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2014年5月 4日 (日)

憲法記念日に思うこと 2014

税の滞納処分は各自治体で様々な手法が試みられています。その一つに自動車のタイヤロックがあります。文字通りタイヤに専用の器具を取り付け、走行できないようにした保管命令による差押処分です。滞納者の大半はロックを解除するため、納付に至るという効果を上げています。納付できない場合は差し押さえた自動車は公売にかけられ、売却代金が税の未納分に充てられることになります。ちなみにレッカー移動等の実費も滞納者の負担になりますので、くれぐれも滞納されないようご注意ください。

徴税吏員としての職務に励む日常ですが、つい最近、若手職員から「べー・エム・ヴェーって、何ですか?」という質問を受けました。ドイツのBMW社の車の話をしていたつもりでしたが、若い人たちには「ビー・エム・ダブリュー」もしくは「ビー・エム」と呼ばないと意味が通じないことを初めて知りました。いつのまにかドイツ語読みするのは高齢層に限られるようになっていたようです。参考までに職場で周囲の職員にも尋ねてみたところ「べー・エム・ヴェー」が通じるのは概ね40歳以上だったことを確かめてみました。

記事タイトルとは離れた話題から入りましたが、同じような現状を組合活動の中でも改めて気付かなければなりません。当たり前のように組合役員は組合用語を多用していますが、その用語自体の意味が通じていない場合もあることを意識していかなければならないようです。やはり最近、20代前半の女性職員から「春闘って何ですか?」と問いかけられたこともありました。昨年秋の若手組合員との懇談会の中でも共通して示された意見は「組合のことがよく分からない」というものでした。

このような現況の「溝」を少しでも埋めるためにも日常の組合活動を通し、できる限り丁寧な情報伝達のあり方を試行錯誤しています。このブログもその一助に位置付けながら、あまり気負わず地道に続けています。特に平和活動に関する領域は、より大きな「溝」があるように認識しているため、「平和の話、インデックスⅡ」のとおり数多くの記事を投稿してきました。土曜日は憲法記念日でしたが、例年以上にテレビ番組で憲法にちなんだ特集が多かったようです。とりわけ集団的自衛権、憲法第9条の問題が各局の報道番組で取り上げられていました。

これまで当ブログでは「憲法記念日に思うこと」「憲法記念日に思うこと 2009」という記事を綴っていました。読み返してみると「2009」のコメント欄では当時の常連の方々による貴重な意見交換に接することができます。自分自身の考え方は基本的に変わっていませんが、自治労や平和フォーラムが当たり前のように使っている言葉、さらに活動の方向性について足元から検証する必要性を強く感じるようになっています。このような発想はブログを長く続けてきたことによって、染み付いてきた問題意識です。

もっともっと反戦平和の活動に頑張らなければならないと考えている組合員、自治労の平和活動は昔に比べると低下してしまったと嘆く組合員、そのような声があることも承知しています。一方で、平和フォーラムが中心となって進めている運動に対し、疑問や違和感を抱いている組合員が多いことも感じ取っています。先日、組合事務所で副委員長から若い組合員の平和運動への関心の薄さが話題として振られました。

副委員長としては関心の薄さに危機感を持ち、もっとしっかり伝えていかなければという問題意識を表に出した言葉だったようです。それに対し、私からは従来の自治労運動のスタイルをそのまま伝えていけばいくほど、若い組合員と組合執行部との距離が広がってしまいがちな危機感を示していました。副委員長は納得いかない様子でしたが、その場では深い議論に入るような時間もなく、お互い一言二言意見を交わした機会にとどまっていました。

自治労は討論しないという見られ方は不本意なものですので、今後、反戦平和に関する運動のあり方や方向性についてフリーな議論の場を持てればと考えています。なお、私自身は自治労や平和フォーラムの運動方針を支持しています。ただ前述したとおり従来のスタイルには問題意識を持ち、特に若い組合員に理解が広がらないのは伝え方の問題なのか、運動のあり方や基本的な方向性の問題なのか、じっくり吟味しなければならない時機だと思っています。

憲法記念日の夜、内向きな話を気ままに書き進めてきましたが、憲法第9条に絡んだ内容についても少しだけ触れさせていただきます。私が勤務する自治体を舞台に米軍基地拡張に反対した砂川闘争があり、最近、注目を浴びている最高裁の砂川事件判決に至っていました。1959年3月、米軍基地内に侵入した罪を問われた7人の無罪が東京地裁で言い渡されました。米軍の駐留自体を憲法違反とし、裁判長の名前を取り「伊達判決」と呼ばれています。それに対し、検察側は高裁を飛ばして最高裁の判断を求める「跳躍上告」の手続きを取りました。

