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2014年8月16日 (土)

69回目の終戦記念日

久しぶりに前回「7年ぶりに引き上げ、人事院勧告」は公務員の話題に特化した記事を綴らせていただきました。それでも話の流れの中で、69回目の原爆忌を迎えた長崎市の平和宣言にも触れていました。集団的自衛権の議論を機に「平和の原点」が揺らいでいるのではないか、そのような不安と懸念を示した言葉が式典で長崎市の田上市長から発せられていたことを紹介していました。人事院勧告の話を中心に書き進めていたため、その時は本当に短く触れただけでした。

今回も職場課題を中心にした内容の投稿を考えていましたが、金曜日に69回目の終戦記念日を迎えたタイミングですので、戦争と平和について考える題材のほうを選ばさせていただきました。特に長崎市の平和宣言に対し、自民党の土屋正忠衆院議員が自分のブログで田上市長を批判したという報道を目にしていたため、その話題を当ブログで取り上げようと考えていました。まず土屋議員が集団的自衛権について「語りたいなら国政に出ることだ」「長崎市長の権威が下がる」などと批判した報道内容を紹介します。

長崎市の田上富久(たうえとみひさ)市長が9日の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典で読み上げた平和宣言で、集団的自衛権の行使容認に対する被爆者らの懸念に言及したことについて、自民党の土屋正忠(つちやまさただ)衆院議員=東京18区、2期=が自身のブログで「平和を維持するための政治的選択について語りたいなら、長崎市長を辞職して国政に出ることだ」と批判していたことが分かった。

ブログは9日付。土屋氏は、世界各地での紛争を踏まえ「抑止力を組み立てることが政治の責任」として、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定について「現実政治の選択肢の一つだ」と強調した。その上で「長崎市長は歴史的体験を踏まえた核廃絶について語るから権威がある。集団的自衛権うんぬんという具体的政治課題に言及すれば権威が下がる」と田上氏を批判した。田上氏は9日の平和宣言で「『戦争をしない』という平和の原点が揺らいでいるのではないか、という不安と懸念が、急ぐ議論の中で生まれている。日本政府にはこの不安と懸念の声に真摯(しんし)に向き合い、耳を傾けることを強く求める」と要請した。

土屋氏の事務所は、本紙の取材に対し「日程が詰まっていて取材を受けられない。(長崎市長への批判は)ブログで書かせていただいた通り。それ以上はコメントできない」と話した。土屋氏は東京都武蔵野市長を6期務めた後、2005年に初当選。総務政務官などを歴任した。長崎市の田上富久市長は11日、自民党の土屋衆院議員に長崎平和宣言を批判されたことについて「今の長崎の思いをしっかり伝えられたかどうかが大切。平和宣言として伝えるべき内容だった」と強調した。記者団の取材に答えた。【東京新聞2014年8月11日

8月9日の平和祈念式典において、田上市長が読み上げた「平成26年長崎平和宣言」の中で問題視された箇所は下記のとおりです。国民の間には様々な意見があり、集団的自衛権の行使を容認した閣議決定に対して批判や懸念の声が多いことは事実です。そのような点を踏まえ、直接的な批判ではありませんが、抑制的な言葉で問題提起しているものと受けとめていました。ただ式典に参列していた安倍首相にとってはチクリ、もしくはムッとした言葉だったかも知れません。

いまわが国では、集団的自衛権の議論を機に、「平和国家」としての安全保障のあり方についてさまざまな意見が交わされています。長崎は「ノーモア・ナガサキ」とともに、「ノーモア・ウォー」と叫び続けてきました。日本国憲法に込められた「戦争をしない」という誓いは、被爆国日本の原点であるとともに、被爆地長崎の原点でもあります。被爆者たちが自らの体験を語ることで伝え続けてきた、その平和の原点がいま揺らいでいるのではないか、という不安と懸念が、急ぐ議論の中で生まれています。日本政府にはこの不安と懸念の声に、真摯に向き合い、耳を傾けることを強く求めます。

