より望ましい「答え」は?
タイムリーな話題の繋がりで言えば、前回記事「2015年初夏、節目の600回」の中で触れようと考えていた論点がありました。時事の話題を交えながら多面的な情報を提供していくことの大切さについて触れるつもりでしたが、充分長い記事となっていたため、601回目の記事に送っていました。これまで当ブログで「多面的な情報への思い」「再び、多面的な情報への思い」「多面的な情報への思い、2012年春」「多面的な情報の一つとして」 という記事を投稿しています。
物事一つ一つに対して個々人での見方や評価があります。個々人が積み重ねてきた知識や経験から基本的な考え方が培われ、その違いによって物事の見方や評価が大きく分かれがちとなります。ただ信じている「答え」が必ずしも絶対的な「正解」とは限りません。自分自身にも省みていることですが、この論点は「完璧な人間はいない」「人は過ちを犯す」という見方に繋がります。特に物事を判断する際の情報が少なかったり、偏っていた場合、より望ましい「答え」を導き出せなくなります。
同じモノを見ていても、見る角度や位置によって得られる内容が極端に違ってきます。一つの角度から得られた情報から判断すれば明らかにクロとされたケースも、異なる角度から得られる情報を加味した時、クロとは言い切れなくなる場合も少なくありません。クロかシロか、真実は一つなのでしょうが、シロをクロと見誤らないためには多面的な情報をもとに判断していくことが非常に重要です。このような論点を踏まえ、今回の記事では具体的な事例を取り上げながら自分なりの問題意識を示させていただくつもりです。
さて、5月3日の憲法記念日、護憲、改憲の立場から憲法を考える集会が各地で開かれました。連休明け、国会では憲法改正に向けた議論が始まっています。国民の間でも改正そのものの是非は拮抗している現状です。いずれにしても誰もが戦争を積極的にしようとは考えていないはずです。悲惨な戦争に突入した過去の歴史の分岐点でも同様だったはずです。さらに武力では平和が築けないことをイラク戦争などから教訓化していかなければなりません。それにもかかわらず、軍事力の強化が抑止力を高め、戦争を未然に防ぐ手立てだという考え方が根強く支持されがちです。
国際社会の中で突出した平和主義を唱えた日本国憲法、その「特別さ」は誇るべきものであり、決して否定されるような理念ではありません。歴史の分岐点とも言える今、よりいっそう平和の築き方について議論を深めていく必要性を認識しています。先ほど「誰もが…」と記しましたが、もちろん安倍首相も「戦争をしたがっている」とは思っていません。そのような見方はレッテルをはった批判の一つだろうと見ています。さらに公けの集会の場などで安倍首相を呼び捨てにするような批判も慎むべき点だと考えています。
そのような批判の仕方は安倍首相を支持されている皆さんに対しても無礼な話であり、感情的な無用な対立を高める恐れがあります。大事な点は安倍首相を批判することではなく、安倍首相らの進めている安全保障政策の見直しが、より望ましい「答え」に繋がっていくのかどうかだろうと思っています。本当に正しい方向性なのかどうか、多面的な情報を把握しながら国民一人ひとりが慎重に判断できる関係性が強く求められているはずです。ちなみに私自身の考え方は「平和の話、インデックスⅡ」や「もう少し集団的自衛権の話 Part2」などを通して綴ってきています。
時事の題材として取り上げようと考えていた話題は安倍首相のアメリカ上下両院合同会議での演説についてでした。この話題ほど個々人の見方や評価が枝分かれしていく題材はないように感じています。ただマスメディアからの情報だけに触れていた場合、歴史的な快挙として評価されている方々のほうが多くなっているのかも知れません。しかし、インターネットなどから多面的な情報に触れていくと日本国民にとって本当に有益な偉業だったのかどうか疑問も広がっていくのではないでしょうか。