最高裁は同年12月、一審を破棄し、東京地裁に審理を差し戻した結果、被告全員の有罪(罰金刑)が確定していました。一審判決で駐留米軍が違憲状態となってしまい、混乱を早期決着させたいという政治的な意図が働いた最高裁の判断でした。安倍首相や自民党幹部は、この時の最高裁判決の「自国の平和と安全を維持し、存立を全うするために必要な自衛の措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然」との一文をもって、必要最小限度の集団的自衛権も認めたものだと主張しています。

しかし、その理屈が後付けであることは明らかであり、これまで「必要最小限度の自衛権」の中に集団的自衛権が含まれないことは歴代の自民党政権をはじめ、広く認められてきた憲法第9条の根幹に関わる解釈だったはずです。それが内閣の意思で解釈を変えていく行為は権力を縛るという立憲主義をないがしろにした暴挙だと言わざるを得ません。憲法そのものを変えるためには時間がかかるという理由だとすれば論外な話だと言えます。

私自身、後ほど補足するつもりですが、日本国憲法の「特別さ」は誇るべきものだと考えています。それでも憲法第96条の定めに沿って衆参両院議員の「3分の2以上」の発議があり、憲法改正の国民投票が行なわれた結果、第9条の「特別さ」がなくなってしまうのであれば、それはそれで国民の選択だろうと覚悟しています。そのような必要不可欠な手続きが省かれ、第9条の「特別さ」を削いでいく行為は到底納得できません。

ここまでで充分長い記事となっていますが、まだまだ書き足していかなければ消化不良気味な内容にとどまってしまうのだろうと思っています。前回記事「池田香代子さんの過激な発言」の中で、十把ひとからげに決め付けた属性批判や三段論法から導き出した批判が的外れだった場合、いろいろ問題が生じる点について訴えさせていただきました。いわゆる左、右、立場がどうであろうと留意すべき話だと考えています。

軍事基地や集団的自衛権行使に反対する勢力は「他国の利益のために活動している」という批判を時々耳にしますが、まったく的外れな批判だと言えます。安倍首相は「戦前のような軍国主義の道をめざしている」という批判を時々耳にしますが、やはり的外れな批判だと思っています。安倍首相や自民党の石破幹事長らが「戦争を避けるために抑止力を高める」という説明を重ねていますが、その言葉の真意に偽りはないはずです。

ただし、第9条の「特別さ」を徐々に削ぎながら「普通に戦争ができる国をめざしている」という指摘であれば、決して的外れな批判ではなく、そのような方向性を支持するのかどうかの問題だろうと考えています。ちなみに「憲法第9条さえあれば自国の安全は守れる」と信じている方は少数派ではないでしょうか。つまり立場や基本的な考え方が異なる場合でも偏った見方から生じがちな批判は極力排し、まず相手方の主張に耳を傾けることが大切な心構えだろうと思っています。

そもそも外交の延長線上として宣戦布告さえすれば合法だった戦争は、第2次世界大戦後、国連憲章によって禁止されています。例外として、自衛のためと国連安全保障理事会が認めた場合の戦争だけが合法とみなされています。要するに日本が集団的自衛権の行使に踏み出すことは「普通に戦争ができる国」に直結する話だろうと見ています。来日したオバマ大統領との共同声明に「集団的自衛権の行使の検討を歓迎、支持する」という文言が盛り込まれました。一方で、中国との緊張関係が高まることに対し、アメリカが危惧しているという見方も確かなようです。

最近、石破幹事長は訪問先のワシントンで講演し、集団的自衛権の行使を認める場合、当面はその範囲が限定的なものになるという考えを示していました。最新の世論調査では集団的自衛権の行使に慎重な声のほうが高まっています。このような動きを意識し、当面は限定的と述べているのかも知れません。それでも石破幹事長は、行使を認める具体的なケースを現時点で限定するのは「時代や環境の変化に対応できなくなる場合がある」とし、行使を認めるケースを拡大していく可能性にも触れているようでした。

仮に限定的なケースを議論するのであれば、個別的自衛権の延長線上で是非を判断することも可能であるように考えています。そのほうが憲法第9条の理念を尊重し、国内外に余計な波紋を広げずに済むような気がしています。それでも安倍首相らが集団的自衛権に対してフリーハンドを得たいと考えるのであれば遠回りかも知れませんが、前述したとおり堂々と国民投票の道を選ぶべきではないでしょうか。

たいへん長い記事となっていますが、もう少し続けます。木曜の夜『NEWS23』の中で、アフガニスタンのDDR(武装解除・動員解除・社会復帰)で活躍された伊勢崎賢治さんのことが取り上げられていました。平和国家である日本のイメージは良く、「軍事的下心がない」と認識されるため、武装解除の交渉がスムーズに進んだことが紹介されました。そのため、伊勢崎さんは「憲法9条によるイメージブランディングが失われたら日本の国益の損失だ」と語られていました。

