再び、戦後70年談話について
歓送迎会のシーズンです。金曜夜、職場の歓送迎会があり、2次会でカラオケボックスに行きました。1時間延長し、3時間、皆で楽しく過ごしました。精算時、「えっ?!」と一同驚くことになりました。特に料理を多く頼んだ訳でもないのに一人あたり7千円ほどの請求でした。30分千円の飲み放題コースだったため、それだけで一人6千円という内訳になっていました。あまり詳しく確認しないまま「飲み放題のコースもありますが…?」「それでお願いします」というやり取りだったようです。
皆それぞれ歌うほうに夢中で到底6千円分も飲んでいません。詳しく確認しなかった、もしくは型通りの説明を聞き流してしまった客側の責任だと言われればその通りだろうと思います。私が幹事役を引き受けた別の日のことです。料理が付いて飲み放題3,500円というお得なサービスコースのある店をネット上で見つけ、電話で予約しました。すると当日、そのコースは発泡酒のみでビールを付ける場合は追加料金が必要だという説明を受けました。確かに後からネット上のサイトをよく調べるとそのような説明も加えられていました。
結局、一人あたり5千円ほどでそれほど高い店ではありませんが、後味の悪さを残していました。両方の店、それぞれ客側の確認不足であり、店側に落ち度はありません。しかし、もう二度と足を運ばないだろうという結論に至っています。もう一言付け加えることで店側の売り上げが落ちる、予約を受ける機会を逃す場合があるかも知れません。それでも長い目で見た時、そのような一言はリピーターを増やす「おもてなし」に繋がっていくように感じています。
さて、今回の記事タイトルの本題に結び付く前置きだったとすれば、発した言葉が他者にどのように伝わるのか、伝え切れているのかどうか、そのような論点を取り出すことができます。最近の記事に「戦後70年談話について」があり、最後のほうで「日本の国民にとって何が最も大事なのか、この論点を重視した判断に至ることを心から願っています」と記していました。最近、この70年談話に関わるニュースを耳にし、「Part2」とするよりも「再び」を付けたタイトルとして思うことを改めて書き進めてみます。
安倍晋三首相は20日夜に出演したBSフジ番組で、今夏に発表する戦後70年談話に「侵略」や「おわび」などを盛り込むかどうかについて「(村山富市首相談話などと)同じことなら談話を出す必要がない。(過去の内閣の歴史認識を)引き継いでいくと言っている以上、これをもう一度書く必要はない」と述べ、否定的な見解を重ねて示した。新たな談話では、戦後50年の村山談話に盛り込まれた「植民地支配と侵略」や「痛切な反省」などの表現をどう扱うかが焦点。首相は番組で「私の考え方がどのように伝わっていくかが大切だ」と強調。
「歴史認識においては(歴代内閣の)基本的な考え方は継いでいくと申し上げている。そこ(過去の談話)に書かれていることについては、引き継いでいく」とも語った。一方で首相は、21日からのインドネシア訪問に合わせた中国の習近平国家主席との日中首脳会談について、「まだ何も決まっていないが、自然な形でそういう機会が設けられるなら、お目にかかる用意がある」と意欲を表明。「意思の疎通をすることは両国にとって必要だ」と述べた。【時事通信2015年4月20日】
この安倍首相の判断について、私自身の考え方は最近のいくつかの記事に綴っている通りです。歴史修正主義者というレッテルを貼られがちな安倍首相だからこそ、あえて意識的に明解な言葉を盛り込む必要性があるように感じています。今さら70年談話は出さないという方針転換もそれはそれで物議を醸すのでしょうから、発表するのであれば焦点化されている「侵略」や「お詫び」の言葉にも触れた談話内容が欠かせないはずです。そのように考えていた矢先、読売新聞も社説で安倍首相に対して次のような苦言を呈していました。
安倍首相は戦後70年談話で、先の大戦での「侵略」に一切言及しないつもりなのだろうか。首相がBS番組で、戦後50年の村山談話に含まれる「侵略」や「お詫わび」といった文言を、今夏に発表する70年談話に盛り込むことについて、否定的な考えを示した。「同じことを言うなら、談話を出す必要がない」と語った。「(歴代内閣の)歴史認識を引き継ぐと言っている以上、もう一度書く必要はない」とも明言した。村山談話は、日本が「植民地支配と侵略」によってアジア諸国などに「多大の損害と苦痛」を与えたことに、「痛切な反省」と「心からのお詫び」を表明した。
