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2015年4月25日 (土)

再び、戦後70年談話について

歓送迎会のシーズンです。金曜夜、職場の歓送迎会があり、2次会でカラオケボックスに行きました。1時間延長し、3時間、皆で楽しく過ごしました。精算時、「えっ?!」と一同驚くことになりました。特に料理を多く頼んだ訳でもないのに一人あたり7千円ほどの請求でした。30分千円の飲み放題コースだったため、それだけで一人6千円という内訳になっていました。あまり詳しく確認しないまま「飲み放題のコースもありますが…?」「それでお願いします」というやり取りだったようです。

皆それぞれ歌うほうに夢中で到底6千円分も飲んでいません。詳しく確認しなかった、もしくは型通りの説明を聞き流してしまった客側の責任だと言われればその通りだろうと思います。私が幹事役を引き受けた別の日のことです。料理が付いて飲み放題3,500円というお得なサービスコースのある店をネット上で見つけ、電話で予約しました。すると当日、そのコースは発泡酒のみでビールを付ける場合は追加料金が必要だという説明を受けました。確かに後からネット上のサイトをよく調べるとそのような説明も加えられていました。

結局、一人あたり5千円ほどでそれほど高い店ではありませんが、後味の悪さを残していました。両方の店、それぞれ客側の確認不足であり、店側に落ち度はありません。しかし、もう二度と足を運ばないだろうという結論に至っています。もう一言付け加えることで店側の売り上げが落ちる、予約を受ける機会を逃す場合があるかも知れません。それでも長い目で見た時、そのような一言はリピーターを増やす「おもてなし」に繋がっていくように感じています。

さて、今回の記事タイトルの本題に結び付く前置きだったとすれば、発した言葉が他者にどのように伝わるのか、伝え切れているのかどうか、そのような論点を取り出すことができます。最近の記事に「戦後70年談話について」があり、最後のほうで「日本の国民にとって何が最も大事なのか、この論点を重視した判断に至ることを心から願っています」と記していました。最近、この70年談話に関わるニュースを耳にし、「Part2」とするよりも「再び」を付けたタイトルとして思うことを改めて書き進めてみます。

安倍晋三首相は20日夜に出演したBSフジ番組で、今夏に発表する戦後70年談話に「侵略」や「おわび」などを盛り込むかどうかについて「(村山富市首相談話などと)同じことなら談話を出す必要がない。(過去の内閣の歴史認識を)引き継いでいくと言っている以上、これをもう一度書く必要はない」と述べ、否定的な見解を重ねて示した。新たな談話では、戦後50年の村山談話に盛り込まれた「植民地支配と侵略」や「痛切な反省」などの表現をどう扱うかが焦点。首相は番組で「私の考え方がどのように伝わっていくかが大切だ」と強調。

「歴史認識においては(歴代内閣の)基本的な考え方は継いでいくと申し上げている。そこ(過去の談話)に書かれていることについては、引き継いでいく」とも語った。一方で首相は、21日からのインドネシア訪問に合わせた中国の習近平国家主席との日中首脳会談について、「まだ何も決まっていないが、自然な形でそういう機会が設けられるなら、お目にかかる用意がある」と意欲を表明。「意思の疎通をすることは両国にとって必要だ」と述べた。【時事通信2015年4月20日

この安倍首相の判断について、私自身の考え方は最近のいくつかの記事に綴っている通りです。歴史修正主義者というレッテルを貼られがちな安倍首相だからこそ、あえて意識的に明解な言葉を盛り込む必要性があるように感じています。今さら70年談話は出さないという方針転換もそれはそれで物議を醸すのでしょうから、発表するのであれば焦点化されている「侵略」や「お詫び」の言葉にも触れた談話内容が欠かせないはずです。そのように考えていた矢先、読売新聞も社説で安倍首相に対して次のような苦言を呈していました。

安倍首相は戦後70年談話で、先の大戦での「侵略」に一切言及しないつもりなのだろうか。首相がBS番組で、戦後50年の村山談話に含まれる「侵略」や「お詫わび」といった文言を、今夏に発表する70年談話に盛り込むことについて、否定的な考えを示した。「同じことを言うなら、談話を出す必要がない」と語った。「(歴代内閣の)歴史認識を引き継ぐと言っている以上、もう一度書く必要はない」とも明言した。村山談話は、日本が「植民地支配と侵略」によってアジア諸国などに「多大の損害と苦痛」を与えたことに、「痛切な反省」と「心からのお詫び」を表明した。

戦後60年の小泉談話も、こうした表現を踏襲している。安倍首相には、10年ごとの節目を迎える度に侵略などへの謝罪を繰り返すパターンを、そろそろ脱却したい気持ちがあるのだろう。その問題意識は理解できる。首相は70年談話について、先の大戦への反省を踏まえた日本の平和国家としての歩みや、今後の国際貢献などを強調する考えを示している。「未来志向」に力点を置くことに問題はなかろう。しかし、戦後日本が侵略の非を認めたところから出発した、という歴史認識を抜きにして、この70年を総括することはできまい。首相は一昨年4月、国会で「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と発言した。侵略の定義について国際法上、様々な議論があるのは事実だが、少なくとも1931年の満州事変以降の旧日本軍の行動が侵略だったことは否定できない。