土屋議員のブログでの批判は多くの自民党議員の本音であり、安倍首相の不愉快さを代弁した形になっている可能性もあります。あまり推測で物事を語るのは好ましくなく、断定調に論ずるつもりも毛頭ありません。また、このような紹介の仕方について「自己の都合に合えば何でも利用する」という穿った見方をされる方がいることも承知しています。いずれにしても当ブログを続けている目的として、多面的な情報を提供する一つの場として不特定多数の方々と接してきているつもりです。

その意味で、ここまでの話題は多くの皆さんが既に見聞きし、あまり目新しさは感じられていなかったかも知れません。しかし、これから紹介する内容は、前掲した新聞記事などメディアによっては省かれていた事実関係であり、このブログでは必ず触れたいものと考えていました。『NEWS 23』の報道で知ったことですが、「そうだったんだ。それでは土屋議員の勇み足ではないか」と思うようになった事実関係でした。

そもそも「長崎平和宣言」は、被爆者や大学教授ら14人が委員を務める起草委員会(委員長は田上市長)での議論を踏まえ、長崎市として作ったものです。その内容を長崎市の代表である田上市長が平和祈念式典で読み上げている構図となります。そのため、土屋議員が田上市長に対する個人批判と取れるブログの内容は的外れだったように思っています。加えて、田上市長は宣言の中に集団的自衛権の問題を触れることに一貫して慎重な姿勢を示されていたという事実関係も知りました。

長崎市側は3回、集団的自衛権に言及しない案を提示しましたが、委員の多くが被爆地の懸念を示すよう再考を求めていました。最終的に田上市長の判断で平和宣言の中に集団的自衛権についても触れることになりましたが、行使容認の是非そのものについては言及しない内容としていました。ここまでの事実関係を知った上で、土屋議員は自分のブログの中で田上市長を批判されたのでしょうか。あくまでも推測の域を出ませんが、経緯の詳細を把握せず、田上市長個人を批判されたように思えています。さらに被爆地で広がる閣議決定への批判の声を過少に見ているような気もしていました。

この時期、テレビ画面から終戦の日にちなんだ特集や特別企画を目にすることができます。今年、立て続けにパラオ諸島にあるペリリュー島を舞台にした番組を見る機会を得ました。最初は水曜夜に放映されたNHKスペシャル『狂気の戦場ペリリュー~“忘れられた島”の記録~』で、終戦記念日だった金曜夜にはフジテレビのスペシャルドラマ『命ある限り戦え、そして生き抜くんだ』を通し、詳しく知らなかった激戦の島の話を知りました。平時であれば「普通の人」が、過酷な戦場では殺し合わなければならない姿が記録映像とドラマの画面から伝わってきました。

木曜夜のNHKスペシャル『少女たちの戦争~197枚の学級絵日誌~』も初めて知った話でしたが、戦争末期の小学生の心情や日常生活の変化が手に取るように分かる番組でした。戦争が終わった後、授業で書いた少女の作文の一節が最後に紹介されていました。「家族が仲良く、瀬田町が仲良く、日本中が仲良く、世界中が仲良くできることがいいと思います」という言葉、本当に誰もが同じ気持ちだと思いますが、たいへん残念ながら「仲良くできず、いがみ合い、殺し合う」現実から抜け出すことができていません。

NEWS 23』ではシリーズ「若者たちの戦争」という特集を組み、連夜、戦争体験者の証言の数々を伝えていました。木曜夜には中国戦線に派遣された94歳になる元日本兵の証言が取り上げられていました。「脱亜入欧」のもとアジア蔑視の教育がされていたため、その元日本兵の方も中国人を「チャンコロ」と侮蔑し、木の幹にくくられた生きた中国人男性に対して刺突訓練することに迷いはなかったと話されていました。赤ん坊を抱いた若い女性を数人で輪姦した後、靴だけ履かせ、裸のまま部隊とともに連れ歩き、最後は古参兵が赤ん坊を崖下に投げ捨てたため、あっという間に母親も子どもを追って崖下に身を投げたことが語られていました。

