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2014年9月27日 (土)

思想信条の自由と問題発言 Part2

前回記事のタイトルは「思想信条の自由と問題発言」でした。実は野島都議の問題発言から別な話題にまで繋げるつもりで、間口を広げたタイトルを付けていました。少し前に札幌市の金子快之市議の「アイヌ民族なんて、もういない」という物議を醸している発言を耳にし、いろいろな論点があったため、このブログでも機会を見て取り上げてみようと考えていました。たいへん長い記事になりそうでしたので前回は野島都議の問題に絞った訳ですが、1週間先送りしたことによって最新の時事の話題として紹介できる巡り合わせになりました。

札幌市の金子快之(やすゆき)市議(43)がインターネットの短文投稿サイト「ツイッター」に「アイヌ民族なんて、もういない」と書き込んだ問題で、市議会は22日の本会議で、金子氏の議員辞職を求める決議案を賛成多数で可決した。決議に拘束力はなく、金子氏は「辞職や(発言)撤回の考えはない。来春の市議選に出馬し、有権者の審判を受ける」と表明した。

決議案は、金子氏が所属していた自民党・市民会議以外の6会派が共同提案。採決では自民会派の23人が反対したが、残り43人全員が賛成し可決した。自民会派は謝罪と猛省を求める決議案を提出したが、賛成少数で否決された。金子氏を巡っては、自民党札幌市支部連合会が党除名を決め、金子氏からの不服申し立てを却下。市議選での推薦を取り消し、選挙区の東区に新たな候補を擁立する方向で調整している。【毎日新聞2014年9月22日

問題の発端は8月11日、金子市議が「アイヌ民族なんて、いまはもういないんですよね。せいぜいアイヌ系日本人が良いところですが、利権を行使しまくっているこの不合理。納税者に説明できません」とツイートし、そのことを毎日新聞や北海道新聞が取り上げ、北海道アイヌ協会の阿部一司副理事長の「いつアイヌがいなくなったのか教えてほしい。国も先住民族と認め、復権に向けて歩んでいるなかで、議員としてあまりにも不勉強で歴史を踏みにじる発言だ。国際的にも恥ずかしい」と反発した談話などが掲載されていました。

その後、金子市議への批判が高まる一方、ネット上では発言を擁護する声も多数見られていました。金子市議は一貫して発言の撤回には応じず、所属していた自民党から除名され、9月22日の札幌市議会での議員辞職勧告決議の可決に至っていました。紹介した記事のとおり金子市議は辞職する意思がなく、来春の市議選で有権者からの審判を受けるという姿勢を表明しています。日頃から多面的な情報の大切さを訴えているブログであり、公平さを期すためにも金子市議自身の8月16日のブログ記事「アイヌ施策に関するツイートについて」をそのまま紹介させていただきます。

「アイヌ民族なんて、いまはもういない」と記した私のツイートについて、それぞれの立場から多数のご意見をいただいています。「レイシスト」「ネット右翼」「議員辞めろ」などと批判する電話もありました。本日、複数の報道機関から電話取材を受けたこともあり、本ブログで改めてきちんと私の考え方をご説明したいと思います。

我が国では戸籍や住民票へ「アイヌ」との表記はありません。「アイヌ」を法的に証明する根拠が現行法にないのです。また日本という一つの国で同じ教育を受け、同じ言葉、同じ法制度で生活する中でアイヌであることをわざわざ証明する必要もないのが現状です。しかしいま、ことさら「アイヌ」を声高に主張する一部の方には別の目的があるものと思われるものがあります。

それは「アイヌ」を名乗ることで、行政からの便益(メリット)を獲得するということです。札幌市や北海道は「アイヌ」の方に住宅新築資金の低利貸し付けをはじめ、奨学金、運転免許の取得補助、アイヌ協会への補助金などさまざまな支援を行っています。 ・どうしてアイヌだと運転免許取得の補助金がもらえるのか? ・住宅ローンが1%以下で借りられる時代に、なぜ市から住宅ローンを借りるのか? 不思議に思いませんか? 