例えば、広辞苑は、侵略を「他国に侵入してその領土や財物を奪いとること」と定義し、多くの国民にも一定の共通理解がある。談話が「侵略」に言及しないことは、その事実を消したがっているとの誤解を招かないか。政治は、自己満足の産物であってはならない。首相は一昨年12月、靖国神社を参拝したことで、中韓両国の反発だけでなく、米国の「失望」を招いた。その後、日本外交の立て直しのため、多大なエネルギーを要したことを忘れてはなるまい。70年談話はもはや、首相ひとりのものではない。日本全体の立場を代表するものとして、国内外で受け止められている。首相は、談話内容について、多くの人の意見に謙虚に耳を傾け、大局的な見地から賢明な選択をすることが求められよう。【読売新聞2015年4月22日

いつも私自身の問題意識と読売新聞の論調はすれ違う場合が多いのですが、今回の社説の内容は完全に一致しています。「政治は、自己満足の産物であってはならない」という記述から「70年談話はもはや、首相ひとりのものではない。日本全体の立場を代表するものとして、国内外で受け止められている。首相は、談話内容について、多くの人の意見に謙虚に耳を傾け、大局的な見地から賢明な選択をすることが求められよう」と結ばれている言葉は、まさしく私自身の問題意識と同じものでした。

インドネシア・ジャカルタで22日行われたアジア・アフリカ会議(バンドン会議)首脳会議での安倍首相の演説に先立ち、首相のブレーンのある学者は、首相に進言した。「1955年のバンドン会議の『平和10原則』には、帝国主義と植民地支配に言及した部分がある。これを引用したらどうか。『反省』を言うなら、英語訳で『deep remorse』と表現するのがいい」 演説では結局、「帝国主義」や「植民地支配」という言葉を首相が嫌い、引用を見送ったが、10原則の別の部分に「侵略」の文言があることを見つけ、こちらを引用することにした。先の大戦での日本の侵略には言及せずに、「侵略」の文言を使って自省の心を表す手法は「偶然の産物」(首相周辺)だった。演説では、「深い反省」(deep remorse)も表明した。村山首相談話や小泉首相談話にも入っている。「内省」の意味に近い「reflection」と訳すことも検討したが、首相はブレーンの進言を選択した。【読売新聞2015年4月24日

先日、インドネシアで開かれたアジア・アフリカ会議での安倍首相の演説には謝罪の言葉はなく、「侵略」という言葉も60年前にバンドンで確認した原則の一文を引用する形で触れられただけでした。読売新聞が上記のとおり内幕を伝えていましたが、英訳も含め、一言一句を練り上げて臨んでいる努力の跡は理解できます。参加国の反応として、韓国外交省は「植民地支配と侵略」に対する謝罪と反省という「核心的な表現」を落としたと批判しています。一方で、ミャンマーのワナマウンルウィン外相は「アジアとアフリカの途上国と協力を深めていく姿勢が示されて、いい演説だった」と評価し、「侵略」や「お詫び」については「特に我々が言うべきことはない」としています。

マレーシアのチーク通信マルチメディア相は「(お詫びがなかったことに)大きな意味は見いだしていない。日本による占領という暗い時代、残酷な時代を多くのアジア人は心のなかに覚えている。しかし、今は前進すべき時だ。貧困のない、正義ある社会をどうつくるか。協力し合う必要がある」とし、カンボジアのホー・ナムホン外相も「(お詫びなどの言及は)安倍首相が判断すること」、インドネシアの外務次官は「演説で触れられていない言葉についてコメントはない」と話し、主な関心は日本によるアジア・アフリカ地域への積極的な経済関与だとされているようです。ちなみに中国の対応に関しては次のような報道を目にしていました。

安倍晋三首相と中国の習近平国家主席による日中首脳会談は、昨年11月の前回とは打って変わって「和やかな雰囲気」(同行筋)で行われた。だが、歴史認識やアジアインフラ投資銀行(AIIB)などに関しては、意見の隔たりは大きいままだった。「せっかくの機会だから、中日関係の発展について安倍首相の見解を聞かせてほしい」 22日夕、会談会場で首相を出迎えた習氏は、笑顔で首相と握手をした後、ソファに座ってこう切り出した。会談後も、会談内容を質問しようと習氏を追いかける50人近い記者団に笑顔で何度も手を振り、友好ムードを醸し出した。

だが、歴史認識問題になると習氏は態度を一変。「歴史を正視する積極的なメッセージを出すことを望む」などと、何度も首相にくぎを刺すことを忘れなかった。これには首相も即座に反論し、緊張が走った。午前中のバンドン会議60周年記念首脳会議でも、こんな場面があった。「プライムミニスター、シンゾー・アベ」 場内に首相の名前がアナウンスされ、演説が始まる直前のことだった。それまで各国首脳の演説に耳を傾けていた習氏が突然、席を立って会場を後にしてしまったのだ。その時の習氏の「無表情」ぶりは、昨年11月の首脳会談で見せた態度を彷彿とさせた。中国側は首相の演説を、今夏に出す戦後70年談話の「原型」とみなし、注視していた。

バンドン会議50周年の2005年の首脳会議では、当時の小泉純一郎首相が過去の「植民地支配」や「侵略」を謝罪した戦後50年の村山富市首相談話を踏襲する演説を行い、同年8月に出された小泉談話にも引き継がれた経緯がある。しかし、首相はこれまで「歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継ぐ」としながらも、戦後70年談話では、過去の首相談話の文言をそのまま踏襲することはしない考えを示してきた。首相の演説が、中国側にとって満足のいかない内容になることは、火を見るより明らかだった。それを黙って聞かされることは、メンツを重んじる習氏にとって耐えかねる屈辱だったとの見方もある。