戦後60年の小泉談話も、こうした表現を踏襲している。安倍首相には、10年ごとの節目を迎える度に侵略などへの謝罪を繰り返すパターンを、そろそろ脱却したい気持ちがあるのだろう。その問題意識は理解できる。首相は70年談話について、先の大戦への反省を踏まえた日本の平和国家としての歩みや、今後の国際貢献などを強調する考えを示している。「未来志向」に力点を置くことに問題はなかろう。しかし、戦後日本が侵略の非を認めたところから出発した、という歴史認識を抜きにして、この70年を総括することはできまい。首相は一昨年4月、国会で「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と発言した。侵略の定義について国際法上、様々な議論があるのは事実だが、少なくとも1931年の満州事変以降の旧日本軍の行動が侵略だったことは否定できない。
例えば、広辞苑は、侵略を「他国に侵入してその領土や財物を奪いとること」と定義し、多くの国民にも一定の共通理解がある。談話が「侵略」に言及しないことは、その事実を消したがっているとの誤解を招かないか。政治は、自己満足の産物であってはならない。首相は一昨年12月、靖国神社を参拝したことで、中韓両国の反発だけでなく、米国の「失望」を招いた。その後、日本外交の立て直しのため、多大なエネルギーを要したことを忘れてはなるまい。70年談話はもはや、首相ひとりのものではない。日本全体の立場を代表するものとして、国内外で受け止められている。首相は、談話内容について、多くの人の意見に謙虚に耳を傾け、大局的な見地から賢明な選択をすることが求められよう。【読売新聞2015年4月22日 】
いつも私自身の問題意識と読売新聞の論調はすれ違う場合が多いのですが、今回の社説の内容は完全に一致しています。「政治は、自己満足の産物であってはならない」という記述から「70年談話はもはや、首相ひとりのものではない。日本全体の立場を代表するものとして、国内外で受け止められている。首相は、談話内容について、多くの人の意見に謙虚に耳を傾け、大局的な見地から賢明な選択をすることが求められよう」と結ばれている言葉は、まさしく私自身の問題意識と同じものでした。
インドネシア・ジャカルタで22日行われたアジア・アフリカ会議(バンドン会議)首脳会議での安倍首相の演説に先立ち、首相のブレーンのある学者は、首相に進言した。「1955年のバンドン会議の『平和10原則』には、帝国主義と植民地支配に言及した部分がある。これを引用したらどうか。『反省』を言うなら、英語訳で『deep remorse』と表現するのがいい」 演説では結局、「帝国主義」や「植民地支配」という言葉を首相が嫌い、引用を見送ったが、10原則の別の部分に「侵略」の文言があることを見つけ、こちらを引用することにした。先の大戦での日本の侵略には言及せずに、「侵略」の文言を使って自省の心を表す手法は「偶然の産物」(首相周辺)だった。演説では、「深い反省」(deep remorse)も表明した。村山首相談話や小泉首相談話にも入っている。「内省」の意味に近い「reflection」と訳すことも検討したが、首相はブレーンの進言を選択した。【読売新聞2015年4月24日 】
先日、インドネシアで開かれたアジア・アフリカ会議での安倍首相の演説には謝罪の言葉はなく、「侵略」という言葉も60年前にバンドンで確認した原則の一文を引用する形で触れられただけでした。読売新聞が上記のとおり内幕を伝えていましたが、英訳も含め、一言一句を練り上げて臨んでいる努力の跡は理解できます。参加国の反応として、韓国外交省は「植民地支配と侵略」に対する謝罪と反省という「核心的な表現」を落としたと批判しています。一方で、ミャンマーのワナマウンルウィン外相は「アジアとアフリカの途上国と協力を深めていく姿勢が示されて、いい演説だった」と評価し、「侵略」や「お詫び」については「特に我々が言うべきことはない」としています。
