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2014年5月11日 (日)

もう少し集団的自衛権の話

機能を役立たせていないのですが、このブログのカテゴリーは「日記・コラム・つぶやき」としています。週1回の更新ですので日記というよりも「週記」となっていますが、その時々の日常における雑感を記事の冒頭に書き込むスタイルを定着させています。本題に入る前の伏線的な前置きとしている場合もありますが、記事タイトルとは無関係な話も少なくありません。

前回の記事「憲法記念日に思うこと 2014」では滞納処分の話から入っていました。本題に向けたエピソードだったつもりでしたが、その入り方に強い違和感を示されたコメントが寄せられていました。おかげ様で本当に一人ひとりの受けとめ方や価値判断が枝分かれしていくことを学ぶ機会となっています。いずれにしても私からのレスを通し、決して権力を振りかざすような意図が毛頭ないことだけは取り急ぎ強調させていただきました。

これまでも時々、徴税吏員としての職務の話も投稿してきました。今回、久しぶりに徴税の仕事に絡んだ内容を書き込むことも考えましたが、記事タイトルのとおり「もう少し集団的自衛権の話」を続けさせていただきます。まず土曜の朝、読売新聞の第2面の見出し「集団自衛権 野党議連が容認 解釈変更 政府に追い風」が目に留まりました。見出しの横の写真には、会議の中央で挨拶している民主党衆院議員の長島昭久さんが写っていました。

長島さんは私どもの組合も推薦している地元選挙区の代議士で、このブログで何回も登場しています。最近の記事では「外交・安全保障のリアリズム」や「平和の話、インデックスⅡ」などがあります。当該の読売新聞の記事はネット上で見つからないため、著作権の問題からもそのまま紹介することは避けなければなりません。同じ内容を報道した産経新聞の記事はネット上で公開されていましたので、引用元を示した上、原文をそのまま紹介させていただきます。

民主、日本維新、みんな、結い各党の有志議員による勉強会「外交・安全保障政策研究会」(会長・長島昭久元防衛副大臣=民主)は9日、憲法解釈の変更による集団的自衛権行使を限定的に容認する指針をまとめた。勉強会には保守系議員が多く、安倍晋三政権が目指す方向性に沿った内容となった。指針では「個別的自衛権、集団的自衛権の別を問わず、自衛権は、合理的に必要な範囲内(必要最小限度の範囲内)で行使すべき」とし、「アジア太平洋地域を中心とする周辺事態」「エネルギー資源の輸入のためのシーレーン(海上交通路)」などを行使の対象に挙げた。今国会中に安全保障基本法を議員立法で提出することを目指す。行使の要件には「わが国またはわが国と密接な国に対する急迫不正の侵害がある」「わが国の平和と安全に重大な影響を与える事態」など5つを掲げた。【産経新聞2014年5月9日

もともと私どもの組合の方針と長島さんの安全保障に関する考え方がすべて一致している訳ではありません。現在のような社会政治情勢の中、組合方針の大半が一致できる推薦議員は極めて限られ、大きな方向性が合致した上で、基本的な信頼関係が築けるかどうかが大事な時代になっているものと思っています。ただ読売新聞の「解釈変更 政府に追い風」という見方が正しいようであれば、大きな方向性でのギャップも否めません。

そもそも集団的自衛権の解釈見直しに慎重な見解を示している民主党の方針とも相容れない話となります。長島さんと意見交換できる機会があれば、いろいろ尋ねたいことが頭の中を巡っていました。一方で、読売新聞や産経新聞の記事の中味に書かれている「個別的自衛権、集団的自衛権の別を問わず、自衛権は合理的に必要な範囲内(必要最小限度の範囲内)で行使すべき」という指針にも注目していました。

前回の記事の中で「仮に限定的なケースを議論するのであれば、個別的自衛権の延長線上で是非を判断することも可能であるように考えています」と記していましたが、その文脈に相通じる論点を感じ取っていました。例えば刑法上、正当防衛や緊急避難という定義があります。差し迫っている侵害が第三者に向けられていた際、その第三者を助ける行為でも正当防衛は成立します。このような概念のもとの議論であれば、憲法第9条の理念の空洞化に歯止めをかけることができ、国内外に余計な波紋を広げずに済むような気がしています。

