« 2014年4月 | トップページ | 2014年6月 »

2014年5月25日 (日)

市議選まであと1か月

右サイドバーのプロフィール欄に記しているとおり当ブログは管理人名を「OTSU」とし、匿名での投稿を続けています。知り合いや私どもの組合員の皆さんらに対しては匿名という位置付けになりませんが、素人ブログの一般的な流儀に従って実名は伏せています。このあたりは以前の記事「再び、コメント欄雑感」の中でも説明していました。勤めている自治体名も伏せていますが、記事の内容などから簡単に特定できてしまうはずです。その意味では今回の記事タイトルもその一つに数えられるのではないでしょうか。

必ずしも隠し通さなければならない訳ではありませんが、個人の責任によるブログ運営の一般的なセオリーにそったものとしてご理解願えれば幸いです。ちなみに私どもの自治体は市長選、市議選、都知事選、都議選、すべて統一地方選挙から外れた独自の日程で施行されます。唯一、都知事選が統一地方選挙で行なわれていましたが、一昨年末に石原元都知事が辞職したため、すべて独自の日程となりました。

市議選は過去に解散があり、統一地方選から外れ、来月22日に投開票日を迎えます。これまで市議選に絡んだ記事として8年前には「頭の中は市議選モード」「市議選闘争、いよいよ本番」「豪州戦は残念、でも市議選は!」「応援した候補者が当選」があり、週に複数回更新していた時期だったため、2週間で4回も投稿していました。4年前には公務員組合の政治活動の是非が当ブログのコメント欄で取り沙汰されている中、「あえて市議選の話題」という記事を投稿していました。

4年前の記事を読み返してみましたが、組合が市議選に推薦候補を立てる意義や私自身の問題意識は基本的に変わっていません。したがって、今回の記事でも当時の内容を焼き直したような記述が並ぶことをご容赦ください。それでも最近の話題や動きを踏まえ、4年前には触れていない内容や論点も書き込んでいくつもりです。まず何よりも「再び、地公法第36条と政治活動」という記事を綴っているとおり組合活動の範囲内で選挙に関わる取り組みを進めています。

その中でも、私どもの組合にとって市議選の取り組みは最も身近で重要な位置を占めています。市職員の労働条件は労使交渉で決める原則とともに議会で定める条例に基づくことも原則とされています。そのため、市議会の中で連絡を密にできる議員の存在は非常に重要です。このような意義を踏まえ、私どもの組合は昨年11月の定期大会で市議選における候補者の推薦を決めていました。私どもの組合の元委員長で民主党から公認を受け、7期目に挑まれる候補予定者です。

今回、定数28に対して35名前後が立候補を予定し、前回までと同様、泡沫候補が皆無に近い中、現職複数名の落選が噂される激しい選挙戦の見通しです。特に4年前に比べ、党の支持率が下がったままの民主党系の現職は一段と厳しい情勢だと言えます。私どもの組合が推薦している市議も、その一人であり、たいへん厳しい局面であることを覚悟しています。昨年からインターネット選挙も解禁されていますが、その推薦市議の名前を知ってもらう一つの機会と考えれば、実名を示すという選択肢もあり得るのかも知れません。

これまで当ブログでは選挙に関わる記事内容を数多く投稿しています。私自身、まったく問題のない明確な線引きを意識しながら書き込んでいるつもりですが、固有名詞を出すことで余計な誤解を招く心配もありました。とりわけ市議選は、より身近な選挙戦であり、より慎重になることが必要であり、これまで一度も固有名詞を示したことはありません。一般論として組合が選挙に取り組む意義やその妥当性を不特定多数の皆さんに訴えてきました。同時に組合員の皆さんに対しては、市議選の取り組みが重要な組合活動の一部であるため、このブログで取り上げることで意義や位置付けを改めてアピールする機会にしてきました。

特に選挙に関わる方針は組合員の皆さんへ押し付けるべきものではなく、その重要性や意義を訴え続けることによって、ご理解やご協力を求めていくべきものだと考えています。そのため、組合ニュースなどを通し、きめ細かく丁寧な情報発信に努めているところです。また、このブログは自治労都本部や連合三多摩の関係者の方々からも閲覧いただいていますが、やはり管理人「OTSU」は匿名という位置付けにはなっていません。そのような関係性を踏まえ、先日、自治労都本部の中央委員会で私から出席者の皆さんに呼びかけた要旨を改めて掲げさせていただきます。

今回、このような「お願い」をお配りさせていただきましたが、組合活動の領域は多岐にわたり、一自治体の議員選挙に大きな力は割けないものと受けとめています。さらに組合員の意識が多様化し、選挙闘争そのものの位置付け、個人情報の取扱いやコンプライアンスの問題など留意すべき点が多々あるものと認識しています。そのため、あくまでも今回の「お願い」は各組合それぞれが対応できる範囲内でご協力願えればと考え、自治労都本部の了解を得て、たいへん勝手ながら中央委員会の受付でお配りさせていただいたところです。

