることの貴重さを感じ取りながら、長島さんと意見を交わせる機会があれば必ず問いかけや要望を示させていただいていました。その際、いつも長島さんは丁寧に対応くださっていました。政治家は幅広い層から多くの支持を得ることが欠かせないため、相手から反発を受けるような対応は普段から慎むようにしているはずです。そのため、好意的な受け答えも「リップサービス」に近い面があることを理解しながら接してきたつもりです。

そもそも経験や知識が豊富な国会議員の長島さんに対し、何か影響を与えるような関係性を期待した場合、たいへん僭越なことだろうと考えています。開設した当初、このブログのことも案内していましたが、多忙な長島さんが継続的に閲覧されることは難しい話だと思っていました。それが昨年5月の記事「もう少し集団的自衛権の話」に長島さん本人からコメントをお寄せいただき、驚くとともに「このコメント欄の限界と可能性」に記したような趣旨のもとブログを長く続けている励みに繋がる機会となっていました。

今年1月、この話を切り口に長島さんの秘書の方と雑談したことがありました。すると意外にも長島さんは時々、このブログを見て私自身がどのような考え方や主張を発しているのか、気にされているという話を伺うことができました。「市井の声」をリサーチする一つの機会として利用されているものと思われますが、とても光栄なことであり、いろいろ長島さんが判断されていく時の参考材料に少しでも繋がるようであれば非常に有難い話でした。ただ私の意見が「暴走しがちな長島の歯止めになっています」という秘書の方の話は、それこそ「リップサービス」が半分以上だと受けとめています。

民主党の長島昭久元防衛副大臣は16日までに民間シンクタンク「国家基本問題研究所」(櫻井よしこ理事長)のホームページに「目を覚ませ、民主党!」と題した寄稿を掲載した。党の労組依存体質を批判し、安全保障法制の国会審議では「万年野党の『何でも反対』路線がますます先鋭化している」と警鐘をならした。長島氏は、民主党の現状について「『改革政党』と見なす国民はほとんどいまい」と分析。「改革路線は維新の党にすっかりお株を奪われた」としている。

党内の議論については「民意からかけ離れた組織防衛の論理が跋扈(ばっこ)する低劣なものとなった」と非難した。その上で、自ら関与している安保法制の国会審議の対応についても批判し、「もはや解党的出直ししか道はない」と指摘した。具体的な対策として、(1)労組依存体質からの脱却(2)「大きな政府」路線を見直しアベノミクスに変わる経済政策と地方再生戦略の打ち出し(3)現実的な外交・安保政策への回帰-を挙げ、「目を覚ませ、民主党! さもなくば、消えゆくのみ」と締めくくっている。【産経ニュース2015年6月16日

今回、上記の報道に接したため、長島さんとの関係を改めて綴る記事の投稿に至っています。ブックマークし、いつも訪問しているブログで「御立派な御意見は、まず身の回りを整理してから…。」という記事が投稿され、「御自分が労組の推薦を外したうえで選挙戦に勝ってから、おっしゃったほうがいいのではないか」という意見を目にしていました。私どもの組合の書記次長も気にして、このニュースのことを私に知らせてきました。発言内容が切り取られ、少し扇情的に書かれているのではないかと思い、長島さんが寄稿した国家基本問題研究所のサイトの全文「目を覚ませ、民主党!」を読んでみました。

私は、平成12年、政権交代可能な政治勢力を結集したいという一念で、敢えて野党第一党である民主党の門を叩き、3年間の浪人生活を経て平成15年に初当選させていただいた。当時の民主党は、何よりも霞が関・永田町改革の気概に燃え、官僚の助けを借りずに国会ごとに何十本もの議員立法を提出し、古い自民党に代わる徹底した分権・改革を唱え、外交・安全保障政策ではこれまでの万年野党体質を克服し、現実路線を追求していた。だから、苦労も絶えなかったが浪人生活は希望に満ちたものであった。

●国民の信頼を失墜 平成17年の郵政解散で大きく議席を減らしたものの、平成21年、遂に悲願の政権交代を成し遂げた。衆参合計で400議席超を占めた民主党は、官僚支配を打破し、政治主導で日本の政治を一新する意欲に燃えた政務三役を各省庁に送り込んだ。しかし、圧倒的な民意を背景に乗り込んだ同僚議員は随所で摩擦を繰り返し、国政に無用の混乱を持ち込んでしまった。

その最たるものが鳩山由紀夫首相その人であった。沖縄へのリップサービスの一言が日米関係を破綻の瀬戸際まで追い詰め、政権は瓦解。菅直人政権を経て野田佳彦首相に引き継がれた時には、もはや国民の信頼は回復不可能なまでに低下していた。野田政権は日米同盟の立て直し、尖閣国有化、消費増税の決断など、 課題を先送りすることなく懸命に努力を重ねたが、民主党は3年余で政権を自民党に戻すことになった。

