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2015年5月31日 (日)

横田基地にオスプレイ

週に1回の更新ペースですので、書きたい題材探しに事欠きません。特に最近、国会の審議に注目していますが、安全保障関連法案に対するやり取りなどで問題提起したい点が満載です。来週以降、じっくり自分なりの問題意識を綴らせていただくつもりですが、どうしても取り急ぎ一言だけ添えたい話題があります。安倍首相のヤジを巡る問題です。他党のヤジを強く批判しながら「早く質問しろよ!」と自らもヤジを飛ばす、資質や品格が問われる問題ですが、他者の意見にしっかり耳を傾けるという謙虚さが安倍首相には欠けているように見ざるを得ない非常に残念なエピソードです。

さて、前々回記事「東京の自治と大阪都構想」の最後のほうで三多摩格差の問題に触れていました。新規記事の投稿にあたって「三多摩格差 学校 冷房の普及率」という語句でGoogleを検索してみました。すると当ブログの以前の記事「都議会議員との懇談会」を最初のページで見つけ、その時の記事でも三多摩格差の問題に触れていたことを思い出しました。覚えていれば前々回記事の中で引用できたため、自分の記憶力の脆弱さを改めて知る機会(coldsweats01)に繋がっていました。

前々回記事のコメント欄で記したことですが、東京23区と比べれば様々な課題で格差は現存しているものと思っています。最近の具体例では小中学校普通教室の冷房設置率の極端な格差が指摘されていました。徐々に改善されつつありますが、5年前まで23区は95%を超えている中、三多摩地区は10%程度にとどまっていました。とは言え、基礎自治体としての権限問題と表裏一体のような都区財政調整制度の傘の下に三多摩の自治体も加えて欲しいとは考えていません。

前々回記事の本文の中では、そのような仕組みのもと三多摩地区は「区部より薄く他府県市町村より厚い」という認識を示させていただいたつもりでした。ちなみに学校の冷房設置率に絡む三多摩格差の問題を調べたかったため、前述した語句での検索を試みていました。その上で、でりしゃすぱんださんから指摘を受けた三多摩地区には横田基地や立川基地があり、「まちのど真ん中に滑走路」という理不尽な実情の問題はまったくその通りだと言えます。日常的に騒音や墜落の危険性に悩まされている中、特にオスプレイ配備の問題は寝耳に水であり、周辺自治体は揃って反発しているところです。

米軍は2017年以降に特殊作戦を任務とする空軍仕様の新型輸送機CV22オスプレイを米軍横田基地(東京都福生市など)に配備する見通しだ。沖縄には既に米軍普天間基地で米海兵隊仕様のMV22オスプレイを運用している。本土への新型輸送機の配備は初めてとなる。海兵隊仕様のMV22が自軍の展開に使うケースが多いのに比べ、空軍仕様のCV22は捜索・救助など特殊作戦を担う想定だ。米軍は横田基地に10機の配備を計画している。CV22は機動性に定評がある半面、厳しい状況での飛行を迫られることから事故率はMV22より高い。

米国防総省は現時点でCV22の配備について説明をしておらず、横田基地周辺住民が反発する公算は大きい。CV22の配備を巡って米軍幹部は13年に横田基地を軸に検討していると言明していた。特殊作戦機の運用実績がある嘉手納基地も候補の一つだったが、沖縄側の反発が強いため、候補から外した。横田基地は在日米軍と航空自衛隊の双方の司令部があり、朝鮮半島有事など日本周辺有事をにらんだ拠点と目されている。CV22は航続距離が長く、中国が挑発を続ける沖縄県・尖閣諸島付近での不測の事態も念頭に置いているとみられる。【日本経済新聞2015年5月9日

日米両政府が米空軍の垂直離着陸輸送機CV22オスプレイの米軍横田基地(東京都福生市など)への配備を公表したのを受け、東京都の舛添要一知事は12日の記者会見で、「安全保障は国の政策だが、地元への影響がある。最大限の配慮が必要だ」と述べ、運用に際し安全確保などを求めていく考えを示した。 横田基地に配備されるCV22オスプレイは、沖縄県の普天間飛行場(宜野湾市)に常駐している米海兵隊仕様のMV22オスプレイに比べ事故率が高いとされる。

舛添知事は「(基地周辺に)東京都民が住んでおり、整備不良で機体、部品の落下があっては困る」と指摘。その上で「都民の生命と安全を守るという立場から、申し上げるべきことはしっかりと言っていく」と強調した。また、福生市などは同日、外務、防衛両省から配備について説明を受けた後、5市1町でつくる「横田基地周辺市町基地対策連絡会」としてコメントを発表。「十分な説明責任を果たすことなく配備することがないよう再三にわたり要請して きたにもかかわらず、突然の申し入れは誠に遺憾だ」と政府と米軍の対応を批判した。時事ドットコム2015年5月12日

5月17日にはハワイ州オアフ島の米軍基地で海兵隊の新型輸送機MV22オスプレイが墜落し、搭乗員22人が死傷するという事故を起こしています。もともとオスプレイの事故率の高さは問題視されていますが、米軍横田基地に配備する計画の空軍のCV22オスプレイは、さらに事故率が高くなっています。今回の重大事故を受けながらも、米国側は日本に配備するオスプレイの運用計画を「見直すつもりはない」と早々に表明しています。そもそも市街地の真ん中にある横田基地への危険なオスプレイの配備は論外な話であり、このような基地機能の強化は横田基地の永続化にも繋がっていきます。

ここで横田基地について少し説明を加えさせていただきます。横田基地には在日米軍司令部及び第5空軍司令部が置かれています。極東地域全体の輸送中継ハブ基地(兵站基地)としての機能を有し、休戦状態である朝鮮戦争における国連軍の後方司令部も置かれています。日本本土では最大の米空軍基地で、2012年3月からは航空自衛隊の航空総隊司令部なども常駐するようになり、日米両国の空軍基地となっています。福生市、瑞穂町、武蔵村山市、羽村市、立川市、昭島市の5市1町にまたがり、周辺人口は50万人だと言われています。事実上、日本の行政権の及ばない治外法権地区であり、民有地はなく、大半は国有地で占められています。

1940年、帝国陸軍航空部隊の立川陸軍飛行場の付属施設として建設され、多摩陸軍飛行場が横田基地の前身となります。敗戦後の1945年9月4日、米軍に接収され、横田基地と呼ばれるようになりました。ちなみに米軍側の所持していた地図に北多摩郡村山町(現在の武蔵村山市)にあった大字名「Yokota」が「Fussa」や「Hakonegasaki」より飛行場近くに記載されていたため、戦中から米軍は多摩陸軍飛行場を「横田飛行場」と呼んでいたそうです。接収後、基地の拡張工事が行なわれ、1960年頃に概ね現在の規模となっていました。拡張に際し、北側で国鉄八高線や国道16号の経路が変更され、南側では五日市街道が分断されました。

そのため、横田基地周辺は常時渋滞しています。まさしく「まちのど真ん中に滑走路」であり、まちの発展に対する阻害や経済的な損失などのマイナス面ははかり知れません。さらに朝鮮戦争当時はB29爆撃機の出撃基地として機能し、ベトナム戦争時も補給拠点として活用されてきた基地でした。このような歴史の対比の中で、立川基地の拡張を阻止した砂川闘争があります。今回の記事では横田基地の話に絞りますが、今年は砂川闘争が始まった日から60年という節目の年であり、機会を見て当ブログの中で砂川闘争についても綴らせていただくつもりです。

続いて、オスプレイについて調べてみました。老朽化が指摘されているCH46(輸送用ヘリ)の後継機として配備が計画され、プロペラの向きを変えることでヘリコプターのような垂直離着陸や飛行機のような高速飛行ができます。離着陸のための長い滑走路が不要となり、ヘリコプターと飛行機の利点を併せ持っていると言われています。時速は約500キロでCH46の2倍、航続距離は約3900キロでCH46の5倍以上です。空中給油も可能で1回の補給で行動半径は1000キロを超え、沖縄を中心に朝鮮半島、中国大陸東部、南シナ海までカバーできる範囲となります。

輸送兵員が24人でCH46の2倍、貨物の搭載量も約3倍、飛行高度は最高約7500メートルで他機からの攻撃も受けにくい輸送機です。オスプレイという名前はタカ科の猛禽類ミサゴの英名ですが、日本でミサゴは絶滅危惧種に指定されています。 利点の多さが強調されている一方、ヘリコプターと航空機の「良いとこどり」のシステムは複雑で、操縦にも高度な技術を要しています。開発段階から8回も重大事故を起こしていますが、いずれも事故原因は解明されていません。

10万飛行時間当たりのオスプレイの事故率は2.12件であり、海兵隊戦闘機の平均2.45件と比べて低く、CH46の1.11件とも大差ないという反論があります。しかし、この数字はMV22に限ったものであり、横田基地に配備される予定のCV22の場合、7.21件という突出した事故率となります。なお、MV22とCV22の基本構造は同一であり、事故率の差異は運用の違いから生じているという説明もあります。CV22のほうが特殊作戦上の運用が多いため、演習場等での事故率が高まっているという見方です。

しかし、米国では民家や公園の上をオスプレイは飛べないように規制され、日本国内でも米軍住宅の上空は飛ばないようです。やはり米国側もオスプレイの安全性を疑問視しているからではないでしょうか。そもそも事故原因が解明されていない中、「設計に根本的欠陥があると疑う理由はない」という米政府の言葉を鵜呑みにし、オスプレイの配備に異論を唱えない日本政府の姿勢には失望しています。横田基地への配備計画が明らかになった直後、舛添都知事も「申し上げるべきことはしっかりと言っていく」と述べられていました。