全文を英語で行なったことの善し悪しや「顔を上げ、拍手を促す」などと記された完璧な台本が用意されていたことをはじめ、安倍首相の熱意だと評価される一方、冷ややかに見られた側面もあるようです。このようなテクニカルな話はともかく、本質的な論点として緊密な日米の関係をアピールする機会に繋がり、よりいっそう日米同盟を強化していく歴史的な演説だったと評されている反面、この演説を行なうためにアメリカに対して約束した代償の大きさを危惧する声があることも確かです。
より望ましい「答え」を探っていくためにも、幅広い情報や見方に触れていくことの大切さは前述したとおりです。そのような意味合いを踏まえ、安倍首相のアメリカでの演説に絡んだサイトの記事をいくつか紹介させていただきます。私自身がブックマークし、いつも閲覧しているサイトです。絶賛する意見から手厳しく批判する内容まで様々な見方があり、それぞれの評価も読み手の皆さん一人ひとり枝分かれしていくものと思いますが、多面的な情報を提供する一つの機会としてご理解くださるようよろしくお願いします。
■安倍総理の歴史的訪米同行レポート:その3〜米国上下両院合同会議での演説(山本一太参院議員のブログ「気分はいつも直滑降」から抜粋)
米国上下両院合同会議における安倍総理の演説は、集まった米国議員たちの拍手喝采を浴びた。何しろ、全員が総立ちになった「スタンディングオベーション」が合計で9回もあったのだ。総理の言葉が聴衆の心を掴んでいた何よりの証拠だ。あの熱気は、実際に本会議場にいたひとしか分からないだろう。演説を聴いた米国の議会関係者によると、「喝采が起きた数は、他国の首脳の議会演説と比べてもかなり多い」とのことだった。安倍総理の演説が米国内で高い評価を受けたことは間違いない。米国メディア界の大御所の一人である某ジャーナリストが使ったシンプルな表現「well recieved!」(とても評判が良かった)が、米国での反応を最も的確に表していると思う。
演説の評判を裏付ける別の現象(?)もあった。総理がワシントンDCの後に訪れたサンフランシスコとロサンゼルスでは、韓国系・中国系の団体による「歴史問題に関する日本政府のより明確な謝罪を求める?」デモがあったらしい。米国在住の知人(ベンチャー起業家)の分析はこうだ。「ロスでは、韓国系米国人の人たちが焦ってバスを何台もチャーターしたと聞いている。安倍総理の議会演説の評判があまりに良かったので危機感を持ったんだろうなあ。そこまでして足を引っ張ることないのにねえ…。」 前後の動きを見る限り、この見方にはかなりの説得力がある。各メディアで報道されている総理の演説の内容を繰り返すつもりはない。が、総立ちのスタンディングオベーションが起こった9つの場面のうち、ひとつだけ予想外の大きな反響を巻き起こした箇所があった。「女性に力をつけ、もっと活躍してもらうため、古くからの慣習を改めてようとしています」という部分だ。あらゆる分野で女性が活躍する米国では、特に議員たちの関心を引くようなフレーズではないと思っていた。
その晩、日米関係者を集めたワシントンDCのディナーで隣の席に座った米国人教授にこの「意外だった反応」について話した。頷きながら聞いていた彼が、こんなことを言った。「あなたの言うとおり、女性の社会進出という点で、確かに米国は日本より進んでいるかもしれない。が、まだいろいろ問題がある。十分ではない。多くの人はさらなる変化が必要だと考えている」と。なるほど、あらゆる場所で女性が輝いているように見える米国社会でさえ、まだそんな感覚なんだ、な。とても勉強になった。安倍首相の歴史的演説は40分という長さ。最初から最後まで、総理は堂々と振る舞った。スピーチの中身はもちろんのこと、落ち着いて、ゆっくり喋ったのも良かったと思う。え?総理の演説について「英語が下手だ」みたいな批判を繰り返していた野党議員がいるって?!事実だとすれば、同じ日本の国会議員として、とても残念に思う。
■安倍首相の演説が笑いモノに「8割の米議員わからず」の声も(日刊ゲンダイ2015年5月1日)
