もう少し集団的自衛権の話 Part2
直近の記事のタイトルは「憲法記念日に思うこと 2014」「もう少し集団的自衛権の話」でした。このような内容の投稿を続けてきて、今回のタイミングで別な話題に変えてしまうのもどうかと思い、前回のタイトルに「Part2」を付けて書き進めることにしました。連日、マスコミでは集団的自衛権の話が取り上げられています。ご存じのとおり木曜日、有識者会議「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)」が安倍首相に報告書を提出しました。
安保法制懇は「我が国の平和と安全を維持し、地域・国際社会の平和と安定を実現していく上で、従来の憲法解釈では充分対応できない状況に立ち至っている」とし、集団的自衛権の行使を容認すべきという提言を行なっています。その提言が示された夜、安倍首相は記者会見を開き「我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるという時、限定的に集団的自衛権を行使することは許される」という考え方について、政府・与党で検討してくことを表明しました。
その上で、現在の政府の憲法解釈を変更する必要がある場合、改正すべき立法措置について閣議決定を行ない、国会に諮るという説明を加えています。記者会見で安倍首相はパネルを用い、周辺有事の際に邦人や米国人を輸送する際、「米国の船を自衛隊は守れないのが現在の憲法解釈だ。日本人を助けることができないでいいのか」と訴えていました。国連平和維持活動(PKO)の他国部隊が武装勢力に襲われた際の自衛隊による「駆け付け警護」もパネルで示し、さらに武力攻撃に至らない「グレーゾーン事態」への対処能力強化に向けて法整備を急ぐ方針も示しています。
一方で、安倍首相は、法制懇が軍事措置を伴う国連の集団安全保障への参加について「憲法上の制約はない」と提言したことに「採用できない。自衛隊が武力行使を目的として、湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加することはこれからも決してない」と述べていました。つまり安保法制懇が示した集団的自衛権の範囲よりも安倍首相は「限定的」な方針を示したことになります。
ちなみに今回の記事に限りませんが、自分のブログを数年先に読み返した時のためにも、なるべく題材となる事実経過等についても書き残すようにしています。したがって、ここからが私自身の感想や意見となり、要点ごとに箇条書きに努めてみます。きっと閲覧者一人ひとり様々な見方や評価があるはずです。いつも幅広い視点や立場からのコメントを心待ちしていますが、いろいろな「答え」を認め合った場として、あえて他者を侮蔑するような言葉は避けることを意識し合った意見交換ができることも強く願っているところです。
- 政府の憲法解釈に長年携わってきた阪田雅裕元内閣法制局長官は「集団的自衛権の行使が許されることは今の国際法で許される戦争がすべてできることになり、9条をどう読んでも導けない、文章の理解の範疇を超えているものは解釈ではなく、無視と言うべきものではないか」と語られています。私自身も憲法第9条の解釈は個別的自衛権の行使までが限界と考え、このブログの直近の記事で記したとおりフリーハンドで集団的自衛権の行使まで容認することは日本国憲法の平和主義を捨て去る局面だと考えています。
- 日本をとりまく安全保障環境が変わったため、時代情勢に合わせた憲法解釈の変更が必要である、そのような主張を耳にします。情勢の変化があり、ルールを変える必要な場合があることはその通りだと思います。しかし、解釈が情勢変化のもとにその都度変更できるという理屈には違和感を抱いています。それも内閣の意思で憲法の根幹を解釈で変えていく行為は権力を縛るという立憲主義をないがしろにした暴挙だと考えています。
- 安倍首相が示した具体例などを検討する際、集団的自衛権という概念を持ち出す必要があるのかどうか疑問視しています。個別的自衛権や警察権の延長、正当防衛や緊急避難という定義に照らし、具体例に対する解決策を検討していくべきではないでしょうか。そもそも安倍首相は湾岸戦争やイラク戦争のようなケースでの日本の参戦はないと明言しています。そうであれば、わざわざ集団的自衛権という概念を持ち出さず、上記1.2.のような不信を少しでもやわらげた議論を提起すべきものと考えています。
- 慎重姿勢の公明党や世論の風向きを意識し、安倍首相は集団的自衛権に対して「限定容認」の姿勢を打ち出したのかも知れません。しかし、本音のところでは安倍首相や自民党のめざすべき先は自衛軍であり、国際的には異質な憲法第9条の「特別さ」を削ぎ、「普通の国」になることだろうと見ています。その意味で最初は「限定的」に踏み出し、「アリの一穴」を徐々に広げていく意図があるように考えています。
- これまで軍隊ではなく、あくまでも平和憲法のもとの自衛隊であるため、海外での直接的な参戦は控えることができました。今後、国内的な解釈によって憲法第9条の「特別さ」を削げるのであれば、ますます他国から「なぜ、日本は出てこない。日本だけ血を流さない」という声が示された時、参戦できない説明に苦慮していくものと考えています。
