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2014年7月 6日 (日)

集団的自衛権を閣議決定

コメント欄から距離を置くようになって2年ほどたちます。記事本文の更新と同様、コメント欄に関わるのは休日に限らせていただいています。さらに難しい問いかけに対しては、じっくり記事本文を通してお答えするように努めています。ただ「機会を見て記事本文で」とレスしながらも先送りしがちな場合が多く、いつも申し訳なく思っています。今回、以前の記事「自治労と当ブログについて」に寄せられた問いかけに答えるような内容の投稿も考えていました。

とは言え、このタイミングで集団的自衛権の問題を取り上げないのもどうかと思い、やはり「集団的自衛権を閣議決定」というタイトルとし、改めて今、いろいろ頭に浮かぶことを書き進めさせていただくこととしました。5月初めに投稿した記事「憲法記念日に思うこと 2014」以降、ほぼ毎回、このブログで集団的自衛権の問題について触れてきました。それだけ重要な問題であり、今後の日本の行方を左右する局面だと受けとめ、私自身の問題意識を私なりの言葉を尽くして訴えてきました。

解釈改憲ではなく、あくまでも解釈の変更であるという説明も加えられていますが、どちらにしても憲法の根幹に関わる問題を閣議決定で変更していくことに対し、このブログでも強い疑義を示してきました。意図された巡り合わせではないようですが、自衛隊発足60年という節目を迎えた7月1日、たいへん残念ながら政府は臨時閣議を開き、憲法第9条の解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認することを決めてしまいました。

憲法で権力を縛るという立憲主義をないがしろにする行為であり、その時々の内閣の意思によって今回のような憲法解釈の重大な変更を行なって良いのかどうか、大きな疑問が残されています。憲法第96条での改憲発議では時間がかかり過ぎるという論外な声や、閣議決定しなければ関連した法律の改正に着手できず、野党との議論は国会での法案審議の場が待っているという手順の説明も耳にします。自民党の高村副総裁は「まだ国民から充分理解を得られていない」と述べ、国会論戦などを通じて説明責任を果たす考え方を示しています。しかし、すべて「結論ありき」だった後付けの釈明だと言わざるを得ません。

「なぜ、そんなに拙速に進めるのか」という質問が公明党国会議員団の会議の中で出た際、北川副代表は「安倍首相が急いでいるんだ」という答えを返していました。議論していた党政調会会議室は、一瞬、白けた空気と沈黙に包まれたそうです。岡田元外相は集団的自衛権を行使して欲しいと「外相時代、アメリカから言われたことは一度もない」と語っています。「民主党政権だから」という突っ込みが入るのかも知れませんが、実際のところオバマ政権になってから働きかけを強めていたようには見えません。

かつてに比べればアメリカの国力にもかげりを見せ始めています。そのような絡みから日本の軍事力に今まで以上の役割を期待し、集団的自衛権行使を検討していくことに歓迎の意を表しているものと見ています。一方で、アメリカ国内では他国の戦争に巻き込まれたくないという意識が高まっているようであり、日本と中国との対立を危惧している側面があるものと考えています。

上記は「もう少し集団的自衛権の話 Part2」に残した言葉ですが、この間の動きについて、どうしても安倍首相の個人的な政治信条やこだわりが前面に出ているように思えてなりません。そもそも安倍首相に対する評価は人によって大きく異なります。個々人の基本的な視点や考え方の違いから生じる当たり前な話だと思いますが、安倍首相を信奉する方々の多さをネット上の様々なサイトから散見できます。その一方で、安倍首相を強く批判する声の多さもネット上で把握しています。

安倍首相が発した同じ言葉に対し、「分かりやすく、素晴らしい説明だ」と「中味のない、独りよがりの説明だ」というように評価が両極端に割れる場合も少なくありません。このブログでは、レッテルをはった意見は控えていただくようお願いしています。そのため、私自身も物事にレッテルをはって、思い込みや先入観で判断しないように努力しています。つまり安倍首相を「軍国主義者」と称することは誤ったレッテルであり、「戦争をしたがっている」という見方も的外れだと思っています。

「抑止力を強化することで平和と安全を確かなものにする」という言葉にも嘘偽りなく、安倍首相自身の信念から発せられているものと見ています。このような事実を誤認や曲解し、安倍首相の言動を批判することに終始した場合、安倍首相を強く支持される方々との接点は見出しづらく、深く広い「溝」が埋まることはないものと考えています。評価や批判すべき点は、今回下した政治的な判断や識見の中味であり、安倍首相を個人攻撃することではないはずです。

このような前置きを述べた上で、私自身、今回の閣議決定に反対していることを改めて表明させていただきます。前述した手続き論に加え、日本国憲法の「特別さ」は守り続けるべきブランドだと考えているからです。そのことによって国際社会の中で日本だからこそ貢献できた役回りがあり、もっともっと「特別さ」をアピールしながら非軍事面での独自な活動に力を注げることを望んでいます。このように記すと「9条さえあれば平和が守れるのか」という批判を受ける場合がありますが、そもそも個別的自衛権は認めた上での集団的自衛権まで行使するのかどうかの問題であり、かみ合わない論点だと思っています。

さらに「日本をより平和にする対案はお持ちですか?」という問いかけもありましたが、とりまく情勢をどのように認識するかどうかの問題にも繋がります。情勢認識や国際社会での望ましい関係性は「普通に戦争ができる国について」の後段で綴っていましたが、国家を超えた繋がりやシェアが鍵だという見方も個々人での評価は分かれるものと思います。それでも「抑止力の強化」イコール軍拡競争という側面もあるため、個別的自衛権に限った「特別さ」を維持するほうが、より平和に近付き、現状維持が対案という「答え」も決して否定できないはずです。

どうしても情勢の変化の中で大きな支障が出ているのであれば、これまでの日本の「特別さ」を重視し、今後も個別的自衛権の範囲を大前提に国会での審議を尽くして事例ごとに改めていくという発想が欠かせなかったのではないでしょうか。そのような発想での手順が踏まれた場合、「なし崩し改憲」という批判も示されるのかも知れませんが、これほど大きな批判は高まらなかったように感じています。実際、与党協議の中で公明党側が強く主張した論点であり、私自身もその一線は非常に大事な点だと考えていました。

与党協議の最終盤、「集団的自衛権」という言葉を使わない案を安倍首相に示したところ一蹴され、必ず文言に入れるよう強く指示されたと聞いています。安倍首相の並々ならぬ決意の一端を表した事例でしたが、最終的にまとまった閣議決定の全文の中に「集団的自衛権」という言葉はごくわずかで、具体的な使われ方も次のとおり回りくどい表現にとどまっていました。

