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2015年3月29日 (日)

改めて言葉の重さ Part2

3月31日に定年退職を迎えられる方、再任用や再雇用職員としての勤めを終えて市役所を去られる方がいらっしゃいます。4月1日には新たに採用された職員の皆さんと顔を合わせることができます。桜が咲き始めた季節、3月25日に人事異動の内示が出た後、何かと気ぜわしい年度替わりの時期を迎えています。この時期にちなんだ記事を投稿したことも少なくありませんが、今回、前回記事「戦後70年談話について」を少し補足するような内容を書き進めてみます。

このブログを開設した目的はプロフィール欄に掲げているとおり自治労に所属する職員労働組合の立場や主張を不特定多数の方々に発信するためでした。その上で、あくまでも個人の責任による運営だったため、私自身の個人的な意見や思いを託した記事内容を毎週投稿してきました。安全保障にかかわるテーマなど、いわゆる左か右か問われれば左に位置付けられる記事内容も並んでいます。前回の記事でも紹介しましたが、そのような内容をまとめた記事として「平和の話、インデックスⅡ」があります。

ちなみにブログの記事を綴る際、意識的に「思っています」「はずです」という語尾を多くしています。いろいろな見方や考え方がある事例において、自分自身の「答え」が絶対正しいと決め付けた論調だった場合、真逆の立場の方々を不愉快にさせる恐れや無用な反発を招く可能性を懸念しているからです。ただ多少やわらげられていたのかも知れませんが、左に位置付く記事内容に対しては辛辣なコメントが多かったことも確かです。

それでも当ブログのコメント欄に投稿くださる皆さん全体を見れば、理性的な記述に努められている方が大半だと言えます。おかげ様で「便所の落書き」のような書き込みは皆無に近く、感情的な応酬も少なく、穏やかな場になり得ているものと感謝しています。いずれにしてもインターネットを介した会話は文字のみ、つまり言葉のみで行なわなければなりません。そのため、コメント投稿に際した「お願い」をはじめ、言葉の使い方の難しさや大切さに関しても、たびたび記事本文を通して掘り下げてきました。

つい最近も言葉の重さ、雑談放談改めて言葉の重さ」があり、今回も前々回記事のタイトルに「Part2」を付けながら言葉の重さについて考えてみることにしました。まず改めて言葉の重さに関し、私自身がどのような問題意識を持っているのか説明させていただきます。言葉の使い方一つで他者に与える印象が大きく変わっていきます。その言葉から発信者の本音や資質が明らかになります。伝えたい真意がそのまま他者に正しく伝わり、目的が達成していくのであれば何ら問題ありません。

真意がうまく伝わらない、誤解されてしまった、思いがけない批判に繋がってしまった、このような結果を及ぼすようであれば言葉の使い方を誤ったことになります。何気ない一言で他者を深く傷付ける場合もあり、後から訂正や謝罪しても簡単に取り返しのつかないケースもあろうかと思います。発信者の立場やTPOによって、ますます言葉一つの重みが増してくるはずです。したがって、できる限り言葉の使い方や選び方には慎重になるべきものと考えています。

誰もがうっかりする時があり、いつも完璧に振る舞える訳ではありません。それでも自分自身の発する言葉が他者からどのように受けとめられるのかどうか、想像力を働かせていく心構えだけは持ち続けられるのではないでしょうか。また、その反応を想像できる力は個々人の経験や知識の蓄積によって差が生じていくのかも知れません。問題ないものとして使った言葉が社会常識から照らしてNGだった場合、その方の資質や知識不足が問われていくことになります。

相手と良好な関係を維持していくことが第一の目的であれば、あえて相手を怒らせるような言葉は控えていかなければなりません。それでも何らかの意図を伝えなければならない場合、逆撫でするような言葉を避けながら、なるべく不愉快にさせない言葉に置き換えていくことになります。もちろん対立しても仕方ないと考えれば、単刀直入な言葉をぶつけて結論を求めていくことになろうかと思います。なお、前者のようなケースでの言葉の置き換えの際、偽りや極端な誇張が厳禁であることは言うまでもありません。

その場だけ取り繕っても後々、いろいろな面で問題が生じていくことになるはずです。この偽りや誇張が厳禁という点は当たり前な話ですが、すべての言葉の使い方に繋がるものです。嘘を混じらせた言葉に重さは一切感じられなくなります。嘘という自覚はなかったとしても、事実や実際の行動に裏付けられていない言葉にも重みは感じにくくなります。言行一致が信頼され、根拠のない願望のような言葉を堂々と断定調に語る人物は決して尊敬されないのではないでしょうか。

