« 給与制度の総合的見直し | トップページ | 春闘の話、インデックスⅡ »

2014年2月22日 (土)

おもてなしについて、ある雑誌から

先月、休日に1年点検のため、車をディーラーに持ち込み、仕上がるまで店内で1時間ほど待っていました。いろいろな雑誌が置かれ、コーヒーのサービスもあり、退屈せずに過ごせるようになっています。その際、『BIG tomorrow』1月号に掲載されていた記事内容に目が留まりました。一つは外交官だった佐藤優さんの『デキる男は「恩を仇で返さない」』、もう一つは『ビジネスで成功している人の「おもてなし」の技術』でした。

すでに2月号が発売されていた時期であり、1月号を購入するためにはBOOK・OFF等で探さなければなりませんでした。ネットで注文するよりも、このブログで相互リンクしている知り合いの書店の方に依頼し、手元に取り寄せていました。 今回の記事はその雑誌に掲載されていた内容の紹介を中心に考えています。これまでも当ブログの中で書籍やメディアの報道内容を頻繁に紹介しています。

その場合、大半が自分自身にとって興味深く感じたもので、いわゆるネット上での「拡散」という意識が働いていることも確かです。一方で、そこに書かれている内容そのものや一字一句に対し、私自身が全責任を負えるものではありません。あくまでも多面的な情報に触れられる機会の一つとして、そのような紹介の仕方に対してご理解を願っています。当然、読み手の皆さん一人ひとりがどのように受けとめるのかどうか、それぞれの見方や評価は枝分かれしていくものと思っています。

私自身が「なるほど」と感じた文章が人によっては不愉快な内容に映るケースも少なくありません。そのような時、このブログの記事内容に対する批判が倍加しがちでした。もともと当ブログを通して主張している中味は「無味乾燥」なものではないため、基本的な視点や立場が異なる方々にも耳を傾けていただけるよう表現方法や言葉一つ一つに注意しているつもりです。とは言え、まだまだ自分自身の未熟さや思慮不足も要因の一つとなり、思いがけない批判や反発を招きがちです。

もちろん技巧的な話ではなく、主張している中味そのものに批判が集中していることも重々承知しています。それでも「自分に甘く他者に厳しい」というような見られ方を少しでも防ぐためにも、『BIG tomorrow』1月号を取り寄せたところでした。いつものことながら前置きが長くなりました。本題に入りますが、ネット上に公開されていない雑誌の内容ですので、そっくり引用するのは避けなければなりません。そのため、特に印象に残った箇所に絞りながら紹介させていただきます。

恩に対する人間の認識というものは、非対称になりがち。つまり、自分がかけた情けは大きく感じ、かけてもらった恩は小さく感じてしまうのです。部下といっしょに飲んで、自分がちょっと多く支払っているのに、なんだか部下は少しもありがたがっていない…。そんなこと、ありませんか? 部下からすれば、全部おごってもらって、やっと少しはありがたがる。逆も真なりで、自分が相手からしてもらった恩は、相手が思っているほどには感じられない。

上記は佐藤優さんの言葉ですが、「受けた恩は忘れるが、かけた情けは忘れない。そんな人間になっていないか」と訴えられ、「やってもらって当たり前、少しでも利益を増やし得をしたい。これは経済合理性が重んじられ、利益第一主義が生み出したマインド」だと述べられています。厳しい競争を勝ち抜く中で、いつしか自分の力だけで生き残ってきたという錯覚や強い自負心を持つと「過剰な称賛を求める」「劣っていると感じた人を見下す」「人の気持ちがわからない」などという自己愛が肥大化すると佐藤さんは分析されていました。

ビジネス社会において生き残るために競争することは大切です。しかし、ときにその視点から離れてみましょう。でないと経済合理性と競争主義のなかで、いつしか「恩知らず人間」になってしまう可能性がある。健全な精神を持つ人間が客観的に世のなかを見渡せば、そこに限りない数の「恩」があることに気が付くはずです。

