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2015年2月 1日 (日)

人質テロ事件から思うこと

所々に畑が残る裏道を自分の車で走っていました。信号機のない見通しの良い交差点に近付き、優先道路から左折するためにスピードを落とし始めた時、右側から走ってくる軽自動車が目に入りました。一時停止が必要なのは軽自動車のほうでしたが、嫌な予感がして私のほうがブレーキを踏みました。すると軽自動車は一時停止することなく、私の車の前を横切っていきました。

さらに軽自動車を運転していた女性と少しだけ視線が合った際、私のほうをにらみ付けていた様子がうかがえました。ブレーキを踏むのが遅かった私を責めるような視線を感じました。「えっ、悪いのが私?」と思えるような予想外のニアミスでした。一時停止違反は明らかに軽自動車のほうであり、ムッとした憤りも沸き上がりました。それでも嫌な予感が的中し、事故に至らず幸いだったと気持ちを切り替えていました。

先日、実際に遭遇したエピソードから新規記事を書き始めさせていただきました。普通に安全走行していても、突然、横から暴走した車にぶつけられるケースもあります。このような場合、自分の力で事故を防ぐことは不可能です。相手側の全面的な過失であり、運が悪かったとしか言いようがありません。今回の私のケースは減速していたため、「もしかしたら止まらないかも知れない」と予見でき、事故を未然に防ぐことができました。

「相手が止まるはず」「相手が止まるだろう」と決め付けてしまった場合、思いがけない衝突事故に繋がりがちです。事故を起こした影響は身体への危険をはじめ、余計な出費や時間的な損失など大きなものとなりかねません。このような事態は誰もが避けたいものと考えているはずです。そのため、交通安全の講習では「かも知れない」運転を推奨し、「だろう」運転を戒める話が必ず出てきます。

警察庁の通達文書の中では「危険予測の心構え」として、駐車車両や障害物の陰から人が突然出てきても、安全な措置が採れるよう「かも知れない」運転を心がけること、慣れによる慎重さや緊張感の鈍化による「だろう」運転を回避すること、道路環境の変化に合わせて意識を切り替えることなどの重要性について記されています。このような教えは日常生活の中でも、あらゆる場面で当てはめていくべき大切な心構えだろうと理解しています。

さて、先週の日曜に投稿した前回記事「地域手当を巡る問題点」の冒頭で次のように記していました。

「イスラム国」による日本人の人質事件、土曜の夜、新たな画像がインターネット上に公開されました。真偽は確認中であり、事実ではないことを願いながら二人が無事生還できることを祈っています。卑劣なテロ、「イスラム国」の暴力的な行為を絶対許すことができません。「イスラム国」の言い分に右往左往し、日本政府の責任を問う話などはテロの暴力に屈したことになるという指摘があり、その通りだろうと思っています。一方で、この事件が発覚した以降、ネット上を中心に様々な情報を得てきましたが、いろいろ書き残しておきたい論点も頭の中で駆け巡っています。 機会を見て、そのような情報や論点について当ブログの記事本文を通して綴りたいものと考えています。

たいへん残念ながら湯川遥菜さんに続き、今朝、フリージャーナリストの後藤健二さんも殺害されたというニュースを目にすることになりました。人命を愚弄した卑劣なテロは絶対許せません。強く非難されるべき矛先が残虐なテロ行為を繰り返している「イスラム国」であることは言うまでもありません。そのことを大前提とし、インターネット上を中心に得た様々な情報を紹介しながら、いくつか思うことを書き進めてみます。

まず念のため、今回の記事を安倍政権の批判を目的にした内容にするつもりはありません。もともとレッテルをはった批判やポジショントークは極力避けるように努めています。不特定多数の方々を対象にしたブログを長く続ける中で、思い込みや決め付けた批判はNGとし、一人でも多くの方から「なるほど」を思っていただけるような記述に心がけています。今回の人質テロ事件に便乗し、安倍政権を攻撃するような手法や発想は慎むべき点だと考えています。