ある時は「三八式歩兵銃が何人貫通するか試し撃ちしようや」という話となり、中国人男性15~16名を並ばせて3回か4回で全員殺したことを語られています。「その折には相手に哀れとか何にも頭に出てこないんですね。自分が子どもを持ち、孫を持って初めてね、あー、俺、あんな悪いことやったなぁと、俺の一生の間に謝っても謝りきれんことをやったなぁと、今も消え去らんですけどね」と悲痛な言葉で悔やまれている姿を映し出していました。

69回目の終戦記念日を迎えた今回の記事、最近、メディアを通して見聞きした話を皆さんに伝えるスタイルを基本に綴ってきました。所々、私なりの感想的な一言二言を添えているため、行間を深読みされた指摘や批判も示されるのかも知れません。ちなみに今回の記事内容に続く私自身の思いとしては「再び、いがみ合わないことの大切さ」と「多面的な情報の一つとして」であり、機会があれば改めて整理してみるつもりです。さらに深読みされてしまうものと思いますが、最後に全国戦没者追悼式での安倍首相の式辞内容を伝える新聞記事を紹介させていただきます。

安倍晋三首相は15日、政府主催の全国戦没者追悼式の式辞で、歴代首相が表明してきたアジア諸国への加害責任の反省について昨年に続いて明言せず、「不戦の誓い」との文言も使わなかった。一方で「歳月が流れても変えてはならない道がある。今日はその平和への誓いを新たにする日だ」との表現を盛り込んだ。集団的自衛権の行使を認める閣議決定に世論の慎重論があるなか、平和主義の継続を強調した。首相は「ふるさとへの帰還を果たされていないご遺骨のことも決して忘れない」とも述べ、戦没者の遺骨収集に力を入れる考えを示した。首相は第1次政権の2007年の式辞では「多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」として、「深い反省」を表明していた。【日本経済新聞2014年8月15日

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コメント

んー、今年は月遅れ盆の日にちが水~土になったので、余計そう思うのかもしれませんが、メディアは特に事前準備していたもの(録画番組や書置き記事)が多くて、はっきりいってつまらなかったです。
ま、8月15日挟むし、集団的自衛権の件もあるし、事件でもなけりゃ政治も経済も動かないし、とりあえず太平洋戦争のことでも盛り込んでおけばいいんじぇね的に投げやり式な、ごくごく経営的な目線でプログラムが組んであるかのように見えて、これじゃ、いつまでたっても日本のお盆期間ってかわんないよなぁって感じですね。
来年は、戦後70年ですから、もっと豪華に番組を事前制作して、派手にメディア関係の人は休みを取るんですかね。こういう傾向には辟易しますけれども。なんだか放送時間や紙面が余っちゃったから、とりあえず「戦争」で埋めておこうみたいな。
新聞の薄いこと。月ぎめで新聞代払ってるんだぞ!まじめにやれ!って思うのは、私だけではないと思いますが。
ソースがないんじゃしかたないんですけどね。

田上さんの件は、宣言を練り上げるプロセスについて、土屋さん個人の無知が生んだものと理解しています。
昨今は、政治家の出すこうした「活字打ち」の文章も、秘書さんなんかの複数チェックを行わないで、議員からダイレクトに出てしまうので、こういうことになるんだろうなと思いました。
田上さんの「宣言」を聞きましたが、誰が起案したとしても、一応、長崎市長の名前で宣言している以上、現時点、集団的自衛権については、あまりにもデリケート・ナイーブなことであって、現在進行形で、しかも具体性に欠けるようなところであるので、一地公体の首長名として出すのはいかがなものかと、私自身思ったのは確かです。
ですから、土屋さんは言葉足らずだし、国政に・・・というのは言い過ぎだと思います。
田上さんになんらかの反発はあるだろうなと思っていました。
また、そのことについて、参列していた安倍首相が言及したとの報道もなく(私が見ていないだけかもしれません)、これはこれでいかがなものかと思います。

