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2015年4月19日 (日)

再審請求中の狭山事件

統一地方選挙の後半、政令市以外の基礎自治体の首長と議会議員の選挙が日曜に告示されます。投票日は1週間後となる短期決戦です。戦後まもない1947年、新憲法施行前に自治体の首長と議員の選挙が一斉に行なわれました。その後も任期はすべて4年ですので選挙への関心を高めるため、全国的に日程を統一してきました。ただ任期途中での首長の辞職や死去、議会の解散があった場合、統一地方選の日程から外れていきます。さらに最近の市町村合併の広がりによって、ますます統一的な日程で実施される選挙の数は減る傾向を強めていました。

現在、統一率は3割を下回り、27.52%となっています。ちなみに私が勤める自治体は都知事、都議会、市長、市議会、すべて統一地方選から外れています。それでも三多摩地区では3分の2ほどの自治体で、この時期に選挙が行なわれます。居住されている自治体で選挙が行なわれていた場合、ぜひ、組合ニュース等で案内している自治労都本部や連合東京が推薦する候補者へのご理解ご協力をよろしくお願いします。

さて、「公務員のためいき」というブログのタイトルでありながら前回の記事は「南京虐殺の問題から思うこと」であり、今回が「再審請求中の狭山事件」としています。ブログのタイトルから照らし合わせた際、そのギャップに戸惑いや「公務員なのに…」という違和感を与えてしまう場合もあるようです。右サイドバーのプロフィール欄にあるとおり自治労に所属している市職員労働組合の一役員の立場から発信している記事が多いため、政治や平和に関わる内容も多くなっています。

このブログの開設した目的を踏まえ、私どもの組合の活動や方針に関する題材を意識的に数多く取り上げています。もちろん労働組合の最も重要な役割は組合員の雇用や生活を守ることであり、労働条件の問題は使用者側と労使交渉を通して決めていきます。一方で、労使交渉だけでは解決できない社会的・政治的な課題に対し、多くの組合が集まって影響力を高めながら平和で暮らしやすい社会をめざし、組合員の利益に繋がるような運動にも取り組んでいます。

そのような中で集団的自衛権原発などの課題に取り組む自治労は、いわゆる右か左かで言えば左に位置する団体だと見られています。ただ自治労の組合員の皆さん全員が左に位置付けられる運動に共感しているのかどうか問われれば「否」と答えなければならない現状です。個々人の価値観が多様化する中、避けられない現状だと言えますが、組合と組合員の皆さんとの問題意識に溝が広がれば広がるほど組合活動全体に対する結集力の低下に拍車をかけていくことになります。

このような現状を危惧しているため、社会的・政治的な活動の必要性や意義に関しては、よりいっそう丁寧に情報発信しながら理解を求めていくように心がけています。そのため、このブログでも前述したとおり意識的に幅広いテーマの記事を投稿してきています。そのような問題意識を踏まえ、前置きが長くなりましたが、今回、狭山事件に関して書き進めてみます。 実は先週金曜の夜、三多摩平和運動センターらが呼びかけた「狭山事件の再審を求める三多摩集会」に参加していました。

その集会の冒頭、狭山事件について簡潔な説明が加えられていました。この機会に他の資料等からの内容も付け加えながら狭山事件について改めて振り返ってみます。1963年5月1日、埼玉県狭山市で女子高校生が行方不明になり、自宅に脅迫状が届けられました。5月2日夜、身代金を取りに現われた犯人を40人もの警官が張り込みながら取り逃がしました。5月4日、遺体となった女子高校生が麦畑で発見され、警察の失態に世論の非難が集中しました。

捜査に行き詰った警察は付近の被差別部落に見込み捜査を集中し、5月23日、当時24歳だった石川一雄さんを別件で逮捕しました。「犯罪の温床・農村スラム」「環境のゆがみ」などと新聞が偏見を煽り、「あんなことをするのは部落民に違いない」という差別意識が強まっていました。石川さんは1か月にわたって留置されながら取り調べを受け、嘘の自白の強要や誘導を執拗に繰り返された結果、犯人に仕立て上げられていきました。

