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2014年7月26日 (土)

再び、いがみ合わないことの大切さ

ウクライナ東部でマレーシア航空機が撃墜され、乗客乗員298人の命が奪われています。親ロシア派の武装集団が敵の軍用機と見誤り、地対空ミサイルで撃ち落としてしまったという見方が強まっています。パレスチナ自治区ガザではイスラエルの侵攻によって800人以上が死亡し、その75%は女性や子どもを含む民間人であることが明らかになっています。シリアの内戦、イラクにおける宗派間の対立でも数多くの住民の犠牲が余儀なくされています。

たいへん悲しく、痛ましい出来事が途絶えることがありません。なぜ、人間同士が殺し合う、このような事態が繰り返されてしまうのでしょうか。どうしたら戦禍は減らしていけるのでしょうか。上空1万メートルもの高さを飛ぶ航空機を撃墜できるミサイルが開発されていなければ、もしくは手渡されていなければ、ウクライナ東部での悲劇は起こりようがありませんでした。そもそも人間同士が対立し合う、いがみ合うことを減らしていけるのであれば、武力での衝突、それに伴う悲劇の数々は確実に減らしていけるはずです。

残念ながら「言うは易く行なうは難し」という現実が際立ち、人類の長い歴史の中で戦争や紛争が途絶えたことはありません。利害関係の対立があり、自衛のため、攻められる前に攻める、その時々の背景があります。加えて、それぞれの置かれた立場や主義信条などによってお互いの「正義」が違ってくるため、譲歩できず、激しく対立し合うことになります。歩み寄れない場合、相手の「正義」を力で抑え込むことを正当化した過去の戦争も数え切れません。

これまでブログを長く続ける中で平和にかかわる記事を多数投稿しています。「平和の話、インデックスⅡ」「普通に戦争ができる国について」などから関連した過去の記事をたどれるようになっています。大半の方は戦争を忌み嫌い、平和な社会を望んでいるはずです。ただ平和の築き方への考え方や具体的な安全保障に対する「答え」は個々人で枝分かれしがちです。このブログのコメント欄一つ取っても、そのような傾向を強く感じ取ることができています。

集団的自衛権の問題でも賛否は大きく分かれています。私自身は日本国憲法の「特別さ」を堅持するというのであれば、集団的自衛権という言葉に固執した閣議決定を疑問視しています。外務省主任分析官だった佐藤優さんは「この閣議決定の全文を5回、精読したが、なぜ集団的自衛権に踏み込まなくてはならないか、その根拠がまったくわからなかった。この内容ならば、外務省と内閣法制局の頭の良い官僚ならば、個別的自衛権と警察権でまとめあげることができたと思う」と語られています。

さらに安全保障に詳しい外務省OBも「こんなに縛りがついているんじゃ米国に要請されても、自衛隊を派遣することはできない。今までは憲法上容認できないという言い訳ができたが、文言の上では集団的自衛権を認めているので、今後は政治判断で自衛隊を派遣しないことになる。日米の信頼関係にマイナスになる危険をはらんでいる」と述べられていました。先々を見通した安倍首相の用意周到な布石なのか、単なる前のめりな個人的なこだわりなのか、真意は分かりません。いずれにしても「特別さ」を残しながら、たいへん危うい一線を越えてしまったように憂慮しています。

一方で、「普通の国に一歩近付いた」「安倍首相の英断だった」と評価する声が多いことも承知しています。また、このまま本当に「特別さ」を守り抜ければ、今後も自衛隊が海外での戦争に直接参加することはなく、「戦争をさせない」というスローガンが杞憂になることも充分考えられます。この問題に限りませんが、物事一つ一つに対して個々人での見方や評価があり、信じている「答え」があります。しかし、信じている「答え」が必ずしも絶対的な「正解」とは限らない可能性にも留意していかなければなりません。

このことは私自身も常に心がけているつもりです。異なる意見や批判にも真摯に耳を傾け、その考え方を頭から否定したり、蔑むようなことを慎んでいます。とは言え、まずは自分自身の「答え」の正しさを信じているため、反論されたからと言って、すぐに考え方が変わるものでもありません。他者の意見に簡単に左右されてしまっても自分自身が最初に主張した「答え」に対し、ある意味で無責任だと言えるのではないでしょうか。

もちろん今回の記事で主張している私自身の考え方も絶対正しいと言い切るものではありません。異論や反論が加えられることも覚悟しています。さらに今回のような主張すること自体に何か深読みされ、いろいろ批判されてしまうことも考えられます。もともと当ブログでは意識的に「考えています」や「思っています」という表現を多用しています。自分の「答え」に自信がない訳ではなく、不特定多数の方々が読まれる場として持論を押し付けるような印象を少しでも和らげるための心構えでした。

当然、自分の「答え」が一人でも多くの方から共感を得られることを願っています。そのためにも言葉は選ぶべきものと考えています。「こうあるべきだ」と断定調に書き、自らの価値判断をもとに「そうでなければ職を辞すべきだ」というように他者を一方的に批判する言葉が広く共感を得られるものとは思っていません。相手を罵倒することが目的であれば仕方ありませんが、自分自身の「答え」の正しさを訴えたいのであれば他者の心に届きやすい言葉を選ぶべきものと私自身は考えています。