ただ5月22日の都知事会見で「五輪開催地・東京の横田基地へのオスプレイの配備は不適切、似つかわしくないと思わないのか。五輪施設への墜落の恐れもある」という質問に対し、舛添都知事は「オスプレイはテロ対策や防災に役立つ」と答え、米国への異議申し立てや日本政府に向けた要請を行なう考えは一切ないようです。ちなみにネパール大地震の際に派遣されたオスプレイは活動の最中に住宅の屋根を吹き飛ばしてしまい「使えない」と報じられていました。

横田基地やオスプレイの問題は安全保障全体のあり方を踏まえ、判断していかなければならないという指摘もあろうかと思います。それでも見込まれる危険性や理不尽さは取り除きたいという思いや努力も否定されるものではありません。そのためにも現状認識や問題意識を広く共有化させていく試みが欠かせません。首都に外国の軍事基地がある異例さをはじめ、「横田空域」の問題も見過ごせません。首都圏の空域の大部分は米軍の管理下にあり、日本の航空機は大回りしなければならず、余計な時間や燃料を浪費しています。経済的な損失だけではなく、環境面からも理不尽な負荷を強いられている根深い問題があることを最後に強調させていただきます。

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2015年5月23日 (土)

マイナーな情報を提供する場として

前回の記事は「東京の自治と大阪都構想」でしたが、大阪市民による住民投票は僅差で現状維持が選択されました。当日の出口調査の結果では「賛成」が若干上回り、開票速報も「賛成」票の数が先行する中、「反対」を支持された方々にとって胸が締め付けられた日曜夜の時間だったのではないでしょうか。様々な事後の論評を目にしていますが、 漫画家の小林よしのりさんのオフィシャルwebサイトの「東京では大阪都構想の分析をメディアが伝えなかった」というブログ記事が気になりました。

小林さんは、年間4千億円と言われた二重行政解消の効果が大阪市役所の試算では約1億円にとどまるという話などを住民投票の実施前に把握されていなかったことを明かしています。発信力や影響力の大きな小林さんが「テレビでも新聞でも、そんな話は聞いたことがない」と語られたことに驚きました。たいへん注目していた動きだったため、私自身は積極的にインターネット等から幅広い情報を得るように努めていました。そのことによって前回記事に記したとおり「客観的な見立てはマイナス面ばかりが目に付く構想」という結論に至っていました。

当然、このような見方について東京のメディアもそれなりに伝えていたものと思っていました。あまり意識していませんでしたが、小林さんが指摘されているのであればメディアの客観的な事実の伝え方は結果的に不充分だったはずです。そのため、橋下市長が「改革」派、反対派は既得権益を守ろうとしている抵抗勢力という構図のみで、大阪市の住民投票を見守られていた方々が想像以上に多かったのかも知れません。念のため、直接の有権者ではない小林さんが「知らなかった」ことを問うものではなく、そのことが気になった訳ではありません。

小林さんのブログ記事を通し、改めてマスメディア側の情報の伝え方が気になっていました。以前の記事「二極化する報道」の中で「より正しい判断や評価を行なうためにはメディア側に対し、情報は包み隠さず、正確に伝えていく姿勢が求められています」と記していました。より望ましい「答え」を探っていくためには幅広い情報や見方に触れていくことの大切さを前々回記事の中で綴りましたが、だからこそマスメディアからの情報の接し方に注意していかなければならないように感じています。

実は今回、新規記事の投稿画面に向かい、初めは別な題材でのタイトルを先に付けていました。いつものように記事の冒頭で気ままに思うことを書き進めていくうちに話が広がり、久しぶりに途中でタイトルを差し替える展開となっていました。差し替えた後の記事タイトルは「マイナーな情報を提供する場として」ですが、このブログの基本的な立ち位置を表しているつもりです。これから紹介する話題を取り上げることについて少し迷いましたが、そのような当ブログの立ち位置を踏まえ、その是非や評価は閲覧された皆さん一人ひとりに委ねさせていただこうと考えています。

この話題はマスメディアの大半があまり大きく扱っていません。このような情報は些末な話であり、報道する価値がないものと判断されているのかも知れません。しかし、価値があるのかどうかは情報の受け手側が判断すべきものだろうと考えています。また、権力側におもねって情報の伝え方を取捨選択しているとしたら論外であり、そのような関係性ではないことを信じています。その話題とは「安倍首相がポツダム宣言を読んでいない」というものです。水曜の午後、安倍首相と共産党の志位委員長との党首討論の中で明らかになったエピソードです。

マスメディアは大きく扱っていませんが、インターネット上では多くのサイトで話題になっていました。安倍首相の発言の一部を切り取った揚げ足取りであるような見られ方をされてしまうのかも知れませんが、一国の最高責任者の資質を疑われかねないエピソードだと受けとめています。このやり取りを見聞きした時、私自身もたいへん驚きました。一般の方がポツダム宣言を読んでいなくても驚く話ではありません。「戦後レジームの脱却」を唱えてきた安倍首相が「つまびらかに読んでいない」と発言したため、いろいろな波紋が広がっていました。

わずか13項目という短さのポツダム宣言ですので、実際は読んでいたとしても志位委員長の質問に対する答え方が難しく、「読んでいない」と答えてしまったのかも知れません。しかし、それはそれで「読んでいない」と答えてしまうことの不適切さや影響力に思いを巡らせられなかったという失態だろうと見ています。前々回記事の中で、大事な点は安倍首相を批判することではなく、安倍首相らの進めている安全保障政策の見直しが、より望ましい「答え」に繋がっていくのかどうかだろうと思っています、と記していました。

今回、安全保障法案の中味と直接関わらない話だろうと考えています。それでも前述したとおり安倍首相は重要な法案に対する最高責任者であり、この国の最高権力者です。そのトップリーダーの資質を評価するための一つのエピソードとして当ブログでも取り上げさせていただきました。安倍首相を高く評価されている方々にとって不愉快な記事になろうかと思いますが、これはこれで実際にあった話であり、ご理解ご容赦ください。前々回記事と同じスタイルになりますが、多面的な情報、この場合はマイナーな情報を提供する場として関連サイトの文章をそのまま掲げさせていただきます。お時間等が許される際、ぜひ、参考までにご覧になってください。

「ポツダム宣言読んでいない」安倍首相に憲法学者が怒りの声(日刊ゲンダイ2015年5月22日)

世界中がアングリしたに違いない。20日の党首討論で「ポツダム宣言を読んでいない」と言い放った安倍首相。ライフワークのように「憲法改正」を唱えながら、憲法学の大家である芦部信喜氏を知らないなど、これまでも政治家としての資質に「失格」の烙印が押される言動は多々あったが、今回ばかりは驚天動地の発言だ。「私はまだ、つまびらかに読んでいない。論評は差し控えたい」 共産党の志位和夫委員長から「ポツダム宣言」の認識を問われ、こう答えた安倍首相。「つまびらかに」なんてモゴモゴ言っていたが、ゴマカシていたのは明らかだ。

「ポツダム宣言」は45年7月に米英中が大日本帝国に対して発した降伏勧告で、軍国主義を民主主義に改めるよう求めた。日本は8月15日にこの宣言を受諾。方針を具現化するために作られたのが日本国憲法だ。言葉や経緯は中高生でも知っている。そもそも安倍首相の持論は「戦後レジームからの脱却」だ。その戦後体制が始まったのが「ポツダム宣言」であり、「脱却」を主張するなら、「つまびらか」に知っているのは当然だろう。さらに言えば、終戦直前に当時の鈴木貫太郎首相は会見で「ポツダム宣言」について「黙殺して断固戦争完遂に邁進」と発言したため、米国が激怒。広島・長崎の原爆投下を決断するきっかけになったとも指摘されている。

安倍首相の「読んでいない」という発言は、この鈴木元首相の「黙殺」に並ぶ失言だ。仮にドイツのメルケル首相が「ベルリン宣言」を「読んでない」と国会で発言したら、たちまち世界から総スカンを食らうのは間違いない。安倍首相の発言は、それぐらい非常識なのである。九大名誉教授の斎藤文男氏(憲法)が言う。「『ポツダム宣言』は戦後の民主化、非軍事化を進めた世界秩序であり、民主主義国家となった日本の出発点です。政治家として(経緯や詳細を)知っているのは当たり前で、『読んでいない』というのが本当なら『政治家になるな』と言いたい。

それに安倍首相は『戦後レジームからの脱却』を叫び、ポツダム宣言以降の体制を否定しているのだから、国会で堂々と論戦すればいい。ノラリクラリはぐらかすなんて許されないし、国会軽視も甚だしい。そんな政治家が自衛隊を世界中に派遣し、戦争に加担させる安保政策の大転換法案を国会に提出している。まったく許せません」 その通りだ。結局、安倍首相は国民のためでも、深い政治信条があって動いているワケでもない。「憲法改正」も「(先の大戦は)侵略戦争ではなかった」という主張も、祖父の故・岸信介元首相の“遺言”を実践しているだけ。A級戦犯の亡霊首相の妄言に、今も付き合わされる国民は、つくづく不幸である。

ポツダム宣言を読んでいない事を認めた安倍首相の致命的答弁(「天木直人のブログ」から)