その上で、今回の市議選に向けた意義についても少しだけ触れさせていただきます。私どもの組合が推薦する市議は市議選を通して「公契約条例」「脱原発依存」「平和主義」の重要性、防災・減災対策の一環として自治体職員の態勢充実など、自治労の志向する政策の実現をめざしています。そして、何よりも推薦市議は、在住する自治労組合員の声を地元市政へ誰よりも的確に届けられる存在です。また、各自治体に自治労組織内議員を送り続けることは、連合東京や民主党との関係において自治労全体の影響力維持の問題にもつながっていくものと考えています。ぜひ、このような趣旨のもと可能な限りのご協力をよろしくお願いします。

もちろん上記はブログ用に実名を伏せた記述に改めています。自治労都本部からの推薦を得られているため、在住組合員の有無に関わらず、出席された組合すべてに受付で封書を配らせていただきました。その中には公選ハガキを同封し、ご協力いただける場合は6月5日までにご送付くださるようお願いしています。さらに各組合のニュース等を通し、この市議選について、自治労都本部推薦候補について、少しでも触れていただけるようでしたら何よりなことであることもお願いしていました。

そして時節柄、私どもの組合も推薦している地元選挙区の衆院議員である長島昭久さんとの関係性についても中央委員会の檀上から一言触れさせていただきました。お配りした封書の中には推薦市議の政策リーフレットを同封していました。そのリーフレットには長島さんからの応援メッセージも掲げられています。なお、このブログは匿名を基本としていますが、よくマスコミなどに顔を出されている有名人や政治家の方は特に名前を伏せていません。そのため、これまで長島さんをはじめ、主に国会議員の方々は実名で登場していました。

直近の記事は「憲法記念日に思うこと 2014」「もう少し集団的自衛権の話」「もう少し集団的自衛権の話 Part2」で、長島さんのことも取り上げていました。するとご本人から非常に丁寧なコメントをお寄せいただいていました。たいへん貴重なことですので興味を持たれた方は、ぜひ、リンク先のコメント全文をご覧いただければと考えています。長島さんからのコメントに接し、私自身、理解の深まった部分や様々な問題意識について「なるほど」と思う点も多々ありました。

日本国憲法の「平和主義」を大切にしたいという総論は同じでも、そのための手法や各論において個々人での考え方は枝分かれしがちです。その際、お互い自説の「正しさ」を声高に主張するだけでは「溝」が広がるだけだろうと考えています。違いは違いとして認め合って、信頼関係を維持した中で議論できる関係性が重要であるはずです。このような問題意識を添えた上、中央委員会の檀上で私からは推薦市議と長島さんとの関係性も、率直な意見を交わし合える信頼関係があることを強調させていただきました。

6月22日の市議選まで残り1か月を切りました。選挙に関しては様々な制約があり、その中でも公務員の組合は特に注意しなければならない点が多々あります。推薦候補者の勝利は不可欠ですが、法令順守はもっと重要であり、アクセルと同時に必要に応じてブレーキを踏むことも意識しなければなりません。とは言え、このような発想が必死さの不足という見られ方につながらないよう過剰に萎縮せず、これからも公務員の組合として取り組める範囲内で全力を尽くしていくつもりです。ぜひとも、組合員の皆さん、関係者の皆さんからのご理解ご協力をよろしくお願いします。

| | コメント (13) | トラックバック (0)

2014年5月18日 (日)

もう少し集団的自衛権の話 Part2

直近の記事のタイトルは「憲法記念日に思うこと 2014」「もう少し集団的自衛権の話」でした。このような内容の投稿を続けてきて、今回のタイミングで別な話題に変えてしまうのもどうかと思い、前回のタイトルに「Part2」を付けて書き進めることにしました。連日、マスコミでは集団的自衛権の話が取り上げられています。ご存じのとおり木曜日、有識者会議「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)」が安倍首相に報告書を提出しました。

安保法制懇は「我が国の平和と安全を維持し、地域・国際社会の平和と安定を実現していく上で、従来の憲法解釈では充分対応できない状況に立ち至っている」とし、集団的自衛権の行使を容認すべきという提言を行なっています。その提言が示された夜、安倍首相は記者会見を開き「我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるという時、限定的に集団的自衛権を行使することは許される」という考え方について、政府・与党で検討してくことを表明しました。