戦後70年、この言葉も日本が70年間、戦争に直接関わっていないため使える言葉であり、たいへん感慨深いものがあります。でりしゃすぱんださんからの前回記事へコメントを受け、「様々な意味で難しい関係性や現況の中、このタイミングで70年談話を出すと決めたことも適切だったかどうか評価が分かれるように感じています」と記していました。もう出すしかない訳ですが、近隣諸国と良好な関係を築いていくことが第一の目的であれば、偽りや誇張を排した中で他者の立場や気持ちを思いやる言葉を忘れないで欲しいものと願っています。

最後に、国会審議の中で最近取り沙汰された言葉の問題を紹介します。当初、この報道内容を中心に記事を綴ることも考えていました。言葉の重さについて、自分なりの総論的な問題意識を書き進めたところ予想以上に長くなってしまいました。そのため、端的な指摘にとどめ、今回の記事は終わらせていただきます。安倍首相と三原参院議員、政治的な信条や歴史認識が近しい方々だと見られています。「我が軍」と「八紘一宇」という言葉、単に言葉の選び方という問題ではなく、それぞれ奥深い論点があることを感じているところです。

安倍晋三首相は20日の参院予算委員会で、自衛隊と他国との訓練について説明する中で、自衛隊を「我が軍」と述べた。政府の公式見解では、自衛隊を「通常の観念で考えられる軍隊とは異なる」としている。維新の党の真山勇一氏が訓練の目的を尋ねたのに対し、首相は「我が軍の透明性を上げていくことにおいては、大きな成果を上げている」と語り、直後は「自衛隊は規律がしっかりしている、ということが多くの国々によく理解されているのではないか」と続けた。憲法9条は「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と定める。2006年の第1次安倍内閣の答弁書で「自衛隊は我が国を防衛するための必要最小限度の実力組織で、『陸海空軍その他の戦力』には当たらない」とした。一方、自民党が12年に発表した憲法改正草案には「国防軍」の創設が盛り込まれている。【朝日新聞2015年3月23日

自民党の三原じゅん子参院議員は16日、参院予算委員会で「ご紹介したいのが、日本が建国以来、大切にしてきた価値観、八紘一宇(はっこういちう)であります」としたうえで、同理念のもとに経済や税の運用をしていくべきだと質問した。八紘一宇は戦前、日本の侵略を正当化するための標語として使われていた。三原氏は企業がグローバル資本主義の中で課税回避をしている問題を取り上げた。この中で「八紘一宇の理念のもと、世界が一つの家族のようにむつみあい、助け合えるような経済および税の仕組みを運用していくことを確認する崇高な政治的合意文書のようなものを、首相こそがイニシアチブを取って世界中に提案していくべきだと思う」と語った。答弁に立った麻生太郎財務相は「八紘一宇は戦前の歌の中でもいろいろあり、メインストリーム(主流)の考え方の一つなんだと思う。こういった考え方をお持ちの方が、三原先生の世代におられるのに正直驚いた」と述べた。【毎日新聞2015年3月17日

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2015年3月22日 (日)

戦後70年談話について

少し前の記事「言葉の重さ、雑談放談」、さらに前回記事「改めて言葉の重さ」の中で次のような記述を残していました。「ナチスと戦前の日本を比べることを問題視する声があります。ただ歴史を直視するという論点については同根のものがあるため、機会を見て改めて掘り下げてみようと考えています」という記述でした。前者は、ドイツのヴァイツゼッカー元大統領の「過去に目を閉ざす者は結局、現在に対しても盲目となる」という言葉を紹介した時のものです。

後者は、来日したドイツのメルケル首相の講演での話を紹介した時のものでした。メルケル首相は、日本が歴史問題で中国や韓国と対立していることに触れ、ナチスによるユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)の歴史を背負うドイツが「過去ときちんと向き合った」ことで国際社会に受け入れられ、かつて敵国だった近隣諸国との和解に至ったとし、日本も「歴史に向き合うべき」だと述べていました。 