マレーシアのチーク通信マルチメディア相は「(お詫びがなかったことに)大きな意味は見いだしていない。日本による占領という暗い時代、残酷な時代を多くのアジア人は心のなかに覚えている。しかし、今は前進すべき時だ。貧困のない、正義ある社会をどうつくるか。協力し合う必要がある」とし、カンボジアのホー・ナムホン外相も「(お詫びなどの言及は)安倍首相が判断すること」、インドネシアの外務次官は「演説で触れられていない言葉についてコメントはない」と話し、主な関心は日本によるアジア・アフリカ地域への積極的な経済関与だとされているようです。ちなみに中国の対応に関しては次のような報道を目にしていました。
安倍晋三首相と中国の習近平国家主席による日中首脳会談は、昨年11月の前回とは打って変わって「和やかな雰囲気」(同行筋)で行われた。だが、歴史認識やアジアインフラ投資銀行(AIIB)などに関しては、意見の隔たりは大きいままだった。「せっかくの機会だから、中日関係の発展について安倍首相の見解を聞かせてほしい」 22日夕、会談会場で首相を出迎えた習氏は、笑顔で首相と握手をした後、ソファに座ってこう切り出した。会談後も、会談内容を質問しようと習氏を追いかける50人近い記者団に笑顔で何度も手を振り、友好ムードを醸し出した。
だが、歴史認識問題になると習氏は態度を一変。「歴史を正視する積極的なメッセージを出すことを望む」などと、何度も首相にくぎを刺すことを忘れなかった。これには首相も即座に反論し、緊張が走った。午前中のバンドン会議60周年記念首脳会議でも、こんな場面があった。「プライムミニスター、シンゾー・アベ」 場内に首相の名前がアナウンスされ、演説が始まる直前のことだった。それまで各国首脳の演説に耳を傾けていた習氏が突然、席を立って会場を後にしてしまったのだ。その時の習氏の「無表情」ぶりは、昨年11月の首脳会談で見せた態度を彷彿とさせた。中国側は首相の演説を、今夏に出す戦後70年談話の「原型」とみなし、注視していた。
バンドン会議50周年の2005年の首脳会議では、当時の小泉純一郎首相が過去の「植民地支配」や「侵略」を謝罪した戦後50年の村山富市首相談話を踏襲する演説を行い、同年8月に出された小泉談話にも引き継がれた経緯がある。しかし、首相はこれまで「歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継ぐ」としながらも、戦後70年談話では、過去の首相談話の文言をそのまま踏襲することはしない考えを示してきた。首相の演説が、中国側にとって満足のいかない内容になることは、火を見るより明らかだった。それを黙って聞かされることは、メンツを重んじる習氏にとって耐えかねる屈辱だったとの見方もある。
実際、首相の演説は「未来志向」の色合いが前面に出た。戦後日本が平和国家としてアジアやアフリカで果たしてきた貢献の実績をアピール。注目を集めた「侵略」という言葉は「バンドン10原則」を引用する形で触れたが、日本の行為としての文脈では使わなかった。代わりに首相は「バンドンの先人たちの知恵は、法の支配が大小に関係なく、国家の尊厳を守るということだった」と指摘。南シナ海などで力による現状変更を試みる中国を牽制したとみられる。首相はまた、アジア、アフリカに対する新たな人材育成支援策を表明した。AIIBを活用した「ハコモノ」開発を画策する中国との差を鮮明に打ち出した形だ。【産経新聞2015年4月23日 】
「侵略された」「謝罪が不足している」などと騒いでいるのは中国、韓国、北朝鮮という「特定アジア」の国だけだと指摘する声を耳にすることがあります。実際、その通りなのかも知れませんが、過去の関係性の深さも斟酌しなければならないはずです。また、それぞれの国の政治的な思惑や戦略もあるのでしょうが、最も近い国々と険悪な関係が続くことを決して「是」とすべきではありません。報道内容を数多く引用したため、たいへん長い記事となりましたが、戦後70年談話、安倍首相の「自己満足の産物であってはならない」という言葉を添えながら改めて日本の国民にとって何が最も大事なのか、この論点を重視した伝え方に繋がることを強く願っています。
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