その上で、現在の政府の憲法解釈を変更する必要がある場合、改正すべき立法措置について閣議決定を行ない、国会に諮るという説明を加えています。記者会見で安倍首相はパネルを用い、周辺有事の際に邦人や米国人を輸送する際、「米国の船を自衛隊は守れないのが現在の憲法解釈だ。日本人を助けることができないでいいのか」と訴えていました。国連平和維持活動(PKO)の他国部隊が武装勢力に襲われた際の自衛隊による「駆け付け警護」もパネルで示し、さらに武力攻撃に至らない「グレーゾーン事態」への対処能力強化に向けて法整備を急ぐ方針も示しています。

一方で、安倍首相は、法制懇が軍事措置を伴う国連の集団安全保障への参加について「憲法上の制約はない」と提言したことに「採用できない。自衛隊が武力行使を目的として、湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加することはこれからも決してない」と述べていました。つまり安保法制懇が示した集団的自衛権の範囲よりも安倍首相は「限定的」な方針を示したことになります。

ちなみに今回の記事に限りませんが、自分のブログを数年先に読み返した時のためにも、なるべく題材となる事実経過等についても書き残すようにしています。したがって、ここからが私自身の感想や意見となり、要点ごとに箇条書きに努めてみます。きっと閲覧者一人ひとり様々な見方や評価があるはずです。いつも幅広い視点や立場からのコメントを心待ちしていますが、いろいろな「答え」を認め合った場として、あえて他者を侮蔑するような言葉は避けることを意識し合った意見交換ができることも強く願っているところです。

  1. 政府の憲法解釈に長年携わってきた阪田雅裕元内閣法制局長官は「集団的自衛権の行使が許されることは今の国際法で許される戦争がすべてできることになり、9条をどう読んでも導けない、文章の理解の範疇を超えているものは解釈ではなく、無視と言うべきものではないか」と語られています。私自身も憲法第9条の解釈は個別的自衛権の行使までが限界と考え、このブログの直近の記事で記したとおりフリーハンドで集団的自衛権の行使まで容認することは日本国憲法の平和主義を捨て去る局面だと考えています。
  2. 日本をとりまく安全保障環境が変わったため、時代情勢に合わせた憲法解釈の変更が必要である、そのような主張を耳にします。情勢の変化があり、ルールを変える必要な場合があることはその通りだと思います。しかし、解釈が情勢変化のもとにその都度変更できるという理屈には違和感を抱いています。それも内閣の意思で憲法の根幹を解釈で変えていく行為は権力を縛るという立憲主義をないがしろにした暴挙だと考えています。
  3. 安倍首相が示した具体例などを検討する際、集団的自衛権という概念を持ち出す必要があるのかどうか疑問視しています。個別的自衛権や警察権の延長、正当防衛や緊急避難という定義に照らし、具体例に対する解決策を検討していくべきではないでしょうか。そもそも安倍首相は湾岸戦争やイラク戦争のようなケースでの日本の参戦はないと明言しています。そうであれば、わざわざ集団的自衛権という概念を持ち出さず、上記1.2.のような不信を少しでもやわらげた議論を提起すべきものと考えています。
  4. 慎重姿勢の公明党や世論の風向きを意識し、安倍首相は集団的自衛権に対して「限定容認」の姿勢を打ち出したのかも知れません。しかし、本音のところでは安倍首相や自民党のめざすべき先は自衛軍であり、国際的には異質な憲法第9条の「特別さ」を削ぎ、「普通の国」になることだろうと見ています。その意味で最初は「限定的」に踏み出し、「アリの一穴」を徐々に広げていく意図があるように考えています。
  5. これまで軍隊ではなく、あくまでも平和憲法のもとの自衛隊であるため、海外での直接的な参戦は控えることができました。今後、国内的な解釈によって憲法第9条の「特別さ」を削げるのであれば、ますます他国から「なぜ、日本は出てこない。日本だけ血を流さない」という声が示された時、参戦できない説明に苦慮していくものと考えています。
  6. 憲法第9条があれば自国の平和は守れるという現状でもありませんので、個別的自衛権の必要性は認めています。「日本人だけ血を流さなければ良いのか、日本人の手だけ血に染まらなければ良いのか」という声を耳にする時があります。もちろん否です。一国平和主義ではなく、理不尽な血が流されない国際社会の実現を願っています。その上で、集団的自衛権が行使できない日本国憲法の「特別さ」を活かし、もっともっと日本の役回りやブランドイメージを高めることに力を注ぐべきものと考えています。
  7. イラク戦争などの教訓から武力で平和が築けないケースを想定しなければなりません。憎しみの連鎖が新たなテロや戦争を招きがちです。軍備力の増強が抑止力を高めるという見方があります。普通の人は屈強なプロレスラーに殴りかからないという一例が示される時もあります。しかし、そのような例示は際限のない軍拡競争に繋がりがちであり、国際社会の規範による自制力を軽視した「弱肉強食」の発想だと考えています。
  8. 隣接したドイツとフランスは第1次、第2次世界大戦でお互い戦い、莫大な犠牲者を出してきました。このような被害を繰り返さないという両国の決意が欧州に新しい流れを生み出しました。第2次世界大戦後、領土や資源の争奪戦を避けるため、両国は石炭と鉄鋼を共同管理する共同体を1951年に作りました。その一歩が欧州連合(EU)まで発展しています。「戦争も辞さず」という発想を論外とし、まず他者の言い分にも耳を傾ける外交姿勢が最も重要であるものと考えています。
  9. かつてに比べればアメリカの国力にもかげりを見せ始めています。そのような絡みから日本の軍事力に今まで以上の役割を期待し、集団的自衛権行使を検討していくことに歓迎の意を表しているものと見ています。一方で、アメリカ国内では他国の戦争に巻き込まれたくないという意識が高まっているようであり、日本と中国との対立を危惧している側面があるものと考えています。
  10. アメリカから日本に対し、集団的自衛権を行使できるように求めた圧力が強まっているようには思えません。そのように考えた時、安倍首相は「戦後レジームからの脱却」を唱えていましたが、祖父の岸元首相から連なる個人的な信念が前面に出た動き方であるように感じています。ただ安倍首相が「戦争をしたがっている、戦前のような軍国主義をめざしている」というような批判は的外れだと言えます。しかし、憲法第9条の「特別さ」を徐々に削ぎたいという意図は明らかで「普通に自国の平和を維持できる国」、つまり制約のない集団的自衛権行使も含め、いざという時「普通に戦争ができる国」という姿をめざしているものと考えています。
  11. 今の日本国憲法は「異常」だと考えている方も多いのかも知れません。直近の記事でも記してきたことですが、私自身、日本国憲法の「特別さ」は誇るべきものだと思っています。それでも憲法第96条の定めに沿って衆参両院議員の「3分の2以上」の発議があり、憲法改正の国民投票が行なわれた結果、第9条の「特別さ」がなくなってしまうのであれば、それはそれで国民の選択だろうと考えています。
  12. 安倍政権の信任を問うことを目的に衆議院が解散されることも想定していかなければなりません。その際、どのような濃淡になるのかどうか分かりませんが、憲法解釈による集団的自衛権行使の問題も自民党の公約に掲げられるはずです。そのような局面に備え、集団的自衛権行使の問題をはじめ、野党第一党の民主党には自民党との対抗軸を明確に打ち出せる政治勢力の中心になってもらいたいものと考えています。