さらに産経新聞の続報となる報道によれば、長島さんが「解釈改憲ではなく自衛権の再定義と表現したことで民主党見解の範囲内」と説明していることも分かりました。このように整理していくと、長島さんからは「読売新聞の見出しの付け方は正確ではない」という釈明が加えられるのかも知れません。いずれにしても個別的自衛権から踏み出し、フリーハンドで集団的自衛権の行使まで容認することは日本国憲法の平和主義を捨て去る局面だと考えています。

加えて、その時々の内閣の意思で憲法の根幹を解釈で変えていく行為は権力を縛るという立憲主義をないがしろにした暴挙だと言えます。前回の記事を通し、訴えていた私自身の最も強い問題意識はその点でした。すると下記の報道のとおり自民党内からも同様な声が上がっていました。それも自民党三役である野田聖子総務会長からの問題提起でした。このような批判意見が自民党内からも示されたことについて少し安堵しています。ぜひとも今後、憲法第9条の「特別さ」を忘れず、より「必要最小限度の自衛権」に立ち返った議論が幅広い層で進むことを強く願っています。

自民党の野田聖子総務会長が八日発売の月刊誌「世界」(岩波書店)のインタビューで、集団的自衛権の憲法解釈を変更する閣議決定に関し、拙速に議論を進めれば党の了承は得られないとの認識を示していることが分かった。「閣議決定は党内手続きなしにはできない。全会一致が原則の総務会を通ることはできないだろう」と述べた。野田氏は、安倍晋三首相(党総裁)直属機関での集団的自衛権をめぐる党内論議について「(憲法解釈変更を)進めたい側のプレゼンテーションだ」と批判。「これから反対する側の意見を聞くことになる」と述べた。憲法改正でなく、解釈変更を目指す手法に関し「違う政党の政権になった時にまた解釈を変えることが可能になる。政策の安定性がなくなるのではないか」と指摘。「人を殺す、殺されるかもしれないというリアリズムを語るべきだ」と注文を付けた。【東京新聞2014年5月8日

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コメント

野田聖子さんが、自民党総務会長としてそうおっしゃられるのは、私は、日本の「良心」というのは、まだまだ捨てたものではないなと思いました。
長島昭久さんは、もともと自民の秘書だった人なので、民主の中でも、かなりライトサイドな方であったと記憶しています。党内バラバラなので、こういった行動も許されてしまうのでしょうね。

改憲・解釈変更については、まだまだ、議論不十分であるとの認識は、OTSUさんの前回記事のコメントをしたところです。
正直言って、解釈変更!というモジヅラだけが先行しているように見えます。中身についての深いところは、あまり世の中に出ていないような気がします。
その証拠に、NHKの報道で、憲法解釈や改憲にYesと答えている人が少ないというデータが出ているというものがありました。NHKは1年前に比べ、憲法解釈や改憲に慎重にみている人が増えていると言いたげなNHKの姿勢を批判したいと思いますが、冷静に見ると、1年で世論がコロコロ変わってしまうような、そういったある種の「雰囲気」だけしか、国民に伝わっていないのではないかと思うのです。

私自身、今回の憲法解釈騒動に相当の知識を仕入れているかというと、そうではありません。市の会議に出席するために国勢調査を調べて分析しているというのがやっとですし、まして、一般のお勤めになられている方では、そうは、勉強されてはいないでしょう。
どうしても、新聞・Web上のニュースソースと憲法本文を国のデータベースから引っ張ってくることくらいしかできない。
まだ、立場・・・というか、どんな突っ込んだ議論が実際に行われているのかもよく分からないし、見えてこない。アンテナを高く上げているつもりではあるんですけれども。

これじゃ、国民の意識がコロコロ変わってしまうのも納得できる。国民がよく分かっていないのに、議員さんや法制局や有識者会議の議論の結果だけ見せられて、「おまえら納得しろ!」って言われても、困ってしまう。

やはり、そういった状態と言うのは、眉をひそめる状態であって、とにかく、国民の意見醸成をしていかなければ困る。現政権はぜひそれをやってほしいし、こういう機会なのですから、反対派も「9条堅持!」なんて旗振ってないで、そう主張するのはなぜなのか、ステレオタイプ的ではなく、どうどうと説明してほしいものです。