TBS系列では、北朝鮮との未帰還日本人の赤十字社による交渉等の特集があり、特定名称は避けたものの、朝鮮労働党から日本の「野党」への情報提供によって、日本国会で政府与党を質問責めにしたということが強調されていたことが印象深かったです。総連の話までは触れてなかったようですね。
読売テレビ系列では、靖国の特集が出ていましたが、朝日新聞が参拝の公費か私費かを問わなければ、今日のような中韓の靖国問題というのは起こらなかっただろうということを強調していましたね。
ま、おこっちゃったものはしかたがないんで、いまさら何を言ってるのかなという感じではありましたけどもね。
解決のためには、前史を知ることも大切なのは分かりますが、お盆で送り迎えだの棚経だの帰省だのリゾートだのといったときに、メディアはなにやってんのかなというところではあります。

昨日の読売新聞には、携帯電話回線の高速化の話、今日は、防衛省の防衛技術発掘をする話が出てますね。民間技術の軍事力への転換ですかね。
概算要求がらみで、お盆過ぎたらリーク合戦開始!ってところなのかもです。大臣や議員が東京に帰ってくれば、説明だのネマワシができますからね。にぎやかになりそうですね。

・・・といいつつ。私は今朝から、ジェンダーの関係でお勉強です。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年8月17日 (日) 09時56分

でりしゃすぱんださん、コメントありがとうございました。

市役所の職員は交代で夏休みを取り、世間がお盆休みの時期も普通に開庁しているため、先週に比べた変化をあまり感じられそうにありません。それでも明日から、でりしゃすぱんださんが指摘されているとおり霞が関や永田町の動きが活発化し、いろいろな情報に触れていくことになるのだろうと思っています。特に内閣改造を控え、自民党政治家の多くの名前が連日メディアに取り上げられるのだろうと予想しています。

投稿: OTSU | 2014年8月17日 (日) 21時15分

なんか最近雨ばっかりや。オレも平和宣言と土屋議員のブログ読んだで。オレはブログの内容と同意見やな。あの宣言のほうが引っかかるわ。長崎市長の平和宣言がこんなに注目されるんは、原爆の件があるからやろ。せやから原爆関連の主張はわかる。けどそれ以外の主張が混じってんのは、その立場を勝手に利用してるんと違うか?何人かで作ったいうても、責任者は市長やろ、文末にあんのは市長の名前やねんから。国政に出よとまでは言わんけど、路上なり、それこそブログで言うたらええ話やんか。市長個人がどんな思想を持っていようがかまへん。けど、集団的自衛権のことで「平和の原点がいま揺らいでいるのではないか、という不安と懸念」を持つもんの主張だけがあの場でたからかに読み上げられるんは、どうなんやろな。
立場とか責任の観点で言わせてもらうなら、朝日新聞の責任者は公の場できっちり落とし前つけてもらわんとな。こっちのほうが一議員のブログよりよっぽど大事件やんか(けどここでのネタに使うたら荒れるやろな)。あー明日から仕事や、まいったな。

投稿: K | 2014年8月17日 (日) 23時18分

他のコメントでも指摘してますが。
終戦記念日をはさむと、反戦ムード一色になってしまうメディアというものは、そろそろどうにかした方がいいのではないかと思います。
反戦を煽るのは、メディアのあり方として、どんな主張をしても問題はないのですが、こう集中的にやられると辟易してきます。
おせちもいいけどカレーもねという宣伝がありましたが、お腹いっぱいなんですよね。

それでも、終戦記念日がいつなのか、日本はどこと戦っていたのか分からない人がいるというのは、現代の歴史教育というのは、現代史をあまりやらないことからきているのかなと思いました。

戦闘行為には反対なのは、私だって同じです。しかし、単純化された反戦については、私は疑問があります。
なんだか、ナショナリズムとか、そういうのもぜんぶごちゃまぜになってしまっている反戦主張の現状に嫌気がさすだけです。

