思想信条の自由と問題発言
週1回更新のブログですが、時事の話題に触れる時も少なくありません。その意味で言えば、イギリス連邦からスコットランドが独立することの賛否を競った住民投票のニュースは一言だけでも書き残しておくべき話だと考えました。結果は独立反対が55.25%、賛成44.65%となり、スコットランドの独立は否決されました。いろいろな見方や評価があるのかも知れませんが、定められたルールのもとに一人ひとりの一票が国の重大な進路を決めるという成熟した民主主義の姿だったものと思っています。
さて、次も時事の話題となりますが、「思想信条の自由と問題発言」という記事タイトルに示したような視点からの題材として取り上げてみました。この都議会での動きをテレビの報道番組で知りましたが、たいへん驚きながら同時に、いろいろ考えさせられました。まず手っ取り早く最も詳しく書かれたニュースの記事内容をそのまま紹介させていただきます。
セクハラ野次騒動が問題となった東京都議会で、ある発言が、再び波紋を広げている。16日、都議会自民党の野島善司議員は「女性に対しては、今回で言えば、言われているのは、『結婚したらどうだ』という話でしょ。それはね、僕だって言いますよ。平場では」と話した。東京都議会で起きたセクハラ野次問題から3カ月。再発防止のために活動を再開した、男女共同参画社会推進議員連盟。その会合後、会長を務める自民党の野島善司都議が、記者団の質問に応じた際の発言が物議をかもしている。
2014年6月、都議会の本会議で、質問中のみんなの党・塩村文夏都議に対し、鈴木章浩都議が「早く結婚すればいい」と野次を飛ばし、問題になった。その後、鈴木都議は謝罪した。鈴木都議の野次について、野島都議は16日、「平場とは全くプライベートなこと」としたうえで、「『結婚したらどうだ』という話は、僕だって言う。平場では」と発言した。しかし、この発言自体、テレビカメラの前で取材に答えるという公の場でのもの。塩村議員は「平場であれば言うということだったんですけれど、平場であれどこであれ、セクハラはセクハラで。人の認識を変えていくのは、本当に難しいことなんだというのがわかりましたね」と述べた。
当の野島氏は17日、「わたしもよわい65歳。いろいろな人生を経験してきて、人生いろいろなんですよ。男もいろいろ、女もいろいろ。昔はね、おせっかいなおじいさんやおばさんがいたの。僕も『男女は結婚するべきだ』と思うのは、思想信条だから当然なんですよ。そのうえで、そういうことをやっていくと」と述べた。
野島都議の発言について、街の人は、「けしからんよね、とんでもない話だよね」、「ちょっと品性疑われますし、政治家でしたら、プライベートな場でもそういった発言、常に周りから聞かれているというのを意識してほしい」などと話した。批判的な意見が多い一方で、「わたしは問題ないと思います。受け流せるので」と話す人もいた。野島都議は、都議会自民党の村上幹事長に対して、「軽率な発言をして申し訳なかった」と伝えたという。 【FNN2014年9月17日】
「思想信条の自由と問題発言」という重々しいタイトルを付けてしまいましたが、野島都議の「僕も『男女は結婚するべきだ』と思うのは、思想信条だから当然なんですよ」の言葉を受けたものです。確かに一人ひとりの思想信条の自由は憲法によって守られています。自分の頭の中で何を思っても自由であることは言うまでもありませんが、どのように不穏当で過激な発言だったとしても、仲間内の私的な場であれば問題視されないケースが多いはずです。
このような私的な場を想定しながら野島都議は「平場では」という言葉を繰り返していたものと思われます。しかし、セクハラ野次問題の再発防止を目的にした男女共同参画社会推進議員連盟の会長という立場で取材された場が「平場」でなく、私的な場でないことは明らかです。野島都議は批判を受け、自分の立場や報道陣を前にして発言した場が悪かったことを反省し、身内の都議会自民党に向けて謝罪したことが伝わってきています。