そのような国内的な混乱を生じさせることもテロの目的であり、テロの暴力に屈したことになるという東京大学の池内恵准教授のブログの言葉に触れ、その通りだろうと思っていました。ただ過度な自粛を求められ、テロ事件に絡んで安倍首相を批判したこと自体が強くバッシングされるような雰囲気にも違和感を抱いています。このあたりは弁護士の猪野亨さんのブログで顕著なやり取りが続いています。 私自身、猪野さんの主張を全面的に賛同している訳ではありませんが、「非常時だから批判は一切ダメ」という同調圧力の危うさには同じような問題意識を持っています。

また、自分の価値基準に照らし、突飛なアイデアや異質な意見に対し、どうしても蔑んだ言葉や嘲笑を浴びせがちです。今回のテロ事件を通し、ネット上では様々な意見が飛び交っていました。フリーアナウンサーの長谷川豊さんもご自身のブログの中で、元経産省官僚の古賀茂明さんの『報道ステーション』に出演した時の発言を痛烈に批判していました。「安倍首相はイスラム国を空爆する国々に仲間入りしたかったのではないか?」などという発言に対し、「何言ってんだ?このおっさん(涙)!!」という言葉で非難していました。

その記事には150を超えるコメントが投稿されていましたが、必ずしも長谷川さんの論調に賛同するものばかりではなく、正直なところ少し安堵しています。ちなみに古賀さんの空爆発言は極論だと言えますが、奥深い論点が隠されていることも確かです。いずれにしても世の中には明らかにダメなものがあり、悪いものは悪いと断言すべきものも少なくないのかも知れません。それでも自分自身の見方や考え方からかけ離れた異質な意見だったとしても、頭から否定しない関係性が感情的ないがみ合いを避けられる心得だろうと考えています。

多くの方の願いがかなわず、事件は最悪の結末を迎えました。危険地域に赴いた二人の責任を問う声があります。しかし、自らの見通しの甘さや不手際があったから手を差し伸べなくても良いという非情な意見は論外であり、スキー場のコース外に出て遭難しても全力で救助に当たることと同様であるはずです。もちろん「危険予測の心構え」を踏まえ、選択できるのであれば外務省の渡航情報などから判断し、あえて危険な地域に出向かないことが重要であることは言うまでもありません。

続いて、安倍首相の判断の是非に触れていきます。前述したとおり「批判のための批判」とせず、今後の教訓とするためにも省みるべき点があれば、しっかり検証していくことが欠かせないものと考えています。このブログによく登場いただいている衆院議員の長島昭久さんのブログが昨夜更新されました。後藤さんが殺害されたという報道前の記事ですが、いみじくも私自身の問題意識と一致した言葉を目にすることができました。「この時期に、敢えて中東を歴訪しISILとの対決姿勢を鮮明にすることが我が国の国益と外交の優先順位に照らして適切だったか否かについては冷静に検証する必要があると考えます」という言葉でした。

安倍首相の中東歴訪が「イスラム国」に利用され、このような事態に至ったことを安倍首相自身が強く心を痛めていることも確かだろうと思います。しかし、今回の事態を予想できる情報が安倍首相自身に届いていなかった場合、政権内の意思疎通や意見具申できる風通しの悪さを指摘しなければなりません。ある程度予想しながら歴訪し、「イスラム国」を挑発するような発言を行なっていた場合、「危険予測の心構え」の不充分さや軽率さを猛省しなければなりません。