しかし、どれほど届きやすい言葉を選んでも、もともとの視点や考え方が異なる者同士の場合、議論が平行線となりがちなことも痛感しています。このブログのコメント欄であればいろいろな「答え」を認め合った場にとどめることができますが、現実の場面では多数決やリーダーへの一任などによって「答え」を一つに絞らなければならない時が多いはずです。その際、自分自身の「答え」とは異なる決定が下されても、通常の組織の構成員であれば従わなければなりません。そして、結果に不満があっても、構成員同士、いがみ合わないように努めることが大切だろうと思っています。

交渉の場面でも同様です。話し合いで決着が付かないからと言って、いがみ合い、暴力で自らの「答え」の正当性を押し通すことなどは論外な話です。しかし、たいへん残念ながら冒頭に綴ったとおり国際社会の中では話し合いの場さえ持たず、武力行使による悲劇が繰り返されている現状です。お互いの「答え」の正しさを競い合う際、いがみ合わない関係性が非常に重要だと考えています。小さなコミュニケーションの場ですが、そのような点について当ブログのコメント欄でも心がけていただけるよう皆さんにお願いしています。最後に、常連の皆さんからのご理解ご協力にいつも感謝していることを申し添え、今回の記事を終わらせていただきます。

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2014年7月19日 (土)

組合活動への疑問や批判

コメント欄から距離を置くようになり、詳しい説明が必要な問いかけに対しては記事本文を通してお答えするように努めています。きめ細かく対応できている訳ではなく、たいへん恐縮ですが、これまで寄せられた一つのコメントを題材にした記事本文の投稿も少なくありませんでした。ようやく今回、一緒にされて迷惑さんから以前の記事「自治労と当ブログについて」のコメント欄に寄せられた問いかけにお答えする形で新規記事を書き進めさせていただきます。

一緒にされて迷惑さんが抱いているような組合員意識の多様化を踏まえながら、このブログを長く続けています。そのため、一緒にされて迷惑さんから寄せられたコメントを通し、自治労に所属する職員組合の活動への疑問や批判にお答えしていくことは、多くの皆さんにも理解を求めていくべき論点だと考えています。ちなみに直近のコメント投稿であれば、右サイドバーの名前をクリックすることで当該のページへ一気に飛ぶことができます。その機能も使えないため、原文(青字)をそのまま紹介しながら私の考え方や説明を順次加えていきます。

東京のある地方公務員で、組合員です。民間3年からのジョブチェンジを経て現在、花の20代です。特定の宗教、思想に囚われることなくアーバン生活を満喫しています(笑) 唯一残念なことが、職労が特定の思想を押し付けてくることです。ノーマルな同期や先輩方(職員の大多数)は、マジであなた方に辟易していますよ。お忘れなく!あなたたち職労の活動が、職場におけるストレスの上位にランクインしている事実、これは職労に意見せねば!労働条件を改善してもらわねば!と思い、意見します。

うちの職労も自治労よろしく、日々脱原発だの憲法9条改正反対だので、闘争(自称)しています。はっきり申し上げましょう、自治労しかり、左傾化していますね。自治労新聞も職場で配布されていますが、しんぶん赤旗と話題、主張は何ら変わりがなく(まあ、共産党員の集いですし)、見事なまでの協調路線ですね。これで共産党員とは違うといって納得する人は、職労の執行委員くらいでしょう(笑)

後述された内容から一緒にされて迷惑さんが区職労の組合員であることが分かりました。確かに自治労は脱原発や集団的自衛権の問題での活動にも力を注いでいます。そのあたりは当ブログの記事を通して数多く取り上げています。いわゆる右か、左かで言えば、左に位置することも間違いありません。ただ「左傾化」イコール批判の対象という図式は控えるべき見方であり、個々人の価値観が多様化する中で、どのように組織が対応するかどうかの問題だと思っています。

なお、『しんぶん赤旗』と話題や主張が同じかどうかと問われれば少し疑問が残ります。共産党員の集いという見方は、もっと疑問が大きくなります。ちなみに自治労は連合系で支持協力関係が緊密な政党は民主党です。もしくは社民党という関係となっています。区職労の中には自治労連に加盟している組合があり、自治労連は共産党との支持協力関係が強い全労連に所属しています。自治労と自治労連、どちらにも加盟しない中立の区職労もあり、中には自治労に加盟しながら執行部内での路線対立が激しい組合があることも耳にしています。

「だから何だ」という突っ込みが入りそうですが、一口に「職労に意見せねば」と言われても自治労に所属する組合だけでも一つ一つ色合いや活動ぶりが違うことを理解いただければと考えています。もちろん改めて足元を見直すための貴重な提言は今後の私どもの組合活動の中で活かしていくつもりです。さらに一緒にされて迷惑さんや周囲の皆さんがストレスを感じられていることは事実でしょうから、組合の役員を務めている者として「どうすべきなのか」自問自答する機会に繋げていかなければなりません。

