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2014年6月 1日 (日)

言葉の力、言葉の難しさ

週に1回の更新間隔を定着させてから、まずブログの題材選びに苦労することはありません。特にコメント欄から距離を置くようになり、寄せられた問いかけに対して記事本文を通してお答えするようになっています。そのため、ますます新規記事の題材にすべき選択肢の幅が広がっています。今回も直近の記事「市議選まであと1か月」のコメント欄に寄せられたコメントの中で、私から補足しなければならないような論点がいくつか見受けられていました。

時事の話題で言えば「残業代ゼロ」「維新の分党」「日朝合意」など注目すべき動きが続いています。そのようなタイミングの中ですが、抽象的な記事タイトルのもとに書き進めさせていただきます。前回のコメント欄で気になった指摘に触発され、言葉の力や難しさについて掘り下げてみるつもりです。ちなみに以前の記事に「言葉の難しさ、言葉の大切さ」というものがありました。類似した論点にも繋がるはずですが、少し切り口が違った問題提起を想定しているため、記事タイトルを微妙に変えています。

以前の記事では、言葉の使い方一つで他者に与える意味合いや印象は大きく変わってしまい、言葉の使い方や文章の書き方の難しさを取り上げました。それでも言葉にしなければ自分自身の考えが他者に伝わることはなく、言葉の大切さも同時に提起していました。今回の記事では、言葉の使い方の難しさを踏まえながら、言葉の使い方一つで他者に与える印象や影響力が異なっていくことについて焦点を絞ってみるつもりです。

最近の記事「憲法記念日に思うこと 2014」「もう少し集団的自衛権の話」「もう少し集団的自衛権の話 Part2」を通し、制約のない集団的自衛権の行使も含め、いざという時に「普通に戦争ができる国」をめざしていることの是非が論点であることを綴っていました。この「普通に戦争ができる国」という言葉は、コメント欄常連のnagiさんからすれば「本当に他者を誤解させる、素晴らしいアジテーション」だと見られてしまうようでした。以前、別な方からも同じような指摘を受けたことがありました。

私自身、安倍首相が「戦前のような軍国主義をめざしている」「戦争をしたがっている」という批判は的外れな言葉だと思っています。安倍首相が「国民の生命や財産を守るため」「抑止力を高めることで戦争が防げる」と考え、ご自身の政治信条や使命感のもとに言葉を発せられているものと思っています。その言葉が示す方向性の是非や賛否は問われるべきものですが、思い込みやレッテルを貼った批判、まして誹謗中傷の類いとなるような言葉は慎むべきものと考えています。

権力者に辛辣な批判意見をぶつけられる社会は健全な姿で、耳目を集めるためには過激な言葉も時には必要であり、あまり遠慮する必要もないのかも知れません。しかし、安倍首相を過剰に揶揄した批判は、安倍首相の言動を支持されている方々まで不愉快にさせ、冷静な議論に入りづらくなる心配があります。このような問題意識やこだわりを持っているところですが、「普通に戦争ができる国」という言葉は決して思い込みや的外れな表現だとは考えていません。

「普通に戦争ができる国」という方向性の是非や評価は個々人で分かれるはずですので、その言葉を使う際、ことさら批判的なニュアンスを強めないようにしています。いずれにしても集団的自衛権の行使に踏み出すことは「普通の国」をめざすことであり、そのことを客観的にとらえた言葉が「普通に戦争ができる国」だと認識しています。ある報道番組の中で「自衛権で個別的、集団的と分けた議論など普通の国では考えられない」という識者の言葉を耳にしました。そもそも日本は特別な憲法のもと普通の国ではないため、違和感を覚えた場面でした。

私自身の安全保障の考え方は「もう少し集団的自衛権の話 Part2」の中で綴っていますが、第2次世界大戦後のドイツとフランスとの関係を例示するなど、他者の言い分にも耳を傾ける外交姿勢の大切さを訴えています。抑止力を高める重要性も否定しませんが、際限のない軍拡競争に繋がる発想だと考えています。そのため、これまで国際社会の中では数多くの軍縮条約が締結され、「囚人のジレンマ」からの脱却を模索しています。そのような意味合いで考えた時、専守防衛、個別的自衛権の行使しか認めないという歯止めをかけてきた日本国憲法は究極の軍縮の一形態であるようにとらえています。