米上下両院合同会議で演説した安倍首相。日本のメディアは安倍首相の訪米を“大成功”と絶賛しているが、残念ながら、米メディアは、ほとんど関心を示していない。日米首脳会談が行われたのに、米主要紙の1面は、警察に拘束された黒人男性が死亡したボルティモア問題に充てられた。オバマ大統領との共同会見も、記者の質問はボルティモア情勢に集中。会見の約4分の1の時間が割かれ、オバマ大統領が「重要な問題なので」と安倍首相に釈明する場面もあった。
日本メディアが「10回以上のスタンディングオベーションが起きた」と持ち上げている米上下両院での演説も、失笑の対象になっている。米メディアが安倍首相を笑いモノにしているのは、安倍首相が英語で書かれた原稿をひたすら棒読みしただけでなく、原稿に日本語で「顔を上げ、拍手促す」「次を強く」などと、あんちょこが書かれていたからだ。「ウォールストリート・ジャーナル」などが、あんちょこペーパーを大きく報じている。アメリカ人記者たちは、「まるで中学生の英語スピーチ大会だ」と笑い合っているそうだ。素直に日本語でやればよかったのだ。
国際ジャーナリストの堀田佳男氏は言う。「テレビで見ていましたが、リズムが悪すぎて意味がわかりませんでした。米議員の半分以上がスピーチを聞かずに、紙を見ていた。文節の切り方がおかしいし、リズムもない。単語ひとつひとつを明確にしようということなんでしょうが、8割の議員がわからなかったでしょう。安倍首相は演説で自らの留学のエピソードも入れていましたが、ただ恥ずかしいだけです」 議員の中には途中退席する者もいたという。米議会では、スタンディングオベーションは習慣で、タイミングもあらかじめ決まっている。ありがたがっているのは、何も知らない日本のメディアと、おめでたい安倍首相だけだ。税金約1億円も使って、一体何をしに行ったのか。まだ、日本でおとなしくしてくれていたほうが、よっぽど国益のためになったのではないか。
■安倍首相の力強い言葉と実行力で始まった日米新時代(「依存症の独り言」から抜粋)
私は、これほどまでに自らの政治的意志と政治家としての使命感を言動で示す総理大臣を見たことがない。かつての中曽根康弘氏や小泉純一郎氏も、好き嫌いは別として、使命感に基づき自らの意志を貫いた政治家だったと評価している。ただ、残念ながら、両氏とも中韓とは正面から対峙しなかった。米国に対しても「主と従の関係」を脱しきれなかった。が、安倍晋三首相は、本気で「対等の同盟国」たらんとして前進している。そう確信する。(中略)
読めばお解りいただけると思う。新ガイドラインには、中国が領有権を主張している沖縄県・尖閣諸島を想定して、日本の島嶼防衛での日米協力などが明記された。安倍首相は米上下両院合同会議での演説で、「戦後、初めての大改革」を「この夏までに、成就させます」と断言している。そして演説後のインタビューに応えて、脅威を与える相手を「北朝鮮の脅威もあります。同時に中国による南シナ海、東シナ海の活動と軍備拡張もあります」と名指ししている。つまり、アジア太平洋における脅威は北朝鮮と中国であり、これを日米が共同して抑止すると明言しているのだ。これで中国は、少なくとも東シナ海では我が物顔の振る舞いはできなくなるだろう。
私は、常識的に考えて、これが当たり前だと思う。 南シナ海で起きている悲惨な現実を見れば、東シナ海における中国の行為を抑止することが喫緊の課題であることは自明のことだ。 黙っていれば中国は、既成事実を積み上げて居直る、そういう国なのだ。と言うか、そうしなければ国家として持たない国なのだ。ヒトラーはかつて、「国家が生存発展に必要な資源を支配下に収めることは、成長する国家の正当な権利である」として、近隣諸国の併合を正当化した。今の中国は、これと全く同じだと言える。そんな中で、野党第一党の民主党はお花畑満開である。「日本の議会はアメリカ議会の下請け機関ではない。閣議決定さえしていない法案を、ほかの国に、『成立させる』と約束するなどということは、自国の政治制度を理解していないか、自国の議会を翼賛議会だと思っているかのどちらかだ」 「国家の代表としてあるまじき発言であり大変憤っている。今後の国会審議では相当厳しく対じしたい」 (NHK 4月30日 17時33分)