実際、首相の演説は「未来志向」の色合いが前面に出た。戦後日本が平和国家としてアジアやアフリカで果たしてきた貢献の実績をアピール。注目を集めた「侵略」という言葉は「バンドン10原則」を引用する形で触れたが、日本の行為としての文脈では使わなかった。代わりに首相は「バンドンの先人たちの知恵は、法の支配が大小に関係なく、国家の尊厳を守るということだった」と指摘。南シナ海などで力による現状変更を試みる中国を牽制したとみられる。首相はまた、アジア、アフリカに対する新たな人材育成支援策を表明した。AIIBを活用した「ハコモノ」開発を画策する中国との差を鮮明に打ち出した形だ。【産経新聞2015年4月23日

「侵略された」「謝罪が不足している」などと騒いでいるのは中国、韓国、北朝鮮という「特定アジア」の国だけだと指摘する声を耳にすることがあります。実際、その通りなのかも知れませんが、過去の関係性の深さも斟酌しなければならないはずです。また、それぞれの国の政治的な思惑や戦略もあるのでしょうが、最も近い国々と険悪な関係が続くことを決して「是」とすべきではありません。報道内容を数多く引用したため、たいへん長い記事となりましたが、戦後70年談話、安倍首相の「自己満足の産物であってはならない」という言葉を添えながら改めて日本の国民にとって何が最も大事なのか、この論点を重視した伝え方に繋がることを強く願っています。

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2015年4月19日 (日)

再審請求中の狭山事件

統一地方選挙の後半、政令市以外の基礎自治体の首長と議会議員の選挙が日曜に告示されます。投票日は1週間後となる短期決戦です。戦後まもない1947年、新憲法施行前に自治体の首長と議員の選挙が一斉に行なわれました。その後も任期はすべて4年ですので選挙への関心を高めるため、全国的に日程を統一してきました。ただ任期途中での首長の辞職や死去、議会の解散があった場合、統一地方選の日程から外れていきます。さらに最近の市町村合併の広がりによって、ますます統一的な日程で実施される選挙の数は減る傾向を強めていました。

現在、統一率は3割を下回り、27.52%となっています。ちなみに私が勤める自治体は都知事、都議会、市長、市議会、すべて統一地方選から外れています。それでも三多摩地区では3分の2ほどの自治体で、この時期に選挙が行なわれます。居住されている自治体で選挙が行なわれていた場合、ぜひ、組合ニュース等で案内している自治労都本部や連合東京が推薦する候補者へのご理解ご協力をよろしくお願いします。

さて、「公務員のためいき」というブログのタイトルでありながら前回の記事は「南京虐殺の問題から思うこと」であり、今回が「再審請求中の狭山事件」としています。ブログのタイトルから照らし合わせた際、そのギャップに戸惑いや「公務員なのに…」という違和感を与えてしまう場合もあるようです。右サイドバーのプロフィール欄にあるとおり自治労に所属している市職員労働組合の一役員の立場から発信している記事が多いため、政治や平和に関わる内容も多くなっています。

このブログの開設した目的を踏まえ、私どもの組合の活動や方針に関する題材を意識的に数多く取り上げています。もちろん労働組合の最も重要な役割は組合員の雇用や生活を守ることであり、労働条件の問題は使用者側と労使交渉を通して決めていきます。一方で、労使交渉だけでは解決できない社会的・政治的な課題に対し、多くの組合が集まって影響力を高めながら平和で暮らしやすい社会をめざし、組合員の利益に繋がるような運動にも取り組んでいます。

そのような中で集団的自衛権原発などの課題に取り組む自治労は、いわゆる右か左かで言えば左に位置する団体だと見られています。ただ自治労の組合員の皆さん全員が左に位置付けられる運動に共感しているのかどうか問われれば「否」と答えなければならない現状です。個々人の価値観が多様化する中、避けられない現状だと言えますが、組合と組合員の皆さんとの問題意識に溝が広がれば広がるほど組合活動全体に対する結集力の低下に拍車をかけていくことになります。

このような現状を危惧しているため、社会的・政治的な活動の必要性や意義に関しては、よりいっそう丁寧に情報発信しながら理解を求めていくように心がけています。そのため、このブログでも前述したとおり意識的に幅広いテーマの記事を投稿してきています。そのような問題意識を踏まえ、前置きが長くなりましたが、今回、狭山事件に関して書き進めてみます。 実は先週金曜の夜、三多摩平和運動センターらが呼びかけた「狭山事件の再審を求める三多摩集会」に参加していました。

その集会の冒頭、狭山事件について簡潔な説明が加えられていました。この機会に他の資料等からの内容も付け加えながら狭山事件について改めて振り返ってみます。1963年5月1日、埼玉県狭山市で女子高校生が行方不明になり、自宅に脅迫状が届けられました。5月2日夜、身代金を取りに現われた犯人を40人もの警官が張り込みながら取り逃がしました。5月4日、遺体となった女子高校生が麦畑で発見され、警察の失態に世論の非難が集中しました。

捜査に行き詰った警察は付近の被差別部落に見込み捜査を集中し、5月23日、当時24歳だった石川一雄さんを別件で逮捕しました。「犯罪の温床・農村スラム」「環境のゆがみ」などと新聞が偏見を煽り、「あんなことをするのは部落民に違いない」という差別意識が強まっていました。石川さんは1か月にわたって留置されながら取り調べを受け、嘘の自白の強要や誘導を執拗に繰り返された結果、犯人に仕立て上げられていきました。