言葉の力について掘り下げていますが、どうしても具体的な内容にも広がりがちです。ここで言葉に絞った論点に戻しますが、戦争をさせない1000人委員会による全国署名の取り組みがあります。実は「戦争をさせない」という言葉には、どうもシックリした印象を持つことができていません。前述したとおり安倍首相らが戦争をしたがっている訳ではないため、少し扇情的な言葉だと感じています。「戦争をさせない」も「普通に戦争ができる国」も五十歩百歩だと思われてしまうのかも知れませんが、私自身の中では明確な線引きがあります。

広く問うべき論点は「戦争をさせるのかどうか」ではなく、日本は「普通の国をめざすのかどうか」だろうと考えています。直近の記事を通して綴ってきた問題意識ですが、「普通の国ではなく、特別な国」だからこそ、国際社会の中で日本に期待される役回りがあります。そのようなポジションに誇りを持ち、積極的にアピールしていく道こそ、日本が進むべき方向性になることを願っています。神奈川新聞に掲載された内閣法制局長官だった阪田雅裕さんの「安全脅かす『他衛』権」という記事を弁護士の澤藤統一郎さんのブログ「憲法日記」で知りました。

A国とB国との間で、戦争が始まったとしたら、それぞれ自国の方が正しいと主張するだろう。日本は第三国の立ち場のままだったら、戦争をやめなさいと言えるが、A国とともにB国に対し集団的自衛権で武力を行使すれば、わが国は戦争当事国になり、B国が日本の領土を攻撃することが認められることになる。集団的自衛権の行使を容認すれば、むしろわが国、国民の安全を脅かす結果を招く可能性がある。たとえば、中国とアメリカが諍いを起こしたとする。

その場合、日本が中立を保って第三国の立ち場のままだったら、戦争をやめなさいと言える。しかし、米国とともに中国に対し集団的自衛権を行使すれば、日本は戦争当事国になり、中国から日本の全土を攻撃されることを覚悟しなければならない。集団的自衛権の行使を容認すれば、むしろわが国、国民の安全を脅かす結果を招く可能性がある。集団的自衛権の行使とは、「他国の戦争に巻き込まれる恐れ」ある行為ではなく、「他国の戦争に巻き込まれることを承知で、日本の全土が攻撃されるリスクを敢えて冒す」行為なのだ。

5月19日の記事「世論は集団的自衛権容認に与していない」から抜粋していますが、上記のような見方についても個々人での評価は枝分かれしていくはずです。中国脅威論が念頭にある方にとって、非現実的な発想だと思われるのかも知れません。ただ「自国のためではなく、中国のため」の発想であるような言葉に繋げられた場合、その言葉の力は失墜するものと見ています。いわゆる右、左の立場に関わらず、思い込みやレッテルを貼った言葉が先走るようでは建設的な議論から遠ざかってしまうように感じています。

おかげ様でnagiさんをはじめ、このブログのコメント欄常連の皆さんからは以上のような関係性についてご理解ご協力いただけているものと理解しています。それでも書き込まれた文章だけでのコミュニケーションとなるため、うまく真意が伝わらず、ギスギスした雰囲気に繋がる場合もあります。同じ言葉に接していても、個々人の基本的な視点や立場によって伝わる印象が大きく変わってしまうようです。そのような言葉の難しさを踏まえながらも、言葉が発していく力を信じ、これからも当ブログに向き合っていくつもりです。

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コメント

> 集団的自衛権の行使に踏み出すことは「普通の国」をめざすことであり、
> そのことを客観的にとらえた言葉が「普通に戦争ができる国」だと認識しています。

わたしが同じ字数で表現するなら「普通に自衛ができる国」としますが。

管理人様ほどの方が「自衛権の行使」をわざわざ「戦争」という意味や受け取られ方が
大きく異なる言葉に「あえて」置き換えるのは、やはり読み手に誤解を与えるためと
見ています。
要は状況認識の甘い平和主義者が、字面に恐怖を感じて心理的反発を持つことを
期待しているということ。