思った以上に長々と書き進めてしまいました。それでも言葉足らずの箇所が多いのかも知れません。次回も同じテーマで続けるのかどうか分かりませんが、私たち国民一人ひとり、もっと関心を寄せ、もっともっと考えていくべき大切な問題だと認識しています。特に大手の新聞社は決して中立ではなく、それぞれの立ち位置を明確にしています。最後に、そのことを前提に見ていかなければならない一例を紹介します。読売新聞一面の見出し「集団自衛権71%容認」には驚きました。この分類でいけば、私も「容認派」(苦笑)に位置付いてしまうようです。

読売新聞社が2014年5月9日から11日にかけて行った世論調査によると、71%が集団的自衛権の行使を容認する考えを示した。大半が「限定容認論」を支持しているが、8%は全面的に容認する考えだ。設問の内容は「日本と密接な関係にある国が攻撃を受けたとき、日本への攻撃とみなして反撃する権利を『集団的自衛権』と言います。政府はこれまで、憲法上、この権利を使うことはできないとしていました。この集団的自衛権について、あなたの考えに最も近いものを、1つ選んで下さい」というもの。「使えるようにする必要はない」という選択肢を選んだ人が25%にとどまったのに対して、「全面的に使えるようにすべきだ」が8%、「必要最小限の範囲で使えるようにすべきだ」は63%にのぼった。

一方、朝日新聞社が4月19~20日に行った世論調査では、容認に否定的な結果が出ている。「集団的自衛権についてうかがいます。集団的自衛権とは、アメリカのような同盟国が攻撃された時に、日本が攻撃されていなくても、日本への攻撃とみなして、一緒に戦う権利のことです。これまで政府は憲法上、集団的自衛権を使うことはできないと解釈してきました。憲法の解釈を変えて、集団的自衛権を使えるようにすることに、賛成ですか。反対ですか」という問いに対して、賛成は27%にとどまり、反対は56%にのぼった。【J-CASTニュース2014年5月12日

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2014年5月11日 (日)

もう少し集団的自衛権の話

機能を役立たせていないのですが、このブログのカテゴリーは「日記・コラム・つぶやき」としています。週1回の更新ですので日記というよりも「週記」となっていますが、その時々の日常における雑感を記事の冒頭に書き込むスタイルを定着させています。本題に入る前の伏線的な前置きとしている場合もありますが、記事タイトルとは無関係な話も少なくありません。