土屋さんのSNSの発言はKさんのような反応が、たぶん、ストレートに読んだ時には正しいと思います。
たかがSNSの短文投稿に揚げ足の取り合いしても意味ないかなとも思います。
ただ、田上さんの発言は、誰が原稿を用意しようと、長崎市長という立場において、現実問題、非常に重い。
メディアは土屋さん叩きに走りましたが、個人のつぶやきとして黙殺しても構わないわけです。それも報道の自由だから。

この時期だけ、メディアはうるさくなる。神経過敏になる。アラ探しをする。反戦でないものを排除しようとする。
それって、いろんな意味で変です。
政府の広報じゃないんだから、メディアは。少し、各メディアで幅がもう少しあってもいいような気がします。
反戦なら、この時期に限ってなんでもありじゃないので。まあ、何をもって中立公正かというのはありますよ。

それと、グロい表現が多くなってきている。
広島で、頭骨を拾い集めて号泣するような表現は、ドラマのリアリティーという面ではいいけど、やりすぎなのかなという気がします。
メディアが感覚マヒしてるようでこわいですね。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年8月18日 (月) 00時36分

この時期に特有なのかもしれませんが、平和原理主義とでも言ったらいいのか
戦争に関するすべての事象を排斥しようとします。

誰でも紛争より、平和のほうが喜ばしいでしょう。しかし、その為に戦争に
繋がるからと全てを排斥し、思考停止するほうがよほど危険に思えてしまいます。

予測できる可能性はすべて網羅し、対策を考え、必要な準備と訓練を行う。
そしていかに抑止として活用し、現実の行使につながらないようにするかが
もっとも重要であると考えます。

毎日、反日ドラマを垂れ流して国民を誘導する国のほうがよほど挑発してると
思うのですが、それでも日本が挑発してると考える人がいるのは、まあしかた
ないのでしょう。夏の風物詩と同じと考えることにします。

投稿: nagi | 2014年8月18日 (月) 13時32分

>歴代首相が表明してきたアジア諸国への加害責任の反省について昨年に続いて明言せず・・・・

今年はこの話がよく出ているようですが、単純な疑問として。
この先、100年200年と永遠に。毎年8月15日は謝罪の言葉を述べ続ける必要があるのでしょうか?

何も、今まで何回も何十回も謝ったからもういいでしょう、と言うのではありません。
でも、日本はちゃんと謝罪をしてきたし、戦後の行動で平和に対する姿勢を示しました。

もちろん、過去の侵略の歴史は永遠に消えることはなく、私達がその行為を忘れることも許されません。
その上で、過去ではなく未来について語る・・・・
もうそろそろ、そういう時期に来ているのではないかと思われます。

必要以上の謝罪は、逆効果を生み出していませんか?
とある2国だけは、未だに侵略だ、右傾化だ、とこれでもかというくらい問題化しますが、少なくとも戦後の日本が歩んできた平和への誓いや行動は、これ以上何かを言われるようなことは無いはずです。

言わないから反省していない。
そうではなく、この先の未来に続く平和について、世界に対してしっかりと発信をすればいい。

無用な煽りは、周辺地域だけではなく、自国の不利益にも繋がるのではないでしょうか。

投稿: 下っ端 | 2014年8月18日 (月) 20時34分

下っ端さん。
私も同感です。
例えば、豊臣政権時代の朝鮮出兵にしたって、今頃、謝罪しろなんてことは、政府間で言えばありえないわけです。
一応、日本としては、政体がカタチを変えながらも、連綿と存続しているので、この辺を言われても論理的にはおかしいことではありません。
いったいいつまで、戦後というものが政治利用されるのかは、はなはだ疑問です。
日本は、韓国に対し、過大評価しているのかもしれません。いずれパッシングするような気もします。
一方で中国については、過小評価しているような気もします。政治的な戦術では、こちらの方がはるかに影響が大きい。
韓国に対しては呆れ気味でいいと思います。あちらは気を引きたいだけのような気もします。
中国は、実利がかなり絡んでいるので、そうはいかないでしょうね。
韓国にも実利面はありますが、相手にするだけ無駄のような気がします。
あくまでも、個人的感想なので、ミスリードしているかもしれませんが。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年8月18日 (月) 22時57分

