ウクライナの問題から思うこと
土曜の朝、前回記事「春闘の話、インデックスⅡ」のコメント欄に「平和の築き方、平和への希求の仕方、本当に悩ましく、難しいことを痛感しています。新規記事ではウクライナの情勢等にも少し触れながら、いろいろ思うことを書き進めてみるつもりです」と記していました。夜、パソコンに向かっているところですが、ウクライナの問題について改めてインターネット検索を通して調べてみました。
ちなみに当ブログを続けていることで曖昧な知識や情報を自分の頭の中で整理する機会が増えています。ブログの題材として取り上げる際、不確かな内容のまま投稿することを必ず避けるように努めています。それでも時々、確認の仕方の不充分さや自分自身の思い込みから事実誤認の内容を投稿したこともありました。そのような時、すかさずコメント欄で誤りを指摘いただけることが多く、本当に有難く、貴重な自己啓発の場になっています。
なお、ネット上で調べた結果をもとに自分自身の言葉に置き換えて綴る時、引用したサイトを明らかにした上で当該サイトの文章をそのまま掲げる時、二通りの方法があります。後者は作業面での省力化にも繋がり、これまで多くの記事の中で使っている手法です。ただ前々回の記事「おもてなしについて、ある雑誌から」の中でも添えたことですが、そこに書かれている内容そのものや一字一句に対し、私自身が全責任を負えない側面もありました。例えば私自身の責任で綴るブログ記事本文では、安倍首相を呼び捨てにするようなことは考えられません。このような点に関しては以前の記事「言葉の難しさ、言葉の大切さ」の中で記していました。
他のサイトの内容を紹介する際、自分自身にとって興味深く感じたものが多く、いわゆるネット上での「拡散」という意識が働いていることも確かです。しかし、そこに書かれている内容イコール100%違わない私自身の主張、そのように決め付けられて辛辣に批判されてしまう悩ましさもありました。あくまでも多面的な情報に触れていただく機会の一つとして紹介しながら、読み手の皆さん一人ひとりがどのように受けとめるのかどうか、それぞれの見方や評価は委ねていくという姿勢で臨んでいます。
ついでに言い添えれば、私自身が全責任を負っている当ブログの記事本文も、読み手の皆さんとの関係は同じものでした。私自身が正しいと信じている「答え」だったとしても、皆さんに押し付けるような書き方は極力控えています。当然、自分自身の「答え」の正しさを広く理解いただければと願いながら一言一句に力を注いでいます。それでも異論や反論が示されることも常に覚悟し、できる限り謙虚な姿勢を保つように心がけています。とは言え、完全に感情をコントロールできるほどの域に達していませんので、不愉快なコメントに対しては少し冷静さを欠く対応があることも反省していました。
いつものことですが、主題に入る前の前置きがたいへん長くなっています。機会を見て記したかった内容だったため、ウクライナの問題に入る前に少し話が広がってしまい申し訳ありません。さて、ウクライナの問題がよく分かるサイトとして、マスメディアの記事を二つ紹介します。今回も自分自身の言葉に置き換えない手法を取らせていただきますが、歴史や事実関係を中心とした報道内容であり、マスメディアの場合、非難されるような記述は少ないようです。
大規模衝突により、ウクライナはソ連崩壊後最大の危機を迎えた。親ロシア的な東部・南部と親欧米的な西部で国土と住民が二分されているこの国で、今回の事態が示したのは両者の溝の深さにほかならない。単一国家としての存在に限界が近づいているとの見方すら、現実味を増してきた。ウクライナの政治はこの約10年間、親露派と親欧米派の間で揺れ動いた。2004年の大統領選では親露派のヤヌコビッチ首相(当時)がいったん当選するも、選挙での不正に抗議するデモが数十万人規模に拡大。続く再選挙で親欧米派のユシチェンコ政権が誕生した。この出来事は「オレンジ革命」と称される。
しかし、ユシチェンコ政権は内紛続きで経済も好転せず、10年の大統領選ではヤヌコビッチ氏が僅差で当選。政敵のティモシェンコ元首相は職権乱用罪で投獄された。そして昨年11月、欧州統合路線の棚上げで、親欧米派や民族主義勢力の怒りに火がついたのが今回の事態だ。振り子のような政治の根底には、ソ連崩壊期に独立を得たウクライナが国民統合の理念を打ち出せず、ソ連時代より前の「東西分断」の歴史を克服できていないことがある。長くポーランドやオーストリア領だったウクライナ西部では今も欧州への帰属意識が強く、ロシア領だった東部では親露的な住民が主体だ。
ここに、東方諸国との関係拡大をめざすEUと、旧ソ連諸国の経済統合を課題とするロシアの駆け引きが加わった。国民意識の形成が遅れたまま「東か西か」の対立が深まり、経済も行き詰まったのが現状だ。露専門家の間では、政権も野党勢力も統治能力を欠いているとの悲観的な見方が強まっている。また、過激な民族主義勢力がデモの暴力化をあおっているとみられており、政権と野党の双方が制御不能な状況に陥っているとの指摘もある。プーチン露政権は昨年、巨額の支援約束と引き換えに、ウクライナとEUの連合協定締結を阻止した。だが、当のウクライナが「破綻国家」に近づく事態は想定外だったに違いない。【SankeiBiz2014年2月20日】