●「何でも反対」の万年野党体質 それから2年半が経過しようとしている今日、民主党を「改革政党」と見なす国民はほとんどいまい。改革路線は維新の党にすっかりお株を奪われ、労組など組織出身の議員が大半を占める参議院と衆議院の議員数がほぼ同じとなり、党内論議はかつての自由闊達さとは程遠い、民意から懸け離れた組織防衛の論理が跋扈(ばっこ)する低劣なものとなってしまった。特に安保法制を巡る国会審議では、私たちが標榜した「保守二大政党」とは似ても似つかぬ万年野党の「何でも反対」路線がますます先鋭化している。

現状のままでは、政権奪還は夢のまた夢であろう。もはや解党的出直ししか道はない。第一に、労組依存体質から脱却しなければ改革に背を向けた勢力との批判を払拭できない。第二に、社会保障に偏った「大きな政府」路線を見直し、アベノミクスに代わる経済政策と地方再生戦略を打ち出さねばなるまい。第三に、 「政争は水際まで」と腹を決めて、一刻も早く、政権交代前のような現実的な外交・安全保障政策に回帰することだ。目を覚ませ、民主党! さもなくば、消えゆくのみ。(了)

全文を読んでみると産経新聞の記事よりも、もっと大胆に持論を展開されているという印象を強めていました。「書いてある内容は、もっともなことではないですか」と感想を漏らす方が私の周囲にもいます。「目を覚ませ、民主党!」のことは長島さんのフェイスブックのコメント欄でも話題になり、「次世代か自民に行って将来の連立を狙って与党として活躍してほしい」という意見がある一方、「貴方こそ早く離党して自由にやってください」と長島さんを厳しく非難する声も寄せられていました。

機会があれば、この件で長島さんから真意を確かめたいものと考えています。真意が分からない中ですが、これまでの長島さんとの関係を踏まえ、自分なりの感想と要望をブログ記事を通して綴らせていただきます。実は今までも民主党幹部から「労組依存体質からの脱却」という言葉がたびたび発せられてきました。古くは前原元代表であり、2年前には細野政調会長も同じような発言を行なっていました。結局、二人とも「小選挙区で勝つためには労組だけにこだわっていては勝てない」という趣旨であり、労組と距離を置くものではないという釈明に至っています。

長島さんのツイッターでも「党としての政策的主体性を失った依存体質に懸念を表明したのであって、当然、労組の支援や連携まで否定するものではありません」という説明がされていますので、今後、労組からの推薦や支援は一切断るという意味合いでなかったことがうかがえます。そうであれば、もう少し言葉は選ぶべきだろうと考えています。不特定多数の方々に発信する言葉は、他者がどのように受けとめるのか想像力を働かせながら一字一句、より慎重に選ばなければならないはずです。

労働組合の関係者がどのように受けとめるのか、今後も同じように支持協力関係を維持していくことを前提にするのであれば、今回の長島さんの文章は言葉が不足しているように感じています。改革路線などの内容面に関する評価は直接的な論点としませんが、たいへん僭越ながら他にも言葉が走り過ぎている傾向を心配しています。歯切れの良さが長島さんの持ち味だろうと思っていますが、あえて民主党内から反発を受けるような書きぶりは、もう少し抑え気味にすべきだったのではないでしょうか。

民主党から出ていくことを決意された上での寄稿であれば、このような書きぶりもあり得るのかも知れません。そうでないことを願いながら、先ほどの労組との関係性と同様、離党を前提としていないのであれば、やはり言葉が不足、もしくは配慮が不足した文章だと感じていました。確かに民主党に対する国民からの失望感は大きく、政権奪取前の勢いを取り戻すことは至難な現状だと言えます。しかし、政党支持率は10%前後を推移し、他の野党よりも頭一つ抜けたポジションだけは維持しているという見方もできます。

長島さんの寄稿も、まだまだ民主党には期待したい、再生したいという思いが託されていることも充分伝わってきます。以前の記事「外交・安全保障のリアリズム」の中で記したことですが、長島さんの「リアリズムとリベラリズム、二者択一の問題ではなく、まして二項対立にすべきものではありません」という考え方をはじめ、長島さんの語る内容の大半が基本的に私自身は共感しています。安保関連法案を巡る与野党の攻防においても、安倍首相の意図する路線とは一線を画し、明確な対抗軸を長島さんも打ち出した上で特別委員会での質疑を重ねているものと思っています。