>第2次世界大戦後のドイツとフランスとの関係を例示
上記は2カ国の思いが一致した場合の事例だが、前提が現在の状況と異なるため
適用不可能である。

覇権主義国に対して周辺国が事なかれ平和主義を貫いた事例としては第二次世界大戦前
の宥和政策が適切である。

第2次世界大戦前にアメリカ・フランス・イギリスが防衛に消極的であり続けていたら
ヨーロッパはナチスが統一していただろう。

第2次世界大戦後のドイツとフランスの関係にもっていきたいなれば、むしろ
ドイツ(現在のchina)を徹底的に叩きのめすことがその関係のスタートになるといえる。

投稿: たろう | 2014年6月 1日 (日) 18時18分

モジヅラで議論することの危険性は、以前から、このコメント欄でも指摘してきました。
できれば、まぁまぁ近いので、OTSUさんと話がしたいですね。本当は。
そうしたら、少しは分かるかもしれない。

OTSUさんは、労組のいいんちょさんで、私は一介の素浪人なわけだから、身分が違いすぎるのだと理解しています。
社会的地位の高い人と話せるように、自分の中では準備しているのですが、まだまだ、力がついていない。公務員だったころと比べても、発言力はかなり弱くなっているのが実態です。

さてさて、OTSUさんのおっしゃる「普通の国」ではない国では、例えば、軍隊を「持てない」国(島嶼国など)、永世中立国などがあります。
日本の場合は、これだけ規模のでかい国であるにもかかわらず、軍事行動については、やや消極的という意味では、特別な国と言えるのだろうと思うのです。

ただ、潜在的脅威がある。日本海、東シナ海に面した諸国です。
しかも、非常に事態が流動的であることはわかっているのです。

前記事のコメントにも書いたとおり、もし、最悪有事(程度問題ではある)になれば、裁判所の違憲判決なんかを待っている暇もなく、自衛隊を出すことになります。
今は、そうなる前の、クレバーな議論をしているにすぎないと、私は見ています。
どっちみち戦闘状態になれば、なんだかんだいって、自衛隊いってらっしゃい!になっちゃう。超法規的に。
そういう状態を想定して、今から、法整備とか、予算措置とかしていこうよということにしかなっていないように思えます。
訓練や機材の整備だってカネかかりますからね。
予算化されていないものは、基本的に出せないということは、国のシステムの前提条件です。

8月末には、各省から予算の要求が出ます。
それまでに、方針を決めておかなければ、予算化が難しくなる。
ま、最低12月末までには、予算編成上の企画案は出さなければいけない。
政府予算案の仕上がりは、だいたいがクリスマス前後です。

今日、自民の高村さんが会見で、今国会中と12月の2つの「メド」を、示しましたね。
これは、政府の動きとある程度シンクロさせていると思っています。
ま、私からすれば予想通りの展開でした。

自民はなんだかんだっていって、「やる」でしょうね。国民のコンセンサスは、こういう展開の場合、政府自民党主導になりますよね。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年6月 1日 (日) 21時54分

たろうさん、でりしゃすぱんださん、コメントありがとうございました。

個々人それぞれの「答え」があるのだろうと思っています。したがって、でりしゃすぱんださんのご指摘のとおり「モジヅラで議論することの危険性」を常に意識していかなければなりません。特にコメント欄から距離を置き、記事本文での対応を主体としているため、この場では中味の薄いレスが多くなることをご容赦ください。なお、半田滋さんの新著『日本は戦争をするのか-集団的自衛権と自衛隊』を購入し、読み始めています。参考になるような内容であれば、このブログでも紹介できればと考えています。

投稿: OTSU | 2014年6月 1日 (日) 22時31分

今週も極めて興味深い記事ですね。特に後半、青文字で紹介されてる記事ですが、

>日本は第三国の立ち場のままだったら、戦争をやめなさいと言えるが

たしかに、発言はできますが、それでいかなる利害対決を解決できるのか?
ほとんど効果はありません。
また、巻き込まれる内容もありますが、日本が直接、攻撃された場合を全く
想定していない。あるいは故意に無視してますね。

