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2015年2月28日 (土)

春闘期、非正規雇用の課題

今年の春闘でも連合や自治労の重点指標として「非正規労働者の労働条件改善」が掲げられています。厚生労働省の統計資料によると全雇用者5201万人のうち非正規は1906万人、36.7%を占めています。このような現状を踏まえ、労働組合にとって非正規雇用の課題はたいへん重要なものとなっています。働くことに対する価値を社会全体で底上げをはからない限り、低いほうに流されがちです。このブログでも「非正規雇用の話、インデックス」があるとおり様々な切り口から非正規の問題を取り上げてきています。

昨年末、私どもの組合は「継続的な業務に携わる臨時職員は、嘱託職員化をはかること」「臨時職員の時間単価を引き上げ、安定的な確保に努めること。また、1年間を通して仕事がある場合は、同じ職員を配置すること。また、やむを得ず1年を超えて雇用する場合は、1か月の間を開けずに継続雇用すること」という要求項目を掲げた「人員確保及び職場改善に関する要求書」を市の人事当局と教育委員会当局に提出しています。その際、数年ぶりに「嘱託職員に関する独自要求書」も人事当局に提出していました。

①嘱託職員の報酬に報酬表を導入し勤務年数によって引き上げること、②嘱託職員に一時金を導入すること、③全嘱託職員に代休制度を導入すること、④嘱託職員の休暇制度を充実させること、以上4点について要求しています。年明けに重ねている人員や春闘期の交渉を通し、要求の前進をめざしているところです。そのような中、朝日新聞の『春闘60年 賃上げの行方』という連載の一つに「自治体で働けど… 遠い安定 非正職員60万人 月17万円 昇給・退職金なし」という記事を目にしました。

正社員と非正社員の待遇格差をどう縮めるかが焦点となる今春闘で、自治体で非正職員として働く人たちが、待遇の改善を求めている。民間の働き手に比べ法的な立場が弱く、雇用も不安定だ。全国に60万人以上いる自治体の非正職員たちの声は届くのか。

「このまま続けるべきか、転職するべきか」。連合が1月末に東京都内で開いた集会で、広島県安芸高田市の保育士、光實大輔さん(30)が打ち明けた。市内の保育園で働く非常勤職員で、手取りは月17万円。契約は1年更新で、昇給も一時金(賞与)もない。 勤めて8年だが、同じ保育士の妻(31)と合わせても年収400万円だ。2人の子どもを抱える光實さんにとって「生活するのにギリギリの額」。市側はここ数年、賃上げに応じない。転職した方がいいのでは、と考え始めている。

北海道の自治体病院で働く看護助手の増田光子さん(61)は、8歳下の夫と2人暮らし。昇給がなく、30年近く働いても年収は200万円を切る。退職金もない。「この給料ではもらえる年金も知れている。働ける間は働かないと、将来が不安」。同じ病院の非正職員でつくる労組の部会長で、春闘では、非正規の職員には出ていない灯油代など手当の充実を訴える。

雇い止めの不安もある。鹿児島市の図書館で、嘱託職員の司書だった野田千佐子さん(52)は昨年3 月、契約を打ち切られた。働き始めて2年目、市が嘱託職員を5年を超えて雇用しない方針を打ち出した。仲間と労組をつくり、雇用の継続を訴えたが、認められなかった。7年前に夫を病気で亡くし、子どもは高2と中2だった。遺族年金などで乗り切った。

自治体の財政難や定数削減のあおりで、非正職員は増える。総務省の2012年の調査では、4年前より10万人多い60万人。自治労の調査でも、賃金は月給制の場合、16万円未満が半数を超えた。有期の雇用契約が5年を超えると、無期契約に転換できる労働契約法が適用されるのは、民間の働き手だけ。非正社員の立場を改善しようという法的な枠組みから、公務員は「カヤの外」に置かれる。多くの自治体では、正職員に支給される一時金も出ない。地方自治総合研究所の上林陽治研究員は「住民に身近なサービスの多くを非正職員が支える。サービス低下を招かないためにも待遇改善が急務だ」と指摘する。

◆キーワード <自治体勤務の非正職員> 採用の根拠となる地方公務員法などによって、非常勤職員や臨時職員などと呼ばれる。消費生活相談員や図書館職員、学校給食調 理員や保育士などで非正職員の比率が高い。自治労の12年の調査では、自治体の職員全体に占める非正職員の割合は33・1%になる。【朝日新聞2015年2月18日

かなり昔から私どもの組合は嘱託職員の直接加入を進め、現在、非正規雇用の割合は組合員数全体の2割(再任用含む)ほどの比率となっています。切実な課題が多く、職場や職種によっては定期的な話し合いを頻繁に行なっています。当初、図書館に配置された市民公募による嘱託職員の雇用期間は最長5年間と定められていました。嘱託職員の場合、1年ごとの雇用期間であり、更新回数の問題が争点となりました。教育委員会当局は「この仕事を広く市民の皆さんに経験していただきたい」というような理由を示していました。

それに対し、組合は「5年後に本人の意に反した失業者を出すのか」と訴え、労使交渉を重ねる中で雇用延長を認めさせてきました。その後、学童保育所や学校事務職場などでも嘱託職員化が進み、現在、65歳までの雇用保障を原則としています。週4日程度の勤務時間の職場が多く、月収20万円前後が基本となっています。賃金水準のマイナス勧告が続き、職員の月収を下げていた時、嘱託職員の報酬額には連動させませんでした。引き下げだけはとどめさせてきましたが、引き上げがなく、基本的に同水準で何年も推移しています。