このような論点に触れる場合、時節柄、戦後70年談話についても取り上げるべきものと考えていました。ますます重たいテーマに押し上げてしまっていますが、あまり身構えずに自分なりの問題意識を私自身の言葉で書き進めてみるつもりです。ただ難しい論点であり、言葉が不足することも充分考えられますので、あらかじめ補足的な位置付けになり得る以前の記事「平和の話、インデックスⅡ」も紹介させていただきます。

まずヴァイツゼッカー元大統領とメルケル首相の言葉を額面通りに受け取ることに懐疑的な方、戦後のドイツと日本の置かれた立場や経緯が異なる中で単純に比べられないという見方などを示される方々も少なくないようです。したがって、比較的多くの方々が認めている見方として、歴史に直視して近隣諸国との関係を良好にしているドイツ、歴史認識に疑問を持たれるような政治家が目立ち、近隣諸国との関係が良好とは言い切れない日本、このような構図が根付いていることを前提に論点を掘り下げていきます。

荒れ野の40年」という題名を付けられたヴァイツゼッカー元大統領の演説が行なわれた頃、ドイツでも「いつまでもナチスについて謝罪し続けるのはうんざりだ」という国民の感情が高まっていたそうです。釈明の余地のないホロコーストの歴史に対し、「悪いのはナチスであり、ヒトラーだった」という峻別は付けやすかったはずです。それでも連続性のある国家としての責任があり、ナチスの暴走を許したドイツ国民の責任が問われ続けていたものと思います。

そのような関係性の中で戦後40年が過ぎ、「いつまでも、ナチスのことで」という感情が高まっていたことも分かります。しかし、加害者となるドイツは基本的な姿勢を変えず、現在に至っているため、メルケル首相が日本へ助言できるような立場に繋がっているものと受けとめています。ここで押さえたい論点はドイツに関しても、加害者側が一方的に謝罪していくことを「もうそろそろ良いだろう」と考え、被害者側の感情を逆撫でする可能性があったという事実です。

中には悪質な被害者が相手の弱みに付け込み、理不尽なユスリをいつまでも続けるケースもあろうかと思います。しかし、一般的には被害者側の明確な赦しがない限り、加害者側はずっと謝罪する気持ちを持ち続けていかなければなりません。裁判や処罰を受けた後も、加害者が勝手に「もう謝る必要はない」と考えることは不誠実な関係性だろうと思っています。戦後70年談話に際し、70年も経ったのだから「謝罪は不要、未来志向で」と日本が一方的に考えることは、やはり問題が大きいものと見ています。

以上の論点は、日本とドイツの置かれた立場が基本的に同じであり、同根であるという認識です。一方で、日本とドイツでは事情が異なる論点も押さえていかなければなりません。南京大虐殺や従軍慰安婦の問題をはじめ、日本人の中でも事実認識に大きな隔たりが生じている事例の多さです。個々の事例を掘り下げていくと膨大な説明が必要になりますので、ここでは事実認識の隔たりの大きさに絞って話を進めさせていただきます。

「南京で大虐殺はなかった」という言葉を耳にします。以前、そのような言葉を耳にした場合、愚かな歴史修正主義者の発言だと決め付けていました。今はそのように考える方々の理由も分かるようになり、その方々が信じている歴史も、ある一面での事実だったものと認めるようになっています。例えば、30万人という数字は事実ではないのかも知れません。伝わっている残虐な場面で誇張や偽りも数多く含まれているのかも知れません。人道面でのモラルの高い日本兵が多かったことも事実だったろうと思います。

しかし、現時点で「南京大虐殺はなかった」と言い切れるほどの確証はないはずであり、単に「大虐殺はなかった」と規模の問題にすり替えるような姿勢であれば、あえて加害者側の立場である日本人が積極的に口にすべき言葉ではないように考えています。侵略についても同様です。「自衛のための戦争だった」「当時の国際法に則った併合や建国であり、インフラ整備などで日本人は尽くしてきた」という見方があります。ある面での事実だったかも知れませんが、やはり加害と被害という関係性が明確な中、日本人の側から強調すべき言葉ではないはずです。

戦後50年の村山談話は、社会党の村山首相の意思が強く反映されたことも確かです。しかし、自民党の閣僚も了解し、閣議決定した政府の公式見解という位置付けであったことも間違いありません。読み返した際、決して卑下しすぎた印象はなく、見解や評価の分かれる表現があったとしても、明らかな事実誤認に繋がるような言葉はなく、自民党の閣僚が反対しなかったことも理解できます。謝罪と反省が強調された村山談話は中国や韓国から評価され、戦後60年の小泉談話にも村山談話の歴史認識は受け継がれていきました。