今度の党首討論の最大の意義は、安倍首相がその答弁の中で、ポツダム宣言を読んでいないことを認めてしまったことだ。すなわち共産党の志位委員長が侵略戦争に関する歴史認識を質問した際に、ポツダム宣言を引用し、これでも間違った戦争だったと認めないのかと迫った。それに対し、なんと安倍首相は、ポツダム宣言をよく読んでいないから論評を差し控えると答弁したのだ。これは日本の首相として致命的な答弁である。この発言を引き出した志位委員長の質問の大殊勲である。

言うまでもなくポツダム宣言の受諾は日本が戦後国際社会に復帰した際の大前提である。そこには、ナチス・ドイツ軍と並んで日本軍が並記され、連合国側は日本に対し、世界征服に乗り出す過ちを犯した無責任な軍国主義を世界から駆逐する事を受け入れる事を無条件で求めている。そして日本はそのポツダム宣言を無条件で受け入れたのだ。安倍首相は口が裂けても「読んでいない」などと言っていけなかった。ウソでもいいから読んでいる振りをしなければいけなかった。ウソをつきたくなかったら、ポツダム宣言を完全にスルーして、単に「論評は控える」とだけ言って逃げればよかったのだ。

安倍首相はその知恵がなかった。そこまでの余裕はなかった。悪知恵を働かすには、安倍首相はあまりにも正直だということだ。大手メディアは共産党の志位委員長の質問と、それに対する安倍首相の答弁としてごまかしているが、大手メディアこそこの安倍首相の答弁を大声で批判すべきなのだ。中国がこの安倍首相の発言を聞き逃すはずがない。安倍首相は8月15日の安倍談話に向けてさらなる窮地に立たされるだろう。安倍首相の致命的な発言をした。この安倍首相の致命的発言を引き出した今回の党首討論は、かつてない 有意義な党首討論だったということだ(了)

あな怖ろしや、党首討論(BLOGOS松井孝治元衆院議員のFacebookから抜粋)

先日の党首討論で、安倍首相がポツダム宣言の内容についてまだ詳らかに読んでいないという発言を行ったことが話題となっている。戦後レジームからの脱却を唱えている安倍首相が、戦後レジームの原点とも言うべきポツダム宣言もきちんと読んでいなかったのかという批判がネット上で渦巻いているのだ。私が偶々ラジオでこの党首討論を聴いていた印象で申し上げると、安倍首相がポツダム宣言を読んでいなかったというよりは、国会討論の中でも、党首討論の特殊性、すなわち、他の質疑とは異なり、党首討論では、討論議題の事前通告を極めて簡潔にしか行わなくてよいという慣行が、結果的に、安倍首相の表面上はちょっとした失言、しかし野党からすれば安倍首相の根幹をなす政治信条についての疑義を生ぜしめる発言を引きだしたように思えるのである。

通常の予算委員会などの質疑の場合、内閣総務官室(旧内閣参事官室)という政府内の部署が、質疑の前日に、それなりに丁寧に、質疑者への「質問取り」(質問者が総理に何を質問するかのインタビュー)を行う。国会で、かみ合った質疑を行うためには、ある程度どのような事柄をただすのかを事前通告し、首相や閣僚は事実関係や従来の政府の姿勢を確認したうえで答弁することが国会の慣行となっているのだ。つまり、質問通告があまりに粗いと、総理や閣僚は、具体的に質問通告を受けていないので、ここで突然そのようなことを訊かれてもお答えできません、という答弁となり、質疑が空転してしまう。国会の慣行としては、政府側の、ある程度事前に質問の趣旨を知らされた上で、その内容にきちんと回答を準備して答えさせていただきたい、さもなければ、答弁のしようがないという言い分が理解され、許容されてきたのだ。このことは、政権交代の前後を通じて政府が一貫して主張し、その時々の野党側も一定程度その主張に理解を示してきた慣行である。

無論そうした慣行を無視して無通告で細かいことを訊く議員はいる。あえて事前通告せずに、総理なのにこんな基本的なことも知らないのか、と恥をかかせる、国会論戦とクイズをはき違えた、けたぐりのような質問をする人物も少なからず存在するが、私は、基本的にはそういう質問は王道を外れていると思う。一国の総理の無知を嗤うという態度は議会人として個人的には好きになれない。そこで気になるのが、先日の党首討論で、志位氏がポツダム宣言に絡めて安倍首相の歴史観、戦争観を訊いた質問について、果たして事前通告はなされていたのだろうか?という点である。私の推測では、このあたりが志位氏の質疑の巧みなところなのだが、戦後レジームからの脱却を唱える総理としては、戦後レジームの起点であるポツダム宣言について、「突然通告なしに訊かれてもお答えできない」という常套句は使いにくいことを承知の上で、志位氏は、恐らくあえて事前通告なしに、ポツダム宣言の連合国側の認識に重ねて総理の戦争観を訊ねたのではないかと思うのだ。

志位氏は、先ず、村山談話の「遠くない過去の一時期我が国は、国策を誤り」という歴史認識を踏まえて、安倍首相に、先の戦争が間違った戦争であったかどうかについての戦争観を訊ねている。その際志位氏は、安倍首相が万が一にもかの戦争を間違った戦争と断罪するような答弁は行わないであろうことは充分に見越したていたのだと思う。そのうえで、志位氏は、二の矢として、ポツダム宣言やポツダム宣言が引用するカイロ宣言で示された戦争認識、すなわち我が国が仕掛けた戦争は世界征服を企図する侵略戦争であるとの連合国側の戦争観を首相が認めるかどうか、認めなければ、ポツダム宣言を受諾したこととの矛盾を突くとともに、安倍首相は歴史修正主義者であるというレッテルを貼ろうとしたのだろうと思う。その際、先ほど申し上げたように、首相がもっとも根幹的な政治信条とする「戦後レジームからの脱却」の「戦後レジーム」の起点に当たるポツダム宣言における連合国側の認識を訊かれた時に、「ポツダム宣言」に関して訊くなどという事前通告もない質問には答えられぬとは、よもや言えないだろう、と志位氏は踏んでいたに違いない。しかもこの場は、事前に事務的な質問取りなどを行わず、政治家同士がその政治信条を闘わせる天下の党首討論であればこそなおさらそうである。

したがって、安倍首相は、その場で、ポツダム宣言の戦争観と自らの歴史観を重ねることは避けるであろう、さすれば、安倍首相に修正主義者の呼称を用いることが出来、7分間という短い討論時間で有効な打撃を与えることが出来るという計算ずくの質問なのだ。現実には、しかし、通告外のこの質問は、さらに志位氏も思ってもいない方向に展開したのではないかと、私は思う。安倍首相が、ポツダム宣言の一部についてまだ読んでいないので論評を避けたいとの発言をしたからである。私は、安倍首相がポツダム宣言をこれまで読んでいないなどとは思わない。思わないが、事前に準備なく、ポツダム宣言第6項及び第8項にはどのような記述があるとまでを首相が諳んじているとも思わない。事前通告なしで、手許にポツダム宣言についての参考資料もなく、もちろんその予習をしたわけでもない、いわば徒手空拳の安倍首相を前に、志位氏は一方的にポツダム宣言の第6項及び第8項、さらにはそこに引用されているカイロ宣言の文面を読み上げ、連合国側の日本が引き起こした戦争は世界征服を企てた侵略戦争との戦争観を受け入れないのかと首相に詰め寄る。ここで、安倍首相がポツダム宣言は受諾したけれども、ポツダム宣言に規定する連合国側の戦争観をすべて共有するわけではないと安倍首相が答弁すれば、志位氏に言わせれば、安倍首相が歴史修正主義者である言質をとったということになったのであろう。 しかし、安倍首相は、さすが在任期間歴代6位のベテランであり、そう正面から志位氏の思惑には乗らない。

ところが、徒手空拳で、連合国側の戦争観と引き比べて自らの戦争観を問われた安倍首相は、志位氏が読み上げたポツダム宣言第6項、第8項(及び第8項が引用するカイロ宣言の趣旨)が正確な文面であるかどうかも定かではないし、討論上の何らかのトラップ(罠)が仕込まれている可能性も怖れたのではないだろうか、「ポツダム宣言のその部分を、まだ詳らかに読んでおりませんので、承知をしませんので、いまここで論評は避けたい」という留保を付けたのである。安倍首相の問題は、「まだ」「読んでおりません」という表現を用いたことである。これはいささか用語が不適切だった。ポツダム宣言本文は日本国が受諾した文章であるけれど、その文言の一言一句までの詳細は、今突然のお訊ねであり手許にもないので承知しておりませんから、今ここで直ちにそれに対して論評することは避けたいと考えます」と答弁されていたとしたら何の問題もなかった答弁である。

結果として、安倍首相としては、かの戦争の「侵略性」については言及しないという規定路線は堅持したし、我が国が受諾したポツダム宣言における連合国側の戦争観と自らの戦争観の差異についてもかわすことができたものの、上記のように、「ポツダム宣言のその部分をまだ詳らかに読んでいない」という、本来は確たる論評を避けるための留保発言が、微妙な用語選択ミスを逆手に取られて、志位氏によって「ポツダム宣言も読まずに戦後レジーム脱却を謳う首相」「そこまでしても戦争の誤謬を認めない修正主義者」とのレッテル貼りをされてしまった。まさに志位氏の術数にはまり、あたかも「王手飛車取り」に遭った如き感がある。「飛車取り」と言ったが、ポツダム宣言の中核文面を「まだ」「読んでいない」指導者が、戦後レジームの見直しを主唱しているというプロパガンダの方が、歴史修正主義者の呼称よりも、安倍首相の人格批判として、野党の効果的な攻撃材料となる可能性すらある。その意味で志位氏は、このところ国会答弁に安定感の出てきていた安倍首相の咄嗟の用語選択ミスを誘い出し、野党党首最短の7分半の討論時間で、野党の中でもっとも効果的な攻撃成果を挙げたのかもしれない。