しかし、本当に不思議に思うのですが、こと自衛の話になると中立の話が
でてくるのですが、政治活動になると反対の立場になる。
以前も申し上げたのですが、労働組合が政治活動に直接参加することにより
中立性をなくす。だからどれほど良い提言をしても、真向からつぶされることに
なる。しかし組合側の主張は、組合の政治活動は一定の力を持つため必要だと
主張する。

これは、平和の為に、一定の軍事活動の選択肢を持つべきだと主張するのと
同じです。

私の主張は日頃、OTSU氏が組合の政治活動の必要性を説明することを
日本の自衛に置き換えたものにすぎません。

なぜ一方は問題なしで一方は問題ありなのか?
不思議でしかたありません。

それと、日本の平和主義とは、正しくは「無抵抗主義」なのでしょう。
あらゆる外交活動を尽くしても、日本が侵略されて、強姦や虐殺が発生したら
不幸だと思ってあきらめて下さいと説明されますか?

以前にOTSU氏に質問しました。
他国からミサイルで攻撃されたらどうすべきか?
OTSU氏は、日本にも自衛権は認められているので、ミサイルを迎撃するのは
やむ得ないと。
さらに、質問しました。
他国から同時に多数のミサイルが発射された場合、すべて迎撃するのは不可能です。
ならば先制して基地を破壊するか?
OTSU氏は無回答でした。

ミサイルにより日本が多数の死傷者をだした場合、日本は報復として
相手国の都市や基地を破壊することは自衛の範囲でしょうか?
可能ならばお答えください。
そうならないように外交を尽くすべきとの回答は不要です。
これは、安全を守る為の「想定」の話ですから

投稿: nagi | 2014年6月 2日 (月) 09時23分

追加ですみません。

安全に関することは、あらゆる「想定」が必要になります。事故が発生した
場合に、「想定外」でしたでは、済まないでしょう。
だからこそいろいろなデータや見地から、想定し安全対策を考える。

私がOTSU氏にたくさん同じような趣旨の質問をして、OTSU氏はそのたびに
回答している。私が質問したことに、ほとんどの場合が概念でお答えされて
います。それは事実です。個別の具体的な事例での返答はほとんどありません。

だから今回は個別の事例で申し上げました。

<想定質問>
日本が他国からのミサイル等の攻撃を受けて、多数の死傷者が発生した場合。
報復として、相手基地や都市を攻撃破壊することは自衛権の範囲と考えますか?

また、そのような報復行為に賛同しますか?
報復をしない場合、被害者及び被害者家族にどのような説明や対応が
可能と思いますか。

前提条件として、攻撃を事前に察知できなかった。宣戦布告はなかった。
外交等に特に問題はなかったとします。

あくまでも「想定」の話なので、無回答でもかまいません。
他の平和主義の方が答えてくれてもかまいません。

>でりしゃすぱんだ氏
お答えありがとうございました。

投稿: nagi | 2014年6月 2日 (月) 12時47分

集団的自衛権 民主有志が法案提出の動き
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140602/k10014895891000.html
民主党の有志の議員が、集団的自衛権の限定的な行使を可能にするための法案を独自に取りまとめ、ほかの野党の議員にも呼びかけ
て今の国会への提出を目指す動きを見せていることから、今後党内で議論を呼ぶことになりそうです。

民主党内では集団的自衛権の行使容認に賛否両論があることから、執行部は与党内の協議の行方を見極めながら党内で丁寧に議論を
進めることにしています。
こうしたなか、民主党の長島元防衛副大臣ら有志の議員は4日に会合を開き、集団的自衛権を限定的に行使することを可能にするための
「安全保障基本法案」を独自に取りまとめたいとして、法案の骨子を確認することにしています。


↑これに関して、ぜひOTSU氏の見解を賜りたいですね。
そちらの組合が支援してる民主党の長島議員が集団的自衛権を積極的に推進しているんですが、それでも支持し続けるんですか?
組合員にどう説明するんです?自民党と同じじゃありませんか。
ま、都合の悪いことはいつも通りスルーですかね(苦笑)