日曜朝の『新報道2001』の中で村山談話に対し、平井文夫フジテレビ解説副委員長は「変な文章を出した」「党利党略で歴史認識を決めた」と批判していました。ゲストの一人、金美齢さんは「いつまでも過去のトラウマを引きずって歩いていたら幸せになれない。幸いにも総理大臣が安倍晋三なのよ、今、ちゃんとした前向きの談話を出さなければ日本は永遠に一本立ちできない」と訴えていました。本当に一人ひとり、いろいろな見方や考え方があることを知る機会となっています。

中国の李克強首相は15日、全国人民代表大会(全人代、国会に相当)閉幕後の記者会見で、安倍晋三首相が今年夏にも公表する戦後70年談話を念頭に「国家指導者は先人が作り上げた成果を継承するだけでなく、先人の犯罪行為がもたらした歴史責任も負うべきだ」と述べ、日本側をけん制した。日中関係では「現在の日中関係の困難さの根源は、先の戦争の歴史を巡って正確な認識を持てるか否かにある」と指摘。「日本の指導者が歴史を直視すれば、日中経済貿易関係の発展に向けた環境は自然と良くなる」とも語った。日中関係のさらなる改善の条件として安倍首相に歴史認識を改めるよう求めたものだ。【日本経済新聞2015年3月15日

上記のような干渉を不愉快に感じ、強く反発される方も多いようです。ただ不本意であろうと現実的な問題として、何らかの対応をはかっていかなければなりません。昨日開かれた日中韓3か国外相会議の中でも70年談話の中味が注視されています。過去、安倍首相自身は「村山さんの個人的な歴史観に日本がいつまでも縛られることはない。その時々の首相が必要に応じて独自の談話を出すようにすればいい」と発言していました。特に「侵略」という表現には著しい嫌悪感を持たれているようです。

現在は「安倍内閣として侵略や植民地支配を否定したことは一度もない」という言い方に徹し、70年談話に向けても有識者会議の議論を参考にしていく手順を踏んでいます。安倍首相は個人的な信条や金美齢さんのような支持者の声を踏まえた談話を出したいものと考えているのかも知れませんが、日本の国民にとって何が最も大事なのか、この論点を重視した判断に至ることを心から願っています。いずれにしても戦後70年という節目の年に安倍首相が総理大臣だったことの評価は、今後示される談話の内容によって大きく左右されていくのではないでしょうか。

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2015年3月15日 (日)

改めて言葉の重さ

しばらく流された後、私は運良く瓦礫の山の上に流れ着きました。その時、足下から私の名前を呼ぶ声が聞こえ、かき分けて見てみると釘や木が刺さり足は折れ変わり果てた母の姿がありました。右足が挟まって抜けず、瓦礫をよけようと頑張りましたが私一人にはどうにもならないほどの重さ、大きさでした。母のことを助けたいけれど、ここに居たら私も流されて死んでしまう。「行かないで」という母に私は「ありがとう、大好きだよ」と伝え、近くにあった小学校へと泳いで渡り、一夜を明かしました。

そんな体験から今日で4年。あっという間で、そしてとても長い4年間でした。家族を思って泣いた日は数えきれないほどあったし、15歳だった私には受け入れられないような悲しみがたくさんありました。全てが、今もまだ夢の様です。しかし私は震災後、たくさんの「諦めない、人々の姿」を見てきました。震災で甚大な被害を受けたのにもかかわらず、東北にはたくさんの人々の笑顔があります。「皆でがんばっぺな」と声を掛け合い復興へ向かって頑張る人たちがいます。日本中、世界中から東北復興のために助けの手を差し伸べてくださる人たちがいます。そんなふるさと東北の人々の姿を見ていると「私も震災に負けてないで頑張らなきゃ」という気持ちにいつもなることが出来ます。

震災で失った物はもう戻ってくることはありません。被災した方々の心から震災の悲しみが消えることも無いと思います。しかしながらこれから得ていく物は自分の行動や気持ち次第でいくらにでも増やしていける物だと私は思います。前向きに頑張って生きていくことこそが、亡くなった家族への恩返しだと思い、震災で失った物と同じくらいの物を私の人生を通して得ていけるように、しっかり前を向いて生きていきたいと思います。