ご想像の通り、アイヌ新築住宅貸し付けはその多くが焦げ付いています。担保をきちんと取っていないため回収できず、返済が滞ってもただ督促状を送るだけです。奨学金の不正受給の問題なども市議会、道議会でも度々指摘されています。それではそもそも、「アイヌ」であることはどうやって証明しているのでしょうか。驚いたことに、北海道アイヌ協会が「アイヌである」と証明書を出すことで、補助が受けられる仕組みなのです。

北海道アイヌ協会の判断の根拠は、・アイヌの血を受け継いでいると思われる人 ・婚姻・養子縁組等によりそれらの方と同一の生計を営んでいる人などとなっています。「思われる」とはつまり「自称」「推定」を認める客観性の乏しい仕組みです。さらに婚姻・養子だと日本人なのに、アイヌとしておカネがもらえるのです。北海道アイヌ協会が認めないと、本当に純粋なアイヌでも補助が受けられない。北海道以外に住んでいるアイヌの方はどうなるのか。実におかしな仕組みだと思いませんか。

その「アイヌ」の証明を担う「財)北海道アイヌ協会」自体が度重なる不正経理で問題を起こしており、とても公正な団体とは言えません。札幌市が北海道アイヌ協会札幌支部に委託して建て替えたアイヌ文化交流センターのポンチセも不審火を巡るトラブルに端を発し、茅の調達などいまだにもめています。これらの支援制度が国民の税金でまかなわれている以上、納税者の立場から是正を求めるのが議員の職務だと私は思っています。

アイヌについて石器時代から今日に至るまでさまざまな歴史的資料が示されています。先住民族か否かの問題はここでは触れませんが、明治時代の北海道旧土人保護法以来、アイヌの方々にはご労苦があったでしょうし、私もアイヌ文化や歴史を否定するものではありません。私が問題としたいのはアイヌを称する利権の問題であり、これについてこれまでも議会で指摘してきましたし、今後も問題提起を続けていくつもりです。

私のツイートに賛否それぞれの立場から多くの意見が寄せられましたが、古くからあるこの問題がいま頃話題になるのは、「さわらぬ神にたたりなし」とばかり、事なかれ主義で政治と行政が安易な公金支出を重ねてきた結果だと思います。まさに従軍慰安婦問題とも共通する事象ではないでしょうか。限りある財源を国家の未来に有効に使うために、政治家としての勇気も問われています。

上記の文章を読む限り、真っ当な一つの意見や見方であり、金子市議を擁護する方々が決して少数派にならないことを理解できます。アイヌを名乗ることでの不正な利権が横行しているのであれば問題であり、必要に応じて制度や運用を改めていかなければなりません。しかし、制度そのものの問題ではなく、一部の不届き者の所業が問題であれば、金子市議の批判の仕方は少し扇情的すぎるように感じています。特に問題視している本丸が利権や仕組みの不合理さだったのであれば、「アイヌ民族なんて、いまはもういないんですよね」という言葉は使わなくても済んだはずです。

批判を受けた問題のツイートはすぐ削除したようであり、金子市議もそのように考えたのではないでしょうか。しかしながら金子市議は8月17日のブログを通し、図書館で調べた百科事典の「今これらの人々は一口にアイヌと呼ばれているが、その大部分は日本人との混血によって本来の人種的特質を希薄にし、さらに明治以来の同化政策の効果もあって、急速に同化の一途をたどり、今はその固有の文化を失って、物心ともに一般の日本人と少しも変わることがない生活を営むまでにいたっている。したがって、民族としてのアイヌは既に滅びたといってよく、厳密にいうならば、彼らは、もはやアイヌではなく、せいぜいアイヌ系日本人とでも称すべきものである」という説明を掲げ、持論の正しさを強調していました。

ちなみに百科事典の記述内容は「アイヌ民族に対する偏見や差別を助長しかねない」という批判があり、2007年に改訂されていましたが、そのような経緯について金子市議は後から知ったようです。さらに2007年9月に国連総会で「先住民族の権利に関する国際連合宣言」が採択されたことを受け、2008年6月には衆参両院で国会議員全員の賛成のもと「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が可決されていました。決議の中には「これまでのアイヌ政策を更に推進し、総合的な施策の確立に取り組むこと」と記されています。

このような経緯に対し、金子市議はアイヌ差別発言究明共同実行委員会からの公開質問状の「2008年国会決議を認めないのか」という問いかけに「国会決議の法的効力を否定するものではありませんが、かくも重大な政府の方針転換が国権の最高機関たる国会で一言の議論もないまま、わずか一日で決定された経緯に私は一国民として大きな疑問を感じており、今後も国民世論に基づく見直しが必要だと考えています」という持論を前面に出して答えています。

百科事典の「記述内容の改定経緯を知っているか」という質問に対しては「差別を理由に出版社に圧力をかけ自らの主張に沿うように記述を変えさせること自体が問題である」とし、「出版社が当該記述を削除したとしても、その学術上の見解が消滅するわけではありません」と答えています。そのような言葉も個々人の評価や見解の問題であり、記事タイトルに掲げた「思想信条の自由」の一つだろうと思います。