我が国による「武力の行使」が国際法を遵守して行われることは当然であるが、国際法上の根拠と憲法解釈は区別して理解する必要がある。憲法上許容される上記の「武力の行使」は、国際法上は、集団的自衛権が根拠となる場合がある。この「武力の行使」には、他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とするものが含まれるが、憲法上は、あくまでも我が国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち、我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容されるものである。

閣議決定の夜、記者会見で安倍首相は「現行の憲法解釈の基本的考え方は、今回の閣議決定においても何ら変わることはありません。海外派兵は一般に許されないという従来からの原則も全く変わりません。自衛隊がかつての湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことはこれからも決してありません」と言い切られていました。昨年のIOC総会で安倍首相が「(福島第一原発の)状況はコントロールされている。東京にダメージが与えられることは決してない」と強調された姿とオーバーラップしがちですが、本当にそのとおり厳守していくのであれば、公明党が主張したような一線の引き方もあり得たはずです。

もちろん名より実を取れば良かったと言うものではありません。閣議決定の文章の中に「集団的自衛権」という言葉がなくても実際は行使容認の中味で、平和憲法の「特別さ」が削がれていくようでは大きな問題です。今回、「アリの一穴」や「小さく生んで大きく育てる」という意図があるのかどうか分かりませんが、集団的自衛権行使の中で「戦闘に参加しない」という線引きを強調するのであれば、これまでの解釈を崩さない中での基本方針に努めて欲しかったと強く思っているところです。

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コメント

久しぶりに投稿します。
集団的自衛権については、反対です。
自分のじーちゃん、ばーちゃんや子どもが殴られても何も出来なくいいのか?と言う論理から集団的自衛権が必要ということを言う人がいます。
これには誰も反論できませんよね。痛いところを突いてきます。
でも、なぜ殴られたのか? 子どものケンカに親が出ることにならないか? は、考えるべきではないでしょうか?
安倍首相の本音には、戦争できない足かせがあると中国や韓国になめらるというのがあるそうです。
これでは、まるで中学生の不良の考えです。
したたかで、分別のある大人になれないものかと思います。

投稿: どんどんパパ | 2014年7月 6日 (日) 16時21分

どんどんパパさん、お久しぶりです。コメントありがとうございました。

このコメント欄を通し、多様な声を伺えることが貴重な機会だと考えています。ぜひ、これからもお時間が許される際、お気軽に投稿いただければ幸いですのでよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2014年7月 6日 (日) 21時20分

元々、69年間に渡って謝罪と反省の言葉を連ねて
相当額の金品をその言葉に重ねて支出してきたことは、
どう評価されるのでしょう?

この国は、十分に大人の対応をしてきたと思いますが、
それを子供のような反応で、もっともっとと要求し、あまつさえ、
一切の謝罪と賠償を受けていないと言い切ってしまう相手国が
大人の対応をしているとは思えないのですが、
どう評価されるのでしょう?


↑のコメントに表現を合わせると

子供の対応しか出来ない周辺国に対しては、
きちんと安全保障面で使用に耐える武力を整備しないと
抑止的な効果は無いと判断しただけであると考えます。

つまり、分別無く増徴するだけの子供には、
この程度は必要ということなのでしょう。

投稿: シグ忘れ | 2014年7月 6日 (日) 23時20分

ちょっと長文ですが、
こちらの記事も紹介しておきます。

>http://blogos.com/article/89710/

投稿: シグ忘れ | 2014年7月 7日 (月) 07時10分

>シグ忘れ氏

非常に参考になる記事を紹介していただきありがとうございました。
何点かの疑問が解決しました。

>どんどんパパ氏

>安倍首相の本音には、戦争できない足かせがあると中国や韓国になめらるというのがあるそうです。
これでは、まるで中学生の不良の考えです。

もし可能なら、上記のソースを教えて下さい。私には曲解した内容にしか
思えません。

なぜ、世界中の警察官は、武器を装備してるのでしょうか。
警棒、スタンガン、テーサー、銃器などですが。もちろんそれをいきなり
使用することはありませんが、相手の状況により使用をすることが
あります。それは警察官の身を守り、かつ治安を守る意味があります。
これは、子供の喧嘩や、不良の考えとは一線を引くものと思われますが
いかがでしょうか。

投稿: nagi | 2014年7月 7日 (月) 11時52分

法体系として、(今までの解釈で)憲法が禁じている事を
閣議決定でOKとするという手法が全然ダメダメ

これから海外で戦争を行うための法整備をするのだけど
たぶん、立法は困難を極めると思われる。
何をしても最後は違憲訴訟が山ほど発生するだろう。

あと重要な視点が、将来の別の内閣が閣議決定でひっくり返すことができる。
というので、憲法の安定性が著しく悪くなってしまった。

>シグ忘れさん
>元々、69年間に渡って謝罪と反省の言葉を連ねて
>相当額の金品をその言葉に重ねて支出してきたことは、どう評価されるのでしょう?

子供の対応は日本政府の態度だろう。

形ばかりの謝罪は行ったけど、しばらくたつとそれを否定する発言を政治家が行う。
賠償金もはっきり賠償金とすればよいのに、経済援助などと誤魔化すから
いつまでもグチグチ言われる。

南京虐殺も従軍慰安婦も、被害を誤魔化そうとする態度発言が目立つし
河野談話の検証もそうだ、引き継ぐなら検証する意味はないのに
チャンスがあれば談話を無にしたい意図が見え見えだ。
サンフランシスコ講和条約で東京裁判の結果を受け入れる、と世界に約束したのに
今になってひっくり返そうとしたり。


中国の脅威などと主張する人がいるけど
尖閣問題は日本が挑発した結果だというのを忘れているのかな。

石原慎太郎が挑発を始めて、野田政権が国有化という悪手を打った後
安倍晋三が靖国参拝で挑発をエスカレートさせ、
しばらく前から国際会議などで中国の悪口を喚いている。

中国もメンツがあるから仕方なく対応しているけど十分に抑制的に見えるぞ。
軍艦ではなく、白塗装の漁業監視船を昼間にだけ接近させるなど
メンツを守りながらも偶発的な衝突を防ごうとしている。
でも日本側は挑発をエスカレートさせているが。

石原慎太郎が挑発する前は誰も何もない無人島だったのに。

投稿: ハルチャンド | 2014年7月 7日 (月) 14時45分

> 子供の対応は日本政府の態度だろう。
> 形ばかりの謝罪は行ったけど、しばらくたつとそれを否定する発言を政治家が行う。
> 賠償金もはっきり賠償金とすればよいのに、経済援助などと誤魔化すから
> いつまでもグチグチ言われる。

少なくとも対中国においては、
賠償金という名目は要らないとしたのは、相手国側からの要望です。
それは、中華民国の蒋介石の言葉でもあったし、
中華人民共和国になって毛沢東も同様の考えを引き継ぐとしています。