政権交代が目的ではなく、与党の行き過ぎをチェックするためにいつでも政権交代できる緊張感や対抗軸を持つ野党の存在が必要だと考えています。その存在感ある野党に民主党が返り咲くためには「リアリズムとリベラリズム」を兼ね備えた長島さんのような政治家が欠かせません。「右」に偏り過ぎた政権は危ういはずですが、安倍内閣の支持率が一気に下降するような気配は感じられません。「左」に偏り過ぎだと見られても政権交代は難しく、だからこそ長島さんのような立ち位置の政治家を包み込んだ野党が必要だろうと思っています。このような声が長島さんに届くことを願いながら、ぜひ、これからも民主党の中で長島さんが奮闘していただけることを強く期待しています。

最後に、ブログ名「公務員のためいき」と長島さんの名前をクロス検索したところ開設した頃の記事「個別的自衛権と集団的自衛権」を見つけました。長島さんが「個別的も集団的も自衛権に違いがない」という考え方を示され、私自身が「個別的自衛権と集団的自衛権の違いをこだわることから出発すべき」という意見を綴ったブログ記事でした。中谷防衛大臣や高村副総裁と違い、長島さんの主張は一貫されていることを思い返す内容でした。ちなみに現在の長島さんは「自衛権の限界を基本法で明記すべき」という立場で、前述したとおり行き過ぎた与党の安保関連法案に長島さんが反対されていることを心強く感じています。

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2015年6月13日 (土)

労働者派遣法の曲がり角

前回の記事は「問題が多い安保関連法案」でした。衆議院憲法審査会で自民党推薦の参考人も含め、憲法学者3人全員が安保関連法案は「違憲」という見解を述べていました。それに対し、菅官房長官は「違憲でないと言う著名な憲法学者もたくさんいる」と反論していました。しかし、安保関連法案の特別委員会では3人の実名しか上げられず、最後は「数でない」という答弁に至っていました。「憲法記念日に思うこと 2014」の中でも砂川事件判決の解釈の問題を指摘していましたが、この法案を巡っては本当にいろいろ提起したい論点が山積しています。

さて、安保関連法案の動きとともに注目している問題があります。労働者派遣法の改正案です。昨年11月の記事「労働者保護ルールの見直し」を通し、大きな問題点を訴えていた法案が衆議院厚生労働委員会を通過するかどうかの局面を迎えています。今回の改正案のポイントは次のとおりです。政府は「派遣労働者の能力向上をはかり、正社員への転換を促す」と説明していますが、企業は運用次第で派遣労働者をずっと使い続けられるという大幅な変更です。

現行法では派遣労働の固定化を避けるため、一般事務など大半の仕事は派遣労働者を3年しか雇えません。一方で、高い技量が必要で企業側の需要も高い専門26業務は、派遣受け入れ期間の制限がありません。改正案が成立すれば、専門26業務の規定は廃止され、全業務とも派遣期間の上限が3年となります。しかし、労働者を3年ごとに入れ替えれば、すべての業務を永久に派遣に任せられます。連合をはじめ、労働組合側は「生涯派遣、正社員ゼロ法案」と強く反発しています。金曜の夕方には日比谷野外音楽堂で連合主催の決起集会が開かれ、集会後、4千人近くの参加者が東京駅までデモ行進に取り組みました。

連合の神津事務局長は「派遣社員をずっと派遣のまま働かせることができるようにするという、一部の経営者の都合だけを考えた天下の悪法だ。欧州をはじめ韓国や中国でも導入されている派遣労働の共通ルールである均等待遇原則も盛り込まれていない。一部の経営者の皆さんは、安い労働が使えれば良いと考えているかも知れないが、それは麻薬のようなものであり、結果として企業競争力や社会の持続可能性をむしばむ。このような問題だらけの法案が成立することは絶対にあってはならない」と訴えています。

そもそも派遣法は、必要な専門スキルを持った人材を育てるには時間がかかる、突発的な事情が発生して採用が追いつかないなど、あくまでも人材不足を一時的に補うための制度でした。派遣で対応している間に必要な人材は自社で採用・育成しなければならないという趣旨のもとにスタートしていました。しかしながら労働者保護ルールを見直そうという動き自体が経営側の視点から発案され、「企業が世界で一番活動しやすい国」を作ることが目的化されている中での今回の見直しだと言えます。

厚生労働省の調査では、派遣労働者約116万人のうち6割以上が正社員登用を望んでいます。改正案は正社員化を後押しするため、派遣元企業に対して労働者への計画的な教育訓練や派遣先に直接雇用を求めることなどを義務付けています。そのため、今回の見直しを歓迎されている方が「労働者の中にもたくさんいる」と政府関係者は強弁されるのかも知れません。しかし、そのような後押しからはまったく逆行する動きがさっそく目立ち始めています。