ロシアのプーチン大統領は1日、ウクライナへの軍事介入を上院に提案し、上院は全会一致で承認した。ウクライナ南部クリミア自治共和国でロシア軍が展開する条件が整ったことで、緊迫が続くウクライナ情勢は重大局面を迎えた。大統領は声明で「ウクライナの非常事態とロシア系住民の生命の脅威に関連し、事態が正常化するまで、ウクライナでロシア軍兵力を使うことを上院に提案した」と表明。軍事介入の方針を決めたプーチン政権の強硬姿勢に、欧米諸国が反発するのは必至だ。ロシア系住民の多いクリミア自治共和国の親ロシア派、アクショノフ首相は1日、全軍と治安部隊を指揮下に置くと宣言するとともに、プーチン大統領に治安回復に向けた支援を要請。
こうした動きを受け、ロシアのマトビエンコ上院議長は、クリミア半島での限定的軍事行動を容認すると表明。ナルイシキン下院議長もロシア系住民保護のため全手段を講じるようプーチン大統領に求めていた。親欧州連合(EU)派のウクライナ新政権のテニュフ国防相は1日、ロシアがクリミア半島に約6000人の兵力を追加派遣したと非難。半島南部フェオドシアで、ウクライナ軍部隊が武装したロシア軍人らを拘束したことを明らかにした。ロシア軍人らはウクライナ海兵隊基地に侵入しようとして捕まったという。また、報道によると、半島西部エフパトリアで、ロシア軍がウクライナ対空防衛施設の襲撃を試みて失敗したもようだ。戦闘や死傷者の有無は不明。
アクショノフ氏は「内務省、非常事態省、陸軍、海軍、税務当局、国境警備隊を掌握する。従わない指揮官はクリミアを去るべきだ」と表明。クリミア自治共和国は事実上の「軍」創設の動きを強めている。アクショノフ氏は、既に重要拠点警備で黒海艦隊と協力していると語った。アクショノフ氏は、自治権拡大の是非を問う住民投票を5月25日から前倒しして3月30日に行うと発表。また、現地のロシア総領事館は、住民へのロシア旅券(国籍)発給を拡大する用意を明らかにした。ロシアは2008年グルジア紛争で「ロシア国籍者」の保護を名目にしていた経緯があり、クリミア半島の「ロシア化」政策の一環とみられる。クリミア半島は1954年の帰属替えまでソ連ロシア領だった。【時事ドットコム2014年3月2日】
専門的知識を持ち合わせていない私自身が上記の内容について特に補足することはありません。ただ他のサイトの紹介だけで終わってしまっても味気ないものと思いますので、少しだけ現在の状況や自分なりの見方などを添えさせていただきます。ロシアの軍事介入を受け、アメリカはロシアに対する制裁措置(米国内の資産凍結や入国制限など)を決めています。アメリカはEU(欧州連合)や日本に対しても足並みを揃えた制裁を求めていますが、それぞれロシアとの距離感の違いなどから微妙な温度差が生じているようです。
安倍首相はオバマ大統領との電話会談で「アメリカの対応を支持」にとどめ、制裁措置の発動までの明言は避けています。この間、安倍首相とオバマ大統領との関係性が疎遠となっている一方で、プーチン大統領との親密さが増していました。欧米諸国の首脳がロシアの反同性愛法の問題に抗議し、ソチ五輪の開会式に欠席した中、安倍首相は出席していました。北方領土問題の進展を意識した判断であり、今回の制裁措置の問題も同様な事情を抱えたまま苦慮しているようです。
軍事力を行使し、主権や領土を侵害することは許されません。今回のロシアの行動が国際的なルールに違反していることは明らかです。一方で、クリミアは自治共和国であり、その首相がプーチン大統領に治安回復に向けた支援を要請したことも事実であり、住民投票で「ロシア編入」を決める可能性があることも押さえていかなければなりません。「関係各国が情勢をいっそう緊張させる行動を避け、協力して危機を政治的に解決する方法を探すことを希望する」という声明は中国のものです。
「ロシアと米国との関係は世界の安定と安全のため最も重要であり、個々の問題で相違があるからといって両国関係を犠牲にしてはならない」という言葉はプーチン大統領のものです。それぞれの「国益」を背景に発せられているものですが、頭から否定できない「正論」であるようにも受け取れてしまいます。しかしながら今後、領土に対する覇権主義が強い国に誤ったメッセージを残すような決着も絶対避けるべきものと考えています。
今のところロシアは軍事力で他国に介入していますが、大規模な武力衝突は起こっていないようです。今後の最悪なシナリオは、内戦に発展することやロシアとの全面的な戦争に繋がることです。このままロシアの軍事介入を認められるものではありませんが、武力による解決という選択肢が避けられることを大多数の方々は望んでいるはずです。そのためには段階的な制裁措置を課しながらもロシアが譲歩できる「出口」、つまり必ず条件を示していくことも重要だろうと思います。
さらにロシアとの交渉の窓口は絶対閉ざさず、逆に多方面のチャンネルを築いていくことも欠かせません。安倍首相もプーチン大統領との個人的な信頼関係を駆使し、今回の行動が国際法に違反し、国際社会の中でロシアの孤立化に繋がることなどを直接訴えて欲しいものと願っています。このような思いは様々な組織や個人に対しても同様であり、ロシアとのパイプがある場合、ロシアに自制を促す多種多様な行動を積み重ねていくべきではないでしょうか。