以上が民主党の枝野幹事長の発言だ。安倍首相の演説の中身を問うのではなく、米国の議会で発言したことが問題だと憤っている。 一国の首相が、政治生命をかけて成し遂げようとしている政治課題を、「この夏までに、成就させます」と国会以外の場で明言したからと言って、「自国の政治制度を理解していない」とか「自国の議会を翼賛議会だと思っている」とか言うのは的外れもいいところだ。では枝野くんに訊くが、当時、君の党の代表で、首相だった鳩山 L.由紀夫が「(沖縄の普天間基地の移設先として)最低でも県外」と国会以外の場で言いふらしていたのをどう総括しているのだ? 国会も同盟国も無視して、勝手気ままに発言して国益を大きく毀損した民主党は、まず自らを振り返るべきだよ!こんな風だから民主党の支持率は一桁台をウロウロしているのだ。 情けないが、バカにつける薬はない。
■ 安倍訪米の成果のなさを見事に認めた読売新聞の記事 (「天木直人のブログ」から)
こんな事をいまごろ書いてどうする!安倍首相の応援団でなくても、そう叱り飛ばしたいような馬鹿な記事を、きょう5月5日の読売新聞に見つけた。しかも皆が注目する一面に持ってきて書いている。それが、オバマ大統領が、安倍・オバマ首脳会談直後の共同記者会見(4月28日)で、「尖閣領有権 米触れず」、「日本要請で中立封印」という見出しをつけて書いた記事である。どういう意味か。解説をしない限り、見出しを見るだけではまず誰もわからない記事である。その記事の中で読売新聞は次のように解説している。すなわちこれまで米国は尖閣の領有権については、尖閣は日本の施政権下にある、と言うだけで、領有権については決して日本にあるとは言わず、中立の立場を取ってきた。
しかし、日本政府は領有権が日本にある事を米国が確認してくれるように求めて来た。そして、今回の訪米では共同記者会見で、米国が中立的な立場であるような発言をしないようにと要請した。そうしたら、米国がこの要請に応じてくれた結果、記者会見でオバマ大統領は尖閣領有権については触れなかった。だから安倍外交が成果をおさめた、といわんばかりだ。読売新聞はよくもこんな馬鹿な記事を書くものだ。しかもそれは、外務官僚の言っていることの受け売りであることを記事の中で認めている。オバマが今度の訪米で「尖閣は日本のものだ」と明言してくれたのなら安倍外交の成果だ。しかし、そんなことをオバマが中国との関係で明言するはずがない。
あまり日本が執拗に尖閣の事ばかり言うので、それではもう尖閣については触れないでおこうとなった、それだけの話しなのだ。こんなことをいまごろになってスクープのように書くのは、こんどの安倍訪米がいかに成果がなかったかを認めているようなものだ。それにしてもと思う。外務官僚の言う事をそのまま垂れ流してスクープの様に書く読売新聞は、もはや御用新聞ですらない。取材能力を失った、読むに値しない新聞社に成り下がったということである。読売新聞の愛読者はどこまでそのことに気づいているのだろうか。
■安倍首相の米議会演説は愚劣でバカバカしい(「小林よしのりオフィシャルWebサイト」のブログから)
安倍首相が米議会で初めて演説をして、大受けだったとニュースが報じている。テレビのコメンテーターも歴史的快挙だと喜んでいる。韓国はすでに6回も演説したことがるのに、何が快挙だ!その演説全文を読んでみたが、アメリカに媚びたその自虐史観にムカムカした。「民主主義の輝くチャンピオンを大使として送ってくださいました」とか、「日本にとって、アメリカとの出会いとは、すなわち民主主義との遭遇でした」とか、よくこんな醜悪な媚びを連発できるものだ。安倍首相は「民主主義はアメリカからの贈り物」と思っているらしいが、とんでもない自虐史観だ。昭和天皇が敗戦翌年の「新日本建設に関する詔書」で、明治大帝の「五箇条の御誓文」に還って民主主義を進めればいいと仰ったことを安倍首相は知らないのか?