したがって、日本は経済援助との名目で支援することで、
謝罪の意を示し続けてきたということになり、
これらの事は少し当時の記録を見れば確認できることです。

あなたのコメントは誤りであり、誤魔化しているのは相手国側であり、
集団的自衛権を批判する側の人たちの論調も、また誤魔化しと言えるでしょう。


> 南京虐殺も従軍慰安婦も、被害を誤魔化そうとする態度発言が目立つし
> 河野談話の検証もそうだ

少なくとも、現政権において南京虐殺を無かったとは言いません。

もちろん政権側は名言しませんが、本音ベースで言えば、
中国側の一方的な視点から、次から次へと虐殺人数が水増しされていくとに
客観的な視点からの検証を望んでいるという程度のものでしょう。

私の個人的な考えと前置きしますが、
当時の中国兵に国際法で禁じられている便衣兵という存在があり、
南京虐殺の評価には、そのことをキチンと踏まえたうえでの検証が
必要だと考えています。

相手国の言い分を鵜呑みにすることは、大人の対応とは言わないでしょう。
それこそ、力を持たない子供のやりようということになります。
つまりは現実からの逃避の心理状態ですね。
だから、どんなに批判を受けても検証を求めるのが大人の対応でしょう。

中国側の主張では虐殺数は30万人としていますが、
当時の第3国の報道をみても、それは誇張された数字と思わざるを得ません。
しかし反論をしなければ、それが事実となるし人数はさらに水増しされます。

実際、中国側には被害者数は70万人を超えると言い出したところもあるのです。


従軍慰安婦については、私は直接的な評価は避けます。

一部の人が主張するように、
当時の韓国の状況を鑑みれば、軍が募集した条件で十分な数の慰安婦が
集まっていたとしても、何も不自然なところはありません。
但し、金品目当ての周囲の圧力により、意に沿わない応募を
させられた者も居るはずだし、騙されたりしたものも居たでしょう。

それが事実かも含めて、どう評価するかということになるのでしょう。その上で、
現状の基金による保障は妥当かどうかは、さらに議論が必要でしょう。
出来得るならば、議論の中で結論が出ることを望みます。

但し、これも批判を恐れて検証をし続けなければ、
近いうちに妙な証拠が出てくることになるでしょう。
恐らく、中国と韓国との共同調査で発見されたという形になると思われます。


> 中国もメンツがあるから仕方なく対応しているけど十分に抑制的に見えるぞ。
> 軍艦ではなく、白塗装の漁業監視船を昼間にだけ接近させるなど

漁業監視船という形を取っていても、運用者も装備も中国軍そのものであり、
第3国からの批判を恐れて、そのように振舞っているのでしょう。
どうにも、その考え方が便衣兵そのものとしか言いようがありません。

そういう行動は抑揚的とは言わないでしょう。
ずる賢い子供の行動そのものだと言う方が正しいのではないですか。

さらに、越南で見られるように、相手に反撃する力がないと
急に威圧的になるのも、子供の考え方そのものだと思っています。

投稿: シグ忘れ | 2014年7月 7日 (月) 19時46分

上記のコメントを見直して、
以下の点について、修正します。

「軍が募集した条件」としましたが、これにも異論があり
現時点で軍の関与を示す資料は出てきていません。

ついては、
「軍の意向を汲み取った業者による募集条件」に
修正します。・・・・苦しい書き方だとは個人的に思います。

参考
>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E6%85%B0%E5%AE%89%E6%89%80%E5%BE%93%E6%A5%AD%E5%A9%A6%E7%AD%89%E5%8B%9F%E9%9B%86%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E4%BB%B6

投稿: シグ忘れ | 2014年7月 7日 (月) 21時16分

>この間の動きについて、どうしても安倍首相の個人的な政治信条やこだわりが前面に出ているように思えてなりません。

OTSUさんのこのご意見、全く同感です。そして、安倍首相の「信念」を実現するべく、後押ししているのが中国脅威論でしょう。しかし、もともと第1次安倍内閣時の安保法制懇では、中国脅威が切迫感を持って語られることはありませんでした。当時集団的自衛権推進派の念頭にあった課題は北朝鮮や中東情勢でしょう。

ですから、今回の安保法制懇報告が、前回の延長にあるなら、私は中国脅威論を理由とした今回の集団的自衛権賛成論は論理的におかしいと考えていますし、繰り返しそのことを述べてきました。

それは、今回の安保法制懇の報告を読めば、それが直接的に対中国抑止力を目的としたものとは読めない、ということに端的に表れています。報告には「我が国を取り巻く安全保障環境の変化」として、「中国の影響力の増大は明らかであり、公表国防費の名目上の規模は、過去10年間で約4倍、過去26年間で約40倍の規模となっており、国防費の高い伸びを背景に、近代的戦闘機や新型弾道ミサイルを含む最新兵器の導入とその量的拡大が顕著である。中国の国防費に関しては引き続き不透明な部分が多いが、2014年度公式発表予算額でも12兆円以上であり、我が国の3倍近くに達している。この趨勢が続けば、一層強大な中国軍が登場する。また、領有権に関する独自の主張に基づく力による一方的な現状変更の試みも看取されている。」と書いています。しかし、集団的自衛権の行使の事例や類型に示されたものは、上記の「理由」に対応した処方箋ではありません。中国脅威論という「理由」と、例えば「我が国の船舶の航行に重大な影響を及ぼす海域(海峡等)における機雷の除去」という「手段」が全くチグハグだと思います。

一つの政策においては、理由(課題)、手段、政策目的が論理的に整合的でないとおかしいと思います。風が吹けば(集団的自衛権)桶屋が儲かる(対中国抑止力)ような議論は、私は無責任だと思います。何故なら、集団的自衛権行使拡大によって危険にさらされるのは正に自衛官の命なのですから。

理由と手段がかみ合っていないことが、集団的自衛権容認論が非論理的であり、安倍首相の「信念」のみが際立つ所以だと思います。一般に信念には論理は必ずしも必要ではありませんし、漠然と巷間に流布している中国脅威という現実的な見方を無視した情緒的な感覚は安倍首相の信念を補強しているのだ、と思います。安倍首相の暴走だと私は思います。


集団的自衛権行使拡大の閣議決定後、安倍政権の支持率が下がったと報道されています。国民の間では安倍首相の「信念」に違和感があったのかもしれませんね。


さて、一般に安全に関することは、あらゆる「想定」が必要になると言われますが、集団的自衛権を抑止力と捉える考え方では、中国との衝突において、アメリカが助けてくれない場合についてなにも想定していないことが、私には不思議でなりません。