このような一例からも日本国憲法の「特別さ」を積極的にアピールすることの意義は大きく、そのことによって「一国平和主義」と批判されない道も充分開けていくのではないでしょうか。「普通の国」ではないことに引け目を感じるのではなく、国連憲章を上回る徹底した平和主義を掲げた憲法に誇りを持つことが大切な心得だろうと考えています。それこそ文字通りの「積極的平和主義」の方向性であり、憲法第9条を空洞化するような集団的自衛権の行使は真逆な動き方だと思っています。

このような思いを託す取り組みとして、戦争をさせない1000人委員会による安倍首相と衆参両院議長あての全国署名の活動があります。自治労も呼びかけに応じ、現在、私どもの組合では5月16日までを期限とし、組合員一人三筆を目標に署名をお願いしています。解釈改憲による集団的自衛権行使容認に反対し、憲法第9条の理念を活かすことを求めた署名ですが、冒頭に申し上げた現状の中、今のところ提出数はかんばしくありません。この署名のことも念頭にあり、今回のような内容の記事の投稿に至っていました。ぜひ、署名できる機会がある皆さんは一筆でも結構ですからご協力いただければ幸いですので、よろしくお願いします。

今回の記事内容に対し、様々なご意見や批判が寄せられるのかも知れません。いつもお願いしていることですが、いろいろな「答え」を認め合った場として言葉の競い合いができることを望んでいます。普段より相当長い記事となりましたが、さらに補足が必要な点も残されているのかも知れません。そのような場合、次回以降の記事本文を通して書き足していければと考えています。それでは最後に、憲法第9条がノーベル平和賞の候補にノミネートされたという報道を紹介し、今回の記事を終わらせていただきます。

戦争放棄を定めた憲法9条がノーベル平和賞の候補にノミネートされた。ノルウェー・オスロにある選考機関「ノーベル委員会」に推薦状を提出していた「『憲法9条にノーベル平和賞を』実行委員会」(事務局・相模原市南区)に、推薦を受け付けたことを知らせる通知が届いた。改憲論議を憂えた座間市の主婦が始めた活動が共感を呼び、9条の存在は広く世界に知られることになる。英文のメールが届いたのは9日夜。〈ノーベル委員会はあなた方の提案を受け取りました〉「1人では難しかったが、多くの人の協力と知恵でここまでたどり着けた」。2児の母でもある鷹巣直美さん(37)はそう喜ぶ。

昨年1月に始めた署名活動がきっかけだった。「9条に平和賞を」。ツイッターやフェイスブックで賛同者を募り、選考委事務局宛てにメールを送り続けた。選考の仕組みはよく分からなかったが、「いつか目に留めてもらえると思った」。市民団体の間で共感の輪が広がり、実行委が昨夏に発足。候補になるために必要な推薦人も大学教授や平和団体代表ら13人1団体が集まり、2月1日の締め切りまでに推薦文を送ることができた。賞は個人・団体に贈られるため、憲法の条文そのものは対象にはならない。そのため、推薦文には「日本国憲法、特に第9条を今まで保持している日本国民にノーベル平和賞を授与してください」とつづった。

安倍晋三首相は憲法改正に意欲をみせ、国会では集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈の変更が取り沙汰される。「9条の価値が見直されるきっかけになれば」と鷹巣さん。278候補が登録され、受賞者は10月10日に発表される。「もし受賞したら、日本を代表して安倍首相に受け取ってもらいたい」。相模が丘九条の会メンバーで実行委に加わった落合正行さん(81)は言う。「そうすれば、9条に手を加えることなどできなくなる」【神奈川新聞2014年4月11日

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コメント

OTSUさんが珍しく、ご自身の職務についてお書きになっているので、ちょっと考えさせられるものがありました。というか、顔面蒼白でした。いろんな意味で。
まして、徴税権についてお書きになっているのは、まるで、「私は権力を持っているが組合活動の権利もある。みなさんのコメントは自由だ」と記事全体のトーンを作ってしまっているようで、非常に心持ちがよくありません。

いまさらながらですが、私は若くして現業部門の管理職でした。非現部門を内包していたので、非現部門も分かります。また、職員訓練所の教官でもありました。
しかし、自身の職務について、「お客さま」から理不尽だと思われるような行為はしたことがありません。断言できます。まして、そのような主旨の発言をしたこともありません。職員にそのようなことを教えたこともありません。
行政体は公共の福祉を保障するために前向きでなくてはなりません。なぜ、今回の記事のような、徴税権の行使のテクニックをご開陳になさるのか、それを記事冒頭に持ってくるのか、理解に苦しみます。