まぁ、自民の改憲素案を見たことがありますが、あれではむちゃくちゃすぎるんで。到底納得できるシロモノではないんですけどね。突っ込みどころ多すぎて。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年5月11日 (日) 08時11分

でりしゃすぱんださん、コメントありがとうございました。

より適切な判断に近付くためにも、幅広い見方や情報に触れていく大切さをいつも感じています。その意味で、このコメント欄は私自身にとってたいへん貴重な場になっています。さらに不特定多数の方々に対し、少しでも「なるほど」と思っていただけるような言葉を探す鍛錬の場だとも考えています。ぜひ、これからもお時間等が許される限り、でりしゃすぱんださんの博識ぶりをお示しいただければ幸いですのでよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2014年5月11日 (日) 22時00分

OTSUさん。
博識と言われても困ります。ただの官僚崩れの障がい者が、公開情報を頼りに、自分の中の世界で理解している「つもり」になっているだけなのかもしれませんから。
よく、他人から、病人ではないのではないかという指摘は受けます。でも、実態は、今日も昼間、耐えられなくて寝ていたほどなので、社会復帰できない状態ではあります。
まだまだ、クスリの投与が安定できなくて、先日もクスリの調整が行われたばかりです。

一般の人がわかりにくいことを簡単な言葉にして伝えるのが、目下の使命だと考えていて、わからないことはわからないとはっきり言うことが大切だと思っています。
ただし、議論や、周りの動きなんかは注意して見てます。ここのコメント欄でいうと、名指しになっちゃいますがnagiさんとか下っ端さんなどの意見は参考にさせてもらっていますし、触発されることが多いです。

考えることや興味は国際問題、国政から地方のあり方、町内会、金融経済の問題、雇用の問題、学問の世界、電子機器、タマネギの値段に至るまで幅広いですが、要はパワーバランスでこの世の中は成り立っているので、どこで自分の提言なり発言が影響してしまうのか、よく考えながら発言しているようにしてます。

だから、まぁ、体よく言えばヤジウマなのであって、私自身、博識ではないと思っています。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年5月11日 (日) 23時01分

いろんな問題が二律背反してますが、解決できるのでしょうか。
ゴミを処理しなければならないが、環境が悪くなるからゴミ焼却施設は嫌だ。
戦争は反対だが、領土領海の安全は守りたい。
原発は反対だが、電気料金が上がるのは反対だ。

利害が単純でも複雑でも対立する構図は変わらない。さて解決する手立ては
存在するのでしょうか。

投稿: nagi | 2014年5月12日 (月) 12時50分

率直な疑問ですが、ひさしぶりに平和の話インデックスⅡを参照していたの
ですが、この平和の話題だけでも9年前から、本文にあがってるわけです。

当時と比べて、テロを除いても、世界の各地で国家間の緊張が高まる状況に
ありますね。

平和を希求する方々は、今の平和運動と自称する活動で、一歩でもその目的方向に
進んでると思われているのでしょうか。私にはより深い軋轢を生産、再生産してる
ようにしか見えません。
戦争の原因は多種あれ、基本的には利害対決と相互不信につきます。
平和団体が、その活動で、他者との相互不信を解決できないような状況で
戦争をさせないとどれほど力説しても、それは一方的な弾圧を行う某国政府の
ような姿勢にしか見えません。

投稿: nagi | 2014年5月14日 (水) 09時39分

平和主義者の方々は、外国と紛争があれば、国連やあるいは国際世論に
訴えると主張されますが、今のウクライナ問題を見れば、それが空論で
あることはよく理解できると思います。

国連も国際世論も何の役にもたちません。南シナ海でベトナムの排他的
経済水域で起こっている中国の横暴にもなんら対処しない。

結局、自国の軍事力に頼らなければ、一方的に現状を変更されてしまう。

日本の近域で、これほどの危険な状況が発現してるのに、まだ平和ボケ
してるのでしょうか。日本が憲法を改正したら、日本が他国を侵略するとの
妄言を信じるのでしょうか。
日本の平和を維持しようとすることが、どうして「普通に戦争できる国」と
表現されるのか不明です。正しくは「普通に自国の平和を維持できる国」で
しかありません。