東日本大震災から4年が過ぎました。上の文章は追悼式で読み上げられた遺族代表の一人、石巻市出身の菅原彩加さんの言葉です。この言葉に接した時、胸が締め付けられました。これまで震災や戦争における悲惨な場面で、瓦礫の下敷きになった母親が「早く逃げなさい」というやり取りの多さを思い描いていました。そのようなやり取りがあったことも事実だったはずです。一方で、菅原さんが体験したような過酷なやり取りも紛れもない事実であることを思い知り、胸が締め付けられました。

菅原さんの母親の苦しさや絶望感、その母親を助けられなかった菅原さんの悲しさや切なさ、いろいろな思いが頭の中を駆け巡りながら事実の重さに強い衝撃を受けました。菅原さんにとって、きっと思い出したくない本当に悲しい事実だったはずです。できれば隠し通したかった事実だったかも知れません。4年後、消えることのない震災の悲しみ、その事実を明らかにしながら追悼の言葉と前向きに生きていく決意を発した菅原さんの言葉は非常に重く、多くの方々に深い感銘を与えたはずです。

追悼式の前々日、ドイツのメルケル首相が洞爺湖サミット以来、7年ぶりに日本を訪れていました。アジア外交で中国に傾斜していたドイツは日本と疎遠な関係でしたが、ウクライナ危機を受けて両国の距離は縮まりつつありました。メルケル首相は安倍首相と会談した際、「内政干渉」に当たらないようテーマを絞り、日独関係の強化が確認できるような振る舞い方に努めたようです。しかし、首脳会談の前後に発しているメルケル首相の言葉の数々は日本とドイツの違いを浮き彫りにしています。

ドイツのメルケル首相は日本を訪問するのを前に、ドイツが進めている脱原発政策について、「日本も同じ道を進むべきだ」と述べ、エネルギー政策の転換を呼びかける考えを示しました。メルケル首相が9日から7年ぶりに日本を訪問するのを前に、ドイツ政府は7日、メルケル首相と福島出身でベルリンで化学の研究をしている日本人研究者との対話の映像をインターネット上で公開しました。この中で、メルケル首相は4年前の東京電力福島第一原子力発電所の事故について、「ドイツは、このぞっとするような原発事故を連帯感を持って受け止め、より早く原子力から撤退する道を選んだ」と述べました。

そのうえで、「ドイツは今、再生可能エネルギーへの転換を進めている。日本もドイツと協力して同じ道を進むべきだ」と述べ、今回の日本訪問中、エネルギー政策の転換を呼びかけていく考えを示しました。メルケル首相は日本は島国で資源にも乏しいとして、ドイツと完全に同じような政策を進めるのは難しいという認識も示しましたが、「福島の事故の経験から言えることは、安全性が最も重要だということだ」と述べ、ドイツとしては今後も脱原発政策を着実に進める姿勢を強調しました。【NHKニュースWEB2015年3月7日

来日中のドイツのメルケル首相は9日、東京都内で講演し、ドイツが2011年3月の東日本大震災直後に、エネルギー政策を転換して脱原発を決定した理由について「極めて高度な科学技術を持つ国で福島のような事故が起きたのを目の当たりにし、(原発には)予想できないリスクが生じることを認識した」と述べた。福島第1原発事故を受け、メルケル政権は22年までに原発を段階的に停止し、再生可能エネルギーを拡充する政策へと転換した。メルケル氏は「(脱原発は)長年原子力の平和利用を支持してきた人間による、政治的な判断だった」と述べ、自らが物理学者として抱いていた原発の安全性に対する考えが揺らいだことを明かした。【毎日新聞2015年3月10日

メルケル首相は講演の際、日本が歴史問題で中国や韓国と対立していることに関しても触れていました。ナチスによるユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)の歴史を背負うドイツが「過去ときちんと向き合った」ことで国際社会に受け入れられ、かつて敵国だった近隣諸国との和解に至ったとし、日本も「歴史に向き合うべき」だと述べていました。少し前の記事「言葉の重さ、雑談放談」の中で記したことですが、ナチスと戦前の日本を比べることを問題視する声があります。ただ歴史を直視するという論点については同根のものがあるため、機会を見て改めて掘り下げてみようと考えています。