そもそも「被爆者や大学教授ら14人が委員を務める起草委員会」なんて必要ですかね?
まあ、そういう組織があった時に、それを破壊することが困難であろうことは想像に難くないので、長崎市長には同情しておきます。

ただ市長が読み上げた内容に実は反対だったとしても、内容について自ら、自らの名で読み上げた以上、私は反対だった~は
ちょっと通用しないと思います。とはいえ、自身の意見と異なるのであれば、批判はむしろウェルカムなのではないでしょうか。
その批判を自分の意思を通す追い風とすることも出来るでしょうしね。

「平和の原点が揺らいでいるのではないか」それはなぜなのか、という点においては、まさに多面的な解釈が可能でありますが、
簡潔に言えば自分が住む町内会が運営している防犯互助会に入るだけの話です。
仕方ないじゃないですか。向かい三軒両隣の範囲に手癖の悪いキチガイじみた隣人がいるんですから。

それと、もはや、報道が伝えているものが真実であるのか、ということについて、素直には信じがたいですね。
90歳のおじいさんが語ったことについて、NEWS23はその裏付けをしっかり確認しているのでしょうか。
朝日新聞が犯した過ちは、裏をきちんと取っていれば本来嘘であると見抜けたはずのことです。
別に左でも右でもかまいませんが、報道機関として、きちんと確認できた事実を報道すべきではないのでしょうか。
もちろん事実の可能性も十分ありますが、その方が言われていることの確認もせずに報道しているのであれば、
プロの仕事として、それで本当にいいのかな、万一誤報だったときに、どう対応するのかな、とは思います。

投稿: とーる2号 | 2014年8月19日 (火) 03時20分

あいかわらず平和フォーラムの記事がぶっとんでいて本当におもしろい。

反戦を煽りたいがゆえに、やたら「戦死」をアピールしてくる。
おかしい、平和フォーラムは自衛隊が大嫌いなはずだが。
嫌いな存在の生死など興味がないだろうと思う。

人が死ぬことを持って、平和か否かを判別するなら、車の事故により
年間七千人ちかく死者がでる現在は内戦状態といえるだろう。
平和フォーラムは、一刻も早く自動車の廃止を世論に呼びかけたら
どうだろうか。

このような団体が今日も元気で活動してるとこを見ると
まだまだ日本も平和だと思います。あとは政府に頑張ってもらって
着々と日本の安全を守ってほしいですね。

それと1秒でも早く原発を再稼働させてほしいです。
電気代が高くて生活が大変ですから。

投稿: nagi | 2014年8月19日 (火) 12時22分

とーる2号さん。
手癖の悪い・・・のくだりには、思わず抱腹しました。
そうですね。相手のあることなので・・・しかも、相手が愛玩動物程度なら、まぁ噛みつかれてもアレですが、人間ですからね。しかも、トラメガとか飛び道具も持っていますからね。
静かにしてくださいよ!ご近所迷惑です!って言っても聞かないのは、「世界の警察」でも呼び込むくらいのことしかできないかもしれません。
自ら、鉄槌をくだせないのならばですけどね。暴力反対なのはわかりますけどね。
懐中電灯くらいは用意したっていいですよね。ご近所さんの動向見るのに。