佐藤さんは「相手の弱点を見つけたりしたら、ここぞとばかりに付け込む」という風潮が強まり、クレーマーやモンスターペアレンツを増やしている今の社会は病的だと憂えています。社会が病むから病的な人格が生み出され、さらに社会が病的になるという残念なスパイラルを指摘されています。その記事の最後に佐藤さんは「多くの恩に感謝して、それに応えようと奮闘する人間にこそ、本当の幸福が訪れる、僕はそう思います」と結んでいました。

このような佐藤さんの記事に目を通した後、「接客業や営業マンだけじゃない!おもてなしはすべてのビジネスマンに必要なスキル!」という頁に注目していました。来客の応対で「お待ちしておりました」の一言が大切な点など、具体的な事例ごとに技術的な解説がイラスト入りでまとめられていました。その中で「おもてなしとは、ひと言でいうと“相手を思いやる心”」という言葉が最も印象に残りました。

さらに独りよがりにならないように「気遣い」「気配り」「気走り」という3つの要素の大事さが紹介されていました。相手に関心を持って何を望んでいるのか察するのが「気遣い」、不都合がないか周辺部分まで気を配るのが「気配り」、不都合があれば一歩先回りして事前に伝えておくのが「気走り」と説明されています。また、高価なモノを贈ったり、大金を使った接待が良いおもてなしではなく、相手にこちらの真心を届けるのが目的であり、モノや接待は真心を伝えるための手段でしかないことが記されていました。

真心も相手が何を求めていて、どのような価値観を持っているのか分からなければ、こちらの自己満足に終わってしまうため、4つの「きく」の大事さも紹介されていました。相手の求めていることを「聴く」、要望をもっと詳しく「訊く」、気の利いた提案をする「利く」、それららを実践した後、心に響くアフターフォローが「効く」とされ、この4つの「きく力」を駆使すれば、おもてなし上手になれると添えられていました。

今回、このような記事内容の投稿に至った意図を深読みされたり、違和感を持たれる方がいらっしゃるかも知れません。『BIG tomorrow』1月号を入手した時点で、機会があればブログでも取り上げようと考えていた題材でした。その上で投稿したタイミングが今回だったという経緯に過ぎません。いずれにしても「相手を思いやる心」が、よりいっそう大事にされなければならない時代を迎えているように感じています。そして、東京五輪の招致で有名になった「おもてなし」、ますます国際社会の中で日本が実践しなければならない大事な規範になっているものと考えています。

|

« 給与制度の総合的見直し | トップページ | 春闘の話、インデックスⅡ »

コメント

佐藤優氏が何を言ったのかは知りませんが、私は個人的に好きじゃないですよ。
外務省のラスプーチンだのなんだの言われて久しいですが、元公務員だというだけでアレなのに、有罪食らって、退職金もらえなかったから、こういう雑誌なんかで稼いでるんだなこりゃ。

まぁ、人間的にはいいひとなのかもしれませんがね。
ま、改革派はマッサツされちゃう霞が関ですからね。

こういう、でたらめな人を、現職公務員がもちあげるのはどうかしていると思いますよ。

ビジネス論理のなかに恩義もクソもない。
それは個々の人間の資質であったり、積み重ねであったりするので、ビジネス論の中に組み込むなんざ、ビジネスの組み立てを知っているひとから見れば噴飯ものですよ。

原典当たってないんでアレですけどもね。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年2月23日 (日) 10時36分

でりしゃすぱんださん、コメントありがとうございました。

佐藤優さんの主張すべて賛同している訳ではありませんが、「なるほど」と思うことが多く、今回のブログ記事で取り上げています。ただ正直なところ理不尽な検察の嫌疑を認めず、512日間の勾留から裁判闘争まで貫いた精神力などは到底真似ができそうにありません。その結果、外国から証人を呼ぶための経費や弁護士費用などで2千万円ほどかかり、著作活動で捻出していることが佐藤さんの著書『人に強くなる極意』に書かれていました。