前回の記事「憲法記念日に思うこと 2014」では滞納処分の話から入っていました。本題に向けたエピソードだったつもりでしたが、その入り方に強い違和感を示されたコメントが寄せられていました。おかげ様で本当に一人ひとりの受けとめ方や価値判断が枝分かれしていくことを学ぶ機会となっています。いずれにしても私からのレスを通し、決して権力を振りかざすような意図が毛頭ないことだけは取り急ぎ強調させていただきました。

これまでも時々、徴税吏員としての職務の話も投稿してきました。今回、久しぶりに徴税の仕事に絡んだ内容を書き込むことも考えましたが、記事タイトルのとおり「もう少し集団的自衛権の話」を続けさせていただきます。まず土曜の朝、読売新聞の第2面の見出し「集団自衛権 野党議連が容認 解釈変更 政府に追い風」が目に留まりました。見出しの横の写真には、会議の中央で挨拶している民主党衆院議員の長島昭久さんが写っていました。

長島さんは私どもの組合も推薦している地元選挙区の代議士で、このブログで何回も登場しています。最近の記事では「外交・安全保障のリアリズム」や「平和の話、インデックスⅡ」などがあります。当該の読売新聞の記事はネット上で見つからないため、著作権の問題からもそのまま紹介することは避けなければなりません。同じ内容を報道した産経新聞の記事はネット上で公開されていましたので、引用元を示した上、原文をそのまま紹介させていただきます。

民主、日本維新、みんな、結い各党の有志議員による勉強会「外交・安全保障政策研究会」(会長・長島昭久元防衛副大臣=民主)は9日、憲法解釈の変更による集団的自衛権行使を限定的に容認する指針をまとめた。勉強会には保守系議員が多く、安倍晋三政権が目指す方向性に沿った内容となった。指針では「個別的自衛権、集団的自衛権の別を問わず、自衛権は、合理的に必要な範囲内(必要最小限度の範囲内)で行使すべき」とし、「アジア太平洋地域を中心とする周辺事態」「エネルギー資源の輸入のためのシーレーン(海上交通路)」などを行使の対象に挙げた。今国会中に安全保障基本法を議員立法で提出することを目指す。行使の要件には「わが国またはわが国と密接な国に対する急迫不正の侵害がある」「わが国の平和と安全に重大な影響を与える事態」など5つを掲げた。【産経新聞2014年5月9日

もともと私どもの組合の方針と長島さんの安全保障に関する考え方がすべて一致している訳ではありません。現在のような社会政治情勢の中、組合方針の大半が一致できる推薦議員は極めて限られ、大きな方向性が合致した上で、基本的な信頼関係が築けるかどうかが大事な時代になっているものと思っています。ただ読売新聞の「解釈変更 政府に追い風」という見方が正しいようであれば、大きな方向性でのギャップも否めません。

そもそも集団的自衛権の解釈見直しに慎重な見解を示している民主党の方針とも相容れない話となります。長島さんと意見交換できる機会があれば、いろいろ尋ねたいことが頭の中を巡っていました。一方で、読売新聞や産経新聞の記事の中味に書かれている「個別的自衛権、集団的自衛権の別を問わず、自衛権は合理的に必要な範囲内(必要最小限度の範囲内)で行使すべき」という指針にも注目していました。

前回の記事の中で「仮に限定的なケースを議論するのであれば、個別的自衛権の延長線上で是非を判断することも可能であるように考えています」と記していましたが、その文脈に相通じる論点を感じ取っていました。例えば刑法上、正当防衛や緊急避難という定義があります。差し迫っている侵害が第三者に向けられていた際、その第三者を助ける行為でも正当防衛は成立します。このような概念のもとの議論であれば、憲法第9条の理念の空洞化に歯止めをかけることができ、国内外に余計な波紋を広げずに済むような気がしています。

さらに産経新聞の続報となる報道によれば、長島さんが「解釈改憲ではなく自衛権の再定義と表現したことで民主党見解の範囲内」と説明していることも分かりました。このように整理していくと、長島さんからは「読売新聞の見出しの付け方は正確ではない」という釈明が加えられるのかも知れません。いずれにしても個別的自衛権から踏み出し、フリーハンドで集団的自衛権の行使まで容認することは日本国憲法の平和主義を捨て去る局面だと考えています。

加えて、その時々の内閣の意思で憲法の根幹を解釈で変えていく行為は権力を縛るという立憲主義をないがしろにした暴挙だと言えます。前回の記事を通し、訴えていた私自身の最も強い問題意識はその点でした。すると下記の報道のとおり自民党内からも同様な声が上がっていました。それも自民党三役である野田聖子総務会長からの問題提起でした。このような批判意見が自民党内からも示されたことについて少し安堵しています。ぜひとも今後、憲法第9条の「特別さ」を忘れず、より「必要最小限度の自衛権」に立ち返った議論が幅広い層で進むことを強く願っています。