実は人質テロ事件が発覚する前、「バラマキの安倍外交…中東4カ国歴訪で2940億円をポン」という見出しを掲げた『日刊ゲンダイ』の記事を目にしていました。さらにレバノン特命全権大使だった天木直人さんのブログでは「かつて私が援助を担当していた時、財政援助は最悪の形態の援助とされてきた。大蔵省(財務省)は決して認めなかった。援助資金がどのように使われるか管理できないからだ。我々が汗水垂らして収めた税金がムダ金になる。腐敗した為政者の懐に入る可能性がある。それどころか戦争に使われ、テロに回るおそれさえある」という記述も目にしていました。このような見方がある中、2億ドルは人道援助であると強調しても「イスラム国と戦う周辺各国に」と告げてしまえば、敵だと見なされてしまうことを覚悟しなければならなかったはずです。

週刊ポスト』の最新号には官邸内のリアルなやり取りが紹介されていました。フランスでテロ襲撃事件があり、外務省内から今回の中東訪問は「タイミングが悪い」という声が上がったそうです。しかし、安倍首相は「イスラム国がクローズアップされている時に、ちょうど中東に行けるのだからオレはツイている。世界が安倍を頼りにしているということじゃないか」と語り、2億ドルの支援も「日本にとってはたいしたカネではないが、中東諸国にはたいへんな金額だ。今回の訪問はどの国でもありがたがられるだろう」と自身満々だったことが記されていました。

「72時間は短すぎる。時間をもう少しいただきたい」と訴えたイスラーム法学者の中田考さんの記者会見をネット上で確認していました。その中で、注目した箇所をそのまま紹介します。

今回の事件は、タイミング的に安倍総理の中東歴訪に合わせて、発表があったわけですけど、安倍総理自身は、中東に行ったことが地域の安定につながる、和平につながると信じていたと思いますけれども、残念ながら非常にバランスが悪いという風に思います。イスラエルに対して入植地への反対を直言するなどといったことで、バランスの取れた外交を行っているという風に信じているのだと思いますが、中東において、イスラエルとそもそも国交を持っている国がほとんどないというような事態を正確に実感していないのだと思います。ですので、これは中東あるいはアラブ・イスラム世界では非常に偏った外交とみられます。

記者会見の中で、難民支援、人道支援を行っていると強調していましたけれども、もし難民支援、人道支援ということで、今回の中東の歴訪があったとすれば、今シリアからの難民、正確にはわかりませんけれども、300万人とも言われております、その大半、半数以上、160万人ともいわれていますが、トルコにおります。まずトルコを最優先すべきであって、トルコが外れているところで人道支援、難民支援を強調しても、これはやはり信用しないと思われます。訪問国がエジプト、イスラエル、パレスチナ、ヨルダンとですね、すべてイスラエルに関係する国だけであると。そういう選択をしている時点で、アメリカとイスラエルの手先という風に当然、認識されます。人道支援のために行っている、あるいは難民支援のために行っていると言っても理解されない。中東を知るものとしては常識です。

「中東の安定に寄与する」というのは、当然理解できる発言ですけれども、その中で、「中東の安定」が失われているのは、イスラム国が出現する前のことです。その中で、わざわざ「イスラム国」だけ名指しで取り上げて、「イスラム国と戦うため」と言いながら、人道支援だけやっていると言っても通用しない論理だと思います。日本人の人質2人がいるということは、外務省も把握していたと思いますので、その中で、わざわざ「イスラム国と戦う」ということを発言するというのは、非常に不用意であると言わざるを得ないと思います。

結果論や後付けの指摘だという意見もあろうかと思います。ここまで詳しく綴ってしまうと、結局、安倍首相を批判したいのではないかと思われている方も多いはずです。確かに私自身は今回の安倍首相の判断、中東を訪問したことは誤りだったものと思っています。取りやめることがテロに屈すること、そのような見方もあるようですが、悪いのが相手側であろうと「危険予測の心構え」を踏まえた判断も臨機応変に必要だったのではないでしょうか。そもそも直接訪問しなくても人道支援はできたはずであり、今後の教訓化のための検証や議論を深めて欲しいものと願っています。