石川さん一家の生計を支える兄が真犯人であるような話を示唆され、自分が身代わりになると決めたという不当な取り調べの経緯も後から明らかになっています。さらに取り調べを担当した刑事は「自白したら10年で出してやる。男の約束だ」と話し、その口約束を石川さんは信じて否認から自白に転じ、一審で罪を認めていました。しかし、1964年3月11日、一審では死刑判決が示されました。ちなみに死刑判決が下された後、石川さんは兄にアリバイがあることを知りました。

控訴した二審、1964年9月10日の東京高裁第1回公判で石川さんは「俺はやっていない」と無実を訴えました。これ以降、石川さんの無実を信じ、部落差別事件として運動が広がるようになっていきました。しかしながら1974年10月31日、二審では無期懲役判決が下されました。1977年8月9日には最高裁が上告を棄却し、無期懲役判決が確定しました。石川さんは直ちに再審請求を申し立てましたが、第一次再審請求はまったく事実調べもなく棄却されました。

1986年8月に第二次再審請求を東京高裁に申し立てるとともに、すべての証拠の開示と事実調べを行なうよう東京高裁、東京高検に対して求めました。1999年7月9日、東京高裁の高木裁判長は事実調べも行なわないまま抜き打ち的に再審請求を棄却しました。この不当な棄却決定に対し、7月12日、弁護団は直ちに東京高裁に異議申立を行なっていました。この間、1994年12月21日、石川さんは31年間の服役を経て仮釈放されました。1996年には狭山事件の支援者の一人だった早智子さんと石川さんが結婚されていました。2006年5月23日、第三次再審請求を開始し、現在に至っています。

ここで再審について少し調べてみました。判決が確定した事件について、法に定められた事由がある場合に判決を取り消し、裁判の審理をやり直すよう申し立てること及びその手続きを再審と呼びます。再審を請求できる事由としては、虚偽の証言や偽造・変造された証拠などが判決の証拠となったことが証明された時(刑事・民事)、被告人の利益となる新たな証拠が発見された時(刑事)などがあります。刑事事件で再審が開始された場合、刑の執行を停止することができます。死刑確定後に再審によって無罪となった事件に免田事件足利事件などがあります。

もともと狭山事件が冤罪であることを指し示す事例は多数あります。2度の徹底した家宅捜査で発見できなかった万年筆が、事件から2か月近く経って石川さんの自宅の鴨居で見つかっていました。検察は被害者の万年筆だと主張しましたが、インクの色が誘拐当日に使っていたライトブルーではなくブルーブラックで、石川さんの指紋も付いていませんでした。当時、石川さんは小学校にも通っていなかったため、文盲で漢字交じりの脅迫状は書けないはずでした。それが脅迫状を手本に何度も書き写しをさせられ、筆跡鑑定で同じ筆跡とされたものが証拠となっていました。

本来、このような捏造の疑いのある証拠だけでも無実になって然るべき事件だろうと思っています。2009年12月16日には東京高裁が東京高検に対して証拠開示勧告を行ない、続々と石川さんの無実を示す証拠リストの存在が明らかになっています。その中には逮捕された直後、石川さんが狭山署長あてに書いた上申書もあり、脅迫状の筆跡との違いが一目瞭然だそうです。警察官による取り調べ時の録音テープからは石川さんの自白を事件とのつじつまが合うように誘導している様子を伝えていました。

「狭山事件の再審を求める三多摩集会」では開示された証拠品の説明があり、ますます石川さんの無実を確信する場となっていました。狭山事件に限りませんが、冤罪が濃厚だと見込まれても死刑や無期懲役の判決を三審制の中で容易に覆せない現状です。検察側にとって不利になる証拠を隠したまま裁判が進むケースの多さの裏返しだろうと思っています。再審に至り、死刑判決が覆った事件も少なくありません。そのことは冤罪のまま命を奪われた「死刑囚」の存在を否定できない恐ろしさに繋がっています。

Facebook「狭山事件の再審を実現しよう」を通し、石川さんと早智子さんの二人三脚での奮闘ぶりが垣間見れます。みえない手錠をはずすまで、お二人は全国各地を飛び回っています。三多摩集会でも再審に向けた力強い決意をお二人から伺うことができています。狭山事件は石川さんの問題ですが、石川さん一人だけの問題ではありません。今後、このような冤罪事件を繰り返させないためには皆で力を合わせ、声を上げていくことが大切です。労働組合としても、できることをできる範囲で力を注いでいく課題だと考えています。私自身ができることの一つとして、今回、このブログでも取り上げることを試みてみました。

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2015年4月12日 (日)

南京虐殺の問題から思うこと

3年前まで毎日最低1回はコメント欄に関わるように心がけていました。「コメント欄雑感、2012年春」を投稿した頃から徐々にコメント欄から距離を置くようになりました。記事本文の更新が土曜か日曜であり、寄せられたコメントへのレスも含め、現在、このブログに関わるのは休日に限るようにしています。その上で、コメント欄に寄せられた難しい問いかけに対しては、なるべく記事本文を通してお答えするように努めています。