自民党の野田聖子総務会長が八日発売の月刊誌「世界」(岩波書店)のインタビューで、集団的自衛権の憲法解釈を変更する閣議決定に関し、拙速に議論を進めれば党の了承は得られないとの認識を示していることが分かった。「閣議決定は党内手続きなしにはできない。全会一致が原則の総務会を通ることはできないだろう」と述べた。野田氏は、安倍晋三首相(党総裁)直属機関での集団的自衛権をめぐる党内論議について「(憲法解釈変更を)進めたい側のプレゼンテーションだ」と批判。「これから反対する側の意見を聞くことになる」と述べた。憲法改正でなく、解釈変更を目指す手法に関し「違う政党の政権になった時にまた解釈を変えることが可能になる。政策の安定性がなくなるのではないか」と指摘。「人を殺す、殺されるかもしれないというリアリズムを語るべきだ」と注文を付けた。【東京新聞2014年5月8日

| | コメント (15) | トラックバック (0)

2014年5月 4日 (日)

憲法記念日に思うこと 2014

税の滞納処分は各自治体で様々な手法が試みられています。その一つに自動車のタイヤロックがあります。文字通りタイヤに専用の器具を取り付け、走行できないようにした保管命令による差押処分です。滞納者の大半はロックを解除するため、納付に至るという効果を上げています。納付できない場合は差し押さえた自動車は公売にかけられ、売却代金が税の未納分に充てられることになります。ちなみにレッカー移動等の実費も滞納者の負担になりますので、くれぐれも滞納されないようご注意ください。

徴税吏員としての職務に励む日常ですが、つい最近、若手職員から「べー・エム・ヴェーって、何ですか?」という質問を受けました。ドイツのBMW社の車の話をしていたつもりでしたが、若い人たちには「ビー・エム・ダブリュー」もしくは「ビー・エム」と呼ばないと意味が通じないことを初めて知りました。いつのまにかドイツ語読みするのは高齢層に限られるようになっていたようです。参考までに職場で周囲の職員にも尋ねてみたところ「べー・エム・ヴェー」が通じるのは概ね40歳以上だったことを確かめてみました。

記事タイトルとは離れた話題から入りましたが、同じような現状を組合活動の中でも改めて気付かなければなりません。当たり前のように組合役員は組合用語を多用していますが、その用語自体の意味が通じていない場合もあることを意識していかなければならないようです。やはり最近、20代前半の女性職員から「春闘って何ですか?」と問いかけられたこともありました。昨年秋の若手組合員との懇談会の中でも共通して示された意見は「組合のことがよく分からない」というものでした。

このような現況の「溝」を少しでも埋めるためにも日常の組合活動を通し、できる限り丁寧な情報伝達のあり方を試行錯誤しています。このブログもその一助に位置付けながら、あまり気負わず地道に続けています。特に平和活動に関する領域は、より大きな「溝」があるように認識しているため、「平和の話、インデックスⅡ」のとおり数多くの記事を投稿してきました。土曜日は憲法記念日でしたが、例年以上にテレビ番組で憲法にちなんだ特集が多かったようです。とりわけ集団的自衛権、憲法第9条の問題が各局の報道番組で取り上げられていました。

これまで当ブログでは「憲法記念日に思うこと」「憲法記念日に思うこと 2009」という記事を綴っていました。読み返してみると「2009」のコメント欄では当時の常連の方々による貴重な意見交換に接することができます。自分自身の考え方は基本的に変わっていませんが、自治労や平和フォーラムが当たり前のように使っている言葉、さらに活動の方向性について足元から検証する必要性を強く感じるようになっています。このような発想はブログを長く続けてきたことによって、染み付いてきた問題意識です。

もっともっと反戦平和の活動に頑張らなければならないと考えている組合員、自治労の平和活動は昔に比べると低下してしまったと嘆く組合員、そのような声があることも承知しています。一方で、平和フォーラムが中心となって進めている運動に対し、疑問や違和感を抱いている組合員が多いことも感じ取っています。先日、組合事務所で副委員長から若い組合員の平和運動への関心の薄さが話題として振られました。

副委員長としては関心の薄さに危機感を持ち、もっとしっかり伝えていかなければという問題意識を表に出した言葉だったようです。それに対し、私からは従来の自治労運動のスタイルをそのまま伝えていけばいくほど、若い組合員と組合執行部との距離が広がってしまいがちな危機感を示していました。副委員長は納得いかない様子でしたが、その場では深い議論に入るような時間もなく、お互い一言二言意見を交わした機会にとどまっていました。