平和主義者の方々は、日頃している平和活動と自称する行為で、今の中越紛争を
解決する具体的な提言をしてはいかがでしょうか。

投稿: nagi | 2014年5月14日 (水) 19時13分

フリーハンドで集団的自衛権にはわたしも懸念は強く、必要最低限のケース
に限られるべきですし、憲法の理念と大きな乖離があり憲法改正があるべき
方向性と考えていますが、そうもいってはいられない1国では自国を守れない
切迫した状況にあるためにやむを得ずの動きなのだと推察しています。
ただ、やはり民主主義の国なのですから国民一般にはもっとそこを説明しない
といけない。政府や総理にはそこを逃げずに頑張って欲しいと思います。

一方、外交は話し合いを尽くせば平和は守れるという憲法9条信者には失望
しています。そういう自称:平和主義者限って理解できない言葉を弄したり、
まじめな質疑に応じないように感じています。
「十問一答」という表現がありましたが「十問零答」になっていませんか。

投稿: たろう | 2014年5月14日 (水) 22時37分

そういえば、かつて大日本帝国憲法も「不磨の大典」として改変できなかったと
話に聞いたことがありますが、

>ぜひとも今後、憲法第9条の「特別さ」を忘れず、より「必要最小限度の自衛権」に立ち返った議論が幅広い層で進むことを強く願っています。

日本国憲法も同じ道を進んでいくのかなあと不安を感じます。

どの条文であれ、それが条文以上の特別な意味や存在になることに忌避感しか
覚えません。もし憲法第9条が本当に特別な存在ならば、その内、私のように
周辺国とのバランスを保つために、兵器の充実や国軍の創設を発言すると
「特別な」憲法9条に反する犯罪者として投獄されたりしないか不安に
なりますね。

投稿: nagi | 2014年5月15日 (木) 17時59分

平和フォーラムが今日も平常運転ですね。世界中でこれほど紛争が発生し
国家間での緊張が高まってるのに。少しは平和活動をすればと思うのですが
彼らの目には映らないようですね。

平和フォーラムの主張によると、国を守ることにより個人の死が何ら言及されない。との
ことですが、このまま平和フォーラムの言い分のみで国の行方を決めると、憲法を
守ることにより個人の死が何ら言及されないことになりそうですね。
このようなこと書くと、OTSU氏から最低限の自衛権は認めているとお叱りをうけそう
ですが、平和活動家の方々は違法な活動もするし、それを止めるような行動も
しないので、実質、平和運動の為なら違法行為も問題ないと見えます。

つまり憲法を守るために、改正派を投獄したり殺害したりもやりかねない可能性が
あります。まさに平和の為なら殺人もしかたない。

投稿: nagi | 2014年5月16日 (金) 10時33分

国際紛争が無人兵器によって行われるかもしれない世の中にあって、マシンを作ってつぶし合いをするだけの戦争になるような近未来感を私は持っていますが、そもそも戦争・戦闘とは何かということから定義しなおさなくちゃならないような気もします。

戦争が合法的な殺人であるという論も見受けるのですが、ミサイルや無人爆撃機、サイバー攻撃などのマシンが主だった戦闘機能であるようなことも、これからの時代、起こりうるのかなと思っています。
マシンの相手は人命ではなくマシンかもしれない。人命は「人質」以上の意味はないかもしれなくなる。最終的な実害は人命ということなのでしょうが。
材料とエネルギーとテクノロジーがあれば戦闘能力が持てるような様相を近未来的に帯びてきている。テクノロジーの暴走が始まるかもしれませんね。

さておき、私はセイコNさんが言うように、首相が憲法の解釈をするのであれば、政権によって(それが、現政権の延長上にあっても)異なっても構わないということになりかねないということには、非常に共感します。
また、各メディアで、改憲・解釈変更についてのアンケ結果が出ていますが、どうも一定の数字にならない。すごく数値の広がりがある。
アンケの調査方法にも起因しているのだと感じていますが、質問の順番を変えるだけで、数値は違ってきますからね。

憲法解釈の問題については、もう少しこなれないと、こういったブログのような場では話をしにくいかもしれません。
OTSUさんのブログ上のことなので、もっと活発な意見交換があると期待していたのですが。