ポツダム宣言「本当に読んでないようだ」 志位氏が皮肉(朝日新聞デジタル2015年5月22日)

「事実誤認がある。本当に読んでいなかったことがうかがえる」。共産党の志位和夫委員長は21日の記者会見で、安倍晋三首相が20日の党首討論の際、第2次世界大戦で米・英・中の三国が日本に降伏を勧告したポツダム宣言を「つまびらかに読んでいない」と答弁したことについて、こんな皮肉を飛ばした。志位氏は、自民党幹事長代理だった首相が月刊誌「Voice」2005年7月号の対談で、「ポツダム宣言というのは、米国が原子爆弾を二発も落として日本に大変な惨状を与えた後、『どうだ』とばかり(に)たたきつけたものだ」と語っていたと指摘。だが、宣言は1945年7月26日に米英中の名で発表され、同8月6日と9日の原爆投下後、日本が同14日に受諾を決定した。志位氏は「(宣言は)二つ原爆が落ちた後に『たたきつけられた』ものではない。事実誤認がある」と述べた。20日の党首討論では、志位氏がポツダム宣言について「日本の戦争について世界征服のための戦争であったと明瞭に判定している。総理はこのポツダム宣言の認識を認めないのか」と質問。首相は直接答えず、「その部分をつまびらかに読んでいないので、直ちに論評することは差し控えたい。先の大戦の痛切な反省によって今日の歩みがある」と述べていた。

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2015年5月16日 (土)

東京の自治と大阪都構想

直下型地震を心配している立川断層は存在しないという説が有力視されています。東京自治研究センターの事務局長から提供いただいた書籍のタイトル『東京の制度地層』を目にした時、最初、そのような話かと勘違いしていました。すぐ東京の自治や政策に関する幅広い内容の書籍だと分かり、興味深く読み進めていました。仕組みの成り立ちを制度地層と見立て、東京の都市計画やごみ処理問題などの変容ぶりや人々の暮らしを7名の学者や研究者が綴っています。

第1章 東京の都市計画の制度地層を読む
第2章 Not In Backyardという政治
第3章 制度地層を耕して次なる地域社会を育てていくために
第4章 生協で私たちができること
第5章 なぜ東京で子育てをするのは大変なのか?
第6章 「市民」をめぐる制度地層
第7章 戦後東京の断面

それぞれ興味深い内容が記されていますが、今回のブログ記事は第7章「戦後東京の断面」の内容の一部を少し参照しながら地方自治のあり方について考えてみます。実は前回記事(より望ましい「答え」は?)のコメント欄で、でりしゃすぱんださんから地方自治の話を取り上げて欲しいという要望があり、今回の記事に繋げています。行政経験が豊富で博識なでりしゃすぱんださんの期待に応えられる内容に至るかどうか自信はありませんが、時節柄、大阪都構想の問題にも触れながら自分なりの現状認識や問題意識を書き進めてみるつもりです。

ちょうど昨日の金曜には「大都市東京における分権を考える」という連合三多摩が主催した学習会に参加していました。講師は東京自治研究センターの研究員の方で、やはり大阪都構想の問題にも触れながら自治や財政の話を分かりやすく説明していただきました。先ほど紹介した書籍も含め、昨日の講演の中味も多岐にわたり、全体を網羅した報告を試みた場合、膨大な量と密度の濃い記事になるはずです。したがって、今回は記事タイトルにしたとおり大阪都構想の問題を見定めることを主眼とし、その評価を行なうための東京の自治の現状について掘り下げていきます。

さて、大阪都構想の是非を問う大阪市民による住民投票が明日行なわれます。正確には政令指定都市の大阪市を解体し、5つの特別区に分割することの賛否を問うものであり、大阪府を大阪都という呼称に改めるためには、さらに法律改正が必要とされています。ちなみに当ブログの以前の記事(「大阪秋の陣」の結末は?)の中で、橋下市長と堺屋太一さんとの共著『体制維新―大阪都』について触れていました。今回、大阪都構想の問題を書き進めるにあたり、参考までに当時の文章をそのまま掲げてみます。

その書籍の内容を簡単に紹介すれば、堺屋さんは日本の現状を「第三の敗戦」と呼び、この苦境から抜け出すためには人を替えても(政権交代)、仕方を変更(政策転換)しても良くならず、救う道は体制(システム)を変えることだと訴えています。その上で、経済の低迷や莫大な負債など日本の縮図とも言える大阪を変えることが、日本国全体を変えるための先行例になるものと説かれていました。

したがって、橋下前知事の掲げる大阪都構想が推進できるかどうか、日本の体制改革が実現するか否かの試金石だと堺屋さんは見られていました。その大阪都構想とは、世界レベルでの都市間競争に打ち勝つため、大阪府と大阪市の二重行政を解消した「強い広域自治体」としての大阪都を誕生させ、大阪市内の各地域を「やさしい基礎自治体」として、現行24ある区を8ないし9の特別自治区に再編するというものでした。

東京都と東京23区と基本的には同じ関係性となりますが、橋下前知事は中核市並みの権限と財源を有する特別自治区を設置する構想を描いていました。 また、大阪都構想は政令指定都市のあり方を抜本的に見直す中味ですが、すべての政令指定都市に適用させるものではないと橋下前知事は述べられていました。 あくまでも大阪の特性に合わせた構想であり、それぞれの地域の実情に応じた制度を模索していくのが地方分権の趣旨だと語られています。

確かに理想的な効果が発揮されれば、大阪都構想は閉塞感を打ち破るための起爆剤となるのかも知れません。ただ実現に向けては難問が山積し、大きなリスクがあることも間違いありません。例えば、特別自治区への転換は行政コストの増大を招く恐れもあります。それでも橋下前知事は「何もやらなければ決断力がない、実行力がないと批判され、実行すればもっと議論しろ、独裁だと批判される。どうせ批判されるなら、やって批判される方がいい。僕は大阪都に挑戦します」という言葉で、その書籍の最後を結んでいました。

4年前、橋下市長が大阪府知事から大阪市長に転身される直前の当ブログの記事です。大阪都構想の理念や橋下市長の問題意識の原点は変わらず、今回の住民投票に繋がっているものと見ています。しかし、堺市をはじめとした周辺自治体まで巻き込む形での大阪都構想には至らず、二重行政解消による財政効果も当初4千億円と言われていましたが、年間1億円程度という試算結果が明らかになっています。逆に分割にかかるコストが680億円とも言われている現状です。

さらに今までの大阪市の規模で行なったほうが望ましい数多くの業務を処理するため、5つの特別区の他に一部事務組合が設置されることになっています。大阪府、一部事務組合、特別区という三層構造になり、二重行政どころか三重行政という弊害が生じる恐れもあります。このような経緯が明らかになりながらも「やって批判される方がいい」と強弁し、橋下市長がガムシャラに突き進んでいるような構図だと感じています。このあたりの問題は帝塚山学院大学の薬師院仁志教授の「実験台にされた大阪府民 都構想にみる橋下徹」というサイトが参考になります。

よく「反対するなら対案を示せ」という言葉を耳にします。しかし、進めようとしている案に大きな問題があるのであれば「現行のままで」という選択肢も一つの大事な「答え」だと思っています。重篤な患者を前にし、できる限りの治療や処置に手を尽くさなければなりません。とは言え、その処置が明らかな間違いであり、患者にとって悪い結果しか見込まれない場合、その選択肢は外すという判断が欠かせないはずです。大阪都構想の問題は大阪市民の選択となりますが、私自身はそのように見ています。

続いて、東京の自治について書き進めてみます。総力戦遂行下の1943年、帝都に対応する国家的行政体制の確立や帝都行政の一元化を目的とし、東京市と東京府が廃止され、東京都が誕生しました。1947年に特別区が特別地方公共団体となった後、特別区が基礎的自治体に位置付けられるのは2000年のことでした。特別区の自治権が著しく制約される中、広域的自治体である東京都は「東京市」として基礎的自治体の顔も残してきました。現在も特別区には都市計画の決定権がなく、法人住民税と固定資産税は東京都が徴収しています。

このような関係性や問題点に関しては世田谷区の保坂展人区長が「大阪都構想の欠陥 東京23区の現実」を通し、たいへん分かりやすく解説されています。いろいろ参考になる内容が書かれていますので、最後にリンク先の保坂区長の文章をそのまま掲げさせていただきます。特別区の職員は1974年まで東京都の職員が配置されていました。区長の公選制が復活したのも1975年のことでした。このように特別区の自治権は大きく制約されてきましたが、住民からの不満の声はあまり聞こえていませんでした。

「東京市」の名残りから都区財政調整制度があり、23区全体の行政サービスの水準が一定のレベル以上に保たれるようになっているからです。 大阪都構想の問題の一つに大阪市民の税金2千200億円が大阪府に流出し、現在の大阪市域の行政サービスに還元される保証がないことも指摘されています。ただ都区財政調整制度と同様な仕組みを取り入れれば、そのような懸念は少し減らせるのかも知れません。