投稿: 立川市民 | 2014年6月 2日 (月) 19時23分

立川市民さん。
長島さんは、もともと保守よりですから。横田空域返還、日本の再軍備をうたっちゃうような人だと記憶してます。
どっちかっていうと、市民活動をベースに保守思想をプラスした思考回路をもつ人だったはずなので、自民的なソシキは嫌ったのでしょう。
そういった意味で、旧・社会党、旧・民社党がおおぜいいる「民主党」に入らざるを得なかったんじゃないかと思います。
公務員労組は、旧・社会党寄り、旧・民社党寄りというポジションがありましたからね。

労組もそろそろ気づいているのではないでしょうか?主義・思想ではなく、「施策」であることを。
階級闘争を主に標榜するならば、共産でも社民でもいいわけなので。ま、そういう公務員労組もありますけどね。

階級闘争と言えば、今は、若者(特に男性)の貧困と富の再配分の問題がありますが、そういうことには最近の労組は・・・おとなしくなった公務員労組は「公務員の身分保障」があるので、あまりかかわらなくなったんですかね。

このへんになると人権の問題も絡んできますけどね。左派思想と人権は絡みやすいので。
ま、立川市というと、北西部の都営団地の帰還中国残留孤児とかの人権問題などもあって、結構、難しいところと理解しています。そういうところへは、長島さんや労組は絡まないのかな?とも思います。

もちろん、ぜんぶがぜんぶ、理路整然としていればパーフェクトですが、矛盾だらけなのが世の常ではあります。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年6月 3日 (火) 08時45分

集団的自衛権推進論者は現状認識や想像力が足りないのではないかな。
ありえない状況の設問にそれが表れていますね。

>日本が他国からのミサイル等の攻撃を受けて、多数の死傷者が発生した場合。
>報復として、相手基地や都市を攻撃破壊することは自衛権の範囲と考えますか?
>また、そのような報復行為に賛同しますか?

弾道ミサイルの発射地点が判る可能性はほとんどないので、攻撃国が判明しません。
誘導爆弾云々では他国の爆撃機が日本の都市上空にいる=空自は既に敗退した状態。
今の自衛隊に他国領土を攻撃する手段はありません。
「敵基地攻撃」とか「報復」とか言っても不可能です。

日本の領土が武力攻撃を受けた場合、自衛隊法による防衛出動命令が出され戦闘状態になります。
攻めてきた敵を撃退する。を目的とした防衛戦を行います。

超法規的措置はありません、立憲主義と法治主義と恥を知る大臣ならそんな命令出しませんし
仮に出されても防衛省(自衛隊)もまた公務員ですから拒否するでしょう。

投稿: ハルチャンド | 2014年6月 3日 (火) 11時29分

>ハルチャンド氏

>集団的自衛権推進論者は現状認識や想像力が足りないのではないかな。
ありえない状況の設問にそれが表れていますね。

推進論者ではありませんが、単純に自国の安全に興味があるだけです。
現状認識や想像力が足りないのは事実かもしれません。

私が聞きたいのは、防衛出動命令が出されるような状態ではなく
突発的に攻撃されて、被害がでた場合の対応です。
その場合は泣き寝入りして下さいと言われるならそれでもかまいません。

現実に今の状況で防衛出動命令がでる前に、どれほど被害が
でるか想像できませんね。そういう意味においては想像力は全く
ありませんね。

投稿: nagi | 2014年6月 3日 (火) 13時26分

ハルチャンドさん。
超法規的措置は必要がないとのこと。そのとおりだと思いますよ。
賢明な日本のリーダーなら、超法規的措置はまったくといっていいほど要らないと思います。
まるで時代が変わって、現在、想定できないような状態となった場合、超法規的措置がありうると言っています。
超法規的措置ありきのお話ではありません。
ありうることは排除できないので・・・つまり、裁判やって判決でるまで「違憲」だということが出ない限り、法を無視した行動がありうるのかもしれないことを言っているだけです。
ま、そういうとちくるったリーダーが将来現れないとは限らないのです。
憲法は遠い将来まですべてを保障してはくれません。そもそも、法令とはそういうものです。