長年、専門26業務で派遣されてきた方に対し、雇い止めを通告されたという事例が報告されています。弁護士らでつくる「非正規労働者の権利実現全国会議」が当事者に対するアンケート調査を行ない、「約300の回答中、ほぼすべてが派遣法改正に反対するという意見だった。諸手を上げて賛成する人は1人もいなかった」という結果も報告されていました。厚生労働省は「派遣が増えることはない」と説明していますが、改正案が実際に安定雇用に繋がるかどうかは不確定であり、労働者にシワ寄せが行くという懸念のほうが、より正しい見方ではないでしょうか。

政府・与党が重要法案と位置付ける労働者派遣法改正案が5日、今国会で成立する見通しとなった。自民、公明両党が、維新の党が目指す「同一労働同一賃金」の議員立法を新たに共同提出して可決することを見返りに、維新が改正案の採決に応じる方針を固めたためだ。与党は今月中旬にも、衆院厚生労働委員会で派遣法改正案を採決する考えだ。

改正案は、法案作成ミスなどから2度廃案となり、今国会でも日本年金機構の情報流出問題で審議が中断している。企業が派遣労働者を受け入れる期間の制限を事実上撤廃する内容だ。「臨時の仕事」と位置付けられてきた派遣労働の性格が変わる可能性があるため、労働組合や民主党、共産党などが強く反発している。民主、維新、生活の党は先月下旬、改正案の対案として、同じ労働なら非正規労働者にも正規と同じ賃金を支払う同一労働同一賃金法案を共同提出した。一方で維新は、自民党との修正協議を続けてきた。

自民は5日までに維新に対し、同一賃金法案に「法律の施行後3年以内に法制上の措置を含む必要な措置を講ずる」との文言を盛り込んで再提出し、可決することを提案。維新も同一賃金の実現に向けて前進があったとして、厚労委で派遣法改正案の採決に応じることを決めた。企業への同一賃金の義務づけなど必要な法制上の措置は今後の検討課題にとどまるため、実現するかどうかは不透明だ。

与党側は、野党が欠席する中で改正案を強行採決すれば、安全保障関連法案の審議にも悪影響を与えかねないと懸念。維新の採決出席を探ってきた経緯があり、派遣法改正案では野党の分断に成功した形だ。維新は採決に出席するものの、改正案によって「派遣雇用が増える可能性がある」として反対する見通しだ。【
毎日新聞2015年6月6日

上記の報道に接した際、たいへん残念な思いを強めながら特定秘密保護案が成立に至った時の国会における既視感を抱きました。昨年末の記事「改正労働契約法の活用」の中で触れたとおり維新の党の掲げる「同一労働同一賃金」の考え方には疑念を持っていましたが、今回の合意内容も「空手形」に等しく、その程度の覚悟しかないことが露呈したものと理解しています。ただ維新の党の代議士会の中では「維新が派遣法改正案成立をアシストしているようにしか見えない」「維新のイメージが悪くなる」「自民党政権がいいとは思わない」という批判意見が相次いだようです。

与党との交渉を主導したのは大阪系だと言われ、党分裂の火種がくすぶっているように見られています。年金情報の流出問題の影響で廃案も取り沙汰された派遣法改正案が息を吹き返してきた背景として、民主・維新両執行部の「調整能力の欠如が原因だ」と指摘する声があります。維新関係者が「切っかけは民主党が次期衆院選の1次公認53人を発表、4選挙区で維新現職と競合していたことです。これで民主なんてアテにならないと維新の党内のタガが外れた。幹事長になった柿沢未途は何をやっているのかという批判も噴出し、もともと野党共闘に不満だった大阪系が執行部の頭越しに自民党からの修正協議の誘い水に乗ってしまった」と語っています。

民主党の枝野幹事長は維新の党の柿沢幹事長に「充分な事前説明もなく発表し、たいへん不快な思いをさせた」と謝罪しています。しかし、このことが切っかけで維新側の労働者派遣法への対応が変わったとしたら「是々非々」の党の看板は下ろすべきではないでしょうか。今回の改正案が労働者にとってどうなのか、多くの国民にとってどうなのか、党利党略ではなく中味を見極めて判断していくことが「是々非々」の立場だろうと考えています。いずれにしても派遣法が改悪されるかどうかの曲がり角にあたり、多くの皆さんに改めて問題点が広く認識され、よりいっそう反対の声が高まっていくことを強く願っています。

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2015年6月 7日 (日)