それだけが理由ではないのかも知れませんが、以前に比べればコメント投稿数は大幅に減っています。管理人が週1回しか関わらない手応えの薄いブログでありながら、それでも時々、貴重なコメントをお寄せいただいているため、たいへん感謝しています。最近の記事「戦後70年談話について」に対しても一堂零さんからコメントをお寄せいただいていました。南京大虐殺の問題を中心に前々回記事改めて言葉の重さ Part2」のコメント欄にわたり、一堂零さんと私とのやり取りがありました。

やり取りの最後のほうで「諸説があることを理解していますが、まったくなかったと結論付けることはできないものと考えています」とお答えしたところ、一堂零さんから「あったものと考えているのであれば、OTSUさんの信じるところを述べていただきたいと思っていたのですが、その意思はないようですね。残念です」という言葉が返されていました。その言葉を受け、私から「今回のような論点については機会を見て改めて記事本文でお答えさせていただければと考えています」とレスしていました。

「機会を見て」と述べながら時間を置きすぎると、その機会を逸してしまう場合があります。そのような場合、答えたくない、答えられない難しい問いかけに対し、結果的にその場だけ取り繕った不誠実な言葉だと受け取られてしまう恐れがあります。そのため、今回の記事を通し、一堂零さんからの問いかけに対し、私自身が思うことを改めて書き進めてみるつもりです。長い記事になりそうですが、閲覧されている皆さんに論点をご理解いただくためにも、私と一堂零さんとの主なやり取りを再掲します。赤字が私の文章、青字が一堂零さんの文章となります。

「南京で大虐殺はなかった」という言葉を耳にします。以前、そのような言葉を耳にした場合、愚かな歴史修正主義者の発言だと決め付けていました。今はそのように考える方々の理由も分かるようになり、その方々が信じている歴史も、ある一面での事実だったものと認めるようになっています。例えば、30万人という数字は事実ではないのかも知れません。伝わっている残虐な場面で誇張や偽りも数多く含まれているのかも知れません。人道面でのモラルの高い日本兵が多かったことも事実だったろうと思います。

しかし、現時点で「南京大虐殺はなかった」と言い切れるほどの確証はないはずであり、単に「大虐殺はなかった」と規模の問題にすり替えるような姿勢であれば、あえて加害者側の立場である日本人が積極的に口にすべき言葉ではないように考えています。侵略についても同様です。「自衛のための戦争だった」「当時の国際法に則った併合や建国であり、インフラ整備などで日本人は尽くしてきた」という見方があります。ある面での事実だったかも知れませんが、やはり加害と被害という関係性が明確な中、日本人の側から強調すべき言葉ではないはずです。【「戦後70年談話について」の本文から】

「南京大虐殺」があったと言われる期間、南京にいたジョン=ラーベら15名の外国人で組織された南京安全区国際委員会は、日本大使館に宛てた書簡の中で、避難民への食糧の供与を依頼しました。その中で、当初20万人としていた避難民が、1か月後の書簡では「25~30万人」に増えています。南京は総面積35㎢の城塞都市ですが、国際委員会が定めた安全区は3.85㎢に過ぎません。そのような区域に、国際委員会の指示のもと、南京市民は避難していたのです。規模の大小を問わず、住民の虐殺が行なわれていた場所で、万単位で人口が増えるものでしょうか?たったこれだけのことで、「南京大虐殺はなかった」と言えると考えます。もちろん、便衣兵(ゲリラ)の処刑などはありました。【「戦後70年談話について」のコメント欄から】

OTSUさんの言う「いろいろな見方や考え方がある」ということを否定するつもりはありません。しかし、真実は一つであり、それを歪曲するような物言いには、それに反論したくなるのが人情というものです。例えば、広島・長崎への原爆投下についても、意見が分かれるものの一つです。ある人は『原爆を投下した者も悪いが、原爆を投下されるようなことをした者も悪い』と考えるでしょうし、ある人は『原爆を投下したことによって、終戦が早まった』と考えるでしょう。私は、広島・長崎への原爆投下は「人類史上稀にみる非人道的な大量虐殺」であると考えていますので、上記のどちらの考え方にも賛同することはできませんが、それも「いろいろな見方や考え方がある」の一例と言えます。しかし、「広島・長崎への原爆投下はなかった」と言う意見があったとしたらどうでしょうか?さすがにOTSUさんも憤りを禁じ得ないのではありませんか?「南京大虐殺」はこれと真逆ですが、「なかった」ものを「あった」とするのは、「いろいろな見方や考え方がある」というレベルではなく、イデオロギーのそれです。【改めて言葉の重さ Part2」のコメント欄から】

南京虐殺に関し、私自身の認識は前回の記事本文の中で簡単に触れたとおりです。諸説があることを理解していますが、まったくなかったと結論付けることはできないものと考えています。【改めて言葉の重さ Part2」のコメント欄から】

「南京大虐殺」について、「諸説があることを理解していますが、まったくなかったと結論付けることはできないものと考えています。」 つまり、「あったものと考えている」のであれば、OTSUさんの信じるところを述べていただきたいと思っていたのですが、その意思はないようですね。残念です。なお、私は「南京大虐殺」について、「規模の問題」にすり替えているのではなく、「南京大虐殺」と呼べるようなことは「なかった」と考えています。その理由はいろいろ挙げられますが、端的には前回記事のコメントに記したように、「国際委員会の目がある中で、虐殺があったとされる期間、南京市内の非難民は5万~10万人の単位で増えていた」ということです。【改めて言葉の重さ Part2」のコメント欄から】