それは「日本の民主主義は戦後の輸入品ではない」という意味だったのだ。しかも過去の日米戦での米兵の死に「深い悔悟を胸に」抱くそうで、「戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを」刻んだそうだ。日米の戦争は、日本側から甲案・乙案を提出しても拒否されたことが原因であり、避けようがなかった。それをどう反省すればいいのか?そんなに先の大戦に「悔悟」の念を抱き、「痛切に反省」をしていたら、靖国神社の英霊に対してなぜ「顕彰」が出来るのか?靖国神社は「顕彰」の施設であって、よく戦ってくれましたと、戦死者を英雄として讃えるための神社なのだ。今後、安倍首相が靖国参拝をしても、わしはアメリカのポチに成り下がった奴が、英霊を愚弄するんじゃないと怒るしかない。
しかし、あれほどアメリカの戦争を「自由」と「民主主義」の「正義」の戦いとして持ち上げ、日本を「悪の帝国」にしてしまう安倍首相の演説を、日本の自称保守派はなぜ喜べるのか?わしには理解不能だ。しかもやたら民主主義を強調するくせに、辺野古の基地問題も、安保法制も、すべて米国と先に決めてしまい、国会審議は後回しでいいと言うのだから、どこが民主主義なんだ!?安倍首相の演説は、過去の日本を「悪」とする「東京裁判史観」に嵌ってしまっていて、今後もアメリカを宗主国として、アメリカの起こす侵略戦争には、すべてついていくと宣言したようなものだ。まさに「戦後レジーム」の完成である!実に不愉快な演説だが、日本人はアメリカ・コンプレックスが強いから、嬉しいのだろう。バカバカしいとしか言いようがない。
■さすがのプーチンもこれには怒っただろうと思わせる朝日の記事 (「天木直人のブログ」から)
産経新聞の記事がチョンボだとしたら、こちらは確信犯的な記事かも知れない。やはりきのう5月5日の記事だ。朝日新聞は「プーチンの実像 第3部 孤高の皇帝その11」という記事の中で要旨次のように書いている。
すなわち安倍首相は4月29日の米国議会演説で次のように語った。「日本は、米国と共に、冷戦に勝利した・・・」。しかし昨年10月、世界の有識者との討論会でプーチン大統領はこう語った。「米国は自身を、冷戦の勝者だと宣言した」、「『勝者』と称する者が、自分たちの利益のためだけに、全世界を塗り替えようとしている・・・」。これはロシアが「冷戦の敗戦国」として扱われることを拒絶することだ。そんなプーチン大統領の強い決意を知ってか知らずか、安倍首相はよりによって米国議会演説で「日本は米国と共に、冷戦に勝利した」と胸を張って語ったのだ。
この記事を書いたモスクワの駒木特派員は、その記事を次のように締めくくっている。「13年4月の安倍訪ロをきっかけに首脳間のパイプもつながりかけた。それが今、再び切れようとしている・・・」と。そんななまやさしいものではない。プーチン大統領は今度こそ安倍首相を許さないだろう。安倍首相がもっとも誇らしげに語る米国議会演説こそ、安倍対ロ外交の迷走のなれの果てだ。安倍外交の失敗だ。あれほどプーチン大統領との個人的関係を自慢していた安倍首相が、あれほど嫌っていたオバマ大統領に心もなくすり寄って、プーチン大統領を敵に回した。中国にもロシアにも敵視され、肝心の米国には搾り取られて最後は捨てられる。そんな安倍外交に、もはや活路はない。
■これも訪米歓待の代償…「米軍再編関係費」1.6倍になっていた(日刊ゲンダイ2015年5月10日)
安倍首相が米国で歓待された裏で、日本は法外な値段で米国からオスプレイを導入した。まさしく、安倍議会演説の代償は血税だったわけだが、怪しい話は他にもある。日本政府が米軍の駐留経費として負担する「在日米軍関係経費」だ。2014年度は4667億円だったが、今年度は5197億円に増加した。このうち目を引くのが「米軍再編関係費」だ。昨年の890億円から1426億円に増えた。実に60%増である。その内訳は「在沖米海兵隊のグアムへの移転」や「訓練移転のための事業」など7項目に及ぶ。中でも増加が目立つのが「空母艦載機の改編に関連した事業」で14年度の589億円から926億円に大幅に増えている。