- 憲法第9条があれば自国の平和は守れるという現状でもありませんので、個別的自衛権の必要性は認めています。「日本人だけ血を流さなければ良いのか、日本人の手だけ血に染まらなければ良いのか」という声を耳にする時があります。もちろん否です。一国平和主義ではなく、理不尽な血が流されない国際社会の実現を願っています。その上で、集団的自衛権が行使できない日本国憲法の「特別さ」を活かし、もっともっと日本の役回りやブランドイメージを高めることに力を注ぐべきものと考えています。
- イラク戦争などの教訓から武力で平和が築けないケースを想定しなければなりません。憎しみの連鎖が新たなテロや戦争を招きがちです。軍備力の増強が抑止力を高めるという見方があります。普通の人は屈強なプロレスラーに殴りかからないという一例が示される時もあります。しかし、そのような例示は際限のない軍拡競争に繋がりがちであり、国際社会の規範による自制力を軽視した「弱肉強食」の発想だと考えています。
- 隣接したドイツとフランスは第1次、第2次世界大戦でお互い戦い、莫大な犠牲者を出してきました。このような被害を繰り返さないという両国の決意が欧州に新しい流れを生み出しました。第2次世界大戦後、領土や資源の争奪戦を避けるため、両国は石炭と鉄鋼を共同管理する共同体を1951年に作りました。その一歩が欧州連合(EU)まで発展しています。「戦争も辞さず」という発想を論外とし、まず他者の言い分にも耳を傾ける外交姿勢が最も重要であるものと考えています。
- かつてに比べればアメリカの国力にもかげりを見せ始めています。そのような絡みから日本の軍事力に今まで以上の役割を期待し、集団的自衛権行使を検討していくことに歓迎の意を表しているものと見ています。一方で、アメリカ国内では他国の戦争に巻き込まれたくないという意識が高まっているようであり、日本と中国との対立を危惧している側面があるものと考えています。
- アメリカから日本に対し、集団的自衛権を行使できるように求めた圧力が強まっているようには思えません。そのように考えた時、安倍首相は「戦後レジームからの脱却」を唱えていましたが、祖父の岸元首相から連なる個人的な信念が前面に出た動き方であるように感じています。ただ安倍首相が「戦争をしたがっている、戦前のような軍国主義をめざしている」というような批判は的外れだと言えます。しかし、憲法第9条の「特別さ」を徐々に削ぎたいという意図は明らかで「普通に自国の平和を維持できる国」、つまり制約のない集団的自衛権行使も含め、いざという時「普通に戦争ができる国」という姿をめざしているものと考えています。
- 今の日本国憲法は「異常」だと考えている方も多いのかも知れません。直近の記事でも記してきたことですが、私自身、日本国憲法の「特別さ」は誇るべきものだと思っています。それでも憲法第96条の定めに沿って衆参両院議員の「3分の2以上」の発議があり、憲法改正の国民投票が行なわれた結果、第9条の「特別さ」がなくなってしまうのであれば、それはそれで国民の選択だろうと考えています。
- 安倍政権の信任を問うことを目的に衆議院が解散されることも想定していかなければなりません。その際、どのような濃淡になるのかどうか分かりませんが、憲法解釈による集団的自衛権行使の問題も自民党の公約に掲げられるはずです。そのような局面に備え、集団的自衛権行使の問題をはじめ、野党第一党の民主党には自民党との対抗軸を明確に打ち出せる政治勢力の中心になってもらいたいものと考えています。
思った以上に長々と書き進めてしまいました。それでも言葉足らずの箇所が多いのかも知れません。次回も同じテーマで続けるのかどうか分かりませんが、私たち国民一人ひとり、もっと関心を寄せ、もっともっと考えていくべき大切な問題だと認識しています。特に大手の新聞社は決して中立ではなく、それぞれの立ち位置を明確にしています。最後に、そのことを前提に見ていかなければならない一例を紹介します。読売新聞一面の見出し「集団自衛権71%容認」には驚きました。この分類でいけば、私も「容認派」(苦笑)に位置付いてしまうようです。
読売新聞社が2014年5月9日から11日にかけて行った世論調査によると、71%が集団的自衛権の行使を容認する考えを示した。大半が「限定容認論」を支持しているが、8%は全面的に容認する考えだ。設問の内容は「日本と密接な関係にある国が攻撃を受けたとき、日本への攻撃とみなして反撃する権利を『集団的自衛権』と言います。政府はこれまで、憲法上、この権利を使うことはできないとしていました。この集団的自衛権について、あなたの考えに最も近いものを、1つ選んで下さい」というもの。「使えるようにする必要はない」という選択肢を選んだ人が25%にとどまったのに対して、「全面的に使えるようにすべきだ」が8%、「必要最小限の範囲で使えるようにすべきだ」は63%にのぼった。
一方、朝日新聞社が4月19~20日に行った世論調査では、容認に否定的な結果が出ている。「集団的自衛権についてうかがいます。集団的自衛権とは、アメリカのような同盟国が攻撃された時に、日本が攻撃されていなくても、日本への攻撃とみなして、一緒に戦う権利のことです。これまで政府は憲法上、集団的自衛権を使うことはできないと解釈してきました。憲法の解釈を変えて、集団的自衛権を使えるようにすることに、賛成ですか。反対ですか」という問いに対して、賛成は27%にとどまり、反対は56%にのぼった。【J-CASTニュース2014年5月12日】
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コメント