今回の記事はタイトルに掲げたとおり「改めて言葉の重さ」について、私自身が感じていることを言葉にしています。このブログに書き込む言葉自体、重いのか、軽いのか、自分自身で評価することはできません。紹介した報道内容をはじめ、あくまでも閲覧されている方々の受けとめ方に委ねさせていただくことになります。言葉の重さを論点にした際、メルケル首相の言葉は、原発に対する政策や近隣諸国との関係性において実践してきた事実に基づいた言葉であり、たいへん重いものを感じています。

メルケル首相の日本への助言となる一連の言葉は安倍首相の耳にも届いているはずです。しかし、どこまで真摯に受けとめようとしているのかどうか分かりません。残念ながら「余計なお節介だ」と思われているのかも知れません。少し話が横道にそれますが、人によってドレスの色が変わるという話題に接した時、安倍首相のことが頭に思い浮かびました。見る人によって、ドレスの色が白と金に見えたり、黒と青に見えてしまうという話でした。安倍首相に対する評価や見方は人によって本当に大きく変わるようです。

立場や基本的な視点の相違から生じる当たり前な話かも知れませんが、安倍首相ほどそのギャップの大きさが顕著であるように感じています。自民党大会での安倍首相の演説に対し、安倍首相に近い方は「強さと優しさがうまくバランスされている。しかも、基本的に明るくて前向きだ」というように絶賛しています。安倍首相に距離を置いている方は東日本大震災の追悼式の場で「少々配慮にかける一挙手一投足であった」という見方を示しています。同じ場面で比べる事例を掲げられませんでしたが、もともと支持しているかどうかで絶賛と批判という大きな枝分かれが生じていくように感じています。

最後に、安倍首相は追悼式の式辞で、まず「被災地に足を運ぶたび、復興のつち音が大きくなっていることを実感する。復興は新たな段階に移りつつある」と強調されていました。その後に「今なお23万人の方が厳しい、不自由な生活を送られている。健康・生活支援、心のケアも含め、さらに復興を加速していく」と続けています。復興が進んでいることも間違いありません。しかし、思うように復興が進まない地域や避難生活を余儀なくされている方々にとって、真っ先に安倍首相が「復興は新たな段階」と話されることには違和感を抱かれるのではないでしょうか。さらに下記のような事実に触れてしまうと「言葉の重さ」から、ますます程遠い言葉だったように聞こえてしまいます。

首相就任以来、安倍晋三氏はほぼ月1回のペースで20回以上にわたって被災地視察を繰り返してきた。宮城・亘理(わたり)町のイチゴ、石巻市の焼きガキ、福島・小名浜市のイカ、岩手・宮古市のワカメ、宮城・七ヶ浜町の焼き海苔……。被災各地の視察で特産品を振る舞われるたび、安倍首相は記者団に「ものすごくおいしい」などと笑顔で語り、被災地グルメを満喫してきた。岩手・大槌町では伝統刺 「刺し子」の工房を訪れたほか、宮城・気仙沼市では漁の網を編む伝統文化を応用したニット製造会社でカーディガンを試着。編み手として働く地元女性たちの嬌声に気をよくしたのか「軽くて暖かい。自分でいうのもなんですが似合ってますね」とニンマリしながら軽口を叩いてみせた。

首相の被災地視察はいつも和気藹々とした雰囲気の中、復興が目に見えてわかるような場所ばかりで行なわれている。2月14日、居住が始まった気仙沼の災害公営住宅を視察した安倍首相はテレビカメラの前で「復興もいよいよ新たなステージに移りつつあると実感した」などと語り、復興の進展を強調した。しかし実際に被災地を歩くと、現実は「新たなステージ」にはほど遠いことがわかる。首相が視察した気仙沼の公営住宅建設予定地前で商店を営む男性がいう。 「来年3月までに2000戸以上の公営住宅が完成するって聞いてましたけど、ご覧の通りですよ。実際にできているのは100戸もないじゃないですか」

気仙沼市によると、計2155戸の建設を予定しているが、完成しているのは今年1月時点で75戸。4年もかかってこの数である。計画通りの来年3月までの整備はとても間に合わず、1年2か月も計画を先送りした。これが「新たなステージ」だろうか。安倍首相が焼きガキに舌鼓を打った石巻市でも同様だ。庄司慈明・市議が憤る。「石巻市では76.6%の家屋が被災するなど被害が大きく、4500戸の復興住宅が必要です。しかし3月末までの完成予定分を含めても936戸しかない。600戸分は土地の確保さえできていない。政府がカネだけ払えばそれで解決するというものではない」