nagiさん。
水力以外、主だった発電施設のない、私の住む北関東の某県では、少しでも県内自給率を上げるべく火力発電所の建設に動いています。
しかも、人口減少気味なので、空き地の地価が「上がって」います。太陽光発電のため、安いところから買取が行われているからなんです。
東京は地価が高いから、そもそも太陽光用の空き地なんてないのでしょうが(あ、T市付近には大規模にあるようですが。)、火力がダメならニュークリアパワープラント1発でも建設することくらいしてはどうなんでしょうかね。
日本の人口の1割は東京にあるのですから。とっても安全でエコ、しかも低コストというカスミガセキのお墨付きが過去あったらしいので。
千代田区のどまんなかあたりにでも。広いところが「でーん」とあるようなので。冗談ですが。
ほんと、東京でも北関東でも単位当たりの電気料金はあまり変わらないので、東電さんが恨めしい。
とりあえず東海村でもいいので、稼働させて、電気料金の単価を下げてほしいとは思いますね。
これで、燃料高でインフレターゲット目標達成!なんて日銀が騒いだら、しかるべきところに苦情申告してさしあげようかしらん。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年8月19日 (火) 18時21分

>でりしゃすぱんだ氏

私が疑念に感じるのは、どうしてリベラルな人って、原発がそんなに嫌いなのか
です。原発=核=戦争 なんてイメージなんでしょうか。私は核兵器より農薬の
ほうがよほど怖いですけどね。

とりあえず、電気料金だけはなんとか下がってほしいですね。
切実な気持ちです。

投稿: nagi | 2014年8月19日 (火) 19時18分

nagiさん。
リベラルがどういうものか、私の中で定義があいまいになっているのでアレなんですが。
核アレルギーっていいますか、「核」そのものが「悪」みたいな。
でも、それって、思考停止状態なんですよね。原発=核=悪。その向こう側にはいかないんですよね。
福島の場合も、「それ見たことか!」って胸躍らせた人っていると思うんですよ。喜んでいないにせよ。

アレルギーって・・・私は食物アレルギーをたくさん持っていますが・・・食物アレルギーの場合は、疑いのある食べ物をうかつに口に入れないことが、最大の予防なんですよね。
結局、「食べない」ということ以上に行う行動がなくなってしまうんです。
食べない。はい、おしまい。
たぶん、核に対する過激な反応がある人って、アレルギー的です。
もし、アレルギー的な考えの向こう側があるのだったら、やっぱり、人類である以上試してみたいじゃないですか。
食物アレルギーの場合でいうと、なにかの技術で克服できたら、私はおいしいものが食べられるからいいと思いますけど。

安全で安心でエコでパワーのあるエネルギー。ほしいですよ。
今のところ、それに一番近いのが核エネルギーだし、コントロールがうまくいっていないのかどうかは科学技術の限界に挑戦していく問題だと思うんですよね。
e=mc^2という数式は、別に、地球を汚そうと思って作られたものじゃないんですよね。
核が悪なのではなくて、核から出てきてしまう「コントロール不能なモノ」が問題なのであって、すべての根源が「核」にあるという言い方は、私は好きではないです。
もう、「核」という言葉さえ隠してしまうようなひとたちもいますのでね。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年8月19日 (火) 20時44分

>nagiさん

東日本震災後の数年で、さっさと新設の火力発電所を作っていれば、電力不足や電気代の高騰も無かったのではないでしょうか。

最新のガスコンバインドサイクル火力発電なら、熱効率も高くコストは低いそうです。
むしろ、古い火力発電を無理して稼働させたり、使わない原発を維持するために高いコストが必要という話もあるようですよ。

原発に関しては、意見が正反対のままですね(笑)

投稿: 下っ端 | 2014年8月19日 (火) 22時38分

核エネルギーについては、現在のところ、出力がめちゃくちゃ大きくて、すでにあるものが使える、即効性があるという点で、再稼働してほしいというのが、私の考えです。暴論のようにも読めるかもしれませんね。
再稼働しながら、急いで次の手も考える。ではだめなのかな?と思っています。
もちろん、原発近くの住民のみなさんの心情については、この件で言えばあえて度外視していますが。でも、必要悪でもあると思います。
昭和30〜40年代に作った火力を、だましだまし使っているよりは、けっこう使えるのではないかと考えています。