憲法第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
憲法第29条第2項 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。

徴税権については、憲法上の公共の福祉に反しているから行うのであって、基本、憲法というものは、行政の強権を制限するという原則に立っているという論議がされます。

なぜ、憲法の話をするのに徴税権で自動車のタイヤロックのテクニックのお話をされるのか。
行政体は普段、少なくともこのブログをお読みになっている方々に対しどう思われているのかを考えたとき、それはできないはずです。
記事冒頭部分は全体のトーンを変えます。行政体のテクニックを開陳して、びびらせておいて、憲法の話を展開するというやりかたは公務員労組幹部が書くブログの手法として畢竟千万です。
徴税権の話をするには、なぜそのようなことがまかり通るのか、説明してから本題に入らなくてはなりません。まして、憲法記念日の話題なんです。

反戦平和については、多くの国民のみなさんが、なんとなく分かりたくて、分かりたくないというのが本音のところでしょう。
記事の平和の部分については、他の方からいろんな意見があるでしょうから、私はその部分は今のところするつもりはありませんけれども。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年5月 4日 (日) 08時35分

でりしゃすぱんださん、おはようございます。さっそくコメントありがとうございました。

これまでも職務の話はリンク先にあるとおり時々投稿しています。総論各論的な私自身の問題意識に関しては、お時間がある際、リンク先をご覧いただければ幸いです。今回記事の冒頭にタイヤロックのことを触れたのは「べー・エム・ヴェー」という言葉が若い職員に通じなかったエピソードから組合用語や組合活動の現状について繋げています。第1段落と第2段落は繋がった内容ですが、分かりづらい書き方だったとしたら恐縮です。

いずれにしても、でりしゃすぱんださんのような受けとめ方があり得ることについて、本当に一人ひとりの見方や価値判断が枝分かれしていくことを学ぶ機会となっています。でりしゃすぱんださんを不快にさせてしまったことは確かなようであり、その点については申し訳ありませんが、「私は権力を持っているが組合活動の権利もある。みなさんのコメントは自由だ」というような高飛車な意図が毛頭ないことだけは強調させていただきます。

投稿: OTSU | 2014年5月 4日 (日) 09時09分

職務をしていてBMWをベーエムヴェーとドイツ語読みできない若い職員がいるということだけで記載することだけで、ジェネレーションギャップがある、そのくらいに、問題意識をもつ職員とそうでない職員との差は大きい・・・

と書くだけでよいかと。

タイヤロックは読み手にとっては、ヤクショの強権はすごいんだぞ!と思わせるようにしか読めないし、もし、それをOTSUさん自身で感じておられないのであれば、それはそれで、地方公務員の人っていうのは、もともとそういう権利意識なんだというステレオタイプ的な評価になりかねないですよ・・・

ということです。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年5月 4日 (日) 09時37分

でりしゃすぱんださん、コメントありがとうございました。

一言だけ補足します。若手職員がドイツ語読みできないのではなく、呼称の変遷としてのジェネレーションギャップだったようです。若手職員の皆さんらの名誉(happy01)のためにも一言説明させていただきました。

投稿: OTSU | 2014年5月 4日 (日) 21時40分

OTSUさま、ご無沙汰しています。閲覧はしているのですが・・・。

先日、地域のメーデー集会に参加しました。集会後の催事で司会をされていた若い組合員の方が、『労組』を『ろうくみ』と言い続けており、組合用語というか組合で多用する言葉の読みや意味を伝えきれていないことを感じました。
同時に、自身の若い頃もそうだったなという思い、山口県本部青年女性部が新入・若手組合員向けに作成した小冊子の存在と、この小冊子を活用して青年部のころは学習会をしていたことを思い出しました。

若い組合員に、組合活動の内容を伝える・理解してもらう。これは、ずっと課題となっていますが、大変なことだと思います。自治体職場においても正規採用が抑制され職員は減少=組合員も減少しており、日常業務の遂行に追われ、組合どころじゃないという状況と、活動しても実感できる成果が乏しいこと等による組合への無関心は、私の単組でも強まっています。

平和活動についても『平和であることが一番』ということは、誰しもが共通認識に立てると思いますが、近年の北朝鮮・中国の挑発的な行動、地域紛争など、さまざまな状況が流動的に変化していく中で、これまでどおりの平和活動では多くの理解を得ることは難しいように思います。
個人的には、以前も書き込みしたと思いますが、国・県から権限移譲が進む中、戦争となった場合に、私たち市町の自治体職員が住民を戦地に送り出す職務を担うことになるであろうこと、住民よりも先に、より直接的に戦争に協力する職務を命令されることになるだろうという考え、最悪、そのような状態になったときに職務命令に逆らえないかもしれない、このような考えから戦争のできる国づくりには反対です。

