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2015年3月15日 (日)

改めて言葉の重さ

しばらく流された後、私は運良く瓦礫の山の上に流れ着きました。その時、足下から私の名前を呼ぶ声が聞こえ、かき分けて見てみると釘や木が刺さり足は折れ変わり果てた母の姿がありました。右足が挟まって抜けず、瓦礫をよけようと頑張りましたが私一人にはどうにもならないほどの重さ、大きさでした。母のことを助けたいけれど、ここに居たら私も流されて死んでしまう。「行かないで」という母に私は「ありがとう、大好きだよ」と伝え、近くにあった小学校へと泳いで渡り、一夜を明かしました。

そんな体験から今日で4年。あっという間で、そしてとても長い4年間でした。家族を思って泣いた日は数えきれないほどあったし、15歳だった私には受け入れられないような悲しみがたくさんありました。全てが、今もまだ夢の様です。しかし私は震災後、たくさんの「諦めない、人々の姿」を見てきました。震災で甚大な被害を受けたのにもかかわらず、東北にはたくさんの人々の笑顔があります。「皆でがんばっぺな」と声を掛け合い復興へ向かって頑張る人たちがいます。日本中、世界中から東北復興のために助けの手を差し伸べてくださる人たちがいます。そんなふるさと東北の人々の姿を見ていると「私も震災に負けてないで頑張らなきゃ」という気持ちにいつもなることが出来ます。

震災で失った物はもう戻ってくることはありません。被災した方々の心から震災の悲しみが消えることも無いと思います。しかしながらこれから得ていく物は自分の行動や気持ち次第でいくらにでも増やしていける物だと私は思います。前向きに頑張って生きていくことこそが、亡くなった家族への恩返しだと思い、震災で失った物と同じくらいの物を私の人生を通して得ていけるように、しっかり前を向いて生きていきたいと思います。

東日本大震災から4年が過ぎました。上の文章は追悼式で読み上げられた遺族代表の一人、石巻市出身の菅原彩加さんの言葉です。この言葉に接した時、胸が締め付けられました。これまで震災や戦争における悲惨な場面で、瓦礫の下敷きになった母親が「早く逃げなさい」というやり取りの多さを思い描いていました。そのようなやり取りがあったことも事実だったはずです。一方で、菅原さんが体験したような過酷なやり取りも紛れもない事実であることを思い知り、胸が締め付けられました。

菅原さんの母親の苦しさや絶望感、その母親を助けられなかった菅原さんの悲しさや切なさ、いろいろな思いが頭の中を駆け巡りながら事実の重さに強い衝撃を受けました。菅原さんにとって、きっと思い出したくない本当に悲しい事実だったはずです。できれば隠し通したかった事実だったかも知れません。4年後、消えることのない震災の悲しみ、その事実を明らかにしながら追悼の言葉と前向きに生きていく決意を発した菅原さんの言葉は非常に重く、多くの方々に深い感銘を与えたはずです。

追悼式の前々日、ドイツのメルケル首相が洞爺湖サミット以来、7年ぶりに日本を訪れていました。アジア外交で中国に傾斜していたドイツは日本と疎遠な関係でしたが、ウクライナ危機を受けて両国の距離は縮まりつつありました。メルケル首相は安倍首相と会談した際、「内政干渉」に当たらないようテーマを絞り、日独関係の強化が確認できるような振る舞い方に努めたようです。しかし、首脳会談の前後に発しているメルケル首相の言葉の数々は日本とドイツの違いを浮き彫りにしています。

ドイツのメルケル首相は日本を訪問するのを前に、ドイツが進めている脱原発政策について、「日本も同じ道を進むべきだ」と述べ、エネルギー政策の転換を呼びかける考えを示しました。メルケル首相が9日から7年ぶりに日本を訪問するのを前に、ドイツ政府は7日、メルケル首相と福島出身でベルリンで化学の研究をしている日本人研究者との対話の映像をインターネット上で公開しました。この中で、メルケル首相は4年前の東京電力福島第一原子力発電所の事故について、「ドイツは、このぞっとするような原発事故を連帯感を持って受け止め、より早く原子力から撤退する道を選んだ」と述べました。

そのうえで、「ドイツは今、再生可能エネルギーへの転換を進めている。日本もドイツと協力して同じ道を進むべきだ」と述べ、今回の日本訪問中、エネルギー政策の転換を呼びかけていく考えを示しました。メルケル首相は日本は島国で資源にも乏しいとして、ドイツと完全に同じような政策を進めるのは難しいという認識も示しましたが、「福島の事故の経験から言えることは、安全性が最も重要だということだ」と述べ、ドイツとしては今後も脱原発政策を着実に進める姿勢を強調しました。【NHKニュースWEB2015年3月7日