甚大な被害を受けた航空自衛隊松島基地がある東松島市を安倍首相は2度訪問している。菅原節郎・市議がこう指摘する。「総理が視察した先は、松島基地と小松南団地という市内でも復興が進んだほんの一部だけ。そこにテレビや新聞の記者も同行するから、県外の人から『復興は順調に進んでいる』と思われている。ところが、小松南団地から車で10分も行けば仮設住宅が立ち並ぶエリアがあり、143人の犠牲者が出た東名地区には震災後から手つかずのままの荒れ地が広がっている。総理にはぜひバランスのとれた視察をしていただきたい」

本誌記者は首相が視察した岩手・大槌町の水産加工会社や山田町の造船会社などを訪問した。たしかにそれらの建物はピカピカだ。しかし、その建物は無残な荒野の真ん中にポツンと建っていた。官邸にとっては首相の被災地訪問はパフォーマンスでしかない。官邸筋によれば「総理の視察先は復興が目に見える形で進んでいるところを主として選定している」という。岩手県の幹部職員が苦々しい顔で話す。「安倍首相が視察すると、同じ施設を閣僚が視察し、さらに復興庁の官僚が同じルートをなぞるケースが多い。首相の訪問先が“復興先進地”なので、中央から来た人は厳しい現場を素通りして帰ることになる」【週刊ポスト2015年3月20日号

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2015年3月 7日 (土)

春闘期、非正規雇用の課題 Part2

かなり前に「季節は春闘、多忙な日々」という記事を投稿していましたが、先週も本当に多忙な一週間でした。水曜日は人員の課題の決着期限が迫っていたため、深夜まで労使交渉を重ねました。毎年、多くの職場から増員要求が出されている中、自分の職場の要求にばかり傾注する訳にはいきません。しかし、今回だけは最後まで譲れない強い姿勢を示し続けました。その結果、何とか1名の増員回答を引き出すことができました。翌朝、職場の皆さんに報告した際、拍手をいただき、苦労が報われる瞬間でした。

木曜日と金曜日、同じ場所、同じ時間帯で取り組まれた駅頭宣伝活動に連日参加しました。それぞれ駅前を通行されている方々にティッシュペーパーも配っていました。木曜は「労働組合を作りましょう 連合は応援します」、金曜は「平和な未来を!! 戦争をさせない全国署名」と記されたチラシが入れられていました。金曜の宣伝活動の際には私自身もマイクを持つ機会があり、このブログに掲げているような問題意識を自分なりの言葉で訴えさせていただきました。

火曜日には連合地区協議会と東京都労働相談情報センターとの労働情勢懇談会が開かれました。議題の初めに労働相談情報センターの役割や事業の報告がありました。労働相談・あっせん、労働情報の収集・提供、労働セミナーの開催、非正規雇用環境整備などを目的にした企業支援事業、労使団体や働く人々のために会議室の貸出が役割として紹介されました。カラーのチラシ「若者必見!知らないと損する労働法 バイト先のトラブル!その時どうする?」が配られましたが、最近取り沙汰されているブラックバイト対策に力を注ぐため、動画の配信を始めたそうです。分かりやすい動画ですので、ぜひ、リンク先をご覧ください。

管内における前年度の相談件数は52,684件で、8年連続で5万件を超え、依然として高水準であるとのことです。相談内容は4年連続で「退職」が最多となっていますが、「職場の嫌がらせ」が増え続けているという報告を受けました。上司からの嫌がらせの相談を受けていた最中、その上司もストレスで休職してしまったというケースがあったそうです。それぞれの会社に余力がなくなり、一人ひとりの業績が追い求められていくため、メンタルやパワハラの問題に繋がりやすくなっているという説明も添えられていました。

非正規労働者に関わる相談も前年度比で6.3%増加していました。今回の懇談会では「非正規労働者の労働条件改善・組織化の取り組みについて」が議題の柱の一つでした。出席した連合地区協の役員一人ひとり、自分の所属している産別や組合の取り組みについて報告しました。その際、私自身は前回記事「春闘期、非正規雇用の課題」に記した内容の要旨を報告させていただきました。懇談会の前、情報センターの皆さんと名刺交換していました。名刺にはブログのURLも記しています。