塩村都議の「平場であれば言うということだったんですけれど、平場であれどこであれ、セクハラはセクハラ」という指摘は、まったくその通りだと思います。仮に仲間内の場だったとしても問題発言は問題であり、誰からも指摘や批判を受けなかったとしても、本来、慎むべき言葉が多々あるのではないでしょうか。特に問題が表面化されなかったとしても、結果的に発言者の品位や資質が問われ、仲間内での評判を落としていくことも充分考えられます。
そもそも野島都議は「結婚したらどうだ」という発言がセクハラだと認識できず、鈴木都議が批判を受けたのも議場内という場所が悪かったと思われているようです。「男女は結婚するべきだ」という考え方は「思想信条」の一つであり、その考え方そのものが批判を受けるようでは行き過ぎた話だと思います。多様な価値観を認め合った社会のほうが健全であり、このブログでも多面的な情報の大切さを訴えながら「答え」は簡単に一つに絞り切れない悩ましさも数多く綴ってきています。
それでも「男女は結婚するべきだ」という価値観のみが前面に出てしまい、「結婚したらどうだ」という言葉が大手を振るっていた頃は、何らかの事情で結婚できない方々の心を痛めてきたことに思いを巡らさなければなりません。一方で、自らの判断や信念で結婚しない方々にとって「結婚したらどうだ」という言葉はセクハラでも何でもなく、大騒ぎしすぎているように見ているのかも知れません。
パワハラも同様ですが、同じ言葉を投げかけても相手によって問題視されないケースがあり、さらに加害者となっていることに気付いていない方が多いこともセクハラの特徴点です。改めてセクシュアル・ハラスメントの定義を調べてみると「本人が意図する、しないにかかわらず、相手が不快に思い、相手が自身の尊厳を傷つけられたと感じるような性的発言・行動を指します」と記されています。つまり受け手側がその発言を「どう感じるのか」が大きな分かれ目となります。
加害側に位置付けられる方々にとって理不尽な気持ちが残るようですが、ハラスメントに関しては時代が変わり、被害を受けた側の尊厳や人権を第一に考えることが重視されるようなっています。今も昔もダメなものはダメだったのですが、「結婚したらどうだ」という言葉を未婚者相手に発することはセクハラに見なされるという認識が野島都議には欠けていたようです。そのような人物が男女共同参画社会推進議員連盟の会長であり、セクハラ問題で都議会自体の危機意識の欠如などが批判を受け始めています。最後に、野島都議の問題での続報となる報道内容を紹介し、今回の記事は終わらせていただきます。
「セクハラやじ問題の本質を分かっているのか」「発言の深刻さを認識していない」。東京都議会自民党の野島善司都議が17日、自身の「結婚したら」発言を謝罪する一方、男女共同参画社会推進議員連盟の会長にとどまると表明したことを受け、有識者からは批判が噴出した。『女は男に従え』という価値観を持った単なる昔のおっさんなんだろうが、そういう人が都議になり、男女共同参画議連のトップにもなっちゃうことがびっくり」と嘆くのは作家の室井佑月さん。「みんなに責められたから謝っただけで、何が悪かったのか、何で謝っているかも分かっていないのだろう」と指摘し「税金を払うのもばからしい」と切り捨てた。
「6月の塩村文夏都議へのやじが、小さな問題として捉えられていることが露呈した」。地方議会に詳しい佐々木信夫中央大教授(行政学)は語気を強める。塩村都議の問題では「早く結婚すればいい」とやじを飛ばした自民党の鈴木章浩都議が発言を認め、会派を離脱したが、議員辞職は否定。ほかの「産めないのか」などの声は、録音が不明瞭だったため発言した議員が特定されず幕引きに。
佐々木教授は「セクハラ発言をした都議がポストを辞めて個人的に責任を取ると同時に、今回こそは反省を示す議長声明を出し、組織全体としてけじめをつけなければならない」と指摘する。労働問題に詳しいジャーナリストで和光大教授の竹信三恵子さんは「少子化問題は結婚すれば解決する訳ではなく、政策の理解が全然足りない」と批判。野島都議が会長を続けることは都議会全体に危機感がないことの表れだとし、辞任すべきとの見方を示した。【共同2014年9月17日】
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コメント