そのため、独自要求の上記①のとおり報酬表の導入を真っ先に掲げています。一方で、この報酬表の導入や②の一時金要求に関し、嘱託職員の法的な位置付けによる一定の制約があることも押さえていかなければなりません。昨年7月に総務省公務員部長から「臨時・非常勤職員及び任期付職員の任用等について」という通知が自治体あてに発出されていました。その中の「報酬等について」では次のように記され、嘱託職員には時間外勤務手当や通勤手当以外、手当支給を認めていません。

地方自治法第204条において、常勤の職員(臨時的任用職員である者を含む。)及び非常勤の職員のうち短時間勤務職員(再任用短時間勤務職員、任期付短時間勤務職員及び育児短時間勤務に伴う短時間勤務職員)には、給料及び諸手当を支給することとされている。一方、同法第203条の2において、短時間勤務職員以外の非常勤の職員には、報酬及び費用弁償を支給することとされており、手当は支給できないものである。ただし、時間外勤務に対する報酬の支給や、通勤費用の費用弁償については、後述する②及び③に留意し、適切な取扱いがなされるべきである。

この通知の評価は様々な見方があります。嘱託職員には手当を支給できないという念押しである一方、時間外や通勤手当も出せないと誤解している自治体があり、その誤解を解消するための通知でもあったようです。総務省の「21年通知」発出後、今回の通知に至った経緯や理由が「臨時・非常勤職員の任用等について(新たな通知の背景とポイント)」の中で説明されています。ただ時間外勤務手当に関しては「労働基準法が適用される非常勤職員に対して」という枕詞が付いていることも留意していかなければなりません。

ちなみに「地方自治法改正案が議員提案(非常勤職員にも手当支給を可とする)」という背景も例示されています。この話は以前の記事「非正規雇用の話、インデックス」の中で触れていましたが、残念ながら法改正には至っていません。総務省としては「だから手当支給はダメです」と強調したいのか、このような要請があることを周知したかったのか、判断しづらいところです。判断の難しさは今回の通知全体を通して言えることですが、非正規雇用の待遇改善を求めている組合側に有利に働く記述が随所にあることも確かでした。

休暇の整備や健康診断の義務規定が改めて説明されています。特に「再度の任用の場合であっても、新たな任期と前の任期の間に一定の期間を置くことを直接求める規定は地方公務員法をはじめとした関係法令において存在しない」という箇所に注目しています。前述した私どもの組合要求の臨時職員の継続雇用に際した「追い風」に繋げられる記述ですが、このような場合、嘱託職員化や正規化の必要性を念頭に置くことも考えていかなければなりません。

通知の中でも臨時・非常勤職員の任用の継続に際して留意を求め、特に総務省は任期付職員制度を積極的に活用するよう強調しています。総務省としては現在の法制度の範囲内で、できること、できないことを明記したという立場だろうと思っています。したがって、都合良く勝手に解釈し、違法もしくは脱法と見られるような行為は慎まなければなりません。それでも臨時・非常勤職員の増加を踏まえ、経済全体の底上げをはかる必要性なども背景に掲げているため、待遇改善に生かせる通知であることも間違いないようです。

同一の職務内容の職に再度任用され、職務の責任・困難度が同じである場合には、職務の内容と責任に応じて報酬を決定するという職務給の原則からすれば、報酬額は同一となることに留意すべきである。なお、毎年の報酬水準の決定に際し、同一又は類似の職種の常勤職員や民間企業の労働者の給与改定の状況等に配慮し、報酬額を変更することはあり得るものである。また、同一人が同一の職種の職に再度任用される場合であっても、職務内容や責任の度合い等が変更される場合には、異なる職への任用であることから、報酬額を変更することはあり得るものである。

上記は通知の中の「再度の任用について」における報酬等を説明した箇所です。この趣旨を踏まえれば、報酬表の導入も現実的な検討対象になり得るものと考えています。一時金についても報酬額の支給時期や回数の問題として整理し、条例化をめざす方策があります。代休や休暇制度の充実要求に関しても市側の判断の範疇であるはずです。春闘期、これから人事当局や教育委員会当局と交渉を重ねていく中、総務省の通知内容も有効に活用し、嘱託組合員の要求が一歩でも前進できるよう全力を注いでいきます。

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2015年2月22日 (日)

春闘期、地域給の問題が決着

前回の記事は「言葉の重さ、雑談放談」でした。その記事の最後のほうで「首相としての言葉の重さをもっとかみしめて欲しいものと願っています」と記していましたが、いみじくも2月19日の衆議院予算委員会で安倍首相の「日教組」ヤジが物議を醸しています。ヤジを浴びせられた民主党の玉木雄一郎衆院議員がご自身のブログ「一国の総理の発言の重み」で明らかにしているとおり誹謗中傷の類いとなる不規則発言であり、安倍首相を支持不支持の立場に関わらず問題視すべき言動だと考えています。

そのため、今回の主題から離れた内容ですが、冒頭で一言だけ触れさせていただきました。さらに玉木衆院議員のブログの最新記事「権力とメディア」の内容も、たいへんな問題をはらんだ事例が報告されています。かなり前に「卵が先か、鶏が先か?」という記事を投稿し、「マスコミが世論を作るのか、世論がマスコミの論調を決めるのか」という問題意識を掲げていました。最近は「権力がマスコミの論調を決め、世論を作る」というような構図も全否定できない雰囲気を感じつつあります。