自治労は討論しないという見られ方は不本意なものですので、今後、反戦平和に関する運動のあり方や方向性についてフリーな議論の場を持てればと考えています。なお、私自身は自治労や平和フォーラムの運動方針を支持しています。ただ前述したとおり従来のスタイルには問題意識を持ち、特に若い組合員に理解が広がらないのは伝え方の問題なのか、運動のあり方や基本的な方向性の問題なのか、じっくり吟味しなければならない時機だと思っています。

憲法記念日の夜、内向きな話を気ままに書き進めてきましたが、憲法第9条に絡んだ内容についても少しだけ触れさせていただきます。私が勤務する自治体を舞台に米軍基地拡張に反対した砂川闘争があり、最近、注目を浴びている最高裁の砂川事件判決に至っていました。1959年3月、米軍基地内に侵入した罪を問われた7人の無罪が東京地裁で言い渡されました。米軍の駐留自体を憲法違反とし、裁判長の名前を取り「伊達判決」と呼ばれています。それに対し、検察側は高裁を飛ばして最高裁の判断を求める「跳躍上告」の手続きを取りました。

最高裁は同年12月、一審を破棄し、東京地裁に審理を差し戻した結果、被告全員の有罪(罰金刑)が確定していました。一審判決で駐留米軍が違憲状態となってしまい、混乱を早期決着させたいという政治的な意図が働いた最高裁の判断でした。安倍首相や自民党幹部は、この時の最高裁判決の「自国の平和と安全を維持し、存立を全うするために必要な自衛の措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然」との一文をもって、必要最小限度の集団的自衛権も認めたものだと主張しています。

しかし、その理屈が後付けであることは明らかであり、これまで「必要最小限度の自衛権」の中に集団的自衛権が含まれないことは歴代の自民党政権をはじめ、広く認められてきた憲法第9条の根幹に関わる解釈だったはずです。それが内閣の意思で解釈を変えていく行為は権力を縛るという立憲主義をないがしろにした暴挙だと言わざるを得ません。憲法そのものを変えるためには時間がかかるという理由だとすれば論外な話だと言えます。

私自身、後ほど補足するつもりですが、日本国憲法の「特別さ」は誇るべきものだと考えています。それでも憲法第96条の定めに沿って衆参両院議員の「3分の2以上」の発議があり、憲法改正の国民投票が行なわれた結果、第9条の「特別さ」がなくなってしまうのであれば、それはそれで国民の選択だろうと覚悟しています。そのような必要不可欠な手続きが省かれ、第9条の「特別さ」を削いでいく行為は到底納得できません。

ここまでで充分長い記事となっていますが、まだまだ書き足していかなければ消化不良気味な内容にとどまってしまうのだろうと思っています。前回記事「池田香代子さんの過激な発言」の中で、十把ひとからげに決め付けた属性批判や三段論法から導き出した批判が的外れだった場合、いろいろ問題が生じる点について訴えさせていただきました。いわゆる左、右、立場がどうであろうと留意すべき話だと考えています。

軍事基地や集団的自衛権行使に反対する勢力は「他国の利益のために活動している」という批判を時々耳にしますが、まったく的外れな批判だと言えます。安倍首相は「戦前のような軍国主義の道をめざしている」という批判を時々耳にしますが、やはり的外れな批判だと思っています。安倍首相や自民党の石破幹事長らが「戦争を避けるために抑止力を高める」という説明を重ねていますが、その言葉の真意に偽りはないはずです。

ただし、第9条の「特別さ」を徐々に削ぎながら「普通に戦争ができる国をめざしている」という指摘であれば、決して的外れな批判ではなく、そのような方向性を支持するのかどうかの問題だろうと考えています。ちなみに「憲法第9条さえあれば自国の安全は守れる」と信じている方は少数派ではないでしょうか。つまり立場や基本的な考え方が異なる場合でも偏った見方から生じがちな批判は極力排し、まず相手方の主張に耳を傾けることが大切な心構えだろうと思っています。

そもそも外交の延長線上として宣戦布告さえすれば合法だった戦争は、第2次世界大戦後、国連憲章によって禁止されています。例外として、自衛のためと国連安全保障理事会が認めた場合の戦争だけが合法とみなされています。要するに日本が集団的自衛権の行使に踏み出すことは「普通に戦争ができる国」に直結する話だろうと見ています。来日したオバマ大統領との共同声明に「集団的自衛権の行使の検討を歓迎、支持する」という文言が盛り込まれました。一方で、中国との緊張関係が高まることに対し、アメリカが危惧しているという見方も確かなようです。

最近、石破幹事長は訪問先のワシントンで講演し、集団的自衛権の行使を認める場合、当面はその範囲が限定的なものになるという考えを示していました。最新の世論調査では集団的自衛権の行使に慎重な声のほうが高まっています。このような動きを意識し、当面は限定的と述べているのかも知れません。それでも石破幹事長は、行使を認める具体的なケースを現時点で限定するのは「時代や環境の変化に対応できなくなる場合がある」とし、行使を認めるケースを拡大していく可能性にも触れているようでした。