しかし、この財政調整の仕組みに対し、ある区長からは大きな不満の声も漏らされています。大企業が集まる千代田区は固定資産税と法人住民税が3千億円に上ります。この二つの税収は東京都に集まり、他の区に回されることで千代田区の取り分は最終的に70億円程度にとどまってしまいます。千代田区の石川雅己区長は「税収の配分で財政力の弱い区を支援する必要性は分かるが、千代田区にとってあまりにもひどい」と不公平感を訴えられています。

それでも東京は財政全体の豊かさの裏付けがあるため、千代田区の住民の皆さんをはじめ、区民側から特に大きな不満の声は上がっていません。現在、大阪府と大阪市はともに地方交付税の交付団体です。大阪は東京ほど大きな財源がない中で財源を分け合うことになるため、特別区に移行した場合の財政調整は東京以上に難しく、悩みが深まっていくものと見られています。大阪都の実現が大阪を活性化させる起爆剤となる可能性はありますが、そのようなプラス面を引き出せない限り、客観的な見立てはマイナス面ばかりが目に付く構想だと言わざるを得ないようです。

大阪都構想との絡みで言えば、ここまでで自分なりの見方をほぼ書き終えています。でりしゃすぱんださんのコメントの中に「三多摩は今も都から虐げられているわけですから」という記述もあり、せっかくの機会ですので、三多摩格差と称される問題についても少し書き進めてみます。東京都は特別区である23区、23区の西側に基礎的自治体である市町村が並ぶ三多摩地区、さらに島嶼地域で構成されています。現存している西多摩郡の他、かつて北多摩郡と南多摩郡があったため、東京都の西側の地域は三多摩と呼ばれています。

東京都の美濃部元知事が「三多摩には格差がある」と明言したのは1967年6月のことでした。前述したとおり「東京市」だった経緯から23区内の行政サービスの充実が先行しがちでした。支える財源の裏付けとして都区財政調整制度が後押ししていました。そもそも首都である23区内のインフラ整備が重視されていくのはやむを得ない流れだったものと思っています。1975年当時、小学校の体育館保有率は三多摩76.6%で区部98.5%、公共下水道の普及率は三多摩21%で区部55%、病院・診療所の人口10万人あたりの病床数は三多摩620床で区部864床でした。

この他、道路や保健所の数、国民健康保険料や保育料の負担額など、様々な課題で区部に比べて三多摩地区の行政サービスは劣っていました。美濃部元知事が三多摩格差を明言した以降、東京都から各種補助金が三多摩地区に配され、大半の自治体の消防や水道事業を都が肩代わりするような動きを強めていきました。2001年には前掲した各課題の格差が概ね解消され、三多摩格差の時代は終わりを告げたと認識されるようになっていました。なお、基礎的自治体としての権限の問題では三多摩と区部で「逆格差」があることも忘れてはならないのかも知れません。

現在も個々の行政サービスの課題で、まだ三多摩格差は残っているという見方があることも確かです。しかし、金曜の講演の中で示された資料などから他県の市町村に比べた場合、三多摩の自治体は恵まれているという関係性が明らかになります。各自治体の歳入に占める東京都からの支出金の割合は平均12%です。それに対し、神奈川県内の自治体の割合は3.8%、千葉県は4.4%、埼玉県は4.7%にとどまっています。東京都内の自治体に対し、東京都からの補助金等が他県に比べて突出していることを示しています。

『東京の制度地層』の第7章「戦後東京の断面」の中で、「区部より薄く他府県市町村より厚い東京都からの再配分を受け続ける多摩(・島嶼)の姿」という記述がありました。行政サービスを充実させるためには財源の裏付けが必要ですが、自治体ごとの規模や地理的な条件などから富が偏在してしまうことは避けられません。そのため、より望ましい自治体のあり方や財政の調整制度を常に模索していかなければなりません。そのことを考えていく機会として、金曜の学習会は貴重な場となっていました。講師の方をはじめ、主催された連合三多摩の皆さん、ありがとうございました。

最後に、先ほど記したとおり世田谷区の保坂展人区長の「大阪都構想の欠陥 東京23区の現実」を紹介し、たいへん長くなった記事を終わらせていただきます。

東京都は、1943年(昭和18年)に東京市と東京府を廃止して生まれました。大阪都構想がベースにしているのは東京都の特別区(23区)のあり方です。大阪府と政令指定都市である大阪市と堺市を廃止して大阪都とし、特別区を設置するとしていました。この議論を聞くたびに思うのは、東京の特別区の抱える現実と矛盾に対しての理解の薄さです。世田谷区は七つの県を上回る88万人という人口を抱えています。そこから感じるのは、東京の都区制度は必ずしもうまくいっていないということです。戦時中につくられた「特別区制度」は、人口規模も自治体実務をめぐる役割分担でも制度疲労が目立っているというのが今の実感です。

世田谷区のような特別区は、地方分権改革によって国や都道府県から基礎自治体へと移管される事務が多いため仕事量が増大し、事業と責任の範囲はふくらんでいます。一方で、法人住民税、固定資産税(個人・法人)などは都税として徴収することになっており、その55%が各区に再配分されるにすぎません(都区財政調整制度)。また、地方分権の流れで基礎自治体に移行した「都市計画決定権」は、なんと「特別区」のみ除外されており、まちづくりの戦略指針さえ自由につくることができません。学校教育に責任を持つ立場でありながら、教員の人事権は都であって、区にありません。つまり、一般の市町村以上に、特別区は財源と権限が制約されているのです。

大阪市(人口268万人)と堺市(人口84万人)は、現在は政令市という通常の市町村よりかなり権限をもった自治体ですが、大阪都構想とは、これを廃止して人口30万人程度のいくつかの特別区に再編し、広域行政を大阪都が担う代わりに、住民に身近な生活基盤に関する行政を特別区と市町村が担うという ものでした。そうなれば特別区に転じ、政令市として付与されている権限を失うだけでなく、周辺の市町村と比べても権限や財源が制約された基礎的自治体となってしまうのです。ところで、東京の特別区は長い間、自治権拡充のたたかいを続けてきました。

戦後、行われていた区長公選は、「区は都の内部団体」とする都の意向を受けて、1952年(昭和27年)の自治法改正によって廃止されました。その後、 72年(昭和47年)に品川区議会が区長準公選条例を制定して住民投票を実施したことで、再び、区長公選への道が開かれました。現在、区長は区議会議員と同様に選挙で選ばれていますが、実現したのは、75年(昭和50年)からなのです。区長を選挙で選べるようになってから40年たらず、というのは意外という人もいるのではないでしょうか。それまで、区の管理職ポストは「都の人事の受け皿」とされた時代が長く続き、区長には幹部を動かす人事権もありませんでした。

初の公選区長として選ばれた世田谷区の大場啓二・元区長(2011年没)は「世田谷独立宣言」というポスターを制作し、更なる自治権拡充を訴えました。そして、特別区が「基礎的な自治体」として位置づけられるようになったのは2000年(平成12年)のことでした。 いま、東京都知事選であがっている論点の中で、「子育て支援」「若者支援」「高齢者福祉」「障害者福祉」の最前線はいずれも区が抱えている現場で す。押し寄せる大きな行政需要の波に日々さらされているのも区です。だからこそ、財源と権限が必要です。

特別区のような制約された自治体の姿でいては、求められるニーズに対応できないと考えています。 警察・消防・上下水道等の広域行政を除けば、住民サービスの多くが区の仕事として行なわれています。東京の分権・自治改革が必要です。東京では、制約された基礎的自治体である特別区から「世田谷市」「新宿市」のようになることもたびたび話題にのぼってきました。それほど問題を抱えたシステムなのです。それだけに、大阪のように「政令市を廃止して特別区へ」という議論には肯きがたいものがあります。

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2015年5月10日 (日)

より望ましい「答え」は?

タイムリーな話題の繋がりで言えば、前回記事「2015年初夏、節目の600回」の中で触れようと考えていた論点がありました。時事の話題を交えながら多面的な情報を提供していくことの大切さについて触れるつもりでしたが、充分長い記事となっていたため、601回目の記事に送っていました。これまで当ブログで「多面的な情報への思い」「再び、多面的な情報への思い」「多面的な情報への思い、2012年春」「多面的な情報の一つとして」 という記事を投稿しています。

物事一つ一つに対して個々人での見方や評価があります。個々人が積み重ねてきた知識や経験から基本的な考え方が培われ、その違いによって物事の見方や評価が大きく分かれがちとなります。ただ信じている「答え」が必ずしも絶対的な「正解」とは限りません。自分自身にも省みていることですが、この論点は「完璧な人間はいない」「人は過ちを犯す」という見方に繋がります。特に物事を判断する際の情報が少なかったり、偏っていた場合、より望ましい「答え」を導き出せなくなります。

同じモノを見ていても、見る角度や位置によって得られる内容が極端に違ってきます。一つの角度から得られた情報から判断すれば明らかにクロとされたケースも、異なる角度から得られる情報を加味した時、クロとは言い切れなくなる場合も少なくありません。クロかシロか、真実は一つなのでしょうが、シロをクロと見誤らないためには多面的な情報をもとに判断していくことが非常に重要です。このような論点を踏まえ、今回の記事では具体的な事例を取り上げながら自分なりの問題意識を示させていただくつもりです。