一言だけと述べながら長々と続けてしまい恐縮です。このような問題意識に関しては、やはり機会を見て記事本文で掘り下げてみるつもりです。さて、春闘の季節を迎えています。以前の記事「春闘の話、インデックスⅡ」に示しているとおり私どもの組合では、この時期に様々な職場課題の交渉を重ねています。人事院制度の枠組みがある中、公務員組合は春闘を通して直接的なベア(ベースアップ)交渉はできません。4月からの新年度に向け、職員配置数や休暇制度などの見直し協議に対し、一定の結論を出すための労使交渉に集中しています。

最近の記事に「地域手当を巡る問題点」がありました。先週水曜日、職場委員会を開き、給与制度の総合的見直しに伴う地域手当問題の交渉結果を報告しました。給与制度の総合的見直しの課題が未解決の単組に対し、自治労都本部は2月6日に統一行動を提起していました。私どもの組合は現行の賃金水準が純減する恐れのある地域手当の課題解決に向け、2月4日と5日連夜にわたって集中的に交渉を重ねました。その結果、到達点と判断できる回答を引き出し、水曜日の職場委員会での報告に至っています。

昨年8月に示された人事院勧告では来年度から3年かけて全体の給与水準を2%引き下げ、その原資を再配分することで地域の民間水準を踏まえた見直しなどを求めています。その際、私どもの市の支給地域は3級地から4級地に下げられ、支給率12%が据え置かれる勧告内容でした。勧告通りに従えば基本給2%削減の痛みが直撃する局面となっていました。2月4日、市側から地域手当を12%に据え置いたまま、賃金水準を平均1.7%引き下げた東京都に準拠した賃金表に今年4月から移りたいという提案が示されました。

昨年11月の賃金確定交渉の中で「12%のままでは問題である」という認識を労使で一致させていました。それにも関わらず、12%据え置きという提案が示されたため、団体交渉の中で地域手当の支給率を巡って激しい論戦を交わすことになりました。昨年9月の決算特別委員会の中で市長は、私どもの市のほうが「誰がどう見ても大型都市であるし、行政需要もそれだけ多いだろう、物価もそれなりに高いだろう」と思っているのにも関わらず、そのような点が反映されない市町村ごとの算定基準の矛盾について訴えられていました。

人事院勧告が示された後、この問題で市長と直接話す機会を持った際も「おかしい」という疑問を強められていました。団体交渉や書記長と担当課長による事務折衝からも、今回、私どもの市も国基準を上回る地域手当の率を独自に判断せざるを得ない、そのような感触が伝わってきていました。その判断時期を探っているという事情が垣間見えながら、交渉を継続していた手応えがあったことも確かでした。しかし、同じような問題を抱えた市で新たに国基準を上回る動きがない中、独自判断に対するためらいを徐々に強め始めたように見ています。

もともと三多摩の中で8市町村が国基準を上回る地域手当の率を支給しています。ただ国基準を上回っている8市町村のうちの大半は、地域手当の前身にあたる調整手当の率を引き下げなかったという経緯のもとで独自な率となっていました。今回、私どもの市は国基準を超える地域手当の率の引き上げにあたります。そのため、来年度から国民健康保険料や保育料などの負担増を求める時機に「住民からの理解を得ることが難しい」という結論に達してしまったようです。最近、そのような市側の事情の変化を組合もつかんでいましたが、地域手当の率を引き上げる方向性での解決を求めていく方針のもと2月4日の交渉に臨んでいました。

昨年末の段階では引き上げを示唆する感触があったため、組合側は独自判断を見送る方針に至った市側の姿勢を厳しく追及しました。そもそも「住民からの理解を得ることが難しい」という理由に対しては、給与の総原資を増やす話ではないため、配分の問題であることを説明していけば決して「お手盛り」というような批判は受けないはずであると組合から訴えました。さらに同じ生活圏に暮らし、同じ職務にあたりながら率が大きく下回っていくことの問題を強調し、今後の人材確保の観点からも率の引き上げの必要性を訴えました。

地域手当の率で比べた際、今後、都の職員とは8%、近隣市とは4%又は3%の開きが生じます。市側は「現在、採用試験に千人を超える応募があり、地域手当の率に差が出ても極端に減らない」という見通しを示しています。それに対し、組合側が「極端に減らないかも知れないが、採用したい職員が都や他市を選んでしまうのではないか」という危惧を訴える交渉となっていました。市町村ごとの地場賃金調査のあり方などの問題意識を労使で一致させながらも、国基準を踏み出すことに市側は非常にかたくなであり、独自に判断することを拒み続けました。

本来、人材確保や職員の士気に対し、よりいっそう市側が留意し、独自な決断が求められていたはずです。残念ながら5日夜の段階で、地域手当の率は据え置かざるを得ない決着を受け入れる方向性を判断しました。地域手当を12%に据え置いたまま新賃金表に移る際の緩和策として、前日の交渉で当局から在職者に対する現給保障という考え方が示されていました。この提案は年限を区切った激変緩和策にとどまるため、将来にわたった賃金水準の低下につながり、生涯賃金の総支給額に大きな影響を及ぼすものとなります。