田岡俊次氏は「米海軍が主催する今夏のRimPac(環太平洋演習)に初めて中国海軍の艦艇を参加させ、アナポリスの海軍兵学校に中国海軍の士官候補生を受け入れ、統合参謀本部と中国軍の総参謀部の恒常的な人的交流や専門家の交換など、軍事面でもEngagement(関与、抱き込み)をはかっている。」「1997年に合意された「日米防衛協力のための指針(ガイドラインズ)」では、日本に対する武力攻撃がなされた場合の作戦構想として、「防空」、「日本周辺の海域での船舶の保護」、「着上陸侵攻を阻止し排除する作戦」に自衛隊が“Primary Responsibility”(一義的責任)を負う、と定めており、必ずしも米軍が参戦しなくてもよい、とも読める形になっている。(~中略~)米国が尖閣のような外国領の無人の小島を巡って中国と戦争をするのは非常識だから、「上陸作戦に対しては、自衛隊に対処の一義的責任がある」として米軍が「不衝突」を決め込んでも、ガイドラインズに照らせば安保条約違反とは言い切れないのだ。」(ダイヤモンドオンライン「戦略目からウロコ」)と書いています。

対中国抑止力において外交的に信頼関係を結べば、他国が一緒に中国と戦ってくれる、という方もいます。しかし、対中国抑止力において結局外交交渉に力点を置くなら、逆に言えば、集団的自衛権により日本への武力攻撃即他国(例えば米国)による反撃という自動的なメカニズムが発動しないなら、今回論議されている集団的自衛権(例えば、「「我が国の船舶の航行に重大な影響を及ぼす海域(海峡等)における機雷の除去」)はそもそも無意味なものでしかない、といっているようなものではないでしょうか?

そもそも、集団的自衛権反対派は、武力による抑止ではなく、外交努力や相互依存、戦略的互恵関係により中国と信頼関係を築けばよいのだ、と考えていると思います。少なくとも私はそう考えています。現実に中国の在留邦人は12万人~13万人。進出した日系企業は2万社を超えていると言われています。何故、中国脅威論を煽る一方でこうした現実が無視されるのでしょうか?

集団的自衛権を武力による抑止論としても、尖閣の都購入から国有化、という形で対中国挑発行為を重ねた日本なのですから、まずは外交的に尖閣棚上げ論に戻るのが筋でしょう。その上でも、日本による尖閣の実効支配という点は事実なのですから、日米安保の適用も含めて個別的自衛権において十分対応できると思います。

集団的自衛権による対中国抑止力という議論は手順が間違っているか、非論理的としか言いようがないと私は思っています。

6月28日の毎日には公明党の山口那津男代表が「私は集団的自衛権に断固反対だった」とした上で、閣議決定案について「米国のためではなく、日本を守るための武力に限られ、やむを得ない。限りなく個別的自衛権に近いものに限り認めていいのではないか」と発言したと言います。私が注目するのは、「米国のためではなく」という言い方です。つまり逆に言えば、この集団自衛権行使拡大という問題はアメリカの国益やアジア戦略に基づていて、日本はその手駒となる、という見方です。そういう懸念は当然あるわけです。

集団的自衛権行使の根拠として、アメリカと日本の軍事における片務性を理由にあげる考え方もあります。しかし、私は理解に苦しみます。アメリカはこれまで、日本を守るために戦争をしてくれたことがあったでしょうか?確かにアメリカは数々の戦争を、これまでに行っています。しかし、それは日本のためというより、アメリカは自国の国益をかけて戦争をしてきただけだと思います。それを良い悪いという判断は、日本の国益を軸に日本が判断するべきことです。


日米安保条約において、日本は基地の負担金銭的負担をしています。それは私たちの負担と税金です。何も恥じる必要がないと私は思います。それでは足りないといわれても、日本はアメリカの属国ではないとしか言えません。

その意味では片務性ということ自体が根拠不明だと思います。


しかし、集団的自衛権の行使拡大はまだ閣議決定されたに過ぎない、という点も重要ですね。反対の声はまだまだあげていかなくてはなりませんね。

投稿: 勤続20年超 | 2014年7月 7日 (月) 23時26分

・OTSUさん
集団的自衛権を限定的に認めたとしても、現行憲法の「特別さ」には、なんら変わることはないと思います。
・どんどんパパさん
三段論法は前提が正しくなければ結論を誤りますので、その前提が確かであることに説得力を持たせる必要があると思います。とりあえず同レベルでよければ、安倍総理の本音はそんなところにはないそうです、と書いておきますね。
・勤続20年超さん
日本の国益を守るために判断すればよいこと、には同意します。その上で、金銭的負担をしているから相応の負担をしているし、片務的ではない、というようにお考えのようですが、日本が米国を傭兵として雇っている、即ち全ての経費を負担している訳でもないですよね。少なくとも、湾岸戦争時の日本の金銭的負担に対する評価の低さを見る限り、そもそも金を出していれば片務的ではない、という考えはほぼ通用しないようですよ。

ところで、あくまで仮定の話ですが。
・日本が紛争に巻き込まれ、そこに米国が駆けつけた。しかし米国の1部隊が戦闘中に孤立し、自衛隊の応援がなければ全滅が確実な情勢となった。
このようなケースがあったとして、個別自衛権の範囲で、その孤立した部隊を救うために自衛隊を攻撃していない敵部隊を攻撃することは許されるのでしょうか?

投稿: とーる2号 | 2014年7月 8日 (火) 02時11分

今回の閣議決定を受け、官僚が法整備を始めています。
違憲裁判が多発するとの見方は、ある意味正しいと思いますが、私は、従来どおり、裁判所は「高度な政治的判断」として、判断を避けるのではないかと思っています。
内閣法制局長官が、どのような論理をもって、国会質疑に応えるのか見ものではありますが、屁理屈をこねくり回して、日本語をどう読ませるのかに終始するのは避けられないと思っています。
いずれにせよ、憲法前文と第9条とはなんなのか、コメント欄諸氏におかれては、よもや原文に当たっていないとは思わないわけですが、素直に読んで、どうさかさまに読んだって、集団的自衛権行使などという概念はひねりだせないわけです。
私は、集団的自衛権行使について、否定はしないですが、一部行使であっても行使は行使なわけです。素直に憲法を読めないのなら、法律用語上の「武力」、「国際紛争」、「永遠に放棄」の定義をどのようにするのか、義務教育を受けているひとたちにも分かるように説明できるのか、非常に興味があります。
ま、やっちまって、ことがすすんでいるのだから、あれこれ言ってもしかたがないという徒労感みたいなものもありますよ。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年7月 8日 (火) 05時43分

「永久にこれを放棄」でしたね。失礼しました。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年7月 8日 (火) 05時49分

>勤続20年超氏

集団的自衛権をなぜ反対されるのかがよく理解できました。個別自衛権で対応可能と
のことですが、自衛隊の現装備では、離島奪還などはできません。不足してる
装備の充実や、迎撃ミサイル用のレーダー基地設置等には賛成されますか?