たまには日曜日にコメントします。
これは決して嫌味ではありませんが、OTSU氏の本文はまれにみるほどの
論点が明確でかつわかりやすい内容でした。
OTSU氏がそこまで目線を下げて、判り易さを前面に出すのは、それほど
重要なテーマであり、強い危機感の表れだなあと思っています。
よく丁寧な説明をとテレビなどで聞くのですが、すべての情報が開示されても
結局、国民の大多数は関心を持ちません。国民は目先の利益しか考えないからです。
だからこそ、政治家や国を支える官僚達ははるか先の未来を見据えて
政策を決めていくのだろうと考えます。
国民の声を聴けば聴くほどポピュリズムに走るだけだろうと。
ま、この集団的自衛権を捨石にして、憲法改正につなげるのなら良しと
しましょう。私としては。
投稿: nagi | 2014年5月18日 (日) 14時35分
nagiさん、コメントありがとうございました。
分かりやすさについて、評価いただき恐縮です。なお、トップページ画面の右サイドバーに不具合があり、本日、新着コメントの表示が反映されていません。原因が分からないままで、せっかくの投稿が埋もれてしまいがちとなっています。すでにお気付きかも知れませんが、前回記事の中で紹介した衆院議員の長島昭久さんご本人から当該記事へコメントが寄せられています。貴重な機会ですので、ぜひ、ご注目ください。
投稿: OTSU | 2014年5月18日 (日) 21時20分
議員本人が投稿するとは、さすがOTSU氏のプログですね。
民主党は大嫌いですが、長島議員の考えは評価できますし、個人的には
好きな方です。このような人物に民主党の運営をしてほしいです。
そうすれば、リベラルと保守の2大政党が政策を競い合うことができる。
いまだに55年体制を引きずる現実が見えない方々は社民党と共に
消え去っていただきたい。
世界中のリベラル政党を見ても軍事力を否定する党はありません。
早く「普通に自国の平和を維持できる国」になってほしいです。
投稿: nagi | 2014年5月19日 (月) 16時27分
長島議員を名乗る方がお書きになられているとのこと。
読みましたが、ずいぶんと深慮されているのだなぁと思います。
憲法を改めて読み直してみるのですが、9条に関しては、我が国が他国との戦争のための軍備をしないとしか素直に読めないのであって、そもそも、集団的自衛権で、他国に武力行使が認められるような規定にはとても思えないというのが率直な意見です。
集団的自衛権を政府がやりたいと考えていて、それを国民に問い始めたのは、問題提起としてはよいでしょう。
実務的な話をしますと、まず、憲法解釈について閣議決定します。
憲法解釈により「できるようになったこと」が各省庁で企画され、法案化します。
政府案ですので、内閣法制局のチェックを経てから、閣議決定の上、国会に上程されます。
法案は例えば自衛隊法の改正、PKO法の改正、海上保安庁と海上自衛隊の役割の切り分けのための法案などがでると思います。
憲法解釈はさておき、国会での議論は具体的な個別法案で、揉まなくてはいけません。
当然、自衛隊の役割がプラスアルファになるのですから、プラスアルファ分の訓練等のための予算措置も必要になります。
各省の財務省への予算要求案の期限は8月末です。
急いでやろうとすれば、とりあえず、要求の締め切りには、入れておかなくてはならない。
少なくとも、来年度の法案を伴う予算措置については、8月までに企画しておかなければならないんです。
・・・できんのかな。やるんだろうと思います。
次の臨時国会で、無理やりやっちゃうんじゃないかなと、思いますね。
政府原案が12月の末。クリスマスのころに出来上がるので、むりしてやっちゃうでしょうね。
来年の春まで、国会はゴタゴタになってしまう。
安保一色になるような気がしてなりません。
投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年5月20日 (火) 00時03分
>でりしゃすぱんだ氏
>安保一色になるような気がしてなりません。
私にはよい傾向だと思いますね。かつての安保闘争などは論外ですが。
あれは赤かぶれの愚劣な連中が引き起こした犯罪にしか過ぎないと理解しています。
日本人が、戦後70年を経て、国、国民、安全、平和について真剣に考えるときが
きたと思います。バブル経済以降は平和運動は一部の方々の思想信条活動に
利用されてきました。だから国民が本当に考える機会がなかったといえます。
今度こそ、日本中が真剣に考える時がきたのだろうと。
わからないとかどうでもよいと言うことでけは避けて、自分なりの答えを
出してほしいと願います。
その上で、完全な戦力の放棄を決めたのなら、それでよいと思います。
まあ私はその場合は国外に脱出しますがね。
投稿: nagi | 2014年5月20日 (火) 09時24分
nagiさん、でりしゃすぱんださん、いつもコメントありがとうございます。
新規記事は「Part3」として続けるつもりはありませんが、できれば少しだけ関連付けた内容を考えています。ただ少し体調を崩しているため、土曜日中の投稿は難しいかも知れませんが、ぜひ、またご訪問いただければ幸いですのでよろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2014年5月24日 (土) 20時24分