仮に限定的なケースを議論するのであれば、個別的自衛権の延長線上で是非を判断することも可能であるように考えています。そのほうが憲法第9条の理念を尊重し、国内外に余計な波紋を広げずに済むような気がしています。それでも安倍首相らが集団的自衛権に対してフリーハンドを得たいと考えるのであれば遠回りかも知れませんが、前述したとおり堂々と国民投票の道を選ぶべきではないでしょうか。

たいへん長い記事となっていますが、もう少し続けます。木曜の夜『NEWS23』の中で、アフガニスタンのDDR(武装解除・動員解除・社会復帰)で活躍された伊勢崎賢治さんのことが取り上げられていました。平和国家である日本のイメージは良く、「軍事的下心がない」と認識されるため、武装解除の交渉がスムーズに進んだことが紹介されました。そのため、伊勢崎さんは「憲法9条によるイメージブランディングが失われたら日本の国益の損失だ」と語られていました。

このような一例からも日本国憲法の「特別さ」を積極的にアピールすることの意義は大きく、そのことによって「一国平和主義」と批判されない道も充分開けていくのではないでしょうか。「普通の国」ではないことに引け目を感じるのではなく、国連憲章を上回る徹底した平和主義を掲げた憲法に誇りを持つことが大切な心得だろうと考えています。それこそ文字通りの「積極的平和主義」の方向性であり、憲法第9条を空洞化するような集団的自衛権の行使は真逆な動き方だと思っています。

このような思いを託す取り組みとして、戦争をさせない1000人委員会による安倍首相と衆参両院議長あての全国署名の活動があります。自治労も呼びかけに応じ、現在、私どもの組合では5月16日までを期限とし、組合員一人三筆を目標に署名をお願いしています。解釈改憲による集団的自衛権行使容認に反対し、憲法第9条の理念を活かすことを求めた署名ですが、冒頭に申し上げた現状の中、今のところ提出数はかんばしくありません。この署名のことも念頭にあり、今回のような内容の記事の投稿に至っていました。ぜひ、署名できる機会がある皆さんは一筆でも結構ですからご協力いただければ幸いですので、よろしくお願いします。

今回の記事内容に対し、様々なご意見や批判が寄せられるのかも知れません。いつもお願いしていることですが、いろいろな「答え」を認め合った場として言葉の競い合いができることを望んでいます。普段より相当長い記事となりましたが、さらに補足が必要な点も残されているのかも知れません。そのような場合、次回以降の記事本文を通して書き足していければと考えています。それでは最後に、憲法第9条がノーベル平和賞の候補にノミネートされたという報道を紹介し、今回の記事を終わらせていただきます。

戦争放棄を定めた憲法9条がノーベル平和賞の候補にノミネートされた。ノルウェー・オスロにある選考機関「ノーベル委員会」に推薦状を提出していた「『憲法9条にノーベル平和賞を』実行委員会」(事務局・相模原市南区)に、推薦を受け付けたことを知らせる通知が届いた。改憲論議を憂えた座間市の主婦が始めた活動が共感を呼び、9条の存在は広く世界に知られることになる。英文のメールが届いたのは9日夜。〈ノーベル委員会はあなた方の提案を受け取りました〉「1人では難しかったが、多くの人の協力と知恵でここまでたどり着けた」。2児の母でもある鷹巣直美さん(37)はそう喜ぶ。

昨年1月に始めた署名活動がきっかけだった。「9条に平和賞を」。ツイッターやフェイスブックで賛同者を募り、選考委事務局宛てにメールを送り続けた。選考の仕組みはよく分からなかったが、「いつか目に留めてもらえると思った」。市民団体の間で共感の輪が広がり、実行委が昨夏に発足。候補になるために必要な推薦人も大学教授や平和団体代表ら13人1団体が集まり、2月1日の締め切りまでに推薦文を送ることができた。賞は個人・団体に贈られるため、憲法の条文そのものは対象にはならない。そのため、推薦文には「日本国憲法、特に第9条を今まで保持している日本国民にノーベル平和賞を授与してください」とつづった。

安倍晋三首相は憲法改正に意欲をみせ、国会では集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈の変更が取り沙汰される。「9条の価値が見直されるきっかけになれば」と鷹巣さん。278候補が登録され、受賞者は10月10日に発表される。「もし受賞したら、日本を代表して安倍首相に受け取ってもらいたい」。相模が丘九条の会メンバーで実行委に加わった落合正行さん(81)は言う。「そうすれば、9条に手を加えることなどできなくなる」【神奈川新聞2014年4月11日

| | コメント (24) | トラックバック (0)

« 2014年4月 | トップページ | 2014年6月 »