投稿: OTSU | 2014年2月23日 (日) 21時20分

OTSUさん。

いや、そういうことではなくて、少なくとも検察の後ろには外務官僚がいたわけです。
つまり、佐藤氏は法スレスレのことをやっていたわけです。で、裁判で、グレーだなと思わせておいて、その実、クロと認定されちゃったわけです。
しかも、ビジネスのタテマエとして「恩」なんかを取り上げているとすれば、それは、個人的な感想にしかすぎずに、元外務官僚が何を言っても敏腕営業マンでもなかったわけですから、ビジネス書として積極的な肯定はできないと思います。
つまり、マユツバものであり、執筆活動は単なる稼ぎにしかすぎない。元外務官僚という肩書で売っているだけです。

まぁ、OTSUさんが何を読もうと知ったこっちゃないのは確かだし、そこまで自由を奪えないですが、少なくとも公務員の風上にも置けない人をもちあげるのはいかがなものかと。
しかも、労組が嫌いな「オカミ」で、企画屋だったひとをなんで取り上げるのかな?という気がしてならないだけです。

まぁ、外務省は、名刺の紙代がもったいないから、コピー紙を小さくちぎったやつで済ます人たちなんでね。
国家公務員は名刺は自腹なんで。予算で認められてませんから。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年2月24日 (月) 07時27分

それから、
>「相手の弱点を見つけたりしたら、ここぞとばかりに付け込む」という風潮
をOTSUさんは同感しているようですが、
労働組合こそ、相手の弱点をつついて、どうでもいいようなことを引き出していなくはないですか?
それを、交渉記録として、何年何月何日にはこういう回答を得ているとか労使合意に達しているなんて、したり顔をしていませんか?
あんまり、自己弁護にすぎませんか?
労働組合こそ、自分の利益最優先でエゴ丸出しで、極論言って「相手の弱点を見つけたりしたら、ここぞとばかりに付け込む」組織はないと思いますが。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年2月24日 (月) 07時37分

>でりしゃすぱんだ氏

>労働組合こそ、自分の利益最優先でエゴ丸出しで、極論言って「相手の弱点を見つけたりしたら、ここぞとばかりに付け込む」組織はないと思いますが。

元々、労働組合はそうゆう存在ではないでしょうか。潰れる心配が少ない
団体になればなるほど、権利意識が肥大するのはやむ得ないでしょう。
中国の共産党がもっとも判り易い例だと思います。

特権階級の労働貴族だからこそ、一般の労働者と乖離した活動に
血道をあげるのではないでしょうか。

そろそろ日本の労働運動も労働者の手に取り戻すことが必要だと
思うのですがね。

投稿: nagi | 2014年2月24日 (月) 19時43分

極論を言うから、中和されてよくなるという考え方は、あながち間違ってはいないと思います。
しかしながら、極論がぜんぶ通ってしまったら、この世の中どうなってしまうんでしょうか?
だから、駆け引きがあって、交渉があるんじゃないんでしょうか?
そこにも「恩」などというあいまいな概念を感じなくちゃだめなんですかね。
OTSUさんの書き方では、ビジネスの世界だけのことではないように読めますが、そうであるとすれば、大きな間違いだと思います。
「おもてなし」には、日本人独特の緻密な計算高さが、私はあると思っています。
少なくとも、労組のいいんちょさんから、そんな言葉を聞くとは思わなかった。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年2月24日 (月) 22時00分

でりしゃすぱんださん、nagiさん、コメントありがとうございました。

佐藤優さんに関しては今回の記事本文と日曜にレスしたとおりですので、さらに追加での説明は省かせていただきます。労働組合云々に関してですが、労使交渉に限らず「交渉記録として、何年何月何日にはこういう回答を得ている」というやり取りは、交渉事を優位に進めるために一般的に行なわれている話だと思っています。そのような点と今回記事の趣旨は特に違和感なく、私自身は綴っています。なお、そのような話から「特権階級の労働貴族だからこそ、一般の労働者と乖離した活動に血道をあげるのではないでしょうか」という批判に繋がることについて、労働組合役員の一人として非常に不本意な見られ方であることは一言添えさせていただきます。 