ただ金子市議は「知らなかった」とは一言も答えていませんが、少なくとも2008年6月以降、日本政府の見解は「アイヌの人々を日本列島北部周辺、とりわけ北海道に先住し、独自の言語、宗教や文化の独自性を有する先住民族」としていることを把握されていなかった恐れがあります。ツイートが批判された後、わざわざ北海道大学の図書館に出向き、2005年版の百科事典の記述をブログに掲げ、「アイヌ民族は既に滅びた」という自説の正しさを強調していた姿を見ると、アイヌについて詳しくなかったことだけは間違いないようです。

もちろん個々人の「思想信条の自由」は保障されるべきものですが、札幌市議会議員である金子市議の発言は、より慎重になる必要性があったものと考えています。また、最近のコメント欄の常連、でりしゃすぱんださんのブログ記事「ネットの普及で雑談まで公式見解になってしまうこのごろ」の中でも綴られているとおりツイッターでの何気ない一言にも責任を持たなくてはなりません。その上で、一般常識や社会通念上の適否で照らし合わせた時、「アイヌ民族なんて、いまはもういない」は明らかに問題発言となり、金子市議にとって不本意であろうと認識しなければならない現実です。

加えて、このような問題を考えた時、そもそもアイヌの血を引く方々の思いが最も重要であり、当事者から「もういない」という声が顕在化しない限り、言葉は選び続けなければならないはずです。「アイヌ民族なんて、いまはもういない」という言葉に傷付く方が一人でもいるようであれば、多数派に属する側は慎重で謙虚な姿勢を持ち続けるべきものと考えています。とりわけ政治家である金子市議には、そのような思いやりや想像力を忘れて欲しくありません。

もしかしたら利権問題等をクローズアップさせ、ご自身の知名度が飛躍的に上がり、根強い支持の声に勇気付けられているため、このような言葉は金子市議にとって受け流すだけの戯れ言、あるいは左側からの批判のための批判意見だと思われてしまうのかも知れません。それでも誤りは誤りと率直に認め、撤回しなければならない問題発言は速やかに撤回するという柔軟さや謙虚さも、政治家以前に人として欠かせない良識だろうと思っています。きっと今回の記事内容も人によって評価が分かれ、金子市議に対する評価も同様に枝分かれしていくのでしょうが、私自身、前回記事の続きとして訴えたかった論点について綴らせていただきました。

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2014年9月20日 (土)

思想信条の自由と問題発言

週1回更新のブログですが、時事の話題に触れる時も少なくありません。その意味で言えば、イギリス連邦からスコットランドが独立することの賛否を競った住民投票のニュースは一言だけでも書き残しておくべき話だと考えました。結果は独立反対が55.25%、賛成44.65%となり、スコットランドの独立は否決されました。いろいろな見方や評価があるのかも知れませんが、定められたルールのもとに一人ひとりの一票が国の重大な進路を決めるという成熟した民主主義の姿だったものと思っています。

さて、次も時事の話題となりますが、「思想信条の自由と問題発言」という記事タイトルに示したような視点からの題材として取り上げてみました。この都議会での動きをテレビの報道番組で知りましたが、たいへん驚きながら同時に、いろいろ考えさせられました。まず手っ取り早く最も詳しく書かれたニュースの記事内容をそのまま紹介させていただきます。

セクハラ野次騒動が問題となった東京都議会で、ある発言が、再び波紋を広げている。16日、都議会自民党の野島善司議員は「女性に対しては、今回で言えば、言われているのは、『結婚したらどうだ』という話でしょ。それはね、僕だって言いますよ。平場では」と話した。東京都議会で起きたセクハラ野次問題から3カ月。再発防止のために活動を再開した、男女共同参画社会推進議員連盟。その会合後、会長を務める自民党の野島善司都議が、記者団の質問に応じた際の発言が物議をかもしている。

2014年6月、都議会の本会議で、質問中のみんなの党・塩村文夏都議に対し、鈴木章浩都議が「早く結婚すればいい」と野次を飛ばし、問題になった。その後、鈴木都議は謝罪した。鈴木都議の野次について、野島都議は16日、「平場とは全くプライベートなこと」としたうえで、「『結婚したらどうだ』という話は、僕だって言う。平場では」と発言した。しかし、この発言自体、テレビカメラの前で取材に答えるという公の場でのもの。塩村議員は「平場であれば言うということだったんですけれど、平場であれどこであれ、セクハラはセクハラで。人の認識を変えていくのは、本当に難しいことなんだというのがわかりましたね」と述べた。