法制懇がおととい出したものを読みましたが、かなりシンゾーカラーがでていてアヤシイとしかいいようがないシロモノであって、国民の意識醸成に貢献するかどうかよくわからないものであると考えています。
公明さんのいうように、警察権で片づけられる問題もあるのでしょうが、法制懇がなにもそこまで踏み込まなくても・・・というのと、首相の考え方を、専門家が補強してどうするんだろうなということではあったかと思います。
結論ありきだったんですかね。それじゃ、国民は納得しないんで。もっとわかりやすくしてほしいなと思います。納得できるようにしてもらいたい。
なんなら、郵政解散の時みたいに、国民に問うてみてもいいかもしれませんね。ま、それこそ政権が憲法解釈をする「裏付け」となってしまうわけですけどね。

個人的には、法の条文解釈は時代によって違うことはあるのは知っていますが、2度3度、解釈が変えることができる法ってそんなにないような気がします。まして、憲法なんで。拡大解釈はできるにしても、解釈を「変更」するって、あまりありませんからね。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年5月17日 (土) 08時08分

武田邦彦さんのホムペでとある記事を読みました。私はあまりこの先生は
好きではないのですが。

>http://takedanet.com/2014/04/post_5984.html

この記事にあるように、「事実」と「論点」は明確にしたいと常に思います。
結論の違いはしかたないです。(笑)

投稿: nagi | 2014年5月17日 (土) 09時48分

でりしゃすぱんださん、nagiさん、たろうさん、コメントありがとうございました。

nagiさんがご紹介くださった武田邦彦さんの言葉、まったくその通りだと思っています。せっかくの機会ですので、武田さんが提起された趣旨が分かる箇所を下記に掲げさせていただきました。そして、いろいろな「答え」を認め合った場として、このブログでもお願いしてきた思いと共通する心構えだと理解しています。きっと今日か明日に投稿する新規記事も様々な評価や批判を受けるものと思いますが、ぜひ、あえて他者を侮蔑するような言葉は避けることを意識し合った意見交換ができることを強く願っています。

>現在の日本は、「事実」や「論点」がおろそかにされ、「結論」だけを急ぎ、さらに「結論」が人と違うと「自分が正しい」とする風潮が蔓延している。すこし表現が悪いが、あまり根拠を言わずにバッシングする人を見ると「あなた、神様?」と言いたくなることがある。

>人間は誰も素晴らしい。だから「自分と考えが違う」というのは決して「その人が間違っている」ということではない。自分が間違っているのとその人が間違っているのは半々の可能性がある。

>できれば日本人が事実を共有し、論点を整理し、そしてお互いの意見の相違を尊重するようになってほしい、そんな社会に住みたいと思っている。

投稿: OTSU | 2014年5月17日 (土) 21時26分

科学的な論証考察は、日本人は不得手ですので。
論をすりかえたりすることもありますよ。なんで、そっちのほうで議論してんの?みたいな。
日常茶飯事ってことですかね。

「なんで」憲法解釈変更なのか、その「なんで」が聞きたいのですよね。
「今まではどうだったのか」ここもたぶん国民に示さなくちゃならない。

このへんが「事実」と「論点」なんでしょうかね。総論としてはですけど。各論はもっと細かいですが。

私が改憲や憲法解釈変更について、良い悪いを書かないことに、いらだっている閲覧者さんもいるでしょうね。
私はもっと「議論」が必要で、国民の「意見醸成」が必要だとしか言っていない。
それと、「結果」だけ見せられて「お前ら納得しろ」的なことも認めたくありません。難しく言えば「既成事実の追認」ってやつです。
納得させるんだったら、材料出してみろ!というのが今のところの私の立ち位置です。
あんまり、この辺のこなれた「材料」は、まだ出てきてない。
ま、私が今の時点でよいことだと思っているのは、かなり自公でもまなくちゃ通せないことが予想されることですかね。政府と与党では、少し方向性が違っているように見えます。

私自身は、あまり、論理的な言葉をなるべく選ばないというクセがあるので、かんたんな言葉でわかりやすくというのが書き手としてのポリシーだったりするんですけどね。
和語はいろんなふうに読めるんで、読み手に誤解されたりしますけれども。
ま、これは余談っていうことで。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年5月17日 (土) 23時11分