緩和策の協議に重点を絞った後も、組合は現行賃金水準の維持をめざし、粘り強く交渉を重ねました。その結果、2月6日深夜になって市側から新賃金表移行にあたっては同じ号給に移るのではなく、給料額の同額又は直近下位の号給に貼り付けるという回答を引き出しました。今年4月に新賃金表に移行し、当初の3か月間は直近下位の額になる人もいますが、7月に定期昇給があり、当初の当局提案よりも優位な決着となっています。賃金表の枠外に位置付く職員については現給保障を確認し、賃金水準の引き下げが最小限にとどめられたことから到達点と判断しました。

一方、再任用の賃金表は号給が単一であるため、上記のような緩和策をはかれませんでした。たいへん残念なことであり、今後、65歳までの雇用と生活の安定をいっそう拡充するための改善を求めていく決意を交渉報告とともに添えさせていただいています。組合は組合員の皆さんの生活を守る立場から全力で痛みを回避する決着をめざしました。100%満足のいく決着だったとは言えませんが、昨年11月から執行委員を務めている方の「交渉で結果が変わるんですね」という一言が印象に残っています。労使それぞれの立場や主張を真剣にぶつけ合って一つの結論を見出していく臨場感に感嘆した言葉だったようです。

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2015年2月15日 (日)

言葉の重さ、雑談放談

「公務員のためいき」というブログのタイトルに照らし合わせた際、公務員やその仕事に関連した記事内容の少なさに戸惑いを与えてしまう場合もあるようです。右サイドバーのプロフィール欄にあるとおり自治労に所属している市職員労働組合の一役員の立場から発信している記事が多いため、政治や平和に関わる内容が多くなっています。このような関連性については最近の記事「民主党の代表選」の中でも記していました。

念のため、当たり前なことですが、このブログに書き込んでいるような問題意識で、いつも頭の中が一杯という訳ではありません。週に1回、ブログを更新するため、パソコンに向かった際、その時々に最も言葉に残したい題材や内容を選んでいます。ブログのサブタイトルに「雑談放談」と付けているように個人の責任で書きたいことを気ままに投稿してきています。ちなみにそのような「自由さ」がブログを長く続けられている理由の一つだろうと考えています。

以前に比べてコメント投稿の数は減っています。コメント欄に動きがないため、頻繁に訪れてくださる方は減っているはずです。アクセス解析による1週間のページビューの総数から読み取れることですが、訪問者の実数に関しては特に減っていないことも把握できています。コメント投稿に際した「お願い」や議論に対する手応えのなさに見限られ、かつて常連だった方が大勢去られているようです。それでも有難いことに当ブログを注目くださっている方の数に大きな変化がないことも実感しています。

引き続き注目くださっている皆さんの中には、私の書き込む内容を冷ややかな視線で閲覧されている方々も少なくないはずです。マイナーなサイトだとは言え、幅広い考え方や見方をお持ちの方々の目に留まる場であることの貴重さを感じ取っています。思いがけない批判を受ける時もありますが、不特定多数の皆さんに対し、自分自身の主張や問題意識を発信できるツールを持っていることに大きな強みや励みを感じています。

いわゆる左や右でとらえれば、私自身の主張は「左」に見られがちです。最近の記事「人質テロ事件から思うこと」の中で、もともとレッテルをはった批判やポジショントークは極力避けるように努めています。不特定多数の方々を対象にしたブログを長く続ける中で、思い込みや決め付けた批判はNGとし、一人でも多くの方から「なるほど」を思っていただけるような記述に心がけています。今回の人質テロ事件に便乗し、安倍政権を攻撃するような手法や発想は慎むべき点だと考えています、と記していました。

かなり前の記事に「運動のあり方、雑談放談」があり、運動とは「目的を達成するために積極的に活動すること、各方面に働きかけること、選挙運動、労働運動、学生運動」と電子辞書に説明が加えられていることを紹介した上、同じような問題意識を抱えた人たちが一堂に会し、気勢を上げるだけでは運動の広がりはあり得ません。あくまでもデモ行進などを通し、異なる問題意識を持った人たちに「働きかけること」が重視されなければなりません、と続けていました。

このような問題意識のもと、特に最近、支持率で言えば過半数となる安倍首相を支持されている方々から「どのように見られるか」という点を強く意識しています。自治労をはじめとする「左」に位置付けられる運動は、このような点を意識していかなければ先々の展望が開けないものと思っています。また、的確な情報発信を尽くしながらも、共感が広がらないようであれば運動の方向性そのものを検証するような謙虚さも求められていくものと考えています。

記事タイトルに掲げた本題に入る前に長々と綴ってしまっています。もう少しお付き合い願えれば幸いですが、今回の題材「言葉の重さ」を選んだ経緯はドイツのヴァイツゼッカー元大統領の訃報に接したことが切っかけでした。この訃報とともに「過去に目を閉ざす者は結局、現在に対しても盲目となる」という有名な演説の言葉を思い出す機会に繋がりました。1985年5月8日、戦後40年、ナチス・ドイツ降伏の日を記念する連邦特別議会での演説でした。

日本では「荒れ野の40年」という題名が付けられ、翻訳された全文をリンク先で目を通すことができます。演説の最後のほうで「ヒトラーはいつも、偏見と敵意と憎悪とをかきたてつづけることに腐心しておりました。若い人たちにお願いしたい。他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい」とヴァイツゼッカー元大統領は訴えています。ドイツ国内のみならず、冷戦の最中、世界中を感動させた言葉の数々が残されていました。