当の野島氏は17日、「わたしもよわい65歳。いろいろな人生を経験してきて、人生いろいろなんですよ。男もいろいろ、女もいろいろ。昔はね、おせっかいなおじいさんやおばさんがいたの。僕も『男女は結婚するべきだ』と思うのは、思想信条だから当然なんですよ。そのうえで、そういうことをやっていくと」と述べた。

野島都議の発言について、街の人は、「けしからんよね、とんでもない話だよね」、「ちょっと品性疑われますし、政治家でしたら、プライベートな場でもそういった発言、常に周りから聞かれているというのを意識してほしい」などと話した。批判的な意見が多い一方で、「わたしは問題ないと思います。受け流せるので」と話す人もいた。野島都議は、都議会自民党の村上幹事長に対して、「軽率な発言をして申し訳なかった」と伝えたという。 FNN2014年9月17日

「思想信条の自由と問題発言」という重々しいタイトルを付けてしまいましたが、野島都議の「僕も『男女は結婚するべきだ』と思うのは、思想信条だから当然なんですよ」の言葉を受けたものです。確かに一人ひとりの思想信条の自由は憲法によって守られています。自分の頭の中で何を思っても自由であることは言うまでもありませんが、どのように不穏当で過激な発言だったとしても、仲間内の私的な場であれば問題視されないケースが多いはずです。

このような私的な場を想定しながら野島都議は「平場では」という言葉を繰り返していたものと思われます。しかし、セクハラ野次問題の再発防止を目的にした男女共同参画社会推進議員連盟の会長という立場で取材された場が「平場」でなく、私的な場でないことは明らかです。野島都議は批判を受け、自分の立場や報道陣を前にして発言した場が悪かったことを反省し、身内の都議会自民党に向けて謝罪したことが伝わってきています。

塩村都議の「平場であれば言うということだったんですけれど、平場であれどこであれ、セクハラはセクハラ」という指摘は、まったくその通りだと思います。仮に仲間内の場だったとしても問題発言は問題であり、誰からも指摘や批判を受けなかったとしても、本来、慎むべき言葉が多々あるのではないでしょうか。特に問題が表面化されなかったとしても、結果的に発言者の品位や資質が問われ、仲間内での評判を落としていくことも充分考えられます。

そもそも野島都議は「結婚したらどうだ」という発言がセクハラだと認識できず、鈴木都議が批判を受けたのも議場内という場所が悪かったと思われているようです。「男女は結婚するべきだ」という考え方は「思想信条」の一つであり、その考え方そのものが批判を受けるようでは行き過ぎた話だと思います。多様な価値観を認め合った社会のほうが健全であり、このブログでも多面的な情報の大切さを訴えながら「答え」は簡単に一つに絞り切れない悩ましさも数多く綴ってきています。

それでも「男女は結婚するべきだ」という価値観のみが前面に出てしまい、「結婚したらどうだ」という言葉が大手を振るっていた頃は、何らかの事情で結婚できない方々の心を痛めてきたことに思いを巡らさなければなりません。一方で、自らの判断や信念で結婚しない方々にとって「結婚したらどうだ」という言葉はセクハラでも何でもなく、大騒ぎしすぎているように見ているのかも知れません。

パワハラも同様ですが、同じ言葉を投げかけても相手によって問題視されないケースがあり、さらに加害者となっていることに気付いていない方が多いこともセクハラの特徴点です。改めてセクシュアル・ハラスメントの定義を調べてみると「本人が意図する、しないにかかわらず、相手が不快に思い、相手が自身の尊厳を傷つけられたと感じるような性的発言・行動を指します」と記されています。つまり受け手側がその発言を「どう感じるのか」が大きな分かれ目となります。

加害側に位置付けられる方々にとって理不尽な気持ちが残るようですが、ハラスメントに関しては時代が変わり、被害を受けた側の尊厳や人権を第一に考えることが重視されるようなっています。今も昔もダメなものはダメだったのですが、「結婚したらどうだ」という言葉を未婚者相手に発することはセクハラに見なされるという認識が野島都議には欠けていたようです。そのような人物が男女共同参画社会推進議員連盟の会長であり、セクハラ問題で都議会自体の危機意識の欠如などが批判を受け始めています。最後に、野島都議の問題での続報となる報道内容を紹介し、今回の記事は終わらせていただきます。

「セクハラやじ問題の本質を分かっているのか」「発言の深刻さを認識していない」。東京都議会自民党の野島善司都議が17日、自身の「結婚したら」発言を謝罪する一方、男女共同参画社会推進議員連盟の会長にとどまると表明したことを受け、有識者からは批判が噴出した。『女は男に従え』という価値観を持った単なる昔のおっさんなんだろうが、そういう人が都議になり、男女共同参画議連のトップにもなっちゃうことがびっくり」と嘆くのは作家の室井佑月さん。「みんなに責められたから謝っただけで、何が悪かったのか、何で謝っているかも分かっていないのだろう」と指摘し「税金を払うのもばからしい」と切り捨てた。