それと、中国脅威論に関する認識に誤りがあることを指摘します。これは集団的自衛権とは
切り離してお考え下さい。

>集団的自衛権反対派は、武力による抑止ではなく、外交努力や相互依存、戦略的互恵関係により中国と信頼関係を築けばよいのだ、と考えていると思います。少なくとも私はそう考えています。現実に中国の在留邦人は12万人~13万人。進出した日系企業は2万社を超えていると言われています。何故、中国脅威論を煽る一方でこうした現実が無視されるのでしょうか?

これは、鄧小平時代に日中の経済協力推進によるものです。「井戸の水を飲むときは掘った人を思い出せ」との
故事を無視するのは中国です。
中国の流れは、江沢民の時代に大国化へと向かいました。天安門事件の時から共産党独裁を
強める為に、国外には大国化を進め、国内では政府に非難が向くのを回避する為に反日政策を
行いました。

>集団的自衛権を武力による抑止論としても、尖閣の都購入から国有化、という形で対中国挑発行為を重ねた日本なのですから、まずは外交的に尖閣棚上げ論に戻るのが筋でしょう。その上でも、日本による尖閣の実効支配という点は事実なのですから、日米安保の適用も含めて個別的自衛権において十分対応できると思います。

日本が中国を挑発したとの認識は、中国政府の用意した認識です。日本は何ら挑発は
してません。靖国神社参拝も、日本の朝日新聞等が大騒ぎして、それを中国共産党が
利用したにすぎません。尖閣諸島も、棚上げ論など存在しません。中国政府が行う
得意の手法にすぎません。日米安保がなければ、パラセル諸島の二の舞になるでしょう。

集団的自衛権を反対するのはかまいませんが、その為に中国の脅威を過少評価したり
中国政府の用意した主張の片棒担ぎは認めることはできません。

投稿: nagi | 2014年7月 8日 (火) 09時17分

追加です

>勤続20年超氏

もし、日本が挑発を重ね、尖閣の問題が発生してるのならば、日本も竹島に対して
海上保安庁の船を常に派遣する必要がありますね。また周辺海域で調査や、あるいは
資源開発をしなければなりません。そして韓国が抗議してきたら、挑発をしてきたのは
韓国だから、一度、棚上げ論に戻ろうと言われるのでしょうか。

尖閣諸島と竹島は問題点が違いますが、挑発行為をどちらがしてるのかは明確と思われます。
竹島の領有権に関しては、元々問題なく日本です。日本にあるからこそ、戦後、韓国は米国に
竹島を渡すように求めるも拒否されています。だから無理やり侵略したのです。
尖閣諸島は70年代になって初めて領有権を主張し始めました。

韓国と中国を同列に語ることはできませんが、比較すると日本が挑発してないことは
明確です。中国におもねるからこそ、中国を刺激するなとか、棚上げ論がでてきます。
実行支配も何も、元々が日本の領土なので、刺激も挑発もありません。単純に言いがかり
なのです。

私は中国の歴史や文化をこよなく愛しています。だからこそ、人民を虐げ少数民族を弾圧する
中国共産党にくみすることはできません。同調も賛同もできません。

投稿: nagi | 2014年7月 8日 (火) 12時46分

>日本が米国を傭兵として雇っている、即ち全ての経費を負担している訳でもないですよね。少なくとも、湾岸戦争時の日本の金銭的負担に対する評価の低さを見る限り、そもそも金を出していれば片務的ではない、という考えはほぼ通用しないようですよ。(とーる2号さん)


「湾岸戦争時の日本の金銭的負担に対する評価」というのは、所謂国際貢献の課題だと思います。その問題と日米同盟の片務性という問題は異なります。一緒くたに論じるべき事柄ではないと思います。例えば、国際貢献という点では日本は既に湾岸戦争後、ペルシャ湾での海上自衛隊の掃海作業を実施し、評価を得ていますし、PKOでの国際貢献も同様でしょう。日本の国際貢献については、定評があると思います。

一方、ここでいう「片務性」とは、日米同盟における片務性を指しています。しかし、この片務とは何の片務でしょうか?日本が実際に日本を守るために血を流したことがあるのなら、論理としては分かります。しかし、実際に米軍は日本を守るために戦ったことは一度もありません。また、軍事評論家の故江畑謙介氏は米軍再編において「日本はイギリスと並んで、米軍の全世界的展開を支える最も重要な戦略拠点と位置づけられている」と分析したそうです(豊下楢彦著、岩波新書「集団的自衛権とは何か」より)。日本防衛のために在日米軍がいるわけではない、ということだと思います。

それ故に、日米同盟に基づいて日本は基地の負担を負っています。基地の負担は実際大変なことです。沖縄県民の米軍基地に対する怒りを聞いたことがあると思います。私自身米軍基地の周辺住民でした。米軍のジェット戦闘機のすさまじい爆音の中で暮らしたことがあります。しかも、日本は他国と比較しても突出した思いやり予算を支出していると言われており、その甲斐あって米軍人とその家族は快適な住宅、快適な生活を保障されています。

この事実を踏まえ得れば、片務云々が全くの無根拠だと分かるのではないでしょうか?

>日本が紛争に巻き込まれ、そこに米国が駆けつけた。しかし米国の1部隊が戦闘中に孤立し、自衛隊の応援がなければ全滅が確実な情勢となった。このようなケースがあったとして、個別自衛権の範囲で、その孤立した部隊を救うために自衛隊を攻撃していない敵部隊を攻撃することは許されるのでしょうか?(とーる2号さん)


「日本が紛争に巻き込まれ」ということは、日本が攻撃を受けたということでしょうか?ならば、それは単純に個別的自衛権の問題であり、集団的自衛権の問題とは関係ないと思います。「米国の1部隊が戦闘中に孤立し、自衛隊の応援がなければ全滅が確実な情勢となった。」という状況は、個別的自衛権や日米安保体制における対処で処理できると思いますし、そもそも正当防衛(急迫不正の侵害に対し、自己または他者の権利を防衛する)というごく一般的な違法性阻却事由の範疇にも含まれると思います。ですから、集団的自衛権との関係で論じる必要はないと思われます。


>自衛隊の現装備では、離島奪還などはできません。不足してる装備の充実や、迎撃ミサイル用のレーダー基地設置等には賛成されますか?(nagiさん)


私は軍事的な装備の必要性に関する知識はありませんので、素人の素朴な感覚ですが、自衛・防衛のために必要な装備は反対する理由はないと思います。ただし、自衛と攻撃はそもそも渾然一体だ、という議論もありますから、軍拡競争のような行為は慎むべきだと思います。