まず、あなたに言いたいことは、全体の奉仕者とは、何ぞやということです。特定の思想に偏った人間が社会奉仕をするとどうなりますか?その方向への誘導活動になるのが自明では?実際、今の職労は有無を言わせず「平和活動」という名のもと、脱原発、9条改正反対への職場署名、街頭署名と勤しんでいます。脱原発反対の者、9条改正賛成の者が職場、ひいては役所の中にもいるのにもかかわらず、一概に「平和活動」を展開しています。逆の立場の意見など、聞いても聞いていません(笑)

余談ですが、先日、労働環境改善のための職場陳情会が催されまして、「本来の労働組合の目的(雇用主との労働条件向上の交渉等)」を外れた「平和活動」は特定の政治団体の思想(共産党)と同様で、そのプロパガンダの以外何物でもないので、純粋に本来の目的に専念すべきと意見したところ、自治労の活動目的に反しないので何ら問題がない、との回答を得ました。まあ、役人らしい回答だこと。私の指摘に何も答えていないってのがミソね(笑)

話を元に戻します。全体の奉仕者に求められる資質としては、個人の信条、思想等を業務上では出さず、右傾化、左傾化を排した「中立の立場」をとれることです。それがプロというものでしょう。(公務員のプロといえばおかしな響きですが)うちの部の上層部は軒並み公明党の支持母体となる方々ですが、誰一人として、その思想を口にはしません。仕事中はもちろん、仕事の後の飲み会でも一切個人的な思想を主張したり、押しつけたりすることはありません。そして、べろんべろんに酔っぱらった時におっしゃられたことですが、政治と宗教、そして思想の話題は、職務関係者の間では絶対にしてはいけない、してしまえば業務上、人間関係が原因でこじれが生じ、後にフラットになることは決してないということです。若輩者として、プロたる者はこうあるべきと感銘を受けたところです。

このブログを開設した頃の記事の中で「国家公務員も地方公務員も、使用者であるトップは基本的に政治家が務めています。クルクル変わる省庁の大臣、4年ごとに選挙がある首長、それぞれのトップの意向を公務員は当然受けとめて職務に従事します。しかし、そのトップが公務員のクビを簡単に切れる権限を持っていたら、トップが変わるたびに公務員は自分の雇用を心配するようになってしまいます。さらに公務員は首長のために仕事をするのではなく、全体の奉仕者として行政の継続性や安定した市民サービスを大事にしなければなりません」と綴っていました。

特定の政治的立場に職員自身は影響を受けず、加えて、どのような政治的な立場の住民の方と接する場合でも公平公正な職務の遂行が求められています。このように「全体の奉仕者」という意味合いを理解しています。その上で「再び、地公法第36条と政治活動」の中でも記していますが、組合役員を担っていたとしても政治的な中立性は個々の職務の中で貫かれているはずです。住民の皆さんと接する中で、政治的な立場をかもし出す職員が存在するような話を耳にしたことはありません。

仮に、このような峻別をわきまえられない職員が存在した場合、即刻免職の対象となってしまうのではないでしょうか。一緒にされて迷惑さんが指摘されている職場署名などは、あくまでも労働組合の活動の中で許された範疇だと判断しています。もちろん職務を通して住民の皆さんに署名協力を求めていた場合は論外な話ですが、そのような場面が横行しているとは到底想像できません。さらに公務員も一定の範囲内において政治活動の自由が保障されている点は法的にも国際的にもスタンダードな姿であることも付け加えさせていただきます。

公明党の支持母体に関わる上層部の方々の話が紹介されていますが、比べる事例としては少し論点がずれていくように思っています。職務上の話で言えば上記のとおりの峻別が職員全体に欠かせず、繰り返しになりますが、組合役員も逸脱していないはずです。その上で組織として決定している活動方針を組合員に周知し、理解を求めていく試みは必要な取り組みだろうと考えています。その試みが押し付けという印象を与えてしまうのかどうかは私どもの組合にも引き付け、手法や丁寧さなどを改めて考えていく機会としています。

一方で、ぜひ、一緒にされて迷惑さんにも考えていただきたい大事な点があります。所属されている区職労への批判は、すべてご自身の「答え」が正しく、区職労や自治労の活動方針はすべて間違っていることを前提にしているという点です。当然、これまでの自治労の活動方針が完璧で、見直すべき問題点は一切ないと言い切るつもりもありません。それぞれの「答え」の正しさを主張し合い、より望ましい「答え」に近付けていくことが本当に大切な試みだろうと考えています。

確かに平和や政治活動よりも労働組合の本務である労働条件の問題に力を注ぐべきという声は私自身も頻繁に耳にしています。それに対し「労使交渉だけでは解決できない問題があるため、多くの組合が自治労や連合に結集し、政治的な活動にも関わっています。このような意義を踏まえ、今後も主客逆転しない範囲で政治的な活動にも対応していくつもりです」とお答えしています。加えて、組合の活動方針一つ一つが組織的な手続きを経て決まっている点を説明する場合もあります。

個々の組合員の意識が多様化している中、その活動方針が組合員全員から支持されているのかどうか、残念ながらそのようになっていないことも感じ取っています。力強い組合活動を展開するためには、組合員全体の支持や理解が欠かせません。全員が賛成しない課題には取り組まないという手法もあり得るのかも知れませんが、通常、組織の活動方針は構成員多数の意思によって決められていきます。言うまでもありませんが、組合の活動方針を支持しない組合員が増えていくことは深刻な問題だと受けとめています。