投稿: OTSU | 2014年3月 1日 (土) 19時23分

おはようございます。

>そのような話から「特権階級の労働貴族だからこそ、一般の労働者と乖離した活動に血道をあげるのではないでしょうか」という批判に繋がることについて、労働組合役員の一人として非常に不本意な見られ方であることは一言添えさせていただきます。 

OTSU氏に対して述べた言葉ではありません。ただ、このような方々もいて、そして
それに対する批判があると言ってるにすぎません。労働組合に所属する人々に
そのような人は皆無ですと断言できますか?できないと思いますが。
ならば、不本意であれどうであれ気になさることはないでしょう。
ご自分の所属する団体が清廉ならばそれでよろしいのではないでしょう。

私が指摘した内容は同じ組合系の人でも指摘してることもがあります。
だから今更なことだと思うのですが。

投稿: nagi | 2014年3月 3日 (月) 11時21分

nagiさん、コメントありがとうございました。

申し訳ありません。以前も記していましたが、どうしてもnagiさんに対しては、こちらがお願いしたい水準のハードルが高くなってしまっているようです。批判されるべき「木」があった場合、「森」全体が批判を受ける場合も少なくありません。それはそれで仕方ない面もあろうかと思いますが、発言者の意図が「森」全体への批判でない場合は記述の仕方にも注意を払うべきものと考えています。ぜひ、このような点についても、できる限りご理解ご協力いただければたいへん幸いなことです。

投稿: OTSU | 2014年3月 8日 (土) 09時35分

nagiさん。亀レスです。
労組の構成率が減少している昨今では、労組を構成せずに「親睦会」というものが機能しているようですね。
ガス抜きの場合が多いわけですが、現在の労組のような、交渉記録をもとに、どうでもよいようなことの揚げ足取りに走るスタイルははやらないかもです。
私のいた職場では「赤い本」と呼ばれる、重要事項の交渉記録簿が職場で閲覧できるようになっていました。
しかしながら、現状がどうであるかのほうが優先されるべきであり、労使双方が交渉記録をタテにあれはだめだこれはだめだという時代は、古いのかなと思います。
労組活動が合法化されてからずいぶん経ちます。公務員労組では顕著です。受け継がれてきた交渉記録も膨大で、労使双方が使い切れているとはとても思いません。
なかには、すごいものもありましたね。筆記具は公費提供しなければならないと書かれているものがあって、自前のお気に入りのペンを職場で使うことを管理者からとがめられた記憶があります。これも交渉記録の中にありましたね。それは自己責任ではないかと抗議したら、却下されましたけどね。
海外出張の際には、危険地帯だから携帯で毎日、日本へ連絡しなくちゃ許可しないとか。そんなところに電波は飛んでないし、電話線もないようなところへ行ったので、第一、公費でなくて自前でって、まぁ、支度金は公費ですけどね。矛盾だらけですよ。そんなの労使交渉記録簿には書いてないですから。
聞くところによると自民の憲法案で公務員の政治活動について触れられているとか(2014.3.8読売朝刊)。案文を詳しくは読んでないです。気が向いたら読んでみます。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年3月 9日 (日) 10時02分

>OTSU氏

注意を促されたならば、それを受け入れることはできます。
しかしそれほど異質なことを発言したわけではないと思うのですが。

木を取り上げて、森を批判する手法など誰でも都合よくするレトリックでは
ないでしょうか。

一部を都合よく解釈して批判するのは誰でもどこででも行っていると思いますよ。

OTSU氏自身も、安倍総理の発言を解釈して、「普通に戦争できる国を目指している」
と言われていました。安倍総理が直接このような発言はなかったと記憶して
います。要は表現の問題にすぎませんが。