最後に、この問題が生じましたが、ソチでのパラリンピックは予定通り開幕できました。ボイコットが取り沙汰されていたウクライナ代表チームは、たった一人、開会式での入場行進に参加しました。同国パラリンピック委員会は出場することを表明しましたが、今後、軍事介入の進展など「平和を脅かす事態」が生じれば、大会を途中棄権する可能性も示唆しています。そのような事態に至らないことを強く願いながら、五輪が紛れもない「平和の祭典」であり続けることを切望しています。
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コメント
クリミア半島は、旧ソビエト時代、連邦の保養地として、「凍らない港」として栄えてきた場所です。
気候も温暖で、ロシア人の別荘などもたくさんあるところで、ソ連崩壊の際は、首脳陣がごぞってクリミアへ避難したところでもあり、地政学的見地からみても親ロシアの土地柄です。
旧ソ連時代は、ロシア連邦もウクライナ共和国も、ほぼ一体化の状態であったと記憶しています。
「凍らない港」で軍事的拠点であることから、ボスポラス海峡を通らなければならないものの、外海に出るにはうってつけの場所です。
クリミア半島の帰属については、これまでも、いくどとなく問題が起きており、ウクライナに帰属したのは1955年のことで、旧ソ連がロシアからウクライナへ「記念」として帰属を変更したためです。それまでは、ロシアに帰属していた地域です。ソ連としては、政治的にも民衆的にも「連邦内」なら、そういったことも可能であったのだと思います。
国際法上問題があるかどうかは、モルドバの沿ドニエストルのような例もあり、今後の行方を追うしかないのですが、国際協調は少し無理があるかもしれません。CISの中のゴタゴタと見れば、いつものことなので、代理戦争のようなことも起きにくいかもしれません。
ロシアが旧ソ連の崩壊で、クリミア半島をウクライナとして切り離さなければいけなかったのは、彼らから見れば痛手だったでしょう。混乱がつづいているということだと思います。
投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年3月 9日 (日) 09時15分
でりしゃすぱんださん、以前の記事も含め、コメントありがとうございました。
確かにウクライナの問題はいろいろ複雑です。いずれにしても事態がエスカレートしないことを願いながら今後の行方を見守るしかありません。このブログで取り上げることに何の意味もないのかも知れませんが、今、自分なりに思うことを書き残す機会としていました。
投稿: OTSU | 2014年3月 9日 (日) 22時50分
今まで民主主義は正義だと信じるように勤めてきたが
ウクライナ情勢を見てると無理かもしれない。
今の暫定政権はどうだろうか。反政府派がデモで大統領を追放することが
憲法にかなってるのか? そして民主主義の手法なのか?
これではいかなる国であってもデモで最高責任者を追放すれば
いつでも政変できることになる。
今の暫定政権こそ国際法違反なのではないだろうか
ロシアも非難し、暴力で政権を奪った人々にも非難する必要がある。
日本でも仮に山本太郎率いる脱原発集団が国会を乗っ取り
安倍総理が国外に脱出したら、山本太郎政権ができるのだろうか
そして米国などが認めたら、それが民主主義なのだろうか
私はどう考えても民主主義ではないと否定したい。
投稿: nagi | 2014年3月10日 (月) 19時22分
クリミアについては、民主主義かどうかというよりも、CIS諸国の独立時に起きたゴタゴタがまだ残っているのだと思います。そういう意味で、どちらかというと帰属問題、領土問題というほうが適切だと思います。
前述のとおり、ソ連が、勝手にクリミアをロシアからウクライナへ、戦勝記念だかなんだかで帰属変更したらしく、ソ連邦としてはあまり気にされなかったのでしょうが、ウクライナがクリミアをひっくるめて独立したので、ロシアからすれば、気持ちのよいものではなかったでしょうね。
ロシア人がたくさん住んでいるのでややこしいですが、クリミアの正当性を考えると、統治主体がロシアなのかウクライナなのかということになりますね。
まあ、アフリカ諸国が植民地時から独立した際に、それが、国際法に違反したかどうかというのは、その時の国際世論によったわけで。
一概には民主主義や平和主義にもとるとは、言えないと思います。
やりかたは、もっとあったとは思いますけどね。でも、それは日本人的な考え方であって、彼らには通用しないかもです。
投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年3月15日 (土) 07時41分
nagiさん、でりしゃすぱんださん、コメントありがとうございました。
新規記事は今、いろいろ感じていることを気ままに書き込んでみるつもりです。また個々人で評価が分かれるのかも知れませんが、多面的な見方の一つとして、受けとめていただければ幸いだと考えています。
投稿: OTSU | 2014年3月15日 (土) 21時46分