OTSUさん。こんばんわです。
政治用語や政府周辺用語で「平場」というのはよく使われます。
あんまり、報道機関に対して「平場」という語を使うこと自体、どうかしていると思うのは、私だけでしょうか。
平場とは、乱暴に言えば、オフィシャルな場ではないことを指すものだと、私は勝手に理解していますが。
結婚の自由も信条の自由の保障のうちなんだとは思います。
ただし、これは、あくまで個人的見解ですが、私より上の世代でDINKS(ダブルインカムノーキッズ)を志向した「新人類世代」がいらっしゃいます。
DINKSとは、夫婦2馬力で、なるべく今の経済状態の中で、自分たちの独身時代の生活スタイルを変えないで生きていく=子どもは要らないという時代潮流だったと記憶しています。
その、DINKSを選んだ人が、子どもがいればよかったなぁとため息をつくような場面に、ときどき遭遇します。
結婚すれば、産めよ増やせよが実現できると思っている人たちがいますが、ある意味であっていて、たぶん間違いです。
人間、男女それぞれ「性差」というものがありますから、うまく相互補完し合えれば、違った環境で育った間柄なので、ひとりで生活するよりは、よりよい生活ができるかも「しれません」。
昨今でいえば、同性どうしだっていいじゃないかとか、籍を入れることがそんなに大切なことなのかとか、いろいろ言われています。
私の知人の女性に、籍を入れずに事実婚でDINKSの方がいらっしゃいますが、とくに、変わった人ではありません。社会的地位の高い人です。ヤクニンではありませんが。
私事でいえば、奥さんはいましたが、もう、この世にはいません。
それで、今、なにか不都合があるかといえば、将来の助けがないという不安はあるにせよ、もう奥さんがいないことに慣れてしまったので、奥さんがいないことに、あまり、最近は違和感がないです。
奥さんがこの世にいたころには、DINKSでしたけどね。したがって、子どもはいません。
さておき、やっぱり、日本において人口規模の維持は急務です。しかし、人の生き方・考え方には多様性があることを、地域のリーダーたる方々はわかっていただきたいなと思います。
婚姻率増≠人口増であるのは明白なので。たしかに、結婚はいいよぉ!とおっしゃられるのは平場での発言ではOKだと思います。それも考え方のひとつです。
クルマはホンダが一番だぜ!と食堂の雑談レベルで言うのと、あまり変わりがないように思います。
ただ、受け手の取捨選択の自由もあるんだろうと思います。
セクハラであるかは、受け手本人がセクハラであると思うかどうかが基準になっているので、この辺の言い回しは話す相手によってシビアにならざるを得ないです。
塩村さんの件に関しては、周りの議員が、人生には結婚しか選択肢がないようなことを押し付けているような言い回しになっている「印象」が、おそらく、「問題点」なのでしょうね。
「結婚も、人生の選択肢においては、重要なファクターではあるんだよ」くらいにしておいたほうが、ベターだとは思います。ベストではありません。
要は言葉足らずか意識不足かどちらかなんです。
現在、私について言えば、結婚についてはネガティブです。とても、結婚を他人様に勧めるようなことはしていませんからね。
結婚しても、相手がこの世から消えてしまうようなことをしていては、ダンナさん失格ですから。
投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年9月20日 (土) 23時44分
でりしゃすぱんださん、おはようございます。コメントありがとうございました。
いつも拙い記事本文を補強いただくコメントに感謝しています。また、相互リンクの件もありがとうございます。ぜひ、これからも多様な見方や考え方などを披露いただければ幸いですのでよろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2014年9月21日 (日) 07時02分
都議のセクハラ野次問題ってまだ引っ張ってたんですね・・・(´・ω・`)
結局、、肝心の「産めないのか?」というヤジは無かったんですよね?