それと、集団的自衛権について、私は結論を出すのが急ぎすぎていると感じています。
国会のスケジュール感や、政府のスケジュール感と「シンクロ」していると決めつけるのは、いささか乱暴なような気もしますが、なんだか、そのようにしか見えないんです。私の目は曇っているでしょうか?
国民世論の形成を「既成事実」を作られた上で進められてしまっても構わないのだろうかということを言っています。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年6月 3日 (火) 16時48分

<上記コメントについて追記>
憲法上の国家緊急権については、現憲法で欠陥があるなどの説があります。
憲法を逸脱した行為を行うことは、比較的簡単です。
時の為政者が「やっちまえば」いいのです。極論ですが。
そうなってくると、憲法の最高法規規定だとか、そんなことはどうでもよくなってしまう。
近隣諸国でいうと「戒厳令」状態のようなことです。
現憲法では、国家緊急権については規定されていませんけれどもね。
事後審査的な裁判所の存在はありますよ。
憲法を含めた法令というものは、そういう法令の想像しえない想定外のできごとについては無力です。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年6月 3日 (火) 17時43分

日本に武力攻撃をする=アメリカと戦う覚悟がある なのだから、
近い将来に日本が武力攻撃を受ける可能性はないと考えています。
偶発的な衝突はあるかもしれません。

泣き寝入りの主体は被害者個人ですか、それとも政府ですか?
まず犯人(加害国)が判らなければどうしようもありません。
判れば国際世論(安保理)に訴えて賠償請求なり制裁なりを行うのでしょう。
通り魔犯罪の被害者は犯人不明なら泣き寝入り といえば泣き寝入りだけど

>まるで時代が変わって、現在、想定できないような状態となった場合、
>超法規的措置がありうると言っています。
>時の為政者が「やっちまえば」いいのです。極論ですが。
>近隣諸国でいうと「戒厳令」状態のようなことです。

明日核戦争が起きて、明後日から北斗の拳の世界だぜ。ですか
どうしてそんな前提で超法規的措置うんぬんとなるのかわかりません。
クーデターが成功すれば確かに法律は無意味ですが、国民が支持するとは思えません。
政府が機能しているなら時代に応じて必要な法律と体制を整備するのが当然でしょう。
現場レベルで超法規的措置はあり得るけど、組織として超法規的措置なんてあり得ないです。
(諜報でこそこそやっているのは公式には無いことになっているし)


集団的自衛権もNATOみたいな多国間での枠組みなら賛成するけど、
現状だとアメリカ軍の下請けになるだけでしょう。

では集団的自衛権推進論者に質問です。
イラクやアフガニスタンでアメリカ兵の代わりに戦死した自衛隊員の遺族や国民に何を言いますか?
自衛隊員が誤って現地人を殺害したら彼らの遺族や政府、日本国民に何を言いますか?

投稿: ハルチャンド | 2014年6月 5日 (木) 12時22分

>ハルチャンド氏

>日本に武力攻撃をする=アメリカと戦う覚悟がある なのだから、
近い将来に日本が武力攻撃を受ける可能性はないと考えています。

アメリカは自国の利益でしか戦争はしません。日本が攻撃を受けたからと
言って、本当に戦うかどうか極めて怪しいです。戦いたくないからこそ
中国に対して圧力をかける。日本には対話と反撃の準備を求める。
日本が速やかに報復可能ならば、中国も簡単には武力を行使できません。
また、日本の為にアメリカに血を流させて、日本は知らん顔できるの
でしょうか。

>泣き寝入りの主体は被害者個人ですか、それとも政府ですか?
まず犯人(加害国)が判らなければどうしようもありません。
判れば国際世論(安保理)に訴えて賠償請求なり制裁なりを行うのでしょう。

日本は国民主権なので、泣き寝入りは被害者個人でもあり政府でもありです。
また、現在の技術ならば、弾道ミサイルが発射した国はほぼ特定できます。

現在の、ウクライナや南シナ海の状況を見れば国際世論に訴えてもさほど
効果はありません。実際にパレスチナにイスラエル軍が空爆して民間人が
死亡しても何ら制裁はありませんが。