来日中のドイツのメルケル首相は9日、東京都内で講演し、ドイツが2011年3月の東日本大震災直後に、エネルギー政策を転換して脱原発を決定した理由について「極めて高度な科学技術を持つ国で福島のような事故が起きたのを目の当たりにし、(原発には)予想できないリスクが生じることを認識した」と述べた。福島第1原発事故を受け、メルケル政権は22年までに原発を段階的に停止し、再生可能エネルギーを拡充する政策へと転換した。メルケル氏は「(脱原発は)長年原子力の平和利用を支持してきた人間による、政治的な判断だった」と述べ、自らが物理学者として抱いていた原発の安全性に対する考えが揺らいだことを明かした。【毎日新聞2015年3月10日

メルケル首相は講演の際、日本が歴史問題で中国や韓国と対立していることに関しても触れていました。ナチスによるユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)の歴史を背負うドイツが「過去ときちんと向き合った」ことで国際社会に受け入れられ、かつて敵国だった近隣諸国との和解に至ったとし、日本も「歴史に向き合うべき」だと述べていました。少し前の記事「言葉の重さ、雑談放談」の中で記したことですが、ナチスと戦前の日本を比べることを問題視する声があります。ただ歴史を直視するという論点については同根のものがあるため、機会を見て改めて掘り下げてみようと考えています。

今回の記事はタイトルに掲げたとおり「改めて言葉の重さ」について、私自身が感じていることを言葉にしています。このブログに書き込む言葉自体、重いのか、軽いのか、自分自身で評価することはできません。紹介した報道内容をはじめ、あくまでも閲覧されている方々の受けとめ方に委ねさせていただくことになります。言葉の重さを論点にした際、メルケル首相の言葉は、原発に対する政策や近隣諸国との関係性において実践してきた事実に基づいた言葉であり、たいへん重いものを感じています。

メルケル首相の日本への助言となる一連の言葉は安倍首相の耳にも届いているはずです。しかし、どこまで真摯に受けとめようとしているのかどうか分かりません。残念ながら「余計なお節介だ」と思われているのかも知れません。少し話が横道にそれますが、人によってドレスの色が変わるという話題に接した時、安倍首相のことが頭に思い浮かびました。見る人によって、ドレスの色が白と金に見えたり、黒と青に見えてしまうという話でした。安倍首相に対する評価や見方は人によって本当に大きく変わるようです。

立場や基本的な視点の相違から生じる当たり前な話かも知れませんが、安倍首相ほどそのギャップの大きさが顕著であるように感じています。自民党大会での安倍首相の演説に対し、安倍首相に近い方は「強さと優しさがうまくバランスされている。しかも、基本的に明るくて前向きだ」というように絶賛しています。安倍首相に距離を置いている方は東日本大震災の追悼式の場で「少々配慮にかける一挙手一投足であった」という見方を示しています。同じ場面で比べる事例を掲げられませんでしたが、もともと支持しているかどうかで絶賛と批判という大きな枝分かれが生じていくように感じています。

最後に、安倍首相は追悼式の式辞で、まず「被災地に足を運ぶたび、復興のつち音が大きくなっていることを実感する。復興は新たな段階に移りつつある」と強調されていました。その後に「今なお23万人の方が厳しい、不自由な生活を送られている。健康・生活支援、心のケアも含め、さらに復興を加速していく」と続けています。復興が進んでいることも間違いありません。しかし、思うように復興が進まない地域や避難生活を余儀なくされている方々にとって、真っ先に安倍首相が「復興は新たな段階」と話されることには違和感を抱かれるのではないでしょうか。さらに下記のような事実に触れてしまうと「言葉の重さ」から、ますます程遠い言葉だったように聞こえてしまいます。

首相就任以来、安倍晋三氏はほぼ月1回のペースで20回以上にわたって被災地視察を繰り返してきた。宮城・亘理(わたり)町のイチゴ、石巻市の焼きガキ、福島・小名浜市のイカ、岩手・宮古市のワカメ、宮城・七ヶ浜町の焼き海苔……。被災各地の視察で特産品を振る舞われるたび、安倍首相は記者団に「ものすごくおいしい」などと笑顔で語り、被災地グルメを満喫してきた。岩手・大槌町では伝統刺 「刺し子」の工房を訪れたほか、宮城・気仙沼市では漁の網を編む伝統文化を応用したニット製造会社でカーディガンを試着。編み手として働く地元女性たちの嬌声に気をよくしたのか「軽くて暖かい。自分でいうのもなんですが似合ってますね」とニンマリしながら軽口を叩いてみせた。

首相の被災地視察はいつも和気藹々とした雰囲気の中、復興が目に見えてわかるような場所ばかりで行なわれている。2月14日、居住が始まった気仙沼の災害公営住宅を視察した安倍首相はテレビカメラの前で「復興もいよいよ新たなステージに移りつつあると実感した」などと語り、復興の進展を強調した。しかし実際に被災地を歩くと、現実は「新たなステージ」にはほど遠いことがわかる。首相が視察した気仙沼の公営住宅建設予定地前で商店を営む男性がいう。 「来年3月までに2000戸以上の公営住宅が完成するって聞いてましたけど、ご覧の通りですよ。実際にできているのは100戸もないじゃないですか」