私事ですが、この4月の人事異動により12年ぶりに職場を移動しました。市町の職員の性とはいえ、まったく未経験の業務に携わることとなり、四苦八苦する毎日です。このような人事異動は、ある意味、住民サービスの低下にならないか?などと逆ギレ気味になっています(笑)

長々と書き込み、すいませんでした。

投稿: アンディ・ベム | 2014年5月 5日 (月) 11時08分

アンディ・ベムさん、お久しぶりです。コメントありがとうございました。

今回のテーマに限らず、このブログで扱う題材は必ず幅広い見方や賛否が分かれるものと考えています。そのような意味合いからも、ぜひ、これからもお時間等が許される際、気軽に投稿いただければ幸いです。確かに自治体職員の人事異動は仕事の内容がガラッと変わるため、しばらくたいへんだと思いますがお体には留意されながら頑張ってください。

投稿: OTSU | 2014年5月 5日 (月) 20時47分

最新のでりしゃすぱんださんのコメントと アンディ・ベムさんのコメント、内容は全く異なるのにそれに対して思いついた一言目が同じ言葉になったため、つい書き込みたくなったKEIです。お久しぶりです。
・・・えーと、あなたたち公務員の強権をなんだと思ってるんですか?正当な理由なく、むやみやたらと振りかざすものだと本気でお考えなのですか?

>タイヤロックは読み手にとっては、ヤクショの強権はすごいんだぞ!と思わせるようにしか読めないし、
少なくとも税金を払えるのに払わない悪質滞納者に対しては、そう思わせるべきものかと思います。そういった「強権」を発動させてでも悪質滞納者を減らしていかないと、大勢の普通に税金を納めてくださっている方々に申し訳が立ちません。

>戦争となった場合に、私たち市町の自治体職員が住民を戦地に送り出す職務を担うことになるであろうこと、
このくだり、意味が分かりません。「戦地から疎開させる」とかなら分かるんですけど・・・
住民を戦地に送り出しても足手まといになるだけで被害を拡大させるだけだと思うんですが、それでもそういった命令がまかりとおるだけの「正当な理由」をお伺いしたいのですが?
>住民よりも先に、より直接的に戦争に協力する職務を命令されることになるだろうと
これもどういう職務が想定されるのかお伺いしたいですね。僕は住民の避難誘導ぐらいしか思い浮かびませんでした。

投稿: KEI | 2014年5月 6日 (火) 12時45分

KEIさん。
私は「公共の福祉」という語を使ったはずです。滞納者をかばったわけではありません。
勘違いなさらないでください。このブログを知らない一般ピープルの方が、役所が行うタイヤロックの話を読んだら、公務員の強権というものをご開陳されていると思うのは、ある意味当然です。
私の論点はそこにあるのではなく、なにも、労組内のジェネレーションギャップみたいな話をもってくるのに、本文冒頭にタイヤロックの話を持ち出さなくともよいのではないかと、老婆心ながら言っているだけなのです。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年5月 7日 (水) 07時04分

誰も本文の本題である「平和」の話をされないので、私の思っていることを書きます。

改憲せずに、解釈だけで集団的自衛権を読もうとする動きについては、私は、反対はしませんが、賛成もしません。もう少し、国民に丁寧な説明と意見の醸成が必要なのだろうと思います。

内閣法制局はこれまで、憲法解釈として集団的自衛権は権利として持っているが行使はできないとしていました。
この解釈を変えるわけですから、内閣法制局が、今まで「行使できない」としてきた理由、そして、解釈変更するのであればその理由をわかりやすく国民に納得してもらうようなことをしなければなりません。

基本、法令というものは、時代にマッチしなくなったときは「改正」が行われるというのが常で、その舞台は、立法府である国会が機能しているとされています。
しかしながら、多くの企画立案は政府が行っており、政府側が法案を提出することが大半を占めているのが実態です。
国会は中身に少しケチはつけますが、内容について吟味してこなかったというのが本当のところです。
政府原案にしても、提出前に事前に与党の了解を得るという不思議な伝統が残っているのが実態です。

憲法についても「政府内」である「内閣」法制局が、これまで解釈を担当してきました。
内閣法制局とは、政府の法案を各省庁から集め、内容を細かく(てにをはまで)吟味し、内閣へ提出する「ゲート」のような役割をするセクションです。
そこが、これまで「政府」として、憲法を解釈していたという歴史があります。
もちろん、衆参両院にも、衆議院法制局、参議院法制局があります。