このほか「沖縄における再編のための事業」が57億円から271億円に、「再編関連措置の円滑化を図るための事業」は105億円から158億円に増加した。そうか、これだけ米国に貢げば、安倍首相が重宝されるのは当然だ。 一体、この出費は妥当なのか。何のための費用なのか。防衛省に言わせたところ、以下のような説明だった。「『空母艦載機の改編――』は空母に配備されている飛行機の整備や配置転換の費用です。飛行機は空母が港に入港するたびに、いったん陸に上げてメンテナンスを受けます。また、厚木基地の飛行機の一部を岩国に配置する費用も含まれています。これによって厚木基地周辺の騒音が緩和されました。『沖縄における――』は空中給油機やオスプレイを岩国に訓練移転させる費用など。『再編関連の円滑化─―』は防衛省と外務省の担当者が渡米して米側と調整をはかる費用などです」(広報課)
要は米軍のメンテナンス費用を上積みしたということだ。 「わざと項目を多くして、外部からお金の流れが分からないようにしているようです」と言うのは軍事評論家の神浦元彰氏。 「米軍再編関係経費が増えたのは空中給油機『KC130』などの岩国移転が大きいでしょう。飛行機を移すと人間も動くので、基地内に何百軒もの住宅を造らなければならないのです。将校には広いキッチンに寝室が3つある豪華な家を建てる。そのほかの兵士にはタワーマンションを建設。プールやスポーツジム、運動場、大型スーパーまで造るので費用はかさむ一方です」このほか土壌の汚染除去費用を計上している可能性もあるという。 「13年に沖縄・嘉手納より南の米軍基地を返還する日米合意がなされました。これらの基地の土壌は枯葉剤や重金属などの有毒物質で汚染されているかもしれない。米側はトラブルを恐れて土壌をきれいにするでしょうが、それもこの経費が使われることになります」(神浦元彰氏)こうしたことが国会で問題視されていないのは野党の怠慢以外の何モノでもない。
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コメント
米議会での発言内容で揚げ足取っても仕方がありません。
同盟強化と希望のなんちゃらという対等性。それだけで十分です。
アメちゃんなしでは生きてはゆけぬという、現状追認と、さらに頑張りますという、何に頑張るのか国内の意識統一なしに、アメちゃんの意識統一を図ろうとしたというだけです。
コンプリートしたとすればそれまでで、アメちゃんのメディアは当然のことと考えているフシがあり、いまさらなんでしょう。
それよりも、地方自治が危ない。基礎自治体がいいのか都道府県の枠で広域行政を行うのかという変な二項対立になっていて、ことの次第では、総務省が奥の手を出してくる。県域を飛び出した広域連合の強化とか都道府県なんか無視しちゃえみたいな。
大阪の問題だけではなくて、前例主義のニッポンでは、YesでもNoでも、国に口実を与えてしまう。
三多摩は今も都から虐げられているわけですから、大阪の結果後でよいです。ぜひ、OTSUさんのお考えをお聞かせいただけないでしょうか。エントリにしていだだくとよいかと。リクエストになっちゃいますが。
投稿: でりしゃすぱんだ | 2015年5月11日 (月) 10時31分
でりしゃすぱんださん、コメントありがとうございました。
期待に応えられる記事になるのかどうかあまり自信はありませんが、新規記事のタイトルは「東京の自治と大阪都構想」として投稿する予定です。ぜひ、またご覧いただければ幸いですので、よろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2015年5月16日 (土) 21時33分
>平和主義を唱えた日本国憲法、その「特別さ」は誇るべきものであり
自民族優越主義ならぬ自国憲法優越主義です
非常に危険な思想だと思います
世界中の憲法は基本的に平和を唱えており、日本国憲法だけが特別平和主義ということはありません
「国家の政策の手段としての戦争」の放棄を定める規定は、フランス第4共和国憲法(1946年)やイタリア共和国憲法(1948年)など、数多くあります
さらには日本国憲法では核武装を禁止する条文はありませんし、自衛の範囲なら核武装も可能というのが歴代政権の憲法解釈ですが、カンボジアやリトアニアなどでは核武装を憲法により禁止しています
「日本国憲法は特別だ」という意識で諸外国と付き合ったら、間違いなく傲慢な国だと思われるでしょう
それぞれの国が、それぞれの国民により、特別な想いをもって作られものが憲法なのですから
もっとも、日本国憲法はGHQという連合国総司令部の監督・監視・指導のもとに作られたという意味では特別な憲法です
投稿: hayaike | 2015年6月19日 (金) 00時07分