一緒にされて迷惑さんが所属している区職労の役員の皆さんも、このような点について説明されたのではないでしょうか。ただ一緒にされて迷惑さんにとって納得できない回答であり、このブログのコメント欄にも疑問や批判を加えられたものと理解しています。そもそもオープン・ショップ制であり、活動方針等が気に入らなければ組合を脱退するというカードもあり得ます。しかし、そのような点を一緒にされて迷惑さんは一切示唆せず、いろいろ提案されていました。そのように力の入ったコメントだったため、機会を見て必ず記事本文でお答えしようと考えていました。

さて、以上をふまえ、自治労、そしてその下部団体の現状はいかがなものでしょう。職労の執行委員の方々が口々に語る「我々は共産党員ではない、あくあで平和のために云々」という主張は、私をはじめ、若年層に言わせると、「いやいや、左傾化した共産党員以外のなにものでもないんですが(笑)どうか、私に関わらないでね!」としかいえません。社会においての評価は、第三者がするものです。自己評価など自慰行為に等しく、何の生産性もありません。上記の場合、評価者は組合員となります。

あなたには以上で述べた若輩者の意見が理解できないと思うので、一つ提案があります。若年層にYES/NO形式アンケートを取ってみましょう。若年層の後継者不足でお困りでしょう?ならば、若年層の心のうちを知ることが肝要です。項目があまり長いと若者は今の職労に対し、さらに倦厭、忌避するきらいがあるので、5項目くらいがよろしいのではないかと。以下、ご参考までに。

1 職労は本来の労働条件の向上のみに専念すべきである。
2 現在の職労の活動目的は特定の思想に偏って中立とは言えないと思う。
3 メーデーの街頭行進や「平和活動」への執着・主張は異常だと思う。
3 組合活動には関わりたくない。
4 組合には半ば強制的に入らされたうえ、組合費が高い
5 活動目的決定の際、周知や多数決をとらないのはおかしい。

最後に、今後、職労が評価されるであろうこと(望みは極めて薄い)を書いて寝ます。それは、人事院勧告を当然のごとくはねのけ、さらに、職員の給与アップを実現することです。これは、職員の待遇向上に直結することなので、極めて高い評価を得られること間違いなしです。まあ、無理でしょうが。少し考えればわかることですが、公務員になる者は様々な理由で公務員になっています。

・教授の口利きで簡単になれたから(バブル世代談)
・公務員の仕事に魅力を感じたから(生真面目公務員談)
・身分保障のためと余暇が民間より圧倒的にあるから(私はじめ転職組)→仕事は必要十分にして自分の時間最優先!組合活動なんてあほらしい、薄給だからそんな時間あったら副業で経済投資するわ!
・総合的に見て、自分の時間をしっかりとれそうだから(いわゆるゆとり世代談)

おそらく、区職労が今後勧誘するなかで一番手こずるのは、いわゆるゆとり世代、その下の悟り世代でしょう。名門大学卒の者が多く、当然ながら賢く、中立的なものが多い。純粋であると同時に、異質なものにはとても敏感で、表向きはおとなしいが、ぶれない芯があります。その芯をあなたたち職労の執行委員は見透かすことはできないでしょう。おとなしさ、従順っぽさ、はあくまでポーズなのですよ。職労の目的や活動に対する思いをぶつけるだけではだめなんですよ。

ひいてみて、彼らが今職労に対してどう思っているのかを聞いてみましょう。もちろん、賢いゆとり君たちは、口を割らないでしょう。だって、職労のあなた方を見透かしているのですから。だからこそ、アンケートが有効と思うんですよ。職労の母体である組合員が今、職労に対してどう思っているのか、その意見をくみとり、変わっていかない限り、次の世代なんて育ちもしないですよ(笑)

以上が一緒にされて迷惑さんから寄せられたコメントの全文です。レイアウト上、段落は整理していますが、これまでも誤字等に気付いても手を加えず、そのまま原文を掲げるようにしています。組合活動や組合役員に対する評価は、第三者ではありませんが、組合員が下すという見方はその通りだと思っています。その上で具体的なアンケートの実施まで提案いただきました。ただ「あなたには若輩者の意見が理解できない」と決め付けられてしまいましたが、アンケートの大半の項目でどのような傾向の「答え」が返るのか予想できるつもりです。

一緒にされて迷惑さんと私自身の予想は、きっと大きな開きがないはずです。要するにアンケートを取らなくても、私どもの組合をはじめ、自治労に所属する多くの職労が置かれた現状は非常に厳しいものと見ています。一方で、昨年秋に「若手組合員との懇談会」を開いた際、「組合のことがよく分からない」という言葉が最も印象に残る結果となっていました。そのため、よりいっそう組合の活動や方針の伝え方の工夫に努めることや、フェース・ツー・フェースの場をいかに多く持てるかを課題として認識していました。

気になった点として、上記のアンケート項目に「活動目的決定の際、周知や多数決をとらないのはおかしい」という設問がありますが、通常、そのような組織運営は考えられません。拍手での承認が「多数決をとらない」と見られている可能性もありますが、以前の記事「自治労は討論しない?」に綴ったような認識の齟齬が生じているのかも知れません。「平和の問題に限らず、基本的な方向性や方針に関しては継続性、要するに従前の内容を踏襲するようになっています。一定の規模の組織であれば同様であり、毎回、方針案を白紙の状態から積み上げることはないはずです」という現状認識に対する行き違いを推察しています。