レイアウト上、段落替えは原文のままではありませんが、文字の使い方等はそのまま掲げています。他の方のコメントも含め、それぞれのコメント欄の内容をそっくり転載できませんので、より正確なやり取りを知りたい場合はリンク先の記事をご覧いただければ幸いです。まず論点を整理します。一堂零さんは南京で虐殺そのものがなかった、そのように主張されています。私自身は前述したとおりで、まったくなかったと結論付けることはできないものと考えています。ただ30万人という数字の信憑性や民間人への組織的な殺戮などに対し、大きな疑問があることも確かですので、今回の記事タイトルでは「南京虐殺の問題」という言葉を使っています。

一堂零さんが説明しているような理由によって、南京虐殺は虚構や捏造だったという見方が強まっているようです。ネット上から詳しく説明しているサイトを数多く見つけることができます。そのようなサイト『「南京大虐殺」は捏造だった』からの情報は、軍服を脱ぎ捨て民間人に装った便衣兵に対する殺戮のみで、一般市民に対する日本兵の振る舞いは人道的だったことが強調されています。逃げ遅れた南京市民から日本軍の入城は歓迎されていたこと、虐殺を直接見たという証言はなかったという話などが掲げられています。

そのような内容の中にも誤認や捏造の類いが含まれているのかも知れませんが、大半は事実だったものと思います。一方で、不特定多数の方が自由に加筆修正できるウィキペディアでは、もう少し多面的な見方や情報があることも紹介しています。また、南京虐殺はなかったという説に反証するサイト「南京事件の真実」などもネット上で見つけることができます。今年2月には産経新聞が紙面のトップを使い、4回にわたって南京虐殺を全面的に否定する記事を連載していました。

産経新聞の記事で、南京陥落後に入城した現在98歳の元日本兵の方が「虐殺を見ていない」と語っていることを伝えています。しかし、南京城に入る門はいくつかあり、国際安全区のあった南側の中華門から入った日本軍が虐殺に接していないことはよく知られている話だそうです。そもそもJR山手線が囲む面積の3分の2程度の南京城内で、等しく虐殺があった訳ではないようです。そのため、産経新聞は今回、意図的に中華門から入った元日本兵にだけ「都合のいい事実」を語らせているという疑惑の声が寄せられています。

週刊金曜日』最新号では『「産経」流「南京虐殺否定」のあきれた荒唐無稽』という記事が掲載されています。やはり一部の証言だけで「なかった」と全否定することの問題性を指摘しています。逆に『週刊金曜日』の誌面では虐殺があったことの証言として、第6師団歩兵第23連隊の「一上等兵の従軍日記」の中に「今日、逃げ場を失ったチャンコロ約2千名ゾロゾロ白旗を掲げて降参せる一隊に会う。…処置なきまま夫れ夫れ色々の方法で殺して仕舞ったらしい」と捕虜虐殺を示唆した記述が残されていた話などを紹介していました。

産経新聞では「軍紀は守られていた」という証言を伝えています。それに対し、第16師団の中島今朝吾師団長の日記では「(兵士が)何か目につけば直ちにかっぱらって行く」と記され、南京陥落半月後に南京を視察した阿南惟幾大将(当時)が「強姦、略奪たえず、現に厳重に取り締まりに努力しつつあるも部下の掌握不十分」と嘆かれていたことなどを指摘し、「意図的に都合のいい証人だけ登場させて虐殺全体を否定する」産経新聞の報道姿勢を批判していました。

『週刊金曜日』側の記事に対しても異論や反証が生じるのかも知れません。例えば一堂零さんも便衣兵の処刑があったことを認められていますが、国際法上、捕虜に当たらない便衣兵の殺戮は「仕方なかった」というような論調があることも承知しています。明らかな民間人の殺戮、略奪や強姦などが組織的な命令のもとに行なわれた訳ではないこともその通りだろうと思っています。ただ南京に向かうまでの進軍の途中、各所で日本兵の非人道的な行為や「現地調達」があり、その都度必ずしも咎められてこなかったという見方も否定できません。

蒋介石以下各級指揮官の大半が逃げて中国軍は総崩れとなり、散り散りバラバラ、残された中国兵が便衣兵になるなどのゲリラ戦を展開したため、日本兵は疑心暗鬼のまま無差別攻撃をせざるを得なかったという事情も承知しています。私自身、以上のような見方や事情を認識した上、一定規模の殺戮行為があり、南京虐殺と称されてもやむを得ない事実があったものと理解しています。あくまでも便衣兵の掃討を中心した殺戮行為で、軍紀上、略奪や強姦が認められていなかったことも事実だったものと理解しています。

さらに民間人には危害を加えられないことが広まったため、日本軍が入城後、南京市内の人口が増えていったものと見ています。このような事実認識を一致させながらも「虐殺はなかった」と主張される方が少なくなく、「虐殺」という言葉の使い方などをはじめ、私自身の問題意識と枝分かれしていく場合があるのかも知れません。いわゆる「南京大虐殺」の伝わり方には虚偽や捏造が多く、とんでもない濡れ衣を着せられ、日本の尊厳が著しく貶められていると憤られている方が多いことも受けとめています。