気仙沼市によると、計2155戸の建設を予定しているが、完成しているのは今年1月時点で75戸。4年もかかってこの数である。計画通りの来年3月までの整備はとても間に合わず、1年2か月も計画を先送りした。これが「新たなステージ」だろうか。安倍首相が焼きガキに舌鼓を打った石巻市でも同様だ。庄司慈明・市議が憤る。「石巻市では76.6%の家屋が被災するなど被害が大きく、4500戸の復興住宅が必要です。しかし3月末までの完成予定分を含めても936戸しかない。600戸分は土地の確保さえできていない。政府がカネだけ払えばそれで解決するというものではない」

甚大な被害を受けた航空自衛隊松島基地がある東松島市を安倍首相は2度訪問している。菅原節郎・市議がこう指摘する。「総理が視察した先は、松島基地と小松南団地という市内でも復興が進んだほんの一部だけ。そこにテレビや新聞の記者も同行するから、県外の人から『復興は順調に進んでいる』と思われている。ところが、小松南団地から車で10分も行けば仮設住宅が立ち並ぶエリアがあり、143人の犠牲者が出た東名地区には震災後から手つかずのままの荒れ地が広がっている。総理にはぜひバランスのとれた視察をしていただきたい」

本誌記者は首相が視察した岩手・大槌町の水産加工会社や山田町の造船会社などを訪問した。たしかにそれらの建物はピカピカだ。しかし、その建物は無残な荒野の真ん中にポツンと建っていた。官邸にとっては首相の被災地訪問はパフォーマンスでしかない。官邸筋によれば「総理の視察先は復興が目に見える形で進んでいるところを主として選定している」という。岩手県の幹部職員が苦々しい顔で話す。「安倍首相が視察すると、同じ施設を閣僚が視察し、さらに復興庁の官僚が同じルートをなぞるケースが多い。首相の訪問先が“復興先進地”なので、中央から来た人は厳しい現場を素通りして帰ることになる」【週刊ポスト2015年3月20日号

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コメント

復興が進んでいない土地に首相が行ってもなんの効果もないです。
行ったとしても「ヤレ」としか言えないのでしょう?放ってはおけないのだから。
ただでさえ、自治体も政府もギリギリのところで動いているのに、行った先だけ「ヤレ」と言われて、さらに、数年経ってまだやれていなかったならば、地域住民も役所も不幸を生むだけだと思います。首相がひとこと「ヤレ」といったら、最優先ですよ。
復興にも優先順位があって当たり前。日本の土木建築会社がフル回転して、東北を最優先にしても、東京オリンピックはどうなりますか?地方創生はどうなりますか?他の地域の耐震対策はどうなりますか?
ダメだダメだとは誰でも言えます。やめろもやれも言える。
具体案に落として、住民の最大公約数のところで、身の丈に合った先進地域≒モデルを作らなければ、住民は「あの地域のように復興させたい」という目標がなくなってしまう。
荒れ地を首相が見て、考え込む姿をメディアが伝えることこそパフォーマンス。それこそ滑稽。
全体のバランスというものがあります。
なんでも、首相の考えとは真逆の行動を取ればいいというものではないと思います。
いいものはいい。ダメなものは改善する。アンチテーゼだけぶつける人々のやりかたには、怒りすら覚えます。
OTSUさんが、どのように考えて本稿をおつくりになったのか、知る由もないわけですが。
考え方の違うメディアのはしっこどうしをつなぎ合わせれば、こういう稿も書けるのだとは思います。
具体的にどういう方向性ならばよいのか。東京は滅びても地方再優先で動けるか。三多摩だってさんざん国や都に後回しにされてきたではないですか。
失礼ながら、少々、悪意さえ感じます。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2015年3月15日 (日) 16時22分

でりしゃすぱんださん、コメントありがとうございました。

被災地の視察に際し、地元の意向が反映されず「復興先進地」ばかり選ばれることに安倍首相の責任は薄いものと考えています。また、優先順位の問題など、でりしゃすぱんださんのような見方があることも承知しています。そのような事実関係がある中での安倍首相の式辞の内容に対し、違和感を抱いてしまう点について今回の記事本文に綴っています。

決してアンチテーゼだけぶつけている意図はなく、紹介した報道内容をはじめ、閲覧されている方々がどのように受けとめられるのかどうかだろうと思っています。いずれにしても多面的な情報を提供する一つの場になり得ることを願いながら、今回の記事も投稿しています。このような点についてご理解いただければ幸いですので、よろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2015年3月15日 (日) 21時02分

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