>鄧小平時代に日中の経済協力推進によるものです
>国内では政府に非難が向くのを回避する為に反日政策を行いました。(nagiさん)


江沢民が実権を握った1993年以降も、反日政策の有無に関わらず、日系企業の進出先は国としては中国が1位を占めています。


>日本が中国を挑発したとの認識は、中国政府の用意した認識です。日本は何ら挑発は
してません。靖国神社参拝も、日本の朝日新聞等が大騒ぎして、それを中国共産党が利用したにすぎません。尖閣諸島も、棚上げ論など存在しません。(nagiさん)

石原都知事時代に都が尖閣購入をぶちあげて、最終的に国が尖閣購入という経過の前に、中国漁船が海上保安庁の巡視船にぶつかってきたため、海上保安庁が中国船の船長を公務執行妨害に基づいて逮捕するという事件がありました。しかし、この事件の背景には海保の巡視船が中国船に異常接近していたという説があります。通常なら接近したり、囲い込んだりしないで、日中漁業協定に基づいて自国の関係法令は適用せずに、違法操業の中国船は速やかに退去させる、ということらしいです。ですから、中国船がぶつけてきたのが事実としても、海保の行為が衝突を誘因するものであったなら、どっちもどっちという話になります。とはいえ、事実に関しては一般国民は知る由もありません。

そして、財界出身であった当時の丹羽宇一郎中国大使の反対を無視して、石原氏は尖閣の都購入を押し切り、後に尖閣国有化に至った経過は単純に日本の挑発行為でしかありません。それが事実だと思います。

「尖閣諸島も、棚上げ論など存在しません。」というのは事実誤認でしょう。そして、日本政府はこの点では明白にウソをついていると思います。

実際、1979年5月31日の読売新聞社説には「尖閣問題を紛争のタネにするな」として「尖閣諸島の領有権問題は1972年の国交正常化の時も、昨年夏の日中平和友好条約の調印の際にも問題になったが、いわゆる『触れないでおこう』方式で処理されてきた。つまり、日中双方とも領土主権を主張し、現実に論争が【存在】することを認めながら、この問題を留保し、将来の解決に待つことで日中政府間の了解がついた」と書かれているそうです(孫崎享著、現代書館『小説外務省』より)

また、日中国交正常化時に外務省の条約課長だった栗山尚一元次官も日本メディアの取材において明確に「棚上げ論」の存在を認めています。


>中国の脅威を過少評価したり、中国政府の用意した主張の片棒担ぎは認めることはできません。(nagiさん)


私は短絡的な中国脅威論には与しませんが、中国とどう向き合うかという点は、今後の日本外交や日本のあり方の重要な課題だと思います。ですから、「中国政府の用意した主張の片棒担ぎ」という根拠のない議論ではなく、冷静な対中国政策が大事なのだと思っています。だからこそ、今の日本政府のウソと挑発に基づいた対中国強固論は国益に反すると思います。勿論、尖閣を日本が実効支配している以上、その事実を踏まえて平和的で効果的に実効支配を続けることは大事だと考えます。

投稿: 勤続20年超 | 2014年7月 8日 (火) 22時37分

お詫びして訂正します。上記文中、「日本が実際に日本を守るために血を流したことがあるのなら、論理としては分かります。」と書いたのは正しくは、「米国が実際に日本を守るために血を流したことがあるのなら、論理としては分かります。」でした。

投稿: 勤続20年超 | 2014年7月 8日 (火) 22時53分

ま、各国、各民族の歴史観があるように、各国の安保観もそれぞれによって違うのは、それぞれの国の歴史や現在の立場によっては、まるで違うということはあると思います。
自国の論理が、他国の論理と一致しないのはある意味当然であり、その差異を認めることが国際理解ということになろうかと思います。

それぞれの国家に属していても、しょせん、人間は人間です。イノチという観点から見た場合、ひとつのイノチであり、それを否定する人はいないでしょう。

世界人権宣言では複雑なことが言われていますけれども、国によってイノチの重さも違うわけです。
そういった、差異を認めながら、脅威だとかなんだとか騒ぐ前に、相手国の内情も理解したうえで「戦術」を練らなければならないと思います。
もちろん、相手国政府がとちくるっているという解釈もできようし、それが、相手国の生きるすべだと解釈することも可能でしょう。

それと、みなさんのコメントには出てきていないのですが、潜在的な「脅威」については、ロシアも考慮する必要があります。
ロシアは北方領土を抱えているだけではなく、ウラジオストクなどに大規模な海軍基地を持っている。
クリミアや沿ドニエストルあたりが動けば、ロシアの極東地域が動かないということは言えません。

それと、遠い将来、東南アジア諸国が台頭してきた場合に、どう対処するのかといったことも検討が必要です。もっぱら、外務省や内閣レベルの話ではありますが。
今は彼らの国力が小さいからいいかもしれません。しかし、突然韓国みたいな、ある程度の国力をつけるかもしれません。

ロシアと中国が手を結びそうで結んでいない現状も考慮すべきで、ロシア・中国・韓国嫌いのモンゴルの動きも気になるところではあります。
ロシアは遠いようで、日本海等を挟んだ隣国です。東アジアの混乱に乗じて不凍港を求める彼らの伝統的な姿勢は注視しなくてはなりません。

戦後、地政学が衰退して非常に時間が経つわけですが、アジア・オセアニア、果てはアフリカに至るまで、日本が援助した国が台頭していった場合、遠い将来において、どのような「将棋」になるのか、よく考えて、法整備だのしていったほうがよいように思えます。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年7月 8日 (火) 23時04分

おはようございます。

早朝から見た、ドイツVSブラジルの試合があまりにも一方的で残念無念です。

>勤続20年超氏

一部に私の事実誤認があるようですが、「棚上げ論」に関しては、ある説もない説も
聞きましたが、私には両論を見て、中国側の都合があると判断しました。
また漁船衝突に関しても、異常接近があったからぶつけたのが事実だとしても
それが認められる行為かどうかは簡単な話でしょう。どっちもどっちではないと
判断します。

>素人の素朴な感覚ですが、自衛・防衛のために必要な装備は反対する理由はないと思います。ただし、自衛と攻撃はそもそも渾然一体だ、という議論もありますから、軍拡競争のような行為は慎むべきだと思います。

自衛と攻撃は当然同じものです。だから自衛権に個別も集団もないとの結論になります。
また、軍拡競争もバランスの問題なのでしかたありません。日本が真に自衛のみに徹する
ならば、自衛隊など無くし、核装備すれば何もいりません。日本の領土にわずかでも
侵略すれば核攻撃すると宣言すれば、使いもしない他の軍備は不要でしょう。