そのため、公務員やその組合の言い分を広く発信するため、個人の責任でブログを始め、週1回更新していること、今回報告した非正規雇用の課題について最新の記事で取り上げていることを参考までに紹介させていただきました。さらに厚かましくも「言葉不足な点はブログをご覧になっていただくことで補えるようであれば幸いです」という一言も添えていました。開設した当初、このブログのことを積極的に宣伝していました。しばらくしてからは機会を見ながら触れる程度にとどめていますが、一人でも多くの方に閲覧いただきたいという思いは一貫しているところです。

さて、前回記事「春闘期、非正規雇用の課題」に対し、れなぞさんから「自治労とその構成員は非正規公務員を利用して自らの厚遇を謳歌する犯罪的組織であると認識しています」というコメントが寄せられていました。私からは「たいへん残念な不本意な見られ方だと言わざるを得ません。なぜ、そのような認識に至っているのか、理由が付されていませんので推測するしかありませんが、引き続き記事本文を通して非正規雇用の課題を取り上げていければと考えています」とお答えしていました。

でりしゃすぱんださんからは土曜日に正規と非正規の仕事の内容・量・質や関係性などについて詳しく分析されたコメントをお寄せいただきました。れなぞさんの思考パターンを推測するにあたり、ほぼ同一の仕事内容にも関わらず、正規と非正規の待遇に大きな開きがあることを思い浮かべています。そのことは自治労としても強い問題意識を持ち、活動方針の中で大きな柱とし、さらに非正規労働者の組織化も進めてきています。ただ残念ながら劇的な成果を出し切れていない現状であることも確かです。

このような現状に対して「アリバイ的な運動に過ぎない」という厳しい見方をされる方も多く、れなぞさんの「非正規公務員を利用して自らの厚遇を謳歌する犯罪的組織である」という思考パターンもこのあたりから組み立てられているのかも知れません。過去の記事に「自治労委員長の問題提起」があり、徳永前委員長が「正規職員と非正規職員が賃金をシェアし、全体として処遇改善と安定雇用をはかるという方策を大胆に採用すべきだ」と提起したことを綴っていました。この提起には反発も多く、明確な方向性を打ち出せるまでに至っていません。このような問題意識を踏まえ、「非正規公務員の課題 Part2」という記事を投稿していました。

限られた財源や原資の中で、一定の配分見直しも欠かせないのかも知れません。しかしながら非正規の待遇改善が、正規の労働条件引き下げを前提としていくことには強い違和感があります。基本的な方向性は非正規の待遇の底上げを重視すべきものであり、そのような立ち位置を明確にしていかなければ結果的に働くことの社会的な価値が低いほうへ、低いほうへと流されていくのではないでしょうか。特に「正規イコール悪」という喧伝も耳にしがちですが、そのような言葉の裏側には人件費を極力低く抑えたいという思惑が先行しているように感じています。最後に、最近話題になった対談を紹介します。

竹中平蔵・慶大教授と山口二郎・法大教授が2日、BS日テレの「深層NEWS」に出演し、安倍首相の経済政策「アベノミクス」を巡る格差の問題について議論した。竹中氏は、「雇用者報酬が実質で増えていることは重要。日本でも(格差が)拡大しつつあるが、世界の中で見れば客観的に低い」と強調。そのうえで、「正規が非正規を搾取する構造になっている。正規と非正規の壁をなくさなければいけない」と述べた。一方、山口氏は、「個人消費が伸びず、実質賃金も低下し続けている。マクロ経済の数字の改善が(国民経済の)成功指標であるという関係は21世紀に入って崩れた」と指摘。「普通の働く人に力点を置かなければ、経済回復の道筋は描けない」と訴えた。【読売新聞2015年3月2日

ちなみに竹中教授は元旦に出演した番組で「正社員をなくせばいい」とも発言していました。竹中教授はいくつかの大臣を歴任し、今でも政府産業競争力会議(民間)議員や国家戦略特別区域諮問会議(有識者)議員という要職を務め、国の政策に強い影響力を与えられる立場です。大手人材派遣会社のトップという顔も持っているため、意図的に派遣労働者を増やそうとしているようにも見られがちです。政治家や官僚らの発言、「政治とカネ」の問題は仔細に注目を浴び続けていますが、私人(?)である竹中教授の言動や立ち位置が問題視されることはあまりないようです。

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