防衛省も政府内にあるわけですから、実質、法解釈を担当している内閣法制局が「ウン」と言わなければ、なにもできないということになっているのは確かです。

反戦平和の主旨はわかります。また、迫りくる他国からの武力の危機もわかります。
集団的自衛権や、隣接する警察権の解釈もわかります。
わかるけど、矛盾しているんです。だいたい、国民大多数がありがたがっている憲法自体が、当時の法律の「作り方」と異なった文体でつくられており、解釈に幅があるのも確かなんです。ひどい個所になると、これが日本語として法としてどうなのかあやしいとされている部分もあるのです。

だからといって、立法そのものがおかしいと言っている「活動家」のみなさんが、法令スレスレや完全アウトの活動を行っていたり、「認められている」からといって、旗振って大声あげたりするのを私は現代社会ではあまり好ましいものではないと思っています。

OTSUさんがおっしゃっているとおり、現代は、特にコミュニケーションの手段が高まったことにより「多様性」の社会が作られています。これは、昔のように世論操作して統一していこうとすることのむずかしい社会であるということでもあります。
政府や各行政体がきちんと説明しなければ、国民・住民は納得できないような、為政者側からすれば「こむずかしい」時代になった。
マイナンバーもあれほど「国民総背番号制が反対!」と叫んでいたのに、あっさり通ってしまうような世の中でもあります。国民が納得すればできることもあるといったよい例だと思います。

だから、内閣法制局をブレーンにして、改憲必至ならば、改憲する。できないならできない。集団的自衛権行使の有無、解釈変更の是非、もう少し政府でまともな説明をしてほしいなぁと思うこのごろです。
それをそうだね!いやだめだ!というのは私たちなんですから。

投稿: | 2014年5月 7日 (水) 07時46分

失礼!
投稿: | 2014年5月 7日 (水) 07時46分
の記事は、でりしゃすぱんだが書きました。署名を忘れました。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年5月 7日 (水) 07時48分

メーデーを見ていて思うのだが、それほど企業のやり方に不満があるのならば

そして、それほどの結束力と行動力があるのならば、自分たちで、理想的な
会社を興し経営し、それを世界に見せつけてみたらどうだろうか。

子供の時からの一番不思議に思うことがらです。

有能な人物がたくさんいるのだから、ホワイト企業を作って
労働者の為の会社ですとアピールするのがもっともわかりやすいであろう。

>でりしゃすぱんだ氏

>だからといって、立法そのものがおかしいと言っている「活動家」のみなさんが、法令スレスレや完全アウトの活動を行っていたり、「認められている」からといって、旗振って大声あげたりするのを私は現代社会ではあまり好ましいものではないと思っています。

まったくもって同感です。

投稿: nagi | 2014年5月 7日 (水) 14時57分

毎度話題がきな臭く?なる、と思い出したように出没する私、参上(笑)


どう思うかは各人の判断ですが、「解釈改憲」にはこういう見方もあるということで


   ・解釈改憲という事であれば憲法の条文と矛盾する部分があるはずですが、それは第何条が該当しますか?
    というか、そもそも自衛権を否定した条文って何処ですか?

   ・サンフランシスコ講和条約以後、日本は集団的自衛権行使の結果として日米安全保障条約を締結しています。
    また国連自体が集団的自衛権の具現化です。
    よって原状の憲法解釈は「集団的自衛権の行使は可能」であり、1960年以降に「解釈改憲」がなされた事に
    なりますが、上記を容認しますか?
     容認する場合、今回の「解釈改憲」のみを行為として問題視するのはどのような根拠ですか?
     容認しない場合、憲法解釈は原状回復するのが正しいですが賛成しますよね?

   ・憲法第98条2項「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」
    を尊重するのであれば、現在の解釈の方が違憲性が高いと思われますがどうでしょう?


正直法解釈変更レベルの話を大上段に「解釈改憲だ!」と騒ぐのは、却って墓穴を掘ってる様にしか思えません。

もっとちゃんとした論立てしないと、運動にとってどこぞのブーメラン政党の二の舞になる気がします。
まあ似たもの同士だから仕方無いのかもしれませんが…

投稿: どうでしょう | 2014年5月 7日 (水) 17時56分

KEIさんへのレスです。遅くなり申し訳ありません。

私の書き込みは、戦争となった場合、徴兵制や国家総動員法的なものが布されることを前提としています。

年齢・住所など住民の情報を一番持っている、管理しているのは市町村です。徴兵制がしかれたとき、市町村の職員が召集の業務を行う=戦地へ住民を送り出す、このような意味合いでの書き込みです。「正当な理由」=徴兵制と考えていただければ結構です。

より直接的に戦争に協力する、というのは、戦争となった場合、私は「住民よりも先に公務員が戦争に行くべき」という考えが出たからです。具体的な職務というのは、正直、浮かんでいません。