人事院勧告に関しては給与制度の総合的見直しの問題を提起されているものと思います。圧倒多数の公務員の賃金水準が引き下げられる理不尽な地域給強化などに自治労は総力を上げて反対行動に取り組んでいます。8月の勧告を直前に控え、力及ばず人事院に押し切られてしまうのかどうか正念場を迎えています。その時々の情勢や相手方との力関係などによって、組合の要求が通る場合と断念しなければならない時があります。今回、どのような結果に至るのか、残念ながら現時点では見通せません。ただ国家公務員に準じた平均7.8%もの地方公務員の給与削減問題に際し、3割以上の自治体が「削減なし」で乗り切れたのは組合があり、自治労があったからこそです。ぜひ、このような成果を残していることも留意いただければ幸いです。

寄せられたコメント全文を紹介しながら綴ってきましたので、たいへん長い記事となりました。せっかくの提案でしたが、今のところアンケートの実施は考えていません。実は、それよりも一歩踏み込んだ試みを直近の執行委員会で確認しています。参考までに今回の記事の最後に、組合ニュースの最新号に掲載する内容をそのまま紹介させていただきます。匿名の場ではありませんので、どれだけの参加を得られ、どこまで本音の意見を伺えるのかどうか分かりませんが、組合方針の「結論ありき」ではない場として多様な声に触れ合えることを願っています。

「なぜ、組合は集団的自衛権に反対しているの?」「もっと給料を上げて欲しい」等々、組合活動への疑問や意見に答える「フリー懇談会」を9月10日(水)午後6時から303会議室で開きます。テーマはフリー、参加もフリー、ぜひ、お気軽に顔を出してください。ちなみに組合方針を説明するための場ではなく、組合員の皆さんの中に幅広く多様な声や見方があることを受けとめる機会として考えています。食事を用意しますので、参加希望者は事前に組合事務所までご連絡ください。

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2014年7月12日 (土)

自殺未遂報道から思うこと

人によって賛否が大きく分かれがちなテーマを取り上げた前回記事「集団的自衛権を閣議決定」でしたが、コメント欄では本当に穏やかで理性的な議論が交わされていました。基本的な視点や立場が異なる場合、お互いが相手の考え方を蔑みながら辛辣な言葉で応酬しているサイトを見かける時もあります。大半の方々は後者よりも前者のような雰囲気を望んでいるはずであり、このブログにコメントをお寄せくださっている皆さんのご理解ご協力に対してはいつも感謝しています。

もちろん自分自身の考え方とかけ離れた意見に対し、苛立ちながら厳しい言葉で批判を加えることを一切自制して欲しいというものではありません。以前の記事「批判意見と誹謗中傷の違い」で示しているような峻別についてご理解ご協力をお願いしているところです。インターネットを介した匿名での関係は、本音の意見に触れられやすい点がメリットだと言えます。その一方で、相手のことを気遣う必要がなく、普段、面と向かって口にしないような言葉をぶつけてしまいがちな点はデメリットだと見ています。

さて、集団的自衛権を巡る新聞各社の報道姿勢には極端な差異があります。ここまで極端に支持する立場か、反対する立場か、旗色を鮮明にした事例はそれほど多くないような気がしています。安倍政権の閣議決定を支持している代表格が読売と産経、反対しているのが朝日、毎日、東京新聞という構図となっています。今回、集団的自衛権の閣議決定に対する直接的な記事内容の比較ではありませんが、ここまで気を使うのかと驚いた事例を紹介させていただきます。

29日午後2時10分ごろ、東京都新宿区西新宿の歩道橋上で、男性がペットボトルに入ったガソリンのようなものを頭からかぶり、自分で火をつけた。男性は病院に搬送されたが、やけどを負うなどして重傷。搬送時に意識はあったという。警視庁新宿署は容体が回復次第、男性から事情を聴く方針。現場はJR新宿駅南口の「新宿ミロード」と「新宿サザンテラス」をつなぐ、「ミロードデッキ」と呼ばれる歩道橋。周辺では買い物客などが通行しており、一時騒然となった。

同署によると、同日午後1時5分ごろ、現場周辺にいた男性警備員から「歩道橋の鉄枠の上に、50~60代でグレーの背広を着た男性が乗って、拡声器で何かをしゃべっている」と110番通報があった。署員が駆けつけたところ、歩道橋の上に組まれた鉄枠部分に座った男性が、拡声器を使い、集団的自衛権の行使容認や、安倍晋三首相の政策に反対する内容の演説をしていたという。男性は1時間以上にわたって手元の紙を読み上げた後、脇に置いていたペットボトル内の液体を頭からかぶり、ライターで火を付けたという。火は、駆けつけた消防隊員らに消し止められた。【産経新聞2014年6月29日