さて、5月3日の憲法記念日、護憲、改憲の立場から憲法を考える集会が各地で開かれました。連休明け、国会では憲法改正に向けた議論が始まっています。国民の間でも改正そのものの是非は拮抗している現状です。いずれにしても誰もが戦争を積極的にしようとは考えていないはずです。悲惨な戦争に突入した過去の歴史の分岐点でも同様だったはずです。さらに武力では平和が築けないことをイラク戦争などから教訓化していかなければなりません。それにもかかわらず、軍事力の強化が抑止力を高め、戦争を未然に防ぐ手立てだという考え方が根強く支持されがちです。

国際社会の中で突出した平和主義を唱えた日本国憲法、その「特別さ」は誇るべきものであり、決して否定されるような理念ではありません。歴史の分岐点とも言える今、よりいっそう平和の築き方について議論を深めていく必要性を認識しています。先ほど「誰もが…」と記しましたが、もちろん安倍首相も「戦争をしたがっている」とは思っていません。そのような見方はレッテルをはった批判の一つだろうと見ています。さらに公けの集会の場などで安倍首相を呼び捨てにするような批判も慎むべき点だと考えています。

そのような批判の仕方は安倍首相を支持されている皆さんに対しても無礼な話であり、感情的な無用な対立を高める恐れがあります。大事な点は安倍首相を批判することではなく、安倍首相らの進めている安全保障政策の見直しが、より望ましい「答え」に繋がっていくのかどうかだろうと思っています。本当に正しい方向性なのかどうか、多面的な情報を把握しながら国民一人ひとりが慎重に判断できる関係性が強く求められているはずです。ちなみに私自身の考え方は「平和の話、インデックスⅡ」や「もう少し集団的自衛権の話 Part2」などを通して綴ってきています。

時事の題材として取り上げようと考えていた話題は安倍首相のアメリカ上下両院合同会議での演説についてでした。この話題ほど個々人の見方や評価が枝分かれしていく題材はないように感じています。ただマスメディアからの情報だけに触れていた場合、歴史的な快挙として評価されている方々のほうが多くなっているのかも知れません。しかし、インターネットなどから多面的な情報に触れていくと日本国民にとって本当に有益な偉業だったのかどうか疑問も広がっていくのではないでしょうか。

全文を英語で行なったことの善し悪しや「顔を上げ、拍手を促す」などと記された完璧な台本が用意されていたことをはじめ、安倍首相の熱意だと評価される一方、冷ややかに見られた側面もあるようです。このようなテクニカルな話はともかく、本質的な論点として緊密な日米の関係をアピールする機会に繋がり、よりいっそう日米同盟を強化していく歴史的な演説だったと評されている反面、この演説を行なうためにアメリカに対して約束した代償の大きさを危惧する声があることも確かです。

より望ましい「答え」を探っていくためにも、幅広い情報や見方に触れていくことの大切さは前述したとおりです。そのような意味合いを踏まえ、安倍首相のアメリカでの演説に絡んだサイトの記事をいくつか紹介させていただきます。私自身がブックマークし、いつも閲覧しているサイトです。絶賛する意見から手厳しく批判する内容まで様々な見方があり、それぞれの評価も読み手の皆さん一人ひとり枝分かれしていくものと思いますが、多面的な情報を提供する一つの機会としてご理解くださるようよろしくお願いします。

安倍総理の歴史的訪米同行レポート:その3〜米国上下両院合同会議での演説(山本一太参院議員のブログ「気分はいつも直滑降」から抜粋)

米国上下両院合同会議における安倍総理の演説は、集まった米国議員たちの拍手喝采を浴びた。何しろ、全員が総立ちになった「スタンディングオベーション」が合計で9回もあったのだ。総理の言葉が聴衆の心を掴んでいた何よりの証拠だ。あの熱気は、実際に本会議場にいたひとしか分からないだろう。演説を聴いた米国の議会関係者によると、「喝采が起きた数は、他国の首脳の議会演説と比べてもかなり多い」とのことだった。安倍総理の演説が米国内で高い評価を受けたことは間違いない。米国メディア界の大御所の一人である某ジャーナリストが使ったシンプルな表現「well recieved!」(とても評判が良かった)が、米国での反応を最も的確に表していると思う。

演説の評判を裏付ける別の現象(?)もあった。総理がワシントンDCの後に訪れたサンフランシスコとロサンゼルスでは、韓国系・中国系の団体による「歴史問題に関する日本政府のより明確な謝罪を求める?」デモがあったらしい。米国在住の知人(ベンチャー起業家)の分析はこうだ。「ロスでは、韓国系米国人の人たちが焦ってバスを何台もチャーターしたと聞いている。安倍総理の議会演説の評判があまりに良かったので危機感を持ったんだろうなあ。そこまでして足を引っ張ることないのにねえ…。」 前後の動きを見る限り、この見方にはかなりの説得力がある。各メディアで報道されている総理の演説の内容を繰り返すつもりはない。が、総立ちのスタンディングオベーションが起こった9つの場面のうち、ひとつだけ予想外の大きな反響を巻き起こした箇所があった。「女性に力をつけ、もっと活躍してもらうため、古くからの慣習を改めてようとしています」という部分だ。あらゆる分野で女性が活躍する米国では、特に議員たちの関心を引くようなフレーズではないと思っていた。

その晩、日米関係者を集めたワシントンDCのディナーで隣の席に座った米国人教授にこの「意外だった反応」について話した。頷きながら聞いていた彼が、こんなことを言った。「あなたの言うとおり、女性の社会進出という点で、確かに米国は日本より進んでいるかもしれない。が、まだいろいろ問題がある。十分ではない。多くの人はさらなる変化が必要だと考えている」と。なるほど、あらゆる場所で女性が輝いているように見える米国社会でさえ、まだそんな感覚なんだ、な。とても勉強になった。安倍首相の歴史的演説は40分という長さ。最初から最後まで、総理は堂々と振る舞った。スピーチの中身はもちろんのこと、落ち着いて、ゆっくり喋ったのも良かったと思う。え?総理の演説について「英語が下手だ」みたいな批判を繰り返していた野党議員がいるって?!事実だとすれば、同じ日本の国会議員として、とても残念に思う。

安倍首相の演説が笑いモノに「8割の米議員わからず」の声も(日刊ゲンダイ2015年5月1日)

米上下両院合同会議で演説した安倍首相。日本のメディアは安倍首相の訪米を“大成功”と絶賛しているが、残念ながら、米メディアは、ほとんど関心を示していない。日米首脳会談が行われたのに、米主要紙の1面は、警察に拘束された黒人男性が死亡したボルティモア問題に充てられた。オバマ大統領との共同会見も、記者の質問はボルティモア情勢に集中。会見の約4分の1の時間が割かれ、オバマ大統領が「重要な問題なので」と安倍首相に釈明する場面もあった。

日本メディアが「10回以上のスタンディングオベーションが起きた」と持ち上げている米上下両院での演説も、失笑の対象になっている。米メディアが安倍首相を笑いモノにしているのは、安倍首相が英語で書かれた原稿をひたすら棒読みしただけでなく、原稿に日本語で「顔を上げ、拍手促す」「次を強く」などと、あんちょこが書かれていたからだ。「ウォールストリート・ジャーナル」などが、あんちょこペーパーを大きく報じている。アメリカ人記者たちは、「まるで中学生の英語スピーチ大会だ」と笑い合っているそうだ。素直に日本語でやればよかったのだ。

国際ジャーナリストの堀田佳男氏は言う。「テレビで見ていましたが、リズムが悪すぎて意味がわかりませんでした。米議員の半分以上がスピーチを聞かずに、紙を見ていた。文節の切り方がおかしいし、リズムもない。単語ひとつひとつを明確にしようということなんでしょうが、8割の議員がわからなかったでしょう。安倍首相は演説で自らの留学のエピソードも入れていましたが、ただ恥ずかしいだけです」 議員の中には途中退席する者もいたという。米議会では、スタンディングオベーションは習慣で、タイミングもあらかじめ決まっている。ありがたがっているのは、何も知らない日本のメディアと、おめでたい安倍首相だけだ。税金約1億円も使って、一体何をしに行ったのか。まだ、日本でおとなしくしてくれていたほうが、よっぽど国益のためになったのではないか。

安倍首相の力強い言葉と実行力で始まった日米新時代(「依存症の独り言」から抜粋)

私は、これほどまでに自らの政治的意志と政治家としての使命感を言動で示す総理大臣を見たことがない。かつての中曽根康弘氏や小泉純一郎氏も、好き嫌いは別として、使命感に基づき自らの意志を貫いた政治家だったと評価している。ただ、残念ながら、両氏とも中韓とは正面から対峙しなかった。米国に対しても「主と従の関係」を脱しきれなかった。が、安倍晋三首相は、本気で「対等の同盟国」たらんとして前進している。そう確信する。(中略)

読めばお解りいただけると思う。新ガイドラインには、中国が領有権を主張している沖縄県・尖閣諸島を想定して、日本の島嶼防衛での日米協力などが明記された。安倍首相は米上下両院合同会議での演説で、「戦後、初めての大改革」を「この夏までに、成就させます」と断言している。そして演説後のインタビューに応えて、脅威を与える相手を「北朝鮮の脅威もあります。同時に中国による南シナ海、東シナ海の活動と軍備拡張もあります」と名指ししている。つまり、アジア太平洋における脅威は北朝鮮と中国であり、これを日米が共同して抑止すると明言しているのだ。これで中国は、少なくとも東シナ海では我が物顔の振る舞いはできなくなるだろう。