改めて調べていく中で分かったことですが、その頃の西ドイツでは「いつまでもナチスについて謝罪し続けるのはうんざりだ」という国民の感情が高まっていたそうです。そのような時代の空気を憂い、ヴァイツゼッカー元大統領は歴史を直視することで未来に責任を持つことを自らの言葉に託しました。その演説があり、現在のドイツに繋がっているという見方も的を射ているはずです。ナチスと戦前の日本を比べることを問題視する声もありますが、歴史を直視するという論点では同根のものがあります。このような論点については機会を見て改めて掘り下げてみるつもりです。

今回、焦点にした「言葉の重さ」、文字を読んだだけとなりますが、ヴァイツゼッカー元大統領の演説からはヒシヒシと伝わってきます。安倍首相の演説、支持されている方々にとっては感動や力強さも伝わってくるのかも知れません。先日の施政方針演説をはじめ、どのように話すべきか、著名人の言葉を多用するなど充分練って臨まれていることが見受けられます。しかし、日本人の人質事件に絡む安倍首相の言葉の数々には省みるべき点が多々あったように感じています。

安倍首相はエジプトでの演説で人道支援を言及した際に「イスラム国と戦う周辺諸国に2億ドルの支援」という言葉を使っていました。日本も有志連合の一員という自覚のもとですので、ある意味で正直な説明だったのかも知れません。しかし、この発言を逆手に取られ、「イスラム国」の身代金要求に繋がってしまったため、イスラエルでの会見では「2億ドルの支援は、地域で家をなくしたり、避難民となっている人たちを救うため、食料や医療サービスを提供する人道支援です」と非軍事面の援助であることを強調していました。

安倍首相はエジプトでの演説も「どういう発言するか言葉を推敲している。様々な観点から言葉を選んだ。選んだ言葉が不適切だとは考えていない」と述べています。テロに屈したと見られないためにも「不適切だった」とは答えられないのかも知れません。いずれにしても初めから「イスラム国」を名指しせず、中東地域全体の人道支援であることを強調していれば、もしかしたら別な展開があり得たことも一概に否定できません。安倍首相が2億ドルの人道支援を発表するまで日本は「標的として優先度は高くなかった」という「イスラム国」の言い分を鵜呑みにできませんが、今後の教訓化のためにも真摯な検証が欠かせないはずです。

さらに後藤健二さんの殺害が明らかになった直後、「残虐非道なテロリストたちを私たちは絶対に許さない。その罪を償わせるため、日本は国際社会と連携していく」という強い決意を言葉に表わしました。この文言は官邸の意向で付け加えられたそうですが、「罪を償わせる」という激しい表現は『ニューヨークタイムス』紙をはじめ、海外メディアでは「リベンジ」と理解され、日本が「イスラム国」に復讐あるいは報復するという政府声明を出したと伝えられていました。

しかし、その後の国会答弁で安倍首相は「二人を殺害したテロリストは極悪非道の犯罪人であり、どんなに時間がかかろうとも国際社会と連携して犯人を追いつめて法の裁きにかけるという強い決意を表明したものでございます」と説明しています。刑法犯を警察力によって逮捕し、法に従って処罰するという国家によって復讐することとは、まったく異なる当たり前な話に変わっていました。外務省が数日後に出した英訳でも復讐や報復とは受け取られないような柔らかい表現になっているようです。

それぞれ共通している懸念として、安倍首相は強い言葉や勇ましい言葉を好んで使っています。ただ非常に残念ながら、その言葉から派生する影響への配慮が少し不足しているように見ざるを得ません。なぜ、他者が誤解するような表現を選ぶのか、たいへん僭越ながら一国の首相としての言葉の重さをもっとかみしめて欲しいものと願っています。発言の趣旨を一転二転させることが、ご自身の深謀遠慮のもとの目論見だとしたら、それはそれで奥深く恐ろしい話だと言えますが…。

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2015年2月 8日 (日)

後藤健二さんが残した言葉

国際社会に認められた正式な国家ではない「イスラム国」、このブログでも鍵括弧を付けて表記しています。2014年6月、シリアとイラクの武装勢力が「イスラム国」の樹立を宣言した後、これまで同組織を公式に承認した国は一つもありません。さらにイスラム教の信者に対する誤解や偏見を招きかねないため、最近はISIS(アイシス)もしくはISIL(アイシル)と呼ぶことが多くなっています。前者は「Islamic State of Iraq and Syria イラクとシリアのイスラム国」、後者は「Islamic State of Iraq and the Levant イラクとレバントのイスラム国」の略称です。

引き続き当ブログでは「イスラム国」と表記していきますが、その武装勢力の残忍さは想像を絶するものがあります。拘束されていたヨルダン人パイロットを焼き殺した映像がインターネット上に公開されました。ヨルダン側は直ちに「報復」を宣言し、人質交換を求められていた女性死刑囚の処刑を執行し、「イスラム国」への空爆を再開しています。イスラム教徒から「あれはイスラム教を詐称した犯罪集団だ。断じてイスラム教ではない」と指弾され、アメリカのオバマ大統領は「イスラム国」の壊滅をめざす強い決意を示しています。

人命を愚弄した卑劣なテロを繰り返す過激派組織「イスラム国」が許せないことは言うまでもありません。このことを強調し、言うまでもないことを大前提に言葉を繋げないと思いがけない誤解や批判を受ける場合があります。「テロリストに過度の気配りをする必要はない」というような論外な反論を受ける時もあります。実は前回記事「人質テロ事件から思うこと」の最後で、ある詩人の言葉を紹介するつもりでした。長い記事になりつつあり、前述したような誤解や批判を招く恐れがあったため、前回記事では見送っていました。