問題が多い安保関連法案

土曜の午後、三多摩平和運動センターが呼びかけた「三多摩集中行進」に参加しました。4か所の集合場所で、それぞれミニ集会を行なった後、同じ目的地まで4コースに分かれて400名以上の参加でデモ行進に取り組んでいます。メインとなるスローガンは「戦争関連法案の制定に反対しよう!」でした。ミニ集会の際、私もマイクを持つ機会がありましたが、本当に一言だけにとどめてしまいました。マイクを持たれた他の方々もあまり長く話されず、ミニ集会は予定した時間よりも早く終わっていたため、もう少し自分なりの問題意識を添えれば良かったかなと後から考えていました。

安全保障関連法案に対し、今回のブログ記事に託すとおり訴えたい論点が数多くあります。今週発行する組合ニュースの裏面には「問題が多い安全保障関連法案に反対の声を」という見出しを付け、文責を明らかにしながら私自身の言葉で組合員の皆さんにいくつかの論点を提起しています。ただ限られた紙面ですので、説明が不足しているような箇所も多いように感じています。このブログの利点は字数制限のないことであり、今回の記事はその原稿をベースにし、大幅に加筆しながら私自身の問題意識を綴らせていただくつもりです。

さて、昨年7月1日、安倍政権は集団的自衛権の行使を認める閣議決定を行ないました。その閣議決定に基づき、下記のとおり10に及ぶ既存法の改正案を一括りにした平和安全法制整備法と新法の国際平和支援法(国際紛争に対処する他国等の後方支援を随時可能にする)の成立を今国会で企図しています。この法案を成立させることで「抑止力が高まり、戦争を防げる」と考えられている方も多いのだろうと思っています。しかし、本当にその通りなのか、国民にとって望ましい法整備なのかどうか、このことが法案審議を通して最も重視していくべき論点だと考えています。

①自衛隊法(武器使用基準の大幅緩和) ②武力攻撃事態法(武力攻撃事態等に加え、存立危機事態への対処も規定) ③周辺事態法(地理的概念をなくし重要影響事態法へ改定) ④PKO(国連平和維持活動)協力法(駆け付け警護などの業務拡大と武器使用基準の緩和) ⑤米国行動関連措置法(存立危機事態へ対処) ⑥海上輸送規制法(存立危機事態へ対処) ⑦捕虜取り扱い法(存立危機事態へ対処) ⑧特定公共施設利用法(米軍以外の外国軍隊も対象) ⑨船舶検査活動法(日本周辺海域に限らず適用可能) ⑩国家安全保障会議設置法(存立危機事態等も審議対象に)

湾岸戦争以降、日本の人的貢献のあり方について取沙汰されてきましたが、今回の法案が成立すると自衛隊の活動範囲は飛躍的に広がります。しかしながら今後、自衛隊が後方支援に携わる機会が増えた場合でも「なぜ、日本の軍隊だけ安全な場所にいて、最前線に出てこないのか」と批判を受けるようになるはずです。安倍首相は「戦闘が起こった時は、ただちに(後方支援活動を)一時中止、あるいは退避することを明確に定めている」と説明していますが、それこそ「戦闘を前に撤退する卑怯者」という批判の声にさらされる話となります。

そもそも戦争や武力衝突の事態に至った際、「限定的」や「必要最小限」という理屈が通じるのかどうか疑問です。そのような場面では相手側を圧倒するまで総力を尽くすことになるのではないでしょうか。だからこそ日本国憲法では個別的自衛権までが何とか許容される範囲だとされ、専守防衛という明確な線引きが非常に重要な点となっていました。その上で、あくまでも平和憲法のもとの自衛隊であるため、海外での直接的な参戦は控えられてきたと言えます。今後、国内的な解釈によって憲法第9条の「特別さ」を削げるのであれば、他国から「なぜ、日本は出てこない。日本だけ血を流さない」という声が示された時、直接戦闘に参加できない説明に苦慮していくものと考えています。

ここまで書き進めたところで、よく投げかけられる疑問や批判について考えてみます。改めて新しい文章を綴るよりも手っ取り早く昨年5月の記事「もう少し集団的自衛権の話 Part2」の中で箇条書きにした私なりの問題意識や「答え」をそのまま掲げさせていただきます。今回の記事の流れの中で、あえて再掲する必要のない箇所もあろうかと思いますが参考までにご容赦ください。特に12番目は昨年末、唐突に解散され、たいへん残念ながら安倍政権が国民から「信任」された結果となっています。