だから私も一部の対象を取り上げて「特権階級の労働貴族」と言葉を解釈して
見たにすぎません。

「普通に戦争できる国を目指している」という批判に繋がることに、
政府の人も非常に不本意に思ってるかもしれませんね。

投稿: nagi | 2014年3月10日 (月) 19時31分

憲法9条ですが、いい面も悪い面もある。
ならば、日本として絶対に変わることのない「誓い」は変えずに、必要な点だけ変えていくのはダメでしょうか。

「日本は武力その他により、他国を侵略することを永遠に放棄する」
憲法9条は武力を放棄するのではなく、軍事力で侵略することを放棄することを明記する。

これこそが日本が永遠に変わることのない大原則として、未来永劫変えないようにすればいい。
私はそう感じています。

もちろん、出来る限り武力や争いはないほうがいいに決まっている。
そんなこと、日本人なら誰だってそう思っているでしょう。

その上で、国民や領土、主権を守るためや、世界の平和を守るために、軍事力は必要悪として存在する必要を認めることも大事でないでしょうか。
軍事力を持たない平和オンリー国家か、右傾化した侵略軍事国家か。
そんなゼロか百かみたいな話はあまりに両極端すぎて、議論として現実的とは思えません。

投稿: 下っ端 | 2014年3月10日 (月) 23時06分

おはようございます。

もう早春なのに寒いですね。

>下っ端氏
今の日本が今更、軍事侵略国家になる可能性は皆無でしょう。
他国を植民地にするリスクを考えればデメリットのほうが多いです。

今の、護憲運動はかつての大阪空港闘争と同じで、廃止されることは
ないと前提の上で、廃止運動をしていました。
つまり、護憲運動は日米安保によるアメリカの庇護があるからこそ
できる運動なのです。母親の胸元でぐずる赤ちゃんと変わりません。

しかしアメリカの情勢も変化します。アメリカの方針しだいで
日米安保が終了すれば、まあ護憲運動の方々も震え上がるのでは
ないでしょうか。現実のリスクの前には吹き飛ぶような議論です。

アメリカ、中国、ロシアと友好関係を築き、攻守可能な軍事力を整備し
伝統と誇りと平和を守る国にすれば良いだけです。

そして、憲法に平和も戦争もありません。たんなる決め事ですから。
決めるのも人間なら破るのも人間です。
ゼロか百の論争をしてるのは、ほとんどが護憲と叫ぶ人々だと
思われますね。

投稿: nagi | 2014年3月11日 (火) 10時05分

憲法が、絶対抑止になるか?という点はnagiさんと同じくNo!であるとしか言いようがないです。
国民世論が改憲に動いた場合、なし崩し的に、改正されることもあると思います。
ただ、法解釈は時の政権下で行われるのが常で、改正文が一見正しいように読めても、クロウト的にはこんな読みかたもできるっていうことがあります。
こういったことは、国民みなさんのリテラシーを高めることが必要ですが、国民ひとりひとりが、内閣法制局職員や憲法学者ではないので、少数意見が無視され、偏向報道がはびこる世の中にあっては、なかなか改憲というところまではいかないかもしれません。
勢いというのもあるので、これはこれで困ったものですが。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2014年3月15日 (土) 07時57分

でりしゃすぱんださん、nagiさん、下っ端さん、コメントありがとうございました。

個々人それぞれの視点や問題意識があり、意図せず結果的に他者を不愉快にさせるケースがあるようです。そのような点について、私自身も例外ではないものと思っています。その上で、できる限り言葉の難しさ、言葉の重さに注意していくように努めています。皆さんのコメントに対応したレスに至りませんが、一言だけ添えさせていただきました。

投稿: OTSU | 2014年3月15日 (土) 21時40分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: おもてなしについて、ある雑誌から:

« 給与制度の総合的見直し | トップページ | 春闘の話、インデックスⅡ »