私は、常識的に考えて、これが当たり前だと思う。 南シナ海で起きている悲惨な現実を見れば、東シナ海における中国の行為を抑止することが喫緊の課題であることは自明のことだ。 黙っていれば中国は、既成事実を積み上げて居直る、そういう国なのだ。と言うか、そうしなければ国家として持たない国なのだ。ヒトラーはかつて、「国家が生存発展に必要な資源を支配下に収めることは、成長する国家の正当な権利である」として、近隣諸国の併合を正当化した。今の中国は、これと全く同じだと言える。そんな中で、野党第一党の民主党はお花畑満開である。「日本の議会はアメリカ議会の下請け機関ではない。閣議決定さえしていない法案を、ほかの国に、『成立させる』と約束するなどということは、自国の政治制度を理解していないか、自国の議会を翼賛議会だと思っているかのどちらかだ」 「国家の代表としてあるまじき発言であり大変憤っている。今後の国会審議では相当厳しく対じしたい」 (NHK 4月30日 17時33分)

以上が民主党の枝野幹事長の発言だ。安倍首相の演説の中身を問うのではなく、米国の議会で発言したことが問題だと憤っている。 一国の首相が、政治生命をかけて成し遂げようとしている政治課題を、「この夏までに、成就させます」と国会以外の場で明言したからと言って、「自国の政治制度を理解していない」とか「自国の議会を翼賛議会だと思っている」とか言うのは的外れもいいところだ。では枝野くんに訊くが、当時、君の党の代表で、首相だった鳩山 L.由紀夫が「(沖縄の普天間基地の移設先として)最低でも県外」と国会以外の場で言いふらしていたのをどう総括しているのだ? 国会も同盟国も無視して、勝手気ままに発言して国益を大きく毀損した民主党は、まず自らを振り返るべきだよ!こんな風だから民主党の支持率は一桁台をウロウロしているのだ。 情けないが、バカにつける薬はない。

安倍訪米の成果のなさを見事に認めた読売新聞の記事 (「天木直人のブログ」から)

こんな事をいまごろ書いてどうする!安倍首相の応援団でなくても、そう叱り飛ばしたいような馬鹿な記事を、きょう5月5日の読売新聞に見つけた。しかも皆が注目する一面に持ってきて書いている。それが、オバマ大統領が、安倍・オバマ首脳会談直後の共同記者会見(4月28日)で、「尖閣領有権 米触れず」、「日本要請で中立封印」という見出しをつけて書いた記事である。どういう意味か。解説をしない限り、見出しを見るだけではまず誰もわからない記事である。その記事の中で読売新聞は次のように解説している。すなわちこれまで米国は尖閣の領有権については、尖閣は日本の施政権下にある、と言うだけで、領有権については決して日本にあるとは言わず、中立の立場を取ってきた。

しかし、日本政府は領有権が日本にある事を米国が確認してくれるように求めて来た。そして、今回の訪米では共同記者会見で、米国が中立的な立場であるような発言をしないようにと要請した。そうしたら、米国がこの要請に応じてくれた結果、記者会見でオバマ大統領は尖閣領有権については触れなかった。だから安倍外交が成果をおさめた、といわんばかりだ。読売新聞はよくもこんな馬鹿な記事を書くものだ。しかもそれは、外務官僚の言っていることの受け売りであることを記事の中で認めている。オバマが今度の訪米で「尖閣は日本のものだ」と明言してくれたのなら安倍外交の成果だ。しかし、そんなことをオバマが中国との関係で明言するはずがない。

あまり日本が執拗に尖閣の事ばかり言うので、それではもう尖閣については触れないでおこうとなった、それだけの話しなのだ。こんなことをいまごろになってスクープのように書くのは、こんどの安倍訪米がいかに成果がなかったかを認めているようなものだ。それにしてもと思う。外務官僚の言う事をそのまま垂れ流してスクープの様に書く読売新聞は、もはや御用新聞ですらない。取材能力を失った、読むに値しない新聞社に成り下がったということである。読売新聞の愛読者はどこまでそのことに気づいているのだろうか。

安倍首相の米議会演説は愚劣でバカバカしい(「小林よしのりオフィシャルWebサイト」のブログから)

安倍首相が米議会で初めて演説をして、大受けだったとニュースが報じている。テレビのコメンテーターも歴史的快挙だと喜んでいる。韓国はすでに6回も演説したことがるのに、何が快挙だ!その演説全文を読んでみたが、アメリカに媚びたその自虐史観にムカムカした。「民主主義の輝くチャンピオンを大使として送ってくださいました」とか、「日本にとって、アメリカとの出会いとは、すなわち民主主義との遭遇でした」とか、よくこんな醜悪な媚びを連発できるものだ。安倍首相は「民主主義はアメリカからの贈り物」と思っているらしいが、とんでもない自虐史観だ。昭和天皇が敗戦翌年の「新日本建設に関する詔書」で、明治大帝の「五箇条の御誓文」に還って民主主義を進めればいいと仰ったことを安倍首相は知らないのか?

それは「日本の民主主義は戦後の輸入品ではない」という意味だったのだ。しかも過去の日米戦での米兵の死に「深い悔悟を胸に」抱くそうで、「戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを」刻んだそうだ。日米の戦争は、日本側から甲案・乙案を提出しても拒否されたことが原因であり、避けようがなかった。それをどう反省すればいいのか?そんなに先の大戦に「悔悟」の念を抱き、「痛切に反省」をしていたら、靖国神社の英霊に対してなぜ「顕彰」が出来るのか?靖国神社は「顕彰」の施設であって、よく戦ってくれましたと、戦死者を英雄として讃えるための神社なのだ。今後、安倍首相が靖国参拝をしても、わしはアメリカのポチに成り下がった奴が、英霊を愚弄するんじゃないと怒るしかない。

しかし、あれほどアメリカの戦争を「自由」と「民主主義」の「正義」の戦いとして持ち上げ、日本を「悪の帝国」にしてしまう安倍首相の演説を、日本の自称保守派はなぜ喜べるのか?わしには理解不能だ。しかもやたら民主主義を強調するくせに、辺野古の基地問題も、安保法制も、すべて米国と先に決めてしまい、国会審議は後回しでいいと言うのだから、どこが民主主義なんだ!?安倍首相の演説は、過去の日本を「悪」とする「東京裁判史観」に嵌ってしまっていて、今後もアメリカを宗主国として、アメリカの起こす侵略戦争には、すべてついていくと宣言したようなものだ。まさに「戦後レジーム」の完成である!実に不愉快な演説だが、日本人はアメリカ・コンプレックスが強いから、嬉しいのだろう。バカバカしいとしか言いようがない。

さすがのプーチンもこれには怒っただろうと思わせる朝日の記事 (「天木直人のブログ」から)

産経新聞の記事がチョンボだとしたら、こちらは確信犯的な記事かも知れない。やはりきのう5月5日の記事だ。朝日新聞は「プーチンの実像 第3部 孤高の皇帝その11」という記事の中で要旨次のように書いている。

すなわち安倍首相は4月29日の米国議会演説で次のように語った。「日本は、米国と共に、冷戦に勝利した・・・」。しかし昨年10月、世界の有識者との討論会でプーチン大統領はこう語った。「米国は自身を、冷戦の勝者だと宣言した」、「『勝者』と称する者が、自分たちの利益のためだけに、全世界を塗り替えようとしている・・・」。これはロシアが「冷戦の敗戦国」として扱われることを拒絶することだ。そんなプーチン大統領の強い決意を知ってか知らずか、安倍首相はよりによって米国議会演説で「日本は米国と共に、冷戦に勝利した」と胸を張って語ったのだ。

この記事を書いたモスクワの駒木特派員は、その記事を次のように締めくくっている。「13年4月の安倍訪ロをきっかけに首脳間のパイプもつながりかけた。それが今、再び切れようとしている・・・」と。そんななまやさしいものではない。プーチン大統領は今度こそ安倍首相を許さないだろう。安倍首相がもっとも誇らしげに語る米国議会演説こそ、安倍対ロ外交の迷走のなれの果てだ。安倍外交の失敗だ。あれほどプーチン大統領との個人的関係を自慢していた安倍首相が、あれほど嫌っていたオバマ大統領に心もなくすり寄って、プーチン大統領を敵に回した。中国にもロシアにも敵視され、肝心の米国には搾り取られて最後は捨てられる。そんな安倍外交に、もはや活路はない。

これも訪米歓待の代償…「米軍再編関係費」1.6倍になっていた(日刊ゲンダイ2015年5月10日)

安倍首相が米国で歓待された裏で、日本は法外な値段で米国からオスプレイを導入した。まさしく、安倍議会演説の代償は血税だったわけだが、怪しい話は他にもある。日本政府が米軍の駐留経費として負担する「在日米軍関係経費」だ。2014年度は4667億円だったが、今年度は5197億円に増加した。このうち目を引くのが「米軍再編関係費」だ。昨年の890億円から1426億円に増えた。実に60%増である。その内訳は「在沖米海兵隊のグアムへの移転」や「訓練移転のための事業」など7項目に及ぶ。中でも増加が目立つのが「空母艦載機の改編に関連した事業」で14年度の589億円から926億円に大幅に増えている。