核エネルギーについては、飛躍的な技術革新がない限り、エネルギーとしては将来は使わない方向とする。これはこれであっていると思います。
また、代替エネルギーで出力がある程度大きく即効性のあるものは使っていく。これもいいんじゃないんでしょうか。
電力消費地のいち庶民感覚として、電気料金が不気味な値上がりをしていて…とくに東電の話なのですが…ガソリンやら灯油が日に日に上がっていると、あまり懐と心臓によくないです。
このままでは、冬場のボイラーを使った温室野菜にも影響するだろうし、クルマは必需品だし、とにかくエネルギー単価の低下が、いろんな意味でカンフル剤的に必要だと思います。

このまま、燃料高を要因のひとつとする悪性のインフレになって、来年、消費税増税になったら、経済はめちゃくちゃですかね。
ほんと、フトコロが痛いだけのインフレターゲットなんていらないんですよ。
それをいちばん心配するわけですが。
経済力の低下は国力の低下。内政や外交、防衛にも、直接間接的に影響が及びますからね。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年8月20日 (水) 07時58分

昨日に引き続いてコメント欄を汚しますね。
2014年8月19日 (火) 20時44分のコメントにおいて、核に対するアレルギー反応みたいなものを書きました。
で、よーく考えてみたら、この手のアレルギー的な考えは、「反戦」なんかにも現れているんじゃないかと気づいたんです。
根が鈍なので、気づくのが遅いわけですが。

戦闘行為についてはやっちゃいけないものであるとは理解しています。
しかし、「考え方における反戦」について、反戦の向こう側を見ていないひとたちがいるのではないかという気がしています。
つまり、「反戦」ということで、その先を考えることをやめてしまったひとたち。
反戦ということで、戦争ということにアレルギーを抱えると、戦争という考え自体を捨ててしまえばいいのではないかと考えてしまう。
そうすれば、世界はハッピーさ!って。

しかしながら、やっぱり、反戦の向こう側・・・どうやったら戦闘状態に持ち込むことができなくなるのかという考え方上の戦略・・・「考え方における抑止力」まで考えが及ばないひとたちがいるのではないかと思うのです。
抑止力のほかにも考え方はあります。すべて否定してはいけないと考えます。
きっと、人智を極めれば、「反戦」の一言ですませられないような、考え方上の戦略的戦術的な思考が出てくるはずなんです。
もし、そういった考え方が「発明」できれば、みんなハッピー!じゃないですか。
マニュアルのようなものを作ることはありませんが、考え方の世界において、思考停止するというのは、きわめて悪質で卑怯なものです。

・・・と、昼間に思いまして、夜になってコメントしようかなと。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年8月21日 (木) 19時20分

>でりしゃすぱんだ氏

アレルギーの表現はまさにどんぴしゃだと思います。これでは本当に反対の為の
反対にすぎませんね。もったいない話だと思うのです。

>下っ端氏

そうですね。相変わらず反対ですね。一部では発電所の新設に動いてる
ようですが、使える施設があるのだから、それを使いたいと思う電気会社の
言い分も私は理解できます。でりしゃすぱんだ氏の私的どおり燃料高による
国力の低下を懸念します。
これからどうなるんですかね。

投稿: | 2014年8月22日 (金) 14時06分

すみません、上記投稿者は「nagi」です。
失礼しました。

投稿: nagi | 2014年8月22日 (金) 14時07分

kさん、でりしゃすぱんださん、nagiさん、下っ端さん、とーる2号さん、コメントありがとうございました。

本来、私から補足すべき点が多々あるように感じていましたが、たいへん恐縮ながら直接的な問いかけはなかったため、いつものとおり中途半端な関わり方は控えさせていただきます。今後投稿していく記事本文を通し、少しずつ自分なりの問題意識を補足していければと考えています。なお、新規記事は今夜中に投稿する予定ですので、ぜひ、またご訪問いただければ幸いですのでよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2014年8月23日 (土) 20時41分

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