誤りは誤りとして指摘し、正しい事実認識を広めていこうとする努力を否定する立場ではありません。しかし、「虐殺は一切なかった」「日本は悪くなかった」というような極端な主張に繋がることには強い違和感を持っています。中国との戦争において加害側は日本であり、被害を受けた方、その親族の方たちにとっての傷跡や怨恨が語り継がれていることにも思いをはせなければなりません。それこそ国際社会の中で、ネガティブな意味合いでの歴史修正主義の動きととらえられていく懸念が付きまとうことになります。このような思いを胸に「戦後70年談話について改めて言葉の重さ Part2」などの記事を綴っていました。

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2015年4月 5日 (日)

生活困窮者自立支援法が施行

4月1日の昼休み、新人の皆さんの研修会場に組合として挨拶に伺いました。その日は限られた時間の中ですので、組合を代表した私からの挨拶は手短にしています。3日金曜の夜には歓迎会を兼ねた組合説明会を催し、その時は10分ほどの時間が割り当てられているため、「役に立たない組合はいらない」という話をさせていただきました。

毎年、機関誌の特集記事『春闘期、情勢や諸課題について』を記名原稿で綴っています。その記事のサブタイトルを「役に立たない組合はいらない?」としていました。一歩間違うと組合をつぶそうと考えているような言葉ですが、「何だろう」と関心を持っていただくための見出しの付け方でした。組合員の皆さんに対し、まったく役に立たない組合であれば、私自身も「いらない」と思っています。

しかし、いろいろ力不足な点はあろうかと思いますが、一定の役割を果たしていることを確信しているため、組合は必要という認識を持ち続けていることを新人の皆さんにも説明させていただきました。記事タイトルとは離れた近況報告から入り、すでに3段落を費やしています。このような話も広く訴えたい内容であり、今後、機会を見て改めて取り上げさせていただくつもりです。

さて、この4月から下記の報道のとおり生活困窮者自立支援法が施行されました。私自身の職務は徴税吏員です。これまで当ブログの中で仕事を通した自分なりの問題意識をいくつか綴ってきています。まとめた記事として「職務の話、インデックス」があります。今回の新法は私自身の仕事にも関わっていくものであり、いずれかのタイミングでブログでも取り上げようと考えていました。

生活に困った人を支援する「生活困窮者自立支援法」が1日に施行され、生活保護を受ける前の段階で就労支援を行う窓口などが全国の自治体に設置されます。生活困窮者自立支援法は、生活に困った人を支援して生活保護を受ける前の段階で自立につなげるのが目的で、福祉事務所がある全国901の自治体は支援のための態勢整備が義務づけられます。具体的には、自治体は相談窓口を設置して専門の支援員などが一人一人の状況に応じた支援計画を作成し就労などにつなげるほか、住居を確保するための家賃を一定期間、支給します。

このほか、自治体は、「貧困の連鎖」を断ち切るために経済的に苦しい世帯の子どもの学習を支援したり、引きこもりの人などのために就労や社会参加への足がかりとなる訓練を行ったりすることもできます。厚生労働省によりますと、生活保護の受給世帯は過去最多を更新し、昨年度・平成26年度の総額は3兆7000億円余りに上る見通しです。厚生労働省は「生活保護を受ける前の段階の支援を充実させていきたい。困りごとがあったら遠慮しないで窓口に相談してほしい」としています。【NHKニュースWEB2015年4月1日

私どもの自治体では社会福祉協議会と民間の人材派遣事業者に委託し、「くらし・しごとサポートセンター」を開設しました。生活での悩み、仕事のことなどで困っている方に寄り添い、一緒に考える無料の相談窓口です。状況に応じて適切な窓口を案内し、一人ひとりに合わせた自立や就労支援を行ないます。また、住居確保給付金の支給や生活福祉資金の貸付などの事業に繋げ、経済面での一定の援助もできるようになっています。

続いて、生活保護制度の現状や生活困窮者自立支援法が成立した経緯などについて説明させていただきます。ただ私自身に専門的な知識がある訳ではなく、知ったかぶりして受け売りの文章を掲げるよりも詳しく説明しているサイトの内容をそのまま紹介させていただきます。昨年12月21日のTHE PAGE「生活困窮者自立支援と生活保護、それぞれの課題は?」がたいへん分かりやすく、現状や課題についてまとめられていました。

日本のセーフティネットの基礎となっているのは生活保護なのですが、生活保護の制度には、捕捉率が低いという課題があります。生活保護の受給者数は約220万人、受給世帯数は160万世帯ですが、一方で厚生労働省がまとめた日本の相対的貧困率は約16%です。日本の世帯数は約5200万世帯ですから、貧困率が16%だとすると約832万世帯が貧困状態にあると考えられます。そうなってくると、貧困世帯のうち生活保護を受給できているのは、約20%に過ぎないという計算になるわけです。生活保護については財政的な問題もあり、基本的に給付を抑制する方向で改革が進められています。今年の7月に施行された改正生活保護法では、窓口での申請書提出の原則義務付けや、親族や雇い主に対する調査権限の強化などが盛り込まれており、保護を受けるハードルが従来に比べて格段に高くなっています。

このままでは支援の対象とならない生活困窮者が増加することから、それに対応するために作られたのが、生活困窮者自立支援法となります。この法律は、生活困窮者の自立を支援するためのものです。福祉事務所を設置している自治体は、自立相談支援事業を行うことになっており、生活困窮者がワンストップで相談できる窓口が設置されます。また、生活困窮者が就労できるよう各種支援を実施します。失業などにより一時的に住む家を確保できない人のために、家賃を補助する制度も盛り込まれました。働く意思はあるものの、その機会を見つけることができず、貧困状態から抜け出せなかった人には、効果のある施策といえるかもしれません。一方で、内容が就労支援に偏っていることについて危惧する声も上がっているようです。