上記は産経新聞の記事ですが、この報道では朝日や毎日の伝え方とほぼ同じ内容となっていました。要するに事実関係を淡々と報道したことになります。幸いにも一命は取りとめられたようですが、どのような事情があろうと自殺という行為は思いとどまるべきものです。さらに今回のケースは周囲にも被害を及ぼす恐れがあり、未遂者の行動を一理でも支持するようなことがあってはならないはずです。このような点は踏まえているつもりですが、下記の読売新聞の伝え方には正直なところ違和感を抱いていました。

29日午後2時10分頃、東京都新宿区西新宿のJR新宿駅南口近くの歩道橋で、中年の男がペットボトルに入ったガソリンのような液体をかぶり、火を付けた。男は全身にやけどを負い重傷。ほかに、けが人はいなかった。警視庁新宿署は男が焼身自殺を図ったとみており、回復を待って事情を聞く方針。同署幹部によると、男は橋の上で拡声機を使い、集団的自衛権に関する主張を繰り返した後、火をつけたという。現場は買い物客らが行き交っており、一時騒然となった。男が火を付ける様子を目撃した同区の男子大学生(23)は「誰かが巻き込まれたらと思うと怖い」と青ざめた様子で話した。読売新聞2014年6月29日

伝え方の違いについて、それぞれ赤字で示してみました。読売新聞は自殺未遂者が集団的自衛権の行使容認に反対していたことを伝えず、あえて未遂者の立場を曖昧にした報道姿勢が読み取れました。そもそも紙面上の扱いも小さなベタ記事で注意して探さなければ見落とすような位置に掲げられていました。それでも取り上げただけでも評価すべきことなのかも知れません。NHKは当日夜7時のニュースで一切報じなかったようです。30分の枠内で1秒も触れないという判断は読売新聞の扱い以上に違和感がありました。

これに対して国外のメディアは、事件そのものについては日本メディアを引用する程度だが、男が主張していた集団的自衛権の問題について背景を長めに報じている。AP通信は、事件を「まれにみる暴力的な政治的抗議」だとした上で、行使容認については、「戦争放棄を定めた憲法9条を壊すものだと批判する人もおり、反対派グループは首相公邸の外で持続的だが平和的な抗議を行ってきた」と伝えた。AFP通信も「日本ではこういった事件はきわめてまれ」と驚きを隠さない。事件の様子がツイッターなどで瞬く間に伝わる日本独特の事情も伝えた。「ソーシャルメディアは、通行人の間の前で起きた火事に関する書き込みや写真であふれた」

英BBCは、「国内で意見は二分されている。動きを批判する勢力は軍国主義の高まりを警告し、保守派は、(集団的自衛権を保持しているが行使できないという)制約は日本に押し付けられたダブルスタンダードだと主張している」と解説。ロイター通信は、今回の動きが大きな転換点になりうることを伝えた。「戦後平和主義から離れる大きな1歩で、日本の軍事的選択肢を広げることになる」「主張を強めている中国をいらだたせそうだが、同盟国の米国からは歓迎されそう」【J-CASTニュース抜粋2014年6月30日

この自殺未遂の報道がNHKをはじめ、国内メディアの扱いが小さかったことに対し、集団的自衛権の行使容認に踏み切ろうとする安倍政権に気兼ねした及び腰であるように感じていました。メディアによっては、このような見方もあながち的外れではないのかも知れませんが、「新宿での焼身自殺未遂事件 報道が少なかったのはなぜ?」という記事をネット上で見つけました。「なるほど」とうなづける面があり、国内メディアの取り上げ方が全体的に抑え気味だったことの見方を少し変えていました。

外国メディアが報じるほどなのに、国内メディアの報道が淡白なことに対して、ネットでは「言論統制か」「何かの圧力?」「おかしいじゃないか」といった声も上がっている。なぜ、今回の報道は抑制的だったのか?自殺の報道を巡っては、「報道すれば、それが模倣の自殺を生む」という指摘が以前からあった。世界保健機関(WHO)は「自殺予防 メディア関係者のための手引き」を発行している。その中では、1774年にゲーテの小説「若きウェルテルの悩み」が出版されてから、主人公に影響を受けた自殺がヨーロッパ中で相次いだことなどを紹介。

そのほか、いくつもの研究で「メディアが自殺を伝えることで、真似た自殺を引き起こす」という結論が出たことを示す。逆に、ウィーンの地下鉄でのセンセーショナルな自殺報道を減らした結果、自殺率は75%減少できた、という。このため、手引きでは、「自殺をセンセーショナルに扱わない」「自殺の報道を目立つところに掲載したり、過剰に、そして繰り返し報道しない」「写真や映像を用いることにはかなりの慎重を期する」といった注意を、メディア関係者に求めている。【THE PAGE抜粋2014年7月3日

その記事の最後には「今回の場合、政治的主張があり、報道することでその主張を広く伝えてしまえば、今後、同様の手口で自らの主張を行う模倣、もしくは同一人物による再発の可能性も考えられる。そういう意味でも、報道を抑え気味にした理由があったと言えるだろう」と記されていました。海外では政治的主張の下に焼身自殺をはかる事例が少なくありません。前述したとおり決して望ましい行為ではないため、連鎖自殺を防ぐ観点からの報道基準であれば支持していかなければなりません。