私の拙い書き込みのため、ご迷惑をおかけしました。あわせて、公務員の強権を理由もなく振りかざして良いとは考えていないことも、書き加えさせていただきます。

投稿: アンディ・ベム | 2014年5月 7日 (水) 21時36分

解釈を変えるとか、9条を変えるとか。
「そこ」なんですかね。

憲法などで縛りがなければ、平和って維持できないのか。
まるで、日本は侵略する国民性があり、武装したらすぐに周辺国に軍事行動を起こしてしまう。
だから、そうならないように憲法で縛っているんだ。と、自ら自虐しているように聞こえます。

集団的自衛権も行使出来ます。軍隊も保持しています。でも、世界的に平和な国家であると認められている国なんて、いくらでもあるのでは?
仮に世界最強の軍事力を保持していても、どこまでも平和を愛して軍事力など全く使わない。
そんな姿こそ、理想的な平和国家ではないですか。

要は、その「国」が真にどうであるのか。
大事なのは「そこ」なのではないですか。

そういった意味では、過去の侵略戦争のことも含めて、しっかり事実を伝えながら平和について教育を行うことは大切かもしれません。
そのための「反戦」は大いにいいのではないですか?

いつも言いますが、国会議員を選んでいるのは国民ですから。
その国民が選んだ政党が過半数を大幅に超えている事実をもって、信任を与えている自覚を持たなければいけないのは国民です。

改憲=本当に戦争に向かっている。
飛躍し過ぎだと思いますが、本当にそっちへ向かっているのであれば・・・・・・
与党の改憲についてどうこう言う前に、与党を選んでいる国民こそが考えなくてはいけないのではないでしょうか。

投稿: 下っ端 | 2014年5月 7日 (水) 21時55分

下っ端さん。みなさん。
将来の為政者が、悪事を起こさないように、政府の行動を抑制するような構成に憲法はなっています。
線前の日本は、悪事を働いたとされていますからね。敗戦国ですから。
たとえば、「公共の福祉」。よく、役所の企画部門ではこの言葉が飛び交っています。けっこう、法案を作るときに、これがやっかいだったりするんですね。
また、憲法を議論するときに、国民の意見醸成を必要としているのも日本国憲法の「トラップ」として、しかけてあります。
議論することは結構なことだと思います。とくに現代はネット社会になりましたから。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年5月 7日 (水) 23時38分

>下っ端氏

>まるで、日本は侵略する国民性があり、武装したらすぐに周辺国に軍事行動を起こしてしまう。
だから、そうならないように憲法で縛っているんだ。と、自ら自虐しているように聞こえます。

まさに、この内容ですね。平和主義者の主張は。最近よく聞く「普通に戦争できる国」も
同じような意味合いです。ただただ恐怖を覚えるようなフレーズです。

>でりしゃすぱんだ氏

>また、憲法を議論するときに、国民の意見醸成を必要としているのも日本国憲法の「トラップ」として、しかけてあります。

今までの日本では、議論することすら悪との風潮がありました。また偏見に満ちた
自称知識人や有識者によって、憲法改悪との言葉により、妨害をうけてきました。
戦争するかしないかは、常に国民が決めることであり、憲法が決めることではないと
私は考えます。

すでに、韓国や中国の侵略により、日本の豊かな漁場が侵されています。
実際に被害がでています。相手は日本が何もできないと、あざ笑うように
挑発を繰り返してます。

本文でノーベル平和賞について出ていましたが、受賞者の中にはPLOの
アラファト議長やオバマ大統領などもいますし、最近まではプーチン大統領も
候補に挙がっていたとか。

いっそのこと神社でお札をもらうより、憲法9条の条文を玄関にでも
貼っておくほうが効能があるのかもしれませんね。

投稿: nagi | 2014年5月 8日 (木) 08時53分

書き込み失礼します。
いい加減リベラルの方々は徴兵制を使って恐怖を煽るやり方はやめたほうがいいと思いますね。
四方を海に囲まれ、海上と航空戦力主体の日本の現状において、徴兵制は無意味どころか国防力を衰退させるだけにしかならないなんて、軍事にすこし詳しい人からすれば常識ですよ。海や空で素人に毛の生えた程度の人間なんて何の役にも立たないのは簡単に想像できるでしょ?
主要先進国においては徴兵制はすでに廃止済みか廃止の方向に進んでいるのは人権意識から来るのではなくコストの問題です。ぶっちゃけ、徴兵制やるくらいならその金で無人兵器、所謂殺人ロボット作ったほうが安上がりって時代になってることを理解しないとだめですよ。