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コメント

今回の事件や悲惨な紛争が起きるたび、「神や仏は泣いているのだ」(黒澤監督の映画「乱」より)という言葉を思い起こします。中東は大国の思惑等や独立しても政情が安定しないなど苦難の歴史があります。安定の維持、石油資源の確保等で外交を行っていくことも日本の使命であるとも感じています。

投稿: ためいきばかり | 2015年2月 1日 (日) 23時19分

>結局、安倍首相を批判したいのではないかと思われている方も多いはずです。

私は、管理人に批判的な人間ではありますが、
さすがに今回は、そうは思っていませんね。

イスラエルの国旗が有る場で、首相が演説したことに批判が出ていますが
他の中東諸国とは以前に調整が出来ていたと見聞きしています。
だからイスラム教の国全てに喧嘩を売ったというのは間違いのようです。

しかし、イスラム国は話が通じる相手ではないし、
要求と屈服が全てであり、交渉などはありえない相手でもあります。
そこに配慮が欠けていたと批判されれば、その通りでしょう。

ただし、イスラム国はものすごく刹那的な人々が集まった組織ですので、
今回の件が無かったとしても、結果が変わるかといえば難しいと感じています。

従って、今後の教訓化のための検証や議論は、
そういう相手の特性も十分に踏まえて、されるべきと思います。


>ロ事件に絡んで安倍首相を批判したこと自体が強くバッシングされるような雰囲気にも違和感を抱いています

今しばらくは仕方のないことだと思います。

今日は、さっそく官邸前で安倍総理の退陣を求めるデモがあったそうですね。
ただ、色々といつもながらの主張を織り交ぜる人も多かったと聞いています。

その者の思いにとって、効果が無いばかりか逆効果にしかならない思いました。


>「非常時だから批判は一切ダメ」という同調圧力の危うさには同じような問題意識

私は、今しばらくは主義主張を置いて、上で記したように
どういう特性の組織が相手なのかも十分に踏まえた上での
それこそ有識者による今後の教訓化のための検証や議論が終わるまでは、
一般国民は、推移を見守るほうが良いと思っています。

以上です。

投稿: s | 2015年2月 1日 (日) 23時31分

この件については、至極まともな積極論をイデオロギーの違いを乗り越えて議論することが肝要なのかなと思います。

結果論として、日本政府が決して平和ボケだとか無能ではなかったことは、確認できたんじゃないかと思います。

涙を流す人々に日本古来の定住農業を伝えていくような、ただ単純な自国で生産した農産物を買い取っては投下する国とは違う。
JICAやNGOなどが体を張って国際貢献をしてきたような、日本国憲法下における、日本の援助、経済活動の延長線上において今回のヨルダンやトルコのような国々に尽力いただいている。

憲法はロケットランチャー持たせた悪ガキを駆逐することまでは想定して書いていないけれども、ま、防衛省が万が一を考えているのは、おそらく間違いない。
ただ、万が一であっても、国際的な愚連隊に無人機でミサイル打ち込むような、連中の思う壺になることまではやらないと思う。
できて、兵站までかなと。憲法ぎりちょんで。そういう判断を迫られる時が来るかもしれない。

野放図に戦乱に参加すると、じゃ、自動操縦を開発してGo!だと、日本人は傷つかないからいいのか?あるいは、そもそも憲法上の国際紛争とはなんぞや?ということになりかねない。

今のところ人道支援を中心にということならば、それでもいいと思う。何もやらないよりはマシ。

願わくば、後藤さんと湯川さんが、ひょこり帰ってきてくれるのを、わずかながらの確率で願うばかり。
まだ、冥福は祈れないです。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2015年2月 2日 (月) 23時36分

ためいきばかりさん、sさん、でりしゃすぱんださん、コメントありがとうございました。

いろいろ思うことを新規記事でも綴ってみるつもりです。ぜひ、またご訪問いただけれぱ幸いですので、よろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2015年2月 7日 (土) 21時13分

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