今回、改めて最後に掲げてみるつもりですが、その前に「イスラム国」に殺害された後藤健二さんがラジオ放送やツイッターに残していた言葉を紹介させていただきます。まず昨年9月24日、文化放送『大竹まこと ゴールデンラジオ』にゲスト出演した後藤さんは、中東情勢の現状と今後について「日本がアメリカの空爆を支持する。安倍さんがこれから国連でやる演説の中で、そこまで具体的に言ったりなんかしたら、もう日本も同じ同盟国と見られて、いろんなところに旅行に行っている日本の方々が、テロとか誘拐に気を付けないといけない」と語っていました。

そもそも有志連合の空爆イコール「正義」という見られ方になっていますが、罪のない一般市民の方々も数多く犠牲になっていることを忘れてはなりません。さらに「イスラム国」を生み出した背景として、イラク戦争後の混沌や「憎しみの連鎖」が指摘されています。遡れば9・11テロによるアメリカの怒りが対テロ戦争に向かわせ、後から「大量破壊兵器はなかった」という事実が明らかになり、イラク戦争には大義がなかったことも省みられています。このあたりは「後藤健二さんらのシリア人質事件を受けて今考える」緊急集会の報告を掲げたサイトから、いろいろな問題に思いを巡らすことができます。

戦場を取材すると、「暴力は暴力で止められない」「戦争は戦争で止められない」「テロは対テロ戦争や空爆では止めれない」という結論に至る。そしてこのことを、後藤健二さんはじめ戦場ジャーナリストはできるだけ多くの人に伝えたいがために自分の命をもかけて戦場で取材活動をしている。後藤健二さんがとりわけ戦火の中の子どもらに心を寄せていたのは偶然ではなく、戦争で最も犠牲になるのが罪のない子どもたちであることが戦争のリアルな実態であるということ。

緊急集会の報告の中の一節ですが、このような問題意識を抱えた後藤さんのツイッターの言葉が注目を集めています。「目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。-そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった。」という言葉です。「憎しみの連鎖」は武力で断ち切れません。「イスラム国」を壊滅した後、新たな「イスラム国」が生み出される可能性を誰も否定できません。一方で、2月7日の『産経抄』は「憎しみの連鎖を断たねばならぬ、というご高説は一見もっともらしい」とし、後藤さんが「処刑直前も彼はそんな心境だった、とどうしていえようか」と続けていました。

「仇(かたき)をとってやらねばならぬ、というのは人間として当たり前の話である」と主張し、「命の危険にさらされた日本人を救えないような憲法なんて、もういらない」と結んでいました。後藤さんが最後に感じた思いは誰も分からないはずです。それにもかかわらず、自らの主張に繋げるため、勝手に忖度する姿勢は甚だ疑問です。仮に『産経抄』の見方が本当にその通りだったとしても、事実かどうか分からない中、過去に後藤さんが発していた問題意識を否定するような書き方は死者を冒涜する話ではないでしょうか。

今回のブログ記事の内容も閲覧されている方、個々人での受けとめ方は枝分かれしていくはずです。いずれにしても、このような問題意識に続く「だから、どうすべきなのか」という具体的な選択肢に対する判断が重視されていくものと思っています。しかし、その選択肢に対し、より望ましい判断を行なっていくためにも、後藤健二さんの残した言葉(遺した言葉と記すべきなのかも知れませんが…)を適切に忖度していく姿勢が欠かせないものと考えています。

繰り返しになりますが、卑劣なテロは絶対許せず、「イスラム国」の行為を正当化する意図は一切ありません。それでも「憎しみの連鎖」が新たな悲劇を招きかねず、武力によって容易に平和が築けない悩ましさも受けとめていかなければなりません。そのためにも国際社会の中で希少価値のある平和憲法を持つ日本ならでは役回りが求められ、これからも武力とは無縁の人道支援に力を注ぐブランドイメージを棄損しないで欲しいものと願っています。

最後に、前述したとおり最近のテレビ番組で知った詩人、吉野弘さんの言葉を紹介させていただきます。先日、たまたま見たNHKの『クローズアップ現代』が「“いまを生きる”言葉 ~詩人・吉野弘の世界~」でした。終戦直後、22歳の頃に書かれた未発表原稿が書斎から見つかったことを伝えていました。軍国青年だった吉野さんは、その反省から詩人として“人のために生きる決意”を記していました。今回の記事の最後にその一部を紹介しますが、念のため、「イスラム国」が「善」であるという短絡的な文脈で語っていないことも付け加えさせていただきます。

人間はその不完全を許容しつつ愛しあふ事です
不完全であるが故に斥(しりぞ)け合ふのではなく人間同志が助けあふのです
他人の行為を軽々しく批判せぬ事です
自分の好悪の感情で人を批判せぬ事です
善悪のいづれか一方にその人を押し込めないことです

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2015年2月 1日 (日)

人質テロ事件から思うこと

所々に畑が残る裏道を自分の車で走っていました。信号機のない見通しの良い交差点に近付き、優先道路から左折するためにスピードを落とし始めた時、右側から走ってくる軽自動車が目に入りました。一時停止が必要なのは軽自動車のほうでしたが、嫌な予感がして私のほうがブレーキを踏みました。すると軽自動車は一時停止することなく、私の車の前を横切っていきました。