  1. 政府の憲法解釈に長年携わってきた阪田雅裕元内閣法制局長官は「集団的自衛権の行使が許されることは今の国際法で許される戦争がすべてできることになり、9条をどう読んでも導けない、文章の理解の範疇を超えているものは解釈ではなく、無視と言うべきものではないか」と語られています。私自身も憲法第9条の解釈は個別的自衛権の行使までが限界と考え、このブログの直近の記事で記したとおりフリーハンドで集団的自衛権の行使まで容認することは日本国憲法の平和主義を捨て去る局面だと考えています。
  2. 日本をとりまく安全保障環境が変わったため、時代情勢に合わせた憲法解釈の変更が必要である、そのような主張を耳にします。情勢の変化があり、ルールを変える必要な場合があることはその通りだと思います。しかし、解釈が情勢変化のもとにその都度変更できるという理屈には違和感を抱いています。それも内閣の意思で憲法の根幹を解釈で変えていく行為は権力を縛るという立憲主義をないがしろにした暴挙だと考えています。
  3. 安倍首相が示した具体例などを検討する際、集団的自衛権という概念を持ち出す必要があるのかどうか疑問視しています。個別的自衛権や警察権の延長、正当防衛や緊急避難という定義に照らし、具体例に対する解決策を検討していくべきではないでしょうか。そもそも安倍首相は湾岸戦争やイラク戦争のようなケースでの日本の参戦はないと明言しています。そうであれば、わざわざ集団的自衛権という概念を持ち出さず、上記1.2.のような不信を少しでもやわらげた議論を提起すべきものと考えています。
  4. 慎重姿勢の公明党や世論の風向きを意識し、安倍首相は集団的自衛権に対して「限定容認」の姿勢を打ち出したのかも知れません。しかし、本音のところでは安倍首相や自民党のめざすべき先は自衛軍であり、国際的には異質な憲法第9条の「特別さ」を削ぎ、「普通の国」になることだろうと見ています。その意味で最初は「限定的」に踏み出し、「アリの一穴」を徐々に広げていく意図があるように考えています。
  5. これまで軍隊ではなく、あくまでも平和憲法のもとの自衛隊であるため、海外での直接的な参戦は控えることができました。今後、国内的な解釈によって憲法第9条の「特別さ」を削げるのであれば、ますます他国から「なぜ、日本は出てこない。日本だけ血を流さない」という声が示された時、参戦できない説明に苦慮していくものと考えています。
  6. 憲法第9条があれば自国の平和は守れるという現状でもありませんので、個別的自衛権の必要性は認めています。「日本人だけ血を流さなければ良いのか、日本人の手だけ血に染まらなければ良いのか」という声を耳にする時があります。もちろん否です。一国平和主義ではなく、理不尽な血が流されない国際社会の実現を願っています。その上で、集団的自衛権が行使できない日本国憲法の「特別さ」を活かし、もっともっと日本の役回りやブランドイメージを高めることに力を注ぐべきものと考えています。
  7. イラク戦争などの教訓から武力で平和が築けないケースを想定しなければなりません。憎しみの連鎖が新たなテロや戦争を招きがちです。軍備力の増強が抑止力を高めるという見方があります。普通の人は屈強なプロレスラーに殴りかからないという一例が示される時もあります。しかし、そのような例示は際限のない軍拡競争に繋がりがちであり、国際社会の規範による自制力を軽視した「弱肉強食」の発想だと考えています。
  8. 隣接したドイツとフランスは第1次、第2次世界大戦でお互い戦い、莫大な犠牲者を出してきました。このような被害を繰り返さないという両国の決意が欧州に新しい流れを生み出しました。第2次世界大戦後、領土や資源の争奪戦を避けるため、両国は石炭と鉄鋼を共同管理する共同体を1951年に作りました。その一歩が欧州連合(EU)まで発展しています。「戦争も辞さず」という発想を論外とし、まず他者の言い分にも耳を傾ける外交姿勢が最も重要であるものと考えています。
  9. かつてに比べればアメリカの国力にもかげりを見せ始めています。そのような絡みから日本の軍事力に今まで以上の役割を期待し、集団的自衛権行使を検討していくことに歓迎の意を表しているものと見ています。一方で、アメリカ国内では他国の戦争に巻き込まれたくないという意識が高まっているようであり、日本と中国との対立を危惧している側面があるものと考えています。
  10. アメリカから日本に対し、集団的自衛権を行使できるように求めた圧力が強まっているようには思えません。そのように考えた時、安倍首相は「戦後レジームからの脱却」を唱えていましたが、祖父の岸元首相から連なる個人的な信念が前面に出た動き方であるように感じています。ただ安倍首相が「戦争をしたがっている、戦前のような軍国主義をめざしている」というような批判は的外れだと言えます。しかし、憲法第9条の「特別さ」を徐々に削ぎたいという意図は明らかで「普通に自国の平和を維持できる国」、つまり制約のない集団的自衛権行使も含め、いざという時「普通に戦争ができる国」という姿をめざしているものと考えています。
  11. 今の日本国憲法は「異常」だと考えている方も多いのかも知れません。直近の記事でも記してきたことですが、私自身、日本国憲法の「特別さ」は誇るべきものだと思っています。それでも憲法第96条の定めに沿って衆参両院議員の「3分の2以上」の発議があり、憲法改正の国民投票が行なわれた結果、第9条の「特別さ」がなくなってしまうのであれば、それはそれで国民の選択だろうと考えています。
  12. 安倍政権の信任を問うことを目的に衆議院が解散されることも想定していかなければなりません。その際、どのような濃淡になるのかどうか分かりませんが、憲法解釈による集団的自衛権行使の問題も自民党の公約に掲げられるはずです。そのような局面に備え、集団的自衛権行使の問題をはじめ、野党第一党の民主党には自民党との対抗軸を明確に打ち出せる政治勢力の中心になってもらいたいものと考えています。