「6月の塩村文夏都議へのやじが、小さな問題として捉えられていることが露呈した」。地方議会に詳しい佐々木信夫中央大教授(行政学)は語気を強める。塩村都議の問題では「早く結婚すればいい」とやじを飛ばした自民党の鈴木章浩都議が発言を認め、会派を離脱したが、議員辞職は否定。ほかの「産めないのか」などの声は、録音が不明瞭だったため発言した議員が特定されず幕引きに。

佐々木教授は「セクハラ発言をした都議がポストを辞めて個人的に責任を取ると同時に、今回こそは反省を示す議長声明を出し、組織全体としてけじめをつけなければならない」と指摘する。労働問題に詳しいジャーナリストで和光大教授の竹信三恵子さんは「少子化問題は結婚すれば解決する訳ではなく、政策の理解が全然足りない」と批判。野島都議が会長を続けることは都議会全体に危機感がないことの表れだとし、辞任すべきとの見方を示した。【共同2014年9月17日

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2014年9月13日 (土)

フリー懇談会を開催

7月に「組合活動への疑問や批判」という記事を投稿していました。その記事の最後に私どもの組合では9月にフリー懇談会と称した場を持つことをお伝えしていました。昨年10月には職場委員会議長と直近の経験者に呼びかけ、率直な意見交換の場とした懇談会を開きました。このブログでも「若手組合員との懇談会」 という記事タイトルで取り上げたところです。その際、「組合のことがよく分からない」という言葉が最も印象に残る結果となっていました。

そのため、よりいっそう組合の活動や方針の伝え方の工夫に努めることや、フェース・ツー・フェースの場をいかに多く持てるかを課題としてきました。特に紙媒体だけで組合の認知度を高めていくことの難しさを知る機会となり、そのような考え方のもとに昨年の懇談会の発展形として、今回、広く組合員全体に呼びかけ、テーマはフリー、参加もフリー、フリー懇談会と称した場を企画しました。

年に1回、定期大会という組合員全員の出席を呼びかけた会議を開き、1年間の活動を振り返り、新たな方針を確認し、信任を得た組合役員が主体となって日常活動を進めています。今年は11月12日午後6時30分から市民会館で開きます。定期大会の中でも質疑応答や意見交換を行なえるようになっていますが、「なぜ、組合が脱原発に取り組んでいるの?」「職場課題に絞った活動に専念すべきなのでは?」等々、あまり踏み込んだ質問は出しづらいものと考えています。

そのような問題意識もあったため、今回、初めての試みとして組合活動全般に対し、率直な疑問や意見を組合役員にぶつけられるフリー懇談会の開催に至っていました。さらに組合方針を説明するための場にとどめず、組合員の中に幅広く多様な声や見方があることを受けとめる機会にも位置付けました。したがって、これまでの組合方針にこだわらず、率直な質疑や議論が交わせることも想定していました。

このような位置付けもあり、組合役員も可能な限り参加するように呼びかけていました。組合員からの率直な声を組合役員一人ひとり直接耳にして欲しかったからです。ちなみに「匿名でなければ本音の声はつかめない」「面と向かって厳しい批判はできないのでは」という見方もあろうかと思います。確かに本音の声の集約だけを目的とすれば匿名アンケートのほうが有効であることは間違いありません。ただ今回はフェース・ツー・フェースの場を重視する中で発案していますので、お互い顔を突き合わせる中で懇談する設定としていました。

やはり取り組むのであれば、一人でも多くの参加者を得られるほうが望ましいことです。若手組合員が多く担っている職場委員全員に案内を出したらどうか、そのような意見が執行委員会の中で示されていました。あくまでも本人の関心の度合いによる自発的な参加、つまり参加するしないも文字通りフリーという位置付けを私自身はこだわっていたため、義務感を与えがちとなる職場委員あての個別通知は見送っていました。組合ニュースでの宣伝を中心に参加者を募っていた中、9月に入っても自発的な参加申込者はごくわずかでした。

前述したような組合役員側の問題意識や姿勢について、組合ニュースで大きく扱うだけでも意義があることだと考えていました。参加者が少なかったとしても、このような場を持つこと自体に組合員一人ひとりに対するメッセージを込めたつもりでした。とは言え、あまりにも一般組合員の参加が少なく、組合役員のほうが多いような場では「せっかく申し込まれた方に申し訳ないな」と思うようになっていました。そのため、開催日が近付き、ようやく私からも直接声をかけ始めました。急な誘いにもかかわらず複数名の方に急きょ参加いただき、水曜夜、13名で催すことができました。