報道のあり方から話題が少し広がりますが、この自殺未遂に絡み、北海道議会議員の小野寺まさるさんのツイッターがネット上で注目を集めていました。「集団的自衛権に反対して焼身自殺と?…これは公衆の場での迷惑極まりない行為であり、明らかに犯罪だ。又、死にきれずに多大な方々に迷惑をかけた愚行だが、これを「三島事件」と同列に扱うマスコミは完全にイカれている。日本の将来を憂いた国士と日本解体を目論む団塊の世代崩れは真逆の存在である」という内容です。

このツイートを知ったブログ「依存症の独り言」のコメント欄では「焼身さわぎの方は、まあ、論外ですね。あれを見て連想するのは、 申し訳ないですが、どう考えても韓国の抗議方法です」「目立ちたいだけのアホウ」「馬鹿は死ななきゃ治らない、、、死に損なったのなら、悲劇ですね。治るはずだったバカのまま生き続けなきゃいけなくなちゃって」「他人に迷惑を顧みずに騒いでも左翼の仮面をかぶっていればアカピは非難しません」などという意見を目にしていました。

このようなネット上の非難の声に対し、俳優の伊勢谷友介さんはFacebookで「『名無し』の人間が、焼身自殺と言う命をかけた行動を、頭ごなしに迷惑だとか、狂人扱いし、卑下することは許せない。命の使い方をどうするかは、意志のある人間が持てる大切な自由だ。それも社会の一大事に、命を賭して、その問題提起や変革のための切っ掛けを創るなら、なおのこと然りと言うべきだ」と怒りを示されていました。なお、伊勢谷さんは今回の主張について「自殺未遂者のメッセージを称賛したり自殺を推奨するものではない」とも強調されています。

「命の使い方をどうするかは自由だ」という言葉には少し違和感がありますが、私自身、自殺未遂者を非難する言葉の数々に驚きながら、伊勢谷さんの怒りのほうに共感を覚えています。もともと今回の事例に限らず、焼身自殺という報道などに接した時、「物凄く熱かったろうな」と自分自身の肌が焼かれることを想像してしまいます。このような感覚を持つこと自体、人によって差異があるのでしょうか。いくら赤の他人で一命を取りとめた未遂事件だったとは言え、「目立ちたいだけのアホウ」などという言葉は慎むべき礼節だろうと思っています。

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2014年7月 6日 (日)

集団的自衛権を閣議決定

コメント欄から距離を置くようになって2年ほどたちます。記事本文の更新と同様、コメント欄に関わるのは休日に限らせていただいています。さらに難しい問いかけに対しては、じっくり記事本文を通してお答えするように努めています。ただ「機会を見て記事本文で」とレスしながらも先送りしがちな場合が多く、いつも申し訳なく思っています。今回、以前の記事「自治労と当ブログについて」に寄せられた問いかけに答えるような内容の投稿も考えていました。

とは言え、このタイミングで集団的自衛権の問題を取り上げないのもどうかと思い、やはり「集団的自衛権を閣議決定」というタイトルとし、改めて今、いろいろ頭に浮かぶことを書き進めさせていただくこととしました。5月初めに投稿した記事「憲法記念日に思うこと 2014」以降、ほぼ毎回、このブログで集団的自衛権の問題について触れてきました。それだけ重要な問題であり、今後の日本の行方を左右する局面だと受けとめ、私自身の問題意識を私なりの言葉を尽くして訴えてきました。

解釈改憲ではなく、あくまでも解釈の変更であるという説明も加えられていますが、どちらにしても憲法の根幹に関わる問題を閣議決定で変更していくことに対し、このブログでも強い疑義を示してきました。意図された巡り合わせではないようですが、自衛隊発足60年という節目を迎えた7月1日、たいへん残念ながら政府は臨時閣議を開き、憲法第9条の解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認することを決めてしまいました。

憲法で権力を縛るという立憲主義をないがしろにする行為であり、その時々の内閣の意思によって今回のような憲法解釈の重大な変更を行なって良いのかどうか、大きな疑問が残されています。憲法第96条での改憲発議では時間がかかり過ぎるという論外な声や、閣議決定しなければ関連した法律の改正に着手できず、野党との議論は国会での法案審議の場が待っているという手順の説明も耳にします。自民党の高村副総裁は「まだ国民から充分理解を得られていない」と述べ、国会論戦などを通じて説明責任を果たす考え方を示しています。しかし、すべて「結論ありき」だった後付けの釈明だと言わざるを得ません。

「なぜ、そんなに拙速に進めるのか」という質問が公明党国会議員団の会議の中で出た際、北川副代表は「安倍首相が急いでいるんだ」という答えを返していました。議論していた党政調会会議室は、一瞬、白けた空気と沈黙に包まれたそうです。岡田元外相は集団的自衛権を行使して欲しいと「外相時代、アメリカから言われたことは一度もない」と語っています。「民主党政権だから」という突っ込みが入るのかも知れませんが、実際のところオバマ政権になってから働きかけを強めていたようには見えません。

かつてに比べればアメリカの国力にもかげりを見せ始めています。そのような絡みから日本の軍事力に今まで以上の役割を期待し、集団的自衛権行使を検討していくことに歓迎の意を表しているものと見ています。一方で、アメリカ国内では他国の戦争に巻き込まれたくないという意識が高まっているようであり、日本と中国との対立を危惧している側面があるものと考えています。