勤続20年超氏との今までのやりとりで、深い知識と冷静な洞察があることがわかりました。
そのような方が、現在の中国と日本を見て、なぜ日本政府が嘘をつき挑発行為をしていると
断じるのでしょうか。たしかに日本政府も国民に説明しないことは存在します。
「西山太吉セックススキャンダル」のようなこともありました。

それでも、現在の中国を見れば、人権弾圧、歴史歪曲、汚職、環境破壊、周辺国との軋轢など
どれもこれも目を覆うようなことがらではないでしょうか。アパルトヘイト政策下の南アフリカ共和国に
経済制裁をしたように、中国に対して国際社会は行動をしなくてはいけない。しかし中国は
国連の常任理事国であり、いまや経済でも軍事でも大国になり覇権国に近づきつつあります。
我々は、今の状況を考え、中国のルールには乗らないと見せることが大事ではないでしょうか。
「棚上げ論」や日本が挑発したとの考えは中国のルールにのったやり方です。中国のやり方で
進んでいけば、南シナ海も東シナ海も台湾も尖閣もすべて中国に支配され、日本は海洋権益や
海上交通ルートすら維持できず、中国の意向に沿う属国になるでしょう。
そうなってからでは遅いと思われませんか。

投稿: nagi | 2014年7月 9日 (水) 09時31分

勤続20年超さん
「片務」の理解に違いがあるかもしれないのですが、言われているのは
アメリカは日本を守ってくれるが、日本はアメリカが戦争していても守れないから片務である、
という意味の片務を否定されているということで良いでしょうか。

そして、他国との紛争において日本が守られている時に、その守ってくれている同盟軍守れないからのは問題じゃないの、という観点で集団的自衛権の行使に同意していますので、私が申し上げた命題が個別自衛権と日米安保で担保されるとお考えなのであれば、PKO参加中にどうするのかという点を除いては、特に意見はありません。

あと肝心な時に米国が日本を守ってくれるのか、という点については、実際血を流したことないでしょ、じゃなく、朝鮮戦争やクウェート(湾岸戦争)といった事例がありますから、そこからの推測で足りるのではないかと思います。

投稿: とーる2号 | 2014年7月 9日 (水) 12時09分

>一部に私の事実誤認があるようですが、「棚上げ論」に関しては、ある説もない説も
聞きましたが、私には両論を見て、中国側の都合があると判断しました。(nagiさん)


当時のメディアにも書かれ、国交正常化当時の外務省の担当者も認めている尖閣棚上げ論について、「ない」というのは筋が通らないと思います。日本政府は公式記録にない、という一点張りで尖閣棚上げ論の存在を否定しています。しかし、nagiさんのおっしゃっているように「西山太吉セックススキャンダル」というか、沖縄密約は結局アメリカの公文書において存在していたことが明らかになっています。政府の公式見解にはウソがありうる、という証拠ですよね。

元中国大使の丹羽宇一郎氏は、日本政府としてはいまさら棚上げの「証拠が出てきた」とは言えないから、日本は絶対に言うべきではない、という見解を示しています。しかし、「想像の域を出ないが、周恩来も田中角栄も「仕方がない」と言ったのだろう。これはこれで、なかなかいい知恵だと思う。」と述べています(丹羽宇一郎、PHP新書「中国の大問題」)その上で、「フリーズという選択」を提唱しています。「それは「棚上げ」と言わずに「フリーズ」、日中40年間にわたる4つの共同声明の精神を再確認し、日中関係の現状をまず凍結してしまうのである。」「その間に武器は絶対に使わないなどの危機管理、資源開発、漁業協定、海難救助をどうするのかについて真剣に話し合えばいい。」(前掲書)と述べています。「棚上げ」にしろ「フリーズ」にしろ、建前の公式見解を繰り返すだけでは何も解決しないことは多いものです。


>だから自衛権に個別も集団もないとの結論になります。(nagiさん)


そういう見解はありうるとは思います。しかし、日本には平和憲法があります。これが現実です。立憲主義を掲げるならば、憲法を無視することは出来ません。そして、平和憲法によって、曲がりなりにも70年近くの平和が維持できたのだ、というのは、おそらく多くの国民が共有している、それこそ「信念」に近いものではないでしょうか?平和憲法は長い年月をかけて国民に沁みわたった精神のようなものではないでしょうか?ですから、「核装備すれば何もいりません」というのは、現実的に日本ではあり得ない姿勢だと思います。非核三原則云々以前に、国民精神がそれをおそらく受けつけないと思います。


>それでも、現在の中国を見れば、人権弾圧、歴史歪曲、汚職、環境破壊、周辺国との軋轢などどれもこれも目を覆うようなことがらではないでしょうか。


日本も昔は同じ道を辿ったのではないでしょうか?


>しかし中国は国連の常任理事国であり、いまや経済でも軍事でも大国になり覇権国に近づきつつあります。我々は、今の状況を考え、中国のルールには乗らないと見せることが大事ではないでしょうか。「棚上げ論」や日本が挑発したとの考えは中国のルールにのったやり方です。


中国は今や世界中が狙っている大市場です。グローバル資本主義はおそらくおのずと一定のルールを中国に課すことになるでしょう。それが道理だと思います。問題はいつまでも日本だけが中国に背を向けることが国益になるのか、ということだと思います。何事も現実から出発して、現実的常識的に解決することが大事だと思います。大国になろうとする中国と言う現実に敵意と警戒だけ高ぶらせることは、現実的態度では無くて、現実を見ないでやり過ごす態度にはなりはしないでしょうか。


>アメリカは日本を守ってくれるが、日本はアメリカが戦争していても守れないから片務である、という意味の片務を否定されているということで良いでしょうか。(とーる2号さん)


私は日米同盟の片務性はない、と考えています。つまり、日米安保体制にはキブアンドテイクの関係は成立していると考えています。要するにアメリカの「片務」を否定しています。理由は現実的に①アメリカは日本のために血を流したことは一度もない。②冷戦時にはアメリカの核抑止の傘と引き換えに、今日的にはアメリカの世界戦略のために日本は米軍基地を提供している。以上の点から考えれば、片務性を考える根拠はありません。「アメリカは日本を守ってくれる」という前提は、この際不確実なので考えるべきではありません。日米安保体制は成文上もNATOのような自動的に他国への攻撃=自国への攻撃と見なす仕組みではありません。あくまでアメリカ議会において介入の是非を判断してもらう仕組みに過ぎません。議会がNOと言えば、日米安保体制は画餅に帰すことになるでしょう。「アメリカは日本を守ってくれる」というのは、言わば「思い込み」か「不確実性」の類です。