>では集団的自衛権推進論者に質問です。

集団的自衛権推進論者ではありませんが、意見を述べます。

自衛隊員が死亡した場合、紛争地帯でなくても、海外PKO活動や災害救助
活動でも死亡する危険性はあります。殉職した場合は「哀悼の意を表します」

自衛隊員が、誤って非戦闘員を殺傷した場合は、「遺憾の意を表します」
日本国民には、事実をそのまま伝えればいいのではないでしょうか。

集団的自衛権があれば、なぜ米軍の下請けになるのか理解できませんので
説明して下さい。

投稿: nagi | 2014年6月 5日 (木) 15時55分

ハルチャンドさん。
法理論としては、為政者が絶対に憲法を守りきれるかというと、SFやマンガのようですが、できないことを捨てきれないんです。
今の政府は、賢明であろうと思われるので、憲法をあえて破るひとはいません。
しかし、国家緊急権については、ずいぶんと前に、内閣内局内で議論されてきていて、現憲法では抜け落ちているとされています。
ありえないこともあるかもしれないということを、内閣でも議論してきた歴史があります。
現実問題としては、ご指摘のとおりですが、あくまでも法理論としての話なのです。
法を作る上では、実務上、考えられることは考えるというのは、当たり前ですから。

OTSUさんのブログなので、ざっくりとしたことは、今朝、下記ブログで書いてます。ご参考までに。
http://yawapan.blog.so-net.ne.jp/2014-06-05

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年6月 5日 (木) 19時26分

相手が先に手を出さないと正当防衛にならんでしょう。
最初の一発(の被害)は正当防衛という名を取る代価です。

イスラエルに対する制裁はアラブやEUが行っていますよ。
他国間での話ですから日本ではあまり話題になりませんね、
残念ながら制裁の効果は乏しいようです。


>また、現在の技術ならば、弾道ミサイルが発射した国はほぼ特定できます。
イージス艦のレーダーですが探知距離は 450kmと言われてますね。
それより内陸から発射されれば発射地点は特定不可能です。


>集団的自衛権があれば、なぜ米軍の下請けになるのか理解できませんので
>説明して下さい。
>日本の為にアメリカに血を流させて、日本は知らん顔できるのでしょうか。

まさしくnagi氏自身が書いているではありませんか。
アメリカが血を流すなら日本も血を流せ。って主張でしょう。

投稿: ハルチャンド | 2014年6月 6日 (金) 12時39分

>ハルチャンド氏

>相手が先に手を出さないと正当防衛にならんでしょう。
最初の一発(の被害)は正当防衛という名を取る代価です。

人間で例えるなら、犯人が発砲するまで待つことになりますが、
いきなりのことで重傷になるかもしれませんね。防弾チョッキが
あれば防げるかもしれません。私には受け入れがたい代価ですね。

>イージス艦のレーダーですが探知距離は 450kmと言われてますね。
それより内陸から発射されれば発射地点は特定不可能です。

技術面での話はよく理解できました。

>まさしくnagi氏自身が書いているではありませんか。
アメリカが血を流すなら日本も血を流せ。って主張でしょう。

これは説明になっていません。私の主張は、自国の安全は自国で守る。
その上で同盟国が参戦することがある。日本が何もせず、アメリカが
単独で日本を守ることはおかしいだろうと申し上げてます。
また、逆の場合、アメリカが攻撃されて、反撃する。それを日本が
同盟国として参戦する。これは下請けではなく対等な関係です。
何もイラクやアフガンに行って、アメリカ軍と並んで戦う必要は
ありません。日本が考えて決断する話でしかありません。

なぜ下請けとお考えになるのか説明して下さい。
お願いします。

投稿: nagi | 2014年6月 6日 (金) 13時42分

法や解釈が「ある」「ない」が問題なのか。
集団的自衛権や9条改正の話を聞くたびに、いつもそう思います。

「ある」でも、それをどう運用するか、要はそこが大事なのではないですか。
「ない」以外は、我が国は平和を維持できないのでしょうか。

必要かどうかの最終判断など、まさにその「時」にならなければ誰も判断できない。
逆に言えば、どんな制度を整えたところで、最後は「その時の判断」で決まることであると言えます。

やられそう・・・・の時点から対応するのか、やられてしまってから対応するか。
そこに大きな違いがあるのでしょうか。国民の命を失う事を、戦争突入のスイッチにするだけの理由があるのか。

これまた逆に言うなら、自衛のための反撃なら許されるって言うけど、それだって結局は戦争じゃないですか。
そもそも、戦争に善悪ってあるんですか?
悪だからこそ、平和を追求するのでしょ?