上記のような問題意識のもとに私自身は、日本国憲法の「特別さ」は守り続けるべきブランドだと考えています。そのことによって国際社会の中で日本だからこそ貢献できた役回りがあり、もっともっと「特別さ」をアピールしながら非軍事面での独自な活動に力を注げることを望んでいます。このように記すと「9条さえあれば平和が守れるのか」という批判を受ける場合があります、しかし、専守防衛のもと個別的自衛権は認めた上での話であり、そのような批判は論点がずれているように感じています。集団的自衛権まで行使するのかどうかの論点に際し、前述したように「限定的」な行使であれば新たな問題を生じさせていくだけだろうと考えています。

仮に限定的なケースを想定するのであれば、個別的自衛権の延長線上で是非を判断することも可能だったのではないでしょうか。例えば刑法上、正当防衛や緊急避難という定義があります。差し迫っている侵害が第三者に向けられていた際、その第三者を助ける行為でも正当防衛は成立します。このような概念のもとの議論であれば憲法第9条の理念の空洞化に歯止めをかけることができ、国内外に余計な波紋を広げずに済むような気がしていました。それでも安倍首相が集団的自衛権に対してフリーハンドを得たいと考えるのであれば、上記箇条書きの11番目のとおり国民投票の道を選ぶことが立憲主義の大原則だったはずです。

今回の法整備はアメリカとの関係性の強化に繋がるという見方があります。先月、安倍首相はアメリカ上下両院合同会議で演説し、日米同盟強化のための安保法制を「この夏までに成就させます」と約束しています。アメリカ側の負担が減る話であり、大歓迎されたことには間違いありません。しかし、いつも懸念している安倍首相の発する言葉の重さに関わることですが、アメリカ側に誤ったメッセージを伝えてしまっているようです。民主党の衆院議員で元防衛副大臣の長島昭久さんがインタビュー記事「遠くは抑制的、近くは現実的」の中で次のように語っていました。

私は5月の連休中にワシントン、ニューヨークへ行ってきたので、最新の状況は把握している。問題は2つで、1つは地球規模で日米協力ができると意気込んでいる人たちがいるが、それが本当に日本の国益かどうか、米国に対してしっかり発信していかなければいけない。もう1つは、集団的自衛権が行使できるようになったと喜んでいる人たちがいるが、自公両党が合意した集団的自衛権の行使は、言ってみれば個別的自衛権にちょっと毛が生えたようなもの。米側からすれば期待を大きく下回る代物で、これが運用、さらに現場の作戦面に落ちてきたときに、「なんだ、そんなものか」ということになるのではないか。安倍首相は米議会演説などでかなり大風呂敷を広げてきたので、私は非常に心配している。だから、私は「実態をよく見てください」「過剰な期待をすると裏切られますよ」と説明してきた。これ以上やるのなら、憲法改正が必要になるだろうと思う。

そのインタビューの中で長島さんは、セオドア・ルーズベルト米大統領の「Speak softly,and carry a big stick(外交は柔らかにやるが、いざという時の備えはきちっとやっておく)」という言葉を紹介しています。その言葉に対比し、安倍首相は「speak loudly(声高)」であり、声高に挑発する外交は少し自重されるよう訴えています。このブログによく登場いただいている長島さんは、いわゆる左や右でとらえれば民主党の中でも「右」寄りと見られています。一方で、自治労に所属する私どもの組合は「左」に位置付けられがちです。

その両者に推薦関係があるため、時々、違和感や批判的な意見が寄せられていました。そのため、あえて意識的に当ブログの中で長島さんについて触れてきた経緯があります。昨年末の記事「衆議院解散、民主党に願うこと Part2」の中では次のような記述を残していました。まず民主党の海江田前代表が集団的自衛権の行使は「専守防衛の形骸化だ」と批判されていた話を紹介した後、連合地区協議会の議員懇談会に出席した機会に長島さんと次のような意見を交わしたことを報告していました。