繰り返しますが、アメリカが尖閣のような自国の利益と何の関係もない小島のために、「パートナー」となりうる中国と戦うとは思えません。


>朝鮮戦争やクウェート(湾岸戦争)といった事例がありますから、そこからの推測で足りるのではないかと思います。


朝鮮戦争は共産主義封じ込めのために戦われた戦争でした。アメリカの国益のための戦争です。湾岸戦争に至っては、そもそも80年代からサダム・フセインと蜜月関係の中で、化学兵器開発を含む軍事費を迂回融資し続けてきたのがアメリカです。理由はイスラム革命後のイラン封じ込めのためでした。世に言うイラクゲートです。サダム・フセインが支配するイラクの軍事的膨張を手助けしてきながら、イラン・イラク戦争が決着のつかないまま停戦になった後、戦費の借入で困窮したイラクからアメリカが手を引いた結果、イラクは当時原油価格の下落圧力になっていたクウェートに対して怒り、侵攻したのでした。言ってみれば、アメリカは自ら放火魔にガソリンを供給しながら、その放火魔が想定外の放火に走ったため、慌てて火消しに走ったようなものです。ご都合主義の誹りは免れないのではないでしょうか。いずれにしても、これらの事例は「日本を守る」こととは関係がありません。

投稿: 勤続20年超 | 2014年7月 9日 (水) 22時47分

勤続20年超さん

>繰り返しますが、アメリカが尖閣のような自国の利益と何の関係もない小島のために、「パートナー」となりうる中国と戦うとは思えません。

アメリカが日本を助ける助けないの前提を、ものすごく矮小化してご説明なさっていますが、
私は尖閣諸島に限定した話をしている訳ではないですよ。
もちろん尖閣諸島が最も大きな火種ではありますが。
集団的自衛権の議論としての想定ケースを話しているのに、
そんなケースは起こらない、アメリカ軍は日本を助けないから論じても意味はない、
では議論が噛み合わなくて当然ですね。

一旦尖閣諸島の話を外れて、有人の島に中国軍がやってくると考えて下さいね。
そんなケースは起こらないから問題ない、ということであれば、
この議論は今後噛み合うことがありませんが、有事を想定するとは、
万が一にもありえなさそうな事態までを想定することだと私は思っています。
で、結局のところそういう事態が生じたと仮定した場合、勤続20年さんとしては
個別自衛権の範囲である、と理解されているということで良いでしょうか。

いずれにしても日本が自国の利益や財産、国民の生命を守るために
戦っている状態で米軍が日本に力を貸さないような事態が生じたとすれば、
間違いなく日本は今の憲法を改正する方向に突き進むことになるだろうと
思っています。9条があっても誰も助けてくれない、結局自分たちが自分の
国や利益を守らなければいけない。むしろ9条があるからこそ日米安保条約が
今のような形になっているのであって、急いで「普通の戦争が出来る国」に
ならないといけないんだ、という理屈に説得力が出てくるでしょうから。

それと、日本を守るつもりのないアメリカ軍を日本に置いておく必要性は無いだろうという、
反対運動の説得力は非常に大きくなるでしょうね。そうなるとアメリカ軍に対する駐留経費の一部負担どころか、グアム移転経費の負担なんてもってのほか、ということになるでしょうね。
日本がアジアで最も安定した国であり、かつ地政学的観点で基地を置いておくメリットが非常に高い以上、自分自身でその利益を毀損するような行動をとりますかね?
そういう方向で日本の世論を過激に刺激することは、私はアメリカはしないんじゃないかな、とは思うのですが。
推測の域を出ないと言われればそれまでですが、将来のことなんて全部推測ですよね。

ここまで書いていて思ったのですが、中国が日本に対し刺激しつづけていることで、日本はドンドン「普通の国」に向かって進み始めてしまうのかもしれませんね。

投稿: とーる2号 | 2014年7月10日 (木) 22時40分

尖閣は、中国のひとつのおもちゃに過ぎないと考えます。
交渉カードのきっかけに過ぎないということです。
尖閣がなければ、別の手を使っただろうし、尖閣が象徴的に利用されているだけです。
ことの問題は、アメリカ、ロシア、中国の覇権主義と、朝鮮半島、西沙、南沙の周辺諸国の不安定さにつけこんだ動きです。
そのまっただなかに、70年の安寧を築いてきた日本があるということ。
日本もこうした動きに、黙って見過ごしてもいいような時代ではなくなったことが言えると思うのです。
かの大戦から70年も経てば、国際社会も変わります。日本も対応していかなければいけないのは、明らかです。
ただ、今の国の意思決定システムは、どうにかしなくては、非常に国民にわかりにくい。これは、なんとかしなくてはならない。
今回の憲法解釈変更は、ずいぶんと時間をかけているのは確かです。
「解釈変更」ばかりが、言葉として目立ってしまい。総論も各論も、法案作らにゃわからんというのでは、官僚優位の政治体制と言われても仕方がないでしょう。
法案の中身については官僚に丸投げなのですから、あまり、よいことだとは思いませんが。
官僚が悪いわけではなく、なんだかわかったような枠だけ作って投げてしまう悪弊がどうにも。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年7月12日 (土) 04時00分

シグ忘れさん、nagiさん、ハルチャンドさん、勤続20年超さん、とーる2号さん、でりしゃすぱんださん、コメントありがとうございました。

博識な皆さんの穏やかで理性的な議論、たいへん貴重な場になっているものと思っています。その中で、とーる2号さんから1点だけ私自身へ直接的な問いかけがありましたので、取り急ぎレスさせていただきます。

>集団的自衛権を限定的に認めたとしても、現行憲法の「特別さ」には、なんら変わることはないと思います。

今回の閣議決定の全文を目にした印象として、私自身も基本的に「特別さ」が残るものと見ています。最近、同じような感想を外務省主任分析官だった佐藤優さんが漏らされていました。「この閣議決定の全文を5回、精読したが、なぜ集団的自衛権に踏み込まなくてはならないか、その根拠がまったくわからなかった。この内容ならば、外務省と内閣法制局の頭の良い官僚ならば、個別的自衛権と警察権でまとめあげることができたと思う」と語られています。

さらに安全保障に詳しい外務省OBも「こんなに縛りがついているんじゃ米国に要請されても、自衛隊を派遣することはできない。今までは憲法上容認できないという言い訳ができたが、文言の上では集団的自衛権を認めているので、今後は政治判断で自衛隊を派遣しないことになる。日米の信頼関係にマイナスになる危険をはらんでいる」と述べられているようです。

今回、先々を見通した安倍首相の用意周到な布石なのか、単なる前のめりな個人的なこだわりなのか、真意は分かりません。いずれにしても「特別さ」を残しながら、たいへん危うい一線を越えてしまったように憂慮しています。記事本文でも触れたとおり今までの「特別さ」を重視した中で対応して欲しかったものと強く思っているところです。

なお、新規記事は久しぶりに土曜日中に投稿できる予定です。ぜひ、また皆さんにご訪問いただければ幸いですのでよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2014年7月12日 (土) 18時09分

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