さらに軽自動車を運転していた女性と少しだけ視線が合った際、私のほうをにらみ付けていた様子がうかがえました。ブレーキを踏むのが遅かった私を責めるような視線を感じました。「えっ、悪いのが私?」と思えるような予想外のニアミスでした。一時停止違反は明らかに軽自動車のほうであり、ムッとした憤りも沸き上がりました。それでも嫌な予感が的中し、事故に至らず幸いだったと気持ちを切り替えていました。

先日、実際に遭遇したエピソードから新規記事を書き始めさせていただきました。普通に安全走行していても、突然、横から暴走した車にぶつけられるケースもあります。このような場合、自分の力で事故を防ぐことは不可能です。相手側の全面的な過失であり、運が悪かったとしか言いようがありません。今回の私のケースは減速していたため、「もしかしたら止まらないかも知れない」と予見でき、事故を未然に防ぐことができました。

「相手が止まるはず」「相手が止まるだろう」と決め付けてしまった場合、思いがけない衝突事故に繋がりがちです。事故を起こした影響は身体への危険をはじめ、余計な出費や時間的な損失など大きなものとなりかねません。このような事態は誰もが避けたいものと考えているはずです。そのため、交通安全の講習では「かも知れない」運転を推奨し、「だろう」運転を戒める話が必ず出てきます。

警察庁の通達文書の中では「危険予測の心構え」として、駐車車両や障害物の陰から人が突然出てきても、安全な措置が採れるよう「かも知れない」運転を心がけること、慣れによる慎重さや緊張感の鈍化による「だろう」運転を回避すること、道路環境の変化に合わせて意識を切り替えることなどの重要性について記されています。このような教えは日常生活の中でも、あらゆる場面で当てはめていくべき大切な心構えだろうと理解しています。

さて、先週の日曜に投稿した前回記事「地域手当を巡る問題点」の冒頭で次のように記していました。

「イスラム国」による日本人の人質事件、土曜の夜、新たな画像がインターネット上に公開されました。真偽は確認中であり、事実ではないことを願いながら二人が無事生還できることを祈っています。卑劣なテロ、「イスラム国」の暴力的な行為を絶対許すことができません。「イスラム国」の言い分に右往左往し、日本政府の責任を問う話などはテロの暴力に屈したことになるという指摘があり、その通りだろうと思っています。一方で、この事件が発覚した以降、ネット上を中心に様々な情報を得てきましたが、いろいろ書き残しておきたい論点も頭の中で駆け巡っています。 機会を見て、そのような情報や論点について当ブログの記事本文を通して綴りたいものと考えています。

たいへん残念ながら湯川遥菜さんに続き、今朝、フリージャーナリストの後藤健二さんも殺害されたというニュースを目にすることになりました。人命を愚弄した卑劣なテロは絶対許せません。強く非難されるべき矛先が残虐なテロ行為を繰り返している「イスラム国」であることは言うまでもありません。そのことを大前提とし、インターネット上を中心に得た様々な情報を紹介しながら、いくつか思うことを書き進めてみます。

まず念のため、今回の記事を安倍政権の批判を目的にした内容にするつもりはありません。もともとレッテルをはった批判やポジショントークは極力避けるように努めています。不特定多数の方々を対象にしたブログを長く続ける中で、思い込みや決め付けた批判はNGとし、一人でも多くの方から「なるほど」を思っていただけるような記述に心がけています。今回の人質テロ事件に便乗し、安倍政権を攻撃するような手法や発想は慎むべき点だと考えています。

そのような国内的な混乱を生じさせることもテロの目的であり、テロの暴力に屈したことになるという東京大学の池内恵准教授のブログの言葉に触れ、その通りだろうと思っていました。ただ過度な自粛を求められ、テロ事件に絡んで安倍首相を批判したこと自体が強くバッシングされるような雰囲気にも違和感を抱いています。このあたりは弁護士の猪野亨さんのブログで顕著なやり取りが続いています。 私自身、猪野さんの主張を全面的に賛同している訳ではありませんが、「非常時だから批判は一切ダメ」という同調圧力の危うさには同じような問題意識を持っています。

また、自分の価値基準に照らし、突飛なアイデアや異質な意見に対し、どうしても蔑んだ言葉や嘲笑を浴びせがちです。今回のテロ事件を通し、ネット上では様々な意見が飛び交っていました。フリーアナウンサーの長谷川豊さんもご自身のブログの中で、元経産省官僚の古賀茂明さんの『報道ステーション』に出演した時の発言を痛烈に批判していました。「安倍首相はイスラム国を空爆する国々に仲間入りしたかったのではないか?」などという発言に対し、「何言ってんだ?このおっさん(涙)!!」という言葉で非難していました。

その記事には150を超えるコメントが投稿されていましたが、必ずしも長谷川さんの論調に賛同するものばかりではなく、正直なところ少し安堵しています。ちなみに古賀さんの空爆発言は極論だと言えますが、奥深い論点が隠されていることも確かです。いずれにしても世の中には明らかにダメなものがあり、悪いものは悪いと断言すべきものも少なくないのかも知れません。それでも自分自身の見方や考え方からかけ離れた異質な意見だったとしても、頭から否定しない関係性が感情的ないがみ合いを避けられる心得だろうと考えています。

多くの方の願いがかなわず、事件は最悪の結末を迎えました。危険地域に赴いた二人の責任を問う声があります。しかし、自らの見通しの甘さや不手際があったから手を差し伸べなくても良いという非情な意見は論外であり、スキー場のコース外に出て遭難しても全力で救助に当たることと同様であるはずです。もちろん「危険予測の心構え」を踏まえ、選択できるのであれば外務省の渡航情報などから判断し、あえて危険な地域に出向かないことが重要であることは言うまでもありません。