長島さんから「自衛権の限界を基本法で明記すべき」という考え方が示された際、私から「日本国憲法の特別さを前提にするのであれば、民主党内での意見はまとまっていくのではないでしょうか」と尋ねていました。さらに「自民党の改憲草案では国防軍を目指しているため、自民党と民主党との違いも明らかであり、ぜひ、憲法の平和主義を大切にしていくような党内議論を進めていただければ幸いです」という要望まで添えていました。長島さんからは肯定的な返答をいただき、先に紹介した海江田代表の見解も照らし合わせながら、私にとって有意義な機会だったことを思い返しています。

衆院安保特別委員会は月曜、水曜、金曜に開かれています。民主党は法案の成立阻止に向け、長島さんも含めて各委員が問題点を追及しています。確かに自衛権の具体的な限界については民主党内で温度差があるように見ています。その温度差は私自身と長島さんとの「答え」にも見られる論点です。しかし、長島さんが「安倍政権が示している安保法制の全体像と、民主党が目指す全体像にはズレがある」と指摘されているとおり今回の安保関連法案には数多くの問題があるという認識は一致しているものと考えています。

長島さんは安保特別委員会における質問の冒頭、安全保障の要諦は「やりすぎてもいけない、やらなさすぎてもダメ」とし、脅威は「意図と能力のかけ合わせ」であり、脅威を取り除くためには相手の意図をやわらげる外交力の重要性を訴えられていました。このような言葉は大きくうなづけるものであり、安倍首相の「speak loudly(声高)」と同様に「やりすぎ」をたしなめる立場での質問だったものと理解しています。

とりまく情勢に対する認識について、私自身の考え方は以前の記事「普通に戦争ができる国について」の中で綴っていました。抑止力の強化は軍拡競争に繋がる側面もあるため、個別的自衛権に限った「特別さ」を維持するほうが望ましいという考えを示していました。今回、安保関連法案を成立させれば、ますます平和国家のブランドイメージを低下させ、よりいっそう日本もISILのような国際テロの標的にされるリスクが高まっていくものと危惧しています。

アフガニスタンのDDR(武装解除・動員解除・社会復帰)で活躍された伊勢崎賢治さんは、平和国家である日本のイメージは良く、「軍事的下心がない」と認識されていると話されています。そのため、武装解除の交渉がスムーズに進んだことを紹介し、「憲法9条によるイメージブランディングが失われたら日本の国益の損失だ」とも語られていました。そもそも軍事力で平和が築けないことはイラク戦争などを通して教訓化されてきたはずであり、わざわざ平和国家のブランド力を棄損させる安倍政権の判断は非常に残念な話です。

たいへん長い記事になりました。最後に、立憲主義の観点からの問題も強調しなければなりません。下記の報道のとおり衆議院憲法審査会で参考人質疑が行なわれ、自民党が推薦した学識経験者も含め、この一連の法案を3人全員が「違憲」という見解を述べています。いずれにしても国民の多数が疑問視している中、現在の国会内での数の論理を振りかざした強行採決は絶対許されません。そのためには戦争への道に繋がりかねない安保関連法案に疑義を抱く国民一人ひとりが、何らかの形で反対の声を発していくことが本当に大切な局面だと考えています。

衆議院憲法審査会で参考人質疑が行われ、安全保障関連法案について、「従来の政府見解では説明がつかない」という指摘や「憲法9条に明確に違反している」といった意見が出され、出席した3人の学識経験者全員がいずれも「憲法違反に当たる」という認識を示しました。衆議院憲法審査会で行われた参考人質疑では、出席した3人から、後半国会の焦点となっている安全保障関連法案について意見が出されました。この中で、自民党、公明党、次世代の党が推薦した、早稲田大学法学学術院教授の長谷部恭男氏は、「集団的自衛権の行使が許されることは、従来の政府見解の基本的論理の枠内では説明がつかず、法的安定性を大きく揺るがすもので憲法違反だ。自衛隊の海外での活動は、外国軍隊の武力行使と一体化するおそれも極めて強い」と述べました。

民主党が推薦した、慶応大学名誉教授で弁護士の小林節氏は、「仲間の国を助けるため海外に戦争に行くことは、憲法9条に明確に違反している。また、外国軍隊への後方支援というのは日本の特殊概念であり、戦場に前から参戦せずに後ろから参戦するだけの話だ」と述べました。維新の党が推薦した、早稲田大学政治経済学術院教授の笹田栄司氏は、「内閣法制局は、自民党政権と共に安全保障法制を作成し、ガラス細工と言えなくもないが、ぎりぎりのところで保ってきていた。しかし今回の関連法案は、これまでの定義を踏み越えており、憲法違反だ」と述べました。 【NHKニュースWeb2015年6月4日

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