このほか「沖縄における再編のための事業」が57億円から271億円に、「再編関連措置の円滑化を図るための事業」は105億円から158億円に増加した。そうか、これだけ米国に貢げば、安倍首相が重宝されるのは当然だ。 一体、この出費は妥当なのか。何のための費用なのか。防衛省に言わせたところ、以下のような説明だった。「『空母艦載機の改編――』は空母に配備されている飛行機の整備や配置転換の費用です。飛行機は空母が港に入港するたびに、いったん陸に上げてメンテナンスを受けます。また、厚木基地の飛行機の一部を岩国に配置する費用も含まれています。これによって厚木基地周辺の騒音が緩和されました。『沖縄における――』は空中給油機やオスプレイを岩国に訓練移転させる費用など。『再編関連の円滑化─―』は防衛省と外務省の担当者が渡米して米側と調整をはかる費用などです」(広報課) 

要は米軍のメンテナンス費用を上積みしたということだ。 「わざと項目を多くして、外部からお金の流れが分からないようにしているようです」と言うのは軍事評論家の神浦元彰氏。 「米軍再編関係経費が増えたのは空中給油機『KC130』などの岩国移転が大きいでしょう。飛行機を移すと人間も動くので、基地内に何百軒もの住宅を造らなければならないのです。将校には広いキッチンに寝室が3つある豪華な家を建てる。そのほかの兵士にはタワーマンションを建設。プールやスポーツジム、運動場、大型スーパーまで造るので費用はかさむ一方です」このほか土壌の汚染除去費用を計上している可能性もあるという。 「13年に沖縄・嘉手納より南の米軍基地を返還する日米合意がなされました。これらの基地の土壌は枯葉剤や重金属などの有毒物質で汚染されているかもしれない。米側はトラブルを恐れて土壌をきれいにするでしょうが、それもこの経費が使われることになります」(神浦元彰氏)こうしたことが国会で問題視されていないのは野党の怠慢以外の何モノでもない。

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2015年5月 2日 (土)

2015年初夏、節目の600回

初夏とは立夏から芒種の前日までの期間を指します。立夏とは夏の気配が感じられる頃の意味で2015年は5月6日となります。ちなみに芒種とは種まきの時期で今年は6月6日です。もともと知っていたかのように説明していますが、このブログの記事タイトルに「初夏」という言葉を使おうと考えたため、インターネットを検索して書き込んでいます。取りあえず5月初旬が初夏を迎える頃だろうとは思っていましたが、正確な時期は把握していませんでした。

ネット上に誤った認識の記載を残したくないため、今回に限らずブログの投稿画面に向かった際、曖昧な知識や情報は必ず確認してから書き込むように努めています。それでも疑問を持たずに投稿した語句や内容に誤りがあり、コメント欄で指摘を受けた時も少なくありません。そのような関係性も含め、このブログを続けていることで知らなかったことを知り、勘違いしていたことを改められる、いろいろな意味で自己啓発の機会となっています。細部の話にとどまらず、ブログの記事に取り上げるテーマや題材に関しても同様です。

投稿内容の正確性を期すためには、まず自分自身がその内容の理解を深めなければなりません。「社会保障・税番号制度」「子ども・子育て新制度」「生活困窮者自立支援法が施行」などの記事を投稿した際には事前に可能な限り資料や関連サイトを閲覧していました。生活困窮者自立支援法の記事を投稿した後、生活保護の面接担当の係長から「ブログを見ましたが、しっかり勉強されてますね」という一言をいただきました。一夜漬けの勉強ですが、的外れな記述ではないことを確かめられ、たいへん心強く励みとなる一言でした。

さて、記事タイトルに掲げた通り今回、節目の600回を迎えます。このブログを開設した当初は毎日のように記事本文を更新していました。しばらくして週2、3回のペースとなり、1年後ぐらいから週1回の更新が定着し、現在に至っています。実生活に過度な負担をかけないペースとして毎週1回、土曜日か日曜日に更新するようになってから1回も途絶えずに「週刊」を習慣化できています。

もし定期的な更新間隔を定めていなければ、日々の多忙さに流され、いわゆる「開店休業」状態が続いていたかも知れません。それでも年月は過ぎていくことになります。一方で、投稿した記事の数は自分自身の労力を惜しみ出したり、続けていく熱意が冷めてしまった場合、停滞してしまう数字です。そのような意味で、これまで記事の回数が100を刻んだ時をメモリアルな節目に位置付け、下記のような記事を投稿してきました。

100回の時は、あまり投稿数を意識していなかったため、100回目の記事という認識がないまま普段通りの内容を書き込んでいました。その直後、たまたまココログの管理ページを目にした際、直前に投稿した記事が100回目だったことに気付きました。そのため、101回目という少し半端なタイミングでのメモリアルな記事内容となっていました。毎週1回の更新が定着し、先が読みやすくなっていた200回目以降は失念することなく、上記のような記事をピンポイントで綴ることができていました。

訪問されている方々にとって、この記事が何回目だろうと関係ないことは重々承知しています。それでも節目のタイミングを利用し、当ブログがどのような性格のものなのか改めてお伝えさせていただく機会としていました。いずれにしても週1回の更新ペースを崩さず、継続できているのも毎回多くの皆さんが訪れてくださり、貴重なコメントをいただけていることが大きな励みとなっているからです。ちなみに500回目の頃と比べ、コメント欄の雰囲気が大きく様変わりしています。

500回目の記事の中に「普段のアクセス数は千件から2千件ぐらいの幅で推移し、コメント数が100を超えた記事も数多くありました」と書かれています。現在、寄せられるコメントの数は大きく減っています。記事本文の更新が週1回で、コメント欄での動きが少なくなっているため、アクセス数も当時に比べれば減っています。1日千件まで届かない日が増えています。ただアクセス数に比べれば1週間の中での訪問者数の減り幅は小さく、同じ記事を頻繁に閲覧いただく方の数が大きく減っているように見受けられます。

ここでどれほど素晴らしい意見を述べても無意味ですよ トピ主さんには何も響きません。さらにトピ主さんはご自分の答え以外は認めることはありません。以前はたくさんの素晴らしい意見がコメントされてましたが、トピ主さんにより全部排除されてしまいました。もちろんこんな発言をすれば全力で否定されますが、現在のコメント欄がすべてを表しています。訪問者の数は変わらないと言われてるので そうゆうことです。

上記は最近の記事「南京虐殺の問題から思うこと」のコメント欄で、はぐれ猫さんが一堂零さんに対して伝えた言葉です。どうして上記のような理解に至るのか、たいへん不思議なことであり、とても驚いていました。しかし、このような見方をされる方がいらっしゃるということは残念な事実であり、偏見や誤解に対しては丁寧に説明していかなければなりません。ちょうど600回目の記事投稿の時期が近かったため、その機会に説明させていただくつもりでした。

無意味かどうかですが、一堂零さんは「管理者さんには響かなくとも、読んでくださった方のうち、お一人でも東京裁判史観に疑問を持ち、近代史の実相に迫ろうとする方がいらっしゃれば幸甚です」と返答されていました。考え方や見方の違いは横に置いた上で、まったくその通りであり、そのような場になり得ることを願いながら当ブログを続けています。いろいろな「答え」を認め合った場としてこのコメント欄の限界と可能性を閲覧されている皆さんにご理解を求めてきていました。

私自身の信じている「答え」が安易に変わらないことはその通りです。ただ懇切丁寧な説得力あるコメントに「なるほど」と心を動かされてきたことは数多くあります。「何も響きません」「ご自分の答え以外は認めることはありません」と決め付けられてしまうことは非常に不本意な見られ方です。さらに「たくさんの素晴らしい意見がコメントされてましたが、トピ主さんにより全部排除されてしまいました」という指摘ですが、このような見方は偏見や誤解だと言わざるを得ません。

コメント投稿は即時に反映され、明らかなスパムではない限り、削除されることはありません。「コメント欄の話、インデックス」の中で記してきた通りですが、どのような辛辣な言葉でも、そこに投稿された思いや意味をくみ取ろうと心がけながら批判意見も含め、幅広い視点や立場からご意見をいただける貴重さを感じ取ってきています。その中で批判意見と誹謗中傷の違いに関しては再三再四説明し、せめて特定の人物や団体を誹謗中傷するようなコメントだけは慎むように「お願い」を繰り返してきました。

その「お願い」に理解いただけず、コメント欄の常連だった方が去られてしまったこともあります。しかし、あくまでも出入り自由な場としての個々人の判断であり、強制的な退去を求める言葉を発した訳ではありません。あまりにも「全部排除」という言葉が実情からかけ離れていたため、いろいろ説明を加えさせていただきました。はぐれ猫さんは投稿したご自身のコメントが、このように記事本文で取り上げられることを望まない方のようですが、私自身がコメント欄から距離を置くようになっているためご理解ご容赦ください。

もともと3年前まで毎日最低1回はコメント欄に関わるように心がけていましたが、「コメント欄雑感、2012年春」を投稿した頃から徐々にコメント欄から距離を置くようになっていました。記事本文の更新が土曜日か日曜日であり、寄せられたコメントへのレスも含め、現在、このブログに関わるのは休日に限るようにしています。その上で、コメント欄に寄せられた難しい問いかけに対しては、なるべく記事本文を通してお答えするように努めています。

そのため、コメント欄で頻繁な問いかけがあったとしても管理人からのレスが遅い、手応えのないブログになっています。このような現状は、やはり以前に比べてコメント投稿数を大きく減らしている理由の一つだろうと考えています。今回、節目の600回を迎え、時事の話題も交えながら多面的な情報を提供していくことの大切さについても触れるつもりでした。とは言え、ここまでで充分長い記事となっていますので、その内容は次回以降の記事に送り、600回目の記事は誠に恐縮ながら目新しい内容が薄いまま終わらせていただきます。

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