上記は「もう少し集団的自衛権の話 Part2」に残した言葉ですが、この間の動きについて、どうしても安倍首相の個人的な政治信条やこだわりが前面に出ているように思えてなりません。そもそも安倍首相に対する評価は人によって大きく異なります。個々人の基本的な視点や考え方の違いから生じる当たり前な話だと思いますが、安倍首相を信奉する方々の多さをネット上の様々なサイトから散見できます。その一方で、安倍首相を強く批判する声の多さもネット上で把握しています。

安倍首相が発した同じ言葉に対し、「分かりやすく、素晴らしい説明だ」と「中味のない、独りよがりの説明だ」というように評価が両極端に割れる場合も少なくありません。このブログでは、レッテルをはった意見は控えていただくようお願いしています。そのため、私自身も物事にレッテルをはって、思い込みや先入観で判断しないように努力しています。つまり安倍首相を「軍国主義者」と称することは誤ったレッテルであり、「戦争をしたがっている」という見方も的外れだと思っています。

「抑止力を強化することで平和と安全を確かなものにする」という言葉にも嘘偽りなく、安倍首相自身の信念から発せられているものと見ています。このような事実を誤認や曲解し、安倍首相の言動を批判することに終始した場合、安倍首相を強く支持される方々との接点は見出しづらく、深く広い「溝」が埋まることはないものと考えています。評価や批判すべき点は、今回下した政治的な判断や識見の中味であり、安倍首相を個人攻撃することではないはずです。

このような前置きを述べた上で、私自身、今回の閣議決定に反対していることを改めて表明させていただきます。前述した手続き論に加え、日本国憲法の「特別さ」は守り続けるべきブランドだと考えているからです。そのことによって国際社会の中で日本だからこそ貢献できた役回りがあり、もっともっと「特別さ」をアピールしながら非軍事面での独自な活動に力を注げることを望んでいます。このように記すと「9条さえあれば平和が守れるのか」という批判を受ける場合がありますが、そもそも個別的自衛権は認めた上での集団的自衛権まで行使するのかどうかの問題であり、かみ合わない論点だと思っています。

さらに「日本をより平和にする対案はお持ちですか?」という問いかけもありましたが、とりまく情勢をどのように認識するかどうかの問題にも繋がります。情勢認識や国際社会での望ましい関係性は「普通に戦争ができる国について」の後段で綴っていましたが、国家を超えた繋がりやシェアが鍵だという見方も個々人での評価は分かれるものと思います。それでも「抑止力の強化」イコール軍拡競争という側面もあるため、個別的自衛権に限った「特別さ」を維持するほうが、より平和に近付き、現状維持が対案という「答え」も決して否定できないはずです。

どうしても情勢の変化の中で大きな支障が出ているのであれば、これまでの日本の「特別さ」を重視し、今後も個別的自衛権の範囲を大前提に国会での審議を尽くして事例ごとに改めていくという発想が欠かせなかったのではないでしょうか。そのような発想での手順が踏まれた場合、「なし崩し改憲」という批判も示されるのかも知れませんが、これほど大きな批判は高まらなかったように感じています。実際、与党協議の中で公明党側が強く主張した論点であり、私自身もその一線は非常に大事な点だと考えていました。

与党協議の最終盤、「集団的自衛権」という言葉を使わない案を安倍首相に示したところ一蹴され、必ず文言に入れるよう強く指示されたと聞いています。安倍首相の並々ならぬ決意の一端を表した事例でしたが、最終的にまとまった閣議決定の全文の中に「集団的自衛権」という言葉はごくわずかで、具体的な使われ方も次のとおり回りくどい表現にとどまっていました。

我が国による「武力の行使」が国際法を遵守して行われることは当然であるが、国際法上の根拠と憲法解釈は区別して理解する必要がある。憲法上許容される上記の「武力の行使」は、国際法上は、集団的自衛権が根拠となる場合がある。この「武力の行使」には、他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とするものが含まれるが、憲法上は、あくまでも我が国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち、我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容されるものである。

閣議決定の夜、記者会見で安倍首相は「現行の憲法解釈の基本的考え方は、今回の閣議決定においても何ら変わることはありません。海外派兵は一般に許されないという従来からの原則も全く変わりません。自衛隊がかつての湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことはこれからも決してありません」と言い切られていました。昨年のIOC総会で安倍首相が「(福島第一原発の)状況はコントロールされている。東京にダメージが与えられることは決してない」と強調された姿とオーバーラップしがちですが、本当にそのとおり厳守していくのであれば、公明党が主張したような一線の引き方もあり得たはずです。

もちろん名より実を取れば良かったと言うものではありません。閣議決定の文章の中に「集団的自衛権」という言葉がなくても実際は行使容認の中味で、平和憲法の「特別さ」が削がれていくようでは大きな問題です。今回、「アリの一穴」や「小さく生んで大きく育てる」という意図があるのかどうか分かりませんが、集団的自衛権行使の中で「戦闘に参加しない」という線引きを強調するのであれば、これまでの解釈を崩さない中での基本方針に努めて欲しかったと強く思っているところです。

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