少人数の場でしたので、参加者全員から何らかの発言を得られ、いろいろ貴重な意見交換に繋がったものと思っています。今回の記事はマイナーでローカルな話題です。さらに懇談会の中味に入る前の話を長々と綴ってしまいました。すでに読み飛ばされている方々も多いものと思っていますが、もう少し続け、懇談会の中味にも触れさせていただきます。なお、録音や詳細なメモを取っていた訳ではありませんので、すべてを網羅した報告には至らず、会話内容や言葉使いなども意訳としてご理解いただけるようよろしくお願いします。

「最初から組合にはあまり期待していない」という意見が真っ先に示されました。「どのような厳しい意見でも批判でも結構ですので、自由に発言してください」という呼びかけにしっかり答えていただいた発言でした。「皆が入っているから深く考えずに入っている人が多いのでは?」という意見の後、「それでも国税の労組に比べれば職場の課題によく取り組んでいます。国は人事院勧告で何でも決められてしまい、労使交渉の幅がまったくなかった」という前職が国税局勤務だった方から国の組合と比較した評価も寄せられました。

私どもの組合費の上限3,500円に対し、国税は最高で6千円ぐらいだったため、安く感じたという感想も続きました。すると前職がゼネコンだった方からは「その頃、組合費は月600円から800円だったので高く感じた」という真逆な意見が示されました。組合役員の一人からは「安い!産別に加盟していないのでは」という驚きの声が漏らされています。すぐ別な方から「高いか、安いかは活動ぶりや、いかに成果を出せるかどうかではないでしょうか」という意見が続き、うなづかざるを得ない議論の流れでした。

少し間が空いたタイミングで、進行役を務めていた私から一番最初に参加申込された方に尋ねてみました。「この懇談会に出てみようと思った理由は何だったのでしょうか」という問いかけに対し、「組合は職場と社会を繋ぐ役割を持っているものと考えています。3年前、出版社に勤めていた友人が過労のためだったのか、自殺してしまいました。自分なりにいろいろな問題意識を持つようになり、もう少し組合について知りたかったので」という非常に重く、深刻な答えを返していただきました。

心の健康の問題に話題が繋がり、ある方からは降格に関する質問がありました。現在、係長職は試験制度の対象になっていないため、本人の意思に関係なく、主任から係長に昇任する場合があります。先輩職員の一人が係長の職責の重さに耐えられず、早期退職に追い込まれてしまったという事例を紹介した上での質問でした。私から「病気等の事情があった場合、部長から係長職までのポストに降格制度を導入したいという提案があり、労使協議中であり、そのような観点も踏まえて判断していきたい」という説明を加えていました。

参加した組合役員は、なるべく聞き役に徹するようにお願いしていました。ただ普段から「議論好き」の顔ぶれのため、やはり組合役員が発言する機会も多くなっていました。もともと制約をあまり設けないフリー懇談会ですので、私から組合役員に対して自制を促した場面は結果的に1回だけにとどめていました。その中で、もっと注意すれば良かったと反省しなければならない場面が懇談会の最後のほうで起こりました。

女性組合員の方が「私も原発はないほうが良いと思っていますが、エネルギー問題を考えた時、脱原発という運動の難しさもあるのではないでしょうか」という言葉を選びながらも率直な問題提起を行ないました。事前の組合ニュースの例示の一つにしたほどでしたので、私としては貴重な提起をいただいたものと歓迎していました。すると複数の組合役員から「原発推進は絶対ダメ」という説得調の発言をかぶせてしまい、いわゆる二項対立的な議論の流れを強めてしまいました。

「今回は原発の是非を議論する場ではありませんので…」という説明を私から加え、ある程度のところで話題転換をはかっていました。翌日、女性組合員がどのような印象を持ったのか気になったため、この件について尋ねてみました。すると「異論は許さないという雰囲気でしたね」という予想以上に厳しい言葉が返されてしまい、「反論している組合役員側にそのような意識はないはずだけど、すみませんでした」とお詫びしながら深く反省点として心に留めたところでした。

最後の最後に「7年ぶりに引き上げ、人事院勧告」の中で報告した問題がクローズアップされました。私どもの自治体の地域手当支給地域が3級地から4級地に下げられてしまった結果、現行の支給率12%が据え置かれ、来年度以降の基本給2%削減という給与制度の総合的見直しの痛みが直撃する見通しです。それに対し、ぜひ、組合の力を発揮し、純減の痛みをやわらげられるように頑張って欲しいという声が参加者一同から寄せられました。それこそ組合の真価が問われていく課題であることを意思一致し、2時間近くに及んだフリー懇談会を終えていました。