日本では、仕事がない一人親世帯の貧困率は50%を超えているのですが、仕事がある一人親世帯の貧困率もやはり50.9%とほぼ同じ水準です。労働基準法が守られていれば、こうした結果にはならない可能性が高く、労働環境が劣悪な職場が多数存在することを伺わせます。仮に就労機会が得られたとしても、そういった仕事に従事してしまうと、貧困から脱出できない危険性があります。この法律を効果的に運用するためには、労働環境の整備とセットで行うことが重要です。また何らかの事情で就業が難しい人や世帯については、今回の法律でも十分にカバーされません。セーフティネット全般について、金額を抑制しつつも、カバーする範囲を広げると行った包括的な工夫が必要でしょう。

私自身、徴税吏員であるとともに市職員という立場や役割を忘れないように常に意識しています。このあたりは以前投稿した記事「再び、職務に対する心構え Part2」を中で詳しく綴っていました。何らかの事情があって滞納している方々に対して「過去の納税者、未来の納税者」という敬意を払いながら、いつも「丁寧な対応」に努めていくことを職務に対する心構えの一つとしています。中には約束を守らない、担税力が充分認められながら納めない、恫喝や罵詈雑言を発する方も少なくなく、滞納者に対して敵愾心を抱きがちな職務だと言えます。

しかし、滞納されている大多数の皆さんは何らかの事情があって期限までに納められず、はからずも滞納額が累積されてしまった方だと思っています。したがって、具体的な相談や財産調査などを進めながら一人ひとりの事情に照らした「丁寧な対応」が欠かせないものと考えています。以前の記事「再び、職務に対する心構え」の中で、滞納整理の研修では「自らの滞納処分によって会社が倒産してしまうのではないかと心配する必要はありません。差押を受けて倒産するような会社は、遅かれ早かれつぶれてしまうものです。顧客として評価できる会社であれば、銀行が簡単につぶしません」という説明が加えられていることを紹介していました。

その通りなのかも知れませんが、正直なところ違和感がある話でした。得てして滞納整理の研修の中では、個人の滞納者に対しても同様な趣旨の割り切り方で接していくことが推奨されているように感じがちでした。そのような違和感や問題意識を持ち続けている中、今回の生活困窮者自立支援法施行の動きを知ったため、このブログで改めて個人的な思いを綴ってみるつもりでした。生活困窮者自立支援法は前述の説明の通り生活保護受給者数を減らすという財政面の目的を補う一方、生活保護を受ける前の段階での相談機能や支援の充実をめざしています。

厚生労働省の検討資料の中では、自治体ごとの庁内体制の構築が検討課題とされています。福祉関係課に限らず、税務、保険年金、住宅、商工、教育関係の部署と日常的に連携できる部局横断的な組織体制の整備が求められています。対象者の早期発見に向け、税や保険料の滞納者の中に気になる生活困窮者を把握した場合、すみやかに自立相談支援事業に繋げる紹介ルールを設定していかなければなりません。参考として人口4万人の滋賀県野洲市の事例が紹介されています。

野洲市では「多重債務相談受付の流れ」とういうマニュアルを整え、税金、国民健康保険、給食費の滞納などの情報を市民相談室が一元管理し、その他にも借金があるかどうか本人に確認していました。その上で、関係各部局が一堂に会し、滞納解消と借金返済について協議し、弁護士、司法書士に取り次ぐ対応をはかっていました。その結果、平成21年度から22年度までの2年間で、取り戻した過払い利息は1億1900万円、払わなくて済んだ借金は1億5000万円、税金滞納への充当が1100万円という実績を上げていました。

組織的な体制面では野洲市の足元にも及びませんが、私どもの市でもそれに近い対応をはかるように努めていました。納税相談を行なう中で、法律相談や生活保護申請への案内などを職員一人ひとりが適宜判断していました。このような視点を重視していくことが徴税吏員であるとともに市職員という立場や役割を意識していくことだと考えています。この4月以降は、よりいっそう意識的に生活保護申請の前段階となる「くらし・しごとサポートセンター」に紹介する手順となります。

これまで生活保護自体は最後のセーフティネットであるため、あまり安易に紹介できませんでした。これからは少しでも気になった場合、相談窓口を積極的に案内できるようになったことを歓迎しています。そのことによって、早期に生活を再建できる方が増えていくことを願っています。もちろん圧倒多数の納税者の皆さんとの公平性を保つため、個々の事情を的確に判断するためのスキルや調査能力を高めながら、より多く、より効果的な滞納処分にも引き続き全力を尽くしていきます。

最後に、生活保護を題材にした書籍も紹介しようと考えていました。『実録! 熱血ケースワーカー物語』『公務員もつらいよ わたし、公僕でがんばってました。健康で文化的な最低限度の生活』という文庫やコミックスを読んでいました。たいへん長い記事となっていますので、タイトルのみの紹介にとどめさせていただきますが、最近読んだ『健康で文化的な最低限度の生活』はたいへん面白く、いろいろな意味で興味深い内容のコミックスでした。区役所に新規採用された女性職員が福祉事務所に配属され、生活困窮者の支援の難しさに葛藤する日々が描かれています。現在の職務に関わらず、自治体職員の皆さん全員にお勧めできる面白さですので、ぜひ、機会がありましたらご覧になってください。

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