続いて、安倍首相の判断の是非に触れていきます。前述したとおり「批判のための批判」とせず、今後の教訓とするためにも省みるべき点があれば、しっかり検証していくことが欠かせないものと考えています。このブログによく登場いただいている衆院議員の長島昭久さんのブログが昨夜更新されました。後藤さんが殺害されたという報道前の記事ですが、いみじくも私自身の問題意識と一致した言葉を目にすることができました。「この時期に、敢えて中東を歴訪しISILとの対決姿勢を鮮明にすることが我が国の国益と外交の優先順位に照らして適切だったか否かについては冷静に検証する必要があると考えます」という言葉でした。

安倍首相の中東歴訪が「イスラム国」に利用され、このような事態に至ったことを安倍首相自身が強く心を痛めていることも確かだろうと思います。しかし、今回の事態を予想できる情報が安倍首相自身に届いていなかった場合、政権内の意思疎通や意見具申できる風通しの悪さを指摘しなければなりません。ある程度予想しながら歴訪し、「イスラム国」を挑発するような発言を行なっていた場合、「危険予測の心構え」の不充分さや軽率さを猛省しなければなりません。

実は人質テロ事件が発覚する前、「バラマキの安倍外交…中東4カ国歴訪で2940億円をポン」という見出しを掲げた『日刊ゲンダイ』の記事を目にしていました。さらにレバノン特命全権大使だった天木直人さんのブログでは「かつて私が援助を担当していた時、財政援助は最悪の形態の援助とされてきた。大蔵省(財務省)は決して認めなかった。援助資金がどのように使われるか管理できないからだ。我々が汗水垂らして収めた税金がムダ金になる。腐敗した為政者の懐に入る可能性がある。それどころか戦争に使われ、テロに回るおそれさえある」という記述も目にしていました。このような見方がある中、2億ドルは人道援助であると強調しても「イスラム国と戦う周辺各国に」と告げてしまえば、敵だと見なされてしまうことを覚悟しなければならなかったはずです。

週刊ポスト』の最新号には官邸内のリアルなやり取りが紹介されていました。フランスでテロ襲撃事件があり、外務省内から今回の中東訪問は「タイミングが悪い」という声が上がったそうです。しかし、安倍首相は「イスラム国がクローズアップされている時に、ちょうど中東に行けるのだからオレはツイている。世界が安倍を頼りにしているということじゃないか」と語り、2億ドルの支援も「日本にとってはたいしたカネではないが、中東諸国にはたいへんな金額だ。今回の訪問はどの国でもありがたがられるだろう」と自身満々だったことが記されていました。

「72時間は短すぎる。時間をもう少しいただきたい」と訴えたイスラーム法学者の中田考さんの記者会見をネット上で確認していました。その中で、注目した箇所をそのまま紹介します。

今回の事件は、タイミング的に安倍総理の中東歴訪に合わせて、発表があったわけですけど、安倍総理自身は、中東に行ったことが地域の安定につながる、和平につながると信じていたと思いますけれども、残念ながら非常にバランスが悪いという風に思います。イスラエルに対して入植地への反対を直言するなどといったことで、バランスの取れた外交を行っているという風に信じているのだと思いますが、中東において、イスラエルとそもそも国交を持っている国がほとんどないというような事態を正確に実感していないのだと思います。ですので、これは中東あるいはアラブ・イスラム世界では非常に偏った外交とみられます。

記者会見の中で、難民支援、人道支援を行っていると強調していましたけれども、もし難民支援、人道支援ということで、今回の中東の歴訪があったとすれば、今シリアからの難民、正確にはわかりませんけれども、300万人とも言われております、その大半、半数以上、160万人ともいわれていますが、トルコにおります。まずトルコを最優先すべきであって、トルコが外れているところで人道支援、難民支援を強調しても、これはやはり信用しないと思われます。訪問国がエジプト、イスラエル、パレスチナ、ヨルダンとですね、すべてイスラエルに関係する国だけであると。そういう選択をしている時点で、アメリカとイスラエルの手先という風に当然、認識されます。人道支援のために行っている、あるいは難民支援のために行っていると言っても理解されない。中東を知るものとしては常識です。

「中東の安定に寄与する」というのは、当然理解できる発言ですけれども、その中で、「中東の安定」が失われているのは、イスラム国が出現する前のことです。その中で、わざわざ「イスラム国」だけ名指しで取り上げて、「イスラム国と戦うため」と言いながら、人道支援だけやっていると言っても通用しない論理だと思います。日本人の人質2人がいるということは、外務省も把握していたと思いますので、その中で、わざわざ「イスラム国と戦う」ということを発言するというのは、非常に不用意であると言わざるを得ないと思います。

結果論や後付けの指摘だという意見もあろうかと思います。ここまで詳しく綴ってしまうと、結局、安倍首相を批判したいのではないかと思われている方も多いはずです。確かに私自身は今回の安倍首相の判断、中東を訪問したことは誤りだったものと思っています。取りやめることがテロに屈すること、そのような見方もあるようですが、悪いのが相手側であろうと「危険予測の心構え」を踏まえた判断も臨機応変に必要だったのではないでしょうか。そもそも直接訪問しなくても人道支援はできたはずであり、今後の教訓化のための検証や議論を深めて欲しいものと願っています。

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