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2014年9月 6日 (土)

激減する自治体職員と災害対応

今年6月、私どもの市の議会議員選挙が行なわれました。このブログを通して「市議選まであと1か月」「市議選まであとわずか」という記事を投稿し、選挙結果を踏まえた記事「民主党に期待したいこと」まで綴っていました。そもそも公務員の組合が選挙の取り組みを方針化している点に対し、いろいろな見方があることを受けとめています。だからこそブログを通し、「なぜ、取り組むのか」という目的や意義について広く不特定多数の方々に発信してきている意味合いがありました。

さらに今のような社会情勢の中で、政治的な活動を進めることで自分たちの待遇改善が大幅に進むとは思っていません。理不尽な改悪の動きが示される場合などに対し、最低限、毅然と当事者の声が届けられる政治的なパイプの必要性について常に意識しているところです。また、推薦した議員が組合に関する課題すべての利害代表になり得るような時代でもありません。同時に一組合だけが推薦したからと言って、地方議会であっても必ず議席を得られるような状況ではありません。

そのような関係性を踏まえながらも、私どもの組合が推薦した市議会議員の方とは日頃から緊密な連携をはかっています。推薦市議の政策リーフレットに関しても、きめ細かく意見交換や相談する機会を持ちながら作成していました。その中の「政策ビジョン 私のめざすまち」の中の一項目には下記のような内容がありました。「福祉のまち」をめざし、力を注いでいる推薦市議は災害弱者への対応を強く意識されています。さらに発生後の市職員の任務の重さ、そのための態勢を整える必要性を誰よりも痛感している市議会議員であることを示した項目でした。

大規模な災害に備え、防災・減災の対策を進めます。
東日本大震災など大規模な災害の教訓を生かし、災害が発生しても被害を最小限に軽減するための対策を進めます。高齢者、障がい者、妊婦など災害弱者といわれる方々に対し、きめ細かいケアができるように努めます。発生後、復興・復旧のかなめとなる市職員の役割や態勢を整えるよう提言します。とりわけ避難所となる学校職員の態勢について充実化をはかるよう求めていきます。

市職員の声を背にした政策ビジョンの一つですが、目的は「住民のため」を柱としています。 市職員の削減が行革の柱とされていますが、後ほど紹介する一般質問の内容のとおり防災・減災の視点から市職員数を一定規模維持することも欠かせません。特に以前の記事「減り続けている現業職場」に綴ったとおり学校用務、調理などの職場に働く技能労務職の数が激減しています。そのため、現業職員の新規採用試験の実施が不可欠であり、組合と推薦市議が足並みを揃えて市側に働きかけを強めていく論点となっています。

このような経緯を踏まえ、9月議会の一般質問の場で福祉の課題等とともに市職員の役割と態勢について推薦市議から市側の考え方をただしていただきました。防災・減災対策の視点から職員数削減を行革の最優先課題に今後も位置付けていくことへの疑義、とりわけ避難所となる学校職員の態勢充実の必要性について訴えています。その際、推薦市議は現業職の採用試験実施が欠かせない点についても言及しています。

それに対し、市側は市職員の役割の重さを認めながらも従来の行革計画等に沿った基本的な方針を踏襲していく旨の回答にとどまっています。残念ながら市側の考え方を一気に改めさせることは困難ですが、今後、労使交渉を通しても同様に訴えていくべき論点だと考えています。組合ニュース最新号で推薦市議の一般質問について報告していますが、このような主張が広く理解を得られるのかどうか、たいへん大事な点になります。冒頭に記したような意味合いを込め、最後に推薦市議の質問内容を参考までに当ブログでも紹介させていただきます。

9月1日は「防災の日」です。関東大震災が発生した日であり、台風や津波、地震などの災害についての認識を深め、災害に対処する心構えを準備するため、1960年に制定されています。その後、痛ましい出来事が昨日のことのように思い出されますが、阪神・淡路大震災、東日本大震災など大規模な災害に見舞われ、数多くの尊い命が奪われてきました。つい最近も広島の土砂災害によって多くの方がお亡くなりになっています。 災害を未然に防げる対策が最も大事なことですが、科学が進歩している現在においても残念ながら自然災害を人間の手で制御できるようにはなっていません。

したがって、「災害は起こる、災害は避けられない」ということを前提に様々な対策を講じる必要性があるものと考えています。災害が起きた際、いかにダメージを軽減できるか、できる限り犠牲者を出さず、被害を少なくできるかどうかが欠かせません。つまり防災対策においては減災という視点が重視され、災害が発生しても被害を最小限にとどめるための対策を立て、日頃から準備することが求められているのではないでしょうか。