怒っているのは解るけど、虚偽があるのはちょっとね・・・。
元自民都議の発言は、結局「みんなが結婚したほうがいいんじゃないか」。
質疑の場なら問題無いけど、野次だからアウト!
謝罪諸々で、各議員に対する良い戒めに成っただろうと思われます。
セクハラの定義はまだ曖昧な側面が多いですよ。定義のリンク先は「学校法人大阪医科大学」なので、そこではそうなのでしょうね。
同じく、塩村あやか都議のケースで面白いと思ったのは、受け手側基準で、当初セクハラだと判断していても、後で発言者が特定出来るとひっくり返して「セクハラじゃない」と民主党都議を許しちゃった処。
その時の言い訳も面白かったw
なかなか斬新でして、『公平』な審判が無い!といったケースの人権問題となりました。
同じ「セクハラ発言」でも、許す人と許さない人が出来る訳です(´・ω・`)
企業だと、塩村都議の件を受けて各業界でセクハラの定義付けが始っている様でして、前にちょっと覗いたら、性格悪い面倒臭い人間には係るなwwといった方向性があって笑った。
それ差別じゃん!と思って問うと、個別の社会常識に関する能力問題で解決出来るみたいですね。
欧米で、各組織のコンピテンシー(社会人としての基礎常識=リテラシーの集合)判断で、欠如があると良くなる仕組みを作っているみたい。
警察が暴力団の構成員に指定するみたいな感じで、暴力団が肩が当たった程度で「暴力だ!」と訴えても何ら効力はないのと近いんだとさ。
同様に、性的虐待を行っている者が「セクハラだ!」と訴えても、本当にセクハラなのか?と疑う処から始めるそうで。
・・・大分先でしょうね。
「平場」が私的な場を指す様に言う人は50過ぎ?の人が多いんじゃないかな?
昭和の時代にバリバリ働いてた人はよく「平場」と言います。私らだと「公私」の『私』ですけど、仕事が最優先で公私混同してた時代でしょうからねぇ・・・。
企業勤めの人間からすると、公私の「私」の部分では「結婚したらどう?」「まだ結婚しないの?」etc.は、男女関係なく言い合ってますねw
数日前もカラオケで結婚3年目の女性が男性と女性に言ってましたw
その時に問題だと話題になったんですけど、さりげなく風俗のチラシが手元に来たり、歩いてても目に入るんですよね。その性的文言がモノスゴク不快に成ります。
こっちの方を先に何とかしてほしい。
投稿: kimuchiudonkenmin | 2014年9月24日 (水) 22時50分
kimuchiudonkenminさん。
おっしゃることは、だいたいの部分でというか、非常に共感します。
何がセクハラで何がそうではないか、ヤクショ勤務時代に聞いたのは、その人が、不快に感じればセクハラということだったので、曖昧ですよね。
私は、逆セクハラにもあったことがあって、女性特有の文章で、男性名で発出を強要されるようなことが、請負の仕事で発生したことがあって、揉めたことがあります。
たぶん、いわゆる放送禁止用語のように、基準が存在しないのに、暗黙の了解で整理してしまうことが、セクハラでも起きるのではないかと思います。
最後はリテラシーというか、お行儀の問題なので、一見簡単そうですが、言葉狩りの問題も含めて、なかなか進展しないのだろうとは思います。
投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年9月24日 (水) 23時17分
kimuchiudonkenminさん、でりしゃすぱんださん、コメントありがとうございました。
今夜、この記事の続きにあたる「思想信条の自由と問題発言 Part2」を投稿する予定です。ぜひ、またご訪問いただければ幸いですのでよろしくお願いします。また、でりしゃすぱんださんの最近の記事について少し触れさせていただきました。この場での報告となることをご容赦ください。
投稿: OTSU | 2014年9月27日 (土) 21時41分