投稿: だん | 2014年5月 8日 (木) 10時05分

中国とベトナムが南シナ海上で、非常に緊迫した状況になりつつあります。
また同時に、中国とフィリピンも緊迫していますね。

これが、日本と中国なら、平和団体が躍起になって日本を非難するのでしょうが、
今回は迂闊な発言をして日本に利益があると困るので、完全スルーするでしょう。

特に日本を代表し、北東アジア圏の平和、そして地球規模で考え行動する団体。
絶対に紛争や戦争を反対し、日本の戦力の完全放棄を求める団体。
平和フォーラムは完全に沈黙すると思うので、みなさん注目してください。


投稿: nagi | 2014年5月 8日 (木) 16時24分

だんさんに今日書こうと思ってたことをほとんど書かれてしまった・・・でも書きます。

>「正当な理由」=徴兵制と考えていただければ結構です。
自称「平和主義者」の方々って「徴兵制」好きですよねー。デマで誘導しようとするのも大概にせえよと思いますが。
徴兵制を敷くにしたって、そのための「正当な理由」と、後押しする「民意」が必要なんですよ?
「正当な理由」が無いことはだんさんが解説してくださったとおりです。「民意」・・・ホントに取れると思いますか?

>戦争となった場合、私は「住民よりも先に公務員が戦争に行くべき」という考えが出たからです。
「戦争」をするのは軍事のプロである自衛隊の仕事だと思いますけどー?素人であるヤクショの人間が出しゃばって何をするんですか?
前にも書きましたが避難誘導ならわかるんですよ?災害対策に準じた対応を取ればいいだけですからね。

>でりしゃすぱんださん
ごめんなさい。直前だけでなくさらに前の全コメントを読めば無理筋な批判かなとは思ったのですが、諸事情により「思いつき」を優先しました。
ただ、OTSUさんのブログだと冒頭と本題とが関係ないなんて事はザラにあるので、「記事冒頭部分は全体のトーンを変えます。」ってのがいまいちピンときてなかった所があったのと、ヤクショの人間として「やらなくて済むんなら滞納処分なんかやりたかないよ」という思いがあり、提示された「誤解」との落差が大きかったのとが今回の「思いつき」につながったところです。
なお、でりしゃすぱんださんの「論点」に対しては特に異論はありません。「徴税権の話をするには、なぜそのようなことがまかり通るのか、説明してから本題に入らなくてはなりません。」または、いらぬ誤解を招かないようそもそも徴税権の話をしないか・・・適切な文章の追求ってのは、奥が深いですねえ・・・

投稿: KEI | 2014年5月 8日 (木) 22時49分

KEIさん、でりしゃすぱんださん、nagiさん、どうでしょうさん、アンディ・ベムさん、下っ端さん、だんさん、コメントありがとうございました。

新規記事のタイトルは「もう少し集団的自衛権の話」を予定しています。このコメント欄に寄せられた問いかけや論点に対し、すべて網羅できないものと思いますが、ぜひ、またご訪問いただければ幸いです。

投稿: OTSU | 2014年5月10日 (土) 20時36分

KEIさん。みなさん。
私は、ヤクニンドロップアウトの人間として、やはり、少し、一般ピープルの方々に対しては、丁寧な説明であることが大切だと思っています。
現在はゆえあって、障がいを持つようになりましたが、地元の市には、惜しみなく経験を生かした提言をし、会議委員の委嘱を受けるまでになっています。
地公体の苦労は、痛いほどわかりますが、企画不足と思えることも事実です。
地方吏員諸氏には、思いっきり楽しく仕事してほしいし、本市懸案の職場環境改善も提言していくつもりです。職員が世間体にまかせ、いつまでも委縮するような、地公体であってはならないと考えています。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年5月10日 (土) 22時54分

でりしゃすぱんださん、いつもコメントありがとうございます。

このブログでも、実生活でも丁寧な説明を尽くすように心がけています。ただ完璧な人間ではありませんので、拙さから不充分な点も多々あろうかと思います。一方で、でりしゃすぱんださんのモノサシと私自身のモノサシが、たいへん恐縮ながら違う場合があることも、ぜひ、ご理解ご容赦くださるようよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2014年5月11日 (日) 00時34分

OTSUさん。
モノサシが違うからいいのです。よいものを作り出すには、いろんな視点が必要。
ただ、モノサシじゃなくて、木刀やドリルを持ち出しては議論にはなりません。
品のある多様性を認めることは、私は、大変良いことだと思っています。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年5月11日 (日) 06時59分

でりしゃすぱんださん、おはようございます。コメントありがとうございました。

ご指摘のとおりです。自分自身のモノサシとは異なる幅広いご意見に触れられる場として、たいへん貴重な機会だといつも考えています。ぜひ、これからもよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2014年5月11日 (日) 07時08分

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