特に高齢者、障がい者、妊婦など災害弱者といわれる方々に対し、きめ細かいケアができるように大災害の発生時はもちろん、その後の避難所での対応に心配りしていかなければなりません。防災・減災対策の課題では、このように様々な視点から検討が必要ですが、今回の一般質問では大規模な災害発生時の市職員の役割や態勢に絞って市側の考え方を尋ねさせていただきます。

これまで市職員数の削減が全国の自治体での行政改革の柱とされてきました。その結果、今年3月に示された総務省の資料によれば、自治体職員の総数は平成6年の328万人をピークとし、毎年減り続け、平成25年には275万人となり、ピーク時から53万人も減っています。私どもの市も同様であり、かつて常勤職員は1,500人に及んでいましたが、今年4月時点では1,100人ほどとなっています。

市長が掲げられた公約の推進であり、一つ一つ精緻な検討の上、事務事業の見直しの結果の表れだろうと受けとめています。さらに職員数見直しの問題では組合とも協議していることを伺っているため、このことについて強く異議を申し立てるものではありません。あくまでも大規模な災害が発生した際、求められる市職員の役割をしっかり果たすためには、どのような態勢を整えていくべきなのか、このような視点から問いかけさせていただくつもりです。

東日本大震災の被災地の自治体職員の声が、ある雑誌の中で紹介されていました。いくつか、そのまま読み上げさせていただきます。

  • 震災が起きる瞬間まではパソコンで書類を作る業務だった。それが次の日には遺体安置所でご遺体の衣類の洗浄していました。その後は土葬の手伝いをして、また掘り起こして火葬にして…
  • 実は私のところの家族も行方不明になったんです。でも、避難所で寝泊まりしろ、と指示が出て。本当は早く安置所回りして見つけてやりたかった。
  • 支援物資が来ると、まずは住民優先ですからね。市庁舎に寝泊まりしている職員は、賞味期限の切れたパンやおにぎりを、それも1個だけ、という日が続いた。
  • 役場のテレビで自宅が津波に流される映像を見た。あ、オレん家だと思ったけれど、住民や部下のことを思ったら帰るわけにもいかなかった。

たいへん過酷な話ですが、自治体職員の責任や役割として、ひとたび大きな災害が発生した際、課せられた使命だと言えます。平時において事務事業を民間に委ねていくことの支障はあまり多くないのかも知れません。しかし、大災害が発生した際、民間のスタッフに対し、家族よりも住民優先で、さらに24時間態勢で自治体の仕事に従事させられないことは言うまでもありません。

東日本大震災が発生した時、多くの自治体職員の人命も奪われています。その中で、もともと地方行革のもとに職員数が削減されていた各自治体における震災対応への負担は本当に厳しかったことを耳にしています。なお、被災地の職員の労苦とは比べられないのかも知れませんが、震災直後、鉄道利用者を中心に帰宅が困難になった方々に対し、当市の職員も徹夜態勢で対応していたことも承知しています。

大規模な災害が発生した場合、被災者への対応をはじめ、復興・復旧のかなめとなる市職員の態勢を整えることは非常に大事な防災・減災対策の一環だろうと考えています。したがって、これまでのように職員数の削減を行革の最優先的な課題に位置付けていくことについて、防災・減災の対策の視点を踏まえた際、私自身は疑問を強めています。今後も事務事業の見直しに伴い、職員数の削減はあり得るのかも知れませんが、少しブレーキを踏んでいくことも必要なのではないでしょうか。このような点について、ぜひ、市側のお考えをお聞かせ願えるようよろしくお願いします。

加えて、私は次のような問題意識を持っています。避難所となる学校職員の態勢の充実化です。とりわけ学校の設備に熟知した用務職、炊き出し等で大きな力を発揮できる調理職の確保が欠かせないものと考えています。東日本大震災の発生時、文部科学省から学校給食用施設等を活用するよう自治体に向けて通知が出されていましたが、そのためにも市が直接雇用する調理職員の確保は不可欠なものとなっているはずです。

今のところ常勤職員が大半を占めていますが、10年以上、技能労務職の新規採用が途絶えています。ここ最近では定数上の欠員も目立ち始めていると聞いています。ベテラン職員の技術や知識の継承、職員の士気向上の面からも世代をつないでいく年齢構成に留意することも重要です。このような点も踏まえ、技能労務職の新規採用試験の実施が必要な現況だと考えていますが、市側のお考えはいかがでしょうか。

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