ご無沙汰しております。その間に報道が先行してしまい、ご心配をおかけしてしまいました。国の安全保障と憲法との関係は、我が国の政治にとり最大の争点の一つで悩ましい問題を幾つも孕んでいます。集団的自衛権の行使をめぐる議論はその最たるものと言えます。ですから、マスコミでも国会でもかなり感情的な議論が先行しています。
私は、現下の厳しい国際情勢を考えれば、限定的な集団的自衛権の行使は止むを得ないと思っています。問題は、現行憲法下においてそのような解釈が可能かということです。ここで注意すべきは、内閣法制局による歴代政府の憲法解釈は、国際情勢の変化、軍事技術の進歩によって、時代とともに変遷して来たという事実です。ですから、解釈の変更イコール解釈による改憲というわけではありません。憲法の改正は、手続き条項が憲法にある以上、解釈ではなくて続きに従って行わなければなりません。一方、憲法の規範性の許される範囲内で解釈を変更することは十分に正当なことです。問われるべきは、いま安倍政権が提起している限定的な集団的自衛権の行使が「憲法の規範性の許される範囲内」に収まるかどうかです。
私の直感では、概ねその範囲内に収まるものだと思っています。第一に、あくまで「日本の安全に重大な影響を及ぼす場合に限定した」自衛権であって、日本の平和と安全と無関係に他国を守る「他衛」ではないということです。第二に、これは権利であって状況によって行使するかしないかは日本の主体的な判断に委ねられるのであって、行使しないという選択肢は常に残されているということです。第三に、領域国の同意なく他国の領域には入らないということも要件として上げていますから、他国を侵害したり、他国の領域内で武力行使をする可能性は排除されているということです。これが正しく守られるのであれば、現行憲法の平和主義や国際協調主義という基本原理に悖るものではなく、したがって、立憲主義に反するものではないと考えます。
103箇条しかない憲法は他の法律に比して解釈の余地は自ずと広くならざるを得ません。その範囲内で解釈を施すことは許されるし、法律に比して改正要件が厳格である以上条文を変えることなく様々な情勢変化に応えて行かねばなりません。しかも、憲法解釈は、政府の行政執行にあたって施す行政解釈(内閣法制局による政府解釈がその典型)、立法を通じて施される立法解釈があり、最終的な憲法適合性の判断は、最高裁による司法審査に委ねられている(憲法81条)というのが我が国の三権分立の原理です。したがって、最高裁による違憲判断が存在しない以上、行政解釈が変更されること(政府による憲法解釈の変更)をもって「立憲主義の破壊」というのは、かなり偏った意見です。
最後に、私と安倍政権との決定的な違いを申し上げます。安倍首相が記者会見で述べたことや、これから与党協議経て閣議決定さる内容は、どんなにそれが「限定的な」集団的自衛権の行使だと強調したとしても、一内閣における口約束に過ぎません。本当に憲法の正当な解釈の範囲内収まるような限定(つまり歯止め)を施せるかどうかは、行政解釈だけではダメで、それを立法を通じて明確に規定しなければなりません。それは結果の正当性のみならず、国会の論議、延いては国民の議論に十分に供するというプロセスの正当性も担保しなければならないと考えます。ですから、私は、安全保障基本法案を国会に提出して、立法措置を通じて立法府としての憲法解釈を明らか(これを「自衛権の再定義」と呼びました)にし、集団的自衛権の行使にあたっての具体的な歯止めを明記することを、野党有志議員と提案したのです。
安倍政権は先を急ぐ余り、この民主主義の大事な大事なプロセスをすっ飛ばそうとしているようです。私は、このプロセスを通じて、国民の理解を得ながら、周辺国への説明も十分に尽くして、限定的な集団的自衛権の行使を容認するべきだと考えます。それには、一回くらいの国会では済まないでしょう。何国会も費やしてでも議論を深めるべきです。それくらいの価値ある国政最大のテーマの一つだと思っています。

投稿: 長島昭久 | 2014年5月18日 (日) 15時56分

でりしゃすぱんださん、長島さん、コメントありがとうございました。

長島さんから詳しい説明をいただき、たいへん恐縮しています。理解の深まった部分や、いろいろな問題意識についても「なるほど」と思う点が多々ありました。ちなみに新規記事は「Part2」として私なりの考え方をまとめています。ぜひ、お時間等が許される際、ご覧いただければ幸いですので、よろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2014年5月18日 (日) 21時12分

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