石川さん一家の生計を支える兄が真犯人であるような話を示唆され、自分が身代わりになると決めたという不当な取り調べの経緯も後から明らかになっています。さらに取り調べを担当した刑事は「自白したら10年で出してやる。男の約束だ」と話し、その口約束を石川さんは信じて否認から自白に転じ、一審で罪を認めていました。しかし、1964年3月11日、一審では死刑判決が示されました。ちなみに死刑判決が下された後、石川さんは兄にアリバイがあることを知りました。

控訴した二審、1964年9月10日の東京高裁第1回公判で石川さんは「俺はやっていない」と無実を訴えました。これ以降、石川さんの無実を信じ、部落差別事件として運動が広がるようになっていきました。しかしながら1974年10月31日、二審では無期懲役判決が下されました。1977年8月9日には最高裁が上告を棄却し、無期懲役判決が確定しました。石川さんは直ちに再審請求を申し立てましたが、第一次再審請求はまったく事実調べもなく棄却されました。

1986年8月に第二次再審請求を東京高裁に申し立てるとともに、すべての証拠の開示と事実調べを行なうよう東京高裁、東京高検に対して求めました。1999年7月9日、東京高裁の高木裁判長は事実調べも行なわないまま抜き打ち的に再審請求を棄却しました。この不当な棄却決定に対し、7月12日、弁護団は直ちに東京高裁に異議申立を行なっていました。この間、1994年12月21日、石川さんは31年間の服役を経て仮釈放されました。1996年には狭山事件の支援者の一人だった早智子さんと石川さんが結婚されていました。2006年5月23日、第三次再審請求を開始し、現在に至っています。

ここで再審について少し調べてみました。判決が確定した事件について、法に定められた事由がある場合に判決を取り消し、裁判の審理をやり直すよう申し立てること及びその手続きを再審と呼びます。再審を請求できる事由としては、虚偽の証言や偽造・変造された証拠などが判決の証拠となったことが証明された時(刑事・民事)、被告人の利益となる新たな証拠が発見された時(刑事)などがあります。刑事事件で再審が開始された場合、刑の執行を停止することができます。死刑確定後に再審によって無罪となった事件に免田事件足利事件などがあります。

もともと狭山事件が冤罪であることを指し示す事例は多数あります。2度の徹底した家宅捜査で発見できなかった万年筆が、事件から2か月近く経って石川さんの自宅の鴨居で見つかっていました。検察は被害者の万年筆だと主張しましたが、インクの色が誘拐当日に使っていたライトブルーではなくブルーブラックで、石川さんの指紋も付いていませんでした。当時、石川さんは小学校にも通っていなかったため、文盲で漢字交じりの脅迫状は書けないはずでした。それが脅迫状を手本に何度も書き写しをさせられ、筆跡鑑定で同じ筆跡とされたものが証拠となっていました。

本来、このような捏造の疑いのある証拠だけでも無実になって然るべき事件だろうと思っています。2009年12月16日には東京高裁が東京高検に対して証拠開示勧告を行ない、続々と石川さんの無実を示す証拠リストの存在が明らかになっています。その中には逮捕された直後、石川さんが狭山署長あてに書いた上申書もあり、脅迫状の筆跡との違いが一目瞭然だそうです。警察官による取り調べ時の録音テープからは石川さんの自白を事件とのつじつまが合うように誘導している様子を伝えていました。

「狭山事件の再審を求める三多摩集会」では開示された証拠品の説明があり、ますます石川さんの無実を確信する場となっていました。狭山事件に限りませんが、冤罪が濃厚だと見込まれても死刑や無期懲役の判決を三審制の中で容易に覆せない現状です。検察側にとって不利になる証拠を隠したまま裁判が進むケースの多さの裏返しだろうと思っています。再審に至り、死刑判決が覆った事件も少なくありません。そのことは冤罪のまま命を奪われた「死刑囚」の存在を否定できない恐ろしさに繋がっています。

Facebook「狭山事件の再審を実現しよう」を通し、石川さんと早智子さんの二人三脚での奮闘ぶりが垣間見れます。みえない手錠をはずすまで、お二人は全国各地を飛び回っています。三多摩集会でも再審に向けた力強い決意をお二人から伺うことができています。狭山事件は石川さんの問題ですが、石川さん一人だけの問題ではありません。今後、このような冤罪事件を繰り返させないためには皆で力を合わせ、声を上げていくことが大切です。労働組合としても、できることをできる範囲で力を注いでいく課題だと考えています。私自身ができることの一つとして、今回、このブログでも取り上げることを試みてみました。

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