平和という言葉の意味を究極に考えてみて、争いが起きない環境を築くことこそ平和であると考えるならば、強い抑止力も争いを避ける平和な活動となりませんか。

正当防衛だろうと専守防衛だろうと、戦争は人殺しでしかありません。
国民の命と主権や領土を守るためには、最後の最後には戦争をする以外はないのですから。

やられて反撃するくらいなら、やられないようにする方が、遙かに平和だと思いませんか?

ベトナムやフィリピンが好き勝手やられている原因は何でしょう。
力が無いからです。

日本は弱くない自衛力を持っている上に、アメリカの後ろ盾がある。
だからこそ、あの国は手を出さないだけですよ。

そうでなければ、とっくにあの島は盗られているでしょう。

投稿: 下っ端 | 2014年6月 6日 (金) 23時08分

下っ端さん。
私も同感です。
戦争は人が亡くなってしまい、当事国の経済を、良かれ悪かれ混乱させてしまいます。
無人偵察機や無人攻撃機、巡航ミサイルなど、技術を持っていれば血を流すことはないということも言われていますが、憎しみの最後に狙われるのは人命です。
電子甲冑なんていうものも開発段階にあるそうです。

法は無力です。最悪の場合。
議論しているうちはいいけれども、私は今の議論が、議論のための議論であるようにしか感じることができません。
無力感しかないし、むなしくなります。滑稽にも見えるんです。
遊んでいるようにしか見えないんです。

人命をかけることに、マジは必要だけど、遊びなんかいらない。
もう、そこには、法の世界はありません。倫理の世界です。
日本は世界に向けて、どのような倫理観を持っていると宣言できるのか、たぶん、そこが忘れ去られた議論になっているような気がします。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年6月 7日 (土) 07時09分

追記します。
南沙の当事国であるフィリピンですが、あそこは、政府がきちんとした統治を行えない状態にあります。
人々の生活支援は、地方行政の割合が低く、国内のボランティアネットワークや新興宗教、篤志家によって行われています。
行政官は、賄賂を掴ませないと仕事をしないような国です。
ずいぶんと前に、緑のパスポートで行ったことがありますが、今でもあまり変わらないようだという伝聞情報です。
そのような国だからつけこまれてしまう。
中国は確信犯です。

尖閣ののっとりを中国が行わないのは、日本の統治機構が、なんだかんだいって、しっかりしているからです。彼らから見れば、やはり、世界の日本、大国なのです。
単純にアメリカがバックにいるからとかではないと思います。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年6月 7日 (土) 07時26分

でりしゃすぱんださん

おはようございます。

>どのような倫理観を持っていると宣言できるのか、たぶん、そこが忘れ去られた議論になっているような気がします。

まさにこれこそが、核心であると思います。
集団的自衛権だ平和だ護憲だといった、言葉遊びはいい加減うんざりです。

本質は何か?
まずはそこの確立から始まるのだと感じてます。

フィリピンの件は参考になりました。
ありがとうございます。

投稿: 下っ端 | 2014年6月 7日 (土) 08時59分

nagiさん、立川市民さん、でりしゃすぱんださん、ハルチャンドさん、下っ端さん、コメントありがとうございました。

多面的な視点からのやり取りを拝見でき、たいへん貴重な機会となっています。これから遅くとも日曜夜までに投稿する新規記事を通し、最近のコメント欄に寄せられていた内容のいくつかで私自身から補足すべき点などを綴らせていただくつもりです。ただ直接的な問いかけに対し、網羅できない際は長い目で見てご理解いただければ幸いです。このような対応の仕方が「都合の悪いことはいつも通りスルーですかね」と見られてしまうのかも知れませんが、これまで再三説明してきているコメント欄との距離の置き方になっていますので改めてご容赦ください。

投稿: OTSU | 2014年6月 7日 (土) 21時40分

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